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21、軍事会議

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「オレが協力する。ルイ兄さんの、鍛錬」

弟の焦げ茶色の瞳を数秒見つめたがひたすらに真摯で、冗談を言っているようには見えない。……いや冗談でも困るけれど。いやいやいや冗談じゃなくても困る。

「は、はは……なに言ってるんだ、セル」

なんとなく茶化したほうがいい気がして、真剣になりすぎない声のトーンを意識して言った。けれどセルジオスの雰囲気は変わらない。
あ、腕。
そういえばずっと掴まれているし、掴んだままだ。

(でも今放すのもなんか……なんか意識してるみたいで、変だよな)

「兄さんはニコスに、恋愛感情があったのか?」
「いや、ないない。ニコスも言ってたの聞いただろ? 恋愛関係じゃないって」
「ならオレが適任だ。兄弟だから」
「兄弟だから、除外だろ。倫理観が……」
「倫理を考えるからこそ、オレはルイ兄さんに恋愛感情をいだかない。兄さんに、変な執着をしない。兄弟だから。執着しなくても、深い縁で繋がってるんだ。──ほら、こじれる心配がない」

確かに……と思いかけて、セルジオスの超理論に流されそうな自分に待ったをかける。

「いや、ニコスだって俺なんかに恋愛感情はいだかないだろうし、執着って。はは」

あの生まれながらに金色をまとった綺麗な神官が庶民の俺に執着するなんて想像すらできなくて、笑ってしまう。
だがセルジオスは一切笑うことなく言葉を続ける。

「兄さんは、オレよりニコスと鍛錬したいのか?」
「どっちがいいとかじゃなくて、セルが嫌ならニコスとは鍛錬しない」
「オレはルイ兄さんが、オレ以外と鍛錬することには反対だ。複雑な懸念が発生するし、情報漏洩のリスクも増える」
「あー……なるほど」
「ニコスの今日の行動だって、突飛だっただろ。そもそもニコスは性的な部分は奔放で、鍛錬にふさわしい相手とは思えない。ただの鍛錬なのに、私的な感情で兄さんを変に扱うかもしれない。オレならその心配がないと思わないか?」
「うーん……」

(今セルが言ったことって、ニコスだけじゃなくて、俺側にもある懸念だよな……)

実際、昨晩を境にニコスとの関係性は間違いなく良いほうに変わった。いきなり食堂に迎えにきたのは驚いたけれど、悪意ではないのだとわかっている。
自分とニコスの間に芽生えた和解の芽。
それがどう育つかは、俺自身にだってわからないのだ。

「兄さん、鍛錬に関しては、くっ殺を回避したあとのことまで考えるべきだ。ニコスも含む他人と、これ以上性的に深い関係になるのはよくない」
「そう……だよな」
「そうだ」

セルジオスが発する真剣な空気のせいで、軍事会議をしている気分になってきた。いや、よく考えると俺のくっ殺メス堕ち回避の鍛錬について話すことは軍事会議と言っても間違いではない気がする。現近衛騎士団長と、次期近衛騎士団長、さらにはこの国の未来までかかっているのだから。
それにしても、セルがここまで協力的なのはありがたい。
親身になって俺の鍛錬のことを考えてくれる弟を前にすると、プティから聞いた俺たち兄弟の未来を思い出す。

『旦那様が命を懸けて救出に乗り込んだ先で見たものは、昼夜問わずアムネシアとメイアンの兵たちに身も心も犯されたルイ様の、メスに堕ちきった淫猥なお姿で……っ、愕然とした旦那様も兵たちも隙をつかれ、茨棘(しきょく)銃によって殺されてしまうのです!』

『近衛騎士団長という国の守護神を失い、さらにはルイ様も取り戻せなかったことを後継のセルジオス様は酷く悔やみ、お心を病み、アムネシア側の要求をのまなかったローズ・アントス国を捨て──国の重要軍事機密をアムネシアに渡し、代わりに取り戻したルイ様と共に姿を消してしまいます。そして異母兄弟は……なんやかんやありつつも幸せに暮らすのでした。おしまい』

(父さんが……死んでしまって、国にも帰れず、ふたりで支え合うしかない状況で和解したんだろうな)

悲惨な道にまかれた種だとしても、和解の芽はちゃんとセルと俺の間にも育ったのだ。
けれど確実に今よりも辛い、忘れたい過去を伴う複雑な和解になっていただろう。
そう考えるとすでにプティという傍観者が“観た”世界とは変わってきている。間違いなく、よい方向に。

「……兄さん? その笑顔はなに。オレとの鍛錬を承諾するって意味か」

まずい、意識が会話外に飛んでいた。
俺は表情をキリッと引きしめ、セルとふれあっていた手をさりげなく引いた。

「ありがとう、セルジオス。お前が協力的なこと以上に心強いことはない」
「じゃあ──」
「けどセルと鍛錬はしない」

一瞬和らいだセルジオスの表情が、またたく間に憮然としたものになる。
ころころと表情が変わるがおかしい。
24歳の、俺の弟。
こんなにもわかりやすく感情を見せてくれるのが嬉しくて、なんだか、安心感と興奮、それから庇護欲を混ぜたような幸福にひたってしまう。

「心配しなくても、大丈夫だ。ちゃんと鍛錬して、プティが見た悲しい未来にはならないようにするから」
「…──兄さんは、母親に甘えた記憶ってあるか?」
「えっ」

急な話題転換に戸惑う。セルジオスは静かな表情で返事を待っている。
──母に甘えた記憶。
陽だまりにも似たいくつもの思い出が脳裏をよぎった。けれど異母弟に言うのはためらわれる。だって、セルジオスの母は今この屋敷にいない。空にかえったわけではないのに、だ。
セルジオスが求める答えがわからず、このタイミングで母のことを聞いた意図もわからず返す言葉に迷い沈黙してしまう。
そんな俺の反応をどう思ったのか、セルはふっと息をついて大きな手のひらで髪をかきあげた。

「オレは、母には甘やかされた記憶がない」
「セル……」
「だから、兄さん。さっきのもう一度やってくれ」
「さっきの?」
「体当たりするみたいな勢いで、オレにしがみついてきた」
「しがみ……って、違う」

たしかに不器用な接触だった。
何しろ初めてだったから。

「あれは兄として、……弟を、抱きしめたんだ。愛情表現で…──あ、」
「うん、だから。やってくれ」

セルジオスは「ん」と言いながら少しうつむいた。抱きしめられ待ちの態勢。でも、妙に男らしいから笑ってしまう。

(あれをもう一度、か)

あらためてやろうとすると、正直、気恥ずかしい。でも屈強に鍛えあげられたセルの肩に、一切の力が入っていないのが見るだけでもわかる。
母親に甘えられなかった。だから兄の抱擁をもう一度と、素直な望みを伝えてくれるのは嬉しい。
どうして唐突にこの流れになったのかはやっぱり不明だが、セルジオスなりに脈絡があるのだろう。抱きしめてから聞こう。
俺は弟へと両手を伸ばし、頭を抱えるようにして自分の胸元へ導く。今度はぶつからない。愛情をこめて勢いをちゃんと調整した。

「……セル? どう、だ?」
「うん、いい感じだ」
「あはは。今の俺たちを父さんが見たら、」
「泣くだろうな」
「泣くな。はは」

セルジオスの髪からは俺の髪と同じ匂いがした。柑橘系の、甘すぎない芳香。訓練所のシャワールームに備え付けられている王室御用達の髪用の石鹸だ。

「セルの髪、いいよな。絶対禿げなさそうで」

腕のなかで、弟の肩が揺れた。視界に映るのは彼の後頭部からたくましい背筋の筋にかけてだったが、声もなく笑っているのだとわかった。

「セルの髪質、父さんに似てるよな」
「それは嬉しくない」
「なんでだよ。羨ましい」
「じゃあ、撫でればいいだろ」
「えっ、いいのか?」
「いい。……やれよ」

許可がでたので、ワクワクしながらセルジオスの髪に指先からふれる。

「あ、思ったより柔らかい」
「猫っ毛なんだよ。おさまりがわるい」
「あー。雨の日とか、普段より髪が多く見えるもんな」
「よく見てるんだな」

声が優しくなって、俺も優しい気持ちがあふれる。
弟の髪をわしゃわしゃと混ぜた。まさか俺の人生に、こんな瞬間が訪れるとは。セルジオスの母親の人生には、こういう瞬間があっただろうか。なかったのだとしたら、もったいないと思う。

「オレの母上は、愛情がなかったわけじゃない。けど、こんなふうに子供らしく甘えさせてはくれない人だった」

俺の心を読んだのかと聞きそうになるけれど、兄弟ってそういうものなのかもしれない。歩みよれば、多くの言葉を交わさなくとも相手のことがわかる。
俺にも、今セルが会話での慰めを望んでいないことが感じ取れた。
だから「そうか」と真摯な声で短い返事だけをする。
セルジオスの母親のことを、何も知らないわけじゃない。
聞いてもいないのにいろいろと吹きこんでくる人がいたし、父さんとも少しは話したことがある。
彼女が今、愛人と幸せに暮らしていることは知っている。セルジオスを彼女なりに愛していることも。誕生日には彼女からセル宛てのプレゼントが大量に運びこまれる光景も見たことがあるし、父さんは「彼女は彼女で素晴らしい人だ」と、決して正妻を悪く言わない。
だから俺はたまに、ずるい解釈で自分をなぐさめてきた。
俺や母さんの存在がなかったとしても、セルジオスの母親は子供を自分の人生の中心には据えなかっただろうと。……ほんとうに、ずるい解釈だ。セルジオスに心の中で謝る。

「兄さん、ごめん」
「え……っ」
「オレ、……何度か兄さんの母上に対しても、酷いことを言った。ごめんなさい」

セルがもし獅子だったら今、もふもふの耳が垂れさがっているんじゃないだろうか。そんなおかしなことを考えながら、優しく髪を撫でてやる。

「謝ることない。母さんも、絶対怒らない。……セルに会わせたかった」
「会いたかった、オレも」

(あ──、まずい。なんか泣きそうかも)

この11年間、父さんとも母の話をすることは避けていた。俺は常にセルジオスに対して申し訳なかったし、母を愛していた人と母のことを語れば本当に思い出になってしまって、ひとりだと自覚してしまう気がしたから。
──でも、今。

(こうしてると、俺もセルに甘やかされてるみたいだ)

大人になってから、はじめて満ち足りた心地かもしれない。
セルとこの部屋に入ってから何度も驚いている。
ローラン姓でいる限り、こんな時間があると思っていなかった。
自分が本当はこういう時間を望んでいるとも。

「兄さん、」
「うん?」
「もう少し甘えたい」

甘えていいかと聞いたりするのではなく宣言するところが、俺がイメージする弟そのままで微笑ましい。
きっとこの先、セルジオスがこういう物言いをするたびに思う。
兄でいさせてくれるのだ、と。
弟のどんな要求も叶えてやりたいと。

「おー、いいぞ。どんどん甘えろ」
「うん、そうする」

腕のなかでセルジオスが身動ぎした…──と思った、次の瞬間。

「んっ」

ここまでの流れにまったくそぐわない変な声。
が、自分の声だと理解するのに少しの時間を要した。
どうしてそんな声がもれたのか。
セルジオスが、もう一度同じことをする。

「っ……ちょ、セル?」

返事をしない弟の顔は今、俺の胸元にある。あるというかくっついている。
近衛騎士に無料配布される訓練用のややピチッとした白いシャツ越しに、セルジオスの唇が、意思を持って俺の胸にふれていた。

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