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第七章:夏と合宿とワサビと雨と

進水式はピエロと共に

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知哉「大人四人で椎茸一本にカボス二個?」

 その椎茸とカボスを確認するために、知哉はシェルターから降りていった。

知哉「あらぁ…… ずいぶん淋しいサイズだな、こりゃ」

 知哉は淋しい朝食を手に、シェルターへと戻っていく。

知哉「見てみろよ教授さん」

渡「切なくなる大きさだねぇ」

修「あれだな、それで朝を済ませたら、すぐに食材カードを探しに行かないとダメだな」

渡「そうだね。水汲みの前にカードを探そうか。汲み終えた後だと水筒が重いしね」

知哉「じゃ、椎茸のためにちょろっと火を点けるか」

 ささやかな焼き椎茸を四つに裂いたもの、二つのカボスを四つに分けたもの、つまりは淋しさの盛り合わせという朝食。そんな朝食に元気をなくしていた寝起きの四人だったが、カボスの酸味は効くに効いた。
気付け薬のような酸味のおかげで目が覚めた四人は、あっという間の朝食の後、食材カードと水汲みのために森へと入っていった。

重「うーん、まさかカボス半分でこんなに元気が出るとは思わなかった」

 先頭を行く重が陽気に声を出した。

修「酸味で目が覚めただけなんだから、調子こいて歩いてっと後で疲れるぞ?」

知哉「そうだぞ大先生。見ろ、きのう空元気を出してた教授さんが疲れてんだ」

渡「別に疲れてないよ」

 渡は笑顔で答えた。

渡「ただこの笑顔に体がついてきてないだけだよ」

知哉「それを疲れてるって言うんだろ!」

渡「あのね、疲れてるって言ったって、おたくら三人より役に立つからね?」

修「知哉は別として、俺と大先生より、どう役に立つんだよ?」

知哉「…………はい?」

渡「どうって……」

 渡は立ち止まると同時に、ある方向を指さした。

渡「食材カードを見つけることで役に立つんだよ」

3人『えっ?』

 3人は立ち止まり、渡の指さす方向を見た。しかし、食材カードらしきものは見当たらなかった。

修「どこだよ?」

渡「あそこにあるでしょ、木の根元のところ。何でわからないかな……」

 渡はその木まで歩いていくと、言葉通りの場所からかードを拾いあげた。

渡「ほら、これだよ」

重「本当だ」

修「全然わからなかった」

知哉「よく見つけたな……」

渡「なんかこう、自然と視界の中に飛び込んできたというか、何か違和感があって……」

 渡は話をしながら、遠くの方を気にしていた。

渡「……やっぱり。ちょっと皆、あそこにもあるよ」

 渡がまた指をさしたので、三人はまたまた指さされた方向を見てみたが、カードらしきものは見つけられなかった。というより、渡の言う『あそこ』が『どこ』なのか見当もついていなかった。

重「うーん? どこ?」

知哉「まったく、これっぽっちも分かんねぇんだけど?」

渡「いやだから、何で分からないかな!」

 渡は持っていた食材カードをポケットにしまうと、今度はズカズカと、不機嫌な子供のように歩き始めた。

修「よう教授さん、転ぶなよ?」

渡「大丈夫だよ!」

 渡は変な歩き方のままで進んでいくと、ある朽木の近くで止まった。

渡「ほら、ここにあるでしょ!」

 渡はそう言って、再びカードをひょいと拾いあげた。

修「うおっ、ホントだよ」

渡「それにね! ここに立ってみて分かったけど、木の幹の裏にもあったよ!」

 渡は木の幹からもカードを手に入れると、三人の方へ戻っていった。

渡「もう三枚も見つけちゃったよ」

 渡はそう言ってカードをバックパックに閉まった。

渡「それじゃ大先生、また先頭を頼むよ」

重「う、うん」

 食材カードを手に入れた一同は、再び水汲み場へと歩き出した。

修「シゲといい教授さんといい、この森は何かあんのかな?」

 歩き始めてすぐに修がポロッとこぼした。

知哉「何がだよ?」

修「だってよ、シゲは『水の匂いがする』って言って、教授さんは『カードが視界に飛び込んでくる』って言ってよ? なんか二人とも覚醒してるだろ」

知哉「覚醒なぁ。そうかもな。嗅覚と視覚が覚醒したのかもな」

修「でも俺ら二人は特に変わってないよな?」

知哉「全く変わってねぇな」

渡「少しはバカが治ってるんじゃないの?」

 涼しい顔で渡は言った。

重「さすがにこの森でもバカは治せないでしょ」

渡「それもそうだね」

 覚醒した二人は笑い出した。まるで貴族のようにお上品に。

知哉「……どうも覚醒には副作用があるみたいだな」

修「あぁ、嫌味野郎になる副作用がな」

 その後、四人は水汲みを済ませるとキャンプ地へ急いだ。さすがの四人も脱出用イカダの製作のために時間を節約しているようだった。
 早々キャンプ地に帰還した四人は、水分補給をしながら話をしていた。

渡「さて、カードも箱に入れたことだし、イカダのパーツを運ぼうか」

修「林までだっけ?」

渡「と思ってたんだけど、天気も回復したし、川原まで運んじゃおう。組み立て終えたら、すぐに川で調整できるしね」

修「じゃあ行くか」

知哉「だな」

 特にボケることもなく、四人はイカダの材料を運び終えた。そしてそのまま二手に分かれ、修と知哉は追加の竹を取りに竹林へ、重と渡はイカダの組み立てに取り掛かった。

重「そしておばあさんは川へ洗濯に向かいました」

渡「……なに?」

重「いや、別に、なんでもない……」

渡「まぁいいや。それでさ大先生。俺が言うのもなんだけど……」

重「なに?」

渡「イカダ浮かぶかなぁ……」

 さきほど貴族のように笑っていた渡は一転、圧政に苦しむ市民のような声を出した。

重「大丈夫じゃないの? こんなに太い竹なんだし」

 パーツの一部にロープを通しながら重は答える。

重「まぁ組み立ててみないと分からないでしょ」

渡「そうだよね。やってみないとね」

重「んで、話は変わるんだけどぉ」

渡「今度はなに?」

重「川を下って脱出するんだよね? だけどはじめにもらった地図だと、川の全体が確認できないんだよ。そもそも、どこまで下れば脱出になるかもわからないし」

渡「前日に専用の地図をくれると思うよ? たださ、イカダの浮力とか地図とかも大事だけど、イカダのコントロールも重要だと思うんだよね」

重「あぁ、コントロールね。ちゃんと動かさないと危ないもんね」

 二人はイカダの話をしながらイカダの組み立てを進めていった。が、あの淋しい朝食で腹を空かせていた二人の話題は、自然と食材カードの話になっていった。

重「117番と333番と?」

渡「えーっと、4410番かな」

 渡が先ほど見つけたカードの番号は、どれも三ケタ以上だった。

重「語呂合わせも語呂合わせだなぁ。4410はシシトウでしょ」

渡「あぁ、そうかもねぇ! じゃあ333は?」

重「ササミでしょ」

渡「あ、なるほどね。最後の117は?」

知哉「117って言ったら消防だろ」

 いつの間にか、竹を持ってきた知哉と修が川原にやってきていた。

知哉「食材にはしご車か?」

修「じゃあ俺はしごの部分!」

知哉「おいズルイぞ!」

重「アチキはホースの部分を」

知哉「ウマいとこばっか取りやがって」

渡「117は時報だよバカ!」

知哉「……あ、そうだ時報だ」

修「これだからバカは嫌なんですよ」

 修は持っていた数本の竹を置くと、その上に座った。

知哉「俺はしごの部分とか言ってた奴に言われたかねぇよ」

 知哉も竹を置きその上に座った。

修「うるせぇなぁ。つーか教授さん、他の二枚は?」

渡「4410番と333番で、シシトウとササミじゃないかって大先生が」

修「それはシシトウとササミだな。あぁ、それで117番は何なのかって話か」

重「そうそう」

修「そりゃ決まってんだろ」

重「えっ、なに?」

修「岩魚だよ。117、117、いワンなな、いわなってとこだろ?」

知哉「ちょっと無理があるけどよ、本当に岩魚だったらいいなぁ。魚が食いたかったんだよ」

重「やっぱり焚き火を囲んだら焼き魚だよね」

知哉「だよな」

 知哉は立ち上がると、重が組み立てている部分のロープの具合を触って確かめた。

知哉「にしても組み立ての進み具合が少し遅いんじゃないか?」

渡「少し並べ方を変えてたからね」

修「きのう言ってたところか?」

 修も立ち上がり、渡に近づいた。

渡「うん、太さが違いすぎてガタついちゃうんだよ」

重「それに組み立てが遅い理由がまだあってね……」

 重はそう言うと、イカダのパーツ脇からあるものを取り出した。

重「はーい、これを作ってました」

知哉「おぉっ! オールじゃん!」

 重からオールを受け取った知哉は、様々な角度からオールを見ては触った。

知哉「良く出来てんなぁ! 熊手みたいにしてから竹と葉っぱを編んだのか!」

重「オレのアイデアだかんね」

知哉「ほら、見てみろよ修」

 オールを受け取った修も興味深々だった。

修「本当にすごいな。これならうまく水を捉えられるかもな」

重「オイラのアイデアだかんね」

渡「一応、予備も入れて三本作っておいたから」

重「アタイのアイ‥」

修「わかったよ、うるせぇ!」

 修はオールを手荒く重に手渡した。

知哉「でもこれで、オールと制御用の棒と、イカダの真ん中に立てる支柱もそろったな」

修「イカダの前につける緩衝材も竹の枝先があるから、あとは組み立てと舵を作ればいいだけだな。ま、組み立ては午後には終わるだろ」

 修の話を静かに聞いていた重だったが、ある言葉が引っかかった。

重「午後って、今から作業続けないの?」

修「だってもう昼だぞ?」

重「えっ!? 昼!?」

 重は驚いていたが、南の空高くには太陽が輝いていた。さらに、昼食の食材が届けられたと、熊の吹く笛の音も聞こえてきた。

重「は、早かったなぁ午前中が終わるの」

修「集中して作業してたからだろ」

重「それにしたって……」

渡「まぁいいじゃない。早くキャンプ地に戻ってお昼にしようよ」

知哉「おう、腹減ってしょうがねぇよ」

 作業を中断し、キャンプ地へ戻った四人。渡が箱へ食材を取りにいき、残りの三人は手際よく火を起こして昼食の準備を進めた。

知哉「大先生と修の予想通りなら相当シブイ昼飯になるな。焼きシシトウに焼きササミに焼き岩魚って」

修「焼き岩魚って言うか?」

知哉「いいだろ別に」

重「うーん、その三品だと日本酒あたりが合いそうだねぇ」

修「乙だよな」

知哉「乙も乙」

重「乙なもんでごぜぇますな」

 三人が乙乙と言っていると、渡が戻ってきた。渡は発泡スチロールの箱を両手で抱え、その箱の上に二つの袋をのせていた。

重「あ、どうだった?」

渡「うん、シシトウもササミも正解だよ。ちょっと修、袋取って」

修「あいよ」

 修は袋を取るなり中を覗き込んだ。中にはビニール袋に入った新鮮なシシトウと、タッパーに入れられたササミが入っていた。

修「おぉ、また大きいササミだな。んで、117は何だった? というか、その発泡スチロールは魚だよな」

渡「うん、117は岩魚で大正解」

 渡は箱を地面に置いてフタを外した。そして中から立派な岩魚を一尾取り出してみせた。

重「うわっ! どんだけ良い岩魚なのよ!」

知哉「しかも下処理がしてあるよ。さすが熊さんと藍さんだな」

修「キツイんだか楽なんだか、よく分からない合宿だよな」

渡「で、一緒にあったメモに書いてあったんだけど、下処理は一匹だけで、それを見本にさばいてくださいって。あと、鮮度は良いけど早めに調理してくださいって」

知哉「オッケー!」

 知哉は渡から箱をもらうと、そのまま修に預けた。

知哉「早めにだってよ」

修「なんで俺だよ! お前らもさばけるだろ! 海釣りの時い‥」

知哉「バカ! さばくのがうまい俺たち二人で岩魚をやって、教授さんと大先生にはシシトウとササミをやってもらえばいいだろ!」

修「……心臓に悪いんで、まともな事を言うのやめてもらえます?」

知哉「なんだってんだ!」

 竹で作った串。渡と重はそれを使ってシシトウと切ったササミを交互に刺していき、焼き鳥のようなものを作った。また、修と知哉は手際よく岩魚の処理を終えると、串に刺し、さらに地面に刺して、遠火で岩魚を焼き始めた。

渡「うーん、岩魚はもう少しかかるね」

知哉「もうちょいだな」

重「でも焼き鳥もどきは焼けましたよ!」

 重は焼きたての焼き鳥もどきを三人に配った。

修「美味そうだな」

 ただ焼いただけのシシトウとササミだったが、香ばしく焼けあがった姿は、椎茸の欠片と比べたら月とスッポンだった。

渡「あ、美味しいよ」

知哉「おう、どこまでも素朴だけどウマいな」

修「シシトウがアクセントになってて良い感じだな。それで? 大先生は何をコソコソやってんだ?」

重「ん? いや、ちょっとスープを作ってみたんだよ」

修「スープ? なんのスープだよ?」

重「ササミとシシトウのスープ」

 重はそう言って、水筒のカップを三人に見せた。

渡「スープねぇ……」

知哉「スープっていうより、茹で物?」

修「茹で物ってなんだよ? それより、この細かく刻まれて浮いてる緑の奴、シソか?」

重「大葉ね」

修「……いつ手に入れたんだよ、このお・お・ば!」

重「いつって、昨日だよ。採ってバックパックに閉まったのを忘れててさぁ」

 重はのん気に笑って答えた。

重「それでね全員分作ったから、よかったら飲んでみてよ」

渡「いつ取ったのか知らないけど、勝手に水筒のカップ使われてるよ」

知哉「良かったらって、問答無用じゃねぇかよ」

修「まっ、飲んでみようぜ」

 三人は問答無用スープの入ったカップを受け取ると、『いただきます』と言ってスープを口にした。

知哉「うわぁ…… 優しい味……」

渡「気を付けないと見失う味だね」

修「もう、遠くの方で味が手を振ってる……」

知哉「本人は大声のつもりなんだろうけどな」

渡「距離があるからよく聞こえないんだよね」

重「なんの話をしてんの?」

 ようやくまともな食事をすることができた四人は、少しの昼休憩の後、再び二手に分かれて作業をすることになった。この先、かなりの力仕事が要求されるイカダの組み立ては修と知哉が担当し、なにやら覚醒している重と渡が食材カード、また薪などの材料探しを担当することになった。
 川原へ到着した修と知哉は、腹ごなしになると早速イカダの組み立て作業を開始した。

修「さて、気合入れてやっちまうか」

知哉「これさ、舵を取り付けるのは水に浮かべてからの方がいいよな」

修「そのほうがいいだろうな。んで、さっき教授さんに頼まれたんだけど、浅瀬の近くで組み立ててくれって」

知哉「あぁ、出来上がっちまったら運ぶの大変だもんな」

 二人は川原のおぼつかない足元に苦労しながらも、次々とパーツを運んで行った。

知哉「なぁ修?」

 黙々とパーツ運びをしているなか、知哉が少しだけ真面目な声を出した。それを感じ取った修は、知哉の顔を見る。

修「どうした?」

知哉「教授さんと大先生が覚醒したろ?」

修「あぁ、したな。なんでかは知らねぇけど」

知哉「俺たちも実は覚醒してるってことはねぇかな?」

修「……はぁ?」

知哉「いやさ、俺ちょっと心当たりあんだよ」

 ちょうどパーツを運び終えた二人。修は腕組みをして知哉を見つめた。

修「期待はしてねぇけど言ってみな?」

知哉「ほれ、昨日さ、ムキになって竹を運んだろ? 競争みたいになってさ」

 知哉は近くの岩に腰を掛けた。

修「おう、なったな」

知哉「よく考えてみろよ。山の中、あの距離をそれなりの重さの竹を数本担いで、しかも数回にわたって走って往復してるんだぞ? しかもそのあとに水汲みまで済ませてんだ。あの短時間であの作業量は普通だったらこなせっこない」

修「言われてみりゃそうだな」

知哉「んでもって、何がすごいって、ちょっと休憩しただけで体力は回復したし、今日に疲れが残っても無いし、筋肉痛にもなってない」

修「つまり、気づかないうちに肉体的に覚醒したってことか?」

知哉「そうだよ。だからちょっと試してみようぜ」

修「イカダの組み立てを一気にやってみて検証するのか?」

知哉「おっ、察しがいいな」

修「別に構わねぇけど、もし俺たちの予想が外れてたら、ただ疲れるだけだぞ?」

知哉「でもやるだろ?」

修「やるやる」

 川原の二人が検証の準備をしているころ、渡と重は水を汲み終えたところだった。

渡「なんだかんだ言って、もう二枚も見つけちゃったね」

重「見つけちゃったねぇ」

 渡と重は出発してすぐに、カードを一枚ずつ見つけていたのだった。

重「ただ、あと二枚くらいは見つけたいね。この二枚が何だか分からないし」

渡「カボスにスダチだったら、大変だもんね」

重「ただ、どこに探しに行こうか?」

渡「うーん……」

 二人が相談をしていると、気合の入った声が遠くの方から聞こえてきた。

重「……修と知ちゃんかい?」

渡「だね。なんか『オリャー!』だ『ファイト!』だ言ってるけど」

 渡の言う通り、『オリャー!』だ『ファイト!』と声を出しながら、修と知哉は全力を出す組み立て作業を開始ししていたのだった。
 川原の隅、気合たっぷりで作業を続ける修と知哉。途中、何度かバカバカしくなり、笑ってしまいそうになっていたが、予想が正しいことを信じ、手を休めることはしなかった。しかし、作業が終わってしまえば手は止まる。

修「はぁ…… はぁ……」

知哉「フゥ…… フゥ……」

修「は、はぁーい、予想はハズレでーす……」

知哉「ど、どうも、お疲れさまでした」

 二人は地べたに座り込み、疲れ切った目で組み立てたイカダを見つめた。

知哉「予想が外れて、かなり疲れたけどよ、組み立てが終わったのは良かったんじゃないか?」

修「まぁな。これで後は、支柱と舵だけだな……」

知哉「丸太はどうする? さすがに無理だろ丸太は」

修「無理だな。だから、竹林のとこにバカに太い竹があったろ? あれを四本まとめて縛って丸太の代わりにして、イカダの下の両端につければいいだろ」

知哉「ホント、竹様様だよな」

修「サバイバルはナイフと竹があればなんとかなるかもな。ま、竹はサバイバルの友ってことだ」

 他愛のない話で笑ってた二人だったが、思い出したように知哉が声を上げた。

知哉「オイ! 修!」

修「なんだよ急に!」

知哉「なんだよじゃねぇよ! 火の準備だよ!」

修「火?」

知哉「明日だろ、道具の没収。だからその前に火起こしの道具と……」

修「はいはいはいはい……」

 そんなことで大声出すなと、修は呆れていた。

知哉「何がはいは……」

修「はいはいはいはい。実は重要なことを黙っておりました」

 苛立たしい修の口調に、知哉は聞き返すことをしなかった。

修「私、久石修は火打石がなくても火を起こすことが出来ます」

知哉「ウソを言うなよ」

修「本当だよ。去年の春ごろかなぁ、テレビでそういうの見てさ、触発されてやってみたんだよ」

知哉「暇だなお前も…… じゃなかった、火を起こせるなら早く方法を教えろよ」

修「はいはいバカ野郎、教えますともバカ野郎。暇人がね」

知哉「根に持つなよ!」

修「いいから、火起こしに必要な材料を集めに行くぞ?」

知哉「はいはい……」

修「はいは一回!」

知哉「お前に言われたかねぇよ!」

 二人は林の中へ入っていくと、火起こしに必要な材料を探して回った。が、知哉はどんなものを集めていいか分からないため、修の後をついていくだけだった。

修「はーい、川原へ戻ってきました」

知哉「……ろくに説明もしねぇで先に進みやがって」

修「今から説明してやるよ」

 修は足元の石などをどかして地面を整えると、火起こしの準備を始めた。

修「まずは、焚き付けのために小枝と枯草、んでもって綿みたいなよく分かんねぇ植物をこんもりと盛る」

知哉「………………」

修「んで、弓きり方式ってやつで火を起こすから、弾力のある生木とロープで弓っぽいのをちゃちゃっと作る」

 雑な説明をしながら、修は慣れた手つきで弓を作っていく。

修「ほいでもって、火きり棒のサイズに合わせて火きり板にナイフでくぼみを作って、V字に切れ込みを入れて…… 火種を受け止める薄い板を火きり板のくぼみの下に敷く」

知哉「な、なぁ……」

修「ここまで来たらこっちのもんだよ。弓のロープに火きり棒を巻き付けて、火きり板のくぼみにセットしたら、厚みのある木か石で火きり棒を上から押さえつけながら、弓を押したり引いたりして火きり棒を回転させんだよ」

知哉「いや、修さ……」

修「それじゃ知哉、頼むぞ」

知哉「あ、なんだよ、俺がやんのかよ!?」

修「俺は出来るもん」

知哉「……で、何をどうするって?」

修「おい、説明聞いてな‥」

知哉「あんな説明で理解できるわけねぇだろ! 雑だし用語が飛び交うしでよ!」

修「百聞は一見にってやつだな。俺が手本を見せてやるから」

 修がそう言ってからどれくらいの時間がたっただろうか。岩も川も木々たちも、沈みゆく太陽によって橙色に染められていき、山はどこか悲しい夏の夕暮れになっていた。
 午後からの材料探しを終え、キャンプ地で作業をしていた渡と重は、修と知哉の様子を見に行くために、川原へ向かっている途中だった。

渡「組み立てはもう終わったかな?」

重「どうだろうね、竹もあれだけの数があると、結構な重さだからね」

渡「仮に終わってなくても、脱出日までまだ時間あるし間に合うか」

重「明日になれば、椎名さんも戻ってく……」

 重は話すのを止めると、鼻をひくつかせた。

重「なんか、きな臭いというか、焦げ臭いというか」

渡「うん、そういう類いの臭いがするね。川原で焚き火してるのかな?」

重「川原で? なんでだろ?」

渡「さぁ……」

 林を抜け、川原に出てきた二人の目に焚き火の火が見えた。そして火の回りには、疲れ切った表情で座りこむ修と知哉の姿があった。

重「面倒くせー」

 気持ちのこもった重の言葉に、渡は思わず笑ってしまった。おそらく、渡も面倒くさいと思っていたに違いない。

重「ったく、うるさいバカ二人が静まり返って何をやってんだか」

渡「あっ、大先生、イカダが組みあがってる!」

重「すごい、本当だ! おーい、二人とも!」

 重が大きな声で呼びかけてみると、座り込んだ修と知哉はゆっくりと顔を上げた。

重「おーい!」

 重は手を振ってみたが、修と知哉はウンウンと頷くだけだった。

重「何がウンウンなんだよ!」

 訳の分からない二人に、重は足場の悪さなどもろともせずに歩き出し、渡は笑いながら後に続いた。

知哉「…………」

修「…………」

重「何をそんなに暗く沈みこんでんだよ!」

知哉「いやぁ、ちょっと腕がね……」

重「え、怪我でもしたの!?」

知哉「いやぁ、ちょっとパンパンでね……」

重「イカダの組み立てで? 疲れちゃったの?」

知哉「いやぁ……」

重「いやいやウルサイねぇ! 修、何があったの?」

 修は疲れた声で、火起こしの手前までのいきさつを説明した。

重「……なるほど。相も変わらずバカってことだね?」

修「えぇ、そうなります」

渡「それで焚き火をして休んでたんだ」

 渡はそう言うと、修の隣に座って焚き火の火を見つめた。

修「そうじゃなくてさぁ、火起こしで疲れちゃったんだよ」

渡「なんで火起こしで疲れんのよ? もらった火打ち石……」

修「違うんだよ。明日さ、道具を没収されちゃうだろ? だから自力で火を起こさなきゃいけなくなるから、道具作って自分たちで火を起こしたんだよ」

渡「あ、なに、それじゃこの火は、火打ち石を使ってないの!?」

重「あらー、それはすごいじゃない! あっ……」

 重は足元に転がっていたロープのついた棒を拾いあげた。

重「もしかして、これを使ったの?」

修「あぁ、それは一号だけど……」

 修と知哉の疲れ方から、二号三号が作られたのは容易に想像できた。

渡「大変だったんだね……」

修「あぁ。昨日の雨で木が少し湿気っててさ、木が焦げるまではいくんだけど、火種が出来なくてよぉ。力入れすぎて二号も三号も壊れちゃって……」

渡「その壊れちゃった二号三号はどこにあんの?」

修「……焚き火の中に置いてある」

渡「それは『燃やす』って言うんだよ」

知哉「四号でようやく火がついたとき、そっと焚き火の中に入れたからな修は」

渡「修、それは『腹いせに燃やす』って言うんだけど」

修「違う違う、そいうのは『送り出す』って‥」

重「言わないよバカ! いいから火の始末をしてキャンプ地に戻るよ? そろそろ夕食分の食材も届くはずだし」

 重の言葉を聞いた修は水筒のカップを取り出した。そして二本の棒で焚き火の中から真っ赤になった炭を挟むと、慎重にカップへ入れた。

重「なにをしてんの?」

修「せっかく作った火だから、キャンプ場の焚き火の火種にしようと思って……」

重「あ、あぁ……」

 寂しげな顔で寂しげな手つきで炭を入れていく修に、なんとか笑いを堪えた重であった。
 ほどなくしてキャンプ地に戻ってきた四人。修は先ほどの炭で焚き火を作ると、そのまま地面に寝そべった。

修「もう夕方だもんな……」

知哉「疲れる一日だったな……」

 焚き火を挟んだ向かい側で知哉も地面に寝そべった。

重「たまの休みの日に買い物つきあわされた父親みたいなことを言うんじゃないよ」

修「一息で長々と言うなよ……」

知哉「耳まで疲れちゃうだろ……」

渡「大先生、アレを見せたら元気出るんじゃないの?」

重「アレ? どのアレ?」

渡「さっき二人で作ったでしょ?」

重「あぁ! アレねアレ。確かにそうだ」

 重は立ち上がり、シェルターまで走っていくと、ニヤつきながら戻ってきた。

重「はーい! お二人にはこれを差し上げましょう!」

 重が何かを差し出すのを、修と知哉は寝そべりながら待っていた。だが、重の特徴ある視線に気づくと、慌てて起き上がった。

知哉「はい、何をいただけるんでしょうか?」

修「はい、楽しみです」

重「……よし。差し上げるものはこちらでごぜぇやす」

 急にフザけた重が二人に手渡した物。それは石で出来たナイフだった。厳密に言えば、ナイフのような細長い石なのだが。

知哉「おぉ! いつの間に完成したんだよ! これ作ってた石器だろ?」

重「そうそう」

渡「大先生とカード探しをした後、ここで作ってたんだよ。さっき言ってたみたいに、明日になったら道具没収だからね」

修「それにしてもよく出来てるな。素人が作ったにしてはさ」

渡「素材より硬い石で叩いてコツコツ作ったんだよ」

修「……どっちの意味のコツコツ?」

渡「両方の意味」

修「あぁ……」

重「さらに!」

 急に声を張った重に、三人は地味に驚いた。

知哉「な、なんだよ?」

重「お見せしたいものがごぜぇやす!」

 重はまたシェルターの方へ走っていった。

修「さっき一緒に持ってくりゃいいのによ」

 修が石器を眺めながらボソッとこぼすと、低い声が聞こえてきた。

重「……なんか言った?」

修「うおっ! は、早いな、戻ってくんの」

重「まったく。そいでもって、見せたいのはコレです。ジャーン!」

 古い効果音を口で出しながら、重は後ろ手に持っていたものを前に突き出した。

重「松明でごぜぇや‥」

渡「燃えちゃうよ大先生!」

重「えっ、あっ! 危ない!」

 フザけるのに集中していた重は、焚き火の近くに松明を突き出していた。

重「ふぅー、危ないよまったく!」

知哉「言いたかねぇけど、こっちのセリフだよ! 少し落ち着けって」

重「オッケーオッケー」

知哉「ホントに分かってんのかよ?」

 知哉が呆れた声を出したとき、待ちわびていた笛の音が聞こえてきた。

渡「ようやく鳴ったね」

修「よーし、俺が‥」

渡「いいよいいよ、俺が行くから」

修「あ、じゃあ頼むわ」

 渡は立ち上がり、食材の確認に向かった。知哉はその後ろ姿を見ながら、重に質問をした。

知哉「見つけたカードは何番だったんだ?」

重「えーっとねぇ、ちょっと待ってて……」

 重はバックパックから地図を取り出すと、余白の部分を指でなぞりながら番号を読み上げた。

重「52番、91番、103654番」

修「十万三千六百五十四番!? もう考えるのも面倒くせぇな」

知哉「つーか、わざわざ地図の白いところに書いたのかよ?」

重「さすがに6ケタの数字の語呂合わせは気になったからね」

渡「はい、お待たせ」

 確認を終えて戻ってきた渡の手には紙袋があった。

知哉「あれ、今回は紙袋?」

渡「焚き付けにでも使ってくださいってメモに書いてあったよ」

知哉「使えるものは何でも使えってことか」

重「それで、食材は?」

渡「うん、湧き水の近くの52番はこれね」

 渡が紙袋から取り出したのは、手のひらサイズに折り込まれた紙だった。どうやら紙で何かを包んでいるらしかった。

修「なんだよ、その粉薬を飲むときの紙みたいなやつは」

渡「まぁ、持ってみれば……」

重「わかった! 焚き火のせいでわかりづらかったけど、匂いでわかった!」

修「相変わらず覚醒してんなぁ」

渡「はいよ修、持って匂いを嗅いでみればわかるよ」

修「匂いねぇ……」

 紙の包みを受け取った修は、ゆっくりと深く匂いを嗅いだ。

修「あっ、あぁ、はいはい、コーヒーだ。インスタントコーヒー」

渡「正解」

知哉「おっ、いいねぇコーヒー。飲みたかったんだよ」

修「っていうことは何か? 52はコーヒーの語呂合わせってことか?」

重「ごーにー、こーにー、こーひーってことかね」

修「無理があるよな……」

渡「まあね。それで次! 91番はこれ……」

 渡はあまりにお馴染みの野菜を取り出した。

修「あぁ、なんだキュウリか。91でキュウリね。はいはい……」

 キュウリに対する修のそっけない態度に、なぜだか知哉が突っかかった。

知哉「オイオイ修ちゃん、その言い方は無いんじゃない?」

 こういう話に重はすぐに乗っかる。

重「キュウリちゃんに失礼だよね」

 渡は「始まった始まった」という表情を見せ、頬を緩ませた。

修「失礼? キュウリに?」

知哉「そうだよ」

 腕を組んで言い切る知哉を、修は鼻で笑った。

修「渡ちゃん、もう一回キュウリを取り出すところからやってもらえる?」

渡「……急にちゃん付け?」

 ブツブツと言いながらも、渡は紙袋からキュウリを取り出して見せた。

渡「91番はキュウリです!」

修「WOW! CUCUMBER!」

 派手な動き付きで声を張り上げた修。

修「これでどうだ?」

知哉「はい、大丈夫です……」

 予想もしなかった修の言動に、知哉は頷くしかなかった。

渡「えっ、次いいの?」

重「次にいって、いいそうです」

渡「よくわかんないけど。えー最後の食材は103654番でこれ!」

 渡は夏が旬のあの野菜を取り出した。

修「OH YES CORN! OH YES CORN!」

 吹っ切れた修の猛々しい声が、キャンプ地にこれでもかと響いた。

知哉「……修、ありがとう。けど、もういいや」

修「言ったら言ったで何なんだよ」

重「トウモロコシだったのか。それにしても、10……」

渡「103654番」

重「そうそう。ってことは10が『トウ』の部分だね?」

渡「それで654が『ロコシ』ってとこかな」

修「おい、じゃあ何か? 余った3が『モ』ってことか? どうやっても『ミ』だろ! 『トウミロゴシ』だろ!」

知哉「やだなぁ、焼きトウミロゴシは」

渡「語呂合わせなんてそんなもんだよ。いいから、早く夕食にしようよ」

 渡は三人にキュウリとトウミロゴシを渡すと、自分の分のトウミロゴシを串に刺して焼き始めた。

渡「いやぁ、このトウモロコシ、粒が大きいよ」

修「確かにな。ぎっしり詰まってるし」

重「相当甘いんじゃ、ないの……」

 途切れ途切れ話す重は、なにやらモソモソと動く知哉を見ていた。

重「何をしてんの?」

知哉「ん? いや、コーヒーは朝に飲もうかと思ってよ。バックパックに閉まってんの」

渡「あぁ、俺もそうしようかな。目覚ましにちょうどいいし」

修「それじゃ俺も」

重「ほいじゃアタイも」

 トウモロコシが焼ける間、四人はキュウリをパリポリやっていた。

渡「あ、そうそう。今日はシャワーに行くでしょ?」

知哉「シャワーか…… 汗は少しかいたけど、またガタガタ震えて冷たさに耐えるのはなぁ」

修「気合入れて浴びるしかねぇな」

重「気合を入れて浴びるシャワーねぇ……」

 四人は、焼きトウミロゴシを美味しくいただくと、支度を済ませて地獄コース専用シャワーへと出発した。もちろん、ライトなどの光源を持たない四人は、渡と重のお手製松明で闇夜を照らした。

知哉「これ、大丈夫なんだよな?」

 松明を手に先頭を行く知哉は、当然のごとく不安になっていた。

重「モチ!」

 重の軽い返事が、知哉をさらに不安にさせる。

知哉「…本当に?」

修「っていうかよぉ、帰りまで火はもつのか?」

重「もつ!」

修「……好きなコーヒーの種類は?」

重「……カフェオーレッ!」

修「モカって言えよ!」

重「何がよ?」

修「モチだの、もつだの言ってるからだよ」

重「あぁそういうこと? くだらないねぇ」

知哉「でも本当に大丈夫なのかよ?」

渡「予備の一本もあるから大丈夫だよ」

知哉「ならいいけどよ。けど、松明なんてよく作れたな」

重「それはですねぇ」

 後ろを歩いていた重は、知哉の横にピタッと着いた。

重「皆さんご存知、私が入っている妖怪倶楽部の時に作ったことがあるからなんですよ」

知哉「あぁ妖怪探しか。でも懐中電灯のほうが探しやすいだろ?」

重「これだから素人は嫌だね」

知哉「妖怪探しにプロもセミプロもあってたまるか!」

 それを聞いていた修は『そりゃごもっとも』と吹き出した。

重「考えが浅いって言ってんの! 妖怪探しだっていろいろあるんだよ! 松明とか服装とか道具とか、そういうものを当時のまま‥」

知哉「説明しなくていいよ……」

重「再現することによって、妖怪が出現しやすいような環境を整えるんだよ! だから話し方なんかも‥」

 前回の修に取って代わり、重の妖怪集中講義が始まってしまった。墓穴を掘って講義を誘発させてしまった知哉は、自分自身にウンザリするほかなかった。
 それから少しして、松明の明かりを頼りに進んできた四人は、シャワー室前に到着した。

重「結局のところ、一部の妖怪はだ、当時では知りえなかった自然現象‥」

知哉「いいってもう! 着いたから! シャワー室に!」

重「いいとこなのに。本当にいいとこなのに……」

渡「ほら二人とも、またガタガタ震えなきゃいけないんだから、早く済ませちゃうよ」

修「俺と教授さんが先に浴びるから、俺たちが出たらすぐに入れよ!」

 そう言い残し、二人はシャワー室の中へと入っていった。

重「まぁ、これだけ自然に囲まれている所なら、人知を超えたモノが存在しててもおかしくはないよね」

知哉「まだ言ってんのかよ?」

重「順番を待ってる間ヒマでしょ?」

知哉「そりゃそうだけど、こんな暗い山の中で怖い話はやめてくれよ。そういう話してると集まってくるとか聞くし……」

重「そういうのは大抵は幽霊だからねぇ。まっ妖怪でもありうるか…… 試す?」

知哉「よく噛んでから俺の話を飲み込めよ! 試すわけねぇだろ!」

重「あらぁ、試してみようじゃないのさぁ」

知哉「変な声を出すなよ」

重「だってだって、妖」

 鋭く言葉を切った重は、人間業とは思えない速度で後ろへ振り返った。

知哉「なーん…… なんだよ大先生! 急に動くなよ、ビックリするだろ!」

重「だって今なんか音がしたでしょ!?」

知哉「やめなさいよ、そういう話は……」

重「聞こえたんだもん!」

知哉「怖い話をしてっから、何でも」

 さきほどの重を上回る動きを見せた知哉は、近くの茂みを松明で照らした。

知哉「聞こえた。聞こえたぞ」

重「ガサッて……」

知哉「あれだろ… 小動びゅつだろ」

重「し、しょうどうびゅつ? 初めて聞く妖怪……」

知哉「噛んだだけだよ! ふぇい!」

 謎の声を出した知哉は、別の方向の茂みを照らした。

重「小枝が折れるような……… ちょっと、ちゃんと照らしてよ!」

知哉「やってんだろ!?」

 知哉がそう言った瞬間、消えにくい松明の火が、息を吹きかけられたロウソクの火のようにフッと消えた。

知哉「んぐっ…」

 知哉はパニックにならぬよう我慢をして、消えてしまった松明を地面に突き刺した。また、横にいた重も我慢していた。しかし、二人の『何か』は空気を入れすぎた風船のようにパンパンに膨らみ、指で突いただけで破裂してしまいそうになっていた。

重「も、もう限界」

 重がぽろっとこぼした瞬間、太い枝が折れる鈍い音がすぐ近くで聞こえた。それはすなわち、風船が破裂したことを意味していた。

重「ズッ!」
知哉「ザッ!」

 謎の言葉を発した二人は、シャワー室の中に駆け込んでいく。もちろん、中でシャワーを浴びていた修と渡は、ものすごい勢いで中に入ってきた二人に絶叫した。

渡「な、なんだよ知ちゃん!」

知哉「変なの、変なのいりゅから俺も浴びちょう!」

 言葉を噛むことなどお構いなしの知哉。

修「本当に妖怪かと思ったろバカ! ビビッて叫んじゃったろ! どうしたんだよ!」

重「どうもない。音した。早く浴びる。早く帰る。水出すよろし」

修「バカ言ってねぇで、外出ろよ!」

重「ソトアブナイ。ソトアブナイ」

 早く終わるはずだったシャワータイムは、パニックになった重と知哉のせいで、前回よりも長くなってしまった。

渡「ううぅ、寒すぎる……」

重「ぶん、ざぶずぎる……」

知哉「は、早く火を点けてくれよ、松明に」

修「言える立場か! 誰のせいだと思ってんだよ!」

 当然の文句を言いながら、修は予備の松明にファイヤースターターの火花を当てていた。

修「まったくよぉ!」

 修はバックパックから消毒用の脱脂綿を取り出すと、松明の上にふんわり乗せた。

修「これで…… あぁ、もう一発だよ。最初からやればよかった……」

知哉「つ、点いた?」

修「見ればわかんだろ?」

 修はしゃがんだまま、松明を上に掲げた。シャワー室の冷たい蛍光灯にはない、温かみのある松明の炎は、寒さで震える三人の心まで温めてくれた。

知哉「いいなぁ…… 暖かいなぁ……」

重「文明だねぇ、火ってのは……」

熊「まったくその通りですよ!」

 突如として現れた教官の熊に、修は尻もちをついてしまった。

修「なんですかもう、驚かせないで下さいよ!」

熊「申し訳ありません! 大丈夫ですか?!」

 熊の差し出した手につかまり、修はゆっくり立ち上がった。

修「遠くから見守るって言ったきり、姿を見せないと思ったら……」

熊「すみません。実は皆さんにお知らせしなくてはならないことがありまして」

渡「お知らせですか」

熊「えぇ、重要なお知らせです。皆さんのこれからの合宿に大きく関わることでして。まぁ何が大きく関わ‥」

知哉「す、すみません熊さん。焚き火に早くあたりたいんで、歩きながら説明してもらえますか?」

熊「わかりました」

 予備の松明を持った修を先頭に、一同はキャンプ地に出発した。

熊「それで……」

修「はい」

熊「実はですね、いま日本に台風が迫っていまして」

四人『台風!?』

 寒さも吹き飛ぶその単語に、四人は声を揃えた。

熊「はい。先ほど沖縄に上陸しました。予報ですと合宿最終日、つまりイカダに乗って脱出する日に‥」

知哉「直撃ですか!?」

熊「いえ、台風による天気の影響が考えられるわけなんです」

渡「直撃じゃないにしろ、雨なんか降ったら、危険すぎて川下りなんて出来ませんよ?!」

熊「はい、申し訳ないんですが……」

 熊が話をしている間、重は淡い期待をしていた。

熊「日程を一日早めて、明後日の朝にイカダで脱出してもらうことになりました」

重「……イカダは中止にならないんだ」

 誰にも聞こえないような小さな声を重は漏らした。

熊「もちろん、一日分の代金は返金いたします」

渡「あぁ、はい、わかりました」

熊「更に、作業時間が一日分減ってしまので、道具の没収はしません」

修「えっ? あぁ、そうですか……」

重「なんで少し残念そうなの?」

修「苦労して道具なしで火を点けた意味がないなと思ってよ」

熊「そんなことないですよ! あれはお見事でした!」

修「あ、見てました?」

熊「ずっと遠くから見てましたよ。途中、アドバイスが必要かと思いましたが、お二人で打開策を見つけて火を起こしていたのは素晴らしかったです!」

知哉「そ、それはどうも」

 その後、キャンプ地に到着した一同。熊は有効に時間を使うよう四人に釘を刺すと、ライト片手に山の中へ消えていった。

重「……とりあえず、火を起こして温まろうよ」

知哉「あぁ、そうしよう」

 四人は勢いよく燃える焚き火を囲み、今後についての小会議を始めた。

修「一日なくなるってことは、明日中にイカダを完成させるってことだろ?」

渡「だから、舵を作って取りつけて、さらにイカダのテストを済ませて、イカダに乗って漕ぎ方も練習して……」

知哉「あれだぞ、水汲みと食材カード探しもしねぇと」

重「明日もやることいっぱいだね……」

 四人はしばらく黙って焚き火にあたりって体温を取り戻すと、早々とシェルターに潜り込んだ。今日までの肉体的な疲れ、そして明日の事を考えた精神的な疲れ。その二つの疲れが、四人の睡魔をすぐに呼び出した。
 最終日前日となってしまった朝。四人はのそのそと起き上がってくると、すぐに火を起こして焚き火を囲んだ。夏とはいえ、山の朝は肌寒かった。

重「うぅ、冷えるねどうも。節々の隅々まで冷えて敵わないったらありゃしない」

知哉「年よりじみた話し方すんなよ」

重「あいや、これは失敬……」

知哉「人の話を聞けよ」

 起こしたての火の調節をしていた修は、枯れた声を出した。

修「あっ、こいつはしまったでござるな」

知哉「年よりじみるとかの話じゃねぇだろ、それは。で、なにが『しまったでござる』なんだよ?」

修「朝食分のカードをまーた探し忘れてんだよ、俺たちは」

知哉「……なーんで忘れるかな俺たちは。晩飯の分を少し朝飯のために取っておくぐらいの事も出来てないってのはなぁ」

重「どうする?」

渡「大丈夫でしょ」

 渡の軽い口調は、三人の視線を集めた。

重「なんで大丈夫なの?」

渡「昨日の夜、箱にカードいれておいたもん」

知哉「おいたもんって、いつの間に入れたんだよ? っていうか、いつ見つけたんだよ?」

渡「どっかのバカがシャワー室に飛び込んできたとき、足を滑らせて転んだの、俺」

知哉「……………」

渡「そのときたまたま、バルブの裏についてるのを見つけたんだよ」

修「そんなとこにまで隠してんのかよ?」

渡「これで何かしらの食材は手に入るでしょ」

知哉「……でもカボスみたいな食材の可能性もあるんだろ?」

重「カボスだけでもありがたいじゃないの」

修「カボスのこと見下してんのか?」

知哉「なんだよ急に?! カボスだけじゃカロリーが足らねぇって話だよ」

修「カボス一個で足りるわけねぇだろ!」

知哉「それを言ってんだよ!」

 くだらない言い合いの間に入って止めるように、食材到着の笛の音が響き渡った。

重「おっ、鳴った鳴った」

渡「うーん、毎回の事だけど、いつの間に食材を箱に入れてんのかなぁ。ここから箱が見えるのに入れてるところを見たことがない」

 誰に言うでもなく呟いた渡は、食材確認に向かった。

重「確かに、入れてるところは見たことない。ねぇ?」

修「ん? あぁ、まあな」

知哉「昨日、修が言ってたけど、ホントに熊さんも藍さんも姿を見せねぇよな」

修「火起こしは見てたらしいけど、ずっと見てくれてんのかな?」

熊『見てまーす……』

 どこからともなく熊の声が聞こえてきた。

修「えっ!? 山の神!?」

重「熊さんの声だって言ってんだよ!」

 清々しい朝を台無しにした修の発言に、重は焚き付けのにとっておいたマツボックリを修に投げつけた。

修「イテッ! 何すんだ!」

重「くだらないんだよ! 二回もやるボケか!」

修「だから、場を和ませるためにやってんだよ!」

重「和んだ場からマツボックリが飛んでくるかってんだよバカ!」

渡「ちょっと離れた間に何をやってんの?」

 箱から食材を持ち帰った渡は、その手に持つ食材のせいで三人の視線を集めた。

知哉「もう袋にも入らず裸でキャベツ持ってるじゃん…」

 渡は大きなキャベツ一玉を両手で持っていた。

修「食材はキャベツか」

渡「うん、88番でキャベツ」

重「………88でキャベツ?」

知哉「葉っぱなら葉物の野菜だったら何でもいいだろ!」

修「まぁ何でもいいよ。とりあえず食料が手に入ったんだから。さっさと四つに分けて朝飯にしようぜ」

渡「そうだね。今日は忙しいし」

 渡はナイフでキャベツに切り込みを入れると、手で裂いてきれいに四等分にした。

渡「はい、朝食」

 渡からキャベツを受け取った三人は、いただきますと言って食べ始めた。一枚ずつ葉をペリペリと剥がしては、口へと運んでムシャムシャと音を立てた。

重「なんだろうね、切らないでそのまま食べてると、虫になった感じがするね」

修「千切りにしないだけで、味も変わってくるんだな」

知哉「焼肉屋のあのキャベツとも違う感じだもんな」

渡「はぁ…… それにしても色付きのカードが全然見つけられないね」

重「一枚も見つけてないよね」

渡「そろそろ料理ってものを食べたいよ」

修「そうだな、料理って言っても虫料理だもんな」

知哉「……かつ丼が食いてぇ」

 知哉のその一言は、他の三人の頭の中に美味しそうな料理を出現させた。

修「俺はカルボナーラだな……」

重「オムライスが食べたい」

渡「オムライスかぁ。オムライスで思い出したけど、知ちゃんのおじさんが作った八番亭天津飯が食べたいな」

修「……つまりあれだ、俺たちは卵が食べたいんだな。全部卵が入ってるし」

渡「卵かぁ……」

 四人の頭の中に、美味しそうな卵料理が浮かんでは消えていった。

知哉「ダメだ、ボケっとここでキャベツを食ってたら、余計に料理が食べたくなる」

 知哉はそう言うと、キャベツ片手に立ち上がった。

知哉「キャベツは歩きながらでも食えるんだから、修、イカダ作りに行くぞ」

修「それもそうだな。よし、それじゃ教授さんと大先生はカードを探してから来てくれよ」

渡「オッケー。まっ、色付きのカードを期待しててよ」

重「もう黄色と紫のまだら模様みたいの見つけてくるから」

知哉「普通のやつにしてくれよ!」

重「いいじゃないの別に。じゃ行こうか教授さん」

渡「うん、行こうか」

 重と渡は軽い身のこなしで立ち上がると、バックパック、水筒、そしてキャベツを手に、森の中へと入っていった。

修「黄色と紫の斑かぁ。こりゃあれだな、『焼きいものこん棒たたき』ってやつだな」

知哉「焼きいもをこん棒で叩き潰すことがあんのかよ! 理由がねぇだろ!」

修「そりゃ知哉お前、こん棒で叩かれるようなことをした焼きいもに否が‥」

知哉「いいよもう! 火を消したら川原へ行くぞ!」

修「わかったけど、一回竹林に行かねぇと。昨日言ったろ? 丸太代わりの竹を追加するって」

知哉「忘れてた。じゃあ朝っぱらから竹を担ぐことになんのか……」

修「気合入れてやるしかねぇだろ?」

知哉「ったく、気合気合で疲れるよな」

 二人はキャベツを食べながら、竹林へと出発した。
 二人が歩く竹林へ続く道には、夏が香る優しい風が吹いていた。都市部に比べ、いくぶん涼しい山の中でも、修と知哉にはその風が心地よかった。

修「……知哉が言ってたけどよ」

知哉「俺が?」

修「まさかこうなるとは思わなかったな」

知哉「あぁ、なんか言ったなそんなこと」

修「俺は今すごく思うよ。『合宿に行くぜ!』なんて事務所を出たときには、まさかキャベツを食べながらイカダ作りの材料を取りに行くなんて思ってもみないことだからな」

知哉「人生どうなるかわかんねぇもんな」

修「そこまでデカイ話じゃねぇけど、まぁそういう感じだよ」

 相変わらずの話をしながら、竹林に着いた二人。水筒の水で水分補給を済ませると、そろって腕まくりをして数本の竹を持ち上げた。

知哉「アハハハハッ…… 重っ!」

修「あの霧雨の水分を少し吸ったんだろうな」

知哉「それにしてもだろ」

修「ったく、竹が肩に食い込むよ」

 その時だった。

知哉「あっ、あっ! 修!」

修「なんだよ! 声がデカいんだよ!」

知哉「色付きのカードだよ!」

修「マジかよ!? どこ!?」

知哉「いま持ってる竹の裏だよ!」

 それを聞くなり修は雑に竹を置いた。

修「うおっ! マジであるよ! しかも単色じゃないぞ!」

 興奮気味の修が剥がし取ったカードはカラフルな五色だった。

修「緑、赤、ピンクにちょっと違う黄色が二つ…」

知哉「この色が関係してるんだろうな」

修「たぶんな。まあいいや、とりあえず竹を持ってキャンプ地に戻るぞ! 早いとこカードを箱に入れようぜ」

知哉「よーし、サクッと戻るか!」

 色付きの食材カードを手に入れた二人は、意気揚々とキャンプ地へ戻っていった。もちろん、太く重い竹を抱えての帰り道だったが、料理を食べられることの嬉しさが、竹の重さと二人の足取りを軽くさせていた。

修「はい、はーい! キャンプ地に帰還!」

知哉「手ぶらの行きより、竹を担いだ帰りの方が早かったな!」

修「要は気持ち次第なんだよなぁ」

 二人は竹を一度置くと、箱へ歩いて行った。すると、森の坂を下ってくる渡と重の姿があった。

渡「おーい! 川原へ行ったんじゃないのぉ!」

 理由は定かではないが、渡と重は満面の笑みを浮かべていた。

修「いや、追加の竹を取りに行っててよ!」

 修と知哉は足を止め、二人が坂を下りきるのを待った。そうと分かった二人は足早に坂を下ったいった。

重「ウケケケケッ」

 おかしな笑い声を上げて近づいていく重。

知哉「妖怪好きだからって、妖怪みたいな笑い方すんなよ」

重「ヌペペペペペッ」

知哉「人の話を聞けってんだよ!」

重「いやいや、笑いが止まんないのよ、ねぇ渡ちゃん」

渡「メレレレレレッ」

知哉「もう笑うとかじゃないだろそれは……」

渡「いいからこれを見なさいよ」

 柄にもない笑い方をしていた渡が取り出したのは、二枚の色付き食材カードだった。

知哉「おい! 二枚も見つけたのかよ!」

重「すごいでしょ?」

知哉「すごいはすごいけど、色が地味だよなぁ修ちゃんよ?」

修「赤茶色の単色に、黄色と茶色のツートーンじゃ地味だよなぁ知哉ちゃん?」

渡「あれ、その口ぶりだとそっちも見つけたの? 色付き?」

知哉「当ったり前だろ! しかもこっちは鮮やかだぜ?」

修「これだよ」

 修は焦らすようにカード取り出した。

重「あっ! 四色だよ教授さん!」

渡「すごいじゃない!」

修「おい、よく見ろよ、黄色は微妙に色が違うんだよ」

重「………あぁ、本当だ」

渡「ずいぶんカラフルだね、なんの料理だろ」

修「それは楽しみに取っておいて、カードを入れてイカダを作りに行こうぜ」

渡「そうだった。イカダを完成させないとね」

 最終日前日、ようやく色付きの食材カードを入手することができた四人は、足取り軽く川原へ向かった。
 すっかり歩きなれてしまった川原へ続く林の道。昼食の話をしながら進んでいく四人は、川原へ着くなり驚きの声を上げ、担いできた竹を地面に落とした。

四人『椎名さん!』

 川原のイカダのそばで佇む椎名は、四人の声に振り返った。そして片手をひょいと上げてこう言った。

椎名「オッス! 元気にやってっか皆! オイラは修行でこの通りだぞ! 話を聞いて戻ってきたぞ!」

 ボロボロになったサバイバルウェアを着た椎名は、いつもよりワントーン高い声を出した。四人はそんな椎名を黙って見ていたが、修が代表して、焚き付け用のマツボックリを椎名に投げつける。

椎名「アブッ! ちょっと危ないよ!」

 軽快な身のこなしでマツボックリを避けた椎名に四人は近づいていく。

椎名「久ぶりの再会でマツボッ」

修「クリを投げられますよ! 何が『オッス!』なんですか! ヤッホイからでも帰って来たんですか!?」

椎名「実は……」

修「おい、だれかマツボックリを」

椎名「ウソウソ!」

重「それにしても……」

 重は椎名の回りをぐるりと回りながらジロジロと見た。。

重「修行って言ってましたけど、何をしたらこんなにボロボロになるんですか」

椎名「いやぁ、色々やったんだけど、どれもキツくてね。エイサホイサって……」

重「その掛け声は聞こえてましたよ」

椎名「あ、本当? いやもう、荒木さんが…… じゃないよ皆!」

 椎名の突然な大きな声に、少し驚く四人。

渡「な、なんでしょう?」

椎名「なんでしょうじゃないよ! すごいじゃないイカダ!」

渡「えぇ、まぁ、まだ完成してないですけど」

椎名「えっ、どこが完成してないの? オールはあるし、土台にもロープの取っ手はあるし……」

修「まだ完成してないから、俺たちが竹を担いできたんですよ!」

椎名「あぁ、なるほど、なるへそ! それでそれで、その竹‥」

修「説明しますから、落ち着いてくださいよ」

椎名「分かった分かった」

 そう言いながら修の手を引っ張る椎名。

修「何を分かったんだよピエロ!」

椎名「はいはい、分かってますよ!」

 椎名は四人の後ろへ回ると、イカダの位置までグイグイと背中を押していった。

知哉「変に力が強いな!」

椎名「どうもどうも。それで?」

修「いや、教授さん説明して」

椎名「うんうん説明して」

渡「……いや、説明もなにも。修と知哉が本体部分を組み立ててくれたんで、あとは支柱を真ん中に固定して、舵を作ってイカダの後方に取り付ければ完成です」

椎名「なるほどなるほど」

渡「午前中にイカダを完成させて、午後はイカダを浮かべての調整と漕ぎ方の練習、まぁそんな感じですかね」

椎名「よーし!」

 椎名はボロボロな袖をまくった。

椎名「気合を入れて作業を始めようか! 別行動で貢献できなかった分を取り戻すよ!」

知哉「……久しぶりに合流して気持ちがたかぶるのは分かりますけど、明日が本番なんですから体力を残しておかないとダメですよ?」

椎名「ほぉ………」

 椎名は目を大きくさせて、感心したような表情を見せた。

椎名「知哉君もこの数日間で成長したようだね」

知哉「……どういう意味ですか?」

重「バカが少しはまともになったね、っていう意味」

知哉「うるせぇよ!」

椎名「まぁまぁ良いじゃないの。早くイカダを完成させちゃおうよ」

知哉「何が良いんですか!?」

重「バカの相手をしてる暇はない、っていうことだよ」

知哉「だからうるせぇよ!」

 ようやく四人と合流できた椎名。よほど嬉しかったのか、それとも修行の成果か、やたらと元気な椎名は、的確な指示を出し、自ら先頭に立って作業にあたって、年下四人を引っ張っていった。また、いつもと違う椎名の姿に触発されてか、四人も黙々と作業をこなしていった。
 昼まであと少しとなった頃、イカダはようやく完成した。数日で出来上がったイカダはどこまでも無骨だったが、イカダとはそういうものであり、その雰囲気に五人は満足していた。

椎名「ついに完成したね!」

修「男らしい良い出来ですよ!」

 椎名と修は、イカダから一歩離れた位置で腕を組む。

重「艶やかやよねぇ、竹、艶やかやよねぇ」

知哉「今日はちょいちょい何なんだよ! 変なしゃべり方してよ!」

 重と知哉はイカダの上に座って話していた。

知哉「よくそんなしゃべり方を思い……」

重「パペパペ」

知哉「……はぁ?」

重「パペパペしてない? ここらへんの感じ」

知哉「……してねぇし、パペパペの意味が分かんねぇよ!」

重「分からねぇだろうよ! 地球人にはよ!」

知哉「お前は何星人なんだよ!」

修「うるせぇよ! 訳わかんねぇ言い合いしやがって!」

 二人の間に入った修だったが、さらにその間に椎名が入った。

椎名「いやいや、修君に知哉君。あの一番左の竹なんか随分とパペパペしてるよ」

重「おっ、嬉しいですねぇ。分かる人には分かるもんですよ」

椎名「えぇ、えぇ、大変に乙なもんでございましてねぇ」

修「…………早く昼飯にならねぇかな」

 修は腕を組んだまま、助けを求めるように渡を見た。すると、渡も腕組みをしたまま、何か考え事をしているようだった。

修「どうした?」

渡「……………」

修「教授さん、どうした?」

渡「…ん? あぁ、なーんかねぇ、なーんか足りない気がするんだよねぇ」

修「そうか? 水に浮かべて舵を取り付ければしっくりくるんじゃないか?」

渡「そうかもね」

 渡が組んでいた腕を下ろしたとき、待ちに待った昼食を知らせる笛の音が川原に響いた。いつもより大きく聞こえた笛の音に五人が驚いていると、川原の入口の方から声が聞こえてきた。

藍「皆さん! 昼食のお時間です!」

 五人が振り返ると、岡持ちを持った藍の姿があった。

重「あれ、どうしたんですか藍さん」

藍「今回は料理ということなので、出前という形で持ってきました!」

椎名「おっ、皆も色付きカード見つけたんだ!」

重「へへ、そうなんですよ」

修「藍さん、じゃあここで食べられるんですか!?」

藍「はい、もちろん!」

 相変わらずの笑顔で返事をした藍は、イカダの所まで歩いてきた。そして持っていた岡持ちをイカダの上に置いた。

藍「まず、赤茶色のカードの料理です」

 そう言って藍が岡持ちから取り出したのは、チャック付きの袋に入ったビーフジャーキーだった。

重「やった! ビーフジャーキーだ!」

修「シゲは好きだもんなビーフジャーキー…」

 重は嬉しそうに袋を受け取った。

重「あれ、皆そんな感じなの?」

知哉「そりゃ好きだけどさ、昼飯って感じじゃないだろ?」

修「まぁ、明日の脱出の時、イカダで食べるにはもってこいなんじゃないか?」

重「たまには良いこと言うじゃない」

修「…………」

渡「藍さん、次のやつお願いします」

藍「はい! お次はですね、黄色と茶色のカードで、こちらになります!」

 次に藍が取り出したのは、小ぶりな五つの瓶だった。その瓶の中身が分かった渡は声を弾ませた。

渡「プリン! プリンプリンプリン、プリーン!」

 渡は手に取った瓶を空に掲げた。太陽の光を受けて瓶はキラキラと輝いていたが、嬉しそうな渡の目の輝きには勝てなかった。

修「分かったから落ち着けよ!」

椎名「そういえばプリン好きだったよね渡君」

知哉「ったく、プリンくらいでよくもまぁ人が変わ‥」

渡「プリンくらい?」

 凄みを効かせた低い声を出す渡。

知哉「ち、違います! あの……」

 困る知哉に、椎名は耳打ちした。

椎名「プリンごとき。ご・と・き」

知哉「プリンごときで……」

渡「ごときだぁ?」

知哉「違います違います!」

 慌てる知哉に今度は修が耳打ちをする。

修「プリンもどき。も・ど・き」

知哉「あ、あぁ。プリンもど、関係ねぇだろもう! なんだよもどきってのは!」

修「……あ、次のやつお願いします藍さん」

知哉「…………」

藍「はい! 最後の緑色・黄色・薄紅梅うすこうばい色・赤色・黄檗きはだ色の五色のカードは……」

 聞きなれない色の名前に少々戸惑っていた五人だったが、藍が並べていった五枚の皿に目が釘付けだった。

藍「冷やし中華になります!」

 神々しいまでに輝く麺の上に、色彩豊かな具材が乗った冷やし中華。これぞ五人の待っていたものだった。

藍「食事が終わりましたら、お皿などをこの岡持ちに入れて川原の入口に置いてください。後で回収しますので」

五人『はーい!』

藍「それでは失礼します!」

 藍は敬礼をすると、林の中へ消えて言った。

渡「ようやく食事らしい食事にありつけたね」

修「本当だな。それにしても見ろよ、このハム様の美しいピンク…… じゃなかった、薄紅梅色!」

重「キュウリにトマトもみずみずしくてさぁ!」

知哉「なにより、卵だよ! この錦糸卵!」

椎名「それじゃ皆! 美味しくいただききましょうか!」

 椎名の掛け声に合わせ、全員で高らかに「いただきます」を宣言すると、一斉に冷やし中華を食べ始めた。

知哉「ウマい!」

渡「美味しい! なんて美味しいんだ!」

椎名「生き返る美味しさだね!」

重「全くその通りの旨さですよ!」

修「美味い、美味すぎる!」

 麺をすする度に感動の声を漏らす五人。そして食後のデザートであるプリンで、その感動は最高潮に達した。

渡「甘―い! プリーン!」

知哉「そりゃ野生動物だって人里に来ちまーうよー!」

椎名「開眼するほどの美味しさだぁー!」

重「異議なーすぃ!」

修「う、うま、うまま、美味すぎるぅー!」

 日本の食事マナーを大きく逸脱している食べ方だったが、これまでの五人の生活を考えてみればしかたのないこと。料理とは文明であり、彼らは久しぶりにその文明に浸ることが出来たのだから。
 冷やし中華は私の父であり、プリンは私の母である。重にそうまで言わせた昼食のあと、五人はイカダの回りに立っていた。

知哉「じゃあビーフジャーキーは?」

重「私の兄にあたる!」

渡「もういいから!」

 真剣な表情の重に、渡は笑いながらも注意する。

渡「早く持ち上げる準備をしてよ!」

知哉「わかってるって」

重「はーい、準備できたよ」

渡「椎名さんと修は?」

椎名「こっちもオッケーだよ」

 五人はしゃがんだ状態でイカダをつかんでいて、後は持ち上げ川に浮かべるだけだった。

修「俺が合図出してもいいか?」

渡「ん? あ、じゃあお願いね」

修「よーし、サンで行くぞ?」

 他の四人は黙って頷き、合図に備えた。

修「それじゃ…… ラシュ・モア・山!!」

 1という数字を予想していた四人の耳に聞こえてきた『ラシュ』という言葉。このバカやりやがったと思いつつ、『モア』の時点で何とか身構えることが出来た。

修「おっ、なかなかの重量だな」

椎名「じゃないよ修君! なによラシュモア山って!」

修「あっ、五葉山ごようざんの方が良かったですか? 『さん』より『ざん』のほうが……」

渡「そうじゃないよバカ! 数字の三だと思ってたんだよこっちは!」

椎名「ギリギリだったよ、タイミング合わせるの!」

重「ちなみにその五葉山ってのは」

修「岩手にある山でな。なんでも石楠花しゃくなげが奇麗に咲いてるらしいんだよ」

重「あらぁ、帰ったら調べてみます」

知哉「なんの話してんだよ!」

修「悪い悪い」

 五人はイカダを持ち上げると、浅瀬に向かってゆっくり歩き出した。

渡「とりあえずイカダが浮かぶ深さまで運ぶから」

知哉「よーし、水の中に入るぞ……」

椎名「ゆっくり、ゆっくり行こう」

 一歩一歩、慎重に進んでいく五人は、足元から徐々に濡れていった。

知哉「冷っ……」

渡「これ…… こんなに冷たい!?」

 想像を超えた川の水温は、文明に舌鼓を打っていた五人に、自然の厳しさを思い出させた。

椎名「うぅ…… いやぁ冷たい……」

修「気合を入れないと気合を! 地獄シャワーの方が冷たいぞ!」

重「しょうりゃよ! しゃやーにょほうざ……」

 冷たさに根負けしている重は、何を言っているかわからない。

修「よし…… どうだ教授さん?!」

渡「うん! 大丈夫だと思う! 一回手を離してみよう!」

 五人がゆっくりと手を離すと、イカダは期待に応えるかのように水に浮いた。ほんの少し傾いてはいたが、沈む気配をこれっぽっちも見せない、見事な浮力だった。

五人『ぬおおぉ……』

 イカダが浮いたことによる喜びと驚きが混じった声を出した五人。

重「浮いたよ!」

知哉「おう! 頑張ってみるもんだな!」

修「最後に追加した竹が良い働きしてるな!」

渡「そうしたら、皆イカダを持ってて、このロープを岩に結んでくるから」

知哉「あぁ、勝手に流れていかないようにか?」

渡「そうそう」

 イカダに結びつけておいたロープを伸ばしながら岸に上がった渡は、岩にもやい結びでロープを結びつけた。さしずめイカダの命綱である。

渡「それで……」

 岸から戻ってきた渡は、知哉の肩をポンと叩いた。

渡「早速で悪いんだけど、一番重い知ちゃんが乗ってくれる?」

知哉「俺?」

椎名「そうだね、知哉君が乗ったほうがいいね」

知哉「よし、それじゃ乗るか」

 進水式を済ませたイカダは、今か今かと知哉を待っているようだった。

椎名「皆、準備はいい?」

修「大丈夫です! しっかり支えてますんで!」

重「いつでもいいよ知ちゃん!」

知哉「よし!」

 知哉はイカダに片足をかけた。

渡「川底の石は滑るから気を付けてね」

知哉「おう! じゃいくぞ!」

 そう言って、残っていた足に力をいれた知哉は、情けない「ひゃっ」という言葉を残してひっくり返った。

四人『…………』

 瞬間的にではあったが、頭の先まで水に浸かった知哉は、水しぶきを上げながら岸へと向かった。

知哉「あっ、あぁ…… はぁ……」

 黙って見ていた四人は心配の声を掛けようと思っていたが、あまりに悲しく淋しい知哉の表情に笑いを堪えていた。

修「言ったろ教授さんが! 滑らないよう気を付けろって!」

知哉「いや…… 石そのものがズレて……」

椎名「知哉君! 寒いからって縮こまっちゃダメだよ! 動いて血の流れを良くしないと!」

知哉「ざぁーい……」

 返事もまともに返せなくなった知哉は、その場で飛び跳ねながら手足を動かした。

修「しょうがない、俺が先に乗るよ」

渡「うん、お願い」

 修は四人にイカダを支えてもらうと、一気に乗りあがった。

修「おっと…… あれ、なにこの安定感」

 修を乗せたイカダは不安定になるどころか、重心が定まったように安定性を増した。

椎名「すごい安定してるね」

修「じゃあ次は椎名さん上がってくださいよ。手を貸しますんで」

椎名「あ、うん、お願い」

 椎名は差し出された手をしっかり握ると、片足をイカダにかけた。

渡「いいですよ椎名さん」

椎名「じゃあ……」

修「じゃあ『ぽ』の合図で行きますよ?」

椎名「うん?」

修「はい、ぱぴぷぺ・ぽ!」

 訳の分からない合図に、椎名はまたしてもギリギリで合わせることが出来た。

修「はい、椎名さん乗船! 船じゃないけど」

椎名「修君! 『ぽ』はないよ『ぽ』は!」

修「いいじゃないですか、上がれたんですから。ほい、次は大先生。大先生は『ふ』で行くぞ?」

重「えっ? 『ふ』って?」

 すでに足を引っかけ、修の手を握っていた重に考える時間はなかった。

修「はい、ぬっぺほ・ふ!」

 『ぬっぺ』の時点で『妖怪ぬっぺほふ』と見抜いた重は、タイミングを合わせて簡単にイカダへ上がることが出来た。

重「ナイス合図!」

修「だろ? それじゃ教‥」

渡「せーの、でお願いします! せーので!」

修「えー、なんか普通」

渡「普通でいいんだよ!」

修「わかったよ! はい、せーのっ!」

 渡は水中から飛び出てくるペンギンのように、軽やかにイカダへ上がることが出来た。

渡「せーのに勝るものなし!」

 渡は勝ち誇ったように言いながら、イカダの上に置いておいたオールを重に渡す。

修「……おーい、知哉! もういけんだろ?」

知哉「あ、あぁ、今いくよ……」

 心の中で「くるよ」と言ったのは重だけだった。

知哉「うぅ、冷てぇ!」

修「ほれ、手を貸せ手を」

知哉「わかってるよ」

 知哉が手握りイカダに足をかけると、修は無言のまま雑に引っ張り上げた。

知哉「バッ、アブッ! バカ! 雑に引っ張んなよ!」

修「合図ないほうがいいのかと思って……」

 修の目を見た知哉は思わず吹き出し笑った。

知哉「ホントにそう思ってたのかよ!」

修「思ってたよ。こっちのポンコツ三人があーだこーだうるせぇからさぁ」

渡「いいから、オールと棒を持って隅に立ちなさいよ!」

知哉「隅ってどっちの?」

 渡は十数秒の間だけ腕を組んだ。

渡「決まった。知ちゃんは前方の右端。修は後方の左端。大先生は後方の右端。俺が前方の左端で、椎名さんは真ん中です。それで位置に着いたら、後方の二人で乗せてるだけの舵を取り付けてもらえる」

 渡の指示通りに舵の取り付けを終えると、五人はイカダの漕ぎ方、姿勢制御の練習に入った。
 もうすぐ三十歳になろうかという四人と、すでに三十歳を過ぎた一人は、真剣な眼差しで練習に打ち込んでいた。傍から見れば、いい大人が手作りイカダに乗って何をしているんだと思うだろう。しかし、当人たちはいたって真面目であり、このバカバカしくもキツイ経験が、自分たちの為に、延いては、より良い仕事をするために役立つと信じている。だがやはり、バシャバシャという形容がしっくりときてしまうような練習風景は、大人五人の合宿ではなく、少年五人の夏休みに見えた。

知哉「なんとか形になってきたな」

重「思ったより順調だね」

椎名「ただ変わり続ける川の流れの中で、舵がどこまで効くのか心配だよ」

渡「そうですね。もう少し練習を続けて、オールと棒でコントロールの精度を上げておきたいですね」

知哉「水をかくときのタイミングがズレる時があるからなぁ」

椎名「僕がもう少し早めに指示を出してみるよ」

重「失敗も成功も椎名さんにかかって‥」

椎名「あぁもう重君、プレッシャーをかけないでよ!」

重「大道芸をやってるんですから、プレッシャーに強いんじゃないんですか?」

椎名「大道芸とイカダは別物だよ!」

重「もう、冗談ですよ」

 重がケラケラ笑っていると、黙っていた修が麓の街まで届くような大声を出した。

修「あぁっ! 忘れてた!」

重「ビッ、ビックリした‥ なんだよ急に!」

修「晩飯のカードを探してないんだよ! 練習しててすっかり忘れ」
重「ビーフジ」
修「ジャーキーは明日のためにとっておくんだろ!?」

渡「俺も忘れてたよ…… どうも食べ物探しっていうのが習慣にならないんだよねぇ」

椎名「大丈夫大丈夫」

 椎名が出した声の気の抜けようときたらなかった。

修「大丈夫って、何がどう大丈夫なんですか?」

椎名「食材カードだよ。あれ、話してなかった?」

修「たぶん話してないと思いますけど……」

椎名「あ、そうか、冷やし中華を食べた後に話そうとしたんだけど、修君が面白い話をするもんだから忘れちゃったんだ」

修「それで……」

椎名「あぁ、それでね。普通の食材カード2枚と色付きのカードを2枚、夕食用に箱へ入れておいたから心配しなくて大丈夫だよ」

重「えぇっ!? すごいじゃないですか!」

知哉「椎名さんも見つけてたんですか!」

椎名「うん、修行の最中にたまたま見つけてね」

知哉「そういえば、『みんなも見つけたんだ』って言ってましたね」

渡「色付き含めて4枚はさすがですよ椎名さん!」

椎名「いやいや、どうもどうも」

修「というか、いつ箱に入れたんですか?」

椎名「みんなと合流する前に箱へ入れようとしたら、荒木さんが『他の皆さんがすでに色付きの食材カード三枚見つけたという連絡がありましたがどうしますか?』って言うから、夕食分にまわしておいてくださいって頼んでおいたんだよ」

修「なるほど」

渡「じゃあ、もう一踏ん張りして、練習しようか」

 夕食の憂いがなくなり、集中力が高まったおかげか、五人のイカダさばきはみるみる上達していった。
 そして夕方。数時間に及ぶ練習を切りあげた五人は、イカダを岸に上げていた。

渡「かなり上達したよね」

修「あぁ、これなら明日も何とかなるだろ」

知哉「明日が楽しみだ」

 岸に上げたイカダを見ながら、五人は何となく話していた。

椎名「ねぇ皆、ちょっと提案があるんだけど」

重「提案ですか」

椎名「うん。今日は皆シャワーを浴びるでしょ?」

渡「……どうする?」

重「なんだかんだ汗かいたし、浴びたほうがいいんじゃない?」

修「知哉はどうすんだ? シャワーを一回浴びたようなもんだろ?」

知哉「……それで椎名さん、提案って何ですか?」

椎名「うん。川に入ったから下半身は濡れちゃってるし、まだ夕食まで時間はあるでしょ? だから先にシャワーを浴びに行こうよ」

知哉「あぁ、先にですか」

椎名「そうすれば夕食をとりながら明日の話し合いが出来るじゃない」

知哉「確かにそうですね」

修「どうせまたシャワーの冷たさに震えるんなら、先に済ましたほうがいいか」

渡「じゃあ、キャンプ地に戻ったら支度して向かいましょうか」

 川原を後にした五人は、キャンプ地に寄って支度を済ませるとシャワー室へ向かった。
 夕方ということもあり、道に苦労することもなくシャワー室に到着した五人は、早速シャワーを浴び始めた。冷たい水がよほど嫌だったのか、それともシャワーの浴び方のコツでもおさえたのか、五人はそろってカラスの行水だった。
 最後のシャワーを終えた五人は、暗くなりつつある山道を急いだ。もちろん、早く焚き火にあたって体温を取り戻したいがために急いでいた。

知哉「よ、よし、着いたぞ!」

渡「早く火を起こそう!」

 キャンプ地へ続く坂を五人が登りきると、もはや福音とも呼べる笛の音が鳴り響いてきた。

熊「皆さん! 夕食をお届けにあがりました!」

 キャンプ地ではすでに熊と藍が火を起こし、小さな簡易テーブルや道具を並べて料理をしていた。その光景が嬉しかったのか、五人は二人のもとへと走っていった。

藍「皆さん、お待ちしてました」

 藍は焚き火の炭で温めていた片手鍋にフタをして立ち上がった。

椎名「あの、これは僕が荒木さんに頼んでおいた食材カードの……」

藍「はいそうです!」

熊「まぁ皆さん、お座りください。これから説明しますので」

 五人は持っていた洗濯物の袋をシェルターめがけて放り投げると、行儀よく焚き火の回りに座った。

熊「では藍ちゃん、よろしくお願いします」

藍「はい。まずは普通の食材カードからです」

 藍は簡易テーブルの上にあった紙袋を手に取った。

藍「えー、15番のカードはこちら、イチゴになります!」

 藍は一番近くにいた重にイチゴの入ったパックを手渡した。

重「イチゴだよ、イチゴ!」

修「食材としても語呂合わせとしてもSクラスだな!」

藍「次の877番のカードはもちろん、バナナになります!」

 そう言って取り出した一房のバナナは、手の空いていた渡が受け取った。

渡「伝説の語呂合わせ食材だね!」

知哉「レジェンドだな!」

椎名「これ、デザートで食べるより、朝食にとっておいたほうが良いんじゃない?」

修「そうですね。料理が二品あることですし、この朝食は朝にもってこいですよ」

藍「さて皆さん、いよいよ料理の発表になります!」

 その言葉に五人は唾を飲んだ。

藍「一枚目、水色と白の二色のカードはこちら…」

 藍の言葉に合わせて、焚き火の炭で温められていた、もう一つの大きな鍋のフタを熊は開けた。

藍「湯豆腐になります!」

 その瞬間、椎名は年下四人に無理やり立たせられると、その勢いのまま胴上げをされた。

知哉「バンザーイ!」
重「よーくやったぞぉ!」
渡「バンザーイ!」
修「でかしたぞぉ!」

 地面に降ろされた椎名は、四人から交互に抱き着かれた後、ようやく座ることが出来た。

椎名「もう皆! 胴上げするなら言ってよ! 放り投げられるのかと思ってドキドキしちゃったじゃない!」

修「なにを照れてんですかぁ」

知哉「とにかくナイスですよ椎名さん、ベリーナイス!」

熊「もう説明を再開……」

渡「あ、すみません! どうぞ!」

熊「どうも。えー本来、具材は豆腐のみなんですが、今回は熊風湯豆腐ということで……」

修「熊風ってつくだけで、すごく臭いのキツそうな……」

熊「安心してください。変なものは入れてませんから。あの、つまりは私の家では豆腐と一緒にタラを入れてるんですよ」

修「タラ!? 魚のタラですか!?」

熊「あ、お嫌いでしたか?」

修「タラ! タラタラ! タラッ!」

 急にタラの連呼を始めた修に熊は驚いていた。

渡「違うんですよ熊さん。修はタラが好きなんですよ」

熊「そうでしたか! それは良かったです!」

修「ナイスですよ熊さん! ベリーナイス!」

熊「どうもありがとうございます。じゃあ藍ちゃん、次の料理を」

藍「はい! お次は……」

 湯豆腐だけでも嬉しい五人は、二品目があることに幸せを覚えた。

藍「えーっと、ちょいざみ色のカードはこちら……」

 聞きなれない、いや、初めて聞く色の名に、五人は不安を覚えた。そんな五人を後目しりめに、藍は先ほどの片手鍋のフタを開けて言った。

藍「以前、みなさんにお話しをした汚苦多魔名物ツイミー汁です!」

 原形を留めることなく煮込まれた何かはドロドロとしており、片手鍋の中で『汁物』だと言い張っていた。色はちょいざみ色と言うしかない。

椎名「あ、あらぁ……」

 椎名は年下四人に無理やり立たせられた。

知哉「何してくれてんだ!」
重「このツイミー野郎!」
渡「見損なったぞ!」
修「ピエロがっ!」

 四人から交互に罵られたあと、椎名は座ることが出来た。

熊「あ、お嫌いでした?」

知哉「いや初対面ですよ!」

重「まったく、私たち五人は人見知りが激しいんですから!」

渡「アポを取ってもらいたいですな!」

修「そうですよねぇ椎名さん?!」

椎名「あ、はい、その通りでございます!」

藍「でも美味しいんですよツイミー汁」

熊「見た目は確かに悪いですが美味しいんですよ? 汚苦多魔では、のど越しを楽しむ汁物として……」

修「のど越しを楽しむ汁物? のど越しを楽しむ汁物? のど‥」

渡「わかったよ! 聞こえてるよ!」

知哉「もれなく驚いてるよ!」

修「だってお前、蕎麦だうどんだじゃねぇんだぞ?」

熊「いや修さん、本当に美味しいんですよ。お医者さんもおすすめの滋養強壮食品でもあるんですから」

修「それはありがたいですけど……」

熊「ただ、効き目が強いので、一人お椀一杯だけですからね。さて、料理の紹介も終わったところで……」

 急に話を前に進めた熊。そして藍は道具やテーブルを片付け始める。

熊「いよいよ明日、脱出するわけなんですが、えー、これが脱出用の地図になります」

 熊は懐から取り出した地図を修に渡した。

熊「明日はその地図を使って脱出してください。また、明日の出発の前に救命胴衣とヘルメットを支給いたします」

 藍同様、五人を後目に淡々と説明をしていく熊。

熊「さらに、明日は合宿所の教官総出となって、皆さんの脱出をサポートさせていただきますのでご安心ください。詳しくは、また明日の朝に川原で説明しますので……」

 藍の片づけが終わったのを確認した熊は、姿勢を正した。

熊「食器や鍋などは、後ほど回収しますので、箱の所へ置いておいてください。それでは……」

 熊は敬礼した。

熊「合宿所最後の夕食、合宿所最後の夜をお楽しみください! 失礼します!」

藍「失礼します!」

 清々しい声を出した二人は、まとめた道具を持ってキャンプ地を去っていった。

五人『………………』

 五人は互いの顔を見合って、少しの間だけ黙っていた。

椎名「お楽しみくださいって、のど越しをかな?」

知哉「アハハハッ…… おう、どの口がそんな……」

椎名「ゴメンゴメンゴメン! 冗談だよ!」

知哉「椎名さん、冗談を言ってる場合じゃないんですよ?」

重「ツイミー汁ですよ? ツイミー汁」

椎名「よし! こうなったら僕の飲み様ってものを見せてあげるよ!」

修「の、飲み様!?」

椎名「そうだよ飲み様! ササッと飲んじゃうから。はい、それじゃあお椀によそってもらえる?」

修「は、はぁ……」

 修は用意されたお椀にツイミー汁をよそうと、箸とともに渡した。

椎名「はいどうも。それじゃ参ります」

修「ど、どうぞ……」

 椎名は意を決して、ツイミー汁をかきこんだ。

椎名「……………」

 無言のままツイミー汁をのどで楽しむ椎名は、なぜか男らしく見えた。

椎名「……………」

 ツイミー汁を食べ終えた椎名は、何かに驚いているようで、年下四人の顔と空になったお椀とを交互に見ていた。

渡「ど、どうしたんですか?」

椎名「……無味無臭」

渡「はい!?」

椎名「無味無臭なのよツイミー汁」

渡「……だれかの新曲ですか?」

 真面目なのかフザけているのわからない渡の言葉に、笑い出してしまう他の四人。

重「そんな曲があったら俺が仕入れてるよ!」

知哉「ったく、何を言うかと思ったらよぉ」

修「面白いこと言うなぁ教授さんも」

渡「そう思っちゃったんだよ、うるさいねぇ!」

椎名「たぶん、人生の哀愁を歌った一曲だね」

重「味のあるムード歌謡ですよね」

修「バカ、味のないツイミー歌謡だろ?」

 汚苦多魔のツイミー汁でさえ笑い飛ばしてしまう五人は、合宿最後の夜も面白可笑しく過ごしてしまうのだった。
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