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3話

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「ここの来るのも久しぶりだな。息苦しくなかったらこの景色を堪能出来たんだけど…」

 ロイスの前に広がるのは広大な丘。山々からは川や滝が流れ、辺り一面に色彩豊かな木々や果実が生い茂っている。
 この景色を見た者は誰もがあまりの美しさに呼吸を忘れてしまうだろう。それは比喩表現ではなく、本当に呼吸を忘れてしまうのだ。


 ここは血濡れの森を抜けた先にある丘で魔獣の数は少ないが厄介な点が一つある。それは大自然に囲まれているにも拘らず空気が極端に薄く、安直な考えで足を踏み入れた者は呼吸困難に陥り三途の川を見る事になる。その事から天国との間にある丘、通称狭間の丘と呼ばれるようになった。

 狭間の丘に辿り着いたものは少なからず居るが踏破した者は殆どいない。何故ならこの丘に辿り着くだけなら血濡れの森を踏破する実力があれば良いのだが、狭間の丘では実力など何の役にも立たないからだ。


「さてさて…すうぅぅ」

 ロイスは大きく息を吸い込むと狭間の丘に足を踏み入れた。
 
 この丘を踏破するコツは至極単純、息を止めればいいだけだ。
 ロイスが全力で走れば2時間程で抜ける事が出来る。現在のロイスは走りながらでも2時間なら無呼吸で行動する事が可能であり、魔獣が少ない最短ルートも把握しているので問題は無い。

(行くか!)

 ロイスは息を止めながら走り出した。その速さは途轍もなく、自身の影が追いつかないのではと思えるほどだった。

(空気さえあればここに住むんだけど。やっぱり未開拓地は到底人が住めるような環境じゃないな。まぁだからこそ未到達じゃなく未開拓と呼ばれているんだろうけど)

 狭間の丘は世界でも有数の絶景として知られている。
 どこぞの間抜けが護衛を雇って観光気分で来る事もあるのだが、無事に戻ったという話は聞いた事が無い。大方あまりの美しさに呼吸を忘れ、そのまま三途の川を渡って行ったのだろう。
 その証拠に走りながらもチラホラと服や防具、武器が視界に入って来る。ここで死んだ場合、周りの植物に栄養として吸われてしまうので死体は残らない。その為所持品だけがポツリと置かれている状況が出来上がる訳だ。
 巷では綺麗な花には棘があるという言葉があるようだが、この狭間の丘を意味しているのではないかと思えるほどピッタリな言葉である。



 ガルルルルゥ

 走りながら周りの景色を堪能していると、黒い豹の魔獣が突然木の上からロイスに飛び掛かって来た。

(気付いているぞ。俺に襲い掛かったのが運の尽きだ)

 ロイスは至って冷静だった。ククリ刀を抜く事も無くガシッと黒豹の首根っこを鷲掴みにして近くの木に投げつけた。

 ギャン!

 木の幹に勢いよくぶつかった黒豹は悲鳴のような声を発しながらフラフラと立ち上がる。
 だが時は既に遅し。黒豹の前に移動していたロイスは天高く掲げた足を振り下ろした。


 ドゴッ!
 バギッボギッ!

 骨が折れる音が蹴った足を伝って聞こえてきた。
 
 肝心の黒豹は力なく横たわっている。ロイスの踵落としによって命を散らした様だ。

 ズル…ズル…ズル…

 すると黒豹がぶつかった木の根っこがまるで生きているかの様にうねり出し、黒豹の体を地面に引きずり込んでいく。

(げっ!横取りするつもりか!)

 この丘の木々は生命力が強く、栄養となる餌があればすぐに吸収してくる。
 
 黒豹の毛は高値で取引される。荷物が増えるとはいえ自分で刈った獲物を横取りされるわけにはいかない。

 ガンッ!ガンッ!ガンッ!

 ククリ刀を鉈の様に使って木の根を切り裂いて、何とか黒豹の死体を確保する。

(危なかった…)

 心の中でため息を漏らしたらロイスは手際よく解体し、黒豹の毛を剥いでリュックにしまった。
                                                            
 その後は特に魔獣に襲われる事もなく狭間の丘を踏破した。その時間は魔獣に襲われたにも関わらず2時間という驚異的な記録だった。
          
「ぷはぁ…はぁはぁはぁ……ふぅ……流石に疲れたな」

 2時間ぶりに肺に入って来た空気の味をロイスは高級料亭で出てくる料理の様に楽しんだ。

「ふぅ…ここまで来れば妖精の涙は目の前だ」

 ロイスの視線の先、つまり狭間の丘を抜けた先にはどこまでも続く大海原が広がっていた。だが実際は海ではなく、そう間違えるほど巨大な湖だ。
 
 この湖に名称は無い。他の開拓者にも認知されていないのでレオンが深奥の宝物庫と勝手に名付けたが、レオンのネーミングセンスは抜群でしっかりと特徴を捉えた名称だとロイスは思っている。
                     
 この湖は水深がかなり深く、水質も粘着質と水浴びには全く適さない場であり、更に少しずつ水深が深くなるのではなく一歩踏み込めばまるで底なし沼の様に沈んでいく。
 そしてこの湖の湖底には希少な鉱石等の素材が驚くほど眠っている。まるで海底に沈んだ宝物庫の様に。
 これらを踏まえればレオンの名付けた深奥の宝物庫という名称はピッタリではないだろうか。


「今回の依頼が妖精の涙で良かった。ここを潜るのは俺も遠慮したいからな」

 未開拓地を悠々と踏破出来るロイスですらこの深奥の宝物庫を潜るのは骨が折れる。だが妖精の涙は潜らなくても手に入れる事が可能だ。

 その方法とは……釣りである。
 妖精の涙とは魚種の魔獣の体内で不純物が結晶化した物なので、魔獣を釣り上げれば簡単に手に入る。

 ではなぜ危険を冒してまで未開拓地に出向いたかと言うと、通常の海や湖に生息する魔獣からは数年に一度の割合でしか妖精の涙は手に入らない。だが深奥の宝物庫に生息する魔獣からはほぼ100%の確率で手に入れる事が出来るからだ。


 ロイスはレオンが用意してくれたリュックの中から鉄製の短い竿を取り出すと針に用意しておいた魔獣の肉を付ける。

「何時も思う事だけど…よくこんな臭い肉に喰い付くよな。腐りかけだぞ」

 針に付けた肉は発酵して鼻が曲がるほどの悪臭を放っている。触れる事すら躊躇われるがこの状態の肉の方が圧倒的に喰いつきは良くなる。


 フッ

 ポチャン

 ロイスが竿を振るうと肉は弧を描く様に飛んで行って湖に沈んだ。

「あぁ、のどかだねー」

 ロイスは岸辺にゴロンと寝転がって魔獣が掛かるまでの時間を優雅に過ごす。

 釣りはロイスの趣味の一つである。魚が餌に喰い付いた時のググッと来る感触が堪らなく好きなのだ。今回は魔獣を釣り上げるので感触は魚以上なのだがそれでも好きである事に変わりはない。
 また釣りの最中は無心になれる事もロイスがはまる要因の一つでもある。


 ピク…ピク………ググッ!

「来た!」

 瞬時に立ち上がったロイスは竿に付いた道具を使ってどんどん糸を巻いていく。だが水中では魔獣も釣られまいと必死に抵抗する。

 「お、中々の大物だな!良い引き具合だ!」

 ロイスは手に伝わる竿の引きを感じて気分が高揚したのか、満面の笑みを浮かべる。

 「よく粘ったな。けど…これで終わりだ。おらっ!」

 ロイスは湖とは逆方向に勢いよく竿を引き上げると、水中から特大の魚、基魚種の魔獣が姿を現した。

 水中から強制的に引き上げられた魔獣は弧を描いてロイスの元に飛んでくる。

「ほぉ…3mはあるな。良いサイズだ」

 空中に舞う魔獣を見上げながらロイスが呑気に呟いていると、こっちに飛んでくる魔獣はロイスを丸呑みにしようと大きく口を開けている。その口内には体躯に見合った巨大な歯が何本も生えている。

「水中でも俺に勝てない奴が空中で勝てる訳ないだろう」

 腰のククリ刀を一振りだけ抜いて少し前に移動すると、襲い掛かって来る魔獣の勢いを利用して下顎から尾までをバッサリと斬り裂いた。

 ドシャ!

 斬り裂かれた魔獣は地面に激突し、はらわたが辺りにズルズルと散らばった。

 「最後の悪足掻きにしては呆気なかったな。さて、回収してさっさと帰るか」

 ロイスは息絶えた魔獣に近づくと、ナイフで手慣れた様に解体し始めた。

「お、ここにあったか」
 
 ロイスが魔獣の体内に手を突っ込むと、キラキラと輝く拳大の球体を取り出した。それはもちろん妖精の涙である。

「やっぱりいつ見ても美しい。幾つか余分に回収しておきたいけど…残念ながら肉が無い」

 深奥の宝物庫に生息する魔獣を釣るには発酵させ、強烈な臭いを放つ肉で無ければ釣り上げる事は難しい。
 
 ロイスに潜って取るという選択肢は端から無い。それには相応の準備が必要であり、何より時間が掛かってしまう。

「今日は引き上げるか」

 解体した魔獣の残骸を全て湖に捨て、粘着質な水で手やナイフに付着した血液を洗い流したロイスはその場で大きく息を吸うと再び狭間の丘へと戻って行った。
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