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「確かに群れているけど、あれぐらいなら問題ないよ」
 「それは大原だからでしょ。現にお父さんダウン中じゃん」
 大原のフォローに、私は深いため息を吐き出す。
この現状を見て安心出来る要素が、一つもないという心許ない状況。

 「あれは汚れの塊みたいなものなんだ。ああいうのは、月山のお父さんみたいなのが大好物なんだよ。月山は半分地獄の空気を纏っているから、瘴気はかき消されるため問題ないんだ。地獄はあれよりすごいから」
 「……それってなんだか複雑」
 守られているのか、守られてないのか。

――あー。でも魔を駆る者がいるって言っていたわよね。もし出会っても、私何も武器もないのだけれど。あっても仕えないし。なんでこんな目に合うかなぁ。まぁ、元々の原因は、私が欲に駆られアンクレットを付けたのが始まりだけれどもさ。契約があっても、アレさえなければまだなんとか……

私は自嘲的に笑いを漏らし、肩を落としうな垂れてしまった。
そんな私の頭上に何かが触れたかと思えば、それは私の髪を梳くように数回程頭を撫でていく。
 「大原?」
それは目の前に居た大原の手。最近撫でられる機会が増えた気がする。
なんだか大原に頭を撫でられると、穏やかな春の日差しみたいだ。
そのまま寝転がってしまいたくなる。さすがにこの場では嫌だけれども。
マタタビの気持ちが良くわかる。
いつも私の膝の上で目を細め甘える姿を想像して、私は思いを馳せていた。そう言えば、マタタビはどうしているんだろうか。

 「大丈夫。月山の事は俺が必ず守るから。安心して」
 「うん」
きっと大原が大丈夫というのだから、本当に問題は無いのだろう。今までもそうだったから。
 私は元気よく返事をすると、大原の手を握りしめた。
 遥かに大きい手は、とても温かく優しく握り返してくれる。
なんだか子供が迷子を怖がって親の手を繋いでいるようだ。
そんな子供じみた私を、大原は目じりを下げて微笑んでいた。

その笑顔が私の強張っていた表情と心を緩ませてくれたのだけれども、それはすぐに打ち消された。突如視界に現れたつぶらな豆粒のせいで――

「ち、近っ」
 事前予告も何もなく出現したそれにより、私は空気を大量に飲み込み、はっきりと言葉を話す事が出来なかった。
 私の世界はただ今、黒一色。
あと数ミリで対象物と鼻がくっつくような近距離のため、反射的に身を後方へと仰け反るという緊急処置を行った。そのため、必然的に私と大原の距離は開かれてしまう。
 「こ、小鬼?」
それを凝視しながら、私は顔が引き攣った。
 何度も見慣れたあの饅頭顔だったのだけれども、あんなアップでは不透明だったようだ。
 「この僕を誰だと思っているのですか! 恐れ多くも閻魔大王様の右腕。このような無礼な振る舞いが許されるはずがない!」
 小鬼はいつものように頭上を掴まれ、手足をバタつかせ水面下の鳥の如くもがいている。
なんだか良く見る日常的な光景だ。
ただ、その小鬼を掴んでいるのが私ではなく、相手は熊のような手をしたお父さん。

 「そ…の甘った……るい空気…は必要な…い」
 「ちょっと、なんで大人しくしてないの!?」
お父さんは物干し竿に干されている洗濯物の如く、車のドアに体全体を預け、私と大原の間に腕を伸ばしていた。
 先ほどよりもかなり衰弱しているらしく、呼吸がさらに荒くなり言葉も途切れ途切れのため、覇気は一切感じられない。むしろそんな状態なのに、なぜ外へ出てきたのだと問いたかった。
 「離せ! この野蛮人が」
どうやら体力的に限界だったのだろう。
そう甲高い声で怒鳴り散らしながら手でお父さんの手の平を数回叩けば、小鬼は脱出成功。
その後は「お手のものだ」とばかりに器用に着地を決めてみせた。
もちろんその表情は眉を寄せ、口元を歪ませ不機嫌さを前面に出しているが。

 「ふん。親子そろってそっくりですね」
 「似てないわよ。私、お母さん似だもん。うちはお姉ちゃんもお母さん似だし。小鬼、うちのお母さん見た事あるでしょ?」
 「中身ですよ。中身が……――」
 小鬼は何に反応したのか、顔を弾かれたように上げ、そして急ぎ地面を蹴り車内へと飛び乗った。
そして後部座席のシートに立ち、こちらと同じように開け放たれた反対側のドアより、森をじっと見ている。その緊迫感に、背筋を冷たい物が走った。

 「これは……」
そう口走った大原の目は、大きく見開かれている。周りも同じだ。
 大原同様、森へと意識が注がれているらしく、みんな注意深く凝視している。
 私からしてみれば、さっきと変わらない。相変わらず不気味なままだ。

 「ねぇ、何……?」
 早鐘のように鳴り続く心臓を押さえ、私は尋ねた。
 「瘴気が少しずつ、浄化されています」
 「なんだ、そんな事か」
もっと重要で身に降りかかる危険な事と思っていたが、たいした事が無かったらしい。
 良かった。瘴気が払われれば、これでお父さんも楽になるだろう。
 私の思考はいたく短絡的だったようだ。体の力が抜け、安堵の息を漏らす。

 「悟よ。この妖はお前達の知っている者か? ずいぶんと派手に片付けてくれているようだが」
 「マタタビ。月山が飼っている猫だよ」
その大原の発言に驚いたのは、私とお父さん。
 二人して顔を見合わせ、目をかっぴらきながら口の筋肉を動かす事を忘れ、ポカンと開いたまま。
つい先日妖だった事を知るはめになったけれども、瘴気を払うとかは聞いてませんってば。

 「マタタビって、うちの?」
 「うん。この気配はそうだよ」
 「小娘は相変わらずですね。そもそも以前に伝えたじゃないですか。力が強ければ人の形を取るのは容易だと。つまりは実力は有るという事ですよ」
 「わかっているってば。でもそれは地獄の常識って、小鬼が言っていたじゃん。うちのは猫だよ」
 「いえ。それは違います。正確には、元・猫です」
 「今も猫だってば。あんたこの間、猫パンチ食らっていたじゃん」
 「何の話ですか」
 「あ、恍けるの?」
 「全然。小娘の記憶違いじゃないですか?」
 「何、意地張っているのよ。可愛くないなー」
 「それは貴方です」
 「小鬼だってば!」
 「小娘ですって!」
お互い火花が散りかけたが、突如響き渡ってきた「月山さん!」という悲痛な叫びがそれを鎮火させる。

――何事っ!?

慌ててその声のした方向――車の左側へと回りこめば、大原と大原のおじいさんが、その物体付近にしゃがみ込んでいた場面だった。
 「お、お父さん……」
それはホラー映画に出てくる幽霊の如く、地面を這いつくばっているお父さんの姿だった。
その先にはあの例の森がある事から、そちらへと向かいたいのだろう。
どうやらつい数分前の小鬼とのバトルで頭に血が昇っていた私は、この件に関し全く目に入って無かったようだ。
 「ほら、休んでいないと駄目だってば」
 私はしゃがみ込みお父さんの腕を取った。
 少しぐらいは浮かせると思ったのに、全くびくともしない。やっぱり無理だった。
 重量級の熊を人間が一人で持つなんて、不可能に近い。
 重い。重すぎる。なんといっても、身長百七十五センチ、体重九十キロ。
そんな大男を持ちあげられるには、私は小さすぎ。

おそらく大原と大原のお爺ちゃんの力を借りても持ち上げられないだろう。どうしようと途方に暮れていると、お父さんの体が軽くなった。

 「小鬼」
 「本当に何処まで面倒かければ気がすむのですか? 全く親子揃って」
ぶつぶつ言いながらも小鬼は、お父さんの体を支えながら起き上がらせてくれている。
 両脇に腕を差し込んで、まるで熊のヌイグルミでも持っているかのよう。
どこにそんな力があるのだろうか。小鬼の方が身長は高いけど、明らかに体が薄い。
 小鬼二人分でも足りないぐらいに、お父さんは太いのに。

 「はな…せう…ち……のだい…じ…な…大事なか…ぞ…くが」
 「家族? あぁ、あの暴力猫ですか」
 「お父さん、もしかしてマタタビを助けに行こうとしたの?」
でもそんな体じゃ、先に進ませる事は無理だ。それでもお父さんは小鬼の腕をなんとか振りほどこうと、何度も何度も暴れている。体力も精神力もとっくに限界を迎えているはずなのに。
 「月山のお父さん。マタタビなら大丈夫ですよ」
 「そうじゃ。このぐらい術が使えれば、ある程度は問題ない。それに悟もすぐにあちらに向かう。それより貴方の方が大問題だ。少し大人しくなされよ。そうしなければ、お宅の猫がやった事が無意味になってしまうぞ?」
 「う…ちの……?」
 「あぁ。このような大規模に瘴気を払ったのは、貴方のためだ。この場にいる誰一人として、瘴気ぐらいにやられる者はおらぬからな。おそらく、貴方が来る事を予測しておったのだろう。月山さん、貴方の負担を減らすために」
 大原のお爺さんの言葉を聞いたお父さんが俯くと、地面へ水滴が落ち、染みを作った。
 嗚咽混じりに、「マタタビ」という言葉が混じり合う。
お父さんは、こう見えて実は涙脆い。
しかも、男たる者、女・子供を守らねばという使命感を背負っている。男の道を進む。それが道男という名の由来だ。
そう言えば、この間のいとこの結婚式。あの時も、花嫁以上に泣いていたのがお父さんだ。もうむせび泣いてしょうがなかった。まわりから思わず苦笑いが出るぐらいに。

――まぁ、お母さん曰くそこがいいらしいが。

 「わかったのならば、少しは大人しくしていないさい。あの暴力猫がやった事を、無意味にしたくなければ」
 小鬼はそう言うと、車内へとお父さんを押し込めた。
そして出て来られないようにと、ドアをきちんと閉めて。
 「さて、そろそろ参りましょうか」
 「そうだな。月山、準備はいい?」
いいわけがないが、私は頷いて了承した。







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