1 / 1
逃げる人
しおりを挟む
私は逃げている。後ろには警察官が迫っている。だが、私に焦りはない。
「待て! 止まるんだ!」
私は待ちもしないし、止まらない。捕まりたくないわけではない。ただ、逃げたいのだ。
「クソッ、見失った!」
今回も私は逃げ切った。心身には何物にも代えがたい快感がやってくる。私にとって『逃げる』時のこの快感こそ、生きる意義なのだ。
逃げることが好きになったのは何十年も前の子供のころ。誰しもがやったことのある鬼ごっこがきっかけだった。
「待て待てぇ!」
友人たちが笑顔で追いかけてくる。そして最後の一人になった私に、複数の鬼たちが迫る。
「もう、逃げられないぞぉ!」
誰も私を捕まえることは出来ない。触れることさえ出来ない。私はそんな日が永遠に続けばいいと思っていた。
しかしながら人生というものは上手くいかないものだ。歳を重ねていけば、鬼ごっこという子供の遊びはやらなくなってしまう。私は考えた。
「待てコラァ!」
青年になった私は、逃げる環境を自ら積極的に作っていた。不良の同級生や先輩を殴りつけては逃げていた。
「待ちなさい!」
店から物を盗んでは逃げていた。物を壊しては逃げていた。それでも十分に満足だったが、逃げる環境にいつしか慣れてしまい、快感が足らなくなってしまった。そうなってからは何でもするようになった。
「殺すぞコノ野郎!」
チンピラやヤクザを殴りつけたこともあった。だが、またしても快感が足らなくなった。
「お前は完全に包囲されている!」
銀行強盗などの立てこもり。あの包囲網を突破し、逃げ切った快感はかなりのものだった。しかし、繰り返しているうちに濃度は薄くなる。
「全国指名手配」
ついには人を殺した。見境なく。何人も。快感不足に、私はそれを続けてしまう。だが国内に私が落ち着ける場所がなくなった事は幸せだった。
「国際指名手配」
今や全世界の人間たちから逃げられることになった。来る日も来る日も逃げ、休む間もなく逃げ続けた。
警察犬やヘリの追跡。私目掛けて飛んでくる銃弾。息を切らし、血を流し、興奮と高揚で手足は震え、心臓は激しく脈打つ。私は幸せだった。
しかしながら、しかしながら、人生というものは上手くいかないものだ。
「貴様には黙秘権がある……」
私は捕まった。私でさえ身体的な衰えからは逃れられなかった。
「なぜ才能を無駄にしたんです?」
弁護士が私に聞く。レーサーや陸上選手になれば、合法的に逃げられたというのだ。彼の意見はもっともかもしれない。だが、仮にそうしたとしても、いずれは足らなくなる。
「判決を言い渡す」
死刑だった。それに異論は無い。当然の判決だ。私の命は残り一週間程度。生まれてからこのかた、『死』といものからも逃げ続けてきたが、それも終わりのようだ。
「本日、刑が執行されました」
私は死んだ。だが、正しく言えば『私に似た男を代わりに処刑した』ということになる。他に類を見ない犯歴・動機・身体能力は、ある人間たちの知的探求心を大いにくすぐったらしい。
「君は死ぬまで、ここで実験体として生きていくことになる」
世界が『天才博士・天才学者』と呼び、私が『私と同様の異常者』と呼ぶ彼らは、私を研究対象にしたのだ。
「こいつは面白いデータだ」
繰り返される拷問に似た実験の数々。肉体も精神も傷つけられた。だが彼らは貴重な実験体である私を殺さない。治療と実験の生殺し。私が犯した犯罪を考えれば当然の仕打ちだろう。だが、私にとってそれは大した問題ではなかった。この繰り返される、慣れることのない極限に不満などあるわけがない。
「あいつはなぜ笑っているんだ?」
肉体的な衰えから『逃げる』ことができなくなった私に、彼らはチャンスを与えたとは思っていなかった。私のような愚か者一人では到達できなかった。彼らには感謝の気持ちで一杯だ。
なぜなら、私は死ぬまで、耐えい難い現実から逃げ続けることができるのだから。
「待て! 止まるんだ!」
私は待ちもしないし、止まらない。捕まりたくないわけではない。ただ、逃げたいのだ。
「クソッ、見失った!」
今回も私は逃げ切った。心身には何物にも代えがたい快感がやってくる。私にとって『逃げる』時のこの快感こそ、生きる意義なのだ。
逃げることが好きになったのは何十年も前の子供のころ。誰しもがやったことのある鬼ごっこがきっかけだった。
「待て待てぇ!」
友人たちが笑顔で追いかけてくる。そして最後の一人になった私に、複数の鬼たちが迫る。
「もう、逃げられないぞぉ!」
誰も私を捕まえることは出来ない。触れることさえ出来ない。私はそんな日が永遠に続けばいいと思っていた。
しかしながら人生というものは上手くいかないものだ。歳を重ねていけば、鬼ごっこという子供の遊びはやらなくなってしまう。私は考えた。
「待てコラァ!」
青年になった私は、逃げる環境を自ら積極的に作っていた。不良の同級生や先輩を殴りつけては逃げていた。
「待ちなさい!」
店から物を盗んでは逃げていた。物を壊しては逃げていた。それでも十分に満足だったが、逃げる環境にいつしか慣れてしまい、快感が足らなくなってしまった。そうなってからは何でもするようになった。
「殺すぞコノ野郎!」
チンピラやヤクザを殴りつけたこともあった。だが、またしても快感が足らなくなった。
「お前は完全に包囲されている!」
銀行強盗などの立てこもり。あの包囲網を突破し、逃げ切った快感はかなりのものだった。しかし、繰り返しているうちに濃度は薄くなる。
「全国指名手配」
ついには人を殺した。見境なく。何人も。快感不足に、私はそれを続けてしまう。だが国内に私が落ち着ける場所がなくなった事は幸せだった。
「国際指名手配」
今や全世界の人間たちから逃げられることになった。来る日も来る日も逃げ、休む間もなく逃げ続けた。
警察犬やヘリの追跡。私目掛けて飛んでくる銃弾。息を切らし、血を流し、興奮と高揚で手足は震え、心臓は激しく脈打つ。私は幸せだった。
しかしながら、しかしながら、人生というものは上手くいかないものだ。
「貴様には黙秘権がある……」
私は捕まった。私でさえ身体的な衰えからは逃れられなかった。
「なぜ才能を無駄にしたんです?」
弁護士が私に聞く。レーサーや陸上選手になれば、合法的に逃げられたというのだ。彼の意見はもっともかもしれない。だが、仮にそうしたとしても、いずれは足らなくなる。
「判決を言い渡す」
死刑だった。それに異論は無い。当然の判決だ。私の命は残り一週間程度。生まれてからこのかた、『死』といものからも逃げ続けてきたが、それも終わりのようだ。
「本日、刑が執行されました」
私は死んだ。だが、正しく言えば『私に似た男を代わりに処刑した』ということになる。他に類を見ない犯歴・動機・身体能力は、ある人間たちの知的探求心を大いにくすぐったらしい。
「君は死ぬまで、ここで実験体として生きていくことになる」
世界が『天才博士・天才学者』と呼び、私が『私と同様の異常者』と呼ぶ彼らは、私を研究対象にしたのだ。
「こいつは面白いデータだ」
繰り返される拷問に似た実験の数々。肉体も精神も傷つけられた。だが彼らは貴重な実験体である私を殺さない。治療と実験の生殺し。私が犯した犯罪を考えれば当然の仕打ちだろう。だが、私にとってそれは大した問題ではなかった。この繰り返される、慣れることのない極限に不満などあるわけがない。
「あいつはなぜ笑っているんだ?」
肉体的な衰えから『逃げる』ことができなくなった私に、彼らはチャンスを与えたとは思っていなかった。私のような愚か者一人では到達できなかった。彼らには感謝の気持ちで一杯だ。
なぜなら、私は死ぬまで、耐えい難い現実から逃げ続けることができるのだから。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。



夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で追放した男の末路
菜花
ファンタジー
ディアークは参っていた。仲間の一人がディアークを嫌ってるのか、回復魔法を絶対にかけないのだ。命にかかわる嫌がらせをする女はいらんと追放したが、その後冤罪だったと判明し……。カクヨムでも同じ話を投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる