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第一夜『星巡りの夜』
其之十:十四の夜
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その夜、あたしの誕生日を祝してささやかながらパーティが催された。
クロ兄さんがあたしの大好物の特製カレーと「メリーゾ」のプリンケーキを用意してくれたし、蒼太からは手作りの肩叩き券という14歳としては嬉しさと切なさが複雑に絡み合う心尽くしの品(しかも「肩叩き券」じゃなく「秘孔突き券」という物騒な表記になっている)を頂戴した。
ハク兄さんが大変ありがたい「俺の笑顔」をプレゼントして下さり、クロ兄さんに「そろそろ新しいネタ仕込んで来いよ」とツッコまれる恒例のやり取りも見ることが出来た。
誕生日を祝って貰える事はもちろんだけど、こうして家族揃って団欒の時間を過ごせることが何より嬉しい。両親はもういないし、決して余裕のある暮らしじゃないけれど、こうして兄さん達と蒼太が側にいてくれる。とてもありがたくて、いつまでもこうであって欲しいと思える、幸せな時間だ。
それに今年は、思いがけない珍しい出会いがあった。ご馳走の準備が出来ていざ食卓に着こうという時、あたしはいそいそと荷置き場に行って暗がりに声をかけた。
「ねぇ、良かったら綺也さまもこっち来て一緒に…」
綺也さまは、さっきと同じ場所に同じ正座の姿勢で座ったまま、静かに目を閉じていた。よく見ると肩がゆっくり上下し、微かに息を吐くような音も聞こえる。
「あ、あれ…ひょっとして眠っちゃった?お人形なのに?」
「スリープモードってやつだろ、消費電力を抑えるための。ドールなら別に珍しかねぇよ」
言いながら、横からハク兄さんも覗き込んでくる。なるほど確かに、今電池切れになったらうちでは充電する術がないし、そもそもどうやって充電するのかも分からない。
「大体参加させてどうすんだよ。ホンマもんのロボットダンスでもさせるつもりか」
「うーん、それはそれで楽しそうだけど」
ずっと淋し気な様子だったので少しでも気が紛れればと思ったのだが、今の綺也さまの状況を思えば主人が安否不明な時にはしゃげというのは確かに理不尽な話だ。
あたしは何となく申し訳ないような、高揚しきれない思いを抱きながら、ケーキの上でゆらゆらと舞い踊るホログラムの炎を一つずつ吹き消していった。
今年のこの日も、こうして一つ歳を重ねただけで過ぎていく。そう、思っていた。
「……殿……、小紅殿…」
夢うつつに、誰かがあたしの名前を呼んでいる。
ゆっくりと瞼を開くと、目の前にぼんやりと丸い青と金の光が見えた。
「小紅殿」
「~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!?」
それが人…の姿をしたものの両眼であることに気付いた瞬間、あたしは声なき悲鳴を上げて覚醒した。
(近ッ!!近い近い近い近い!!!!!)
いつ部屋に忍び込んだのか、綺也さまがあたしの寝顔を至近距離で覗き込んでいた。
昨日は色々あって流石に疲れ、あたしは折角の七夕の夜を楽しむ余裕もなく、こうして掛け布団を蹴り飛ばしながら豪快に大の字になって昏々と寝入っていたところである。
必死に息と鼓動を整えながら枕元のスマホを確認すると、午前二時を数分ほど過ぎた時刻だった。何故こんな時間に汗びっしょりになりながら起きなければならないのだろう。
「お目覚めか。夜分恐れ入る」
「…き、綺也さま…どうして、どうやってここに!?」
昨夜は荷置き場にしっかりと施錠してから、銘々の部屋に引き上げた筈だ。大事な荷物を一晩預かることになったという事で、クロ兄さんがいつもより念入りにロックの状態や監視カメラをチェックしていたのをあたしも見ている。無理に開けようとすればブザーが鳴る筈なのに、そんな様子は一切なく家の中は静まり返っていた。一枚の薄い板で仕切られただけの隣の部屋から、蒼太の極めて健康的な寝息が聞こえてくるほどだ。
しかし綺也さまは疑問には答えず、きっぱりと用件を告げてきた。
「小紅殿。今から俺と天岐多邸へ向かって欲しい」
「へ!!?えっと、それは出来ないって…綺也さまも聞いてたでしょ?」
「飛脚問屋としての事情と見解は理解している。しかし小紅殿は協力の意志があると判断した」
「そ、そりゃあ……個人的にはもちろん連れてってあげたいけど」
よくよく思い出してみれば、確かにあの時綺也さまは「理解した」とは言ったけど「了解」とも「承知」とも言っていない。どうやら、天岐多邸に行くことを諦めたわけではなかったようだ。
目が覚めてくるとともに、少しずつ思考がはっきりしてきた。あと、酷い寝相を見られたことも徐々に恥ずかしくなってきた。
「あのね綺也さま。申し訳ないんだけど、お預かりした荷物の勝手な持ち出しは…」
照れを隠しつつそこまで言って、あたしはようやく先程からそこはかとなく漂っていた違和感の正体に気付いた。
「…綺也さま、なんかさっきと顔違わない?」
昨日までの眠そうな半開きの目付きとは打って変わって、綺也さまの両眼がぱっちりと開かれている。暗い茶色と藍色だった虹彩もそれぞれ鮮やかな金と青に変化しており、ぼんやりと光っている。予想していた通り、大きくて吸い込まれそうに美しいオッドアイだ。
さっきまで惜しい惜しいと思っていた点が修正され、「そうそう、コレだよコレ」と思わず膝を叩きたくなるような見事な美少年ドールがそこにいた。
「俺は『夜警型』だ。日没とともに省エネモードから通常モードに移行する」
「はあ」
「これで俺の全機能が使用可能になった。急いで現場に向かいたい」
心なしか、言葉もさっきよりハキハキとしている。よく分からないけれど、どうやら綺也さまは夜になったら元気になるタイプということのようだ。
しかし残念ながら、あたしの方は昼型の極めて健康的なタイプだ。基本的に夜は寝るものである。
「綺也さま、気持ちは分かるけどこんな遅い時間じゃ危ないわ。ほら、変な人に襲われたりしたら…」
「…ふむ、説明が足りなかったようだ。俺は夜警型の護衛人形だ。夜間の警備能力に特化している。人間の悪漢数人程度なら、片腕でも取り押さえるだけの能力はある」
「…えーと、うーーん………」
相手はドールなのだから「ダメ」ときっぱり申し渡せば済む筈なのに、どうもそんな気にはなれなかった。理由は分かっている。綺也さまを天岐多様に返してあげたいという思いが、まだあたしの中で燻っていたからだ。
あたしが逡巡していると、綺也さまはその大きな目を伏せた。
「今夜でなくてはいけないのだ。それに、月が細くなり過ぎた…」
ぽつりと不思議なことを呟き、そしてまたじっとあたしを見つめてきた。一度は諦めて殻の中に閉じ込めた決意が、種が芽吹くように再びむくむくと胸の奥で育ち始める。
「…太一さまに、会いたい。叶えてはもらえぬか」
「……………」
美少年ドールにこんなに真っ直ぐな目でこんなに健気なことを訴えられ、心動かぬ女子がいるだろうか。芽吹いた決意はあっという間にあたしの胸に根を下ろし、空に向かって堂々と枝葉を広げる。
あたしは聳え立つ大樹のごとくすっくと立ちあがり、足元に正座する綺也さまを見下ろして微笑んだ。
「ダメよ、綺也さま」
「ふむ、ダメなのか」
───そう、ダメなものはダメだ。
綺也さまは大事な預かりものなのだ。勝手に持ち出してもし何かあれば、飛脚問屋全体の責任問題になってしまう。見習いの仕出かしたことだからと許されるものではない。どんなに心をグラグラ揺さぶられようと、その心を巌と化してグッと堪えねばならないのだ。
「ふむ、了解した。では俺はこれより単機行動に移る」
「…へ?」
「飛脚に連れて来てもらうという条件から外れるが致し方ない。では小紅殿、失礼仕る」
そう言うと、綺也さまは立ち上がりスタスタと窓の方へと向かった。
夏とは言え夜風はまだ涼しく、不用心極まりなく開け放たれた窓辺ではレースのカーテンが静かに揺れている。風がそのカーテンを一際大きく揺らした、その瞬間。
「ちょっと……綺也さまっ!?」
止める間もなく、綺也さまはマントを翻し窓の外の闇へと身を躍らせた。慌てて窓に飛びつき、身を乗り出して外を見回すと、細い裏路地を黒い小柄な後ろ姿が駅前通りに向かって去って行こうとしているのが見えた。
「待って!待ちなさい!」
その背中に向かってあたしが器用に小声で叫ぶと、綺也さまは立ち止まり、振り向いてこちらを見上げてきた。
幸い、こちらの話を聞く気はあるようだ。ここまで来たら、もはやあたしも腹を括るしかない。
「…ああもう、分かった、分かったから!ついてってあげるから、そこで待ってなさい!」
───あたしは本当に、何かとんでもないものを拾ってきてしまったのかもしれない。
クロ兄さんがあたしの大好物の特製カレーと「メリーゾ」のプリンケーキを用意してくれたし、蒼太からは手作りの肩叩き券という14歳としては嬉しさと切なさが複雑に絡み合う心尽くしの品(しかも「肩叩き券」じゃなく「秘孔突き券」という物騒な表記になっている)を頂戴した。
ハク兄さんが大変ありがたい「俺の笑顔」をプレゼントして下さり、クロ兄さんに「そろそろ新しいネタ仕込んで来いよ」とツッコまれる恒例のやり取りも見ることが出来た。
誕生日を祝って貰える事はもちろんだけど、こうして家族揃って団欒の時間を過ごせることが何より嬉しい。両親はもういないし、決して余裕のある暮らしじゃないけれど、こうして兄さん達と蒼太が側にいてくれる。とてもありがたくて、いつまでもこうであって欲しいと思える、幸せな時間だ。
それに今年は、思いがけない珍しい出会いがあった。ご馳走の準備が出来ていざ食卓に着こうという時、あたしはいそいそと荷置き場に行って暗がりに声をかけた。
「ねぇ、良かったら綺也さまもこっち来て一緒に…」
綺也さまは、さっきと同じ場所に同じ正座の姿勢で座ったまま、静かに目を閉じていた。よく見ると肩がゆっくり上下し、微かに息を吐くような音も聞こえる。
「あ、あれ…ひょっとして眠っちゃった?お人形なのに?」
「スリープモードってやつだろ、消費電力を抑えるための。ドールなら別に珍しかねぇよ」
言いながら、横からハク兄さんも覗き込んでくる。なるほど確かに、今電池切れになったらうちでは充電する術がないし、そもそもどうやって充電するのかも分からない。
「大体参加させてどうすんだよ。ホンマもんのロボットダンスでもさせるつもりか」
「うーん、それはそれで楽しそうだけど」
ずっと淋し気な様子だったので少しでも気が紛れればと思ったのだが、今の綺也さまの状況を思えば主人が安否不明な時にはしゃげというのは確かに理不尽な話だ。
あたしは何となく申し訳ないような、高揚しきれない思いを抱きながら、ケーキの上でゆらゆらと舞い踊るホログラムの炎を一つずつ吹き消していった。
今年のこの日も、こうして一つ歳を重ねただけで過ぎていく。そう、思っていた。
「……殿……、小紅殿…」
夢うつつに、誰かがあたしの名前を呼んでいる。
ゆっくりと瞼を開くと、目の前にぼんやりと丸い青と金の光が見えた。
「小紅殿」
「~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!?」
それが人…の姿をしたものの両眼であることに気付いた瞬間、あたしは声なき悲鳴を上げて覚醒した。
(近ッ!!近い近い近い近い!!!!!)
いつ部屋に忍び込んだのか、綺也さまがあたしの寝顔を至近距離で覗き込んでいた。
昨日は色々あって流石に疲れ、あたしは折角の七夕の夜を楽しむ余裕もなく、こうして掛け布団を蹴り飛ばしながら豪快に大の字になって昏々と寝入っていたところである。
必死に息と鼓動を整えながら枕元のスマホを確認すると、午前二時を数分ほど過ぎた時刻だった。何故こんな時間に汗びっしょりになりながら起きなければならないのだろう。
「お目覚めか。夜分恐れ入る」
「…き、綺也さま…どうして、どうやってここに!?」
昨夜は荷置き場にしっかりと施錠してから、銘々の部屋に引き上げた筈だ。大事な荷物を一晩預かることになったという事で、クロ兄さんがいつもより念入りにロックの状態や監視カメラをチェックしていたのをあたしも見ている。無理に開けようとすればブザーが鳴る筈なのに、そんな様子は一切なく家の中は静まり返っていた。一枚の薄い板で仕切られただけの隣の部屋から、蒼太の極めて健康的な寝息が聞こえてくるほどだ。
しかし綺也さまは疑問には答えず、きっぱりと用件を告げてきた。
「小紅殿。今から俺と天岐多邸へ向かって欲しい」
「へ!!?えっと、それは出来ないって…綺也さまも聞いてたでしょ?」
「飛脚問屋としての事情と見解は理解している。しかし小紅殿は協力の意志があると判断した」
「そ、そりゃあ……個人的にはもちろん連れてってあげたいけど」
よくよく思い出してみれば、確かにあの時綺也さまは「理解した」とは言ったけど「了解」とも「承知」とも言っていない。どうやら、天岐多邸に行くことを諦めたわけではなかったようだ。
目が覚めてくるとともに、少しずつ思考がはっきりしてきた。あと、酷い寝相を見られたことも徐々に恥ずかしくなってきた。
「あのね綺也さま。申し訳ないんだけど、お預かりした荷物の勝手な持ち出しは…」
照れを隠しつつそこまで言って、あたしはようやく先程からそこはかとなく漂っていた違和感の正体に気付いた。
「…綺也さま、なんかさっきと顔違わない?」
昨日までの眠そうな半開きの目付きとは打って変わって、綺也さまの両眼がぱっちりと開かれている。暗い茶色と藍色だった虹彩もそれぞれ鮮やかな金と青に変化しており、ぼんやりと光っている。予想していた通り、大きくて吸い込まれそうに美しいオッドアイだ。
さっきまで惜しい惜しいと思っていた点が修正され、「そうそう、コレだよコレ」と思わず膝を叩きたくなるような見事な美少年ドールがそこにいた。
「俺は『夜警型』だ。日没とともに省エネモードから通常モードに移行する」
「はあ」
「これで俺の全機能が使用可能になった。急いで現場に向かいたい」
心なしか、言葉もさっきよりハキハキとしている。よく分からないけれど、どうやら綺也さまは夜になったら元気になるタイプということのようだ。
しかし残念ながら、あたしの方は昼型の極めて健康的なタイプだ。基本的に夜は寝るものである。
「綺也さま、気持ちは分かるけどこんな遅い時間じゃ危ないわ。ほら、変な人に襲われたりしたら…」
「…ふむ、説明が足りなかったようだ。俺は夜警型の護衛人形だ。夜間の警備能力に特化している。人間の悪漢数人程度なら、片腕でも取り押さえるだけの能力はある」
「…えーと、うーーん………」
相手はドールなのだから「ダメ」ときっぱり申し渡せば済む筈なのに、どうもそんな気にはなれなかった。理由は分かっている。綺也さまを天岐多様に返してあげたいという思いが、まだあたしの中で燻っていたからだ。
あたしが逡巡していると、綺也さまはその大きな目を伏せた。
「今夜でなくてはいけないのだ。それに、月が細くなり過ぎた…」
ぽつりと不思議なことを呟き、そしてまたじっとあたしを見つめてきた。一度は諦めて殻の中に閉じ込めた決意が、種が芽吹くように再びむくむくと胸の奥で育ち始める。
「…太一さまに、会いたい。叶えてはもらえぬか」
「……………」
美少年ドールにこんなに真っ直ぐな目でこんなに健気なことを訴えられ、心動かぬ女子がいるだろうか。芽吹いた決意はあっという間にあたしの胸に根を下ろし、空に向かって堂々と枝葉を広げる。
あたしは聳え立つ大樹のごとくすっくと立ちあがり、足元に正座する綺也さまを見下ろして微笑んだ。
「ダメよ、綺也さま」
「ふむ、ダメなのか」
───そう、ダメなものはダメだ。
綺也さまは大事な預かりものなのだ。勝手に持ち出してもし何かあれば、飛脚問屋全体の責任問題になってしまう。見習いの仕出かしたことだからと許されるものではない。どんなに心をグラグラ揺さぶられようと、その心を巌と化してグッと堪えねばならないのだ。
「ふむ、了解した。では俺はこれより単機行動に移る」
「…へ?」
「飛脚に連れて来てもらうという条件から外れるが致し方ない。では小紅殿、失礼仕る」
そう言うと、綺也さまは立ち上がりスタスタと窓の方へと向かった。
夏とは言え夜風はまだ涼しく、不用心極まりなく開け放たれた窓辺ではレースのカーテンが静かに揺れている。風がそのカーテンを一際大きく揺らした、その瞬間。
「ちょっと……綺也さまっ!?」
止める間もなく、綺也さまはマントを翻し窓の外の闇へと身を躍らせた。慌てて窓に飛びつき、身を乗り出して外を見回すと、細い裏路地を黒い小柄な後ろ姿が駅前通りに向かって去って行こうとしているのが見えた。
「待って!待ちなさい!」
その背中に向かってあたしが器用に小声で叫ぶと、綺也さまは立ち止まり、振り向いてこちらを見上げてきた。
幸い、こちらの話を聞く気はあるようだ。ここまで来たら、もはやあたしも腹を括るしかない。
「…ああもう、分かった、分かったから!ついてってあげるから、そこで待ってなさい!」
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