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第三幕 学生期

245.歌を愛するピアノ伴奏 ♣︎

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ヨハン
「トイレの水ですが魔道具の水ですので、綺麗な水ですけど...ダメですか?」

ユーリ
「ダメに決まってるだろ! 大体、その瓶はなんだ!?」

アントニオ
「ブラウエル様、コップも数がないのですよ」

ユーリ
「そんな馬鹿な...」

ヨハン
「そうなんです!」

ユーリ
「嘘だろ!?」

アントニオ
「本当ですよね?」

ヨハン
「本当です」

アントニオ
「トイレの水でいいですよ?」

リッカルド
「あぁ~...流石に、ちょっと安全的に不味い気がしますので、飲み物は私が買ってきます。何が宜しいですか?」

アントニオ
「有難うございます。では、私はガス(炭酸)入りのミネラルウォーターをお願い致します」

ユーリ
「オレンジジュース」

ヴィクトー
「私はトニー様と同じで炭酸水を」

ユーリの小間使い
「買い出しでしたら私が」

リッカルド
「なら荷物持ちで一緒に来て下さい、トニー様の口にする物は毒見しないといけないし、私が責任を持って管理しないといけないんで私も行きます」

ユーリの小間使い
「かしこまりました」

ヨハン
「申し訳ありません。おもてなし出来なくて」

アントニオ
「いえ、こちらが突然に押しかけて申し訳ありません。イザーク様は何を飲まれますか?」

ヨハン
「いえ、私はトイレの水で十分ですので」

アントニオ
「こういう時、音楽家はプレゼントを受け取った方が印象が良くなるものですよ?」

ヨハン
「そ、そうですか? では私も水を...」

リッカルド
「炭酸水と炭酸なしとどっちがいいですか?」

ヨハン
「皆様と同じで」

リッカルド
「では炭酸水を買ってきますね」

 リッカルドと小間使いは部屋を出ていった。

 ヨハンは何が何だか分からず恐縮していた。

 この焦茶の子はいったい何者なんだ!? 魔導騎士が毒見!? なんの用事があってこんな場所に!? トニー様って言っていたが...トニー様? まさか!? アントニオ・ジーンシャン様!? それなら、魔導騎士達の態度にも納得出来る。だとしたら、送った楽譜を気に入って下さったのか!? きっと、そうだ! そうに違いない!

 ヨハンは緩んだ顔で、アントニオ様のお言葉を待った。

ユーリ
「こちらにいらっしゃるのは、かの有名な勇者様と聖女様の御子息、アントニオ・ジーンシャン様だ!」

 やっぱり!

アントニオ
「アントニオ・ジーンシャンです」

ヨハン
「ヨハン・イザークと申します」

ユーリ
「この度、アントニオ様は歌の伴奏ピアニストを探していらっしゃる」

 伴奏? 作曲家ではなく?

 ヨハンは内心落胆したが、伴奏者としてでも、ジーンシャン家で仕事が出来るならビッグチャンスだと思い直した。

アントニオ
「この曲なのですが、今、試しに弾いて頂くことは出来ますか?」

 アントニオはカヴィタのラブソングをヨハンに見せる。

ヨハン
「は、はい! もちろんです! 合わせる前に、少しさらっても(練習しても)良いですか?」

アントニオ
「どうぞ」

 ヨハンはざっと楽譜に目を通すと、パラパラと弾き始めた。

 伴奏はシンプルで難しくない。だが、非常に繊細で、今まで聞いた事もない和声(ハーモニー)感...だが、どこか物足りない伴奏だ。

ヨハン
「もう、大丈夫です。歌われますか?」

アントニオ
「はい」

ヨハン
「初めて弾きますので、上手く弾けない箇所があったら申し訳ありません」

アントニオ
「いいですよ。初めてなのですから」

 初見の楽譜を完璧に弾くなんて普通は出来ない。だからこそ、コレペティ(伴奏ピアニスト)の実力が分かる良い方法だったりする。余裕がないときに、ピアノの音が美しいことを優先するか、ピアノの音を省いて歌手の歌に寄り添うか、その人の性質も分かる。

 互いに目配せして、曲が始まった。

アントニオ
「♪ 何度 生まれ変わっても
  私は貴方に 恋をする... ♪」

 アントニオの歌が曲にのった途端、ヨハンの世界は一変した。

 生まれてから今まで、こんなに美しい音は聞いたことがない!

 その力強く、輝く声の響きに、ピアノが共鳴する。

 物足りなかったはずの音楽は完成された。

 足りなかったんじゃない! 無駄な音が無かったのだ! 気絶しそうになるほど美しい歌を、ピアノは邪魔をしないように、ただ支えるだけ。

 ピアノが歌を愛している...

 そんな控えめなピアノが、生きるように歌が寄り添ってくる。

 歌も...ピアノを愛しているんだ...

 今まで自分は本当の音楽を知らなかった! これこそが愛の歌! 人間にこんな仕事(音楽)が作れるのだろうか? もはや、これは神の御技ではないのか?

 歌が終わるとき、最愛の人に別れを告げるような寂しさを感じた。

 ヨハンは放心状態で楽譜を見つめる。

アントニオ
「素晴らしい伴奏ですね! ここまで素晴らしい方と出会えるとは思いませんでした」

 アントニオの言葉で皆、我に返り、慌てて拍手する。

ヨハン
「私の伴奏など、アントニオ様の歌に遠く及びません! 歌が素晴らし過ぎて、上手くは言えませんが、とにかく感動致しました!」

アントニオ
「私は初見ではありませんので」

ユーリ
「こ、これは精神魔法ですか?」

アントニオ
「いえ、今のは魔力なしの普通の歌です」

ユーリ
「普通の歌!? これが!?」

ヴィクトー
「トニー様が魔力有りで歌ったら、エーリク・ハッキネンのようになる」

ユーリ
「そ、そうですよね...」


 得意気に胸をはるアントニオ様の姿は堂々としていて、とても学生には見えない。プロの歌手でも新人歌手は初めての相手を前にして、萎縮したり、逆に空元気を装ったり、ソワソワするものだ。まるでベテランの大歌手のような落ち着き。

 やはり、英雄の家系は子供の頃から違うのかもしれない。

ヨハン
「この曲の作曲者はどなたなのでしょうか?」

アントニオ
「カヴィタ・カーン伯爵令嬢です」

ヨハン
「賢者様の家の?」

アントニオ
「賢者ネハ様の孫娘です」

ヨハン
「お若い方なのですか!?」

アントニオ
「私と同じ12歳です」

ヨハン
「12歳!?」

 アントニオが12歳であることも、作曲家が12歳である事にも驚いた。

 ヨハンは、自分がとんでもない思い違いをしていた事に気が付いた。

 自分は天才などではなかった!

 自分の曲が選ばれるはずがない。こんな素晴らしい曲を作曲する12歳がいて、それを素晴らしい技術で表現できる12歳がいる。

 ...格上の相手を格下と勘違いして、あんな子供じみた曲...何て恥ずかしいんだ!

 恥ずかし過ぎて、消えてしまいたい!

 ヨハンは気持ちを誤魔化すように、預かっていた楽譜を束ねてアントニオに返した。

アントニオ
「有難うございます。正式に伴奏を依頼したいのですが、お願いできますでしょうか?」

ヨハン
「はい。お願い致します」

 せっかく、天才の仲間に入れてもらえるのだ。もう、作曲家は諦めて、伴奏者として生きよう。
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