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ひねくれ姫様

に感想を送ります その1

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 辞書の感想の約束をしてから三日後。俺はいつもより早く学校に登校していた。気分は最高潮に悪い。身体的には寝不足以外は超健康なのだが、俺の心は地の底まで沈んでいた。
 自分の席に座る俺の目の前に置かれているのは、白紙の作文用紙。感想らしきものもできず、文房具屋で買った作文用紙は一枚も書けていなかった。そして日が経つ度に、どんどんと濃くなる俺の目の下の隈。
 いつでも快眠の俺がここ三日不眠に苦しんでいた。暇さえあれば朝から晩まで辞書を読み、睡眠しようとベッドに入るが、辞書の語句が俺の頭の中をぐるぐる回り、眠れないのだ。
 とりあえず辞書を徹夜で“あ行”から読み始め、昨日までで“き行”まで読み進める事が出来た。…それでもどんな感想にしたらいいのか分からない俺。そして俺は今日も辞書を読みあさっていた。

「“キリン”…アフリカの草原などに住むキリン科の哺乳動物…前足と首が長く……」

 ブツブツと辞書を読んでいる哀れな男。辞書を読みながらブツブツと呟いている俺を奇妙に思ってか、いつも声を掛けてくれるクラスメイト達は全く話しかけてくれなかった。
 まあ、俺もそんな奴がクラスにいたら遠巻きに見ているし、皆の気持ちは分かる。そんな俺に一番に声を掛けてくれたのは……

「何、皆塚お前本当にちゃんと辞書読んでいるのか?」
「山田……」

 このクラス一番の地味男と呼ばれる、山田だった。山田は今来た所のようで、少し乱れた短い前髪を適当に治しながら、学校指定のバッグを机の上に置いて中身を出していた。

「や、山田……!!」

 俺は待っていました、とばかりに立ち上がると、縋りつくように山田の両肩をガッチリと掴んだ。

「うわ……!な、何だよ…!」

 小動物のように丸い瞳を更に丸くさせて口元を引くつかせる山田。俺は山田に小動物さながらのうるうるした瞳を見せつけた。

「た、助けておくれ…!」
「は?…っていうか気持ち悪いから離せ!」

 山田は俺の両手を振り払った。俺は構わずその振り払われた両手で、今度は山田の両手をガッチリと掴んだ。

「感想が思いつかないんだぁ…山田、助言をしてください…!!」
「な、何言っているんだよ!そんな事急に言われても……!そ、それにこういうのは如月に頼んだ方がいいだろ!如月の方が最もな答えを教えてくれると思うけど?」

 如月の名前が出た途端、俺はムッと口を尖らせた。

「あいつは何もしてくれないし、最もな答えなんてくれないに決まっている!」
「…はぁ?」

 山田は困惑した表情で俺の前にいる如月の背中を見る。如月は聞こえていないのか、黙々とバッグの中を整理していた。
 いや、如月の事だから絶対聞こえていると思うけどね!畜生、あの薄情眼鏡め!

 如月はあれから話し掛けて来ない。…俺だって話し掛けていないし!だって三日前そう決めたんだし!
 …でもちょっとくらい話し掛けてきてくれてもいいんじゃないかなーって思ったり。話し掛けてきたら許してやろうと思ったのにな!いや、別に寂しいってわけじゃないんだからね!?

「なぁ、山田!俺はどうしたらいいと思う!?」
「どうしたら…と言われても。俺、そんな相談された事無いし…」

 山田は困った顔で目を泳がせる。その視線の先に如月がいたのだが、如月は少しもこちらを気にする様子は無かった。そんな山田の様子に気付かない俺はずいっと顔を寄せる。

「俺だってこんな相談したのは初めてだ!」
「そうでしょうね…」
「お願い、山田!」

 少しでいい、少しでいいから助言だけいただきたいんだ、と山田の両手を離して顔の前で両手を合わせて目を瞑る。そしてしばらくしてから返ってきた返答は。

「本当に人の事を考えない大木のような神経をしているよね、笑は」
「んな!?な、何て事を言うんだ!山田!!」

 俺は鼻息を荒くさせて山田の胸倉を掴んだ。いくら温厚な俺でもそんな毒舌を言われたら怒るぞ!

「え!?いや、違うって!今のは俺じゃなくて……!!」

 慌てた山田は勢いよく首を振って真犯人であろう人物を指さす。俺は山田の指の先にいる人物を見やった。

「き、如月ぃぃ…!!」

 そこには静かにこちらを見据える如月がいた。

「…まだろくに感想も出来ていないわけ?あんなに意気込んでいたくせに、随分と余裕じゃないか」

 そう言って薄い笑みを浮かべる如月。
 ここまで来れば大体分かるだろう。こいつは俺が余裕をぶっこいて感想をまだ書いていないんだ、と考えて言っているわけではない。俺が必死こいて無い頭を絞っている姿を見て、せせら笑っているのだ。

「まぁ、どうせ笑の事だから何も考えずにただ最初から読んでいるだけなんだろう?」
「うぐっ」

 俺は言葉に詰まる。図星すぎて何も言えない!でもそう悟られるのが嫌だった俺は、黙って山田の胸倉から手を離し、拗ねた顔で自分の席に戻り、そしてまたあの分厚い辞書を開いて途中から読み始めた。

「“キリン”…アフリカの草原などに住むキリン科の哺乳動物………ってあれ、ここ読んだ気がするな……」

 目の下に隈がくっきりと残った虚ろな目で、辞書を小さな声で読み進めるこの姿はとても不気味だったのだろう。耐えかねた山田が如月に救いの眼差しを求める。
 如月は心底嫌そうに眉間に皺を寄せたが、死んだように辞書を読む俺を見て、やれやれと溜息を吐いた。

「……笑」
「何だよっ!どうせ俺は何も考えずに行動しちゃう駄目駄目な男だよ!!」

 「ふーんだ!」と言ってそっぽを向いてやる。如月の隣にいる山田が「気持ち悪い」と言った気がしたが、華麗にスルーをしてやった。

「いや、それは分かっている。それより…お前、辞書の感想を考えるなんて初めてだよな」
「当たり前だろ!このあんぽんたん!」

 如月が俺の机の上にある辞書を指先で軽く叩いてきたので、俺は庇うように辞書を抱きしめた。その様子を冷めた瞳で見つめた後、如月は居場所を失った指を引っ込めた。

「その言葉はそのまま笑にお返しするとして…。逆に考えると、日暮の方だって辞書の感想なんて聞いた事がないんだ」
「当たり前だろ……って、ああ!そっか!」

 如月に言われて、初めて気付いた。俺は自分の事しか考えていなかった。だから日暮に納得してもらえるような感想を書かなくてはと奮闘していたが、その日暮自身もそんな国語辞典の感想なんて聞いた事がないんだ。
 俺が何度も頷いている姿を確認して、如月は目を伏せてズレた眼鏡を治す。

「そう考えれば…下手な感想じゃなければ、受け入れて貰えるっていう事だ。…比べる相手もいないし」
「な…なるほど……!!」

 如月の一言、一言によって絶望としか載っていなかった俺の頭の中の辞書に、希望の光がもたらされていく。
 ああ…何だか如月が神々しい光を放っている気がする……!主に眼鏡から…!!
 眩しそうに目を細める俺を不審に思ったのか、少々眉間に皺を寄せたが、特に何も言って来ずに如月は続ける。

「…どうせお前は語句も意味も全部読む気なんだろう?」
「おう!当たり前だろ!!俺は手抜きが嫌いだからな!」
「知っている。…だからこそ……」

 一旦言葉を切ってから、如月は俺に言った。

「お前には手抜きをしてもらわないといけない」
「な、何だって―!?」

 如月の言葉に、俺はよろめいた。俺にとって手抜きとは一番嫌いな行為!俺の事をよく知っている如月ならそれを一番分かっているはずだ。なのに、何でそんな事を…!!

「……ま、手抜きといってもそれほどじゃない―」
「如月!!」

 如月の言葉を遮るように、名前を呼ぶ。話を遮られた如月は面倒くさそうに顔を歪めた。それに構わず、俺は続ける。

「俺は絶対手抜きなんてやらないからな!」

 俺の言葉に、如月は呆れたように息を吐きだした。

「……そう言うと思ったよ。でも、そうでもしないと感想なんてまとまらないぞ…?」
「ど、どういう意味だよ…!」

 如月は俺の手中から辞書を奪い取ってページをパラパラと捲り出す。

「…辞書は、物語のように話が繋がっていない。……そんなものに感想なんて現れないだろう?」
「そ、そりゃあそうだけどさ…」

 それじゃあどうすればいいんだよ、と言う前に、如月はページを捲る手を止めて辞書を俺の机の上に置いた。

「……逆を言えば、この辞書に繋がりを作ればいいんだ」

 な、なるほど…!辞書に繋がりを作りだせばいいのか……!!繋がり…

「……すみません、如月先生。俺には話が難しすぎて意味が分かりかねます」

 俺は恐る恐る挙手をして意見を述べる。如月先生は眉間に皺を寄せて出来損ないの生徒…俺を睨んだ後、フッと笑って眼鏡をクイッと指で持ち上げた。

「まあ、期待はしていないからね。今から説明してあげるよ皆塚君」

 どうやら今日の如月は機嫌がいい方みたいだな。珍しく話に乗っかって先生役してくれているし。「お願いします!先生!」と言うと、如月先生はコクリと頷いて俺に辞書を見るように促した。

「…辞書にだってこんなに膨大な語句が載っているけど、意味が多少被っているのもあるだろう?」
「まぁ、そりゃあな!言葉は違っても同じ意味の奴はたくさんあるしな」

 それがどうしたんだよと聞くと、如月は机の上の辞書を適当に捲って、ある語句を指でなぞった。

「…例えば、笑が自分の好きな語句を選ぶ。そうしたらそれに意味の似た語句を探すんだ」

 なるほど…それがさっき言っていた辞書の繋がりという意味だな…!
 それよりも。如月の指が差している語句が『いたぶる』っていうのが気になるんだけど…。違うよね!?それは偶然そこに『いたぶる』があっただけで、別に如月の好きな語句っていう意味じゃないよね!!?恐ろしくて聞けない俺をよそに、如月は話を続ける。

「だからといってストーリー性が出てくるわけじゃないんだけど、同じ意味だけだったら感想も考えやすいだろう?」
「なるほど!」
「…だから関係の無い単語は読み飛ばすって事。これなら大分時間を短縮できるだろ―」
「如月ぃ!!」

 俺は言葉を待たずに、如月の片手を取って両手で包み込む。あまりの急な展開に、さすがの如月も驚いたようで、如月は少し目を見開いて俺を見た。

「な、何…」
「ありがとうなぁ…如月ぃぃ!!この三日間、話し掛けないで本当にごめん!!やっぱり俺の親友にはお前がぴったりだよー!!」
「……」

 如月は涙目で言う俺をしばらく驚いた表情で見ていたが、すぐにいつもの澄まし顔に戻った。

「…親友にぴったりかどうかは分からないけど…俺はただ他の人にまで被害を及ぼす笑を見ていられなかっただけだ」

 そう言ってチラリと被害者一号の山田に視線を送る。今まで傍観者だった山田はハッとして感謝の意を込めて如月にお辞儀をした。

「よし!何だかとてもいい辞書の感想を書けるような気がしてきた!!」
「そう…それは良かったな」

 きっとそんなに時間が掛からずに日暮に感想を言えそうだ!見ていろよ、日暮!あっと驚くような感想を聞かせて……

「俺の好きな語句……か」

 何だろう。好きなことわざとか四字熟語とかはすぐに思い浮かぶんだけど、語句と言われると範囲が広くて思いつかないな…うーん……
 考え込む俺に、如月は心底呆れた表情を見せた。

「…分かり切っている事だろう?お前の一番好きな言葉は一つしかないはずだ」
「俺の一番好きな言葉……」
「その言葉があったからこそ、お前は日暮と仲良くなりたかったんだろう?その言葉こそ、日暮に伝えるべきなんじゃないのか?……感想として」

 そうだ。別に無理して考えるような事でもなかった。俺が一番好きな言葉。日暮に伝えたい言葉。……そしてその言葉を、日暮に見せて欲しい……

「ありがとう如月。俺の好きな言葉を…日暮に伝える」

 最後まで俺に助言をしてくれた親友に、俺は誠意を込めて礼を言う。如月はフ、と軽く笑うと俺の肩に手を置いた。

「いいよ。…後でご飯でも奢ってもらうから」

 チャイムが鳴ったので、俺達は席に着いた。俺は横目でひねくれ姫と呼ばれる少女を見る。相変わらず無表情で本を読んでいる。その横顔に、俺は心の中で決意を伝える。
 待っていろよ、日暮…!俺が必ず、俺の好きな言葉が似合うって事を証明してやるからな…!!



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