逃げる人

ポテトバサー

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逃げる人

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 私は逃げている。後ろには警察官が迫っている。だが、私に焦りはない。

「待て! 止まるんだ!」

 私は待ちもしないし、止まらない。捕まりたくないわけではない。ただ、逃げたいのだ。

「クソッ、見失った!」

 今回も私は逃げ切った。心身には何物にも代えがたい快感がやってくる。私にとって『逃げる』時のこの快感こそ、生きる意義なのだ。

 逃げることが好きになったのは何十年も前の子供のころ。誰しもがやったことのある鬼ごっこがきっかけだった。

「待て待てぇ!」

 友人たちが笑顔で追いかけてくる。そして最後の一人になった私に、複数の鬼たちが迫る。

「もう、逃げられないぞぉ!」

 誰も私を捕まえることは出来ない。触れることさえ出来ない。私はそんな日が永遠に続けばいいと思っていた。
 しかしながら人生というものは上手くいかないものだ。歳を重ねていけば、鬼ごっこという子供の遊びはやらなくなってしまう。私は考えた。

「待てコラァ!」

 青年になった私は、逃げる環境を自ら積極的に作っていた。不良の同級生や先輩を殴りつけては逃げていた。

「待ちなさい!」

 店から物を盗んでは逃げていた。物を壊しては逃げていた。それでも十分に満足だったが、逃げる環境にいつしか慣れてしまい、快感が足らなくなってしまった。そうなってからは何でもするようになった。

「殺すぞコノ野郎!」

 チンピラやヤクザを殴りつけたこともあった。だが、またしても快感が足らなくなった。

「お前は完全に包囲されている!」

 銀行強盗などの立てこもり。あの包囲網を突破し、逃げ切った快感はかなりのものだった。しかし、繰り返しているうちに濃度は薄くなる。

「全国指名手配」

 ついには人を殺した。見境なく。何人も。快感不足に、私はそれを続けてしまう。だが国内に私が落ち着ける場所がなくなった事は幸せだった。

「国際指名手配」

 今や全世界の人間たちから逃げられることになった。来る日も来る日も逃げ、休む間もなく逃げ続けた。
 警察犬やヘリの追跡。私目掛けて飛んでくる銃弾。息を切らし、血を流し、興奮と高揚で手足は震え、心臓は激しく脈打つ。私は幸せだった。
 しかしながら、しかしながら、人生というものは上手くいかないものだ。

「貴様には黙秘権がある……」

 私は捕まった。私でさえ身体的な衰えからは逃れられなかった。

「なぜ才能を無駄にしたんです?」

 弁護士が私に聞く。レーサーや陸上選手になれば、合法的に逃げられたというのだ。彼の意見はもっともかもしれない。だが、仮にそうしたとしても、いずれは足らなくなる。

「判決を言い渡す」

 死刑だった。それに異論は無い。当然の判決だ。私の命は残り一週間程度。生まれてからこのかた、『死』といものからも逃げ続けてきたが、それも終わりのようだ。

「本日、刑が執行されました」

 私は死んだ。だが、正しく言えば『私に似た男を代わりに処刑した』ということになる。他に類を見ない犯歴・動機・身体能力は、ある人間たちの知的探求心を大いにくすぐったらしい。

「君は死ぬまで、ここで実験体として生きていくことになる」

 世界が『天才博士・天才学者』と呼び、私が『私と同様の異常者』と呼ぶ彼らは、私を研究対象にしたのだ。

「こいつは面白いデータだ」

 繰り返される拷問に似た実験の数々。肉体も精神も傷つけられた。だが彼らは貴重な実験体である私を殺さない。治療と実験の生殺し。私が犯した犯罪を考えれば当然の仕打ちだろう。だが、私にとってそれは大した問題ではなかった。この繰り返される、慣れることのない極限に不満などあるわけがない。

「あいつはなぜ笑っているんだ?」

 肉体的な衰えから『逃げる』ことができなくなった私に、彼らはチャンスを与えたとは思っていなかった。私のような愚か者一人では到達できなかった。彼らには感謝の気持ちで一杯だ。

 なぜなら、私は死ぬまで、耐えい難い現実から逃げ続けることができるのだから。
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