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第二幕 幼少期

47.街に出没したローレライ ♣︎

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 老夫婦の屋敷の扉が叩かれ、老夫婦の隣の家に住む男性が駆け込んで来た。

隣人
「エミール! ミランダ! 戦争だ! 武器をとって準備しろ! 施錠して誰も家に入れるな!」

老紳士
「魔族軍か!?」

隣人
「いや、分からない。ユニコーン騎兵と竜騎士が一斉に出動した。只事ではない。しかも、竜騎士達は、街の城壁の外ではなく、内側を巡回している。強力な魔族が、すでに領内に入り込んでいる可能がある。いいか? 誰が来ても決して家に入れるんじゃないぞ!」

老紳士
「分かった! お前も気を付けろ!」

隣人
「あぁ!」

 老夫婦は急いで家を施錠し、武器を準備する。

アントニオ
「今、戦争と聞こえたのですが、本当ですか?」

老紳士
「あぁ、だが、大丈夫だよ。魔導騎士団が出動したから、きっと何とかしてくれる。」

アントニオ
「大変だ! すぐに戻らないと!」

老婦人
「ダメよ! 外は危ないわ!」

アントニオ
「でも、私が帰らないと家族が心配する!」

老婦人
「あぁ! なんて事!」

 老婦人は涙を流し、アントニオを強く抱きしめた。

 この子は、親に売られた事も、人買いに捨てられた事も知らないのだ。

老紳士
「アントン......信じられないかもしれないが、落ち着いてきいて欲しい。お前は親に捨てられたんだ...」

アントニオ
「え?......捨てられた? そんなはずは...違います。だって、今日は先生が...」

老紳士
「その先生というのは、最近知り合った人ではないのかね? 昔はよくあったのだ。親が子供を売る時に、『社会の事を教えてくれる先生だからよく言う事を聞くように』と言い聞かせ、子供を奴隷商人に引き渡していたことが」

 そんなまさか!? あんなに自分を溺愛している両親が、自分を奴隷商人に売るだろうか?

 でも、目が覚めたらガラノフ先生はいなくて...何故、知らない人達に連れられていた? そう言えば、自分の他にも子供が何人かいた。皆、奴隷商人に売られた子供だったのだろうか? だったら、なんで自分は置去りにされたのだろう? そういえば、誰かがいないと言っていた。奴隷商人も慌てていて、自分を忘れて行った?

 前世でも父さんは、『手のかかる役立たず』だからお前は捨てられたと言っていた。俺は魔法属性が不明で、普通の魔法が使えず、剣術も下手くそだ。自分は今世でも、『手のかかる役立たず』ではなかっただろうか?

 なんで、愛されていると誤解していたのだろうか?

 それとも愛されていたけど、愛想を尽かされた?

 あぁ! なんで、我儘を言ってしまったんだろう?

 自由になりたいとか、決闘で権利を勝ち取るとか...どうして良い子でいられなかったんだろう?

 どんなに長い年月を生きたって、経験を積んだって、結局、自分は変われていなかった。自分勝手に生きたせいで、家族に捨てられて、新しい家族も出来なかった前世。今世でも、愛される価値を持たない、貧しい人間のままだ。

 次第に、心の感覚が閉じていくのを感じる。

 傷付いても痛くないように、苦しまないように、感情が消えていくのを感じる。

 もう、泣く事も、笑う事も出来ない。

老婦人
「大丈夫よ。心配しないで、私達がいるわ」

アントニオ
「有難うございます。大丈夫です。捨てられるのには慣れているんです」

 アントニオは感情の消えた顔と声で、そう答えた。

老婦人
「そんな...!?」

 老夫婦は自分の耳を疑った。

 違うと言って怒る事も、酷いと言って泣く事もしないで、こんな小さな子が『慣れている』と言って感情を殺すなんて、一体今までに、どんな悲しいことががあったというのだろうか? 焦茶に生まれて生きるという事は、それ程までに過酷な事であるのだろう。この子を何とかして守りたい。老夫婦の心は哀れみでいっぱいになった。

アントニオ
「あの、体調があまり良くないので、少し1人で眠らせて頂いても良いですか?」

老紳士
「あぁ、もちろんだ。2階の寝室を使うといい」

 アントニオは2階の部屋に案内してもらい、寝室で1人になるとベッドに腰掛けた。そして、何もせず、ただ、時計の針が動く音と、時折外から聞こえる人が走ったり叫んだりしている音を聞いた。

 今後、どうやって1人で暮らしていくかを考えないといけない。

 そう思いつつも、無気力でやる気がおきず、考えられそうになかった。

 泣きたい。

 泣いてスッキリしたいと思ったが、感情が一切動こうとしない。

 あぁ、不味い。俺は経験から、この後にやって来る心の状態を知っている。

 この先にやって来るのはズバリ『死にたい』である。

 前世で、家庭内暴力にあい、学校でも虐められた日々に、幾度となく感じた衝動であった。

 あの時に、音楽に出会わなければ、きっと自分は死んでいただろう。

 何とかして泣かなければ、俺は自分を自分で殺してしまう。

 ふと、バルドとリンのことを思い出した。

 俺が死んだら、あの2人の安住の地が無くなってしまう。愛される価値のない俺でも、まだ、2人の役には立っているのだ。

 死ぬわけにはいかない。

 歌を歌おう!

 こんな風に、感情が動かなくなってしまったとき、死にたくなってしまったときに、いつも助けてくれるのは、音楽だ。

 真っ先に浮かんだ曲は、ヘンデル作曲のオペラ「リナルド」“Lascia ch'io pianga(私を泣かせてください)”だった。悲しみのあまり涙が枯れて、泣かせて下さい! と主にお祈りする歌である。

 しかし、この歌を歌うヒロインは皆から愛されているので、何だか共感出来ない気がした。

 やはり、自分を慰めてくれるのは、愛が終わってしまった悲しみと絶望を歌う歌がいい。

 ベッリーニ作曲のオペラ「夢遊病の女」より“あぁ、信じられない”

 夢遊病が原因で不貞を疑われ、婚約破棄をされてしまったヒロインが、深い悲しみから、再び夢遊病となって歌う歌である。

 アントニオが悲しみに身を委ねると、虚ろで、無気力なその瞳に、虹色の光が浮かんだ。

「♪Ah!  non credea mirarti.......♪」
(あぁ!信じられない。こんなに早く花が萎れてしまうなんて!過ぎ去った愛のように たったの1日で。)

 信じられない。

 抱き締めてキスをしてくれた母上が、自分を捨てるなんて!

 信じられない。

 絶対に捨てないと誓ってくれた父上が、自分を捨てるなんて!

 信じられない!

 愛が終わってしまうなんて!

 俺はまだ、こんなにも家族を愛しているのに
もう、家族の元に戻れないなんて!

 止まっていた感情が溢れ出し、目が熱くなって痛んだ。水分とともに塩分が口の中につたい落ちてきて、苦い涙の味を味わった。

 アントニオは、自分の心に感情が戻った事を感じた。『悲しみ』『苦しみ』、そして『痛み』という感情を。

________


 ガラノフはアントニオと歩いた道や店を順番に回り、聞き込みを続けていたが、一向に手掛かりが掴めていなかった。

 それどころか、魔導騎士団が出動してからは、どの家も、どの店も、固く戸を閉めて開けてくれない。

 お手上げ状態で、いたずらに時間だけが過ぎていく。

 アントニオがお昼を城壁外のお店で食べたいと言っていたのを思い出し、城壁の外へと向かった。

________

 メアリーは、絶えず探索魔法を掛けながら、ユニコーンを走らせた。

 しかし、闇属性の探索魔法は、探索範囲が狭い。

 闇属性魔法の特徴である魔力吸収により相手を探し出す方法なのだが、イメージは、掃除機で床を吸っている時にゴミがあると手応えが変わるそれに近い。

 探索範囲に入った人間にも、吸われている感覚があるため、探索魔法を使っていると気付かれてしまいやすい。

 メアリーの探索範囲に入った領民達は、家の中にこもっていながら、誰かが誰かを探している事に気が付き、恐怖した。


 また、竜騎士のリュシアンも上空から光属性の探索魔法でアントニオを探していた。

 光属性の探索魔法は、電磁波のような微量な魔力を飛ばして、反射してきた魔力を感知する事で相手を探す。この魔法は、探索範囲も広く、相手に気付かれ難い。

 しかし、低空飛行を続けながら上空を旋回する飛竜の姿を見れば、やはり、竜騎士が何かを探しているという事が予想出来たのである。

 魔導騎士団が、魔族を探している。

 多くの領民は、そう思ったのである。


 その時、歌が聞こえてきた。悲痛な叫び声のような、絶望を告げる歌が.....

 ローレライだ!

 人々は、恐怖を感じるとともに、嘆きの歌に魅了されていった。
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