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東両国
東両国 ―弐―
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「――マル公は一体何を考えてんのかなぁ?」
早朝、甚吉がそう独り言ちたにはわけがある。
それは昨日のこと。マル公が唐突に言ったのだ。
「オイ、甚。明日、オイラのところに来る時、箸かそれに代わるモンを持ってきな」
「へっ?」
「箸だ、箸。おまんま食う時の箸くれぇ、いくらおめぇだって与えられてんだろうよぅ」
箸くらいあるけれど、その箸でつまむ食い物がない。マル公は一体何を食う気でいるのだろうか。そもそも、マル公に箸など不要である。扱えもしない。
色々と謎であった。
まあいい。甚吉はマル公のいる生け簀に朝一番でやってきた。
言われた通り、箸を手に。
すると、マル公は待ちかねていたようで、生け簀をぐるぐると泳ぎながら言った。
「おお、来たか」
「ちゃんと箸を持ってきたよ」
ただの削り出した木の棒に過ぎず、豪華な塗り箸などではないが、これでいいのだろう。
すると、マル公は髭をピンと立て、うんうんとうなずいた。これでいいらしい。
「よし。じゃあ昨日の銭を出しな」
「あ、ああ」
甚吉は言われるがままに、袂から四文銭を出した。マル公が拾ったのだから、マル公のものと言える。
この銭を使って美味いモンを買ってこいというのだ。それがきっと、箸がなくては食いづらいものなのだろう。
そう思った甚吉は、まだこのマル公を理解しきれていなかったのかもしれない。
マル公は言った。
「じゃあ、その銭をこの生け簀に落としな」
「は?」
「落として、それが下に落ちる前に箸でつかめ」
「はぁああ?」
素っ頓狂な声を上げた甚吉に、マル公は苛ついたらしく、ヒレで水をかけてきた。
「ハァハァうるせぇな。さっさとやんなッ」
怒られてしまった。甚吉は仕方なく、マル公が言うように四文銭を生け簀に落とし、素早く箸でつかもうとしたのだが――
バシャバシャバシャ。
マル公が暴れ、水が波打つ。ひどい妨害に遭った。何故だ。
「マ、マル先生?」
やれと言ったり邪魔したり、マル公は一体何がしたいのだろう。
マル公に翻弄されながら甚吉が困っていると、マル公は一度生け簀の底まで潜り、そうして再び顔を出した。ペッと四文銭を吐き出す。
「わかっちゃいたが、おめぇはぶきっちょだよなぁ」
甚吉が不器用なのは事実だが、ヒレしかないマル公には言われたくない。
本当に、一体何がしたいのだ。
その疑問が顔に出ていたらしく、マル公はようやく話し始めた。
「実はな、オイラを見に来たやつらが話してやがったんだ。東両国の方によ、鉄鍋に張った油の中にある小判を真鍮の箸でつかめたら、その小判がもらえるってのがあるんだってよ」
「へ? 小判が?」
マル公はうなずく。
「オイラたちの手元にある小銭じゃあ、美味いモン食ったらすぐ消えちまう。こいつぁ元手を増やさねぇとなって思ってたとろこだ。だから、甚、おめぇがその小判、取ってきな」
油の中に沈んでいる小判を真鍮の箸でつかむ――どう考えても滑るだろう。それを不器用な甚吉に成し遂げてこいというのだ。
「む、無茶だッ」
少しもできる気がしない。木戸銭をスッた挙句、手ぶらで帰ってきて、マル公に怒号を浴びせられるのが目に見えている。
しかし、マル公は呆れたように半眼になった。
「オイオイオイ、やる前から諦めてんじゃねぇよ。尻腰のねぇ野郎だな。そのために特訓しようってんじゃねぇか」
特訓とは言うけれど、水の中にある穴あき銭よりも油の中にある小判、それも真鍮の箸では、そちらの方が難しいだろうに。
「こんなの、穂武良様にお願いした方がいいんじゃねぇのか? 穂武良様なら取れるかも――」
穂武良というのは、狐である。稲荷の神使で、不思議な力も使う。少なくとも、不器用な甚吉よりはいいだろう。
けれど、それを言った途端、マル公がカーッと叫び、怒った。
「おめぇなぁ、そんなイカサマを平気でしようってんなら見損なったぜ。いくら相手がヤシだろうとよ、正々堂々と勝ち取ってこそだろうがよッ」
「す、すいやせん」
マル公が飛ばす水飛沫から顔を庇いつつ、甚吉は謝った。変なところで潔癖なのだ。
――いや、マル公はこれで江戸っ子気質だから、曲がったことは嫌いである。
「つべこべ言ってねぇで特訓するぞッ」
「へい――」
ここは逆らわず、マル公の気が済むまで付き合おう。甚吉は箸を手に覚悟を決めたのだった。
早朝、甚吉がそう独り言ちたにはわけがある。
それは昨日のこと。マル公が唐突に言ったのだ。
「オイ、甚。明日、オイラのところに来る時、箸かそれに代わるモンを持ってきな」
「へっ?」
「箸だ、箸。おまんま食う時の箸くれぇ、いくらおめぇだって与えられてんだろうよぅ」
箸くらいあるけれど、その箸でつまむ食い物がない。マル公は一体何を食う気でいるのだろうか。そもそも、マル公に箸など不要である。扱えもしない。
色々と謎であった。
まあいい。甚吉はマル公のいる生け簀に朝一番でやってきた。
言われた通り、箸を手に。
すると、マル公は待ちかねていたようで、生け簀をぐるぐると泳ぎながら言った。
「おお、来たか」
「ちゃんと箸を持ってきたよ」
ただの削り出した木の棒に過ぎず、豪華な塗り箸などではないが、これでいいのだろう。
すると、マル公は髭をピンと立て、うんうんとうなずいた。これでいいらしい。
「よし。じゃあ昨日の銭を出しな」
「あ、ああ」
甚吉は言われるがままに、袂から四文銭を出した。マル公が拾ったのだから、マル公のものと言える。
この銭を使って美味いモンを買ってこいというのだ。それがきっと、箸がなくては食いづらいものなのだろう。
そう思った甚吉は、まだこのマル公を理解しきれていなかったのかもしれない。
マル公は言った。
「じゃあ、その銭をこの生け簀に落としな」
「は?」
「落として、それが下に落ちる前に箸でつかめ」
「はぁああ?」
素っ頓狂な声を上げた甚吉に、マル公は苛ついたらしく、ヒレで水をかけてきた。
「ハァハァうるせぇな。さっさとやんなッ」
怒られてしまった。甚吉は仕方なく、マル公が言うように四文銭を生け簀に落とし、素早く箸でつかもうとしたのだが――
バシャバシャバシャ。
マル公が暴れ、水が波打つ。ひどい妨害に遭った。何故だ。
「マ、マル先生?」
やれと言ったり邪魔したり、マル公は一体何がしたいのだろう。
マル公に翻弄されながら甚吉が困っていると、マル公は一度生け簀の底まで潜り、そうして再び顔を出した。ペッと四文銭を吐き出す。
「わかっちゃいたが、おめぇはぶきっちょだよなぁ」
甚吉が不器用なのは事実だが、ヒレしかないマル公には言われたくない。
本当に、一体何がしたいのだ。
その疑問が顔に出ていたらしく、マル公はようやく話し始めた。
「実はな、オイラを見に来たやつらが話してやがったんだ。東両国の方によ、鉄鍋に張った油の中にある小判を真鍮の箸でつかめたら、その小判がもらえるってのがあるんだってよ」
「へ? 小判が?」
マル公はうなずく。
「オイラたちの手元にある小銭じゃあ、美味いモン食ったらすぐ消えちまう。こいつぁ元手を増やさねぇとなって思ってたとろこだ。だから、甚、おめぇがその小判、取ってきな」
油の中に沈んでいる小判を真鍮の箸でつかむ――どう考えても滑るだろう。それを不器用な甚吉に成し遂げてこいというのだ。
「む、無茶だッ」
少しもできる気がしない。木戸銭をスッた挙句、手ぶらで帰ってきて、マル公に怒号を浴びせられるのが目に見えている。
しかし、マル公は呆れたように半眼になった。
「オイオイオイ、やる前から諦めてんじゃねぇよ。尻腰のねぇ野郎だな。そのために特訓しようってんじゃねぇか」
特訓とは言うけれど、水の中にある穴あき銭よりも油の中にある小判、それも真鍮の箸では、そちらの方が難しいだろうに。
「こんなの、穂武良様にお願いした方がいいんじゃねぇのか? 穂武良様なら取れるかも――」
穂武良というのは、狐である。稲荷の神使で、不思議な力も使う。少なくとも、不器用な甚吉よりはいいだろう。
けれど、それを言った途端、マル公がカーッと叫び、怒った。
「おめぇなぁ、そんなイカサマを平気でしようってんなら見損なったぜ。いくら相手がヤシだろうとよ、正々堂々と勝ち取ってこそだろうがよッ」
「す、すいやせん」
マル公が飛ばす水飛沫から顔を庇いつつ、甚吉は謝った。変なところで潔癖なのだ。
――いや、マル公はこれで江戸っ子気質だから、曲がったことは嫌いである。
「つべこべ言ってねぇで特訓するぞッ」
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ここは逆らわず、マル公の気が済むまで付き合おう。甚吉は箸を手に覚悟を決めたのだった。
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