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5、ニコス・デュランの忠告と約束

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ニコスはセルが消えた廊下の先を数秒見つめ、やがて完全に去ったのを確信したのか俺に視線を戻す。
ふ──、と露骨なため息をついた。

「よい機会です。ローラン家の居候であるあなたに、セルジオスの最も親しい友として、忠告しておきましょう」

カツン、と上質な靴が床を踏む音が響き、ニコスが肩にかけた神官特注のジャケットがひらりと揺れた。詰められた距離は二歩分。俺よりもほんの少し高い位置にあるニコスの目が、神の慈悲など一切持ち合わせていない冷たさで見下ろしてくる。なんとなく目を逸らせば負けだ、なんて思ってしまい俺は双眼に力を込めた。

「騎士団長様は、今回はただの過労だった。だが親は子を想い先に逝くもの。そうなればローラン家の後継者問題は避けて通ることができない──…が、ローラン家のものは次期当主、次期近衛騎士団長の座から厨房の片隅の錆びた鍋にいたるまでセルジオスが継ぐ」

いや錆びた鍋はセルもいらないだろう……なんて軽口を返せる雰囲気ではない。
ニコスはその視線も、声音も、俺に見えるものすべてで俺のことを軽蔑しているという感情を隠さないから。

(ほんと、出会った時からブレないよな)

15歳で初めて王宮に行った時、スピロと一緒に庭にいたうちのひとりがニコスだった。
あの時から今この瞬間まで一貫して彼はセルだけの友人だ。
俺は気合いを入れつつ、表情筋の力を抜いてへらりと笑った。

「何度かお前には言ったと思うけど、俺はローラン家の財産も跡継ぎの座も狙ってない。父さん亡き…──とか言いたくないけど、そういうことになった後、ローラン家のすべてはセルのものだよ」

きっぱりと誠意を込めて言った──…それなのに。

「忘れたのか? あなたは以前、私に言った。『ローラン家には金目当てで入り込んだ』と」

(あー……失敗したよなアレは)

ニコスが言ったのは俺の近衛騎士団就任が決まった時のこと。
父とスピロだけが祝いと労いの言葉をくれるなか、彼はわざわざ家にまでやってきて俺に言い放った。「セルより早く近衛騎士になって、セルを出し抜くつもりか」と。
まずセルより早かったのは俺が年上だからだし、その時点で俺はニコスに何度も「セルから何かを奪うつもりはない」と伝えていた。
学園や欠席不可の煩わしいパーティーで会う顔も知らない奴らからのヘイトは早い段階での無視を決めても、セルの人生に深く関わる友人たちには、けっこうねばって『ローラン家を乗っ取るつもりなどない』と訴えてきたのだ。
けれど肝心のセルが頑なで、俺の言葉をすべて悪いほうに解釈する。だから友人たちの誤解もとけなかった。
そういう経緯もあって、俺はその時、ほとほとうんざりしていた。やっと一人前の労働者になり、父の保護下から抜け出せる。自分でお金を稼げる。自由への大きな一歩に夢と希望を抱いていた矢先にニコスが現れ、これまでと同じように敵意をぶつけられたのだ。新しい靴で歩き出した瞬間につま先を昨晩の雨による泥が汚したような、そんな気分になった。
そもそも俺の話を聞かないのに俺には話を聞かせようだなんて、貴族は軒並み傲慢だと思う……という具合に不快感が普段よりも活発だった。その結果もういろいろとめんどくさくなり、ニコスに言ってしまったのだ。
「近衛騎士になったのは、金を貯めたいから。父の後釜じゃなく、金のためだ」と。
そうしたらニコスはゾッと嫌悪の表情を浮かべ、「金……ローラン家の財産目当てか」と吐き捨て肩をいからせながら去っていった。

(俺も言葉が下手だったけど、めんどくさいよなぁニコスって。というかセルの友達って全員癖が強いんだよな)

「なぜ黙っているのです。少しはまともな会話ができないんですか」

そりゃこっちの台詞だと言い返したいけれど、俺も、今日のこの対峙をよい機会だと思おう。少なくともニコスが俺の話を聞く姿勢だ。金目当て発言から一切近付いてこなかったので数年ぶりのチャンスだとも言える。

「あのさ、昔俺が言ったのは、近衛騎士として稼ぐために貴族の立場でいさせてもらってるって意味だ。ローラン家の財産目当てじゃない」
「……どうだか」

はい了解、言葉を聞く耳はあっても理解する心はなし──と。

「言っても無駄そうだけど、俺だってセルが跡を継ぐべきだと思ってるし、セルを苦しめる気もない。もし父さんに何かあったら、俺はきっぱりローラン家の籍を抜けるつもりだ」
「は──」

ニコスは目をみはり、信じられないといわんばかりに俺を凝視する。
まあ今回も伝わらないだろうなと思いつつもこれ以上率直な言葉はどこにもないので、俺は堂々とニコスの視線を受けとめ黄金の瞳を見返した。…──綺麗な色だ。スピロの蒼色やセルと父さんの焦げ茶色も好きだけど、目の色だけならニコスの瞳がいちばん美しいと思う。他に代わりのない、黄金。
窓から差し込むひざしを受けてキラキラと微発光している。
こんなに近くでまじまじと見られる機会はそうないので遠慮なく観察してやろう。

(さっきデュラン様が使った神聖力の色も、この目と同じで綺麗だったな)

ふと、思考の枝葉がひろがる。

(ニコスって俺のこと大嫌いだけど……俺が騎士として戦って怪我とかしたら、神聖力、ちゃんと使ってくれるのかな?)

瞼をふちどるニコスの色の薄いまつ毛が、ふと揺れた。緩慢なまばたきの終わりまでじっと見つめていた俺をどう思ったのか、ニコスは視線を外してこほんと軽い咳払いをこぼす。
そうしてふたたび戻ってきた眼差しは目が合っているというには少し焦点がずれており──

「──あなたの、今の言葉」
「え?」
「ローラン家の籍を抜けるという、約束。その約束を守った時、私の力であなたの顔の傷跡を治せるか、試してあげてもいいです」
「は……?」

ぽかんとしてしまう。俺の未来計画が勝手に約束となり、さらには傷跡を神聖力で治すときた。
ははっ、と苦笑がもれる。
ニコスの言いたいことがわかったから。

「なんだよ。俺の傷、醜いって?」
「あ──、醜いとは言っていません。ただ自分で、……気にならないのですか?」
「べつに? これ、名誉の負傷だし」

幼いころ、自分よりもっと幼く弱い存在を守って負った傷だ。痛みはもう忘れ、残るのはこの傷跡があの子につかなくてよかったという安堵だけ。今頃どこかで元気にしているといい。
俺に強がる気持ちがないのが伝わったのか、ニコスはめずらしく気まずそうに「そうですか」と沈んだ声で言った。
俺以外には常識的な態度をとるやつだから、顔の傷跡のことにふれたのは無遠慮すぎると後悔したのだろう。

「約束履行への対価はまた話すとして、私は今日のこの会話を忘れませんので」
「あー、セルには黙っておいてくれるか? いろいろ見計らって、自分で言うから」
「……まあ、いいでしょう。あなたが来てから不安定だったセルの時間を考えると、籍を抜けるという宣言をあっさりされても、複雑でしょうから」
「だよなー」
「とにかく、卑しい欲望でセルやローラン家に迷惑をかけないように」

最後にしっかりと嫌な言葉を告げて背を向けたニコスは、優雅な足取りで遠ざかっていく。普段騎士たちの雄々しい歩調ばかり見ているせいかなんとなく新鮮な気持ちで見送った。
──と、そこへ背後からぱたぱたと駆けてくる可愛らしい足音が。

「ルイ坊ちゃま~!」
「プティか、やっぱり」

癒しの従者の姿にほっと力が抜けたことで、全身がかなり緊張していたことに気付く。自然な笑みで顔面の全部がゆるむ感じに、安堵した。
セルに、父に、デュラン様にニコス。
いずれ疎遠になる人たちだから適当に接することができれば楽なのに、そうもいかない。
かといって誰にも気を許せないから自分でも意識しないうちに疲労が溜まるのだ。

「ルイ坊ちゃま、お疲れですね……?」
「いや、プティ見たら元気出た」
「それは……よかったですが……」

まごついたような返事。
プティの内心を思いやるのが先だったと後悔する。

「悪い。プティも、父さんが心配だよな」
「もちろんです! ……ただ、旦那様が倒れることを、ボクは知っていました」
「え……っ」

俺をまっすぐ見つめたプティは眉間にぎゅっとシワを寄せ、胸の前で両手を握った。
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