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短編

ウサギと虎の一方通行(4)

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  そして、ラビィは三日間の里帰りから帰ってきた。始業ギリギリに現れ、いつもの笑顔で挨拶をする。あまりに普段通りな彼女の姿に、ライジルは不機嫌そうに挨拶を返して睨む。
  ラビィはそれに気が付かなかったようで、普通に自分の席に着いて仕事を始めた。心なしか期限がよさそうに見える彼女の姿に、ライジルは苛立ちを覚えてしまう。
  里帰りの事を聞きたいが、仕事中に私語をするのは意に反する為、聞けない。ラビィをチラチラと見ながら仕事をしていたので、いつもより圧倒的に集中できていないのだが、当の本人は気づいていない。

  そしてあっという間に時が過ぎて昼食時。
  ラビィはリックを誘い、二人で昼食を買いに行った。ウィルは外出していたのでオロロンと二人きりで待っていろとの事だったが、我慢が出来なかったライジルは外へと飛び出した。商店街を走り、見慣れた白髪の後ろ姿を目にすると、ライジルは人目をはばからずに「おい、ラビィ!」と呼び止めた。ラビィとリックは目を丸くして振り返る。

「あれ?  どうしたの、ライジル。オロロンと待っていてって言ったじゃん」

  勢いで追って来てしまったはいいものの、言葉がうまく出て来ない。怪訝な表情をするラビィに急かされたような気がして、ライジルは目線を逸らしながらぽつりと言う。

「お前、さ。里帰りしたんだってな。…お土産とか無いのかよ」
「それ、追って来てまで言う事?」

  ラビィの言う通りだった。リックは盛大な溜め息を吐いて、見ていられないとばかりに首を振った。年下達に呆れられ、ライジルはぐっと唸ったが、自分でも意味の分からない呼び止め文句だと思う。
見兼ねたリックが助け船を出す。

「ね、ラビィ。里帰りしていたんでしょ。ウィルがお見合いって言っていたんだけど本当?」
「うん、お見合いしてきたよ」

  ラビィはあっさりと答えた。もしかしたら違うのでは、というライジルの浅い期待は見事に裏切られた。それでもうまく言葉に出来ず、「な、何で…」とたじろいでいると、ラビィが真顔でライジルを見つめる。その表情は怒っているようにも見えた。

「何でって…私のやりたいようにしてきただけだよ。私もこのままじゃいけないって思ったから。不毛な恋はずっと続けられないでしょ?  …ライジル。お互いにね」

  そう言うと、ラビィはそっぽを向くように踵を返すと歩き出した。ライジルは呆然と揺れる白髪を見る事しか出来なかった。彼女の姿は、人混みに紛れてすぐに見えなくなった。
  彼女はライジルとの恋を不毛だと言った。それはそうだ。ライジルはラビィを異性として見ていないのだから。それなのに、この胸が締め付けられる感覚は何なのだろう。これは、まるでリュラに失恋した時と同じ―

「……はあ。ライジル何やっているの」

  溜め息混じりの声が下から聞こえて、ライジルは我に返った。見下ろしてみると、そこには赤い帽子を被ったリックの姿。どうやらラビィに着いて行かずに、その場に留まってくれたらしい。いつも子供らしい表情を見せてくれる彼だが、今回は呆れ顔だ。

「な、何やっているって…」
「この前からずっと見ていたけど、ライジル分かりやす過ぎるよ。ラビィのお見合いが気になって仕方が無かったんでしょ?  何でそれを素直に聞かないの?」
「べ、別に俺はあいつのお見合いなんて…」

  まだ素直に言わないライジルに、リックは盛大な溜め息を吐いた。そしてぽつりと呟く。

「……ウィルも、燈も、ライジルも、ラビィも…何で僕の周りの人達はそうやって遠回りしちゃう道を選んじゃうんだろう」

  燈はウィルを助ける為に自ら忘れられる道を選び、ラビィは自分の恋に区切りを付ける為にお見合いをし、ライジルは素直に尋ねる事が出来ない。
  子供のリックは、何故彼らが自分の想いを優先して動かないのかやきもきしていたのだ。燈達との事は止められなかったが、今目の前にいるライジルならまだ取り返しがつく。後悔は、決してして欲しくなかったから。

「ねえ、ライジル。このままだとラビィは違う人と結婚しちゃうよ?  それでもいいの?  ライジルの言う兄妹の関係なんてずっと続けられないんだよ」
「だ、だから俺は―」
「ライジル。最近好きな人の事考えている?」

  そう言われて、虚をつかれたライジルは言葉を詰まらせてしまう。確かにリックの言う通り、ラビィの事をずっと考えていたが、この質問の意味は何なのだろうか。問おうとした時に、リックが答えをくれる。

「今、好きな人って言われて一番先に浮かんできたのは誰?  リュラジョー?  …それともラビィ?」
「……!!」

  ライジルはハッとした。今までは好きな人、と言われて浮かぶのはリュラだった。しかし、今回はラビィの笑顔が浮かんだ。ラビィに告白されてから、リュラの事を少しも考えていなかった。
  以前までの自分だったら、あの塔にいた時、リュラとヒュウの絆の強さを目の当たりにしてショックを受けていたはずだった。それなのに、ライジルはラビィの事ばかり考えていた。いつの間にか、目で追うのはラビィになっていた。
  だが、その気持ちはラビィに告白されたからこそ意識し始めて出来たものではないか、と考える。それは果たして恋と呼べるのだろうか。
  悩むライジルに、リックが喝を入れる。

「つべこべ考えるな!  ラビィがいなくなっていいの!?  今を逃したらラビィはもうライジルの元に帰って来ないよ!!」
「!!」

  リックの言葉に背中を押され、ライジルは気が付けば走り出していた。自分の前からいなくなって欲しくなかった。憎まれ口を叩くが素直でよく笑う彼女は、自分にとっては無くてはならない存在で。今まで全く気が付かなかった。ラビィは何度自分の為に泣いたのだろう。どうして今まで自分を好きでいてくれたのだろう。
  白髪の後ろ姿はすぐに見つかった。ライジルは人混みをかきわける。
  いなくなって欲しくない、ずっと側にいて欲しい!そう願いながら、ライジルはラビィの細い腕を掴んだ。

「!  ライジル!?」

  突然の出来事にラビィは驚いて振り返った。その拍子で手に持っていた手の平サイズの赤い木の実が落ちてしまう。拾う為に屈もうとしたが、ライジルの腕がそれを許さない。

「ライジル、木の実拾わないとだから―」
「お見合いは、断れ!!」
「はぁ!?」

  ライジルの言葉にラビィは憤った。兎の獣人の結婚については先日話したはずだ。ラビィは18だが、兎の獣人の中ではまだ結婚していないのは遅い方なのだ。それなのに好意を抱かれていると知っている当の本人がお見合いをするなと言って来た。このお見合いはライジルを忘れる為に受けたというのに。それはラビィの神経を逆なでするのに充分だった。

「何言っているの!  ライジルには関係ないじゃん! 
 そうやって人の心を振り回すのやめてよ!」
「振り回していたならすまん!  だが、これは譲れない!  俺はラビィが好き…!」

  言い掛けてハッとする。ラビィは驚きのあまり口を大きく開いてしまっている。その表情を見ていたら、何だか自信が無くなってきて。

「……なのか?」

  ラビィに尋ねてしまうという失態を犯してしまった。ラビィはライジルの突然の告白に頬を紅潮させたが、尋ねられて一気に頬の熱が冷める。そして今度は怒りによって顔が赤く染まって行った。

「聞き返さないでよ馬鹿!!」
「い、いや、だって前まで俺はリュラが好きだったわけだし、そんな男が突然お前を好きって言うのは意味分からないだろう?」
「わ、分からなくない!!」

  ラビィは即座に否定した。怒りに染まっていたはずの顔はいつの間にか違うものに変わっているのがライジルでも分かった。表情がコロコロ変わるのは昔から変わらない彼女の魅力の一つだ。それを目の当たりにして、ライジルは思わず噴き出した。それを見たラビィは可愛らしく睨みながら両手を腰に当てた。

「何よ、ようやく私の魅力に気付いたの?  遅いよ!!」
「すまん」
「わ、私がいつからライジルの好きだと思っているの?  小さい時から、ずーっとなんだから!」
「そ、そんなにか…」
「そうだよ、ライジルの馬鹿!  どうするのよ!  お見合い断らなくちゃじゃない!」
「……すまん」

  そこまで捲し立てるように言ってから―ラビィは怒りの表情を消して嬉しそうに笑った。いつも見せてくれていたその笑顔に、ライジルの胸が高鳴った。

「ううん、いい。ライジルが私に気が付いてくれたから―それで許してあげる」
「ラビィ…」

  二人の間に穏やかな空気が流れる。普段は兄妹のように茶化しながら一緒にいた二人だったが、この空気は他の誰にも作り出せないものだ。気が付くのに随分とかかってしまったが、彼女の側にいる事がライジルの当たり前であり、かけがえのないものだった。
  ラビィの手に触れようと手を伸ばす。しかし、彼女は避けるように手を自分の後ろにやり、何かを企んだ表情を見せた。

「あ、じゃあ一つお願い。…ちゃんと好きって言って?」

  ライジルはぐっと唸った。そんな恥ずかしい事言えるか、と言いたかったが長い間彼女には辛い思いをさせてしまったのだ。それくらい叶えてあげなくては。
  ライジルは頬を赤くしながらラビィの赤い瞳を真っ直ぐと見た。

「お、俺はラビィが……す、すす……」
「あははは!!  なにどもってんのジルちゃん!!  可愛いー!!」
「う、うるせえ!」

  緊張し過ぎてどもってしまったライジルに、ラビィはお腹を抱えて笑った。ライジルの顔は真っ赤だった。

  今まで仕事仲間、妹のようにしか見ていなかった兎の彼女は、いつの間にか大きくなっていて(背は小さいままだが)、大人として少しずつ成長している事に気付いていなかった。ずっと一緒にいたから、側にいるのが当たり前だった。
  ウィルが感情を失い、引きこもりがちになった時、ライジルとラビィ、オロロンの三人で灰色の手帳を作った時から、このメンバーは戦友のようなものだった。
  それがあったから、錯覚してしまったのかもしれない。この日常がずっと続くのだと。
  自分が誰といたいのか決断しなければ、兎の彼女の隣にはずっといられない事を見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。
  リュラが好きだと言った時も、ラビィは変わらずに接してくれていた。…その裏で、泣いていた事に全く気が付かなかった。
  随分遠回りをしてしまったが、ライジルはようやく自分の側にいるべき人を見つけた。その彼女はいつものように明るく笑っている。

「あ、早く屋敷に戻ろう?  昼食の時間が終わっちゃう!」

  ラビィがライジルの手を取り走り出す。白髪がふわりと揺れる様を見つめながら、ライジルは彼女の名前を呼ぶ。

「ん?  何―?」
「好きだ」
「!!」

  突然の告白にラビィは動揺して転びそうになってしまったが、ライジルの手が彼女の身体を引き寄せた為、何とか耐える事が出来た。ラビィの白い頬はりんごのように真っ赤だった。そんな彼女に、虎の彼は恥ずかしそうに笑う。

「その、これからも、よろしく頼む」
「うん!  こちらこそよろしくね、ライジル!」

  ラビィは瞳を輝かせると、花のように可憐に笑ったのだった。



―終―

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