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判じ絵
判じ絵 ―後日譚―
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そうして、その翌日。
甚吉が巽屋に判じ絵の出所を教えに行って戻ったところ、初詣がまたやってきたのだ。それも、見世物小屋が始まる前にだ。
にこにこと好々爺の微笑みを浮かべ、小屋の手前にいた甚吉に手招きをする。
「戯作者の先生、おはようごぜぇやす」
初詣さんとは少々呼びづらい。ぺこりと頭を下げた甚吉に、初詣は袂から取り出した小さな包みを取り出してみせた。紙で包んで天辺で捻ってある小さな包みだ。初詣はそれを甚吉に差し出した。
「この間は大いに助かった。その礼と言ってはなんだが、これは有平糖だ。仕事の合間にでも食べなさい」
有平糖とは、耳慣れない名である。しかし、食い物だ。食いしん坊のマル公が喜ぶ。
甚吉も嬉しいけれど、本当にもらってもいいものだろうか。ちらりと初詣を窺い見ると、初詣は大きくうなずいて甚吉の手に包みを握らせた。
「また時々話し相手になっておくれ。ではな」
何やら気に入られたのかもしれない。それはマル公のおかげであるけれど。
「あ、ありがとうごぜぇやす」
頭を下げると、初詣は満足げに笑って去った。甚吉は急いで小屋に入ると、マル公に今し方の出来事を語った。マル公は、ほほぅとひとつ声を上げた。
「あるへーとー、な。早くその包みを開けてみな」
わくわく、といった様子で小刻みに揺れている。甚吉は少し笑ってその包みの口を開いた。中から出てきたのは――
ねじられた小さな棒状のものであった。ほんのりとした赤みがつけられており、鈍い艶がある。甚吉がひとつ指でつまんでみると、硬かった。
「一個くれッ」
よだれを流しそうな勢いでマル公が言うから、甚吉はそれをマル公の大きく開いた口に入れ、もうひとつを自分で頬張った。硬い有平糖はカラコロと音を立てて歯に当たる。けれど、舌で転がすと甘い味がじんわりと広がって、とても仕合せな味がした。
「マル先生、うめぇな」
甚吉がそう言うと、マル公はバリバリと音を立てて有平糖を噛み砕いていた。
「硬ぇな、オイ」
これは噛み砕くものではなくて、ゆっくりと口の中で溶かして食べるものなんじゃないのかと甚吉は思ったけれど、すでに遅い。
ごっきゅん、と有平糖を飲み込んだマル先生は、それでも嬉しそうであった。目を見ればわかる。輝きが違うのだ。
「甚、硬ぇけど甘くてうめぇな。もう一個くれ」
「いっぺんに食ったらすぐなくなっちまうから、見世物が終わったらもう一個。残りはまた明日にしよう」
「何をケチくせぇことをッ」
不満げにぷぅ、と頬を膨らませる。そんなことをするから、もともとまん丸い顔がさらに丸く見えて、甚吉は思わず笑ってしまった。
「おお、ホムラのヤツにもちぃっとくれぇはわけてやらねぇとな。なんせ、油代が浮いたことだしな」
「――お菓子くれぇで機嫌を直してくれるかはわかんねぇけど」
直してくれないかもしれないけれど、明日お裾分けに行こうか。
そうして有平糖を仕舞おうと包み紙をくしゃりと寄せると、その紙が重なっていたことに気づいた。三枚――甚吉はふと思うところあって慎重にその紙を外していく。丁度真ん中に挟まれる形になっていた一枚に、やはり何か書かれている。
「なんだなんだぁ?」
マル公も興味津々で覗き込んでくる。甚吉は有平糖を零さないように慎重にその紙だけを抜き取ると、皺を伸ばしてみた。そこに書かれていたのは、また判じ絵のようであった。
初詣の、ちょっとした謎かけの続き。
「マル先生、この判じ絵はなんのことだい?」
いつものごとく、甚吉にはさっぱりであった。それは最初の二枚よりもさらに奇妙な絵であったのだから。
『あ』という文字を顔一面に書いた男が一人、紙の真ん中に居座っている。まるで壺振りのように諸肌で腹にはさらしを巻き、片膝を立ててふんぞり返っているのだ。この男は誰だ。
「んぁ?」
マル公は一度目を細め、そうしてからつるんと生け簀の中に滑り込むようにして戻った。水飛沫が甚吉の頬に跳ねる。
そうして再び頭を出したマル公は、口から水を噴き出した。
「なんだよ、見たまんまじゃねぇかよ。もぅちっと捻りな」
「え? 見たまんまって?」
甚吉は判じ絵をじっと見るけれど、見れば見るほどにわからない。マル公の方から、オウオウオウと巻き舌で破落戸のような声がする。
「だから、見たまんまじゃねぇかよ。よっく見てみな」
言われるがままに甚吉が判じ絵とにらめっこしていると、マル公はバシャンと水を跳ね上げた。
「ほれ、オイラのことも見な」
「なんだよ、それ」
「教えてやってんじゃねぇかよ」
首を傾げて見せるまん丸いマル公の顔を見ていても、判じ絵は解けないけれど、ふと違うことを考えてしまった。
マル公の前世が江戸っ子だったとして、その人はどんなふうに生きていたのだろう。こういう出会いでなければ、マル公と甚吉はきっと親しくならなかった。穂武良が言うように、前世のことなど関りはなく、大事なのは今。
マル公が海怪となり、人に捕らえられて見世物にならなければ、甚吉とマル公は出会うことすらなかった。それから、前世で得た知恵を思い出せていなければ、こうして語り合うこともできなかった。
おかしなものだけれど、色々な偶然が重なって今があり、マル公と甚吉がいる。そんな今が甚吉は気に入っている。だったら、細かいことはいい。楽しく共に過ごせる今があれば。
それが少しでも長く続いてくれたら――
「オイコラ、聞いてんのか」
ピッとヒレで水をかけられたけれど、甚吉はそれでも笑って頭を掻いた。
「ごめん、おれにはわからねぇよ。お手上げだ」
「カーッ、おめぇはすぐに諦めやがる。『あ』がさらし巻いてんじゃねぇか。この間、初詣が言ってたことを思い出してみやがれッ」
くどくどと怒られつつ、甚吉は悩み続けた。
当分はこんな毎日なのだろう。
そんな毎日であれと甚吉はそっと願った。
【判じ絵】完。
甚吉が巽屋に判じ絵の出所を教えに行って戻ったところ、初詣がまたやってきたのだ。それも、見世物小屋が始まる前にだ。
にこにこと好々爺の微笑みを浮かべ、小屋の手前にいた甚吉に手招きをする。
「戯作者の先生、おはようごぜぇやす」
初詣さんとは少々呼びづらい。ぺこりと頭を下げた甚吉に、初詣は袂から取り出した小さな包みを取り出してみせた。紙で包んで天辺で捻ってある小さな包みだ。初詣はそれを甚吉に差し出した。
「この間は大いに助かった。その礼と言ってはなんだが、これは有平糖だ。仕事の合間にでも食べなさい」
有平糖とは、耳慣れない名である。しかし、食い物だ。食いしん坊のマル公が喜ぶ。
甚吉も嬉しいけれど、本当にもらってもいいものだろうか。ちらりと初詣を窺い見ると、初詣は大きくうなずいて甚吉の手に包みを握らせた。
「また時々話し相手になっておくれ。ではな」
何やら気に入られたのかもしれない。それはマル公のおかげであるけれど。
「あ、ありがとうごぜぇやす」
頭を下げると、初詣は満足げに笑って去った。甚吉は急いで小屋に入ると、マル公に今し方の出来事を語った。マル公は、ほほぅとひとつ声を上げた。
「あるへーとー、な。早くその包みを開けてみな」
わくわく、といった様子で小刻みに揺れている。甚吉は少し笑ってその包みの口を開いた。中から出てきたのは――
ねじられた小さな棒状のものであった。ほんのりとした赤みがつけられており、鈍い艶がある。甚吉がひとつ指でつまんでみると、硬かった。
「一個くれッ」
よだれを流しそうな勢いでマル公が言うから、甚吉はそれをマル公の大きく開いた口に入れ、もうひとつを自分で頬張った。硬い有平糖はカラコロと音を立てて歯に当たる。けれど、舌で転がすと甘い味がじんわりと広がって、とても仕合せな味がした。
「マル先生、うめぇな」
甚吉がそう言うと、マル公はバリバリと音を立てて有平糖を噛み砕いていた。
「硬ぇな、オイ」
これは噛み砕くものではなくて、ゆっくりと口の中で溶かして食べるものなんじゃないのかと甚吉は思ったけれど、すでに遅い。
ごっきゅん、と有平糖を飲み込んだマル先生は、それでも嬉しそうであった。目を見ればわかる。輝きが違うのだ。
「甚、硬ぇけど甘くてうめぇな。もう一個くれ」
「いっぺんに食ったらすぐなくなっちまうから、見世物が終わったらもう一個。残りはまた明日にしよう」
「何をケチくせぇことをッ」
不満げにぷぅ、と頬を膨らませる。そんなことをするから、もともとまん丸い顔がさらに丸く見えて、甚吉は思わず笑ってしまった。
「おお、ホムラのヤツにもちぃっとくれぇはわけてやらねぇとな。なんせ、油代が浮いたことだしな」
「――お菓子くれぇで機嫌を直してくれるかはわかんねぇけど」
直してくれないかもしれないけれど、明日お裾分けに行こうか。
そうして有平糖を仕舞おうと包み紙をくしゃりと寄せると、その紙が重なっていたことに気づいた。三枚――甚吉はふと思うところあって慎重にその紙を外していく。丁度真ん中に挟まれる形になっていた一枚に、やはり何か書かれている。
「なんだなんだぁ?」
マル公も興味津々で覗き込んでくる。甚吉は有平糖を零さないように慎重にその紙だけを抜き取ると、皺を伸ばしてみた。そこに書かれていたのは、また判じ絵のようであった。
初詣の、ちょっとした謎かけの続き。
「マル先生、この判じ絵はなんのことだい?」
いつものごとく、甚吉にはさっぱりであった。それは最初の二枚よりもさらに奇妙な絵であったのだから。
『あ』という文字を顔一面に書いた男が一人、紙の真ん中に居座っている。まるで壺振りのように諸肌で腹にはさらしを巻き、片膝を立ててふんぞり返っているのだ。この男は誰だ。
「んぁ?」
マル公は一度目を細め、そうしてからつるんと生け簀の中に滑り込むようにして戻った。水飛沫が甚吉の頬に跳ねる。
そうして再び頭を出したマル公は、口から水を噴き出した。
「なんだよ、見たまんまじゃねぇかよ。もぅちっと捻りな」
「え? 見たまんまって?」
甚吉は判じ絵をじっと見るけれど、見れば見るほどにわからない。マル公の方から、オウオウオウと巻き舌で破落戸のような声がする。
「だから、見たまんまじゃねぇかよ。よっく見てみな」
言われるがままに甚吉が判じ絵とにらめっこしていると、マル公はバシャンと水を跳ね上げた。
「ほれ、オイラのことも見な」
「なんだよ、それ」
「教えてやってんじゃねぇかよ」
首を傾げて見せるまん丸いマル公の顔を見ていても、判じ絵は解けないけれど、ふと違うことを考えてしまった。
マル公の前世が江戸っ子だったとして、その人はどんなふうに生きていたのだろう。こういう出会いでなければ、マル公と甚吉はきっと親しくならなかった。穂武良が言うように、前世のことなど関りはなく、大事なのは今。
マル公が海怪となり、人に捕らえられて見世物にならなければ、甚吉とマル公は出会うことすらなかった。それから、前世で得た知恵を思い出せていなければ、こうして語り合うこともできなかった。
おかしなものだけれど、色々な偶然が重なって今があり、マル公と甚吉がいる。そんな今が甚吉は気に入っている。だったら、細かいことはいい。楽しく共に過ごせる今があれば。
それが少しでも長く続いてくれたら――
「オイコラ、聞いてんのか」
ピッとヒレで水をかけられたけれど、甚吉はそれでも笑って頭を掻いた。
「ごめん、おれにはわからねぇよ。お手上げだ」
「カーッ、おめぇはすぐに諦めやがる。『あ』がさらし巻いてんじゃねぇか。この間、初詣が言ってたことを思い出してみやがれッ」
くどくどと怒られつつ、甚吉は悩み続けた。
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