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短編
クラリスと妖精の旅 -海の町-
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厄災の魔女の分身として生み出された妖精、セイラ。一度は魔力を使い果たし消えてしまったものの、クレイスの命と引き換えに再び生まれる事が出来た。以前のように、魔女に縛られていない、一つの生命として生まれ変わったセイラ。しかし、その存在は厄災の魔女から生み出されたもの。
セイラはすぐに裁判へかけられた。城の中にあるホールで王と女王、そして国民が何十人も集まり裁判は開廷した。
あの大火を引き起こした魔女が遺した生命など、赦されるはずがなく危険な存在は牢に閉じ込めておくべき、という意見が多々あったという。王や女王は擁護してくれたようだが、国民には十二年前の厄災が記憶に染み付いている。――命を奪われた者だっている。
セイラは仕方の無い事だと思った。もし、その妖精が厄災の魔女と呼ばれたクレイスの遺志を継ぐ者だとしたら。その不安は計り知れない。
――そんな中、予想外の案を出した女性が一人。
「妖精はあたしが引き受ける。厄災の魔女の妹が見張っていれば、悪さなんて出来ないだろう?」
それはクレイスの妹、クラリスだった。彼女の言葉に国民達が同意の色を見せる。ヒュウは即座に彼女の案を採用し、セイラはクラリスと共に行動する事を命じられたのだった。
そして、クラリスはセイラの身柄を預かったと同時に「旅に出よう」と伝えた。
「旅って…何処へ?」
「うーん、もうあたしに旅の目的は無いからなあ。…セイラは何処へ行きたい?」
「…分からないわ。私はここから出た事がないもの」
「なら、あたしの行った所を巡るか! きっとあんたの気に入る場所があるさ。早速明日出発しようか」
そう言ってクラリスは歯を見せて笑った。そんな彼女を見てセイラは複雑な思いを抱く。
クラリスは姉と容姿が一緒の自分をどう思っているのだろうか。姉の代わりとして側に置いておくつもりなのか、それとも――クレイスの命の代わりに生まれた自分を恨んでいるのか。
前者だとしたら、それは望めない。クレイスの記憶はほとんど引き継がれているがセイラとしての感情が芽生えた今、彼女の感情が混在する事は無い。後者だとしたら――どうして、自分を助けるような真似をしたのか。
クレイスの記憶の中のクラリスはとても快活で姉を慕っている人物だった。クレイスが狂ってからも国の許可を得てたまに会いに来ていた。その時の悲しそうな笑顔は、狂っていたクレイスの記憶にも刻み込まれていた。
出発の朝。一晩レイアスの城で過ごし、目覚めたクラリスとセイラは城門前に立っていた。セイラは外で眠れる妖精なので、部屋など用意されなくても良かったのだが、監視の一環もあったのだろう。妖精には大きすぎる部屋で、むしろ不便だった。
クラリスは大きく伸びをしてから手中に竹箒を出現させた。魔女はこれに跨り空を飛ぶ。一緒に乗るかとクラリスに誘われたが、自分で空を飛べるセイラは丁重に断った。
「よし、じゃあ行くか!」
クラリスの掛け声と共に竹箒がふわりと浮き、跨っている紫髪の魔女の身体が浮く。セイラはその隣に寄り添うように飛び立った。
地面が、人々が、城が徐々に小さくなっていく。空は飛び慣れているので見慣れた光景だ。少し先を見れば、イロノ草原が広がっている。青と白を基調としたレイアスの町。しばらく飛んでいるとその色が無くなり、のどかな農道が広がって行く。セイラは、初めてレイアスの外へ出たのだと実感した。
「どうした? 下をずっと見て」
あまりにも下を凝視していたせいか、隣で飛ぶクラリスが不思議そうに尋ねた。
「私はトナマリとレイアスしか行った事が無いから――他の町に行くのか、って思ったら何だか緊張しちゃって」
「あはは! 緊張する事ないって! 例え離れていても、全ての地はミレジカだ。何も変わらない」
「…そうね」
クラリスの笑顔で、セイラの緊張がほぐれる。彼女の笑顔は人を明るくさせる。クレイスも、妹の笑顔に心救われていた事もあった。その表情を自分にも見せてくれて、セイラは何とも言えない気持ちになる。彼女は他の人達と変わらずにセイラと接してくれる。クラリスは、無理をしていないだろうか。
まず初めの行き先は、ミレジカの最南端にある港町だ。海に囲まれたこの町は魚人が多く暮らしており、二足歩行で歩く鱗の生えた男や、たこのように足をたくさん持った魚人達が海中を自由に泳いでいる。ここは海が居住区となっているので陸地はほとんど無く、上で生活している人はほとんどいないようだった。
「これが――海」
初めて見る雄大な海に、セイラは目を輝かせる。陸地しか見た事のなかった彼女にとって、海はとても神秘的で美しく見えた。
中を覗いてみれば、魚人達が海中でそれぞれ時を過ごしているのが見えた。魚人達が店を構えて海藻類を売っていたり、貝殻のネックレスを販売しているのが見える。ここは言わば、トナマリの商店街のような場所なのだろう。
「素敵ね。住む場所は違っていても、皆同じ事をしている」
「姿形は違っても、皆生命だ。誰もが感情を持ち、必死に生きている」
ミレジカには様々な種族が共存している。陸でも、海でも、住む場所が違っても、それは皆変わらぬ生命。セイラは自分の胸元に手を当てた。自分も、同じ生命。クレイスの命の引き換えに手に入れた、本当の命。
「ねえ、クラリス。あなたは――」
「宿へ行こう。流石にあたし達は海中に行けないから、陸に住む人用の宿へ、な」
「え、ええ」
話すタイミングを失ってしまったセイラは、箒に乗って動き出したクラリスについて行った。
この町はほとんどが海を占めており、いくつか小島が浮いている。その島の一つにある石造りの建物にクラリスは案内してくれた。宿にしてはやや狭く感じる場所だ。中へ入ると磯臭さが鼻を掠める。ロビーは入口のすぐ目の前にあったのだが、受付の場所は何故か透明な筒状の水槽で囲われており、中には水が入っている。恐らく、海水だろう。
不思議そうに見つめていると、クラリスが慣れた手つきでロビーの目の前に不自然に置かれたスイッチを押した。すると何処からかブザーの音が鳴らされる。少しすると、筒状の水槽の下から、灰色のぽっちゃりとしたあざらしが現れた。
セイラは思わず声を上げてしまう。どうやら水槽の下は海に繋がっているようで、ブザーで呼ばれた為、水槽の中に現れたようだ。アザラシは太い首に蝶ネクタイを巻いており、短い手で何枚か四角いプレートを持っていた。水の中で、あざらしがクラリス達に一枚のプレートを見せる。そこには、『宿泊?』と書かれていた。
「ああ。二人お願いしたい」
『何泊?』
「一泊だ」
『わかった。部屋は何処も空いているから、そこにある鍵を取ってくれ。料金は後払いだよ』
「ああ、分かった」
プレートでのやり取りを終え、アザラシは水槽内で身体の向きを変えて下がって行った。アザラシが指定したように、受付の目の前には堂々と鍵がいくつも置かれていて、クラリスは蒼色の貝殻の付いた鍵を迷い無く取った。
「何というか、不用心ね」
「まあ、ここに盗る物も無いし、いいんじゃないか?」
クラリスの言う通り、この宿の中に金目の物は置いてなさそうだった。恐らく、貴重品は海中に隠されているのだろう。そこにあるならば、陸地の者は悪さを出来ない。
蒼色の貝殻がぶら下がっているドアを開ければ、そこはベッドが二つある小じんまりとした部屋だった。この町は海に囲まれているので、窓から一望する事が出来る。一見普通の宿と変わり無いのだが、ドアを開けたと同時にむわりと襲った臭いに、クラリスとセイラは思わず自分の鼻を押えた。
「随分…磯臭いな。まあ、アザラシが宿主だし、仕方が無いか」
自分達の荷物を机の上に置き、ひと息つく。人型用のベッドはセイラにとってとてつもなく大きいものだったが、遠慮なく使わせてもらう事にする。何を話すわけでもなく、窓辺に見える一面の海を見つめていた二人だったが、不意にクラリスがセイラに顔を向けた。
「なあ、セイラ。ここは海中遊泳が出来るみたいなんだ、行ってみないか」
「ええ」
クラリスに誘われ、この町に興味を持っていたセイラは一つ返事で頷いた。
宿を後にし、クラリスに連れられた場所は一つの小島だった。人が五人しか入れないくらいの小さな小島の上には誰もおらず、代わりに何かの液体が入ったガラス製の水槽が置かれていた。すぐ側には、空洞のわっかに取っ手が付いた不思議な道具。大きさはクラリスの手の平サイズや人間がすっぽり入るものなど様々だ。そこにはアザラシが持っていたようなプレートが置かれており、『自由に使ってね』の文字が。
手の平サイズの謎の道具を持つと、クラリスは歯を見せて笑った。
「これがあれば地上に住むあたし達でも海中でも呼吸が出来るんだ」
そう言いながら、クラリスはその道具をガラス製の水槽に突っ込むと、セイラを手招きする。不思議そうに近付いたセイラに向かって、クラリスはその道具をセイラに向かって振り上げた。
思わず目を瞑ってしまうセイラだったが、衝撃など何も来ない。恐る恐る目を開けると、視界に変化があった。目の前のクラリスの姿が、変にぼやけているのだ。一体何があったのだろうと思ったが、その違和感はすぐに分かった。
セイラはシャボン玉の中に入っていた。空に浮くセイラを包み込んでいるようだ。驚きながらシャボン玉を見つめている隣で、クラリスが人間サイズの道具を使って自分の身体を包む。すると彼女もシャボン玉の中へ入った。
「これがあれば、陸地のあたし達でも自由に空気が吸える。――さあ、行くぞ。海の世界へ」
そう言って、クラリスは迷い無く海へと飛び込んだ。豪快な魔女の姿のセイラは一瞬気が引けたが、意を決して海の世界へと飛び込んだ。
海へ入った途端、耳が塞がれたような感覚に陥る。少々不安になったセイラだったが、視界に入ったのはエメラルドグリーンの海で自由に泳ぐ魚や魚人達。上半身が鱗に覆われ、二足歩行の魚人や、上半身が人間で下半身が魚の女性。そして海の生き物たち。海の底では、彼らが暮らしており、皆楽しそうに泳ぎ回っている。
「とても、綺麗」
セイラは思わず感嘆の声を上げてしまう。まるで空を飛ぶように泳ぐ彼らはとても自由で、生き生きとしている。何にも縛られていないし、平和に過ごしている。シャボン玉に入ったクラリスやセイラを物珍しく見る者達もいない。全ての生き物は平等だと言われている感覚を覚える。
これが、生。自分が欲しくてたまらなかった生を自由に生きる事。生命を得たセイラだったら、こんなにも自由に生を全うする事が出来る。心が疼くような温かい気持ちを噛み締めていると、クラリスがセイラの視界へ入って笑顔を見せた。
「なあ、セイラ。何か欲しいもの無いか? 買ってやるよ」
「い、いいわ。そんなの。悪いもの」
海底では魚人達が商店を開き、売買を行っている。海藻等の食物もあれば、貝殻で作ったネックレスもある。正直貝殻の装飾品に興味を持ったが、クラリスに負担してもらうなどと、と遠慮をしてしまう。しかし、クラリスは首を振る。
「あたしが奢りたいんだ! いいだろ?」
彼女の笑顔は、人の心を明るくさせる。セイラはほんのりと微笑んだ。
「ありがとう」
「あはは。その笑顔、そっくりだなあ」
「…」
その言葉に、セイラは一転して表情を暗くさせる。誰と聞かなくても分かった。自分と瓜二つの消えた魔女の姿が脳裏を過る。
そして確信する。
(彼女は、私を――クレイスと重ねて見ているんだわ)
セイラはすぐに裁判へかけられた。城の中にあるホールで王と女王、そして国民が何十人も集まり裁判は開廷した。
あの大火を引き起こした魔女が遺した生命など、赦されるはずがなく危険な存在は牢に閉じ込めておくべき、という意見が多々あったという。王や女王は擁護してくれたようだが、国民には十二年前の厄災が記憶に染み付いている。――命を奪われた者だっている。
セイラは仕方の無い事だと思った。もし、その妖精が厄災の魔女と呼ばれたクレイスの遺志を継ぐ者だとしたら。その不安は計り知れない。
――そんな中、予想外の案を出した女性が一人。
「妖精はあたしが引き受ける。厄災の魔女の妹が見張っていれば、悪さなんて出来ないだろう?」
それはクレイスの妹、クラリスだった。彼女の言葉に国民達が同意の色を見せる。ヒュウは即座に彼女の案を採用し、セイラはクラリスと共に行動する事を命じられたのだった。
そして、クラリスはセイラの身柄を預かったと同時に「旅に出よう」と伝えた。
「旅って…何処へ?」
「うーん、もうあたしに旅の目的は無いからなあ。…セイラは何処へ行きたい?」
「…分からないわ。私はここから出た事がないもの」
「なら、あたしの行った所を巡るか! きっとあんたの気に入る場所があるさ。早速明日出発しようか」
そう言ってクラリスは歯を見せて笑った。そんな彼女を見てセイラは複雑な思いを抱く。
クラリスは姉と容姿が一緒の自分をどう思っているのだろうか。姉の代わりとして側に置いておくつもりなのか、それとも――クレイスの命の代わりに生まれた自分を恨んでいるのか。
前者だとしたら、それは望めない。クレイスの記憶はほとんど引き継がれているがセイラとしての感情が芽生えた今、彼女の感情が混在する事は無い。後者だとしたら――どうして、自分を助けるような真似をしたのか。
クレイスの記憶の中のクラリスはとても快活で姉を慕っている人物だった。クレイスが狂ってからも国の許可を得てたまに会いに来ていた。その時の悲しそうな笑顔は、狂っていたクレイスの記憶にも刻み込まれていた。
出発の朝。一晩レイアスの城で過ごし、目覚めたクラリスとセイラは城門前に立っていた。セイラは外で眠れる妖精なので、部屋など用意されなくても良かったのだが、監視の一環もあったのだろう。妖精には大きすぎる部屋で、むしろ不便だった。
クラリスは大きく伸びをしてから手中に竹箒を出現させた。魔女はこれに跨り空を飛ぶ。一緒に乗るかとクラリスに誘われたが、自分で空を飛べるセイラは丁重に断った。
「よし、じゃあ行くか!」
クラリスの掛け声と共に竹箒がふわりと浮き、跨っている紫髪の魔女の身体が浮く。セイラはその隣に寄り添うように飛び立った。
地面が、人々が、城が徐々に小さくなっていく。空は飛び慣れているので見慣れた光景だ。少し先を見れば、イロノ草原が広がっている。青と白を基調としたレイアスの町。しばらく飛んでいるとその色が無くなり、のどかな農道が広がって行く。セイラは、初めてレイアスの外へ出たのだと実感した。
「どうした? 下をずっと見て」
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「私はトナマリとレイアスしか行った事が無いから――他の町に行くのか、って思ったら何だか緊張しちゃって」
「あはは! 緊張する事ないって! 例え離れていても、全ての地はミレジカだ。何も変わらない」
「…そうね」
クラリスの笑顔で、セイラの緊張がほぐれる。彼女の笑顔は人を明るくさせる。クレイスも、妹の笑顔に心救われていた事もあった。その表情を自分にも見せてくれて、セイラは何とも言えない気持ちになる。彼女は他の人達と変わらずにセイラと接してくれる。クラリスは、無理をしていないだろうか。
まず初めの行き先は、ミレジカの最南端にある港町だ。海に囲まれたこの町は魚人が多く暮らしており、二足歩行で歩く鱗の生えた男や、たこのように足をたくさん持った魚人達が海中を自由に泳いでいる。ここは海が居住区となっているので陸地はほとんど無く、上で生活している人はほとんどいないようだった。
「これが――海」
初めて見る雄大な海に、セイラは目を輝かせる。陸地しか見た事のなかった彼女にとって、海はとても神秘的で美しく見えた。
中を覗いてみれば、魚人達が海中でそれぞれ時を過ごしているのが見えた。魚人達が店を構えて海藻類を売っていたり、貝殻のネックレスを販売しているのが見える。ここは言わば、トナマリの商店街のような場所なのだろう。
「素敵ね。住む場所は違っていても、皆同じ事をしている」
「姿形は違っても、皆生命だ。誰もが感情を持ち、必死に生きている」
ミレジカには様々な種族が共存している。陸でも、海でも、住む場所が違っても、それは皆変わらぬ生命。セイラは自分の胸元に手を当てた。自分も、同じ生命。クレイスの命の引き換えに手に入れた、本当の命。
「ねえ、クラリス。あなたは――」
「宿へ行こう。流石にあたし達は海中に行けないから、陸に住む人用の宿へ、な」
「え、ええ」
話すタイミングを失ってしまったセイラは、箒に乗って動き出したクラリスについて行った。
この町はほとんどが海を占めており、いくつか小島が浮いている。その島の一つにある石造りの建物にクラリスは案内してくれた。宿にしてはやや狭く感じる場所だ。中へ入ると磯臭さが鼻を掠める。ロビーは入口のすぐ目の前にあったのだが、受付の場所は何故か透明な筒状の水槽で囲われており、中には水が入っている。恐らく、海水だろう。
不思議そうに見つめていると、クラリスが慣れた手つきでロビーの目の前に不自然に置かれたスイッチを押した。すると何処からかブザーの音が鳴らされる。少しすると、筒状の水槽の下から、灰色のぽっちゃりとしたあざらしが現れた。
セイラは思わず声を上げてしまう。どうやら水槽の下は海に繋がっているようで、ブザーで呼ばれた為、水槽の中に現れたようだ。アザラシは太い首に蝶ネクタイを巻いており、短い手で何枚か四角いプレートを持っていた。水の中で、あざらしがクラリス達に一枚のプレートを見せる。そこには、『宿泊?』と書かれていた。
「ああ。二人お願いしたい」
『何泊?』
「一泊だ」
『わかった。部屋は何処も空いているから、そこにある鍵を取ってくれ。料金は後払いだよ』
「ああ、分かった」
プレートでのやり取りを終え、アザラシは水槽内で身体の向きを変えて下がって行った。アザラシが指定したように、受付の目の前には堂々と鍵がいくつも置かれていて、クラリスは蒼色の貝殻の付いた鍵を迷い無く取った。
「何というか、不用心ね」
「まあ、ここに盗る物も無いし、いいんじゃないか?」
クラリスの言う通り、この宿の中に金目の物は置いてなさそうだった。恐らく、貴重品は海中に隠されているのだろう。そこにあるならば、陸地の者は悪さを出来ない。
蒼色の貝殻がぶら下がっているドアを開ければ、そこはベッドが二つある小じんまりとした部屋だった。この町は海に囲まれているので、窓から一望する事が出来る。一見普通の宿と変わり無いのだが、ドアを開けたと同時にむわりと襲った臭いに、クラリスとセイラは思わず自分の鼻を押えた。
「随分…磯臭いな。まあ、アザラシが宿主だし、仕方が無いか」
自分達の荷物を机の上に置き、ひと息つく。人型用のベッドはセイラにとってとてつもなく大きいものだったが、遠慮なく使わせてもらう事にする。何を話すわけでもなく、窓辺に見える一面の海を見つめていた二人だったが、不意にクラリスがセイラに顔を向けた。
「なあ、セイラ。ここは海中遊泳が出来るみたいなんだ、行ってみないか」
「ええ」
クラリスに誘われ、この町に興味を持っていたセイラは一つ返事で頷いた。
宿を後にし、クラリスに連れられた場所は一つの小島だった。人が五人しか入れないくらいの小さな小島の上には誰もおらず、代わりに何かの液体が入ったガラス製の水槽が置かれていた。すぐ側には、空洞のわっかに取っ手が付いた不思議な道具。大きさはクラリスの手の平サイズや人間がすっぽり入るものなど様々だ。そこにはアザラシが持っていたようなプレートが置かれており、『自由に使ってね』の文字が。
手の平サイズの謎の道具を持つと、クラリスは歯を見せて笑った。
「これがあれば地上に住むあたし達でも海中でも呼吸が出来るんだ」
そう言いながら、クラリスはその道具をガラス製の水槽に突っ込むと、セイラを手招きする。不思議そうに近付いたセイラに向かって、クラリスはその道具をセイラに向かって振り上げた。
思わず目を瞑ってしまうセイラだったが、衝撃など何も来ない。恐る恐る目を開けると、視界に変化があった。目の前のクラリスの姿が、変にぼやけているのだ。一体何があったのだろうと思ったが、その違和感はすぐに分かった。
セイラはシャボン玉の中に入っていた。空に浮くセイラを包み込んでいるようだ。驚きながらシャボン玉を見つめている隣で、クラリスが人間サイズの道具を使って自分の身体を包む。すると彼女もシャボン玉の中へ入った。
「これがあれば、陸地のあたし達でも自由に空気が吸える。――さあ、行くぞ。海の世界へ」
そう言って、クラリスは迷い無く海へと飛び込んだ。豪快な魔女の姿のセイラは一瞬気が引けたが、意を決して海の世界へと飛び込んだ。
海へ入った途端、耳が塞がれたような感覚に陥る。少々不安になったセイラだったが、視界に入ったのはエメラルドグリーンの海で自由に泳ぐ魚や魚人達。上半身が鱗に覆われ、二足歩行の魚人や、上半身が人間で下半身が魚の女性。そして海の生き物たち。海の底では、彼らが暮らしており、皆楽しそうに泳ぎ回っている。
「とても、綺麗」
セイラは思わず感嘆の声を上げてしまう。まるで空を飛ぶように泳ぐ彼らはとても自由で、生き生きとしている。何にも縛られていないし、平和に過ごしている。シャボン玉に入ったクラリスやセイラを物珍しく見る者達もいない。全ての生き物は平等だと言われている感覚を覚える。
これが、生。自分が欲しくてたまらなかった生を自由に生きる事。生命を得たセイラだったら、こんなにも自由に生を全うする事が出来る。心が疼くような温かい気持ちを噛み締めていると、クラリスがセイラの視界へ入って笑顔を見せた。
「なあ、セイラ。何か欲しいもの無いか? 買ってやるよ」
「い、いいわ。そんなの。悪いもの」
海底では魚人達が商店を開き、売買を行っている。海藻等の食物もあれば、貝殻で作ったネックレスもある。正直貝殻の装飾品に興味を持ったが、クラリスに負担してもらうなどと、と遠慮をしてしまう。しかし、クラリスは首を振る。
「あたしが奢りたいんだ! いいだろ?」
彼女の笑顔は、人の心を明るくさせる。セイラはほんのりと微笑んだ。
「ありがとう」
「あはは。その笑顔、そっくりだなあ」
「…」
その言葉に、セイラは一転して表情を暗くさせる。誰と聞かなくても分かった。自分と瓜二つの消えた魔女の姿が脳裏を過る。
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