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19、ローラン家の恥さらし

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ガタゴト揺れる馬車の中。はす向かいに座ったセルジオスからの無言のプレッシャーを感じ続けていよいよ窒息しそうになった時、やっとローラン家の屋敷に到着した。すっかり見慣れてしまったのにいまだに他人の家に思える豪奢な玄関が、今日ほど待ち遠しかったことはない。
御者が外側から扉を開き、たっぷりと光が差しこんでさらにほっとした。無言で先に降りたセルジオスはもう俺を担がなかったが、腕をギリリと強く掴まれたまま自宅玄関を通過した。
出迎えに立っていたプティ含む使用人たちは鋭さを隠さない声で「誰も来るな」と言い放ったセルジオスの剣幕に閉口し、俺たちが通り過ぎるまで頭を下げたままだった。
そうして、今。
初めて足を踏み入れたセルジオスの自室で、俺はソファーに座らされ正面に仁王立ちしたセルジオスに見下ろされている。感じる怒りと嫌悪感の圧のせいでじっとりと汗ばんだ手のひらを握り込み、視線を伏せるしかない。


(セル……スピロの言葉、聞いたんだよな)

昨日、俺とニコスが性的な行為をしたとスピロは知っていた。

(『いやしくていやらしい』とか、言ったもんな……)

さっきまでスピロの本気で嫉妬しているような態度にみっともなく動揺していたくせに、今は弟に自らの行いを知られて肝を冷やしている。身体の中身がすべて重力に引っ張られ重く沈んでいるような感覚もあった。そのうえ胃はキリキリと痛んで、馬車で放り投げられた時にぶつけた臀部もズキズキするし、満身創痍だ。
セルジオスだけには、複雑な状況に耐えてきたであろう異母弟だけには知られたくなかったのに。

「ローラン家の恥さらしが。けど父さんのためにも一応聞いてやるよ」

荒い口調のセルジオスの声に視線を持ち上げ、目を合わせる。
思ったよりずっと静かな表情なのが彼の怒りが想像できないほどに強いことを感じさせた。

「オレの友人を薄気味悪い色恋沙汰に引きずり込んで、あんた、どういうつもりなんだ」

予想していた詰問だ。
馬車の中で、何通りもの嘘を考えた。
跡継ぎの座も、財産も、スピロやニコスとの友情も。
俺はセルジオスから、何も奪うつもりはないよ。
そう伝えるために必要なのは、嘘ではない。真実を隠さず伝えることだと結論がでた。
俺の言葉をただじっと待っているセルジオスから目を逸らさず、鼻から深く息を吸った。話そう。信じてもらえないだろうけれど。

「ニコスとそういうことになったのは、色恋とかじゃない。事情があって、説明できる。証人として、プティをここへ呼んでほしい」
「あんな少年みたいな使用人もたぶらかしてるのか?」

茶化すような嘲笑には一切応じず、真摯にセルを見据えて再度訴える。

「セルジオス、理由があるんだ。ちゃんと聞いてほしい。プティをここへ」

セルジオスは嘲りを表情から消して、無言で扉まで歩いていくと廊下に控えていた使用人に「プティを呼んでくれ」と告げた。プティは1分も経たないうちにそばかす顔を歪め真っ赤な目で駆けこんできて…──かと思えばスライディングの勢いでセルの前に土下座をし、地面に額づく。

「セルジオス様お許しください! ルイ様がニコス様と鍛錬をしてしまったのはすべて、浅慮でバカでアホエロ萌えなボクが元凶なんです!!」

です……です……です……と、歴史あるローラン家の屋敷全体に反響したんじゃないかと思うほどの大声にセルジオスは虚をつかれた様子で「は……?」とだけ洩らす。
プティの両目から、とうとうぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。普段個性をなるべく消して屋敷の跡継ぎに接している使用人の号泣にますます言葉を失った様子のセルジオスに、嗚咽混じりの経緯の説明を始める。
まず、プティが『傍観者』であること。
すでに陰謀が動き出している、亡国アムネシア、メイアン国、ローズ・アントス王国の戦乱の可能性。
『アホエロ』の概念。
ルイを待ち受ける『くっ殺』の未来。
『くっ殺』の意味。
一度はルイに鍛錬を促したけれど、今はすごく後悔していること。
昨日、ニコスとルイの間に起こったこと。
ふたりの間で交わされた言葉──…等々。
父やセルジオスもノーダメージではいられないであろうことも伝えたが、そこだけは詳細を省いていた。おそらくセルジオスの気分をこれ以上害さないための配慮だろう。
それ以外はプティが説明できることは余すところなくセルジオスに伝え、最後に、「だからルイ様を責めたりしないでください!」「ルイ様はこの国のために身体をはってくださっただけなのです!」と決死の表情で訴えてくれた。
俺はプティに感謝しながらもセルジオスの表情の変化を注意深く見ずにはいられなかった。
最初は自らを『傍観者』と語り出したプティに白けた目を向けていたが、アムネシア国の名がでたあたりから騎士の真剣さをにじませた。『アホエロ』のあたりでは握りしめた拳をプティに振り上げないかハラハラしたが、俺が『くっ殺』になることを聞いたあたりで全部の表情がセルの顔面から消えた。本当に全部。感情がまったく読めなくなってしまった。
俺とプティの会話にニコスが巻き込まれたあたりでもセルジオスは無表情で、さらにプティしか世界に存在しないみたいに俺のほうを絶対に見なかった。そんな弟に戦々恐々としつつも、数分の間、土下座の姿勢でしゃべり続けたプティが涙を荒い所作でぬぐい、ぎこちない深呼吸をする姿に胸が痛んだ。俺はセルジオスの様子を気にする前に、プティに謝る必要なんてないと言うべきで、ソファーに促すべきだった。タイミングを完全に逃している。
こういうところが、骨の髄まで庶民なのだ。
プティは俺の専属従者で、だからこそこんな状況でもセルジオスから護ることができるのに、咄嗟の判断も行動もできない。だって俺は、自分をプティの“主”だと思えていないから。そんな俺なのに──…

「ニコス様にご確認いただければ、ルイ様は悪くないと、ボクの話が真実だと、おっしゃってくださるはずです」

おそらくだんだんと冷静になってきたプティの声は上擦り、わずかに怯えがにじんでいた。無礼ともいえる勢いでセルジオスの、次期当主の時間を奪ってしまったと思っているのだろう。それでも俺のことを庇おうとしてくれている。プティの愛情を感じる。……今だけじゃない。俺みたいな嫌われ者の専属になったのに、プティは今日まで、一瞬たりとも俺を嫌わなかった。少なくとも俺がそうだと感じる態度を見せたことはなかった。
セルジオスに視線を戻せばいまだ感情の読めない表情で黙ったままだ。
この沈黙の終わりまでプティを謝罪の態勢でいさせることはありえない。
空気を読まずソファーから立ち上がった俺にセルジオスがハッとした表情を向けるが、ひとまずプティだけを見て彼の傍に片膝をつく。

「プティ、ありがとう。全部説明してくれて」
「ルイ坊ちゃま……っ」
「あとは、セルとふたりで話すから。プティは嘘を言ってないって、ちゃんと俺からも説明する」

プティはうるうるした目で俺を見つめながら眉間にしわを寄せた。
この場にいたいという主張が伝わってくる。
セルジオスは基本的には、善良な人間だ。なので俺以外には礼儀正しく優しい、寛大な姿しか見たことがない。それは使用人相手でも同じこと。ましてや長年この家の厄介者に尽くしてきたプティを罵倒するような言葉を選んだりはしないと思いつつも、今は俺への嫌悪感が爆発して冷静さを欠いている状態。
プティのためにもセルジオスのためにも、退出を促すように微笑んでうなずいた。優しく素直な心を持つ従者はきゅっと下唇を噛み、数秒の沈黙。やがて「わかりました」と小さくつぶやき、立ち上がった。
床で土下座なんかしたから足を痛めているのではと心配で肩を支え、扉へと誘導して開く。
最後まで不安そうな眼差しを向けてくるプティにもう少しだけ笑って、ドアを閉めた。なるべく音が小さくなるよう気をつけながら。全部閉まって、気が重い。
セルジオスはずっと無言だ。
息を止めながら振り返ると目が合って、つい動きも止まる。セルの表情には俺への怒りや嫌悪感が戻ってきていた。
でも、いい。
無表情よりずっとわかりやすくて普段のセルって感じで安心する。全身の緊張が少しマシになった俺は異母弟に見せるために自嘲の笑みを浮かべて、一歩近づいた。

「セル、とりあえず座らないか」

ふいっと俺から顔を背けたセルジオスはソファーの右端に腰を下ろす。対話の意志はあるようで一安心だ。俺は左側の、端とは判断されない微妙な位置に座った。嫌味ったらしく距離をとれば無駄にセルを不快にする。にしても初めて入ったセルの部屋は、こんな状況じゃなかったらじっくりといろいろ見たかった。
今座っている大きなソファーだけでも俺の部屋とは趣味がまったく違う。隣同士で並んでも2人分くらいのスペースがあった。
そんなことを考えながら横目でチラッとセルを見れば、形のよい唇は引き結ばれていた。プティから聞いたことについて自分から何か話す気はないらしい。

「……なあ、セル」

無言。こちらを見ない。

「プティが言ってたように、ニコスを呼んで真偽を証明してもらうのがいいと思う」

無言。
こちらを見ない。

「けどその前に、質問があるなら何でも答えるから」

無言。
けれど端正な横顔はゆっくりと動いて、俺を強くにらみつけてきた。
炎を連想させる色の瞳ではないのにまるで燃えるような目だと、そう思う。
うろたえて、無意味に名がこぼれる。

「セル……、」
「あんたはいつもそうだ」
「えっ」
「オレの感情なんてどうでもいいって扱いをする」
「セル……?」
「さっきだってオレの反応よりプティを心配した。あんたにとってオレは人間じゃないのか? 何を言われても何も感じないと思ってるのか?」

痛い、と気付いた時にはセルジオスに腕を掴まれていた。
けれど動揺する隙は与えられない。

「やっと家族になれたと思った日だ。あんたはオレを突き放した」
「…────は、」

セルは何を言っているのか。
家族に“なれた”日?
11年前の、あの日のことだろうか。
俺は15歳で、セルジオスは13歳だった。
初対面の異母弟は、父と初めてこの屋敷に来た俺を玄関で待っていてくれた記憶がある。
目がさめるような白いシャツに、藍色のショートパンツ、髪は今より短いけれど量が多く、ふわふわと毛先が揺れていたのをよく憶えていた。
父が食堂でのお茶を提案したがまず自分が俺を私室まで案内すると言ってくれて、ぎこちない動きで隣を歩きだした。笑顔だったけれど、俺の傷を怯えるように見るだけで決して目を合わそうとしない。到着した俺の部屋でも所在なさげにドアの前から動こうとしないセルジオスは、小さな声で言った。

「家具は、あの……、あなたの趣味でこれから揃えようと父上が」

言葉に挟まった沈黙は、俺を「兄」に関連する呼称で呼ぶことに抵抗があるからだと思った。
そんな必要はないのに。
この家に彼を産み育てた母親はもういない。
だから俺は、申し訳なかった。
気持ちの置き所が決まっていないであろう異母弟を、せめて安心させたかったのだ。当時はまだ自分よりもほんの少し背が低かったセルジオスに、俺は笑いかけて告げた。

「兄弟だなんて、思ってないから安心していい。無理しなくていいよ」

その時初めて、セルジオスは俺の目をまっすぐに見つめた。その表情にあったのは困惑だったと思う。今よりも丸い目を大きく見開いたかと思えば次の瞬間には鋭く細め、顔を真っ赤に染めて怒鳴ったのだ。

「オレのほうが、いらない! あんたはいらない!」

それから二度と、セルジオスは俺の前で笑わなかった。でもたまに顔を会わせれば俺の目をちゃんと見て罵倒した。それでいいと思った。兄弟ではないから。セルと自分が兄弟だなんて、思いあがっていないから。

(けど、突き放したって……?)

「セル……あの時、俺がいった言葉を突き放したって解釈したのか?」

腕を掴むセルの力はさらに強くなって、骨がきしむほどだ。

「それ以外ないだろ。兄弟だと思ってないなんて言葉、へらへら笑いながら言った」
「思いあがってないっていう意味だ。歓迎されないことはわかってたから」

セルの手に自分の手を重ねて、強く握る。異母弟の節くれだった手はびくっと跳ねた。

「セル、俺は、愛人の子だ。母さんのしたことを、悪いと思ってる。セルの本当の母親の居場所を奪ったんだ。だから受け入れられなくて当然だってわかってた。へらへら笑ってるように見えたのは……ごめん。でも他にどういう顔していいか、15歳の俺にはわからなかった。それは、本当にごめん」

セルジオスの瞳が揺れているような気がする。大地の色には俺だけが映っている。

「突き放したんじゃないなら、……本当にそうなら、オレがあんたを家族として受け入れると言ったら、オレを弟だと思うのか」

すぐに答えられる質問ではなかった。
考えたこともなかったから。
セルジオスがどうしてそんなことを聞いたのかもわからない。
受け入れられないだろう、俺のことなんて。
あんたはいらないと何度言われたか。
俺はその度に、セルジオスの考えを支持してきた。
当然だと。
それでも俺を本気で追い出したり貶めたりしない高潔な異母弟に感謝すらしていた。……そりゃあたまに、ちょっと疲れてる時とかはセルジオスのストレートな嫌悪が痛かった日もあるけれど。
でもセルジオスの家族を奪った存在である俺が、セルジオスに家族だと思ってほしいと願うなんてそれこそ家族になれない人間の思考だ。

(これは、セルの罠なのかもしれない)

お前が俺を家族だと思ってくれてるなら、俺だってそう思いたいよと返す間抜けな俺にとどめを刺すための、罠。
……でも、セルにはその資格があるよな。
生まれて死ぬまでの間でいまこの瞬間だけ、自分をセルジオスの兄だと本気で思いながら、何がしたいかを考えて出た答えは弟のしたいようにさせてやることだった。
自然と、口元がゆるむ。
母の瞳に映っていた自分の笑顔をひさしぶりに思い出した。

「セルジオスが、俺を家族だと思ってくれるなら俺もそう思いたい。くっ殺にならないためだけじゃなくて、セルと父さんを助けたい気持ちもあったから、鍛錬をする覚悟が決まったんだ」

ふざけるなと怒号が響いて、頬あたりに拳が飛んでくることを覚悟していた。
けれどいつまで経っても身体にも心にも痛みは訪れず――……

「あんたの顔の傷が、……オレのせいでも?」

唇をふるわせて言ったセルに掴まれている腕にも、もう痛みはなかった。
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