庵の中の壊れ人

秋雨薫

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忠告

黒い悪魔

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 ふと目の前の壁にうっすらと切り目が見えたら、それは誘われているのさ。誰にだって?……それは見てのお楽しみ。
 その壁を押せばきっと扉のように開くだろう。そこに、奴はいる。奴は心に欲望を持った者の前に姿を現すんだ。だから誰の前にでも現れるってわけだ。
 奴は気まぐれに人を助けたり、どん底に突き落としたりする。奴は自分が楽しければそれでいい。…そんな奴だ。
 それでももし叶えて欲しい欲望があるならずっと願えばいいさ。……どうなるかは保証しないがね。



―――


「昭久……どうだった? 俺の魔法は気に入ってくれたかい?」

 月が浮かぶ、人通りの少ないゴミ溜めと化した裏路地に二つの影があった。黒いコートに黒いブーツ、そしてシルクハットを被った黒ずくめの悪魔はにこりと笑って昭久を見下ろした。昭久は四つん這いの格好でゆっくりと顔を上げた。その表情は憎しみで歪んでいて、ギロリと血走った目で黒い男を睨んだ。

「な…にが願いを叶えるだ! 叶える所か、俺の…命を危ぶめているだけ…じゃないかっ!」

 目線の鋭さとは打って変わって、昭久の口からは弱々しい声しか出なかった。それを聞いて、黒ずくめの男は微笑んでいた口角を更に上げた。

「それは違うね、昭久。俺は君の願いを叶えるなんて一言も言っていない。俺は君の願いを“ただ”聞いただけ…。それに、君の願いはとてもつまらなかったから飽きてしまった」
「なっ……!」

 怒りのあまり、昭久の頭の血管が何本か切れたような感覚。それに気付いたかは定かではないが、黒ずくめの男はシルクハットを被り直しながら言う。

「君が自分の願いを叶えたいという自己中心的な心があるように、俺にも自分が面白いと思う願いしか叶えたくないという自己中心的な心があるのさ」

 昭久は起き上がろうと足に力を込めるが、両手足にまるで何かに押しつけられているように圧迫されている感触があって、起きる事ができない。

「おや、どうしたの? 起きられないの? 早くしないと、あの怖い人達が来るんじゃない?」

 明らかに黒ずくめの男が何かをしたはずなのに、惚けた振りをして肩をすくめる。先ほどまで怒っていた明久だったが、その言葉に一気に青ざめた。

「た…助けてくれ…」
「あは、本当に人間って自分勝手だ。あんなに俺を憎んだ目で見ていたのに、もう命乞いだ」

 そう言いながら黒ずくめの男はくるりと昭久に背を向けた。

「お…おい、待ってくれ!助けてくれよ!」

 引き止めようと手を延ばしたかったが、まだ圧迫されているようで、それもできない。背後から昭久を探す足音が近付いてくる。時々、怒声も混じっている。昭久は更に顔を青くして、叫ぶ。

「頼むからっ! 何でもするからっ! せめてこの手足の魔法を解いてくれ!!」
「大丈夫だよ。俺、何でもできるし。…魔法も解いてあげない」

 振り返らずにそう言うと、黒ずくめの男は止まった。いや、止まる事しかできなかった。目の前は行き止まりで、大きな壁が立ち塞がっていたからだ。
 黒ずくめの男はコートのポケットからナイフを取り出した。フォークやスプーンと並ぶ、食事用のナイフだ。刃に金色の文字で何かが印字されている。黒ずくめの男はそれを自分の頭より上の壁に刃を当て、右にスライドさせ、次に真下へと足元まで移動して、最後に右に動かした。ナイフなんかで壁を切れるわけがない、と誰もが思ったが、昭久はそうは思わなかった。何故なら目の前の男が何者だか知っているから。昭久の思った通り、黒ずくめの男の切った箇所が淡く輝いた。その大きさは、一人が入れそうな扉のようだった。黒ずくめの男がナイフをしまい、壁を軽く押すと、まるで扉のように開いた。

「それにさ」

 その扉の奥へ、吸い込まれるように身を入れようとする。黒ずくめの男は一度振り返って、楽しそうに笑った。

「助けるより、君が捕まる方が楽しそうだからさ」
「なっ…!」

 じゃあね、と言うと扉はギィィと軋んだ音を立てて閉まった。扉は何事もなかったように元に戻っていて、切れ目の跡もない。背後から足音が迫ってくる。叫ぶ声が近付いてくる。——生者ではない、恐ろしい呻き声が。昭久は無理やり起き上がろうともがきながら叫んだ。

「イオリ――――!!!」


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