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4 喫茶店と実験君
実験君の地雷
しおりを挟む「閃光丸、すごいでしょ。あれ作るの結構苦労したんだよ。使う機会なんかないと思ったけど、まさかこんな所で活用できるなんて!」
ゴーグルを額にズラしながら嬉しそうに言う実験君。実験君は美穂を救出した事より、閃光丸を使えた事に喜んでいるようだ。閃光丸とは恐らく閃光弾の類いのものだろう。そんな物を作っている実験君って何者なのだろうか。奏はこんな状況にも関わらず、密かにそう思った。
「人質、取られちゃったね。どうする?また誰か人質にする?……でも無理だろうね。あんたじゃ、オレに敵わないから」
「……う……うるせぇ…!」
「さっきから“てめぇ”と“うるせぇ”しか言わないけど、それしかバリエーションないわけ?オレ、飽きちゃったよ」
この実験君の挑発は、作戦なのだろうか。それとも素?そう思うくらい、実験君は癪に触るような事を言う。さすがに堪忍袋の緒が切れたのだろうか。ブチリ、と何かが切れる音が聞こえたような気がした。
「このっ……ガキが……!ブッ殺してやる!!」
男は視界がままならないまま、実験君目掛けてナイフを構えながら突っ込んできた。
「実験君!!」
崎本の声が店内に響く。
「あぶな……!」
奏が実験君の腕を引こうと手を伸ばした時―
「……………ガキ?」
地の底から沸き上がるような低い声が、実験君の口から漏れた。
実験君の纏う空気が殺気だったものに変わり、奏は一歩身を引く。背中しか見えないのに、その小さな身体に妙な迫力があった。
「お前……今なんつった?」
「うああああああっ!!」
実験君の微かな呟きが男に届くはずもなく、ナイフの切っ先を実験君に向けて突進してくる。男のナイフが実験君の胸を突こうとした時―
「!!」
男は目をこれでもかというくらい見開く。何故なら、少年の胸に身を埋めているはずのナイフを持つ手が、実験君の皮手袋をはめた手によって止められたからだ。身を引こうと後退ろうとしたが、手首をものすごい力で掴まれている為に出来ない。
「おい」
突然間近から声を掛けられ、男は顔を上げる。男の目線より低い所にある可愛らしい顔。その顔は無表情だが、奥底で怒りが沸き上がっているのを見たような気がした。その表情に、男は何故か怖じ気づいてしまう。
「な、何だよ…!」
「お前、いくつだ?」
「は……?」
実験君から出た問いは、何とも場違いなものだった。男は思わず間抜けな声を溢してしまう。
「いいから言え。お前はいくつなんだ?」
「……十六だけど」
迫力に負け、男が答える。すると実験君はニコリと微笑んだかと思うと――目をカッと開いて歯を剥き出しにした。
「オレの方が年上だこのガキがぁぁぁぁっ!!」
そう言って腕を振り上げると、実験君は自分の拳を男に叩き込んだ。男は実験君の拳をまともに受け、近くにあったテーブルの上に音を立てて倒れ込んだ。上にあった胡椒瓶やら楊枝入れが地面に落ち、中身をぶちまける。
「う…ぐ……」
頬に手を当ててうずくまる男の横に、実験君は自分の足をダンッと勢いよく押し付けた。
「今度ガキなんて言ってみろ……その口に塩酸ブチ込んで二度と口が聞けないようにしてやる!!」
「ヒ、ヒィ!」
ドスの籠った声に、ふくよかな男は怯えた様子で何度も頷いた。
「……遥さん」
「………あ、はい!?」
口をあんぐりとしていた崎本は、我に返って返事をする。実験君の声はいつもの調子に戻っていたが、あの変貌ぶりを見て平静でいられるわけがない。流石の崎本も声が上擦っていた。
「縛れる物、用意してくれる?」
「あ、うん分かった…」
崎本はキッチンに入って上の棚を開けて漁りだした。実験君は男の両手を後ろに回すと、片手で押さえ付け、おまけに腰辺りを片足で踏みつけた。
「いでっ」
「黙れ」
実験君の有無を言わさない言葉に、男は下唇を噛んで声を発さないようにする。奏はその様子を突っ立ったまま見つめていた。
この実験君という少年は、どうやら『ガキ』に過剰に反応するらしい。
十六歳以上にはとても見えなかったが、それを言ったら奏も彼の拳の餌食になりそうなので黙っておいた。
それにしても、と奏は自分の顎に手を添える。
幼い顔立ちだが、彼は誰かに雰囲気が似ている気がする。そう思っていた時、ふと実験君と目が合った。
茶色い大きな瞳。その瞳が――一瞬だけ赤くなったのを、奏は見逃さなかった。
赤い瞳。今は茶色い瞳だが、あれはミツキや、カンナと同じ。
実験君は奏から目を逸らし、崎本から受け取ったビニール紐で男の手首と足首をきつく縛っている所だった。
「………」
ミツキの持っていた小瓶、実験君の持っていた小瓶。あの中身は同じ物で間違いないと思う。そして同じ色の瞳。実験君はきっと、彼らと同じ――
「…あの」
「……え?」
突然誰かに肩を叩かれ、我に返る。目の前には、金髪の男が立っていた。店内にいた客の一人だ。
艶のある金の髪は、染めた物ではなく、天然物であると証明している。その男はやけに前髪が長く、左目が隠れてしまっている。茶色の右目が奏を真っ直ぐ見つめていた。
既視感。奏はこの金髪に見覚えがある気がした。実験君のように雰囲気が誰かに似ている、というわけではない。この男に、会った事があるような気がする。
そう、遠い昔に――
「大丈夫ですか?」
「へっ……」
どうやらぼうっとしていたらしい。気付くと、金髪の男は心配そうに奏の顔を覗き込んでいた。
「あ……大丈夫、です…」
「よかった」
奏がぎこちなく頷くと、金髪の男は目を細めて微笑んだ。
優しそうな笑顔。その笑顔も、見た事があるような気がした。
「………あの」
何処かで会ったことありますか?そう聞こうとした時――
「……その子の怪我、大丈夫?」
実験君が近付いて話に割り込んできた。
「あ、大丈夫……ですか?」
一瞬、自分に言われたかと思ったが途中で美穂の事を言っているんだと気付き、椅子に座る美穂に尋ねる。美穂はしゃくりあげながらも何とか頷いた。
「はい……ありがとうございます……」
鼻声で礼を言う美穂。その表情は安堵に満ちていた。実験君はひょいっと美穂の首を覗き込んだ。
「うん、傷はそんなに深くないみたいだね」
美穂を心配している実験君を見て、奏は口元を和らげた。何だ、人の事考えない子かと思ったけど、ちゃんと気を使っているじゃない。そう思った矢先――
「もっと傷が深かったらオレの新作の薬を使えたのに……」
そう言って口を尖らせながら、胸のポケットからどす黒い粉の入った小瓶を取り出した。心なしか、粉がねばついているように見える。その異質な物体を目にして、美穂は顔を強張らせて傷を隠しながら大きく首を振った。
前言撤回。奏は顔に手を当てて大きく溜め息を吐いた。
ちぇー、何だよ…と実験君が不満そうに小瓶をしまっていると、
「み、美穂ぉぉっ!」
「あ、彩…!」
涙で顔がぐちゃぐちゃになっている彩が足をもつれさせながら美穂に近付き、そのまま抱き締めた。
「本当に無事でよかった…!よかったよぅ…!」
「ごめ……ありがと……彩」
緊張の糸が途切れたのだろう。二人は抱き合ってわんわんと泣き出した。その様子を見ていた金髪の男は、優しく微笑んだ。
「……じゃあ僕は警察に連絡しようかな」
「あ、うん頼むよ」
実験君が頷くと、金髪の男は携帯を取り出して店の外へ出て行こうとする。
「あ、あの……!」
奏は思わずその背中を呼び止めた。金髪の男は、クルリと振り返ると奏に向かってふんわりと微笑んだ。
「大丈夫だよ…僕はまた戻ってくるから……」
それだけ言うと、男は携帯を耳に当てながら喫茶店を出ていった。
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