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怪しげなイケメンお兄さん

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「綺麗……」
ひやりとする無機質な感覚を両手に受け止めながら、私はその透明な厚い板越しにあるものに魅了されていた。その呟きにより吐き出された空気が、すぐ目の前にある硝子へとぶつかり、ほんの一瞬だけわずかに白く濁り拡散されていく。
本来ならこんな近くで子供のようにしてみる事はないんだけど、理由はわからないが無性に強く惹きつけられる魅力がある。

それはディスプレイされている玩具を羨ましく見つめるような、そんな感じがする。
そんな年齢はもうとっくに越えてしまっているのだが。
それなのになぜか、たった一枚の硝子に邪魔されているのが口惜しいぐらいに感じてしまっていた。
それほど私を魅了するのは、『復元・着物』と書かれたパネルの横にある物――若草色をした着物だ。
解説を見れば、どうやら蝶乃姫ゆかりの代物らしい。

それは裾の部分に桜の花びらと共に黄色い二羽の蝶が、まるで草原をゆらゆらと遊んでいるように舞っている。大きさ的に見ると、たぶん子供用だと言う事が見て理解出来た。
けれども昔の人は、現代人と違い欧米食じゃなかったから、身長高くなかったって話も聞いた事があるので、もしかしたら大人用だという可能性もある。

「ねぇ大原見てよ。これ蝶乃姫の着物だって。何か関係あるかも」
ということでこの着物のいきさつについて知りたくなった私は、後ろを振り返りその先にいる彼を見た。
きっと大原ならわかるかもっていう、実に他人まかせ。
大原なら私よりは確実に詳しいだろうし。だからきっと教えてくれるはず。

だけど、彼は私に後ろ姿を見せたまま動かない。
どうやら壁に貼ってある大型パネルを、ゆっくりと何かを探すように見つめているよう。
大原が見ているそれは、人物画と文字を線で結んである。
どうやら家系図のようなものらしい。たぶん古河氏の一族についてのものだろう。
この辺りの展示物は全て彼らに関するものばかりだから。

遊んでいたつもりは決してないけど、静かに探そう……

気を取り直し次の展示物に移ろうと大原から視線を外した瞬間、ふとすぐ背後に何者かの気配を感じた。
そのせいで、私は猫の如く素早い動きで振り返り、それと距離を取らざるを得なかった。
人間には境界線があるって聞いた事がある。
仲が良い人と、見ず知らずの人ではその境界線の範囲が違うらしい。

たとえば満員電車がそうだ。あれは見ず知らずの人が自分の領域を侵しているから不快に感じると。
たしかに仲が良い子と、見ず知らずの人では距離感が違う。
その心理的作用が働いたのか、私はその場からすぐに離れたくなった。
意外と俊敏な動きを出来ることに褒めてあげたいが、そこで目にした光景に眉がぴくりと動いた。

――だ、誰……?

早鐘のように体で鳴り響く心臓の音を感じながら、私は目の前の人に対し失礼を承知で凝視した。
そこに居たのは、紺色の麻で出来た着物を身に纏う青年。
シャープな輪郭に、すっとした鼻に薄い血の通わないような色をした唇。
そしておしろいでも塗りたくったような顔。艶のある胸下まで長い漆黒の髪は、一つに赤い紐で結われそのまま左肩に流れるようにかけられている。
そんな風貌のため、ただでさえ一度目にしたら忘れられないような人なのだけれども、それを以上に印象的な部分がある。
それは、兎のような赤い瞳。
カラコンなのか。色が血のように濃すぎて光が入ってないように窺える。
そのお兄さんは距離を取った分、自らタイルを踏みしめこちらへ向かうと、私を見て微笑んだ。
誰もが綺麗だなと見惚れるはずの表情なのに、私にはそれがホラー映画でも見てしまったかのような気分。肌を撫でてくる冷気に鳥肌が立っている。
綺麗すぎて人形のようだからなのか、まるで生気が感じられない。

「――ねぇ、知っている?」
「え?」
「この着物はね、蝶乃姫が死の直前まで胸にかき抱いていたんだ。もちろん複製これじゃなく、本物をね」
さっきの私と同じように、彼は硝子に触れうっとりとそれを眺めている。それはまるでそこに最愛の人が佇んでいるかのように。
「成長し大人になった彼女には、もうすでにサイズが合わない。でも彼女はずっと肌身離さずそれをずっと持っていた。それがなぜだかわかるかい?」
細い折れそうな白い指でガラスを撫でると、彼はこちらへと顔を向けた。
雪のような純真さと冷たさを含む声。それなのに身震いするほどの威圧的だ。
見ず知らずの他人なのに、その人に従わなければという妙な忠誠心を働かせるぐらいに。
しかもやたら美声。私は声フェチというわけではないけれども、この声は魅力的。
もし仮にこの人が洋画の吹き替えやってくれれば、絶対に見るよっていうぐらい質がいい。
ただ一つ問題が。

――この人誰……?

やたら詳しいから史学科の大学生か、歴史に詳しいお兄さんって事はわかる。
ただ、人形が動いているって言われても違和感ないぐらいに人っぽくない。
故にほんのりとした恐怖に駆り立てられる。

――まさか、幽霊とか? でも、私霊感ないし。

小首を傾げていると、「月山!」という何かを焦るような、いやそれを通り越して怒鳴るようなそんな声音が耳に届く。
切羽詰まった大原のその様子に、ただ事でない様を感じた私は、それを確かめようと体を動かそうとした。だが、その前に大原に腕を掴まれ、引きずられるように彼の背に庇われてしまっていた。

「なぜ此方へ? 一刻も早く御戻りを」
「姫を背に庇って、まるで王子様のようだね。せっかくこちらの世界に来たばっかりなんだ。そんなに邪険にしなくても構わないじゃないか。僕は悪役ではないのだから」
「秩序の問題です。ここは人間界。貴方様では歪みが生じ、この世界に綻びが生じ始めてしまいます」
「大丈夫。ある程度力を押させている。だから問題ない。でもさすがはあの大原の血を引く者だね。僕がわかるなんて。褒めてあげるよ。どこからどう見ても人間の姿なのに」
「全てを隠し切れてはいませんので」
「あ、やっぱ完全には無理かぁ。僕って、地獄その物かってぐらいに、空気が強いものねぇ。一応こちらの世界に負担かけないように、ある程度押さえているのだけれども。やっぱ漏れちゃっているのかぁ……じゃあやっぱ、この世界には長くは滞在出来ないかもしれないね」
「歪みを生む可能性を持つのに、何故わざわざ? まさか、月山に?」
「うん、まぁ。ほら、アレが世話になるようだから挨拶に来たのだよ。きっと面倒をかけると思ってね」
ずっと大原は堅い口調でお兄さんと話していた。そのせいで私まで妙な緊張感に支配になる。

――ん? そう言えばこの人、地獄の空気って言わなかった? しかもアレが世話になるって。まさか!






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