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第七章:夏と合宿とワサビと雨と
大きな背中が去っていく
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椎名「エイッ!」
椎名の合図に合わせて、残る2つのゲートをイカダは見事に通過していった。だが「男の航路」に大きな代償を支払う事になってしまった男が一人いた。
椎名「思ったより速度が出ちゃったけど、うまくいったね!」
渡「いきましたね! すごいターンでしたよ!」
知哉「ターンっていうか、ラリーのドリフトみたいだったぜ! この村に入るときの米田さんの運転みたいなさぁ! なぁ修!」
修は少しの間を開けてから答えた。
修「激しすぎてよく分かんなかったよ……」
知哉「あれ、大丈夫かよ?」
修「俺はな……」
椎名「重くんは大丈夫、じゃないみたいだね……」
椎名の言葉に、知哉と渡も後ろを見てみた。
渡「あー、あー、どうしちゃったの大先生!?」
オールを杖代わりにした重は、青ざめた顔で遠くを見ていた。
知哉「酔ったのか?」
重「酔った……」
知哉「今ので?」
重「うんぷっ……」
知哉「おいおい、大丈夫かよ!?」
修は変貌を遂げてしまった幼馴染を見ながら、首を横に降った。
修「だから言ったろ?」
重「……も、もうね、一発だよね」
悲壮感溢れる顔で訴える重に、四人は笑いを堪えた。
椎名「……え? 一発って?」
重「最初のターンでやられましたよね、僕なんかは」
四人は堪えることなくクスクスと笑い始めた。
重「……とてもじゃないけど『あと二つも行けやしねぇ』って思ったよね」
情けない自分の姿に重自身も笑い始めると、藍の声が聞こえてきた。
藍『皆さんお見事でした! それでは次のCエリアは休憩ですので、Dエリア入り口でお持ちしております!』
藍たちのゴムボートが川下に去っていくと、五人は腰を下ろして、イカダを川の流れに任せて休憩を始めた。
緩やかな流れの中、五人は水分補給をしながら、川を、自然を眺めた。
渡「ふぅ…… それで、少しは落ち着いた?」
重「うん、良くなってきたよ」
修「ったく、椎名さんの無茶な作戦のせいで散々ですよ」
椎名「あれ、僕のせいなの? 元を辿れば、この合宿所を選んだ修君のせ‥」
修「ぐうの音も出やしねぇよ!」
偉そうに言い返した修の言葉に、渡は口に含んでいた水を吹き出してしまった。
知哉「汚ねぇな! 掛かったぞ俺に!」
渡「あはは、ゴメンゴメン。修がバカ言うもんだから……」
修「教授さん、バカ言わせたのは椎名さんだからな?」
椎名「ちょっと! なんで僕のせいかな!?」
修「そりゃそうって…… おいシゲ! お前はいつの間にビーフジャーキーを食ってんだよ!」
重は答えず、修の顔を見ながらジャーキーをはみはみとやるばかりだった。
修「はみはみじゃねぇんだよ! 一人で食ってないで配れよ!」
重は黙ったままジャーキーの入った袋を取り出すと修に手渡した。渡された修は、重と一緒になってはみはみとやり始める。
知哉「……」
重「はみはみ……」
修「はみはみ……」
知哉「チッ、はみはみじゃねぇんだよ!」
知哉を無視した修は、ジャーキーの袋を椎名に渡した。渡された椎名は、二人と一緒になってはみはみとやり始める。
重「はみはみ……」
修「はみはみ……」
椎名「はみはみ……」
知哉「いやだから、はみはみじゃねぇんだって!」
知哉を無視した椎名は、ジャーキーの袋を渡に回した。受け取った渡は、三人と一緒になってはみはみとやり始める。
知哉「そうなったらもう怖ぇんだよバカ! イカダの上で干した肉を無表情でしゃぶりながら俺を見るんじゃねぇよ! 特にそこのピエロ! ホラー過ぎんだよ!」
椎名「うぅ…… じゃでいjゔぃおあ:ゔぉあpとぅぴ!」
知哉「だから怖ぇって言ってんだろピエロ! 謎の言葉を発するな!」
修「でもフビキジャ様は言っていた。人の業によって、その器は満たされていくと」
知哉「やみろ‥ やめろっての! ったく、訳分からねぇこと言うから、『め』が『み』になっちまったろーが!」
重「メメズ」
知哉「ミミズだよ!」
渡「メメズク」
知哉「ミミズクだよ!」
椎名「ミンタイコ」
知哉「明太子だよ! 思いついたからって‥」
修「綿アメ」
知哉「綿アミだろ! じゃねぇ、それは合ってんだよバカ! じゃなくてもうやめろってんだよ!」
知哉の綿アミ発言に満足した四人は、ケラケラと子供のように笑い始める。
渡「知ちゃん、流石だねぇ」
重「最後の綿アミは良かったよ」
修「居酒屋の名前じゃねぇんだからよ?」
知哉「うるせぇな。調子こいてっと川に落ちるぞ?」
文句を言いながらも、渡からジャーキーの袋を受け取った知哉は、四人にならってジャーキーをはみはみとやり始める。
椎名「はぁ、それにしても、あっという間の二年間だったなぁ」
渡「どうしたんですか急に?」
椎名「いやね、この合宿が終わったら、みんなと毎日顔を合わせることもなくなるからさぁ……」
修「……って言っても、駅前広場での定期的なパフォーマンスは続けるんですよね? というか、辞めた後に、こうして合宿に参加して‥」
椎名「まぁまぁ良いじゃないの修君。思い出を語らせてよ」
椎名は恥ずかしげもなく言ったが、聞いている四人はこっ恥ずかしかった。
椎名「全てはみんなとの刺激的な出会いから始まってさぁ」
知哉「誰のせいで刺激的になったと思ってるんですか!」
椎名「岩塩にニンニク。効いたよあれは。それから、そう、FYE事件ね」
重「あれはとんでもなかった事件ですね」
修「あのまま終わりを迎えるかと思いましたよ」
椎名「本物のアイドルに本物の銃を見ることにもなったし……」
知哉「あの事件のほうが死ぬかと思いましたよ、俺は」
椎名「僕もどうなるかと思ったよ。けど本物の『お色気レモンタルトマン』が助けてくれたし……」
知哉「本物も何も、椎名さんの後ろでジャーキーをはみはみしてますよ、レモンタルトマンは」
重「知ちゃん『お色気』が抜けてる」
知哉「知らねぇよ!」
椎名「それにさ、白熱したあのボードゲームに、杉田君に振り回された日々。自らの目を疑った『愛の巣』騒動。忘年会で行って以来、みんなとよく行った『鳥照』でのひと時……」
椎名の頭の中に、長くも短い二年間の最高に可笑しく、最高にくだらない日々が、これでもかと駆け巡る。
椎名「みんなにも話したけどね、僕の十代は勉強の毎日で、二十代は試験と仕事の毎日だったからさぁ…… こう、みんなと出会ってからが、僕の青春時代の始まりだったんだよ」
底抜けに楽しかった日々を思い出しながら話す椎名は、最年長ということを忘れさせてしまうような、少年の表情だった。もちろん、ピエロのメイクで分かりづらいが。
椎名「ま、前に…… 前にさ、みんなが言ってくれたさ、あの……」
椎名の口調と声色の明らかな変化に、四人は顔を見合わせた。
椎名「歳の離れた親友ってのがが、ぼ、僕はうれれしくて……」
修「れが一つ多いですし、アメリカの歌姫の名前が入っちゃってますよ?」
椎名「いやね修君。同級生も同僚も全員ライバル、競争相手って言われて生きてきた僕にとっては……」
一気に感極まり、ポロポロと小粒の涙をこぼす椎名。それほどまでに想っていてくれたのかと、年下四人も素直に嬉しいと感じていたが、やはりどうしても邪魔をするものがあった。
渡「あ、あの椎名さん、水を差すようで申し訳ないんですが、ピエロのメイクが邪魔をしているというか……」
知哉「笑ってるメイクで涙を流されても、あの、よく分からなくなっちゃうんですよね……」
二人の言葉を聞いた椎名は、確かにその通りだと、笑ってみせた。いや、泣いたままだった。のかもよく分からなかったが、とにかく表情に変化が見られた。
修「プッ…… だから! 泣いてんだか笑ってんだかハッキリしろってんだよピエロ!」
涙目で言った修の言葉に、椎名は声を出して笑い始めたが涙は止まっていなかった。
渡「いや椎名さん……」
椎名のよく分からない状態が笑いのツボに入ってしまった渡は、腹を押さえて笑い始めた。
修「まったく、そんなんじゃ感動して泣けませんよ俺たちも!」
椎名「アハハッ、ごめんごめん」
未だ泣き笑い続ける椎名に、全員が笑い始めた。
二十代と三十代の男五人が、十代のような笑顔を見せていると、休憩時間の終わりを告げるチャイム、いや、藍の笛の音が聞こえてきた。
藍『みなさーん!』
五人が笑い涙を拭いて前方を見ると、藍たち三人が乗ったゴムボートが見えてきた。
藍『休憩は終了です! これよりDエリア、最終課題となります!』
最終課題。言われて思い出した五人はイカダ乗りの顔つきに戻った。
重「そうでした、まだ最終課題が残ってるんでした」
修「ったく、長いんだか短いんだか分かんねぇよな、時間ってのは」
修は口に残っていたジャーキーを飲み込んだ。
藍『ですが最終課題の前に、皆さんに支給品が一点あります!』
藍がそう言うと、荒木が巧みなボートさばきを見せ、イカダに近づいていった。
藍『大塚さん、受け取ってください!』
藍はボートの床に置いてあったオールを一本、渡の方へと差し出した。
渡「あ、はい、掴みました!」
渡が受け取ったオールは、五人が持っている手作りのオールと同じ作られ方をしたものだった。しかし、出来は段違いに良かった。
藍『四本のオールが無いと突破困難な課題がありましたので、支給させて頂きました!』
渡「あぁ、はい……」
藍『さぁ皆さん、あちらをご覧ください!』
藍の指す前方には、A・Bエリアを超える数の設置物が五人のことを待っていた。ゲートの他にもいろいろと吊り下げられていたり、左側の岸には数字の書かれた丸いパネルなども用意されていた。さらに、地図には無い合流地点もあり、川の流れは幾分速くなっていた。
重「あー、なるほどなるほど、こりゃ面倒い」
渡「まぁ、ここも気合を入れて切り抜けるしかないね」
修「椎名さんの言葉を借りると、『気をひしきめて』頑張らないとな」
椎名「言い間違いを引用しないでよ!」
頼まれてもいない拍手を相変わらず続ける榊の横で、藍が説明を続ける。
藍『最終課題では一人につき一問出題します! さらに、回答方法もその都度変わりますので「気をひしきめて」頑張ってください!』
椎名「………………………」
藍『ではまず一問目です!』
知哉「あぇ、もう一問目やんのか!?」
急に始まった第一問目に緊張が走る五人。
藍『イカダやボートなどが推進力を得る方法の中に帆の使用がありますが……』
今までの出題との明らかな差に、更に緊張感が走る五人。
藍『その帆のように竿から提灯をぶら下げ、五穀豊穣の祈りを捧げる秋田県のお祭りは何というでしょうか!』
知哉「何だその正解したら好きなパネルを自分の色に染められるようなクイズは!」
重「あー、知ちゃん、長いよ」
知哉「うるせぇな……」
藍『回答者は久石さんです!』
修「俺!?」
藍『あそこに見える赤いワイヤーを超える前に正解出来ないと、Dエリアを一からやり直すこととなるのでお気をつけください! 答えは地図の裏の白い部分に書いて発表してください! ではお願いします!』
修「あーっと……」
修は考えながら、バックパックから地図を取り出した。
重「急に難しい、というかサバイバルに関係の無い問題だよね」
知哉「ホントだよな。たまにニュースで見るけど名前まではなぁ……」
椎名「あれだよね、その提灯をぶら下げた竿をさ、肩とか腰とかに乗せてバランスを取るやつだよね?」
重「そうですそうです。法被着てやってますよね。というか修さ、すごく考えてるけど、考えて答え分かるの?」
眉間にしわを寄せ、一点を見つめて修は考えていた。
修「うるせぇなぁ、必死に思い出してんだよ! 汚苦多魔村に来る前に買って読んだエッセイでちょうど出てたんだよ」
知哉「あぁ、たまに読んでるあれか」
修「それに中学一年か二年の時に習ってんだよ。教科書の左上に写真が載っててさぁ……」
渡「はいはい、あれね。その写真の右側に書いてあったよ、祭りの名前」
知哉「さすが教授さん、答え分かんの?」
渡「分かるというか、いま思い出したんだよ。修も頑張って思い出して!」
修「あぁ……」
修は更に眉間にシワを寄せる。
椎名「……修君ってさ、やっぱり、こ、怖い顔してるよね?」
修「だから! イカダの上のピエロのほうが怖いですよ!」
修は思い出せないでいる自分に苛立ちを覚え始めた。
修「なんで思い出せないんだ! 熊さんじゃねぇが、俺も稲庭うどんが好きだし、きりたんぽ鍋も好きなんだ。千葉じゃ美味いきりたんぽ鍋を出す店なんてそうねぇし、妹が嫌いって理由だけで家じゃ取り寄せねぇから、二人前セットの奴を取り寄せて、夜中に一人で食ってんだ!」
よく分からない理由で修の感情は高ぶっていく。
修「秋田の皆! お願いだ! 俺に力を貸してくれ!」
四人は天に向かって叫ぶ修を見ながら思った。秋田県民に迷惑が掛かると。
修「千葉の落花生に、じいちゃんの知り合いが作ってる東京の小松菜を送るから、東北からきりたんぽ鍋を関東に送ってくれ!」
重「祭りの名前を教えてもらえバカ!」
修「あ、そうだった。この関東に祭りの名…… あっ! 思い出した!」
嬉しそうな表情になった修は、赤ペンで答えを書き始めた。
修「カントウだよ、カントウ!」
知哉「あ? 秋田は東北だろ?」
修「釣り竿の『竿』に、燈籠の『燈』って書いて、竿燈祭りだ!」
修はそう言って、書き上げた答えを藍の方へと突き出した。大きく書いたものの、細い赤ペンでは見えづらいかと修は思っていたが、藍は見るなり頷いた。
藍『大正解です!』
ボーダーラインの赤いワイヤー寸前の正解に、イカダの五人は歓声を上げる。
修「よし! 一問目突破だ! ギリだったな!」
知哉「よく思い出せたな!」
修「秋田なのに関東(竿燈)なのか、って言ったのを思い出したんだよ」
渡「もう、歯がゆいのなんの……」
修「ハハハッ、悪い悪い」
渡「なんて言ったって竿燈祭りは国の重要無形民俗文化財だからね」
知哉「お、そうなのか! それは知らなか‥」
藍『はい! 二問目です!』
知哉「えっ、もう!?」
藍『回答者は寺内さんです!』
知哉「しかも俺!?」
藍『HAMAYAのR350は何気筒でしょうか!』
大好きなバイクの問題に、目を輝かせる知哉。
知哉「はい! はいはいはい! 分かります!」
挙手をしながら何度も叫ぶ知哉。
藍『では、正解だと思う番号のパンを食べてください!』
知哉「あー、なるほど、パン?」
重「なーにパンって?」
椎名「なんだろう、パネルの代わり?」
重「そうかもしれないですねぇ」
五人は気づいていなかったが、先程通過した赤いワイヤー近くにパンが吊り下げられていたのだ。だが気づかないのも当然のことで、イカダが通過した後、新たに下がってきたワイヤーだったのだ。
修「んで? そのパンってのはどこにあんだ?」
渡「どこだろうね。前方には見当たらないけど……」
と、渡が修の方へ振り返った。
渡「あっ! パンだよパン!」
知哉「どこ!?」
渡「後ろ後ろ! さっきの赤いワイヤーのところだよ!」
パンのぶら下がっているワイヤーには、1から5までの番号が書かれた小さなパネルが付いていた。そしてどうでもいい事であるが、ぶら下げられている小さなパンは、五個一組で販売されている小倉あんパンであることは確実だった。
知哉「なんだよ、いつの間に……」
渡「いいから向き変えて溯るよ! 早くしないと離されていっちゃう!」
五人は慎重に向きを変えると、上流に向かってイカダを進めた。
椎名「それで知哉君! 答えは!?」
知哉「2番です2番! 2気筒なんで!」
椎名「2番だね!」
椎名が絶妙な力加減で舵を切っていくと、四人は手に持ったオールを懸命に動かした。しかしながら、大きなイカダを上流に向かって進めていくのは一苦労だった。
渡「これ、オールを支給されていなかったら大変だったね!」
修「それ見越しての支給だったんだろうな…… つーか知哉!」
知哉「あん!?」
修「一発で食えよ!」
知哉「任せとけっての!」
修「あと、間違っても落ちんなよ!」
知哉「あーん自信無ぇ……」
パンまでは数メートルの距離しか無かったが、水の抵抗が大きく、オール四人の体に乳酸が溜まっていく。
渡「どうよ知ちゃん!」
知哉「もうちょい、もうちょい右!」
重「ばぁー、疲れるよ!」
知哉「もうちょいだからよ大先生!」
重「早ぐぅー」
知哉「分かってる… オ、オッケー! ジャンプすんぞ! いいな?!」
修「おう、早くやれ!」
知哉は顔より少し上にぶら下げられているパン目掛けてジャンプした。口を大きく開けての跳躍は、魚が水面に浮かぶ獲物を捕食する様に似ていた。
知哉「はんぐぅっ!」
イカダへの影響を最小限に押さえたジャンプで見事にパンを咥えこんだ知哉だったが、着地のことまで頭が回っていなかった。
知哉「ぱむぅっ!」
落水は免れたが、足を滑らせた知哉の着地はイカダを大きく揺らした。
渡「あぶっ!」
修「うおっ!」
重「な…… なにしてんの!?」
知哉「ぱ、ぱりぃ……」
パンを咥えたまま謝る知哉。
重「ぱりぃ? 何がぱり‥」
知哉は急いでパンを噛んで飲み込むと、改めて謝った。
知哉「悪りぃ、パンが取れた瞬間、嬉しくなっちゃってよ」
修「ったく、ケガは?」
知哉「あん?」
修「ケガは無いのかって聞いてんだよ」
知哉「あ、あぁ、してないしてない。サンキュー」
知哉のケガを心配してやる修を見ていた重は、ボケを我慢できなかった。
重「あら修ちゃーん? 私の心配はしてくれないのぉ?」
修「…………ケガは無いか?」
重「んふ、恋患いを少し……」
修「よし、治してやる!」
オールを上段に構える修。
渡「よっ! ミスター荒療治!」
重「治るわけないだろ!」
修「もういいから、向きを戻すぞ?」
イカダの向きを戻した五人は、藍の『お見事正解』の言葉を待っていた。
藍『それでは寺内さん、答えをどうぞ!』
知哉「え? な、なんですか?」
藍『何気筒でしょうか?』
知哉「2、2気筒です!」
藍『お見事正解です!』
知哉「パン食いの意味!」
藍はクスクスと笑うだけで特に何も言わず、荒木や榊も同じような反応だった。
藍『続いて第三問目! 回答者は椎名さんです!』
椎名「うっ、緊張するなぁ……」
重「落ち着いていけば大丈夫ですよ」
椎名「そうだね、冷静にね」
藍『化石燃料による発電に頼っている世界ですが、コンバインド・ヒート・アンド・パワー、国内ではコジェネレーションシステムと呼ばれる熱源なども無駄なく利用する熱電供給や、地熱・風力・太陽光・バイオマスなどの再生エネルギーの開発および発達により、エネルギー問題からの脱却を目指しています』
知哉に出された問題との差に、修は思わず笑ってしまった。まぁ、知哉本人も同じ理由で笑ってしまっている。
藍『そのエネルギー問題の解決や打開を目指し、開発・研究を行っているパイオニア的存在のレッドスクエア社が、八年前から推進しているプロジェクトの名前は何でしょうか?』
知哉「レッドスクエア!?」
修「レッドスクエア!?」
以前、椎名が働いていたレッドスクエア社の名前に驚く二人。もちろん、声を出さずにいたが、渡と重も驚いていた。
藍『1番、グッドオールドデイズ・プロジェクト。2番、バウンドレスエナジー・プロジェクト。3番、コウイグジスタンス・プロジェクト』
オール組の四人には見当のつかない問題であったが、回答者の椎名は静かに頷いていた。
藍『では、正解だと思う番号の的を…… こちらの弓矢で射抜いてください!』
いつの間にか手にしていた小型の弓矢を渡すべく、ゴムボートは再びイカダへ近づいた。
藍『どうぞ』
渡「は、はい、どうも……」
ゴムボートは離れていき、渡は弓矢を椎名に渡した。
椎名「ありがとう渡君」
渡「もう答えは分かったんですか?」
椎名「うん。どれもレッドスクエアのプロジェクトなんだけど‥」
渡「えぇ」
椎名「八年前ってことになると、僕もチームに参加してた2番のバウンドレスエナジー・プロジェクトだね」
渡「えっ、椎名さんもプロジェクトに参加してたんですか!?」
椎名「うん。いやぁ懐かしいなぁ」
弓矢を手に当時を思い出していた椎名だったが、岸に設置された射抜くべき的はどんどんと離れていった。
修「いや椎名さん! 急がないと!」
椎名「え? あぁ、急がないと!」
椎名が狙う的。それは縦に3つ並んでおり、上から1番2番3番となっていた。つまり、いくら正解を知っていても、狙いがずれれば、不正解となってしまう。
椎名「よ、よし、それじゃ……」
修「舵は俺が持っておきますから」
椎名「うん、ありがとう。じゃあ狙いを‥」
そう言った瞬間、雑に矢が放たれた。
椎名「あ!」
独特の音を立て飛んでいった矢は、1番と2番の的の隙間に消えていった。
知哉「あぶねぇ!」
渡「えぇ!?」
椎名「ゴメンゴメンゴメン! 違うんだよ!」
重「何が違うんですか! ギリギリでしたよ!」
椎名「手が、あの、滑っちゃって……」
修「もう、次は頼みますよ?!」
椎名「はい! はい! もう、あれ、任せちゃって!」
少しずつ上流へと離れていく的。それを狙うイカダの上のピエロ。見守っていた知哉は、ジグソーパズルの絵にありそうだなと思っていた。
椎名「……そこ!」
椎名が放った矢は、直線に近い放物線を描いて飛んでいき、2番の的のド真ん中に刺さった。
修「うおっ! 椎名さん!」
知哉「すげぇ! 椎名さんすごいですよ!」
椎名「どうもどうも」
椎名はお得意の照れ笑いを見せる。
渡「真ん中ですよ! この揺れるイカダの上で!」
重「倉庫の二階で勝手に暮らしていただけのことはありますね!」
椎名「重君、ちょっと勘弁してよ!」
首の後ろをさする椎名に四人が笑っていると、藍が同じ質問を繰り出してきた。
藍『では椎名さん、答えをどうぞ!』
椎名「えっ!? また……」
藍『大きな声でお願いします!』
椎名「えーっと、2番のバウンドレスエナジー・プロジェクトです!」
藍『大大大正解です!』
相変わらずの回答システムに戸惑いながらも、椎名は修に任せていた舵取りに戻った。
椎名「ま、まぁ、これで残るは渡君と重君の問題だけだね」
渡「どんな問題かな?」
重「なんでもいいから最後は嫌! トリは嫌だ!」
藍『次の問題の回答者は水木さんです!』
重「ほい来た!」
食い気味で答えた重は、やる気に満ちていた。
重「さぁどんな問題でもドンと来いってんだ!」
藍『では第四問目です! 和色戦隊シリーズの「忍びの流儀」に登場する「成敗者」の色を口頭で全てお答えください!』
重「ほい来た!」
修「……ほい来たって、ヒーローもん好きなのは知ってっけど、答えられるか?」
重「おい、おい、修…… 俺だぜ?」
重の声色と表情に面倒なものを感じた修は、笑顔のまま言い返さなかった。
藍『それではどうぞ!』
合図をもらった重は大きく息を吸い込むと、迷いなく答え始めた。
重「緋色・紅緋・臙脂・丹色・照柿・黄櫨染・真紅・赤紅・朱色・薄紅梅・浅蘇芳・紅掛花色!」
立て板に水とはこのことで、十秒も経たないうちに言い終えた。ただ、その速さについていった藍の回答確認も迅速だった。
藍「……お見事! 全問正解です!」
驚きながらも喜ぶ四人は、重を褒め、称えようとした。だがそれよりも早く、重は得意げな顔で言った。
重「我ら忍べど正義は忍ばず!」
忍びの流儀の名台詞であろう言葉に、四人は褒め、称えることを中止した。
渡「……ずいぶん暖色の多い戦隊モノなんだね」
椎名「人数も多いしねぇ……」
知哉「聞いたことねぇ色ばっかだよ」
修「最後のベニカケハナイロってどんな赤なんだよ?」
重「……はぁ、物を知らないってのは嫌だね。あのね、紅掛花色ってのは、青っぽいような紫っぽいような…… こう、なんというか、青を深く暗くしておいてから透明度を上げた色。まぁその‥」
知哉「バカは語彙が少なくていけねぇや」
さきほど言われた仕返しだと、知哉は嫌味ったらしく言い放った。重は自分が言ったことをそっくりそのまま返されたので、笑うしかなかった。
重「くそぉ…… 言い返す言葉が見当たらない……」
修「ハハハッ、ナイス知哉!」
知哉「どうもどうも」
渡「つまり赤とか暖色系の色じゃなく、寒色系の色なんだ?」
重「うん、まぁそういうこと」
椎名「へぇー、それじゃ異色のヒーローなんだね?」
私は上手いことを言いました。椎名の表情はそんなふうだった。
修「ウルサイぞ得意げピエロ!」
椎名「あら?」
修「あら? じゃないですよ! ったく、変なとこシゲに似ちゃって」
重「どうも、オリジナル重です! 韻を踏んでいます!」
修「うるせぇよ! おい教授さん、トリは任せたぞ?」
渡「え? あぁ、了解。急にこっちに振らな‥」
藍『いよいよ最後の問題です!』
一際、声を張る藍は、ほんの少しだけ寂しそうな雰囲気だった。
知哉「さぁ、バカみたいに難しい問題が出されんぞ?」
椎名「でも渡君なら大抵の問題は答えられるよね」
重「そりゃそうですよ! 何でも屋が誇る超天才インテリバカ野郎ですから!」
修は『超天才インテリバカ野郎』が気に入ったらしく、クスクスと笑い始める。
渡「褒めてないし、誇ってもないだろ!」
修「まぁまぁ教授さんよぉ、言い得て妙ってやつだよ」
渡「集中させなさいよ! 間違えたらどうすんの!」
修「ワックンなら大丈夫だよ!」
渡「だからさ、たまにそのニックネームで呼‥」
藍『では問題です! もちろん、回答者は大塚さんです!』
多少の自信がある渡だったが、妙に緊張してきた。
藍『これから前方に現れる五つのパンから、ウグイスあんパンを見つけてください!』
渡「はぇ!?」
藍『また、今回は正解するまで挑戦を続けていただきます! ではスタートです!』
藍の合図に合わせて、知哉の時と同様、パンがぶら下げられたワイヤーが降りてきた。位置はイカダから数メートルしか離れてなかった。
渡「はっ…… いやっ、ウグイス……」
修「おい教授さん! 早く選ばねぇと!」
渡「選ぶっていったって……」
ぶら下げられた小さなパンたちは、当然のごとく同じ外見だった。
知哉「どのみち当たるまでやるんだからよ!」
渡「はぁーっと、えーっとねぇ…エロ」
手掛かりゼロのウグイスあんパン探しに腕を組み考える渡。
重「あぁ、鬼になるよ、また」
渡は決めかねる事があると、決まって腕を組んで鬼の形相で熟慮を始める。
椎名「こ、怖いよね、この時の教授君‥ 違う違う、渡君は」
知哉「教授を君付けで呼ぶって、学長じゃないんですから」
椎名「さしずめピエロ学長……」
その時、渡が鬼の形相のまま椎名の方へ振り向いた。
椎名「うっ! き、決まった?」
渡「決まりました! 一番右でお願いし‥ やっぱり一番左で!」
修「どっちだよ!」
渡「一番左で!」
椎名「よ、よし! それじゃみんな、左に行こうか!」
椎名の舵取りと、修重のオールさばきで、イカダは良い具合でパンに近づいていく。
重「どう教授さん?」
渡「うん、いい感じ。いけると思ったらジャンプするよ?」
修「気をつけて‥ 気をひしきめろよ!」
渡「笑わすな!」
そう言いながら、目の間に迫ったパンに渡は身構える。同時に、四人もジャンプに備えて身構えた。
渡「……よし!」
ウグイスあんパンであることを切に願い、渡は口を開けて飛び跳ねた。
渡「ふんぐぅっ!」
たった数秒の空の旅から渡は帰ってきた。
重「ナイスバイト!」
修「それで! ウグイスか?!」
渡は咥えたパンを噛み切り確認する。
渡「ムグモグ…… つぶあんでした……」
修「つぶあんだぁ!? 椎名さん!」
椎名「はいはい、向きを変えるよみんな!」
不正解の結果に終わり、イカダは再び上流へ向きを変えた。
重「はい、次!」
渡「んぐっ……」
珍しく慌てる渡は、あんパンを飲み込むと指をさした。
渡「一番左!」
知哉「あ? またかよ!?」
渡「さっきは上流から見た一番左で‥」
修「分かった分かった! ジャンプの準備をしておけ教授さんよ!」
椎名・修・重の手によって、イカダはパンに対して絶妙な位置につける。
渡「はい、オッケー! いくよ!」
渡は四人の返事を待たずに、二つ目のパンに食らいついた。
渡「んぎぎっ!」
重「はい、それで何パン?」
渡「さ、桜あんパン……」
重「この甲斐性なし!」
渡「そんなこと言われてもねぇ……」
修「ほれ、次!」
渡「んー、えーっと、み、右隣!」
移動する距離のことを考えての右隣だった。
修「よし、いいぞ教授さん!」
渡「あ、あいよ!」
三度パンに向かって飛び跳ねる渡。
渡「はんんっ!」
重「三度目の正直?」
渡「……こしあんでした」
重「オタンコナス!」
修「次だ次!」
んふんふと声を漏らしながら、渡は三つめのパンを飲み込んだ。
椎名「二分の一だよ渡君!」
知哉「右か左だ! 頼むぞ!」
予想していなかった三連続のパンに、ゲフッと息を吐く渡だったが、糖分を補給したおかげか脳内に電流が走った。
渡「右だ! 右のパンが呼んでんだ!」
修「右だな?!」
渡の言葉を信じ、四人はイカダを素早く的確に移動させた。
渡「それじゃ、行きます!」
ウグイスであってくれ。そんな想いと共に、渡はグッと腰を落とした。
夏の川。その川に吹く清涼な風。その風に揺られるパン目掛けて、滝を登る鯉が如く、渡は身をうねらせ飛び跳ねる。
渡「ぱんぐぃっ!」
その気合や良し。渡は力強くパンに食らいついた。だが力を入れるあまり、噛んだ箇所からパンの中身が溢れ出てしまった。
重は叫んだ。
重「クリィーームッ!」
悲痛な重の叫び声。だが夏の済んだ空というのは大したもので、クリームという悲しきスクリームをきれいさっぱり吸い込んでいった。
重「ウグイスあんパンを探してちょうーだいね! って言ってんの!」
渡は言い返そうにも、口に広がるクリームが邪魔して、ろくに喋れない。
重「もう、ウグイスが逃げちゃうよ! 早くしないと織田信長に殺されちゃうよ?!」
コイツは何を言っているのだろうか。四人はそう思っていたが、やはり修が一足先に気がついた。
修「そりゃホトトギスだバカ!」
重のあまりにポンコツな勘違いに、渡は笑いを堪えることが出来ず、口から少しのクリームを吹き出してしまった。
重「きっ! ちょっと! 汚いでしょ!」
渡「……んぐっ。汚いじゃないよ! バカな間違いしてさ!」
知哉「ウグイスじゃ字足らずだぜ?」
重「くそぉ、恥ずかしくて言い返せない!」
修「ったく、ホトトギスに騙されてんじゃねぇよ。托卵じゃあるまいし」
その言葉に対しての反応はイマイチだった。
修「くっ…… ちったぁ動物の勉強をしろってんだよバカ共!」
重「動物? タクアンの話しじゃないの?」
修「托卵だよ! もういいから最後のパンを取りに行きましょう椎名さん!」
椎名は未だにホトトギスの件で笑っていた。
修「椎名さん!」
椎名「アハハッ、はい、ハハハッ、行きましょう行きましょう」
結局、五つ全てのパンを食べて最終課題をクリアした五人。時間にして二時間ほどでAエリアからDエリアへやってきたが、慣れないイカダと水上珍道中に五人はかなり疲れていた。
藍『おめでとうございます! 全ての課題をクリアしました!』
その言葉に、五人の疲れは少しだけ和らいだ。
藍『続きまして水上厄払いです!』
その言葉に、五人は和らいだ疲れが何倍にもなって戻ってきた。
藍『それでは榊さんお願いします!』
榊は藍から拡声器を受け取ると、勿体ぶった笑顔で説明を始めた。
榊『えー、これから説明をいたします。えー、我が村の厄払いというのはですね、えー、宗教的な要素は一切ございません。江戸時代に村人たちが考案したものであり、代々受け継いできた、えー、伝統ある催し物と考えて頂いて結構でございます』
榊の締まりのない声が、拡声器からダラダラと流れ続ける。
榊『えー、しかしながら、三百年以上も続く厄払いです。効能のほどは、えー、かなりなものであると断言して良いのではないかと、方方で噂をされているとかいないとか』
持ちネタだったのだろうか、ヘラヘラとした笑いを見せる榊。
榊『えー、厄。つまり危険であるとか問題であるとか脅威であるとか、えー、さまざまあるわけでございます。もちろん、事前にそのようなものを察知して対処をすればいいわけでございますが、えー、突然、突如、いきなり、急に、厄のようなものに遭遇してしまうこともあります。そこで我が村の厄払いなのでございます』
榊はダラダラと話を続ける。
榊『えー、どうしても厄のようなものと対決しなければならない。その時の為の能力を覚醒、開花させるための修業が、えー、汚苦多魔村の厄払いなのです』
合宿に向かう前日に修が言っていた『修の業と書いて修業なんだ』というセリフが、奇しくも現実となってしまった。
榊『えー、ですが難しく考えないでください。Eエリアを下り、無事にゴールゲートを通過すれば修業は終わりです。えー、頑張ってください! 私からは以上です』
榊は一礼をして、拡声器を藍に返した。
藍『私からもお知らせすることが三つあります! まず一つ目! 厄払いの最中は近くでサポートすることが規則により禁じられています! ですが、いざというときの備えは出来ており、迅速に駆けつけますのでご安心ください!』
もちろん、五人はあまり安心できずにいた。
藍『二つ目! Eエリア出口付近で川が二手に別れます! その際、必ず左側を進んでください! 万が一、右側へ行ってしまうと、厄払いのやり直しとなってしまうのでご注意ください!』
安心できていないところへ、「最悪はやり直し」という恐怖が追加された。
藍『最後はゴールゲートの位置についてです! ゲートは皆さんが初日に宿泊しました「骨休め」の川沿い温水プール付近となっています! それでは、汚苦多魔村厄払いスタートです!』
五人の質問を受け付ける時間を割くこともなく、三人が乗るゴムボートは去っていってしまった。
渡「……まさかねぇ、修の業と書いて修業っていうのが現実になるとはねぇ」
知哉「伏線を張るよな修も」
修「別に張りたくて張ったわけじゃねぇだろ?」
椎名「結局、厄払いの内容は判らなかったけど、ここまで来たら、何でも来いって感じだよね?」
修「まっ、そういうことになりますねぇ」
重「っていうかさぁ、今日までの合宿も修業のようなもんだったもんね」
渡「確かに。修業だよあれは」
重「あんな経験させられたら、誰だって肉体的・精神的にも……」
重は急に黙ったかと思うと、鼻をひくつかせ辺りを見回した。
知哉「あ? どうしたよ大先生?」
重「今なんかさぁ…… 気のせいかな、一瞬さぁ…… ンガッ!!」
重の頭がパンチを受けたように後ろへ弾け飛んだ。そして同時に、重は鼻をつまんだ。
重「なり! なりこりは!? なんらろころにろいらぁ?!」
鼻つまみ声で叫ぶ重に、渡はかなり驚いてしまった。
渡「な、何よ大先生! どうしたの!?」
重「なりっれ、きょうりゅさん! きょうりゅさんはくらくらいろ!?」
渡「恐竜さんは暗くないのって言われてもねぇ。爬虫類だからねアレは。まぁそりゃ明るい性格の恐竜もいたろうし、暗い性格の‥」
重「ちがう! ほうららくれ、るっぱいにろいがるるれろ!」
知哉「あのよ大先生」
知哉は呆れた表情で続けた。
知哉「違う! ってとこ以外は何を言ってんだか分かんねぇんだよ。その鼻つまむの一回やめてくれよ」
ぶっきらぼうな知哉の態度に、重は口で大きく息を吸い込むと、鼻から手を放して早口でまくし立てた。
重「すごく酸っぱい臭いに気が付かねぇのかって言ってんだよバカヤロオ! 大体、鼻つまんで話してんだ、ちったぁ察しろってんだよバカ! てめぇの頭ん中で多少なり変換してから言葉を受け取れってんだスカポンタン!」
重は言い終えると同時に鼻をつまんだ。
知哉「急に口悪いし、汚い言葉使いだし、バカにスカポンタンって言われちまった」
修「しょうがねぇよバカ」
知哉「うるせぇよ!」
椎名「落ち着いてよスカポンタン」
知哉「ピエロこらぁ!」
騒ぐ三人を放って置いたまま、渡は話を進めた。
渡「それで? 酸っぱい臭いだって?」
重は黙って頷いた。
渡「うーん、オレはしないけどねぇ…… 椎名さんは臭い感じますか?」
椎名「今のところは感じないけど」
渡「修と知ちゃんも感じないの?」
修「まったく感じない」
知哉「同じく」
渡「でもお重ちゃんだけは感じると」
重「なんれきゅうにおしれちゃん?」
渡「いや、何となく」
早くも鼻つまみ語をマスターしていた渡の鼻に、ヤツはやって来ていた。
渡「ハッ!? あっ、酸っぱい! くわっー酸っぱい! 何だこれ!」
酸っぱい臭いはすぐさま他の三人にも襲いかかった。
知哉「くぅー! マジですっぺぇ!」
椎名「すぅっぱいよ!」
修「はぁー! リンパがもう……」
耳の少し下の部分を押さえて苦しむ修。舵を握りながら咳き込む椎名。
渡「ヒョォーッ!」
酸味に耐えられない渡は、何度も目と口を細めては変な顔を作っていた。
重「だから言ったでしょ!」
気持ちに任せて叫んだ重だったが、うかつにも鼻つまみをやめて叫んでしまった。
重「クゥウェーイッ!」
五人が揃って酸っぱい臭いに悶えていると、次なる厄が五人を襲い始めた。それは岸からの放水攻撃だった。
岸に突如として現れた人々は、榊と同じ蛍光色のジャンバーを着用しており、手にする大型水鉄砲で五人を狙い撃った。よほど練習を重ねてきたのか、抜群の命中精度だった。
知哉「冷たっ!」
渡「バカバカバカ!」
容赦のない放水というよりは、容赦のない低い水温に驚く五人。
椎名「ズッ……」
修「づめでぇ!」
ただ一番の被害を被ったのは重だった。
重「………………」
直撃をもらった重は、サバイバルウェアの中に水が入り込み、声も出せずに苦悶の表情を浮かべるだけだった。
修「アハハハハッ!」
冷たい水を浴びながらも、修は『哀しみの男』こと重を見て笑った。
重「笑ってないでオールを動かせバカヤロウ! こんなところ早く脱出すんだバカヤロウ!」
修「わかってるよバカ野郎! 行くぞバカ共!」
渡「バカバカうるさいんだよ! 行きますよバカピエロ!」
椎名「バカピエロじゃなくて僕はピエロバカなんだよ! ねぇデクノボウ?」
知哉「俺もバカにしとけよバカインテリ!」
バカ合戦開戦と同時に、五人は全速力で川を下り始めた。バカ四人がバカみたいにオールを動かし、バカピエロがバカみたいにキレのある舵取りをみせる。
知哉「臭いはともかく、こんだけスピード上げりゃ水鉄砲は当たら‥」
左右の岸にいる水鉄砲衆は、草木の生い茂る川沿いの道なき道を、巧みな身のこなしでイカダを追いかける。もちろん、水鉄砲を撃ちながら。
知哉「忍者かアイツら!」
重「我ら忍べど正義は忍ばブベッ!」
放水を顔面にもらう重。
知哉「余計なこと言ってねぇで集中しろ!」
重「まったくもう! どうやって水を補給‥」
渡「うわっ! 前前前! 岩だよ岩!」
重「えぇ!? お岩さん!?」
五人を待ち構えている岩は不規則に並んでいた。角が削られて丸みを帯びた岩がほとんどだったが、砕け崩れた岩もあり、その箇所は痛々しそうに尖っていた。
修「おい知哉!」
知哉「あぁ!?」
修「声がデカイんだから、岩の位置見て指示‥」
知哉「右に寄れ! ただ次の岩が右側にあるから、中央に陣取って、いつでも左に移動できるようにしとけ!」
知哉は今までにないほど活き活きとした声を張り上げた。
修「知哉!」
知哉「なんだ!」
修「転職先決まったな!」
知哉「食っていけねぇよバカ! いいから右寄せろ!」
思わぬ知哉の特技。その的確かつシンプルな指示により、二つ三つと岩を避けてイカダは進んでいく。しかしながら、臭いと放水は未だ続いており、五人は早く厄払いを終わらせてしまおうと必死だった。
渡「ああっ! みんな! 川が二手に分かれてるよ!」
重「ほ、本当!?」
椎名「Eエリア出口付近まで来たってことだね!?」
知哉「左に進んでいけばゴールなんだよな?!」
修「良し! とっとと抜けるぞ!」
全速力であるはずの速度を超え、イカダは猛スピードで左側へと進んでいく。かなり角度のあるカーブもあったが、速度を維持したまま、恐ろしいほど滑らかなコーナリングで切り抜けていった。だが、左側へ進んですぐに、五人は不安な気持ちになってしまった。
重「ど、どういう風の吹き回し?」
椎名「嫌な感じがするよね……」
五人を苦しめていた酸っぱい臭い、冷たい放水の嫌がらせがぱったり止んだのである。
修「あんだけ空が見えてたのに……」
知哉「あぁ、木が茂っちゃって暗いよな」
渡「川もなんかおかしいよ?」
川は不自然なほど真っ直ぐに続いていて、進むほどに川幅が狭くなっていた。
修「椎名さんの言う通り、嫌な感じがしますね」
椎名「急におかしいよねぇ?」
知哉「……みんな、また変なのがあるぞ?」
知哉が見つけたのは岸沿いにベニヤ板で造られた壁だった。
重「何これ? 何のための壁なの?」
知哉「まぁ、1メーターも高さがねぇから、いざってときは岸に上がれるからいいけどよ……」
修「そりゃそうだけどよ、気味悪りぃぜ?」
椎名「古くは無さそうだけど、真新しさも感じな‥」
椎名は途中で言葉を切ると、イカダの辺りをキョロキョロと見回した。
重「どうしたんですか?」
椎名「みんなさ、今オールで漕いでないよね?」
重「漕いで…… ないですけど」
椎名「気のせいかな、なんか少しずつ速くなっていってる気がするんだけど……」
重「イカダの速度がですか?」
修「つまり川の流れが速くなってるってことか?」
椎名の言葉に、他の四人は速度だけに意識を傾けてみた。すると確かに速度は少しずつ増していっていた。
知哉「椎名さんの言う通りですよ! 速くなってますよ!」
渡「……まさか」
修「なんの『まさか』なんだよ?」
渡「修、汚苦多魔村のパンフレット持ってたよね?」
修「あぁ、、バックパックの底でクシャクシャになってるぜ?」
渡「ちょっと見せて! あと椎名さん、藍さんからもらった川の地図を見せてください!」
慌ただしく話し始める渡に、二人は急いで地図を渡した。
渡「縮尺がわからないままだけど…… でも、体感的には…… やっぱりあれかな……」
渡は一人でブツブツと言いながら、地図をみて何かを考え始めた。
眉間にシワを寄せ、時折、ヘルメットの上からポリポリと頭を掻く渡は、手に持っていた地図から視線を外したかとおもうと、ウンザリとした顔で天を仰ぎ見た。
知哉「なんだよ、どうしたんだよ?」
渡「さっき川が二手に分かれてたけど、地図には載ってないんだよ」
知哉「はぁ?」
渡「けど、曲がってきた左と右のカーブの数と、パンフレットの地図と川の地図の‥」
知哉「早い話が何なんだよ!?」
渡「だから! 現在地点はここで……」
渡は川の地図を四人に見やすく広げて説明を続けた。
渡「地図上に川は無いけど、このまま真っ直ぐ行くと……」
渡はパンフレットの地図に持ち替えて話を続けた。
渡「初日に泊まった『骨休め』があるんだよ。ゴール地点になってる『骨休め』の川沿い温水プールがあるんだよ!」
渡の説明は次第に熱を帯びていく。
渡「不自然なほど真っ直ぐ続く川! 川幅は狭くなって両岸にはベニヤの板! 増していく川の流れ!」
知哉「そ、それが?」
渡「川の規模が小さくなってるのに速度が増してるんだ! 傾斜がきつくなってるんだよ!」
修「おい待てよ!」
修は渡の言わんとする事に気づいたようで、目を大きく見開いていた。
修「そりゃいくらなんでも……」
椎名「……そうだよ、それはいくらなんでも無いと思うよ!?」
続いて椎名も気づいた。
椎名「危ないもの! そんなことしたら!」
危ないという単語で、重も気がついた。
重「椎名さん、残念ですけど、熊さんたちなら‥」
渡「やるよね? 絶対やるよね?」
重「やるやる」
気づいた四人だけで話をしていると、一人置いていかれた知哉が叫び声に近い声を出した。
知哉「ウソだあ!」
四人が驚いて知哉の方を見ると、動揺した知哉が、岸のほうを見ていた。
修「なんだよ?!」
知哉「見間違い見間違い! 違う違うそんな訳ない!」
修「だから何がだよ!」
知哉「見なかったのか!? いま左の岸に古い看板があったろ! 汚ったねぇ看板がぁ!」
四人は急いで後ろを振り返ったが、看板の後ろ姿しか見ることができなかった。
重「なに、なんて書いてあったの?!」
知哉「……所々、字がかすれて読めなかったけど」
重「けど?」
知哉「……最初の方は全く読めなかったんだけどよ」
重「早く言いなさいよ!」
知哉「最後の方に達筆な字で『跳躍飛翔台』って……」
うつむく一同。更に早くなっていく川の流れ。重い空気に包まれる中、修がワザと軽い声を出した。
修「ほ、本当かよぉ?」
重「そ、そうだよぉ。跳躍飛翔台ってさぁ。カンフーの技の名前じゃあるまいし……」
知哉「言われてみりゃ、み、見間違いだったかもなぁ」
椎名「もしかしたら、わ、渡君の考察も……」
渡「え、えぇ、俺の考え過ぎだったかもしれないですねぇ」
渡がぎこちなく笑い始めると、他の四人も自然と笑い始めた。逃げ場の無いイカダの上で、認めきれない現実を笑い飛ばそうとした。まぁ、無理である。
重「ンガァ!」
重は叫び声と共に鼻をつまんだ。止んだと思っていた酸っぱい臭いが、濃度を上げて登場した。
知哉「冷たっ!」
ベニヤ板の壁の上から突如放水が開始された。更に冷たくなった水が五人を襲う。
渡「バカバカバカ!」
渡は地図を丸めてサバイバルウェアの中に無理やり押し込んだ。
修「し、椎名さん! 大丈夫ですか!?」
椎名「なんとか大丈‥」
椎名の言葉を遮るかのように、イカダにゴツっと鈍い衝撃が走った。突如始まった臭いと放水に耐えながら、五人がイカダの前方へと目をやると、何故か遠くの景色だけが視界に映った。
澄んだ夏の空、青く霞んだ山々、麓の町、汚苦多魔村と、五人の前の景色は上から下へと勝手に流れていく。そして最後に現れた景色を見て渡が叫んだ。
渡「捕まれぇ!」
五人の前に現れたのは想像を絶する急斜面だった。人工的に舗装をされている斜面には川の水が大量に流れ込んでいて、両脇には引き続き壁が設置されていた。さしずめイカダ用の大型ウォータースライダーといったところだった。
重「いやあぁぁ!」
重の叫び声が汚苦多魔に響き渡ると、イカダは猛スピードでウォータースライダーを滑り落ちていった。
激しく揺れながらスピードに乗っていくイカダに、五人は必死になってしがみつく。一瞬浮き上がっては斜面に着地するイカダは、竹特有のしなりをみせながら更に速度を上げていく。
五人は心底縮み上がっていた。だが水しぶきを浴びながら、しっかりと前を見ていた。数日で作り上げたイカダに命を預けることになっても、しっかりと前を見ていた。不安や恐怖を感じていても、それに飲み込まれることなく、しっかりと前を見ていた。
修「気合だ気合…… 気合だバカ野郎!」
知哉「あったりぃまえだ、気合だ気合!」
椎名「気合だ! 根性だ!」
震える手のまま、五人は叫び始めた。
渡「決めてるぞコノ野郎!」
重「正義も我らも忍ばず!」
その震えはいつしか武者震いへと変わり、先に見える跳躍飛翔台を今や遅しと見つめた。
渡「来た来た来た……」
知哉「行くぞ!」
五人とイカダは、勢いそのままに跳躍飛翔台に突っ込んでいく。だが、台に突入する数メートル手前になって、あるものが見えた。それはゴールのゲートと大勢の人々だった。
川を挟んだ向かいの岸に温水プールがあり、そのプールの真ん中にゲートが設置されていた。そう、台を使ってイカダごとジャンプをして川を空中横断、そのままプールに着水してゲートを通過しろ、ということなのだ。
修「アハハハッ! ……無理かも」
イカダは最高速度を維持したまま台に突入し、文字通り跳躍飛翔した。
豊かな川のせせらぎ、蝉たちの愛の調べ、イカダで空を飛んでいる男五人の叫び声、待っていた村人や観光客の歓声。それが今年の汚苦多魔村の夏だった。だが、五人に言わせれば、んなこと知ったこっちゃない。
渡「アバッ!」
知哉「ニーグリップゥ!」
椎名「ンボイッ!」
修「ソチャー!」
重「おふくろさーん!」
独特な叫び声を上げながら、五人はイカダと共に空を飛んでいく。ライト兄弟も驚きの安定感あるフライトは五秒にも満たなかった。が、五人にとってはあまりに長い滞空時間だった。
そして、イカダは温水プールに着陸、いや着水をした。激しい音と飛沫を上げ、二度三度と水面を跳ねるイカダ。五人は振り落とされないよう歯を食いしばる。
渡「ダンスィン!」
知哉「ハングオンッ!」
椎名「ンボイッ!」
修「ゲムマイッ!」
重「マムッ!」
ようやく落ち着いたイカダは、真っ直ぐゲートを通過していき、プールサイドのふちに当って静かに止まった。
藍「何でも屋の皆さん、今、ゴールです!」
藍の声に一段と盛り上がる村人と観光客たち。何でも屋の五人はしばし放心状態だったが、その歓声と拍手の音に、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
椎名「み、みんな大丈夫? ケガはない?」
知哉「俺らは大丈夫です…… 椎名さんは大丈夫ですか?」
椎名「……うん、僕も大丈夫」
熊「皆さん、ご無事のようですね!」
いつの間にか現れた熊は、満面の笑みを浮かべてプールサイドで立っていた。
熊「村の皆さん、観光客の皆さん! 改めてご紹介します! 六日間の地獄の合宿に耐え、水上厄払いを達成しました何でも屋の皆さんです!」
未だ続く拍手に、五人は立ち上がって応えた。
渡「ど、どうもありがとうございます」
椎名「どうもどうも……」
イカダからプールサイドに降りた五人が、手を振り返したりしていると、一人の女性と一人の少女が近づいてきた。少女は小学一年生くらいで、女性の手には、子供たちのお手製であろう金メダルがあった。
熊「合宿と厄払いの完遂を称え、億乃玉村小学校の生徒さんから記念メダルが授与されます!」
授与と聞いた五人は、少女に合わせて膝を着いた。
少女「お、おめでとうございまぁす!」
緊張と照れとが混ざった子供らしい笑顔を見せた少女は、女性から金メダルを受け取ると、順番に五人の首にかけていった。
知哉「どうも、ありがとう!」
熊は五人全員に金メダルが行き届いた事を確認すると、その場の全員にきこえるよう声を張った。
熊「はい! それでは急いで撤収!」
その声を聞いた途端、何でも屋の五人と熊、そして藍以外の全員は瞬く間に温水プールから去っていった。
熊「はーい! 皆様お疲れ様でした! 川下りの様子は出発時からずっと見守らせて頂きました! その証拠に私がずっとビデオカメラをまわしていたので、後日、編集したものをお送りします!」
熊の口調は明らかに焦っていた。
修「あの、どうかしたんですか?」
熊「いや実は、台風とは別に雨の予報が出ていましてね。ほら、あれです」
熊が指す西の空には、どんよりと重い雲が迫っていた。
熊「雨が降ってしまうと、帰り道となる道が封鎖されてしま‥ とにかく説明は後です! さぁ行きましょう!」
走り出す熊と藍の後を、何でも屋五人はヨレヨレとついていく。
椎名「気が抜けたからか、どっと疲れが出てきたね……」
重「体が重たいですよね……」
一同は骨休めの中庭を抜け、本館の中に入り、ロビー前へと移動した。
米田「皆さん! ご無事で何よりです!」
米田が受付横のウェルカムドリンクのカウンターで五人を迎えた。数日ぶりに見る米田の笑顔に、五人はなんだかホッとした。
修「米田さん! いやぁ、もう、大変でしたよぉ!」
渡「もう、最後なんて死ぬかと思いましたよぉ!」
米田「見事な跳躍でした!」
渡「あっ、米田さんも見てたんですか!?」
米田「はい、もちろん! それはそうと、皆様のお荷物は私が責任を持って、皆様のワゴンに積んでおきました。後は出発するだけですが、どうぞ、お好きなものを飲んでいってください。それと救命胴衣とヘルメットは私どもで預かりますので……」
五人は装備を外すと、礼の言葉を言いながら遠慮なく飲み始めた。
米田「それとコチラをどうぞ!」
米田は紺色の布で包まれた五つの箱を、カウンターに丁寧に並べた。
知哉「これは?」
米田「すぐに出発ということを熊さんから聞きましたので、お土産を用意いたしました。もちろん気持ちですので、お代は結構です」
五人には微笑む米田が神様に見えてきた。
修「ありがとうございます! 遠慮なくいただきます!」
椎名「何から何まで、本当にお世話になりました!」
五人が感謝の言葉を伝えていると、車を旅館前に移動させてきた熊がやってきた。
熊「皆さん車の準備ができました! 先に行って待ってますから!」
熊はそれだけ言って、外へ出ていった。
米田「では皆さん道中お気をつけてください!」
渡「あれ、米田さんが運転を…」
米田「帰りは熊さんが運転をします」
渡「あっ……」
渡は修の顔を見た。修は「しまった、忘れてた」という表情をしていた。それは言葉よりも明確にわかるほどの表情だった。
米田「皆様、またのお越しをお待ちしております!」
深々と頭を下げる米田に別れを告げると、何でも屋五人は熊と一緒に外へと出た。
藍「皆さん!」
ワゴンの前では藍がドアを開けて待っていた。
藍「短い間でしたが、皆さんと過ごした時間は一生忘れることはありません! ささやかですが、これは私から皆さんへの贈り物です!」
藍はそう言って一人ずつに手渡していった。
渡「これって……」
藍「はい! 竹とんぼです! 私の手作りなんです!」
とても丁寧に作られていた竹とんぼ。どれはどこまでも空を舞っていきそうな竹とんぼだった。
藍「それを飛ばした先にある空を見て、私のことや汚苦多魔村の事を思い出してください!」
修「そりゃもう、絶対に思い出しますよ! なぁ?」
渡「うん。必ずね!」
重と知哉も頷く中、椎名はどこからともなく紙で折ったバラの花を出現させた。そして藍に手渡すと、声を作った。
椎名「このバラの花を見て、ピエロと愉快な仲間たちの事を思い出してくださいね!」
愉快な仲間たちとして片付けられた他の四人は冷たい目でピエロを見つめた。
重「……おいピエロ、歩いて帰れよ?」
椎名「いや、ちょっと待って重君!」
修「藍さん、それじゃお元気で!」
知哉「いつかまた来ます!」
渡「お仕事頑張ってくださいね!」
重「さようなら藍さん! さようならピエロ、歩いて帰れ!」
修は助手席に、残りの三人は後部座席に乗り込みドアを閉めた。
椎名「ちょっとみんな! あの藍さん、えっと、さようなら! また来ます!」
椎名は笑顔で別れを告げると、必死の形相で愉快な仲間たちに懇願した。
椎名「歩いては無理だよ! ドア開けてよ!」
重「まったく、しょうがないですねぇ」
ピエロは車に乗ると、嬉しそうな表情で重の隣りに座った。
椎名「もうもう! 冗談キツイんだからぁ!」
修「シゲ、頃合い見てドアから……」
重「うん、分かってる分かってる……」
椎名「何を!? 何を分かってて、何をどうするの!?」
渡「いいから、藍さんに手を振りなさいよバカ三人!」
そんな様子を見て、藍は笑いながら外で手を振っていてくれた。
藍「さようなら!」
五人『さようなら!』
車はゆっくりと動き出し、濃すぎる日々を過ごした汚苦多魔村から五人は遠ざかっていく。情緒のある町並み、青々とみなぎる遠くの山々、何より爽やかな藍の笑顔が汚苦多魔村での今年の夏だった。だが、まだ終わりではない。
熊「さぁ、おうちに帰るまでが合宿ですよぉ!」
知哉「せっかくの感動の別れが……」
熊「えっ? 何か?」
知哉「なんでもないです……」
修「それで、帰りの道は……」
熊「はい。皆さんが初日に通ってきた道がありますよね?」
五人の脳裏に、恐怖のダートコースが蘇る。
熊「あの道は上り専用でして、今回は下り専用の道を行きます!」
修「えぇっ!? 舗装された‥」
熊「初めはそうだったんですが、かなり遠回りになって、雨が降り出してしまったらそちらの道も封鎖されてしまうんですよ!」
熊は無駄に元気だった。
熊「ですから麓にすぐ行ける下り専用の道を行くわけです! もうこの道を行けば、あれですよ、待ち合わせ場所にしていた道の駅まではあっという間ですよ!」
五人の記憶の奥の方に、初日に磯辺もちを食べた道の駅の面影があった。
熊「さぁ、それでは……」
熊は車を一時停止させた。
熊「ここからが下り専用の道です! 今一度シートベルトを確認してください!」
五人はデジャブを通り越して、タイムスリップをした気持ちになっていた。
熊「皆さん、よろしいですか!」
五人『は、はーい』
熊「元気がないですよ?! 皆さん、準備はよろしいですか!」
五人『はーいっ!』
熊「それではレッツゴー!」
名前通り荒々しい熊の運転が始まった。
上りよりもスピードが出やすい下りの道で、熊は臆することなくカーブを攻めていく。躊躇のないハンドリング、コーナリングはしっかりとラインが見えている証拠だが、五人は気が気じゃない。
修「はーんっ!」
知哉「こえぇよぉ!」
大人六人を乗せたワゴンで何故こんなドライビングが出来るのかと、思う暇なく上下左右に揺れる車。五人は心底思っていた。なぜヘルメットを返してしまったのかと。
熊「……さん! ……皆さん! 皆さん着きましたよ!」
激しさのあまり気を失ったのか、疲れすぎて眠ってしまったのかは定かではないが、五人がふと我に返ると、奥多摩の道の駅に到着していた。
椎名「……着いた?」
渡「あれ、いつの間に……」
熊「皆さんがグッスリお休みしている間に到着したんですよ!」
未だ無駄に元気な熊の声に、五人の目は否応なしに覚めた。
熊「それでは、私は村に戻ります!」
修「あれ、もうですか?」
熊「えぇ、いろいろ仕事がありますので!」
修「そうですか……」
熊が車を降りるのと同時に、五人も車を降りた。
熊「初めて地獄コースをクリアされた皆さんは、汚苦多魔村合宿所で永遠と語り継がれることでしょう! 皆さん、本当にご苦労様でした!」
熊の男らしい敬礼に、五人は慌てて敬礼を返した。
熊「それでは皆さん、さようなら!」
渡「さようならって、熊さんどうやって帰るんですか?」
熊「あれですよ、あれ!」
熊の指差す方向にはオフロードバイクがあった。
熊「前もって持ってきておいたんですよ!」
熊はハンドルに掛けていたヘルメットを被ると、意気揚々にエンジンをスタートさせた。
知哉「あの道を単車で!?」
熊「えぇ! 中南米を走破した時のことを思い出しますよ! それではアディオス!」
熊は少量の白煙を上げて去っていった。何だか台風のような人だなと、五人はしみじみ思った。
重「…………で、どうする?」
渡「どうするって、何時なの今?」
知哉「昼すぎて二時くれぇじゃねぇの?」
修「だろうな……」
修はサバイバルウェアをまくって腕時計を確認した。
修「あーっと、十一時十分…… 十一時!?」
自分で言って驚く修。
知哉「はっ!? あんだけのことがあってまだ午前中なのかよ!?」
椎名「ホント、時間ってのはよく分からないもんだねぇ……」
渡「それじゃ、ここで昼を食べていく? 久しぶりのまともな昼食を」
修「そうだな」
重「椎名さん!」
椎名「うん、磯辺もちだね!」
修「また食うのかよ!」
それから早めの昼食を済ませた五人は、八高市は若松にある何でも屋の事務所へと出発した。道中は合宿の思い出で話が尽きることなく、比較的に道も空いていた為に、あっさりと到着してしまった。というより、てんこ盛りの川下りを敢行した五人にとって普通の道は短く感じたのかもしれない。
渡「はーい、到着」
事務所の駐車スペースに車を停めた一同は、シャッターを開けて事務所の中へ入っていく。
修「いやぁお疲れ様でした」
重「お疲れ様でしたねぇ」
渡「お疲れさんだったねぇ」
知哉「ご苦労さんだったなぁ」
椎名「………………」
五人は大量の荷物を床に降ろすと、懐かしさも感じる事務所のソファーにふんぞり返った。ただ椎名だけは座らなかった。
知哉「ふぅ、帰ってきたなぁ」
渡「やっぱり、我が家、じゃなかった…… いや、我が家みたいなもんか」
重「そうだね。事務所は良いねぇ」
修「本当だな。にしても、台風のやつ、太平洋沖に消えちまったじゃねぇか」
渡「何だったろうねまったく」
知哉「傍迷惑なやつだよな」
椎名「……………」
四人が話す中、椎名は一言も話さず、ただ小さく頷いては事務所の中を見て回る。
修「あれ、どうしました椎名さん?」
椎名「いやぁ、なんか感慨深くて……」
椎名は笑いながらもどこか寂しげだった。
椎名「それじゃ、みんな! 僕はそろそろ帰るよ!」
渡「えっ!? もう帰っちゃうんですか!?」
椎名「うん」
椎名は自分の荷物を背負うと、ゆっくり事務所の外へ出た。四人は慌ててソファーから立ち上がり、椎名に続いて外へ出た。
重「本当にもう行っちゃうんですか?」
椎名「うん。あんまり長くここにいると、帰りづらくなっちゃうし……」
湿っぽくなりつつある雰囲気に、椎名は明るく努めた。
椎名「まぁ、イカダの上でも言ったけど、みんなと出会えて本当に良かったです。僕の人生、散々なことだらけだったけど、みんなと出会って、みんなと働き始めてからは、毎日が楽しかったです」
改まって始まった椎名の別れの言葉に、四人は泣くのを堪えている。というか、修はもう泣いている。
椎名「岩塩とニンニクで始まって、FYEだアイドルだ、デートコースだ王子様探しだと、可笑しな依頼もたくさんあって…… 最後の最後で命懸けのイカダ川下りをするとは思いもしなかったです」
笑う椎名の目にも、少しずつ涙が溜まっていく。
椎名「みんなおかげで、青春を取り戻せたし、みんなのおかげで、愛する人とも出会えたし、みんなのおかげで、みんなという親友ができたし、みんなのおかげで、大道芸も続けられて上達して、遂には一人立ちしゅることができぃてぇ……」
涙をこぼしながらも続ける椎名に、知哉が言った。
知哉「俺たちの方こそ、椎名さんがいてくれなきゃ…… こ、こごまで、ぎゃんばって……」
渡「ここまで頑張ってこれなかったです! 椎名さんのような頼れる人生の先輩、全てを預けられるような親友がいたからこそ、頑張ることができました!」
重「ピエロのメイクの落とし忘れのせいで、何度も驚かされ、その度に寿命が縮まりましたが、椎名さん…… 椎名さんとのオバカで楽しい日々は、一生の宝物です!」
修「し、しい……」
涙に手を焼く修は、諦めて手を差し出した。
椎名「修君……」
椎名が修の手をグッと握りしめると、修は椎名を引き寄せ、男らしく一度抱きしめた。そして言った。
修「椎名さん自信の努力があってこそです! 椎名さんが直向きに頑張ってきたからこそ、こんな感動できる今があるんです! ただ俺たちは親友です! 何かあったら、いや何もなくても俺たちを頼ってください! 俺たちも無意味に頼りにいきますから!」
修の贈る言葉に一同は笑いながら涙を拭い去った。
椎名「それじゃ、みんな……」
椎名は荷物を抱え直して、照れるように笑った。
椎名「またね!」
爽やかな声を出した椎名は、四人に背中を向け、力強く歩き始めた。少しずつ遠く小さくなっていく椎名の背中だったが、四人の目には大きな背中に見えていた。
重「椎名さん! 遊びに来てくださいよ!」
椎名「うん、必ず!」
一度振り向いた椎名は笑顔で応えると、再び歩き始めた。
渡「……行っちゃったね」
知哉「あぁ、行っちゃったな」
修「ピエロのメイクを落とさないままな」
重「……忘れてたよメイク」
修「もうピエロ姿が俺らの日常に入り込んでたからなぁ」
渡「頼りがいあるけど、困った親友だよね」
知哉「まっ、椎名さんも俺らも再出発だな」
知哉はおもむろに藍からもらった竹とんぼを取り出した。他の三人は優しい顔でそれを見ていた。
知哉「ったく、思い出が染み込みすぎた竹とんぼになっちまったな。……それ」
知哉が手を軽く擦り合わせると、竹とんぼは予想に反して暴れ、修目掛けて飛んでいった。
修「あぶっ! 危ねぇなコノ野郎!」
知哉「あ、あれ、おかしいなぁ」
修「おかしいのはお前だ! こうやるんだバカ!」
拾い上げた竹とんぼを手に、修が手を擦り合わせた。竹とんぼは渡目掛けて飛んでいった。
渡「おいコラ! 何をやってんだよ!」
修「あ、ゴメン……」
重「ったく、こうだよ、こう!」
自分の竹とんぼを取り出した重は手を擦り合わせた。竹とんぼは知哉の腹部に直撃した。
知哉「いてぇなコノ野郎!」
重「こっちのセリフだ!」
知哉「なんだってんだ!」
美しい汚苦多魔村でのひと時、大自然の中でのサバイバル、恐怖と笑いに満ちた川下り、親友とのしばしの別れと再出発、そしてよく飛ばない竹とんぼが、五人の今年の夏だった。
椎名の合図に合わせて、残る2つのゲートをイカダは見事に通過していった。だが「男の航路」に大きな代償を支払う事になってしまった男が一人いた。
椎名「思ったより速度が出ちゃったけど、うまくいったね!」
渡「いきましたね! すごいターンでしたよ!」
知哉「ターンっていうか、ラリーのドリフトみたいだったぜ! この村に入るときの米田さんの運転みたいなさぁ! なぁ修!」
修は少しの間を開けてから答えた。
修「激しすぎてよく分かんなかったよ……」
知哉「あれ、大丈夫かよ?」
修「俺はな……」
椎名「重くんは大丈夫、じゃないみたいだね……」
椎名の言葉に、知哉と渡も後ろを見てみた。
渡「あー、あー、どうしちゃったの大先生!?」
オールを杖代わりにした重は、青ざめた顔で遠くを見ていた。
知哉「酔ったのか?」
重「酔った……」
知哉「今ので?」
重「うんぷっ……」
知哉「おいおい、大丈夫かよ!?」
修は変貌を遂げてしまった幼馴染を見ながら、首を横に降った。
修「だから言ったろ?」
重「……も、もうね、一発だよね」
悲壮感溢れる顔で訴える重に、四人は笑いを堪えた。
椎名「……え? 一発って?」
重「最初のターンでやられましたよね、僕なんかは」
四人は堪えることなくクスクスと笑い始めた。
重「……とてもじゃないけど『あと二つも行けやしねぇ』って思ったよね」
情けない自分の姿に重自身も笑い始めると、藍の声が聞こえてきた。
藍『皆さんお見事でした! それでは次のCエリアは休憩ですので、Dエリア入り口でお持ちしております!』
藍たちのゴムボートが川下に去っていくと、五人は腰を下ろして、イカダを川の流れに任せて休憩を始めた。
緩やかな流れの中、五人は水分補給をしながら、川を、自然を眺めた。
渡「ふぅ…… それで、少しは落ち着いた?」
重「うん、良くなってきたよ」
修「ったく、椎名さんの無茶な作戦のせいで散々ですよ」
椎名「あれ、僕のせいなの? 元を辿れば、この合宿所を選んだ修君のせ‥」
修「ぐうの音も出やしねぇよ!」
偉そうに言い返した修の言葉に、渡は口に含んでいた水を吹き出してしまった。
知哉「汚ねぇな! 掛かったぞ俺に!」
渡「あはは、ゴメンゴメン。修がバカ言うもんだから……」
修「教授さん、バカ言わせたのは椎名さんだからな?」
椎名「ちょっと! なんで僕のせいかな!?」
修「そりゃそうって…… おいシゲ! お前はいつの間にビーフジャーキーを食ってんだよ!」
重は答えず、修の顔を見ながらジャーキーをはみはみとやるばかりだった。
修「はみはみじゃねぇんだよ! 一人で食ってないで配れよ!」
重は黙ったままジャーキーの入った袋を取り出すと修に手渡した。渡された修は、重と一緒になってはみはみとやり始める。
知哉「……」
重「はみはみ……」
修「はみはみ……」
知哉「チッ、はみはみじゃねぇんだよ!」
知哉を無視した修は、ジャーキーの袋を椎名に渡した。渡された椎名は、二人と一緒になってはみはみとやり始める。
重「はみはみ……」
修「はみはみ……」
椎名「はみはみ……」
知哉「いやだから、はみはみじゃねぇんだって!」
知哉を無視した椎名は、ジャーキーの袋を渡に回した。受け取った渡は、三人と一緒になってはみはみとやり始める。
知哉「そうなったらもう怖ぇんだよバカ! イカダの上で干した肉を無表情でしゃぶりながら俺を見るんじゃねぇよ! 特にそこのピエロ! ホラー過ぎんだよ!」
椎名「うぅ…… じゃでいjゔぃおあ:ゔぉあpとぅぴ!」
知哉「だから怖ぇって言ってんだろピエロ! 謎の言葉を発するな!」
修「でもフビキジャ様は言っていた。人の業によって、その器は満たされていくと」
知哉「やみろ‥ やめろっての! ったく、訳分からねぇこと言うから、『め』が『み』になっちまったろーが!」
重「メメズ」
知哉「ミミズだよ!」
渡「メメズク」
知哉「ミミズクだよ!」
椎名「ミンタイコ」
知哉「明太子だよ! 思いついたからって‥」
修「綿アメ」
知哉「綿アミだろ! じゃねぇ、それは合ってんだよバカ! じゃなくてもうやめろってんだよ!」
知哉の綿アミ発言に満足した四人は、ケラケラと子供のように笑い始める。
渡「知ちゃん、流石だねぇ」
重「最後の綿アミは良かったよ」
修「居酒屋の名前じゃねぇんだからよ?」
知哉「うるせぇな。調子こいてっと川に落ちるぞ?」
文句を言いながらも、渡からジャーキーの袋を受け取った知哉は、四人にならってジャーキーをはみはみとやり始める。
椎名「はぁ、それにしても、あっという間の二年間だったなぁ」
渡「どうしたんですか急に?」
椎名「いやね、この合宿が終わったら、みんなと毎日顔を合わせることもなくなるからさぁ……」
修「……って言っても、駅前広場での定期的なパフォーマンスは続けるんですよね? というか、辞めた後に、こうして合宿に参加して‥」
椎名「まぁまぁ良いじゃないの修君。思い出を語らせてよ」
椎名は恥ずかしげもなく言ったが、聞いている四人はこっ恥ずかしかった。
椎名「全てはみんなとの刺激的な出会いから始まってさぁ」
知哉「誰のせいで刺激的になったと思ってるんですか!」
椎名「岩塩にニンニク。効いたよあれは。それから、そう、FYE事件ね」
重「あれはとんでもなかった事件ですね」
修「あのまま終わりを迎えるかと思いましたよ」
椎名「本物のアイドルに本物の銃を見ることにもなったし……」
知哉「あの事件のほうが死ぬかと思いましたよ、俺は」
椎名「僕もどうなるかと思ったよ。けど本物の『お色気レモンタルトマン』が助けてくれたし……」
知哉「本物も何も、椎名さんの後ろでジャーキーをはみはみしてますよ、レモンタルトマンは」
重「知ちゃん『お色気』が抜けてる」
知哉「知らねぇよ!」
椎名「それにさ、白熱したあのボードゲームに、杉田君に振り回された日々。自らの目を疑った『愛の巣』騒動。忘年会で行って以来、みんなとよく行った『鳥照』でのひと時……」
椎名の頭の中に、長くも短い二年間の最高に可笑しく、最高にくだらない日々が、これでもかと駆け巡る。
椎名「みんなにも話したけどね、僕の十代は勉強の毎日で、二十代は試験と仕事の毎日だったからさぁ…… こう、みんなと出会ってからが、僕の青春時代の始まりだったんだよ」
底抜けに楽しかった日々を思い出しながら話す椎名は、最年長ということを忘れさせてしまうような、少年の表情だった。もちろん、ピエロのメイクで分かりづらいが。
椎名「ま、前に…… 前にさ、みんなが言ってくれたさ、あの……」
椎名の口調と声色の明らかな変化に、四人は顔を見合わせた。
椎名「歳の離れた親友ってのがが、ぼ、僕はうれれしくて……」
修「れが一つ多いですし、アメリカの歌姫の名前が入っちゃってますよ?」
椎名「いやね修君。同級生も同僚も全員ライバル、競争相手って言われて生きてきた僕にとっては……」
一気に感極まり、ポロポロと小粒の涙をこぼす椎名。それほどまでに想っていてくれたのかと、年下四人も素直に嬉しいと感じていたが、やはりどうしても邪魔をするものがあった。
渡「あ、あの椎名さん、水を差すようで申し訳ないんですが、ピエロのメイクが邪魔をしているというか……」
知哉「笑ってるメイクで涙を流されても、あの、よく分からなくなっちゃうんですよね……」
二人の言葉を聞いた椎名は、確かにその通りだと、笑ってみせた。いや、泣いたままだった。のかもよく分からなかったが、とにかく表情に変化が見られた。
修「プッ…… だから! 泣いてんだか笑ってんだかハッキリしろってんだよピエロ!」
涙目で言った修の言葉に、椎名は声を出して笑い始めたが涙は止まっていなかった。
渡「いや椎名さん……」
椎名のよく分からない状態が笑いのツボに入ってしまった渡は、腹を押さえて笑い始めた。
修「まったく、そんなんじゃ感動して泣けませんよ俺たちも!」
椎名「アハハッ、ごめんごめん」
未だ泣き笑い続ける椎名に、全員が笑い始めた。
二十代と三十代の男五人が、十代のような笑顔を見せていると、休憩時間の終わりを告げるチャイム、いや、藍の笛の音が聞こえてきた。
藍『みなさーん!』
五人が笑い涙を拭いて前方を見ると、藍たち三人が乗ったゴムボートが見えてきた。
藍『休憩は終了です! これよりDエリア、最終課題となります!』
最終課題。言われて思い出した五人はイカダ乗りの顔つきに戻った。
重「そうでした、まだ最終課題が残ってるんでした」
修「ったく、長いんだか短いんだか分かんねぇよな、時間ってのは」
修は口に残っていたジャーキーを飲み込んだ。
藍『ですが最終課題の前に、皆さんに支給品が一点あります!』
藍がそう言うと、荒木が巧みなボートさばきを見せ、イカダに近づいていった。
藍『大塚さん、受け取ってください!』
藍はボートの床に置いてあったオールを一本、渡の方へと差し出した。
渡「あ、はい、掴みました!」
渡が受け取ったオールは、五人が持っている手作りのオールと同じ作られ方をしたものだった。しかし、出来は段違いに良かった。
藍『四本のオールが無いと突破困難な課題がありましたので、支給させて頂きました!』
渡「あぁ、はい……」
藍『さぁ皆さん、あちらをご覧ください!』
藍の指す前方には、A・Bエリアを超える数の設置物が五人のことを待っていた。ゲートの他にもいろいろと吊り下げられていたり、左側の岸には数字の書かれた丸いパネルなども用意されていた。さらに、地図には無い合流地点もあり、川の流れは幾分速くなっていた。
重「あー、なるほどなるほど、こりゃ面倒い」
渡「まぁ、ここも気合を入れて切り抜けるしかないね」
修「椎名さんの言葉を借りると、『気をひしきめて』頑張らないとな」
椎名「言い間違いを引用しないでよ!」
頼まれてもいない拍手を相変わらず続ける榊の横で、藍が説明を続ける。
藍『最終課題では一人につき一問出題します! さらに、回答方法もその都度変わりますので「気をひしきめて」頑張ってください!』
椎名「………………………」
藍『ではまず一問目です!』
知哉「あぇ、もう一問目やんのか!?」
急に始まった第一問目に緊張が走る五人。
藍『イカダやボートなどが推進力を得る方法の中に帆の使用がありますが……』
今までの出題との明らかな差に、更に緊張感が走る五人。
藍『その帆のように竿から提灯をぶら下げ、五穀豊穣の祈りを捧げる秋田県のお祭りは何というでしょうか!』
知哉「何だその正解したら好きなパネルを自分の色に染められるようなクイズは!」
重「あー、知ちゃん、長いよ」
知哉「うるせぇな……」
藍『回答者は久石さんです!』
修「俺!?」
藍『あそこに見える赤いワイヤーを超える前に正解出来ないと、Dエリアを一からやり直すこととなるのでお気をつけください! 答えは地図の裏の白い部分に書いて発表してください! ではお願いします!』
修「あーっと……」
修は考えながら、バックパックから地図を取り出した。
重「急に難しい、というかサバイバルに関係の無い問題だよね」
知哉「ホントだよな。たまにニュースで見るけど名前まではなぁ……」
椎名「あれだよね、その提灯をぶら下げた竿をさ、肩とか腰とかに乗せてバランスを取るやつだよね?」
重「そうですそうです。法被着てやってますよね。というか修さ、すごく考えてるけど、考えて答え分かるの?」
眉間にしわを寄せ、一点を見つめて修は考えていた。
修「うるせぇなぁ、必死に思い出してんだよ! 汚苦多魔村に来る前に買って読んだエッセイでちょうど出てたんだよ」
知哉「あぁ、たまに読んでるあれか」
修「それに中学一年か二年の時に習ってんだよ。教科書の左上に写真が載っててさぁ……」
渡「はいはい、あれね。その写真の右側に書いてあったよ、祭りの名前」
知哉「さすが教授さん、答え分かんの?」
渡「分かるというか、いま思い出したんだよ。修も頑張って思い出して!」
修「あぁ……」
修は更に眉間にシワを寄せる。
椎名「……修君ってさ、やっぱり、こ、怖い顔してるよね?」
修「だから! イカダの上のピエロのほうが怖いですよ!」
修は思い出せないでいる自分に苛立ちを覚え始めた。
修「なんで思い出せないんだ! 熊さんじゃねぇが、俺も稲庭うどんが好きだし、きりたんぽ鍋も好きなんだ。千葉じゃ美味いきりたんぽ鍋を出す店なんてそうねぇし、妹が嫌いって理由だけで家じゃ取り寄せねぇから、二人前セットの奴を取り寄せて、夜中に一人で食ってんだ!」
よく分からない理由で修の感情は高ぶっていく。
修「秋田の皆! お願いだ! 俺に力を貸してくれ!」
四人は天に向かって叫ぶ修を見ながら思った。秋田県民に迷惑が掛かると。
修「千葉の落花生に、じいちゃんの知り合いが作ってる東京の小松菜を送るから、東北からきりたんぽ鍋を関東に送ってくれ!」
重「祭りの名前を教えてもらえバカ!」
修「あ、そうだった。この関東に祭りの名…… あっ! 思い出した!」
嬉しそうな表情になった修は、赤ペンで答えを書き始めた。
修「カントウだよ、カントウ!」
知哉「あ? 秋田は東北だろ?」
修「釣り竿の『竿』に、燈籠の『燈』って書いて、竿燈祭りだ!」
修はそう言って、書き上げた答えを藍の方へと突き出した。大きく書いたものの、細い赤ペンでは見えづらいかと修は思っていたが、藍は見るなり頷いた。
藍『大正解です!』
ボーダーラインの赤いワイヤー寸前の正解に、イカダの五人は歓声を上げる。
修「よし! 一問目突破だ! ギリだったな!」
知哉「よく思い出せたな!」
修「秋田なのに関東(竿燈)なのか、って言ったのを思い出したんだよ」
渡「もう、歯がゆいのなんの……」
修「ハハハッ、悪い悪い」
渡「なんて言ったって竿燈祭りは国の重要無形民俗文化財だからね」
知哉「お、そうなのか! それは知らなか‥」
藍『はい! 二問目です!』
知哉「えっ、もう!?」
藍『回答者は寺内さんです!』
知哉「しかも俺!?」
藍『HAMAYAのR350は何気筒でしょうか!』
大好きなバイクの問題に、目を輝かせる知哉。
知哉「はい! はいはいはい! 分かります!」
挙手をしながら何度も叫ぶ知哉。
藍『では、正解だと思う番号のパンを食べてください!』
知哉「あー、なるほど、パン?」
重「なーにパンって?」
椎名「なんだろう、パネルの代わり?」
重「そうかもしれないですねぇ」
五人は気づいていなかったが、先程通過した赤いワイヤー近くにパンが吊り下げられていたのだ。だが気づかないのも当然のことで、イカダが通過した後、新たに下がってきたワイヤーだったのだ。
修「んで? そのパンってのはどこにあんだ?」
渡「どこだろうね。前方には見当たらないけど……」
と、渡が修の方へ振り返った。
渡「あっ! パンだよパン!」
知哉「どこ!?」
渡「後ろ後ろ! さっきの赤いワイヤーのところだよ!」
パンのぶら下がっているワイヤーには、1から5までの番号が書かれた小さなパネルが付いていた。そしてどうでもいい事であるが、ぶら下げられている小さなパンは、五個一組で販売されている小倉あんパンであることは確実だった。
知哉「なんだよ、いつの間に……」
渡「いいから向き変えて溯るよ! 早くしないと離されていっちゃう!」
五人は慎重に向きを変えると、上流に向かってイカダを進めた。
椎名「それで知哉君! 答えは!?」
知哉「2番です2番! 2気筒なんで!」
椎名「2番だね!」
椎名が絶妙な力加減で舵を切っていくと、四人は手に持ったオールを懸命に動かした。しかしながら、大きなイカダを上流に向かって進めていくのは一苦労だった。
渡「これ、オールを支給されていなかったら大変だったね!」
修「それ見越しての支給だったんだろうな…… つーか知哉!」
知哉「あん!?」
修「一発で食えよ!」
知哉「任せとけっての!」
修「あと、間違っても落ちんなよ!」
知哉「あーん自信無ぇ……」
パンまでは数メートルの距離しか無かったが、水の抵抗が大きく、オール四人の体に乳酸が溜まっていく。
渡「どうよ知ちゃん!」
知哉「もうちょい、もうちょい右!」
重「ばぁー、疲れるよ!」
知哉「もうちょいだからよ大先生!」
重「早ぐぅー」
知哉「分かってる… オ、オッケー! ジャンプすんぞ! いいな?!」
修「おう、早くやれ!」
知哉は顔より少し上にぶら下げられているパン目掛けてジャンプした。口を大きく開けての跳躍は、魚が水面に浮かぶ獲物を捕食する様に似ていた。
知哉「はんぐぅっ!」
イカダへの影響を最小限に押さえたジャンプで見事にパンを咥えこんだ知哉だったが、着地のことまで頭が回っていなかった。
知哉「ぱむぅっ!」
落水は免れたが、足を滑らせた知哉の着地はイカダを大きく揺らした。
渡「あぶっ!」
修「うおっ!」
重「な…… なにしてんの!?」
知哉「ぱ、ぱりぃ……」
パンを咥えたまま謝る知哉。
重「ぱりぃ? 何がぱり‥」
知哉は急いでパンを噛んで飲み込むと、改めて謝った。
知哉「悪りぃ、パンが取れた瞬間、嬉しくなっちゃってよ」
修「ったく、ケガは?」
知哉「あん?」
修「ケガは無いのかって聞いてんだよ」
知哉「あ、あぁ、してないしてない。サンキュー」
知哉のケガを心配してやる修を見ていた重は、ボケを我慢できなかった。
重「あら修ちゃーん? 私の心配はしてくれないのぉ?」
修「…………ケガは無いか?」
重「んふ、恋患いを少し……」
修「よし、治してやる!」
オールを上段に構える修。
渡「よっ! ミスター荒療治!」
重「治るわけないだろ!」
修「もういいから、向きを戻すぞ?」
イカダの向きを戻した五人は、藍の『お見事正解』の言葉を待っていた。
藍『それでは寺内さん、答えをどうぞ!』
知哉「え? な、なんですか?」
藍『何気筒でしょうか?』
知哉「2、2気筒です!」
藍『お見事正解です!』
知哉「パン食いの意味!」
藍はクスクスと笑うだけで特に何も言わず、荒木や榊も同じような反応だった。
藍『続いて第三問目! 回答者は椎名さんです!』
椎名「うっ、緊張するなぁ……」
重「落ち着いていけば大丈夫ですよ」
椎名「そうだね、冷静にね」
藍『化石燃料による発電に頼っている世界ですが、コンバインド・ヒート・アンド・パワー、国内ではコジェネレーションシステムと呼ばれる熱源なども無駄なく利用する熱電供給や、地熱・風力・太陽光・バイオマスなどの再生エネルギーの開発および発達により、エネルギー問題からの脱却を目指しています』
知哉に出された問題との差に、修は思わず笑ってしまった。まぁ、知哉本人も同じ理由で笑ってしまっている。
藍『そのエネルギー問題の解決や打開を目指し、開発・研究を行っているパイオニア的存在のレッドスクエア社が、八年前から推進しているプロジェクトの名前は何でしょうか?』
知哉「レッドスクエア!?」
修「レッドスクエア!?」
以前、椎名が働いていたレッドスクエア社の名前に驚く二人。もちろん、声を出さずにいたが、渡と重も驚いていた。
藍『1番、グッドオールドデイズ・プロジェクト。2番、バウンドレスエナジー・プロジェクト。3番、コウイグジスタンス・プロジェクト』
オール組の四人には見当のつかない問題であったが、回答者の椎名は静かに頷いていた。
藍『では、正解だと思う番号の的を…… こちらの弓矢で射抜いてください!』
いつの間にか手にしていた小型の弓矢を渡すべく、ゴムボートは再びイカダへ近づいた。
藍『どうぞ』
渡「は、はい、どうも……」
ゴムボートは離れていき、渡は弓矢を椎名に渡した。
椎名「ありがとう渡君」
渡「もう答えは分かったんですか?」
椎名「うん。どれもレッドスクエアのプロジェクトなんだけど‥」
渡「えぇ」
椎名「八年前ってことになると、僕もチームに参加してた2番のバウンドレスエナジー・プロジェクトだね」
渡「えっ、椎名さんもプロジェクトに参加してたんですか!?」
椎名「うん。いやぁ懐かしいなぁ」
弓矢を手に当時を思い出していた椎名だったが、岸に設置された射抜くべき的はどんどんと離れていった。
修「いや椎名さん! 急がないと!」
椎名「え? あぁ、急がないと!」
椎名が狙う的。それは縦に3つ並んでおり、上から1番2番3番となっていた。つまり、いくら正解を知っていても、狙いがずれれば、不正解となってしまう。
椎名「よ、よし、それじゃ……」
修「舵は俺が持っておきますから」
椎名「うん、ありがとう。じゃあ狙いを‥」
そう言った瞬間、雑に矢が放たれた。
椎名「あ!」
独特の音を立て飛んでいった矢は、1番と2番の的の隙間に消えていった。
知哉「あぶねぇ!」
渡「えぇ!?」
椎名「ゴメンゴメンゴメン! 違うんだよ!」
重「何が違うんですか! ギリギリでしたよ!」
椎名「手が、あの、滑っちゃって……」
修「もう、次は頼みますよ?!」
椎名「はい! はい! もう、あれ、任せちゃって!」
少しずつ上流へと離れていく的。それを狙うイカダの上のピエロ。見守っていた知哉は、ジグソーパズルの絵にありそうだなと思っていた。
椎名「……そこ!」
椎名が放った矢は、直線に近い放物線を描いて飛んでいき、2番の的のド真ん中に刺さった。
修「うおっ! 椎名さん!」
知哉「すげぇ! 椎名さんすごいですよ!」
椎名「どうもどうも」
椎名はお得意の照れ笑いを見せる。
渡「真ん中ですよ! この揺れるイカダの上で!」
重「倉庫の二階で勝手に暮らしていただけのことはありますね!」
椎名「重君、ちょっと勘弁してよ!」
首の後ろをさする椎名に四人が笑っていると、藍が同じ質問を繰り出してきた。
藍『では椎名さん、答えをどうぞ!』
椎名「えっ!? また……」
藍『大きな声でお願いします!』
椎名「えーっと、2番のバウンドレスエナジー・プロジェクトです!」
藍『大大大正解です!』
相変わらずの回答システムに戸惑いながらも、椎名は修に任せていた舵取りに戻った。
椎名「ま、まぁ、これで残るは渡君と重君の問題だけだね」
渡「どんな問題かな?」
重「なんでもいいから最後は嫌! トリは嫌だ!」
藍『次の問題の回答者は水木さんです!』
重「ほい来た!」
食い気味で答えた重は、やる気に満ちていた。
重「さぁどんな問題でもドンと来いってんだ!」
藍『では第四問目です! 和色戦隊シリーズの「忍びの流儀」に登場する「成敗者」の色を口頭で全てお答えください!』
重「ほい来た!」
修「……ほい来たって、ヒーローもん好きなのは知ってっけど、答えられるか?」
重「おい、おい、修…… 俺だぜ?」
重の声色と表情に面倒なものを感じた修は、笑顔のまま言い返さなかった。
藍『それではどうぞ!』
合図をもらった重は大きく息を吸い込むと、迷いなく答え始めた。
重「緋色・紅緋・臙脂・丹色・照柿・黄櫨染・真紅・赤紅・朱色・薄紅梅・浅蘇芳・紅掛花色!」
立て板に水とはこのことで、十秒も経たないうちに言い終えた。ただ、その速さについていった藍の回答確認も迅速だった。
藍「……お見事! 全問正解です!」
驚きながらも喜ぶ四人は、重を褒め、称えようとした。だがそれよりも早く、重は得意げな顔で言った。
重「我ら忍べど正義は忍ばず!」
忍びの流儀の名台詞であろう言葉に、四人は褒め、称えることを中止した。
渡「……ずいぶん暖色の多い戦隊モノなんだね」
椎名「人数も多いしねぇ……」
知哉「聞いたことねぇ色ばっかだよ」
修「最後のベニカケハナイロってどんな赤なんだよ?」
重「……はぁ、物を知らないってのは嫌だね。あのね、紅掛花色ってのは、青っぽいような紫っぽいような…… こう、なんというか、青を深く暗くしておいてから透明度を上げた色。まぁその‥」
知哉「バカは語彙が少なくていけねぇや」
さきほど言われた仕返しだと、知哉は嫌味ったらしく言い放った。重は自分が言ったことをそっくりそのまま返されたので、笑うしかなかった。
重「くそぉ…… 言い返す言葉が見当たらない……」
修「ハハハッ、ナイス知哉!」
知哉「どうもどうも」
渡「つまり赤とか暖色系の色じゃなく、寒色系の色なんだ?」
重「うん、まぁそういうこと」
椎名「へぇー、それじゃ異色のヒーローなんだね?」
私は上手いことを言いました。椎名の表情はそんなふうだった。
修「ウルサイぞ得意げピエロ!」
椎名「あら?」
修「あら? じゃないですよ! ったく、変なとこシゲに似ちゃって」
重「どうも、オリジナル重です! 韻を踏んでいます!」
修「うるせぇよ! おい教授さん、トリは任せたぞ?」
渡「え? あぁ、了解。急にこっちに振らな‥」
藍『いよいよ最後の問題です!』
一際、声を張る藍は、ほんの少しだけ寂しそうな雰囲気だった。
知哉「さぁ、バカみたいに難しい問題が出されんぞ?」
椎名「でも渡君なら大抵の問題は答えられるよね」
重「そりゃそうですよ! 何でも屋が誇る超天才インテリバカ野郎ですから!」
修は『超天才インテリバカ野郎』が気に入ったらしく、クスクスと笑い始める。
渡「褒めてないし、誇ってもないだろ!」
修「まぁまぁ教授さんよぉ、言い得て妙ってやつだよ」
渡「集中させなさいよ! 間違えたらどうすんの!」
修「ワックンなら大丈夫だよ!」
渡「だからさ、たまにそのニックネームで呼‥」
藍『では問題です! もちろん、回答者は大塚さんです!』
多少の自信がある渡だったが、妙に緊張してきた。
藍『これから前方に現れる五つのパンから、ウグイスあんパンを見つけてください!』
渡「はぇ!?」
藍『また、今回は正解するまで挑戦を続けていただきます! ではスタートです!』
藍の合図に合わせて、知哉の時と同様、パンがぶら下げられたワイヤーが降りてきた。位置はイカダから数メートルしか離れてなかった。
渡「はっ…… いやっ、ウグイス……」
修「おい教授さん! 早く選ばねぇと!」
渡「選ぶっていったって……」
ぶら下げられた小さなパンたちは、当然のごとく同じ外見だった。
知哉「どのみち当たるまでやるんだからよ!」
渡「はぁーっと、えーっとねぇ…エロ」
手掛かりゼロのウグイスあんパン探しに腕を組み考える渡。
重「あぁ、鬼になるよ、また」
渡は決めかねる事があると、決まって腕を組んで鬼の形相で熟慮を始める。
椎名「こ、怖いよね、この時の教授君‥ 違う違う、渡君は」
知哉「教授を君付けで呼ぶって、学長じゃないんですから」
椎名「さしずめピエロ学長……」
その時、渡が鬼の形相のまま椎名の方へ振り向いた。
椎名「うっ! き、決まった?」
渡「決まりました! 一番右でお願いし‥ やっぱり一番左で!」
修「どっちだよ!」
渡「一番左で!」
椎名「よ、よし! それじゃみんな、左に行こうか!」
椎名の舵取りと、修重のオールさばきで、イカダは良い具合でパンに近づいていく。
重「どう教授さん?」
渡「うん、いい感じ。いけると思ったらジャンプするよ?」
修「気をつけて‥ 気をひしきめろよ!」
渡「笑わすな!」
そう言いながら、目の間に迫ったパンに渡は身構える。同時に、四人もジャンプに備えて身構えた。
渡「……よし!」
ウグイスあんパンであることを切に願い、渡は口を開けて飛び跳ねた。
渡「ふんぐぅっ!」
たった数秒の空の旅から渡は帰ってきた。
重「ナイスバイト!」
修「それで! ウグイスか?!」
渡は咥えたパンを噛み切り確認する。
渡「ムグモグ…… つぶあんでした……」
修「つぶあんだぁ!? 椎名さん!」
椎名「はいはい、向きを変えるよみんな!」
不正解の結果に終わり、イカダは再び上流へ向きを変えた。
重「はい、次!」
渡「んぐっ……」
珍しく慌てる渡は、あんパンを飲み込むと指をさした。
渡「一番左!」
知哉「あ? またかよ!?」
渡「さっきは上流から見た一番左で‥」
修「分かった分かった! ジャンプの準備をしておけ教授さんよ!」
椎名・修・重の手によって、イカダはパンに対して絶妙な位置につける。
渡「はい、オッケー! いくよ!」
渡は四人の返事を待たずに、二つ目のパンに食らいついた。
渡「んぎぎっ!」
重「はい、それで何パン?」
渡「さ、桜あんパン……」
重「この甲斐性なし!」
渡「そんなこと言われてもねぇ……」
修「ほれ、次!」
渡「んー、えーっと、み、右隣!」
移動する距離のことを考えての右隣だった。
修「よし、いいぞ教授さん!」
渡「あ、あいよ!」
三度パンに向かって飛び跳ねる渡。
渡「はんんっ!」
重「三度目の正直?」
渡「……こしあんでした」
重「オタンコナス!」
修「次だ次!」
んふんふと声を漏らしながら、渡は三つめのパンを飲み込んだ。
椎名「二分の一だよ渡君!」
知哉「右か左だ! 頼むぞ!」
予想していなかった三連続のパンに、ゲフッと息を吐く渡だったが、糖分を補給したおかげか脳内に電流が走った。
渡「右だ! 右のパンが呼んでんだ!」
修「右だな?!」
渡の言葉を信じ、四人はイカダを素早く的確に移動させた。
渡「それじゃ、行きます!」
ウグイスであってくれ。そんな想いと共に、渡はグッと腰を落とした。
夏の川。その川に吹く清涼な風。その風に揺られるパン目掛けて、滝を登る鯉が如く、渡は身をうねらせ飛び跳ねる。
渡「ぱんぐぃっ!」
その気合や良し。渡は力強くパンに食らいついた。だが力を入れるあまり、噛んだ箇所からパンの中身が溢れ出てしまった。
重は叫んだ。
重「クリィーームッ!」
悲痛な重の叫び声。だが夏の済んだ空というのは大したもので、クリームという悲しきスクリームをきれいさっぱり吸い込んでいった。
重「ウグイスあんパンを探してちょうーだいね! って言ってんの!」
渡は言い返そうにも、口に広がるクリームが邪魔して、ろくに喋れない。
重「もう、ウグイスが逃げちゃうよ! 早くしないと織田信長に殺されちゃうよ?!」
コイツは何を言っているのだろうか。四人はそう思っていたが、やはり修が一足先に気がついた。
修「そりゃホトトギスだバカ!」
重のあまりにポンコツな勘違いに、渡は笑いを堪えることが出来ず、口から少しのクリームを吹き出してしまった。
重「きっ! ちょっと! 汚いでしょ!」
渡「……んぐっ。汚いじゃないよ! バカな間違いしてさ!」
知哉「ウグイスじゃ字足らずだぜ?」
重「くそぉ、恥ずかしくて言い返せない!」
修「ったく、ホトトギスに騙されてんじゃねぇよ。托卵じゃあるまいし」
その言葉に対しての反応はイマイチだった。
修「くっ…… ちったぁ動物の勉強をしろってんだよバカ共!」
重「動物? タクアンの話しじゃないの?」
修「托卵だよ! もういいから最後のパンを取りに行きましょう椎名さん!」
椎名は未だにホトトギスの件で笑っていた。
修「椎名さん!」
椎名「アハハッ、はい、ハハハッ、行きましょう行きましょう」
結局、五つ全てのパンを食べて最終課題をクリアした五人。時間にして二時間ほどでAエリアからDエリアへやってきたが、慣れないイカダと水上珍道中に五人はかなり疲れていた。
藍『おめでとうございます! 全ての課題をクリアしました!』
その言葉に、五人の疲れは少しだけ和らいだ。
藍『続きまして水上厄払いです!』
その言葉に、五人は和らいだ疲れが何倍にもなって戻ってきた。
藍『それでは榊さんお願いします!』
榊は藍から拡声器を受け取ると、勿体ぶった笑顔で説明を始めた。
榊『えー、これから説明をいたします。えー、我が村の厄払いというのはですね、えー、宗教的な要素は一切ございません。江戸時代に村人たちが考案したものであり、代々受け継いできた、えー、伝統ある催し物と考えて頂いて結構でございます』
榊の締まりのない声が、拡声器からダラダラと流れ続ける。
榊『えー、しかしながら、三百年以上も続く厄払いです。効能のほどは、えー、かなりなものであると断言して良いのではないかと、方方で噂をされているとかいないとか』
持ちネタだったのだろうか、ヘラヘラとした笑いを見せる榊。
榊『えー、厄。つまり危険であるとか問題であるとか脅威であるとか、えー、さまざまあるわけでございます。もちろん、事前にそのようなものを察知して対処をすればいいわけでございますが、えー、突然、突如、いきなり、急に、厄のようなものに遭遇してしまうこともあります。そこで我が村の厄払いなのでございます』
榊はダラダラと話を続ける。
榊『えー、どうしても厄のようなものと対決しなければならない。その時の為の能力を覚醒、開花させるための修業が、えー、汚苦多魔村の厄払いなのです』
合宿に向かう前日に修が言っていた『修の業と書いて修業なんだ』というセリフが、奇しくも現実となってしまった。
榊『えー、ですが難しく考えないでください。Eエリアを下り、無事にゴールゲートを通過すれば修業は終わりです。えー、頑張ってください! 私からは以上です』
榊は一礼をして、拡声器を藍に返した。
藍『私からもお知らせすることが三つあります! まず一つ目! 厄払いの最中は近くでサポートすることが規則により禁じられています! ですが、いざというときの備えは出来ており、迅速に駆けつけますのでご安心ください!』
もちろん、五人はあまり安心できずにいた。
藍『二つ目! Eエリア出口付近で川が二手に別れます! その際、必ず左側を進んでください! 万が一、右側へ行ってしまうと、厄払いのやり直しとなってしまうのでご注意ください!』
安心できていないところへ、「最悪はやり直し」という恐怖が追加された。
藍『最後はゴールゲートの位置についてです! ゲートは皆さんが初日に宿泊しました「骨休め」の川沿い温水プール付近となっています! それでは、汚苦多魔村厄払いスタートです!』
五人の質問を受け付ける時間を割くこともなく、三人が乗るゴムボートは去っていってしまった。
渡「……まさかねぇ、修の業と書いて修業っていうのが現実になるとはねぇ」
知哉「伏線を張るよな修も」
修「別に張りたくて張ったわけじゃねぇだろ?」
椎名「結局、厄払いの内容は判らなかったけど、ここまで来たら、何でも来いって感じだよね?」
修「まっ、そういうことになりますねぇ」
重「っていうかさぁ、今日までの合宿も修業のようなもんだったもんね」
渡「確かに。修業だよあれは」
重「あんな経験させられたら、誰だって肉体的・精神的にも……」
重は急に黙ったかと思うと、鼻をひくつかせ辺りを見回した。
知哉「あ? どうしたよ大先生?」
重「今なんかさぁ…… 気のせいかな、一瞬さぁ…… ンガッ!!」
重の頭がパンチを受けたように後ろへ弾け飛んだ。そして同時に、重は鼻をつまんだ。
重「なり! なりこりは!? なんらろころにろいらぁ?!」
鼻つまみ声で叫ぶ重に、渡はかなり驚いてしまった。
渡「な、何よ大先生! どうしたの!?」
重「なりっれ、きょうりゅさん! きょうりゅさんはくらくらいろ!?」
渡「恐竜さんは暗くないのって言われてもねぇ。爬虫類だからねアレは。まぁそりゃ明るい性格の恐竜もいたろうし、暗い性格の‥」
重「ちがう! ほうららくれ、るっぱいにろいがるるれろ!」
知哉「あのよ大先生」
知哉は呆れた表情で続けた。
知哉「違う! ってとこ以外は何を言ってんだか分かんねぇんだよ。その鼻つまむの一回やめてくれよ」
ぶっきらぼうな知哉の態度に、重は口で大きく息を吸い込むと、鼻から手を放して早口でまくし立てた。
重「すごく酸っぱい臭いに気が付かねぇのかって言ってんだよバカヤロオ! 大体、鼻つまんで話してんだ、ちったぁ察しろってんだよバカ! てめぇの頭ん中で多少なり変換してから言葉を受け取れってんだスカポンタン!」
重は言い終えると同時に鼻をつまんだ。
知哉「急に口悪いし、汚い言葉使いだし、バカにスカポンタンって言われちまった」
修「しょうがねぇよバカ」
知哉「うるせぇよ!」
椎名「落ち着いてよスカポンタン」
知哉「ピエロこらぁ!」
騒ぐ三人を放って置いたまま、渡は話を進めた。
渡「それで? 酸っぱい臭いだって?」
重は黙って頷いた。
渡「うーん、オレはしないけどねぇ…… 椎名さんは臭い感じますか?」
椎名「今のところは感じないけど」
渡「修と知ちゃんも感じないの?」
修「まったく感じない」
知哉「同じく」
渡「でもお重ちゃんだけは感じると」
重「なんれきゅうにおしれちゃん?」
渡「いや、何となく」
早くも鼻つまみ語をマスターしていた渡の鼻に、ヤツはやって来ていた。
渡「ハッ!? あっ、酸っぱい! くわっー酸っぱい! 何だこれ!」
酸っぱい臭いはすぐさま他の三人にも襲いかかった。
知哉「くぅー! マジですっぺぇ!」
椎名「すぅっぱいよ!」
修「はぁー! リンパがもう……」
耳の少し下の部分を押さえて苦しむ修。舵を握りながら咳き込む椎名。
渡「ヒョォーッ!」
酸味に耐えられない渡は、何度も目と口を細めては変な顔を作っていた。
重「だから言ったでしょ!」
気持ちに任せて叫んだ重だったが、うかつにも鼻つまみをやめて叫んでしまった。
重「クゥウェーイッ!」
五人が揃って酸っぱい臭いに悶えていると、次なる厄が五人を襲い始めた。それは岸からの放水攻撃だった。
岸に突如として現れた人々は、榊と同じ蛍光色のジャンバーを着用しており、手にする大型水鉄砲で五人を狙い撃った。よほど練習を重ねてきたのか、抜群の命中精度だった。
知哉「冷たっ!」
渡「バカバカバカ!」
容赦のない放水というよりは、容赦のない低い水温に驚く五人。
椎名「ズッ……」
修「づめでぇ!」
ただ一番の被害を被ったのは重だった。
重「………………」
直撃をもらった重は、サバイバルウェアの中に水が入り込み、声も出せずに苦悶の表情を浮かべるだけだった。
修「アハハハハッ!」
冷たい水を浴びながらも、修は『哀しみの男』こと重を見て笑った。
重「笑ってないでオールを動かせバカヤロウ! こんなところ早く脱出すんだバカヤロウ!」
修「わかってるよバカ野郎! 行くぞバカ共!」
渡「バカバカうるさいんだよ! 行きますよバカピエロ!」
椎名「バカピエロじゃなくて僕はピエロバカなんだよ! ねぇデクノボウ?」
知哉「俺もバカにしとけよバカインテリ!」
バカ合戦開戦と同時に、五人は全速力で川を下り始めた。バカ四人がバカみたいにオールを動かし、バカピエロがバカみたいにキレのある舵取りをみせる。
知哉「臭いはともかく、こんだけスピード上げりゃ水鉄砲は当たら‥」
左右の岸にいる水鉄砲衆は、草木の生い茂る川沿いの道なき道を、巧みな身のこなしでイカダを追いかける。もちろん、水鉄砲を撃ちながら。
知哉「忍者かアイツら!」
重「我ら忍べど正義は忍ばブベッ!」
放水を顔面にもらう重。
知哉「余計なこと言ってねぇで集中しろ!」
重「まったくもう! どうやって水を補給‥」
渡「うわっ! 前前前! 岩だよ岩!」
重「えぇ!? お岩さん!?」
五人を待ち構えている岩は不規則に並んでいた。角が削られて丸みを帯びた岩がほとんどだったが、砕け崩れた岩もあり、その箇所は痛々しそうに尖っていた。
修「おい知哉!」
知哉「あぁ!?」
修「声がデカイんだから、岩の位置見て指示‥」
知哉「右に寄れ! ただ次の岩が右側にあるから、中央に陣取って、いつでも左に移動できるようにしとけ!」
知哉は今までにないほど活き活きとした声を張り上げた。
修「知哉!」
知哉「なんだ!」
修「転職先決まったな!」
知哉「食っていけねぇよバカ! いいから右寄せろ!」
思わぬ知哉の特技。その的確かつシンプルな指示により、二つ三つと岩を避けてイカダは進んでいく。しかしながら、臭いと放水は未だ続いており、五人は早く厄払いを終わらせてしまおうと必死だった。
渡「ああっ! みんな! 川が二手に分かれてるよ!」
重「ほ、本当!?」
椎名「Eエリア出口付近まで来たってことだね!?」
知哉「左に進んでいけばゴールなんだよな?!」
修「良し! とっとと抜けるぞ!」
全速力であるはずの速度を超え、イカダは猛スピードで左側へと進んでいく。かなり角度のあるカーブもあったが、速度を維持したまま、恐ろしいほど滑らかなコーナリングで切り抜けていった。だが、左側へ進んですぐに、五人は不安な気持ちになってしまった。
重「ど、どういう風の吹き回し?」
椎名「嫌な感じがするよね……」
五人を苦しめていた酸っぱい臭い、冷たい放水の嫌がらせがぱったり止んだのである。
修「あんだけ空が見えてたのに……」
知哉「あぁ、木が茂っちゃって暗いよな」
渡「川もなんかおかしいよ?」
川は不自然なほど真っ直ぐに続いていて、進むほどに川幅が狭くなっていた。
修「椎名さんの言う通り、嫌な感じがしますね」
椎名「急におかしいよねぇ?」
知哉「……みんな、また変なのがあるぞ?」
知哉が見つけたのは岸沿いにベニヤ板で造られた壁だった。
重「何これ? 何のための壁なの?」
知哉「まぁ、1メーターも高さがねぇから、いざってときは岸に上がれるからいいけどよ……」
修「そりゃそうだけどよ、気味悪りぃぜ?」
椎名「古くは無さそうだけど、真新しさも感じな‥」
椎名は途中で言葉を切ると、イカダの辺りをキョロキョロと見回した。
重「どうしたんですか?」
椎名「みんなさ、今オールで漕いでないよね?」
重「漕いで…… ないですけど」
椎名「気のせいかな、なんか少しずつ速くなっていってる気がするんだけど……」
重「イカダの速度がですか?」
修「つまり川の流れが速くなってるってことか?」
椎名の言葉に、他の四人は速度だけに意識を傾けてみた。すると確かに速度は少しずつ増していっていた。
知哉「椎名さんの言う通りですよ! 速くなってますよ!」
渡「……まさか」
修「なんの『まさか』なんだよ?」
渡「修、汚苦多魔村のパンフレット持ってたよね?」
修「あぁ、、バックパックの底でクシャクシャになってるぜ?」
渡「ちょっと見せて! あと椎名さん、藍さんからもらった川の地図を見せてください!」
慌ただしく話し始める渡に、二人は急いで地図を渡した。
渡「縮尺がわからないままだけど…… でも、体感的には…… やっぱりあれかな……」
渡は一人でブツブツと言いながら、地図をみて何かを考え始めた。
眉間にシワを寄せ、時折、ヘルメットの上からポリポリと頭を掻く渡は、手に持っていた地図から視線を外したかとおもうと、ウンザリとした顔で天を仰ぎ見た。
知哉「なんだよ、どうしたんだよ?」
渡「さっき川が二手に分かれてたけど、地図には載ってないんだよ」
知哉「はぁ?」
渡「けど、曲がってきた左と右のカーブの数と、パンフレットの地図と川の地図の‥」
知哉「早い話が何なんだよ!?」
渡「だから! 現在地点はここで……」
渡は川の地図を四人に見やすく広げて説明を続けた。
渡「地図上に川は無いけど、このまま真っ直ぐ行くと……」
渡はパンフレットの地図に持ち替えて話を続けた。
渡「初日に泊まった『骨休め』があるんだよ。ゴール地点になってる『骨休め』の川沿い温水プールがあるんだよ!」
渡の説明は次第に熱を帯びていく。
渡「不自然なほど真っ直ぐ続く川! 川幅は狭くなって両岸にはベニヤの板! 増していく川の流れ!」
知哉「そ、それが?」
渡「川の規模が小さくなってるのに速度が増してるんだ! 傾斜がきつくなってるんだよ!」
修「おい待てよ!」
修は渡の言わんとする事に気づいたようで、目を大きく見開いていた。
修「そりゃいくらなんでも……」
椎名「……そうだよ、それはいくらなんでも無いと思うよ!?」
続いて椎名も気づいた。
椎名「危ないもの! そんなことしたら!」
危ないという単語で、重も気がついた。
重「椎名さん、残念ですけど、熊さんたちなら‥」
渡「やるよね? 絶対やるよね?」
重「やるやる」
気づいた四人だけで話をしていると、一人置いていかれた知哉が叫び声に近い声を出した。
知哉「ウソだあ!」
四人が驚いて知哉の方を見ると、動揺した知哉が、岸のほうを見ていた。
修「なんだよ?!」
知哉「見間違い見間違い! 違う違うそんな訳ない!」
修「だから何がだよ!」
知哉「見なかったのか!? いま左の岸に古い看板があったろ! 汚ったねぇ看板がぁ!」
四人は急いで後ろを振り返ったが、看板の後ろ姿しか見ることができなかった。
重「なに、なんて書いてあったの?!」
知哉「……所々、字がかすれて読めなかったけど」
重「けど?」
知哉「……最初の方は全く読めなかったんだけどよ」
重「早く言いなさいよ!」
知哉「最後の方に達筆な字で『跳躍飛翔台』って……」
うつむく一同。更に早くなっていく川の流れ。重い空気に包まれる中、修がワザと軽い声を出した。
修「ほ、本当かよぉ?」
重「そ、そうだよぉ。跳躍飛翔台ってさぁ。カンフーの技の名前じゃあるまいし……」
知哉「言われてみりゃ、み、見間違いだったかもなぁ」
椎名「もしかしたら、わ、渡君の考察も……」
渡「え、えぇ、俺の考え過ぎだったかもしれないですねぇ」
渡がぎこちなく笑い始めると、他の四人も自然と笑い始めた。逃げ場の無いイカダの上で、認めきれない現実を笑い飛ばそうとした。まぁ、無理である。
重「ンガァ!」
重は叫び声と共に鼻をつまんだ。止んだと思っていた酸っぱい臭いが、濃度を上げて登場した。
知哉「冷たっ!」
ベニヤ板の壁の上から突如放水が開始された。更に冷たくなった水が五人を襲う。
渡「バカバカバカ!」
渡は地図を丸めてサバイバルウェアの中に無理やり押し込んだ。
修「し、椎名さん! 大丈夫ですか!?」
椎名「なんとか大丈‥」
椎名の言葉を遮るかのように、イカダにゴツっと鈍い衝撃が走った。突如始まった臭いと放水に耐えながら、五人がイカダの前方へと目をやると、何故か遠くの景色だけが視界に映った。
澄んだ夏の空、青く霞んだ山々、麓の町、汚苦多魔村と、五人の前の景色は上から下へと勝手に流れていく。そして最後に現れた景色を見て渡が叫んだ。
渡「捕まれぇ!」
五人の前に現れたのは想像を絶する急斜面だった。人工的に舗装をされている斜面には川の水が大量に流れ込んでいて、両脇には引き続き壁が設置されていた。さしずめイカダ用の大型ウォータースライダーといったところだった。
重「いやあぁぁ!」
重の叫び声が汚苦多魔に響き渡ると、イカダは猛スピードでウォータースライダーを滑り落ちていった。
激しく揺れながらスピードに乗っていくイカダに、五人は必死になってしがみつく。一瞬浮き上がっては斜面に着地するイカダは、竹特有のしなりをみせながら更に速度を上げていく。
五人は心底縮み上がっていた。だが水しぶきを浴びながら、しっかりと前を見ていた。数日で作り上げたイカダに命を預けることになっても、しっかりと前を見ていた。不安や恐怖を感じていても、それに飲み込まれることなく、しっかりと前を見ていた。
修「気合だ気合…… 気合だバカ野郎!」
知哉「あったりぃまえだ、気合だ気合!」
椎名「気合だ! 根性だ!」
震える手のまま、五人は叫び始めた。
渡「決めてるぞコノ野郎!」
重「正義も我らも忍ばず!」
その震えはいつしか武者震いへと変わり、先に見える跳躍飛翔台を今や遅しと見つめた。
渡「来た来た来た……」
知哉「行くぞ!」
五人とイカダは、勢いそのままに跳躍飛翔台に突っ込んでいく。だが、台に突入する数メートル手前になって、あるものが見えた。それはゴールのゲートと大勢の人々だった。
川を挟んだ向かいの岸に温水プールがあり、そのプールの真ん中にゲートが設置されていた。そう、台を使ってイカダごとジャンプをして川を空中横断、そのままプールに着水してゲートを通過しろ、ということなのだ。
修「アハハハッ! ……無理かも」
イカダは最高速度を維持したまま台に突入し、文字通り跳躍飛翔した。
豊かな川のせせらぎ、蝉たちの愛の調べ、イカダで空を飛んでいる男五人の叫び声、待っていた村人や観光客の歓声。それが今年の汚苦多魔村の夏だった。だが、五人に言わせれば、んなこと知ったこっちゃない。
渡「アバッ!」
知哉「ニーグリップゥ!」
椎名「ンボイッ!」
修「ソチャー!」
重「おふくろさーん!」
独特な叫び声を上げながら、五人はイカダと共に空を飛んでいく。ライト兄弟も驚きの安定感あるフライトは五秒にも満たなかった。が、五人にとってはあまりに長い滞空時間だった。
そして、イカダは温水プールに着陸、いや着水をした。激しい音と飛沫を上げ、二度三度と水面を跳ねるイカダ。五人は振り落とされないよう歯を食いしばる。
渡「ダンスィン!」
知哉「ハングオンッ!」
椎名「ンボイッ!」
修「ゲムマイッ!」
重「マムッ!」
ようやく落ち着いたイカダは、真っ直ぐゲートを通過していき、プールサイドのふちに当って静かに止まった。
藍「何でも屋の皆さん、今、ゴールです!」
藍の声に一段と盛り上がる村人と観光客たち。何でも屋の五人はしばし放心状態だったが、その歓声と拍手の音に、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
椎名「み、みんな大丈夫? ケガはない?」
知哉「俺らは大丈夫です…… 椎名さんは大丈夫ですか?」
椎名「……うん、僕も大丈夫」
熊「皆さん、ご無事のようですね!」
いつの間にか現れた熊は、満面の笑みを浮かべてプールサイドで立っていた。
熊「村の皆さん、観光客の皆さん! 改めてご紹介します! 六日間の地獄の合宿に耐え、水上厄払いを達成しました何でも屋の皆さんです!」
未だ続く拍手に、五人は立ち上がって応えた。
渡「ど、どうもありがとうございます」
椎名「どうもどうも……」
イカダからプールサイドに降りた五人が、手を振り返したりしていると、一人の女性と一人の少女が近づいてきた。少女は小学一年生くらいで、女性の手には、子供たちのお手製であろう金メダルがあった。
熊「合宿と厄払いの完遂を称え、億乃玉村小学校の生徒さんから記念メダルが授与されます!」
授与と聞いた五人は、少女に合わせて膝を着いた。
少女「お、おめでとうございまぁす!」
緊張と照れとが混ざった子供らしい笑顔を見せた少女は、女性から金メダルを受け取ると、順番に五人の首にかけていった。
知哉「どうも、ありがとう!」
熊は五人全員に金メダルが行き届いた事を確認すると、その場の全員にきこえるよう声を張った。
熊「はい! それでは急いで撤収!」
その声を聞いた途端、何でも屋の五人と熊、そして藍以外の全員は瞬く間に温水プールから去っていった。
熊「はーい! 皆様お疲れ様でした! 川下りの様子は出発時からずっと見守らせて頂きました! その証拠に私がずっとビデオカメラをまわしていたので、後日、編集したものをお送りします!」
熊の口調は明らかに焦っていた。
修「あの、どうかしたんですか?」
熊「いや実は、台風とは別に雨の予報が出ていましてね。ほら、あれです」
熊が指す西の空には、どんよりと重い雲が迫っていた。
熊「雨が降ってしまうと、帰り道となる道が封鎖されてしま‥ とにかく説明は後です! さぁ行きましょう!」
走り出す熊と藍の後を、何でも屋五人はヨレヨレとついていく。
椎名「気が抜けたからか、どっと疲れが出てきたね……」
重「体が重たいですよね……」
一同は骨休めの中庭を抜け、本館の中に入り、ロビー前へと移動した。
米田「皆さん! ご無事で何よりです!」
米田が受付横のウェルカムドリンクのカウンターで五人を迎えた。数日ぶりに見る米田の笑顔に、五人はなんだかホッとした。
修「米田さん! いやぁ、もう、大変でしたよぉ!」
渡「もう、最後なんて死ぬかと思いましたよぉ!」
米田「見事な跳躍でした!」
渡「あっ、米田さんも見てたんですか!?」
米田「はい、もちろん! それはそうと、皆様のお荷物は私が責任を持って、皆様のワゴンに積んでおきました。後は出発するだけですが、どうぞ、お好きなものを飲んでいってください。それと救命胴衣とヘルメットは私どもで預かりますので……」
五人は装備を外すと、礼の言葉を言いながら遠慮なく飲み始めた。
米田「それとコチラをどうぞ!」
米田は紺色の布で包まれた五つの箱を、カウンターに丁寧に並べた。
知哉「これは?」
米田「すぐに出発ということを熊さんから聞きましたので、お土産を用意いたしました。もちろん気持ちですので、お代は結構です」
五人には微笑む米田が神様に見えてきた。
修「ありがとうございます! 遠慮なくいただきます!」
椎名「何から何まで、本当にお世話になりました!」
五人が感謝の言葉を伝えていると、車を旅館前に移動させてきた熊がやってきた。
熊「皆さん車の準備ができました! 先に行って待ってますから!」
熊はそれだけ言って、外へ出ていった。
米田「では皆さん道中お気をつけてください!」
渡「あれ、米田さんが運転を…」
米田「帰りは熊さんが運転をします」
渡「あっ……」
渡は修の顔を見た。修は「しまった、忘れてた」という表情をしていた。それは言葉よりも明確にわかるほどの表情だった。
米田「皆様、またのお越しをお待ちしております!」
深々と頭を下げる米田に別れを告げると、何でも屋五人は熊と一緒に外へと出た。
藍「皆さん!」
ワゴンの前では藍がドアを開けて待っていた。
藍「短い間でしたが、皆さんと過ごした時間は一生忘れることはありません! ささやかですが、これは私から皆さんへの贈り物です!」
藍はそう言って一人ずつに手渡していった。
渡「これって……」
藍「はい! 竹とんぼです! 私の手作りなんです!」
とても丁寧に作られていた竹とんぼ。どれはどこまでも空を舞っていきそうな竹とんぼだった。
藍「それを飛ばした先にある空を見て、私のことや汚苦多魔村の事を思い出してください!」
修「そりゃもう、絶対に思い出しますよ! なぁ?」
渡「うん。必ずね!」
重と知哉も頷く中、椎名はどこからともなく紙で折ったバラの花を出現させた。そして藍に手渡すと、声を作った。
椎名「このバラの花を見て、ピエロと愉快な仲間たちの事を思い出してくださいね!」
愉快な仲間たちとして片付けられた他の四人は冷たい目でピエロを見つめた。
重「……おいピエロ、歩いて帰れよ?」
椎名「いや、ちょっと待って重君!」
修「藍さん、それじゃお元気で!」
知哉「いつかまた来ます!」
渡「お仕事頑張ってくださいね!」
重「さようなら藍さん! さようならピエロ、歩いて帰れ!」
修は助手席に、残りの三人は後部座席に乗り込みドアを閉めた。
椎名「ちょっとみんな! あの藍さん、えっと、さようなら! また来ます!」
椎名は笑顔で別れを告げると、必死の形相で愉快な仲間たちに懇願した。
椎名「歩いては無理だよ! ドア開けてよ!」
重「まったく、しょうがないですねぇ」
ピエロは車に乗ると、嬉しそうな表情で重の隣りに座った。
椎名「もうもう! 冗談キツイんだからぁ!」
修「シゲ、頃合い見てドアから……」
重「うん、分かってる分かってる……」
椎名「何を!? 何を分かってて、何をどうするの!?」
渡「いいから、藍さんに手を振りなさいよバカ三人!」
そんな様子を見て、藍は笑いながら外で手を振っていてくれた。
藍「さようなら!」
五人『さようなら!』
車はゆっくりと動き出し、濃すぎる日々を過ごした汚苦多魔村から五人は遠ざかっていく。情緒のある町並み、青々とみなぎる遠くの山々、何より爽やかな藍の笑顔が汚苦多魔村での今年の夏だった。だが、まだ終わりではない。
熊「さぁ、おうちに帰るまでが合宿ですよぉ!」
知哉「せっかくの感動の別れが……」
熊「えっ? 何か?」
知哉「なんでもないです……」
修「それで、帰りの道は……」
熊「はい。皆さんが初日に通ってきた道がありますよね?」
五人の脳裏に、恐怖のダートコースが蘇る。
熊「あの道は上り専用でして、今回は下り専用の道を行きます!」
修「えぇっ!? 舗装された‥」
熊「初めはそうだったんですが、かなり遠回りになって、雨が降り出してしまったらそちらの道も封鎖されてしまうんですよ!」
熊は無駄に元気だった。
熊「ですから麓にすぐ行ける下り専用の道を行くわけです! もうこの道を行けば、あれですよ、待ち合わせ場所にしていた道の駅まではあっという間ですよ!」
五人の記憶の奥の方に、初日に磯辺もちを食べた道の駅の面影があった。
熊「さぁ、それでは……」
熊は車を一時停止させた。
熊「ここからが下り専用の道です! 今一度シートベルトを確認してください!」
五人はデジャブを通り越して、タイムスリップをした気持ちになっていた。
熊「皆さん、よろしいですか!」
五人『は、はーい』
熊「元気がないですよ?! 皆さん、準備はよろしいですか!」
五人『はーいっ!』
熊「それではレッツゴー!」
名前通り荒々しい熊の運転が始まった。
上りよりもスピードが出やすい下りの道で、熊は臆することなくカーブを攻めていく。躊躇のないハンドリング、コーナリングはしっかりとラインが見えている証拠だが、五人は気が気じゃない。
修「はーんっ!」
知哉「こえぇよぉ!」
大人六人を乗せたワゴンで何故こんなドライビングが出来るのかと、思う暇なく上下左右に揺れる車。五人は心底思っていた。なぜヘルメットを返してしまったのかと。
熊「……さん! ……皆さん! 皆さん着きましたよ!」
激しさのあまり気を失ったのか、疲れすぎて眠ってしまったのかは定かではないが、五人がふと我に返ると、奥多摩の道の駅に到着していた。
椎名「……着いた?」
渡「あれ、いつの間に……」
熊「皆さんがグッスリお休みしている間に到着したんですよ!」
未だ無駄に元気な熊の声に、五人の目は否応なしに覚めた。
熊「それでは、私は村に戻ります!」
修「あれ、もうですか?」
熊「えぇ、いろいろ仕事がありますので!」
修「そうですか……」
熊が車を降りるのと同時に、五人も車を降りた。
熊「初めて地獄コースをクリアされた皆さんは、汚苦多魔村合宿所で永遠と語り継がれることでしょう! 皆さん、本当にご苦労様でした!」
熊の男らしい敬礼に、五人は慌てて敬礼を返した。
熊「それでは皆さん、さようなら!」
渡「さようならって、熊さんどうやって帰るんですか?」
熊「あれですよ、あれ!」
熊の指差す方向にはオフロードバイクがあった。
熊「前もって持ってきておいたんですよ!」
熊はハンドルに掛けていたヘルメットを被ると、意気揚々にエンジンをスタートさせた。
知哉「あの道を単車で!?」
熊「えぇ! 中南米を走破した時のことを思い出しますよ! それではアディオス!」
熊は少量の白煙を上げて去っていった。何だか台風のような人だなと、五人はしみじみ思った。
重「…………で、どうする?」
渡「どうするって、何時なの今?」
知哉「昼すぎて二時くれぇじゃねぇの?」
修「だろうな……」
修はサバイバルウェアをまくって腕時計を確認した。
修「あーっと、十一時十分…… 十一時!?」
自分で言って驚く修。
知哉「はっ!? あんだけのことがあってまだ午前中なのかよ!?」
椎名「ホント、時間ってのはよく分からないもんだねぇ……」
渡「それじゃ、ここで昼を食べていく? 久しぶりのまともな昼食を」
修「そうだな」
重「椎名さん!」
椎名「うん、磯辺もちだね!」
修「また食うのかよ!」
それから早めの昼食を済ませた五人は、八高市は若松にある何でも屋の事務所へと出発した。道中は合宿の思い出で話が尽きることなく、比較的に道も空いていた為に、あっさりと到着してしまった。というより、てんこ盛りの川下りを敢行した五人にとって普通の道は短く感じたのかもしれない。
渡「はーい、到着」
事務所の駐車スペースに車を停めた一同は、シャッターを開けて事務所の中へ入っていく。
修「いやぁお疲れ様でした」
重「お疲れ様でしたねぇ」
渡「お疲れさんだったねぇ」
知哉「ご苦労さんだったなぁ」
椎名「………………」
五人は大量の荷物を床に降ろすと、懐かしさも感じる事務所のソファーにふんぞり返った。ただ椎名だけは座らなかった。
知哉「ふぅ、帰ってきたなぁ」
渡「やっぱり、我が家、じゃなかった…… いや、我が家みたいなもんか」
重「そうだね。事務所は良いねぇ」
修「本当だな。にしても、台風のやつ、太平洋沖に消えちまったじゃねぇか」
渡「何だったろうねまったく」
知哉「傍迷惑なやつだよな」
椎名「……………」
四人が話す中、椎名は一言も話さず、ただ小さく頷いては事務所の中を見て回る。
修「あれ、どうしました椎名さん?」
椎名「いやぁ、なんか感慨深くて……」
椎名は笑いながらもどこか寂しげだった。
椎名「それじゃ、みんな! 僕はそろそろ帰るよ!」
渡「えっ!? もう帰っちゃうんですか!?」
椎名「うん」
椎名は自分の荷物を背負うと、ゆっくり事務所の外へ出た。四人は慌ててソファーから立ち上がり、椎名に続いて外へ出た。
重「本当にもう行っちゃうんですか?」
椎名「うん。あんまり長くここにいると、帰りづらくなっちゃうし……」
湿っぽくなりつつある雰囲気に、椎名は明るく努めた。
椎名「まぁ、イカダの上でも言ったけど、みんなと出会えて本当に良かったです。僕の人生、散々なことだらけだったけど、みんなと出会って、みんなと働き始めてからは、毎日が楽しかったです」
改まって始まった椎名の別れの言葉に、四人は泣くのを堪えている。というか、修はもう泣いている。
椎名「岩塩とニンニクで始まって、FYEだアイドルだ、デートコースだ王子様探しだと、可笑しな依頼もたくさんあって…… 最後の最後で命懸けのイカダ川下りをするとは思いもしなかったです」
笑う椎名の目にも、少しずつ涙が溜まっていく。
椎名「みんなおかげで、青春を取り戻せたし、みんなのおかげで、愛する人とも出会えたし、みんなのおかげで、みんなという親友ができたし、みんなのおかげで、大道芸も続けられて上達して、遂には一人立ちしゅることができぃてぇ……」
涙をこぼしながらも続ける椎名に、知哉が言った。
知哉「俺たちの方こそ、椎名さんがいてくれなきゃ…… こ、こごまで、ぎゃんばって……」
渡「ここまで頑張ってこれなかったです! 椎名さんのような頼れる人生の先輩、全てを預けられるような親友がいたからこそ、頑張ることができました!」
重「ピエロのメイクの落とし忘れのせいで、何度も驚かされ、その度に寿命が縮まりましたが、椎名さん…… 椎名さんとのオバカで楽しい日々は、一生の宝物です!」
修「し、しい……」
涙に手を焼く修は、諦めて手を差し出した。
椎名「修君……」
椎名が修の手をグッと握りしめると、修は椎名を引き寄せ、男らしく一度抱きしめた。そして言った。
修「椎名さん自信の努力があってこそです! 椎名さんが直向きに頑張ってきたからこそ、こんな感動できる今があるんです! ただ俺たちは親友です! 何かあったら、いや何もなくても俺たちを頼ってください! 俺たちも無意味に頼りにいきますから!」
修の贈る言葉に一同は笑いながら涙を拭い去った。
椎名「それじゃ、みんな……」
椎名は荷物を抱え直して、照れるように笑った。
椎名「またね!」
爽やかな声を出した椎名は、四人に背中を向け、力強く歩き始めた。少しずつ遠く小さくなっていく椎名の背中だったが、四人の目には大きな背中に見えていた。
重「椎名さん! 遊びに来てくださいよ!」
椎名「うん、必ず!」
一度振り向いた椎名は笑顔で応えると、再び歩き始めた。
渡「……行っちゃったね」
知哉「あぁ、行っちゃったな」
修「ピエロのメイクを落とさないままな」
重「……忘れてたよメイク」
修「もうピエロ姿が俺らの日常に入り込んでたからなぁ」
渡「頼りがいあるけど、困った親友だよね」
知哉「まっ、椎名さんも俺らも再出発だな」
知哉はおもむろに藍からもらった竹とんぼを取り出した。他の三人は優しい顔でそれを見ていた。
知哉「ったく、思い出が染み込みすぎた竹とんぼになっちまったな。……それ」
知哉が手を軽く擦り合わせると、竹とんぼは予想に反して暴れ、修目掛けて飛んでいった。
修「あぶっ! 危ねぇなコノ野郎!」
知哉「あ、あれ、おかしいなぁ」
修「おかしいのはお前だ! こうやるんだバカ!」
拾い上げた竹とんぼを手に、修が手を擦り合わせた。竹とんぼは渡目掛けて飛んでいった。
渡「おいコラ! 何をやってんだよ!」
修「あ、ゴメン……」
重「ったく、こうだよ、こう!」
自分の竹とんぼを取り出した重は手を擦り合わせた。竹とんぼは知哉の腹部に直撃した。
知哉「いてぇなコノ野郎!」
重「こっちのセリフだ!」
知哉「なんだってんだ!」
美しい汚苦多魔村でのひと時、大自然の中でのサバイバル、恐怖と笑いに満ちた川下り、親友とのしばしの別れと再出発、そしてよく飛ばない竹とんぼが、五人の今年の夏だった。
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