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最終章
佐藤誠一
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屋上に吹き抜ける風は、学校のグラウンドで感じるそれよりも遥かに冷たい。その風が自分にまとわりつく。
眼前にいる仮面をつけた生徒は、服装から見て男子生徒である事はわかった。わからなかったのはその人物がどちらであるか、という事だった。
「君は誰だい?」
仮面の男は声を発さずにそこに佇むだけだった。今からしようとしている行動に迷いを生じているのだろう。
自分が屋上に来た理由は、呼ばれたからだ。おそらくは目の前にいるこの仮面をつけた男に。朝方に机の引き出しの中には『昼休みに屋上』とだけ書かれた紙が入っていた。
「どうして、僕をここへ呼んだのか教えてもらえるかい?」
その仮面の男は私の言葉に反応を示さなかった。
「君は何がしたいんだい?もしかして、椿ちゃんを殺したように、僕も殺しに来たのかい?」鎌をかけてみる。当然、目の前の男が自分を殺しに来たのかなどわかるわけがなければ、桜田椿を殺した犯人だという証拠があるわけでもない。
仮面の男の息が荒くなる。顔こそ見えないが、徐々に荒くなるその呼吸音に表情も想像できる。
仮面の男は語り出した。その話の主人公に、ある男という名前を付して、その男の過去を語り出した。悲惨なものだった。同時に、目の前の仮面の男が可哀想に思えた。おそらく、その主人公のある男というのは仮面をつけた男自身なのだろう。
「それで、僕にその話をしたのはどうしてなんだい?」
「どう思う。悪人が裁かれず、のうのうと生きている様を」
その男の顔は見えないが、怒りを露わにしていると想像した。
不意に、その男は仮面の目元を擦り始めた。擦るというよりは、邪魔な前髪を払う、といった動作に見える。誠一はそれを見て笑っていた。口角を少しばかりあげ、まるで安らぎを感じたような顔だった。
「悪人は裁かれないとダメだね。きっと、その罪を精算しなければ、その人は悪事を繰り返す。人間ってそんな風にできていると思うんだ。心の中でわかっていても、過ちは繰り返される」
「だが、裁かれる機会が失われてしまったら、どうする」
「どうだろうか」
「私刑を与える。その考えは間違っているのだろうか」
誠一がその考えに達したのはそれからまもなくのことだった。確証こそ掴めてはいないものの、桜田椿を殺したのは彼であって、彼はその男に罪を思い出させようとしているのではないだろうか。
残念ながらその目的は果たすことのできないものだと考えていた。大抵の場合、加害者は被害者に特別な感情は抱いていない。被害者にとって加害者は唯一の存在であるが、加害者にとってその被害者は数あるうちの一つでしかない。つまり、彼がその男に罪を思い出させるという事は不可能だった。ならばどうすればいいか。
誠一は、彼の親友であった者が自殺してから3年は経つというが、彼自身の心は3年前から立ち止まったまま、歩み出す事ができていないのだと理解した。彼の悲しみを、苦悩を、どれだけ同調したところで、共感したところで、彼の中での思いは一生消えないのだろう。彼が3年前から足を踏み出すその時までは。
誠一の心の中では複雑な感情が渦を巻いていた。それは、親しい友人だった桜田椿が殺されて、誠一は自分なりにその犯人を探していた。その犯人が彼だという事に気付いてしまった自分を、深く後悔していたのだ。憎むべき存在が、決して憎むことのできない存在と重なってしまったのだ。相反する感情が誠一の中で両立していたのだ。
殺されてしまった彼女が、元に戻る事は決してない。それはとうに理解していた。あの日からあの記憶の中で足踏みをしている自分と、彼の姿が重なって見えた。どうすれば彼が救われるのであろうか。
その結論に至ったのは偶然ではない。考えた末の結論だった。自分と彼はある意味では同じなのだと、そうであれば自分の中での思いを断ち切る方法と、彼の中での思いを終わらせる方法も同じなのだと悟った。
彼を苦しみから解放させること、それはつまり彼の目的を達成させる事にあった。それが刹那的な感情でも構わない。僅かひと時でも彼が苦しみから解放されるのであれば、手段を選ぶべきではないのだと考えた。
誠一はゆっくり、一歩ずつ彼の元へ進んだ。その胸ポケットについている『川上』と書かれた名札を取り上げ、それを背面に放り投げた。それからは自らの足で屋上の端まで歩いた。地面まではかなり遠い。落ちてしまえば自分の命は跡形もなく消えて散ってしまうことだろう。それらを全て理解した上での行動だった。胸の高さまである壁の出っ張りに足をかけ、それから手すりの部分に座り込んだ。
「君が正しいのか、それともそうでないのか。これから少し先の未来にその答えが待っているのだと思うよ。僕は君がその答えを見つける手助けをするよ。君がこれ以上手を汚す必要なんてない。僕は自殺をするんじゃない。限りある命を最大限有意義に使った結果、死に直面するだけだ。僕の記録はここで終わるけど、記憶から消えるわけじゃない。むしろ、彼らの心に残ることができることを誇りに思うよ。意味のない生き方をすることがなければ、無意味な死とも直面する事はない。僕は僕自身の死が誰かのためになるとそう信じているよ」誠一は立ち上がりゆっくりとその体を倒していった。
風を文字通り体で感じながら、天に手を伸ばす。届かない、それはわかっていること。緩やかに流れていく景色は、少し先未来を忘れさせていた。
誠一は曇りがかった空を見ながら、徐々に離れていく彼の姿を眺めていた。
唯一、思い残したことといえば、親友の椎名悟のことだった。彼を悲しませる。彼を苦しませる。佐藤誠一が思ったことはそうではなかった。彼との下らない話、それが佐藤誠一の日課であり、趣味であり、楽しみであり、生き甲斐でもあった。それを失う事だけが唯一の心残りであった。滅多に笑わない彼の笑顔を見たのは自分だけではないだろうか。そう思っていた。その顔はいつもの無愛想で、無口な表情に反して、無邪気で、何より楽しそうだった。
そろそろ時間だった。緩やかに見えた景色も本来の速度で流れていく、あの一本桜も登っていく。
「僕は、正しかったんだよね」
佐藤誠一はにっこりと笑った。
眼前にいる仮面をつけた生徒は、服装から見て男子生徒である事はわかった。わからなかったのはその人物がどちらであるか、という事だった。
「君は誰だい?」
仮面の男は声を発さずにそこに佇むだけだった。今からしようとしている行動に迷いを生じているのだろう。
自分が屋上に来た理由は、呼ばれたからだ。おそらくは目の前にいるこの仮面をつけた男に。朝方に机の引き出しの中には『昼休みに屋上』とだけ書かれた紙が入っていた。
「どうして、僕をここへ呼んだのか教えてもらえるかい?」
その仮面の男は私の言葉に反応を示さなかった。
「君は何がしたいんだい?もしかして、椿ちゃんを殺したように、僕も殺しに来たのかい?」鎌をかけてみる。当然、目の前の男が自分を殺しに来たのかなどわかるわけがなければ、桜田椿を殺した犯人だという証拠があるわけでもない。
仮面の男の息が荒くなる。顔こそ見えないが、徐々に荒くなるその呼吸音に表情も想像できる。
仮面の男は語り出した。その話の主人公に、ある男という名前を付して、その男の過去を語り出した。悲惨なものだった。同時に、目の前の仮面の男が可哀想に思えた。おそらく、その主人公のある男というのは仮面をつけた男自身なのだろう。
「それで、僕にその話をしたのはどうしてなんだい?」
「どう思う。悪人が裁かれず、のうのうと生きている様を」
その男の顔は見えないが、怒りを露わにしていると想像した。
不意に、その男は仮面の目元を擦り始めた。擦るというよりは、邪魔な前髪を払う、といった動作に見える。誠一はそれを見て笑っていた。口角を少しばかりあげ、まるで安らぎを感じたような顔だった。
「悪人は裁かれないとダメだね。きっと、その罪を精算しなければ、その人は悪事を繰り返す。人間ってそんな風にできていると思うんだ。心の中でわかっていても、過ちは繰り返される」
「だが、裁かれる機会が失われてしまったら、どうする」
「どうだろうか」
「私刑を与える。その考えは間違っているのだろうか」
誠一がその考えに達したのはそれからまもなくのことだった。確証こそ掴めてはいないものの、桜田椿を殺したのは彼であって、彼はその男に罪を思い出させようとしているのではないだろうか。
残念ながらその目的は果たすことのできないものだと考えていた。大抵の場合、加害者は被害者に特別な感情は抱いていない。被害者にとって加害者は唯一の存在であるが、加害者にとってその被害者は数あるうちの一つでしかない。つまり、彼がその男に罪を思い出させるという事は不可能だった。ならばどうすればいいか。
誠一は、彼の親友であった者が自殺してから3年は経つというが、彼自身の心は3年前から立ち止まったまま、歩み出す事ができていないのだと理解した。彼の悲しみを、苦悩を、どれだけ同調したところで、共感したところで、彼の中での思いは一生消えないのだろう。彼が3年前から足を踏み出すその時までは。
誠一の心の中では複雑な感情が渦を巻いていた。それは、親しい友人だった桜田椿が殺されて、誠一は自分なりにその犯人を探していた。その犯人が彼だという事に気付いてしまった自分を、深く後悔していたのだ。憎むべき存在が、決して憎むことのできない存在と重なってしまったのだ。相反する感情が誠一の中で両立していたのだ。
殺されてしまった彼女が、元に戻る事は決してない。それはとうに理解していた。あの日からあの記憶の中で足踏みをしている自分と、彼の姿が重なって見えた。どうすれば彼が救われるのであろうか。
その結論に至ったのは偶然ではない。考えた末の結論だった。自分と彼はある意味では同じなのだと、そうであれば自分の中での思いを断ち切る方法と、彼の中での思いを終わらせる方法も同じなのだと悟った。
彼を苦しみから解放させること、それはつまり彼の目的を達成させる事にあった。それが刹那的な感情でも構わない。僅かひと時でも彼が苦しみから解放されるのであれば、手段を選ぶべきではないのだと考えた。
誠一はゆっくり、一歩ずつ彼の元へ進んだ。その胸ポケットについている『川上』と書かれた名札を取り上げ、それを背面に放り投げた。それからは自らの足で屋上の端まで歩いた。地面まではかなり遠い。落ちてしまえば自分の命は跡形もなく消えて散ってしまうことだろう。それらを全て理解した上での行動だった。胸の高さまである壁の出っ張りに足をかけ、それから手すりの部分に座り込んだ。
「君が正しいのか、それともそうでないのか。これから少し先の未来にその答えが待っているのだと思うよ。僕は君がその答えを見つける手助けをするよ。君がこれ以上手を汚す必要なんてない。僕は自殺をするんじゃない。限りある命を最大限有意義に使った結果、死に直面するだけだ。僕の記録はここで終わるけど、記憶から消えるわけじゃない。むしろ、彼らの心に残ることができることを誇りに思うよ。意味のない生き方をすることがなければ、無意味な死とも直面する事はない。僕は僕自身の死が誰かのためになるとそう信じているよ」誠一は立ち上がりゆっくりとその体を倒していった。
風を文字通り体で感じながら、天に手を伸ばす。届かない、それはわかっていること。緩やかに流れていく景色は、少し先未来を忘れさせていた。
誠一は曇りがかった空を見ながら、徐々に離れていく彼の姿を眺めていた。
唯一、思い残したことといえば、親友の椎名悟のことだった。彼を悲しませる。彼を苦しませる。佐藤誠一が思ったことはそうではなかった。彼との下らない話、それが佐藤誠一の日課であり、趣味であり、楽しみであり、生き甲斐でもあった。それを失う事だけが唯一の心残りであった。滅多に笑わない彼の笑顔を見たのは自分だけではないだろうか。そう思っていた。その顔はいつもの無愛想で、無口な表情に反して、無邪気で、何より楽しそうだった。
そろそろ時間だった。緩やかに見えた景色も本来の速度で流れていく、あの一本桜も登っていく。
「僕は、正しかったんだよね」
佐藤誠一はにっこりと笑った。
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