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2、スピロ・ゴティエとの出逢い

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スピロとの出会いは11年前。
父に引きとられた俺は同年代の殿下に謁見するため、王宮を訪れていた。
冬の王宮庭園には真っ白な雪が積もり、指先までかじかむほどの寒さだったことをよく憶えている。
2個下のセルジオスが俺をずっと睨みつけているのが悲しく、心のなかにまで冷たい風が吹き荒れていたことも。
俺もまだ15歳だったし母を失ったばかりで、ほんの少しだけ異母弟と仲良くなりたいという期待があったのだ。おろかな考えだと今はわかっている。
陛下と殿下に謁見後、殿下の誘いで子供たちは庭園を散歩することになった。
セルと殿下は親同士の繋がりもありうんと幼いころからの友人同士。殿下はセルの態度を尊重して俺の存在は基本的に無視した。
庭に行くと2人の少年が待っており、スピロはそのうちの1人だった。

「スピロだよ。セルジオスの兄上、会いたかったんだ。よろしくね」

挨拶をしたのはスピロだけで、もう1人はセルジオスと殿下の手をとって「あっちへ行きましょう」と遠ざかっていった。潔い態度は大人になった今も継続している。

「あー、いっちゃった。ねえセルジオスの兄上。僕たちは、どうしよっか」

ふんわり笑って言ったスピロは俺を見ておらず、かといってセルたちに混ざりたい様子でもなかった。俺は目の前に立つ少年の、物事への興味のなさと退屈を敏感に感じとって返す言葉に迷ったのを憶えている。
さわさわと葉擦れの音がした方角へと逃げるように目を向けた。
その木だけなぜか、雪が積もっていないことで思いつく。

「木登りでもする?」
「えー、どうして?」
「えっ……」
「どうして木になんか、登るの?」
「そりゃあ、遊ぶために」
「木に登ることが、どうして遊びになるの? やったことないよ?」

貴族の少年とはこういうものなのか。めんどくさい。この場を放り出したくなった。
庶民は木に登って遊ぶのだ。その理由なんか疑問に思わず。
高くまで登れたら嬉しい。
大きな口をあけてげらげらと笑いたくなる。
それはどうしてか、……まあ考えてみると確かに不思議だ。
俺はこの時、生まれて初めて木登りが楽しい遊びになる理由を真剣に考えた。
スピロの沈黙は俺の答えを待っていたわけではなく、ただただ退屈そうに見えた。
冷たい風が吹いて少年の蒼い髪をさらりと揺らす。
ああ、そうかと答えがわかった。

「俺、空が好きなんだ」
「空?」
「うん。お前の髪と、目みたいな色の空。きれい」

スピロの目がまあるく見開かれる。

「昔から好きだ。木に登ると空に近づけたみたいに思えるから、木登りで遊ぶのが楽しいのかもな」

我ながら子供心にヒットする答えだと思った。
スピロは沈黙している。
その蒼い目には俺だけが映っていた。
やがて沈黙に耐え兼ね、もう少し何か言おうとしたタイミングでスピロは「じゃあ、登ろう」と俺の片手を握って歩き出した。
白く柔らかな少年の手は冷えきっていて、包みこむように握り返してやったことを憶えている。直後にスピロが繋がった手にぎゅっと力をこめたことも。

(あの時のスピロは俺より小さくて、可愛かったなぁ)

それが今じゃ、ほとんどの時に感情の読めない笑みを浮かべた飄々とした大人だ。
令嬢たちには「あの三日月のような切れ長の目がミステリアスでたまらなく素敵」と大好評。ちなみにセルは「ワイルドな獅子のようなたくましさにクラクラしてしまう」とこちらも人気者だ。

「なあに、見つめて。僕のこと好きになってくれた?」
「はっ、なるわけないだろ」
「じゃあ他に好きな人はできた?」

昔からもう数えきれないほど繰り返してきたやり取りを苦笑した俺はキャロットラペに視線を戻す。
他に好きな人ができたかなんて。
そう聞けるのはスピロが息をするように言う「好き」に、真実がないからだ。

「できてないよ、好きな人なんて」
「よかった。今日も僕のルイくんだね」
「スピロのものじゃない」
「いつも言ってるけど教えてね、ちゃんと。ルイくんに好きな人ができたら告白とかする前に、絶対に僕に教えて」
「やだ」

スピロは肩をすくめるようにして笑みを深める。

「酷いなー。僕の初めてのキス、奪っておいて」
「おい、その話は──」
「大丈夫、こんなところでこれ以上言わないよ。もったいないでしょ」

ふと、右肩にぬくもりが迫って息をとめた。
スピロはやんわりと顔を傾けて俺の耳もとで囁く。

「ルイくんの歌声は、僕だけが知ってるのが楽しいんだもん」

弟のセルすら知らない俺の歌声なのに、スピロには昔聴かせる機会があった。
母と一緒によく歌った曲。
歌の終わりについやってしまった俺の癖のせいで、スピロは好きだの好きになってだの言ってくるようになった。

「あーあ。ルイくん、いつになったら僕の恋人になってくれるんだろう」

そんな日がこなくてもいいって思ってるのを隠さない軽い調子でいつも言う。
俺はその度に、ほんの少し傷つく。
少しだけだ。
会うたびに雰囲気のある男前に好きだと言われたらそりゃあ凡人の俺はグラつくに決まっていた。
けれどスピロへの気持ちはこれ以上大きく深くしてはいけない。
貴族としての何かを欲しがってしまうことになるから。
何よりもスピロは本気じゃないから。
貴族の令嬢としょっちゅう噂になっておきながら誰にも恨まれていないアソビ上手のモテ男だ。

「俺がスピロの恋人になる日が来たら、でっかい宝石の指輪でもくれな?」

冗談にのっかってやるノリのよい兄貴分を演じて、口元をゆるめる。
スピロは何か答えようとしたけれど俺は話題を変えたかった。

「なあそういえば、『くっころ』って聞いたことあるか?」
「は──、クッコロ?」
「だよな、知らないよなぁ」
「うん知らない。なあに、それ」

訪ねる声は軽かった。──が、

「教えて」

付け足された言葉には答えをもらうことを譲らない意思が垣間見える、奇妙な静かさがあった。表情は笑みを浮かべたまま変わらないのに。俺を見つめる視線の粘度が増したような、見えない糸が伸びて喉元に巻き付くような、そんな感じだ。スピロは、たまにこういう雰囲気をまとって会話の中で俺が自己完結するのを許さない。
とはいえ『くっころ』の詳細は俺も知らないのだ。

「や、教えられることがないんだわ。だから聞いたんだよ。またわかったら話す」
「……ふうん。その“わからない言葉”は、どういう道筋でルイくんの耳に入ったの?」
「ああ、今朝──」

スピロも顔見知りであるプティの名を口にしようとした時、にわかに食堂がざわついた。「セルジオス様!」と騎士のひとりが血相を変えた様子で駆けこんできたのだ。騎士は入室からほぼ直線的にセルのもとへ行き、震え声で叫ぶ。

「団長がっ、御父上が会議の最中にお倒れになりました!」

(父さんが!?)

衝動的に立ちあがった俺とセルの動きはほぼ同時だった。
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