海怪

五十鈴りく

文字の大きさ
上 下
49 / 58
東両国

東両国 ―弐―

しおりを挟む
「――マル公は一体何を考えてんのかなぁ?」

 早朝、甚吉がそう独り言ちたにはわけがある。
 それは昨日のこと。マル公が唐突に言ったのだ。

「オイ、甚。明日、オイラのところに来る時、はしかそれに代わるモンを持ってきな」
「へっ?」
「箸だ、箸。おまんま食う時の箸くれぇ、いくらおめぇだって与えられてんだろうよぅ」

 箸くらいあるけれど、その箸でつまむ食い物がない。マル公は一体何を食う気でいるのだろうか。そもそも、マル公に箸など不要である。扱えもしない。
 色々と謎であった。

 まあいい。甚吉はマル公のいる生け簀に朝一番でやってきた。
 言われた通り、箸を手に。
 すると、マル公は待ちかねていたようで、生け簀をぐるぐると泳ぎながら言った。

「おお、来たか」
「ちゃんと箸を持ってきたよ」

 ただの削り出した木の棒に過ぎず、豪華な塗り箸などではないが、これでいいのだろう。
 すると、マル公は髭をピンと立て、うんうんとうなずいた。これでいいらしい。

「よし。じゃあ昨日の銭を出しな」
「あ、ああ」

 甚吉は言われるがままに、袂から四文銭を出した。マル公が拾ったのだから、マル公のものと言える。
 この銭を使って美味いモンを買ってこいというのだ。それがきっと、箸がなくては食いづらいものなのだろう。
 そう思った甚吉は、まだこのマル公を理解しきれていなかったのかもしれない。
 マル公は言った。

「じゃあ、その銭をこの生け簀に落としな」
「は?」
「落として、それが下に落ちる前に箸でつかめ」
「はぁああ?」

 素っ頓狂な声を上げた甚吉に、マル公は苛ついたらしく、ヒレで水をかけてきた。

「ハァハァうるせぇな。さっさとやんなッ」

 怒られてしまった。甚吉は仕方なく、マル公が言うように四文銭を生け簀に落とし、素早く箸でつかもうとしたのだが――
 バシャバシャバシャ。
 マル公が暴れ、水が波打つ。ひどい妨害に遭った。何故だ。

「マ、マル先生?」

 やれと言ったり邪魔したり、マル公は一体何がしたいのだろう。
 マル公に翻弄されながら甚吉が困っていると、マル公は一度生け簀の底まで潜り、そうして再び顔を出した。ペッと四文銭を吐き出す。

「わかっちゃいたが、おめぇはぶきっちょだよなぁ」

 甚吉が不器用なのは事実だが、ヒレしかないマル公には言われたくない。
 本当に、一体何がしたいのだ。
 その疑問が顔に出ていたらしく、マル公はようやく話し始めた。

「実はな、オイラを見に来たやつらが話してやがったんだ。東両国の方によ、鉄鍋に張った油の中にある小判を真鍮の箸でつかめたら、その小判がもらえるってのがあるんだってよ」
「へ? 小判が?」

 マル公はうなずく。

「オイラたちの手元にある小銭じゃあ、美味いモン食ったらすぐ消えちまう。こいつぁ元手を増やさねぇとなって思ってたとろこだ。だから、甚、おめぇがその小判、取ってきな」

 油の中に沈んでいる小判を真鍮の箸でつかむ――どう考えても滑るだろう。それを不器用な甚吉に成し遂げてこいというのだ。

「む、無茶だッ」

 少しもできる気がしない。木戸銭をスッた挙句、手ぶらで帰ってきて、マル公に怒号を浴びせられるのが目に見えている。
 しかし、マル公は呆れたように半眼になった。

「オイオイオイ、やる前から諦めてんじゃねぇよ。尻腰しっこしのねぇ野郎だな。そのために特訓しようってんじゃねぇか」

 特訓とは言うけれど、水の中にある穴あき銭よりも油の中にある小判、それも真鍮の箸では、そちらの方が難しいだろうに。

「こんなの、穂武良ほむら様にお願いした方がいいんじゃねぇのか? 穂武良様なら取れるかも――」

 穂武良というのは、狐である。稲荷の神使で、不思議な力も使う。少なくとも、不器用な甚吉よりはいいだろう。
 けれど、それを言った途端、マル公がカーッと叫び、怒った。

「おめぇなぁ、そんなイカサマを平気でしようってんなら見損なったぜ。いくら相手がヤシだろうとよ、正々堂々と勝ち取ってこそだろうがよッ」
「す、すいやせん」

 マル公が飛ばす水飛沫から顔を庇いつつ、甚吉は謝った。変なところで潔癖なのだ。
 ――いや、マル公はこれで江戸っ子気質だから、曲がったことは嫌いである。

「つべこべ言ってねぇで特訓するぞッ」
「へい――」

 ここは逆らわず、マル公の気が済むまで付き合おう。甚吉は箸を手に覚悟を決めたのだった。
 
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。 備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。 その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。 宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。 だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く! 備考 宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助) 父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。 本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。

桔梗一凛

幸田 蒼之助
歴史・時代
「でも、わたくしが心に決めた殿方はひとりだけ……」 華族女学校に勤務する舎監さん。実は幕末、六十余州にその武名を轟かせた名門武家の、お嬢様だった。 とある男の許嫁となるも、男はすぐに風雲の只中で壮絶な死を遂げる。しかしひたすら彼を愛し、慕い続け、そして自らの生の意義を問い続けつつ明治の世を生きた。 悦子はそんな舎監さんの生き様や苦悩に感銘を受け、涙する。 「あの女性」の哀しき後半生を描く、ガチ歴史小説。極力、縦書きでお読み下さい。 カクヨムとなろうにも同文を連載中です。

霧衣物語

水戸けい
歴史・時代
 竹井田晴信は、霧衣の国主であり父親の孝信の悪政を、民から訴えられた。家臣らからも勧められ、父を姉婿のいる茅野へと追放する。  父親が国内の里の郷士から人質を取っていたと知り、そこまでしなければ離反をされかねないほど、酷い事をしていたのかと胸を痛める。  人質は全て帰すと決めた晴信に、共に育った牟鍋克頼が、村杉の里の人質、栄は残せと進言する。村杉の里は、隣国の紀和と通じ、謀反を起こそうとしている気配があるからと。  国政に苦しむ民を助けるために逃がしているなら良いではないかと、晴信は思う、克頼が頑なに「帰してはならない」と言うので、晴信は栄と会う事にする。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

葉桜

たこ爺
歴史・時代
一九四二年一二月八日より開戦したアジア・太平洋戦争。 その戦争に人生を揺さぶられたとあるパイロットのお話。 この話を読んで、より戦争への理解を深めていただければ幸いです。 ※一部話を円滑に進めるために史実と異なる点があります。注意してください。 ※初投稿作品のため、拙い点も多いかと思いますがご指摘いただければ修正してまいりますので、どしどし、ご意見の程お待ちしております。 ※なろう、カクヨム、ノベルアップ+でも投稿中

処理中です...