蛙の神様

五十鈴りく

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◇20

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 その後、風呂の順番が回ってくる前に部屋に戻ってスマホをチェックした。
 アキからの連絡は――メールが一件あった。

 俺はもう、心臓がギリギリ痛んでなかなかそれを開けなかった。でも、返信しなくちゃいけないから、勇気を振り絞って開いた。そのメールの日付は、アキの両親が怒鳴り込んできた日だったから、俺は数日間無視していたみたいに思われている。

 そうじゃないんだ。返信できない状況だっただけで、無視したんじゃない。
 まずはそれを伝えないと――

『カケルちゃんにまた迷惑をかけて
 本当にごめんね

 カケルちゃんは悪くないって
 一生懸命言ったんだけど
 でも 聞いてもらえなくて…

 ごめんね カケルちゃん
 時間はかかるかもしれないけれど
 わたし ちゃんとわかってもらえるように
 がんばるから

 だから 嫌いにならないで…』

 アキも向こうで戦ってくれている。
 この文面からそれを感じた。一度諦めたことを後悔してくれているから、今度こそはと思うのかな。

 俺も同じだからわかる。その戦いは孤独で、つらい。
 家族が好きなアキならなおさらだ。

 もういいよって言ってあげた方がいいのか、ありがとう、頑張れって伝えた方がいいのか、どっちがアキのためになるのかはわからない。
 わからないから、俺は俺の正直な気持ちを伝えるだけだ。

『返信遅れてごめんな
 スマホが壊れてて

 アキががんばってくれるのは嬉しいけど
 無理はしすぎないようにな

 俺はアキを
 嫌いになったことなんてないよ

 いつだって
 アキのことが好きだから』

 こんなこと、メールで伝えたくないのに、会えないから。
 でも、今、どうしても伝えたい気持ちが溢れて収まらなくて、俺はそのメールをアキに送った。その返信をただ待つ間に、風呂に入れと言われて風呂へ行った。
 戻った時には返事があるかな……



 風呂にはアツムがついてこなかった。どうやら兄貴と入ったらしい。まあ、楽でいいんだけど。
 さっさと風呂を済ませて、髪もちゃんと乾かさないまま急いで部屋に戻ろうとしたら、どういうわけだか兄貴がついてきた。

「何?」

 思わず振り返って訊くと、兄貴は笑顔で急に俺の肩を叩きながら俺の部屋になだれ込んだ。力はやっぱり兄貴の方が強くて、踏ん張る間もなかった。

「まあまあ、久々に腹割って話そうかなと」

 俺を部屋に放り投げてから、兄貴は後ろ手で戸を閉めた。そうして、部屋のど真ん中にあぐらを掻く。

「……なんか話すことあんのか?」

 俺が起き上がって不機嫌に訊き返すと、それでも兄貴は大人ぶった様子で笑った。

「お前が俺に聞いてほしいこともあるだろうなって」
「別にない」
「なくないだろ。一応、色々とあったってことだけは聞いたけど、お前の言い分は聞いてないからな。お前からも話を聞いてやろうかと思って。俺はその場にいなかったし、まだ話しやすいだろ?」

 兄貴はさ……なんだろう。いつも俺に偉そうにしていて、そのくせ、俺が弱っている時にはこうして理解しようとしてくれている。それが不思議と伝わる。

 俺は大人しく兄貴の前に座ると、ポツリ、ポツリ、とここ最近のことを話し始めた。ただ、トノが偽文書を作ったことは伏せた。言わなくてもじいちゃんにはバレているかもしれないけど、あんまり巻き込みたくないし。

 アキと小さい頃によく遊んでいたこと、最近変質者に狙われていて、その現場に居合わせて阻止したこと。メールや電話でやり取りをして、一緒に出掛けたりもしたこと。

「俺が棚田村のヤツだから気に入らないって、それは俺が頑張ったってどうにもできないことだろ。そういうのはキツイ。俺のどっかが駄目だって言うなら、頑張って直したいって思えるけど……」

 我慢していた弱音は、兄貴のどこか大らかな雰囲気の前にさらけ出していた。俺はもう、大人たちが思うほどに子供じゃないつもりだったのに、今の自分はやっぱり情けないのかな。
 兄貴は静かにうなずいて、そうして俺の頭をポンポン、と叩いた。

「お前のいいところは俺たち家族がよく知ってるから、あんまり思いつめるな」
「なんだよ、それ……」

 面と向かって殺し文句だとか、そんなこと言う兄貴はどうなっているんだろう。園田のばあちゃんが褒めるのは、こういうタラシなところか。

 不覚にもちょっと涙がにじむから、俺はそれを覚られないようにしてうつむいた。
 兄貴は笑って、穏やかな声で言う。

「お前は馬鹿だけど、優しいヤツだからな」

 ……それ、褒めた?
 馬鹿なの、俺?

 いや、もう突っ込むのも疲れる。気力が持たない。どっと疲れた。
 脱力してベッドに身を投げ出した俺。兄貴は俺のベッドに背中を預けて、そうして天井を見上げながらつぶやく。

「本当は、お前がいうように皆仲良くするのが一番なんだ。でも、色々なことがありすぎて、何が正しいのかわからなくもなってるんじゃないかな」
「兄貴?」

 俺が起き上がると、兄貴は首を傾けて俺を見た。

「うん、一応親父の次は俺が家を継がないといけないんだろうし。今まで、疋田村とのことは触れちゃいけないって、それこそ幼稚園くらいにはもう感じて、俺も考えることを無意識に避けていたのかもしれない。これからどうするのが一番なのかな……」

 長男って大変だなってこの時に思った。兄貴は何を受け継いで、どういうふうに村を残していくんだろう?

 ……ええと、兄貴が部屋にいると嫌ってわけじゃなかったんだけれど、ほら――アキとのメールがあれからどうなったのかが気になる。かといって今開いて兄貴に見られたらと思うと、兄貴が出ていってからじゃないと見られない。
 俺は仕方がないから狸寝入りを決め込むことにした。

「――カケル?」

 お休み三秒という特技を持つ俺は、いつも振り返ると寝ていると言われた。だからこの狸寝入りもまったく疑われなかった。

「ほんっと、寝るの早いなぁ」

 なんて兄貴がぼやいている。で、俺が下敷きにしていたタオルケットを俺の下から引き抜くと、兄貴はそれを俺の上にかけてくれた。
 そうして、電気を消した。暗くなったのがまぶたの裏からでもわかる。その後、兄貴が部屋を出て戸を閉めたのも感じた。

 よし、これでメールが見られる。そう思ってほんの少しまぶたを持ち上げたら、廊下で話し声がした。暗闇の中で体を横たえているせいか、耳が研ぎ澄まされていた。

「……カケルは寝たのか?」
「ああ。あいつの寝つきのよさは才能だと思う」

 俺のいいところって、まさかそれじゃないよな?

 会話の相手はどうやら親父だった。もしかして、親父が兄貴に俺から事情を聞き出すように頼んだんじゃないだろうな?
 今になってそんなふうにも思えた。あっさり喋った俺はやっぱり馬鹿なのかもしれない。

 ドキドキとしながら聞き耳を立てていると、兄貴の苦笑したみたいな声が聞こえた。

「大丈夫だって。カケルはそんなに弱くないから」
「そうか」
「親父も心配性だな。俺に、帰ってきてカケルの話を聞いてやってほしいとか、お前はカケルの味方でいてやってくれとか言ってさ」

 なんだそれは。親父、兄貴にそんなこと頼んだのか?
 あの時はあんなに怒って殴ったくせに、気にしているとか変だ。親父って、なんであんな不器用なんだろう。

「シノブも忙しいのに、悪かったな」
「いいよ別に、家族だし。カケルは弟だし。……まあ、カケルの言い分も聞いたけど、ここはカケルの味方ってことで親父たちにはなんにも言わない。ただ、周りからは馬鹿だなって思えても、カケルはいつだって真剣だってこと」

 また馬鹿って言った。一日に何回言うんだよ。
 腹が立つのかもよくわからない。でも、数年先に産まれただけだってのに、兄貴は俺の兄貴で、弟の俺のことを理解しようとしてくれているのはわかった。
 頭ごなしには言わない。今はそれが嬉しかった。

 色々な感情が込み上げてきて涙がでそうになる。俺はそれを振りきるように首を振った。親父が何かをぼそぼそと言って、そうして親父と兄貴は去った。
 俺はそっと、物音を立てないようにしながらスマホの画面を開く。暗がりの中、ブルーライトが眩しい。

 アキからの返信は――なかった。
 ない。
 え? 来てない?

 その意味を考えると怖い。
 俺、調子に乗りすぎた? 段取り間違えた?
 恥ずかしさと焦りとで俺はベッドの上で悶絶した。でも、次第に冷静さを取り戻す。

 もしかして、俺と連絡を取れないようにスマホ取り上げられたとか。返信の文章に悩んでいるとか。俺だって今日までスマホを使えない状況だったし、何かあるのかもしれない。

 今、結論を出すのは危険だ。もう少し待とう。
 俺はそうやって自分を落ち着けながらスマホを手放すと、そっとまぶたを閉じた。
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