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第一章
11-2.忘れられた少女2
しおりを挟む真っ黒な少女の絵姿に、俺は息を呑んだ。
夫婦の姿は問題なく、穏やかな顔をして微笑んでいる。仲の良い家族なら普通の姿だ。だが娘だけは違った。塗りつぶされたように完全に真っ黒になっている。華やかな雰囲気の中で彼女だけが異常だった。これなら破かれたり、他のモノに描き直されていた方がまだマシに思える。
「ヴィクターやウィルの記憶の彼女も、黒い霧がかかってわからないって言ってたよね」
ディルクの言葉に、ウィリアムは唖然としながら頷いた。記憶の中だけでなく、まさか肖像画まで黒くなっているとは想像もしていなかったのだろう。誰だってこんな異質なものを目にすれば放心状態になってしまう。
「気付かなかったの? これ」
「……まったく」
「家族が亡くなってから一度も来てない訳じゃないでしょ?」
「整理するために何度か訪れたが、不思議と気にならなかった」
「……黒いモヤのせいか」
事故の少し前に会っているにも関わらず、教会で保護されていたアカリを引き取った時に違和感すら覚えないのはどう考えてもおかしい。
何が原因なのか。何の影響を受けているのか……。
教会の手伝いをしていた孤児院の少女に出会って霧が晴れ、そこから色々と思い出したのなら、やはり黒いモヤが本当のアンジェリカの存在そのものを消しているのだろう。モヤを晴らす方法を探さないといけないが、今はもう少し手掛かりを見つけないといけない。
「取りあえず、他も見てみよう」
俺たちは談話室を出て、ウィリアムの案内でアンジェリカの部屋に向かった。
いくら亡くなっているといっても、女の子の部屋に無断で入るのは気が引けるが、本人に関わるものが一番残っている場所だ。行かない訳にはいかない。いかないのだけど……
「……あ、あのさ」
「なに?」
「ほ、本当に開ける?」
俺はドアの前で二の足を踏んでいた。
防犯上、ドアは他の部屋と見分けがつかないように同じだが、位置的に庭が眺められる場所になっている。きっと日の当たりも良い部屋だろう。変な意味ではなく、きっと可愛い部屋なんだろうなぁ、と想像出来るが……どうしたものか、このドアの向こうに行きたくなくて仕方なかった。
「開けないと入れないだろう」
「いやでも……」
ウィリアムは不思議そうに首を傾げている。どうやら気付いていないらしい。むしろ気付かない方がいい気もしている。
そう……俺は今、アンジェリカの部屋から不穏な気配をビリビリと感じ取っているのだ。
「何なの?」
「いや……ていうかディルク気付いてるよね!?」
「さぁ?」
ディルクは知らん顔をしているが、あれは絶対気付いている顔だ。そもそも魔力の高いディルクが気付かない訳がない。完全に俺を試してる気がする。なんて奴だ。前からそんな感じはしてたけど。
「入らないと何もわからないままだよ?」
暗に『早くしなよ』と急かしてくる。無茶を言うな。ディルクは平気かもしれないけど、前世の記憶も相俟って、今の俺は魔法や魔力というものにまだ慣れてないんだ。絶賛勉強中の俺に負の力が渦巻く部屋に入るのはハードルが高い。
「早くしなよ」
「……わかったよ」
とうとう隠しもせずに訴えてきた。俺、一応王子なのわかってる? と思いもするけど、次のミッションも控えているし、早くしないといけないのはわかっている。
(本当のアンジェリカも捜さないとね)
前世の世界と似たもので、この世界にも“魂が戻って来る”といった概念が存在している。もしそれが本当なら、思い出が詰まった家に戻ってきているかもしれない。もし戻って来ているのなら、今のこの現状は酷すぎる。彼女を愛した人たち、そしてアンジェリカ本人のために、早くこの問題を解決しないといけない。
「はぁ……開けるよ」
溜め息の後に、俺はドアノブを回して、そっとドアを押し開けた。
開けなければ良かったと、後悔したのはその直後。
「……えっと、彼女の部屋って、こんな感じだったの?」
「いや……花柄の壁紙が可愛らしい部屋だった」
「じゃあ……これもさっきの奴と同じ現象?」
俺たち三人の目に飛び込んで来たのは、真っ黒な室内だった。
「窓がない……とかないよね?」
「そんな監禁部屋みたいな訳がないだろう」
「でも外普通に晴れてるじゃない」
邸に入った時、外は快晴だった。雨の音もきこえず、天気が急変したということもなさそうだ。この短時間で夜になった訳でもない。
「……部屋ごと闇に呑まれているね」
「や、闇?」
「うん、そう……記憶の操作はここからだね」
室内に入ったディルクは、持っていた杖で一度床を突いた。すると彼の足下から光が生まれ、部屋を照らすように一気に広がって行く。
「すごい……」
移転魔法とは違う、トップクラスの魔導師の魔法の美しさに、俺もウィリアムも目を瞬かせた。
魔法は特に呪文が必要な訳ではない。何をしたいのかどうしたいのか、具体的な想像とそれに必要な知識、そして実現させるのに必要な魔力で発動させる。それを極めたのが魔導師であり、星古学者だ。人数は少ないものの、強大な力を持った魔導師は王家・貴族の監視役も担っている。だからこの国の魔導師は国王直轄の部隊であっても“士”ではなく“師”を名乗り、王家に仕えながらも独立した存在となっている。話しは逸れたが、長年勉強と経験を積んでやっと認められる魔導師や星古学者に、弱冠十才でその地位を得たディルクとジリアンはやはり天才だった。今までその実力を見た事はなかったが、その力を今この瞬間目の当たりにして、俺もウィリアムもただ見ている事しか出来なかった。
(俺は将来こんな凄い奴らをまとめて行くようになるのか……)
今の俺は何も出来ない大馬鹿だ。勿論このままでいるつもりはないけれど、血の滲む努力が必要なのは今の時点で十分理解している。けれどずば抜けた才能を持つ仲間を率いていくと考えると気が遠くなった。
眩しいはずなのに意外に目は痛くない現象に呆気にとられていれば、室内はウィリアムが言ったとおり、淡いピンクや黄色の花柄の壁が可愛い、部屋の本来の姿が現れた。
「……これ、ただの光の魔法なの?」
「ううん。これは生み出した光の空間内で本来の姿をも露わにさせる魔法」
「では、闇そのものがなくなった訳ではいんだな」
「消せるけど、何かしらの要因……特に悪魔なんかと契約したものとかはちょっとややこしいかな」
「悪魔の契約……?」
「そう。さっきの肖像画もだけど、悪魔の気配を強く感じた。しかも大きな代償を得て生み出されてる……面倒な魔法だよ」
「アカリは……悪魔と契約して問題を起こしてるってこと?」
「全部が全部そうとは言い切れないけど、ジュード家に潜り込んだ経緯はそうだと思う」
「可能性は?」
「……一○○パーセント、かな」
ディルクの考察に、今度は違う意味で気が遠くなった。
悪魔のような親から産れ、本人も悪魔のような奴だと思っていたが、まさか悪魔と契約までして欲望を満たそうとしている執念に呆れる。
「……代償って、どんなもの払うの?」
「悪魔によってバラバラだね。でも……これだけ大規模な力を使わせているから、相当なものを払ってる筈だよ」
「う、腕一本……とか?」
「それじゃ足らないよ。そうだなぁ……命は削ってるだろうね」
「アカリはわかってるのか?」
「さぁ? そこは考える気も無いや」
心底興味なさげに突き放すデュルクに思わず苦笑する。
放っておけばその内罰を受ける事になるのだろう。そんな人生しか歩めなかったアカリを初めて哀れに思った――その時だった。
しくしく しくしく
くすん くすん
部屋の隅から、女の子のすすり泣く声が聞えてきた。
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