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1 騒がしい夏祭り
浴衣を探して
しおりを挟む太陽が地上をジリジリと容赦なく照りつける真夏日。舗装された道も熱を持ち、上から下から蒸し暑さが押し寄せてくる。人々は日傘を差したり、手で扇いだりとそれぞれ暑さを紛らそうとしていた。――そんな中。
「あ、暑い……」
額から滲み出る汗を拭いながら、ノロノロと歩くのは奏。短い髪を無理矢理一つに縛っている。いつもなら冷房のかかった部屋でのんびりと過ごすのだが、今日は皐と浴衣を買いに行こうと都内のデパートに行く約束をしていた。アイスみたいに溶けてしまうのではないかと思っていると、
「何だよ。もうへばっているのか?」
隣にいる男から嘲笑混じりの声がかかる。黒いキャップを被り、黒い長袖のシャツにジーンズという格好なのに、この暑さの中一滴も汗をかいていない男。奏はそんな男をジトリと睨んだ。
「…そんな暑そうな格好しているあんたが隣にいると、更に暑さが倍増するんだよ」
「俺だって好きでこんな格好しているわけじゃないし。なるべく太陽の光に当たりたくないだけだ」
男――ミツキはキャップを被り直しながら言った。見事なまでに整った顔立ちのこの男。実は人間ではない。人の生き血を啜って生きる生き物――吸血鬼。架空の生き物だと奏も信じていたのだが、今では同じ学校に行き、そして何と一緒に住んでしまっている。
週末に控えた夏祭り。本当は親友の皐と二人で行く予定だったのだが、ひょんな事からミツキとミツキの友達と行く事になってしまった。何でこんな事に、と奏はミツキに気付かれないように溜め息を吐いた。
待ち合わせの駅の階段下で、皐はもう待っていた。手を大きく振る皐に奏は駆け寄った。
「ごめん、皐! ……待った?」
「ううん、今来た所だよ! あ、暗野君もいるんだね。こんにちは!」
「ああ」
軽く会話をしてから三人は駅へと入った。夏休みのせいか、大きな旅行鞄を持った家族連れやカップル、友達グループが多くいた。人混みをぬって切符売り場に行き、切符を一枚買う。奏と皐はICカードを持っているので、これはミツキの為だ。
彼は長命という割には人間の生活の知識をほとんど持っておらず、電車も乗った事無いのだろうと思いながら奏がミツキに切符を渡すと、不思議そうに受け取った。
ミツキが吸血鬼だと知らない皐に怪しまれないように、少しだけ距離を取って電車について奏が簡単に説明すると、彼はあまり理解出来なかったのか微妙な返事をした。
百聞は一見に如かずという事で、奏はミツキに改札の通り方を教え、三人で駅のホームへ入る。
「……すごい人だな」
この駅はそれ程大きくないのだが、いつも人の行き来が激しい。ホームで列をなす人々をミツキは物珍しそうに見渡した。電車が分かっていないミツキだったが、ホームに入って来た車体を見て「見た事がある」と嬉しそうに言った。流石のミツキも電車は知っていたようだ。
――だが、ミツキが嬉しそうだったのは電車に入る直前まで。車内は人がこれでもかというくらい入っていて、奏達も僅かな隙間を縫って奥まで入る。「これは満員じゃないか…!?」と立ち尽くすミツキの腕を奏は引っ張り無理矢理連れて来た。
冷房は効いているが、この密集率。全くもって涼しい空気が入って来ない。ミツキの体温が低いので掴んでいる手がひんやりとしていて気持ちが良い。だが、ミツキの姿は人混みに紛れて見えなかった。
数十分耐え抜き、目的の駅に降りるとミツキはやややつれているように見えた。普段から顔色は悪いが、更に白くなってしまったような気がする。
「……もう二度と乗らないからな」
「残念。帰りにまた乗るから」
「……帰りは走って帰る」
電車がかなり嫌だったようで、ミツキは顔をしかめながら呟いた。奏も慣れているわけではないが、満員電車が初めてだったミツキは苦痛の何者でも無かったのだろう。走って帰る、という言葉を冗談だと受け取った皐が「あはは、面白い事を言うね」と暢気に笑った。
目的地のデパートは駅から歩いて直ぐの場所にあるので、直ぐに辿り着く事が出来た。奏達は人混みから抜け出すと、すぐさまデパートの中へ入る。その瞬間、人工的な冷気が火照った身体に吹き付けた。真夏日のデパートは天国に思える。
「ほら、奏行くよ!」
立ち止まって至福の一時を過ごしていると、皐に腕を引っ張られた。
「えーと……浴衣は……六階だ!」
入り口で手に入れたデパートのパンフレットを見ながら、皐はズンズンと進む。普段はおっとりしている皐だが、こういう時は行動的になる。六階に行く為にエスカレーターに乗る。ミツキはまた物珍しそうな顔をするのかと思ったが、エスカレーターはすんなりと乗った。皐は浴衣売り場へ行く事に頭がいっぱいになってしまっているようで後ろを振り返らず熱心にパンフレットを見ている。数段下に乗った奏は思わず苦笑してしまった。それから隣にいるミツキに目線を送る。
「エスカレーターは知っているんだ」
「当然だ。常識だろ、こんなの」
「……あんたの常識は範囲が狭いから分からないし」
「前にも言った通りだ。この生活を始めたばかりだから分からない事だらけなんだよ」
皐がいるので吸血鬼と言うのを避けたのだろう。人間と同じように生きていなかったから人間の暮らしなど分からないという言い訳。最初はそれで納得したが、ある人物に会ってから腑に落ちなくなっていた。
「でも、カンナ……さんは結構知っていたような気がしたけど?」
カンナという少女の姿をした吸血鬼に。カンナは外見年齢が11、2歳だが、実はミツキの姉だ。姉だからミツキより知識があっていいと思うが、カンナだって人間の生活をしているわけではなさそうだったから、知識だって乏しいはずだ。
しかし、カンナは“剣道”を知っていた。ミツキが言うように吸血鬼として過ごしていたら得るはずのない知識を。まさかこんな話になると思わなかったのか、ミツキは顔を強張らせた。
「どうしたの? 喧嘩をしていたの?」
六階に着き、二人が来るのを待っていた皐は心配そうに声を掛けて来た。どうやら奏とミツキが変な空気になっている事に気が付いたようだ。
「いや…喧嘩していないよ。大丈夫」
説明するとややこしくなりそうだったので、奏は無理矢理笑顔を作ってみせた。
「そう? ……じゃあ行こうか。こっちだよ!」
笑顔の皐に連れられ、浴衣コーナーに到着する。今ちょうどシーズンなので、浴衣は特設コーナーに飾られていた。
はしゃぐ皐の後ろから覗いてみる。浴衣コーナーのど真ん中に浴衣を着たマネキンが三体飾られていた。どのマネキンも色鮮やかで少々派手目の浴衣を着ている。皐はそのマネキンに脇目も振らず、ハンガーに掛けられた浴衣を物色していく。
「奏は濃い色よりも薄い色が似合いそうだからなぁ……だからと言って地味なのも嫌だし……」
皐の呟きは、明らかに自分の浴衣を探しているものではない。
「……皐? 私の浴衣はいいから皐のを先に選びなよ。私はどれでも…」
「ダメっ! 折角のお祭りなんだから可愛い格好しなくちゃ! 私が飛びっきりの浴衣を見つけ出すから待っていて!」
いつになくやる気な皐は親指を立てて、また浴衣を探し始めた。皐は普段は大人しいが、スイッチが入ると人の話も聞かずに熱中をする。こうなったら誰にも止められない。奏は自分でも探してみようと適当に漁り始めた。
なかなか自分に合いそうな浴衣が見つからない。こんなにあるのだから気に入った物があってもいいのに、と思ってしまう。皐の方も苦戦しているようだった。
もし気に入った浴衣が無ければ皐には悪いが、最悪普段着でもいい。普段着の方が動きやすいし、涼しい。そんな事を考えていると、背中に何かが当たる感触があり、奏は振り返る。後ろにいたのはミツキだった。皐と同じように難しい顔をしている。
「……何?」
「いや、どっちがいいかなって思ってさ」
そう言っているミツキは手に浴衣を二つ持っていた。背中の感触はミツキが奏に浴衣をあてていたものだった。
「……もしかして、私のを選んでいる?」
「当たり前だろ。女物のユカタを俺が着るわけがないだろう?」
ミツキが持っている浴衣はどう見ても女性用だった。片方は薄い青色に紫色のアジサイが描かれたもの、もう片方は黒色に色鮮やかな朝顔が描かれたもの。――ミツキにしてはセンスの良い浴衣を選んで来ている。
「奏に合いそうだろう? この二つのどちらかがいいんだけど……」
浴衣を交互にあて、うーんと唸るミツキ。浴衣の選び方的にも、彼が本気で探して来てくれたのだと感じる。それでも上手く言葉にする事が出来ずに背中に浴衣を当てられたまま何も出来ずにいると、ミツキが「よし」と満足そうに呟いた。
「やっぱりこっちだな。こっちの方がお前に合う。これにしろ」
「何、勝手に決めているの」
そう言ってミツキが渡したのは黒地に朝顔が描かれた浴衣の方だった。ミツキの強引な態度に奏は顔をしかめるが、返そうとはしなかった。彼の言う通り、黒地に朝顔の描かれた浴衣は落ち着いていて派手ではなく、奏の好みでもあったからだ。
「あれ? 奏、いい浴衣持っているね! 黒なんて奏にしては珍しい色を選んだね!」
「ああ、それは俺が選んだからな」
「え、暗野君が……? ……私が見つけたかったのにな」
「……皐?」
皐の言葉が聞き取れなかったので奏が怪訝な表情を浮かべる。すると皐はすぐに表情を取り繕って笑顔を見せた。
「良いの見つけて貰えて良かったね、奏! 私も探さなくちゃ!」
「う、うん……」
奏はこの浴衣に決める、とは言っていなかったのだが成り行きで決まってしまった。いつもの奏だったらミツキが選んだ浴衣なんて、と嫌がるのだが、思った以上に自身が気に入ってしまったのだ。意地っ張りな奏はそれを表に出さないように唇を尖らせて浴衣を抱き締めていたのだが、そんな彼女を見て、ミツキはそっと微笑んだのだった。
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