海怪

五十鈴りく

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饅頭

饅頭 ―参―

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 見物人が見世物小屋に押し寄せる。マル公は、押すな押すなと人がごった返す小屋の中、ただ一匹生け簀の中を泳ぎ回る。

「うわぁ、まんじゅうそっくりだよ、おっかさん」

 どこかの子供の甲高い声がそんなことを言ったから、魚の入った盥を抱えて控える甚吉は思わず噴き出しそうになった。――ここで本当に噴き出したら、目ざといマル公にあとで何を言われることか。

 幸い、マル公はその子供が言った意味をよくわかっていなかったのか、聞いていなかったのか、いつものごとく愛想を振りまいている。客の手ずから魚を食い、大層な賑わいだった。

 ――さて、たんまりと魚を食ったマル公ではあるけれど、まんじゅうはきっと別腹だ。
 甚吉は客が引いて見世物がお開きになってから、ようやく袖に入れていたまんじゅうをマル公の目の前に出した。

「マル先生。このまんじゅう、マル先生の形をしてるだろ? こうやって人気者はまんじゅうにしてやると、まんじゅうがよく売れるんだって。これ、くれたんだ」

 甚吉にとって一番主張したいのは、真砂太夫がくれたというところである。わざわざ、甚吉のために買い求めてくれたことを誇らしげに言ったのだが、マル公は可愛らしく小首をかしげた。
 ただし、上げた声は可愛くない。

「ハァン? このまんじゅうがオイラだってぇ」

 両ヒレをペペン、と生け簀の縁についたかと思うと、マル公はガーッと吠えた。

「てやんでバッキャローッ。オイラがこんなぶっさいくなわきゃねぇだろうがよぅッ。どこに目ぇつけてやがるコン畜生めェッ」

 水飛沫を飛ばし、巻き舌で怒られた。マル公は熱海からやってきたのに、どうしてこう江戸っ子気質とべらんめえ口調なのかがよくわらかない。お江戸の水が肌に合ったとしても、その土地に染まりやすすぎる。頑固なのか柔軟なのかよくわからない。

「ぶ、不細工かい? おれはよく似てると思うけどなぁ――。ほら、中はマル先生の食べたがっていたあんこだし」

 このまん丸い形。うっすらした蕎麦の色がよく合っている。焼き印の目も、髭も大体こんなものだろうに。
 しかし、マル公はどうしても気に入らないらしい。歯を見せて唸った。

「オイ、甚ッ。ふざけんじゃねぇぞコラ。オイラのどこがこれに似てるってぇんだッ」

 ガブッ。

 その瞬間、甚吉は固まってしまった。
 手の平の上のまんじゅうを、マル公がひと口で食べたのだ。

 モギュモギュごっくん。

 喉が鳴る音まで聞こえた。

「――なんだ、見た目の割にうめぇじゃねぇか。これがあんこかぁ。人間はいいモン食ってんなぁ、オイ」

 などと、うっとりとして機嫌を直した。けれど――

 反対にこの世の終わりほどに落ち込んだのは甚吉の方である。
 憧れの真砂太夫が、わざわざ甚吉のために買ってくれたおやつつなのだ。その大事なまんじゅうを、マル公が喜ぶかと思って半分こにしようとしたというのに、マル公はそれを悪態をつきながらひと思いに食ってしまったのだ。

 あまりの仕打ちに甚吉が震えていると、マル公はようやく、自分のやらかしたことのひどさに気づいたようだった。ハッと体を縦にして、それから両ヒレをパタパタと忙しなく動かし出した。

「じ、甚ッ。これはだな――」

 いつになく焦っている。甚吉は涙の浮いた目をじっとりとマル公に向けた。

「これは――アレだ、ほら、アレ。その、なんだ――ッ」

 甚吉は無言で待ったが、その後に言葉は続かず、ただヒレが跳ね上げる水音だけがバシャバシャと立つ。
 ――慰めが下手にもほどがある。
 ただただヒレをバタつかせ、急にただの獣になって水面を転がっている。

 甚吉はこれ見よがしにため息をついてみせた。
 この慌てっぷりを見ればわかる。マル公なりに一人でまんじゅうを全部食べてしまったことを悪いと思っている。ただ、それでも素直に悪かったと言えないのだ。多分、素直な謝罪など今まで一度もしたことがない。

 素直に謝意を口にするまで涙目でマル公を眺めてやってもいいのだけれど、慌てふためき体をひねっている様を見ると、どうにも可哀想なような気にもなる。やっぱり、あの可愛い顔でごまかされているのかもしれないけれど。

「――マル先生。いいよ、また買いに行くから」

 苦笑しながら甚吉がそう言うと、マル公はひどくほっとした様子で生け簀の縁に戻ってきた。

「そ、そうか。うん、まんじゅうはうまい。銭を出す価値もあらぁな」

 などと言ってうなずいている。
 寅蔵座の人々は、マル公は甚吉がいないと駄目なのだと思っている。頭の寅蔵が、いつ捨ててもいいと思っていたであろう、芸の身につかない甚吉に価値を見出してくれたのは、やはりマル公のおかげなのだ。

 甚吉は何かと悪態をつかれつつも、マル公を恩人だと感じている。その感謝を忘れてはいない。

「マル先生が気に入ったみたいだから、もう一個余分に買ってくるよ」

 そう言って笑うと、マル公は一度ピシッと背筋を伸ばして、それから脱力した。

「――おめぇはよぅ、ヒトがよすぎんだよ」

 ボソッと水面に向かってそんなことを独り言ちていた。
  
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