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第3.5膜 フィリアはお医者ちゃん編
八十六射目「丘の上の診療所へ」
しおりを挟む「うわぁぁぁ!!!」
賢者となった俺は、浅尾さんを胸の前に抱えて、
フィリアちゃんには、背中にしがみついてもらい、
空へと舞い上がった。
流石に浅尾さんの浴衣は直してから、俺達はフィリアの父さんの診療所へと、飛び立ったのだが……
「ひぃぃいぁあああ!! 怖いっ!! 高いぃぃ!! 落ちる落ちる落ちるっ!! もっと低い所を飛べぇぇ!!」
フィリアが俺の身体に背中にしがみつきながら、恐怖のあまりに身体を痙攣させて、絶叫していた。
「手を離さないかぎり大丈夫だ。 しっかり俺を掴んでいればっ……」
「無理っ……こんなの無理だァァ…落ちるぅぅ!! 死ぬってぇ!! オレは高所恐怖症なんだぁ!!」
フィリアは子供みたいに泣きながら、俺の腰をギリギリと締め付け、必死にしがみついていた。
一方、浅尾さんは、目を瞑ってぐったりとして、浅い息を繰り返していた。
また具合が悪くなったのだろうか?
分からない。
フィリアさんの診断では、浅尾さんの体内には、寄生したモンスターがいるらしい。
浅尾さんに、本当のことを伝えるべきだろうか?
浅尾さんの心は、すでに不安でいっぱいだ。
さらに追い討ちをかける訳にはいかない。
でも、嘘で騙してぬか喜びさせるのも、また心が痛むのだ。
そんな事を悩んでいる時、俺はふと、ある事に気づいた。
賢者の力である。
賢者の瞳によって見える、"生命の気配"を探れば、
浅尾さんの体内の寄生生物の"正体"を、突き止められるかもしれない。
そして俺は空を飛びながら、
浅尾さんのお腹の内側へと意識を向けた。
よく分からないかった。
浅尾さん自身の、生命の気配が強すぎるため、
体内に生き物がいるかどうかなんて、よく分からない。
さらに集中してみる。
空を飛ぶ速度を落として、目を瞑って、
浅尾さんのお腹の中に、意識を研ぎ澄ました。
いた。見つかった。
浅尾さんの下腹部に、小さく蠢く気配があった。
気持ち悪い。ミミズのようなものが、何匹も。
気持ち悪い。
俺は目を背けたくなったが、なんとか集中し続ける。
なにやらヌルヌルしている。
どこかで、感じたことのある気配だった。
まるで、うどん、みたいな……!
そして、俺は思い出した。
そうか、そういえばあの時。
温泉型モンスター【天ぷらうどん】の中身のクソジジイだ。
あの時、クソジジイに人質にされた浅尾さんは、細い触手で腹に穴を開けられて、胎内を弄られていた。
まさかあの時に、あのクソジジイに寄生された、とか、
ありえるか?
そんな中、俺たちは山の山頂を越えて、ポツポツと家の集まった小さな村を、目視で確認した。
「フィリア、診療所はどこにある。教えてくれないか?」
「うぅうぅぅっ! 目ぇ開けられねぇよぉ! 東の端っこの、崖の中腹だ! 見りゃ分かるだろっ?」
フィリアは震え声でそう言った。
俺は、太陽の方向を探すと、それはすぐに見つかった。
空飛ぶ俺たちが見下ろすのは、フィリアの故郷の村である。
たしか、アルム村という名前だった。
獣族の住民たちが、怯えた様子で、空飛ぶ俺たちを見ていた。
俺はまっすぐに、フィリアの診療所へと降り立った。
「うぅぅ………あぁぁ……やだぁぁ……」
地面に降り立つと、フィリアは膝を落として、地面を抱きしめるように、泣き崩れてしまった。
「浅尾さんの体内のモンスターの正体は、【天ぷらうどん】かもしれない」
ゼーゼーと息を切らしながら、久しぶりに大地を大切そうに踏みしめるフィリアの耳元へ、
俺は口を近づけて囁いた。
「【天ぷらうどん】……? なんだよそれ?」
「【天ぷらうどん】は、ヴァルファルキア大洞窟の最下層付近の、温泉に扮したうどん型モンスターだ。
昨日浅尾さんは、ソイツに捕まって、腹の中を触手で弄られたんだ」
「は? ヴァルファルキア大洞窟って、公国より遥かに西の大ダンジョンじゃねぇか? 移動に少なくとも一か月はかかる距離だぞ? 」
「え……? 俺たちは、転移魔法陣で来たんだが?」
「ん?……なんだそりゃ?」
フィリアは、不思議そうに首を傾げた。
あれ? フィリアさんって、
転移魔法陣の存在を知らないのか?
ガチャン!!!
と、診療所の玄関が、勢いよく開かれた。
診療所の玄関から出てきたのは、武装した獣族の男の子だった。
フィリアの父、小桑原啓介が経営するという診療所は、2階立ての洋風木造建築であった。
崖の中腹に存在して、フィリアの故郷、アルム村を一望できる立地だ。
玄関から飛び出してきた獣族の男の子は、どこかで見覚えがある顔だった。
年は中学生ぐらいだろう。
鋭い目をして、両手には2本の剣を握りしめていた。
そうだ思い出した。
彼は昨日の夜、フィリアちゃんにキスをしていた男の子であった。
『おいお前らっ! フィリアに何してっ!? んぁ?
……昨日の人間!? ……なんでここに?』
彼の獣族語は、賢者の力で聞き取ることが出来た。
もうすぐ"賢者の10分間"が切れるのだが、今だけ俺は、獣族語が理解できるのだ。
『ジルクっ!! 急病患者だ! すぐに父さんと母さんを呼んでくれっ!!
そしてお前は文献の中から、【天ぷらうどん】っていうモンスターを探すんだっ!!』
フィリアが、男の子に獣族語で指示を出した。
ジルクと呼ばれた男の子は、すぐに目の色を変えて、事情を理解したようで、
『分かったっ!!』
と獣族語で叫び、2本の剣をもって、玄関の中へと走っていった。
「行宗! 浅尾さんをベッドまで運んでくれ、ついてこい』
フィリアは日本語でそう言うと、玄関へと足早に向かった。
俺は、少し不安そうな顔の浅尾さんを抱きかかえて、フィリアさんに続いて、診療所へと入った。
洋風な外見と異なり、内装は和風であった。
俺は廊下を歩き、襖を開けて、大きな部屋へと案内される。
布団の敷かれた台の上へ、浅尾さんを横に下ろした。
ドタドタドタドタ……!!
浅尾さんの眠るこの部屋に、せわしない足跡が駆け込んできた。
フィリアに似た雰囲気を持った、赤みがかった瞳の、獣人女性である。
おそらく彼女は、フィリアの母親だろう。
『ねぇフィリア。啓介さんは、たった今、寝たばかりなの。 昨晩から徹夜で助産手術だったから、疲れているの…… それでも起こした方がいい?』
『いや……起こさなくていい。オレがやる。母さんは、二階から検魔石と魔導石、魔吸石を持って来てくれ』
母親の問いに、フィリアは即座に答えた。
そのタイミングで、俺の"賢者モード"が途絶えた。
絹製の手袋をつけたフィリアが、駆け足で、
浅尾さんに寄り添う俺へと、駆け寄ってきた。
「行宗。お前は浅尾さんが不安にならないように、手を握って、そばに居てやってくれ」
と、フィリアに耳元で囁かれた。
フィリアの顔は、真剣そのもので、歴戦の戦士のような迫力があった。
「フィリアさん、お願いします。浅尾さんを、助けて下さい」
「あぁ、勿論だ」
フィリアは俺の目を見て、確かにそう言った。
そしてフィリアは、ベットに寝転がった浅尾さんの腹部へと、補聴器のような道具を当てがった。
俺は、浅尾さんの左手に、両手を重ねて、ギュッと握りしめた。
不安にならないように、彼女の手を握る。
「浅尾さん、大丈夫だよ」
ありきたりセリフを言った。
こんな事で、浅尾さんの不安が、どれだけ減るのか分からないけど。
できる限り、不安や恐怖心が、和らいでほしいと思った。
ぎゅ……
浅尾さんの手は、細くて柔らかくて、ねばついた汗でにじんでいた。
「……ありがとう」
浅尾さんは、笑顔を返してきた。
それは線香花火みたいに、小さくて、儚くて、
今にも消えてしまいそうだった。
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