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*12*好き
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呼び出しのコールは五回目にしてプツリと切れた。
子機から控えめな声が返る。
『名塚?』
久し振りの白澤の声。なんとなく高く感じるのは、やっぱり久し振りだからかな。
「久し振り。白澤――もうこっちに戻ってるんだよな?」
電話を握る手がなんとなく汗ばんでいた。今までに何回も電話しているのに、どうして今さら緊張しているんだか、自分でもよくわからない。
『うん、昨日からね。そう、それで名塚にお土産を渡したいから、明日にでも会える?』
「明日なら大丈夫。数学の宿題が何問か解けてなから、それも教えてほしいな」
『いいよ。テキスト、明日持ってきてね』
「うん。昼の一時に白澤の家の近くの公園で待ってる」
『わかった。じゃあ明日ね』
会話の終盤はリズミカルに終えた。僕は電話を切ると、受話器を手にしたまま、部屋の床へ後ろ向きに倒れ込む。
天井を見上げながらぼんやりと考えた。
白澤の声、上機嫌に弾んでいた。
それはやっぱり、東京に行けて気が晴れたってことなのかな。向こうの友達にも会えて、すごく楽しかったんだろう。
この町も、僕も、東京に勝る楽しい時間を白澤に与えられないんだろうか――
そう考えたら地味にへこんだ。
●
僕は次の日、宿題の冊子にシャーペンを挟んで、それを小脇に抱えながら家を出た。時間にはゆとりがあるのに、僕は気づけば駆け足だった。
スニーカーがアスファルトを蹴って僕を先へと進ませる。急いだって、白澤は時間にならなくちゃ来ないのに。
それでも僕は止まらなかった。駆け抜けて、視界の先に公園に植えられた銀杏の木の緑が見える。
息を整えながら入口へ近づくと、ベンチに女の人が二人いた。ベビーカーを二台手前に停めて喋っている。
前に来た時と違って人がいる。知らない人だから見られても困らないけど、二人きりの僕たちをどう思うんだろう。そう考えたら落ち着かない。
それでも僕は、屋根つきのテーブルがあるところへ移った。木の丸椅子に触れてみるとザラリとする。机も。
僕は手で軽くその辺りを払っておく。そうして椅子のひとつに座った。
冊子を机に置いて、そして、ぼうっとした。ぼうっとというより、色々と考えていた。でも、考えはまとまらないままに時間だけが過ぎていって、そのうちに足音がした。
とっさに僕は音がした方に顔を向ける。そうしたら、大きめのトート型をした籠バッグを肩に引っかけた白澤が走ってきた。
久々の白澤は、つばの広い麦わら帽子と白いワンピースに白いサンダル。いつもバスケしたりするせいか、僕と会う時、白澤が制服以外のスカートを履いているのは見たことがなかった。
夏らしい爽やかな恰好で、誰もが振り返るくらい似合っている。そんな恰好で笑いかけるのは反則だと思う。
「早いね、名塚」
久々のその笑顔は、僕が今まで見たどんな時より嬉しそうに輝いていた。だから僕はそんな白澤に反比例して悲しくなった。
ああ、そんなに東京は楽しかったんだって、胸がチリチリする。
「そうでもないけど……」
そう返した僕の声がすごく沈んでいたことに白澤は気づいてくれた様子もなかった。大きい籠バッグに手を入れ、ゴソゴソと何かを取り出す。
その淡いグリーンの袋を白澤は僕に手渡した。ピンクのリボンがかかっていて、可愛くラッピングしてある。
「はいこれ。東京のお土産。あたしがお気に入りのお店のクッキー。フランス帰りのパティシエのお店で、ちょっと並ばないと買えないんだけど、頑張って並んだの。すごく美味しいから絶対気に入ると思う」
ニコニコと、それは嬉しそうに語る。僕はそれを受け取りながらやっぱり切ない気持ちになった。
フランス帰りのパティシエの店なんてこの辺りにはない。こんな洒落たお菓子を並んで買うとか、そういう経験も僕にはない。
並ぶくらいなら予約すればいいのに――なんて、拗ねたことを思いながら礼を言う。
「ありがと」
うん、と白澤は笑顔でうなずいた。
その晴れやかな顔に僕はそっと訊ねた。
「東京、楽しかった? ――なんて、聞くまでもないか」
「もちろん。久々にみんなに会って、いっぱい話した。こっちじゃ名塚としか話してないから、話したいことがいっぱいで」
僕としか話してないのは白澤のせいじゃないか。そんなに話したいならこっちのクラスでも仲良くしたらいいのに。
僕がそんなふうに感じたのに気づいたのか、白澤は少しだけ慌てた様子で麦わら帽子を脱ぐと僕の隣の椅子に座った。
「そう、宿題ね。わからないところって何ページ?」
「三十八ページの問三」
「三十八ね。ええと……」
バッグから冊子を取り出し、パラパラとめくる。そよ風が僕にかかった。
「ああ、これ? αの値を求めなさい、か……」
飾り気のないシャーペンの先でトントン、と問題を指す。白澤の冊子は白かった。まだ宿題にはほとんど手をつけていないんだ。東京に浮かれているから。
でも、白澤はスラスラとその問題を解き始めた。シャーペンで書くのももどかしいくらい、白澤の頭の中には答えがもう出ているんだ。
「ここをね、X=1とするから――」
「うん」
僕はわかったような顔をしたけど、サラリと零れた白澤の髪から甘い匂いがして、それで数式がまるで頭に入らなかった。でも、それが疚しくて、わからないとか、もう一度とか言えなかった。
「――だから、α=7ってこと。わかった?」
「ん。ありがと」
笑ってごまかした僕。僕は一体何しているんだろう。
そう、僕の意識はこの間からずっと、ひとつのことばかりを考えるようになっている。だから、こんなにも落ち着かない。それさえクリアできればこの現状も変わるのかな?
このままじゃ駄目だと、僕は思いきって白澤に顔を向けた。白澤は不思議そうに僕を見る。
「あのさ、白澤」
「うん」
「前に夏祭に行かないかって誘ったの覚えてる?」
覚えてなかったとしても不思議はない。それくらい、普段の会話の端っこだった。でも、白澤は覚えていてくれた。
「覚えてるよ。あたし、考えとくって言ったよね」
「うん……」
白澤がすごく申し訳ないような顔をしたから、僕は一瞬にして、余計なことなんて言わなきゃよかったって思った。
電話口で訊けばよかったんだ。そうしたら、こんな表情は見なくて済んだ。僕は後悔で震えていたのに、白澤はあっさりと言った。
「ごめん。ええと……考えとくって言い方、わかりづらかったよね。あのね、あたし、行く気がなかったらその場で断ってるから、考えとくって言った時点で行くつもりはしてたんだけど」
行くつもりをしていたなら、素直に行くって答えてよ。
なんで考えとく、なんて曖昧に濁すんだよ。
そう思ったけれど、そこで素直に笑顔で『行く』って答えられないのが、ひねくれ者の白澤なんだ。今ならそれがわかる。
最初の『ごめん』に僕の心臓が破裂しそうだったことなんて、白澤はまったくわかってない。
僕はかなり頑張って平静を保ってみせた。最初の一音が震えないように必死だった。
「そうなんだ? じゃあ、夜の六時に迎えに行くよ」
「うん」
でも、その時僕は気づいてしまった。
二人でいるところをクラスメイトに見られたらどうするのかって。
そのことを怖くて訊けない、そう思ったけど、訊かなかったらもっと怖いことになる。だから、言わないわけにはいかなかった。
「……でも、夏祭にはクラスの連中も来るから、僕と一緒にいるところ見られてもいい? そしたらもうこうやって会わないとか言わない?」
これを言った僕の顔は強張っていたのかな。白澤はびっくりしたみたいに瞬いた。
「あれは――そんなに深い意味で言ってない」
深い意味で言ってないって、なんだそれ。僕はそのひと言にすごく翻弄されていたのに。
ほんとにややこしい子だなって思う。でも、そんなことで嫌いになったりはできないみたいだ。
あのセリフに深い意味なんてない方がいい。ない方が嬉しい。
「そっか」
僕はそれだけ言ってようやく息をつけた。
その日、僕は家に帰ってからずっと、何も手につかないまま床に転がっていた。そんな僕の額にテツが手を置いて遊んでほしそうにするんだけど、僕はテツの頭を撫でながらもふやけた笑い顔になっていたと思う。
こういう気持ちって、やっぱり好きってことなんだろうか。
僕はそれを自覚した。智哉が戸上に対するみたいに、僕も白澤を特別に感じている。
遅かったのか、早かったのかはわからない。
でも、僕はこういう気持ちが急に湧いて出たみたいに思えた。最初から胸のどこかにはあったのかもしれないけれど、気づいたのは今なんだ。
白澤は僕のことを友達程度に思っているんだろう。
それでもいいんだ。白澤にとってこの町で一番身近な友達なら、今はそれで十分だから。
子機から控えめな声が返る。
『名塚?』
久し振りの白澤の声。なんとなく高く感じるのは、やっぱり久し振りだからかな。
「久し振り。白澤――もうこっちに戻ってるんだよな?」
電話を握る手がなんとなく汗ばんでいた。今までに何回も電話しているのに、どうして今さら緊張しているんだか、自分でもよくわからない。
『うん、昨日からね。そう、それで名塚にお土産を渡したいから、明日にでも会える?』
「明日なら大丈夫。数学の宿題が何問か解けてなから、それも教えてほしいな」
『いいよ。テキスト、明日持ってきてね』
「うん。昼の一時に白澤の家の近くの公園で待ってる」
『わかった。じゃあ明日ね』
会話の終盤はリズミカルに終えた。僕は電話を切ると、受話器を手にしたまま、部屋の床へ後ろ向きに倒れ込む。
天井を見上げながらぼんやりと考えた。
白澤の声、上機嫌に弾んでいた。
それはやっぱり、東京に行けて気が晴れたってことなのかな。向こうの友達にも会えて、すごく楽しかったんだろう。
この町も、僕も、東京に勝る楽しい時間を白澤に与えられないんだろうか――
そう考えたら地味にへこんだ。
●
僕は次の日、宿題の冊子にシャーペンを挟んで、それを小脇に抱えながら家を出た。時間にはゆとりがあるのに、僕は気づけば駆け足だった。
スニーカーがアスファルトを蹴って僕を先へと進ませる。急いだって、白澤は時間にならなくちゃ来ないのに。
それでも僕は止まらなかった。駆け抜けて、視界の先に公園に植えられた銀杏の木の緑が見える。
息を整えながら入口へ近づくと、ベンチに女の人が二人いた。ベビーカーを二台手前に停めて喋っている。
前に来た時と違って人がいる。知らない人だから見られても困らないけど、二人きりの僕たちをどう思うんだろう。そう考えたら落ち着かない。
それでも僕は、屋根つきのテーブルがあるところへ移った。木の丸椅子に触れてみるとザラリとする。机も。
僕は手で軽くその辺りを払っておく。そうして椅子のひとつに座った。
冊子を机に置いて、そして、ぼうっとした。ぼうっとというより、色々と考えていた。でも、考えはまとまらないままに時間だけが過ぎていって、そのうちに足音がした。
とっさに僕は音がした方に顔を向ける。そうしたら、大きめのトート型をした籠バッグを肩に引っかけた白澤が走ってきた。
久々の白澤は、つばの広い麦わら帽子と白いワンピースに白いサンダル。いつもバスケしたりするせいか、僕と会う時、白澤が制服以外のスカートを履いているのは見たことがなかった。
夏らしい爽やかな恰好で、誰もが振り返るくらい似合っている。そんな恰好で笑いかけるのは反則だと思う。
「早いね、名塚」
久々のその笑顔は、僕が今まで見たどんな時より嬉しそうに輝いていた。だから僕はそんな白澤に反比例して悲しくなった。
ああ、そんなに東京は楽しかったんだって、胸がチリチリする。
「そうでもないけど……」
そう返した僕の声がすごく沈んでいたことに白澤は気づいてくれた様子もなかった。大きい籠バッグに手を入れ、ゴソゴソと何かを取り出す。
その淡いグリーンの袋を白澤は僕に手渡した。ピンクのリボンがかかっていて、可愛くラッピングしてある。
「はいこれ。東京のお土産。あたしがお気に入りのお店のクッキー。フランス帰りのパティシエのお店で、ちょっと並ばないと買えないんだけど、頑張って並んだの。すごく美味しいから絶対気に入ると思う」
ニコニコと、それは嬉しそうに語る。僕はそれを受け取りながらやっぱり切ない気持ちになった。
フランス帰りのパティシエの店なんてこの辺りにはない。こんな洒落たお菓子を並んで買うとか、そういう経験も僕にはない。
並ぶくらいなら予約すればいいのに――なんて、拗ねたことを思いながら礼を言う。
「ありがと」
うん、と白澤は笑顔でうなずいた。
その晴れやかな顔に僕はそっと訊ねた。
「東京、楽しかった? ――なんて、聞くまでもないか」
「もちろん。久々にみんなに会って、いっぱい話した。こっちじゃ名塚としか話してないから、話したいことがいっぱいで」
僕としか話してないのは白澤のせいじゃないか。そんなに話したいならこっちのクラスでも仲良くしたらいいのに。
僕がそんなふうに感じたのに気づいたのか、白澤は少しだけ慌てた様子で麦わら帽子を脱ぐと僕の隣の椅子に座った。
「そう、宿題ね。わからないところって何ページ?」
「三十八ページの問三」
「三十八ね。ええと……」
バッグから冊子を取り出し、パラパラとめくる。そよ風が僕にかかった。
「ああ、これ? αの値を求めなさい、か……」
飾り気のないシャーペンの先でトントン、と問題を指す。白澤の冊子は白かった。まだ宿題にはほとんど手をつけていないんだ。東京に浮かれているから。
でも、白澤はスラスラとその問題を解き始めた。シャーペンで書くのももどかしいくらい、白澤の頭の中には答えがもう出ているんだ。
「ここをね、X=1とするから――」
「うん」
僕はわかったような顔をしたけど、サラリと零れた白澤の髪から甘い匂いがして、それで数式がまるで頭に入らなかった。でも、それが疚しくて、わからないとか、もう一度とか言えなかった。
「――だから、α=7ってこと。わかった?」
「ん。ありがと」
笑ってごまかした僕。僕は一体何しているんだろう。
そう、僕の意識はこの間からずっと、ひとつのことばかりを考えるようになっている。だから、こんなにも落ち着かない。それさえクリアできればこの現状も変わるのかな?
このままじゃ駄目だと、僕は思いきって白澤に顔を向けた。白澤は不思議そうに僕を見る。
「あのさ、白澤」
「うん」
「前に夏祭に行かないかって誘ったの覚えてる?」
覚えてなかったとしても不思議はない。それくらい、普段の会話の端っこだった。でも、白澤は覚えていてくれた。
「覚えてるよ。あたし、考えとくって言ったよね」
「うん……」
白澤がすごく申し訳ないような顔をしたから、僕は一瞬にして、余計なことなんて言わなきゃよかったって思った。
電話口で訊けばよかったんだ。そうしたら、こんな表情は見なくて済んだ。僕は後悔で震えていたのに、白澤はあっさりと言った。
「ごめん。ええと……考えとくって言い方、わかりづらかったよね。あのね、あたし、行く気がなかったらその場で断ってるから、考えとくって言った時点で行くつもりはしてたんだけど」
行くつもりをしていたなら、素直に行くって答えてよ。
なんで考えとく、なんて曖昧に濁すんだよ。
そう思ったけれど、そこで素直に笑顔で『行く』って答えられないのが、ひねくれ者の白澤なんだ。今ならそれがわかる。
最初の『ごめん』に僕の心臓が破裂しそうだったことなんて、白澤はまったくわかってない。
僕はかなり頑張って平静を保ってみせた。最初の一音が震えないように必死だった。
「そうなんだ? じゃあ、夜の六時に迎えに行くよ」
「うん」
でも、その時僕は気づいてしまった。
二人でいるところをクラスメイトに見られたらどうするのかって。
そのことを怖くて訊けない、そう思ったけど、訊かなかったらもっと怖いことになる。だから、言わないわけにはいかなかった。
「……でも、夏祭にはクラスの連中も来るから、僕と一緒にいるところ見られてもいい? そしたらもうこうやって会わないとか言わない?」
これを言った僕の顔は強張っていたのかな。白澤はびっくりしたみたいに瞬いた。
「あれは――そんなに深い意味で言ってない」
深い意味で言ってないって、なんだそれ。僕はそのひと言にすごく翻弄されていたのに。
ほんとにややこしい子だなって思う。でも、そんなことで嫌いになったりはできないみたいだ。
あのセリフに深い意味なんてない方がいい。ない方が嬉しい。
「そっか」
僕はそれだけ言ってようやく息をつけた。
その日、僕は家に帰ってからずっと、何も手につかないまま床に転がっていた。そんな僕の額にテツが手を置いて遊んでほしそうにするんだけど、僕はテツの頭を撫でながらもふやけた笑い顔になっていたと思う。
こういう気持ちって、やっぱり好きってことなんだろうか。
僕はそれを自覚した。智哉が戸上に対するみたいに、僕も白澤を特別に感じている。
遅かったのか、早かったのかはわからない。
でも、僕はこういう気持ちが急に湧いて出たみたいに思えた。最初から胸のどこかにはあったのかもしれないけれど、気づいたのは今なんだ。
白澤は僕のことを友達程度に思っているんだろう。
それでもいいんだ。白澤にとってこの町で一番身近な友達なら、今はそれで十分だから。
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