蛙の神様

五十鈴りく

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◇24

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 アカネ姉ちゃんの言っていた石段らしきものは確かにあった。でも、本当に石を積み上げて段にしただけのもので、気をつけないと滑る。これ、振り返ると怖いパターンだから無心で上ろう。

 雨脚は心なし弱まってきていた。このままやんでくれたら助かるけれど。
 三十段くらいあったか、その石段を上がりきった先には、ボロボロの小さな社があった。ここまで参拝するのも大変だ。来る人なんて滅多にいないんじゃないかな。

 でも、俺たちはその軒下に座らせてもらった。やっと座れて俺もほっとした。じんわりと疲れが出てくる。それでもまだヒロと二人きりのうちは気が抜けない。
 俺は兄貴に言われた通り、スマホで連絡を取った。すると、その場で待てとのことだった。
 この貸し出しスマホ、大活躍だな。意地張って、あの時直してなかったら困っていたかも。

 俺はそれから、ヒロの不安を和らげるためにたくさん話しかけた。ヒロから聞けた話では、家族仲がとてもいいこと、アキたちは優しい姉ちゃんたちだってことが伝わった。

「それでね、あの時アツムおにいちゃんが橋の上にいたの」
「橋の上?」
「うん」

 アツムとどうやって知り合ったのかを訊ねたら、ヒロはそう言った。アツムも橋には近づかないように言われているのに、橋の上にいたらしい。
 ……でも、その日付を聞いたら、俺が反省する番だった。その日は、俺がアツムを泣かせた翌日だったから。

「ボクがアキおねえちゃんからもらった河童ライダーのぬいぐるみを見て、アツムおにいちゃんが話しかけてきてくれたんだ。お前も河童ライダー好きなのかって」

 ……そのぬいぐるみって、あれだよな?
 俺がアキとのデートで取った、UFOキャッチャーのあのぬいぐるみ。色んな事柄が次々に繋がっていく。

「河童ライダーの技とか、アツムおにいちゃんすごく上手にできるんだ。たくさん見せてくれたんだよ」

 調子に乗っているアツムと、純粋に目を輝かせてそれを称賛するヒロの構図が目に浮かぶ。

「そ、そうかぁ」

 性格は全然違うのにな。ぴったりはまることってあるんだよなぁ。
 そうして二人は仲良くなったってこと。
 俺とアキもそうだ。家のこととかなんにも知らなくて、ただ仲良くなった。アツムとヒロの友情も裂かれないように守ってやることができたらいいのに。
 今の俺には打つ手もないけれど、いつかはって思いたい。

 ほら、藤倉と道添の兄弟たちが協力し合ってヒロを見つけたんだ。それも絶対に叶わない願いじゃないって、今は思えるから。

「なあ、ヒロ。俺たちの家とヒロの家と、仲が悪いのはなんとなくわかるか?」

 俺だってヒロの年にはわかっていた。大人しいけれど、賢そうなヒロが知らないとは思えない。ヒロはやっと笑顔を見せてくれたのに、その笑顔を曇らせてうなずいた。

 そんな顔をさせたいんじゃない。弟たちに俺の七年間みたいな時間を過ごしてほしくないだけなんだ。

「ヒロはアツムと仲良くしてくれた。俺とだってこうして肩を並べていられる。でも、いろんなややこしい事情があって、ヒロはもうアツムと遊んじゃいけないって言われるかもしれない。それでも、いつかはまた遊べるって信じて、アツムのことを嫌いにならずにいてやってくれよな」

 俺ができることなんて、これくらいだ。幼いヒロは素直だった。さっきよりも大きくうなずく。

「アツムおにいちゃんのこと、嫌いになったりしないよ! それから、カケルおにいちゃんのことも!」

 ヒロはそう言って、俺のぐしょ濡れのTシャツを両手で握り締めた。……素直で可愛いなぁ。ヒロは道添家できっとマスコット的な存在なんじゃないかな。

「そうか。ありがとな」

 俺がレインコートのフードを脱いだヒロの頭を撫でると、ヒロはくすぐったそうに笑った。


 
 そうしているうちに、雨は随分と小降りになった。あんなに激しかった雨が嘘みたいだ。
 本当に、天気に振り回されている気がする。人間、どうしたって天候には勝てないから怖いんだ。

「雨、やみそうだね」

 ヒロもぽつりと言った。

「そうだな。やっと帰れるぞ」

 そんな話をしているうちに、レスキュー隊の格好をした数人と兄貴、アカネ姉ちゃんがやってきた。それは俺たちの使った石段じゃなくて、社の横にあった道からだった。

 別の方向から回り込んだんだ。そうして、来たのは二人だけじゃなかった。レスキュー隊員のオレンジの服が色の乏しかった風景の中に鮮やかだ。

「いた!」

 アカネ姉ちゃんが叫ぶ。レスキュー隊員の人たちが俺とヒロの方に小走りでやってくる。すごく若いってほどじゃないんだけれど、おじさんって呼ぶのは失礼かなってくらいの年齢の人たちだった。白いヘルメットの頭がヒロの目線に合わせて下がる。

「無事なようだね。怪我は?」
「こっちのヒロが少し足をひねってますけど、他はないです」

 俺がそう答えると、ヒロは不安そうに俺の肩に隠れようとする。

「ボク、名前と年齢と教えてくれるかな?」
「み、道添ヒロ、六歳ですっ」

 緊張しながら答えている。

「立てるかい?」
「はいっ」

 歩くのは痛いみたいだけれど、立つことくらいはできる。立ってみたヒロの様子に、レスキュー隊員の人たちは顔を見合わせてほっとした様子だった。

「しっかりしているみたいだし、とりあえず親御さんのところに送ってから話そうか。じゃあ戻ろう」

 隊長さんなのか、一番年上っぽい人がヒロを背中に負ぶった。もう一人の人が俺を気遣ってくれる。

「君は大丈夫かい?」
「あ、はい。怪我もないし、自分で帰れます!」

 そうか、と優しく笑ってくれた。そこから、アカネ姉ちゃんと何かを話していた。多分、このまま家まで送るとかそういう話だろう。
 兄貴が俺の方に近づいてきて、そして俺の頭にポン、と手を置いた。

「無茶すんなよな」
「ごめん」

 素直に謝ったのは、兄貴が心配してくれていたのが顔から読み取れたからだ。
 でも、俺はあそこで飛び出したことに後悔なんて全然していない。一瞬でも躊躇ったら間に合わなかったかもしれないから。あれでよかったんだ。
 兄貴はそこから、アカネ姉ちゃんとヒロの方を見ていた。

「道添の長女はガサツな印象だったんだけど、一生懸命弟を探して、長女として責任感が案外強いヤツだった。……って、俺がそんなこと言ったの、親父たちには内緒な」

 なんてことを苦笑しながら兄貴が言った。それは意外な言葉だったけれど、二人で行動して、兄貴の中で何かが変わったのかな?
 だとしたらいいのにな。俺もうなずいて笑った。

 そのまま帰るのかと思ったら、アカネ姉ちゃんは一度俺の方に走ってきた。そして、強張った顔で言った。

「……カケル」

 俺の名前を呼んだ。なんか、不思議な感じがする。

「う、うん」

 一応返事をすると、アカネ姉ちゃんは深々と息をついてから言った。

「ヒロのこと、助けてくれてありがとう。……それから、色々と悪かった」

 その色々ってのは、七年前のことも含まれるのかな?
 いや、そんな昔のこと、覚えていないかもしれない。その色々に深い意味なんてないのかな。そう思ったけれど、アカネ姉ちゃんの言葉には続きがあった。

「その……本当に悪かった」

 まだ謝る。

「あ、いや。いいよ、もう」

 よくわからないながらに俺が言うと、アカネ姉ちゃんはさらにため息をついた。それから、言いにくそうに声を絞り出す。

「じ、実は、その、あの時……アキが泣き疲れて寝てしまった後、アキのスマホの着信音が鳴って、まさかとは思ったんだけど、カケルからのメールで――」

 ん? あの日? 俺からのメール?
 俺はその言葉から記憶を辿る。アカネ姉ちゃんが言うあの時ってのは、俺が最後にアキにメールしたヤツのことだ。俺の顔色がサッと変わったのを見ても、兄貴はわけがわかっていない。

「もしかして……メール、読んだ?」

 アカネ姉ちゃんはこくりとうなずいた。
 好きだとかメールで告白なんかするんじゃなかった!
 この瞬間、俺が悶え苦しんで消えてなくなりたくなったのも無理はないはずだ。心の中でギャーギャー叫んでいた。もう現実逃避したくなってきた。
 放心した俺に、アカネ姉ちゃんはさらなる衝撃的な発言をした。

「あの時は、その、アキが騙されてるって信じてて、そう思うとあの文面も嘘臭いとしか思えなくて、衝動的に……消した」
「へ? 消した?」

 消したということは――

「アキは……?」
「読んでない。読む前に消したから。返信が来たことすら知らない」
「スマホのロックかかってねぇのかよ!」

 顔色は青から赤になった。それが自分でもわかる。パニックになって喚いている俺に、アカネ姉ちゃんはケロリと言った。

「妹のパスワードくらい知ってるし」
「いや、俺は弟のスマホのパスワードなんて知らないからな」

 なんて兄貴が言っている。だって教えてないし。
 衝撃の事実が発覚した。アキからの返信がないと思っていたけれど、これって……

「あれ? それじゃあ、アキは俺から返事がないってずっと思ってた?」
「うん」

 嫌いにならないでって言っているのに、俺がそれを無視したことになっている?

「ひでぇ!」

 思わず叫んだ。

「だから、スマン」

 可愛く謝られてもひどい。でも、アカネ姉ちゃんは本気で悪かったって思ってくれているみたいだ。

「アキもちょっと色々とあって忙しかったから、気にしながらも落ち込んでる暇がなくて。それも皮肉なんだけどな」
「え?」

 色々と。そういえば元気がないって感じたこともあった。
 何があったんだか詳しく知りたい。でも、アカネ姉ちゃんをレスキュー隊員の人が急かした。だから、アカネ姉ちゃんは俺を気にしながらもそっちに戻るしかなかった。

「悪い。また改めてな!」

 手を振ったアカネ姉ちゃんたちが先に去っていく中、兄貴がぽつりと言った。

「じゃあ、俺たちも帰ろう」
「うん」

 さすがに疲れた一日だったな……
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