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番外編
番外編「すえひろがり」六
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日が沈みきる前に帰路につく。
帰り道、すえは母と手を繋いで歩いた。血が繋がらないのだと知ってしまったのに、何故だかいつもよりも余計に母の情が伝わる。
「ねえ、おすえ」
「うん――」
「あんたの本当のおっかさんは生きているんだよ」
「えっ」
「それから、すえって名前はね、うちに来る前からついていたのさ。うちに来た時に違う名前で育てるかって話しもしたんだけど、変えなかったのは、あんたの本当のおっかさんへのせめてもの感謝なんだ」
いつか、と言って母はすえに目を向ける。辺りは暗くてよく見えないのに、母が笑ったことだけは不思議とわかった。
「いつか会うことがあったら、おすえを産んでくれてありがとうって言わなくちゃね」
産みの母と育ての母。
似通ったところはあるのだろうか。
すえは、もしかするとその産みの母に似た顔立ちをしているのかもしれない。
自分に似たその顔を前に、すえは何を思うだろうか。
その時になってみないとわからないけれど、この母がそばにいてくれるなら、産みの親が手放したことを恨まずにいられる気がする。
産んでくれてありがとう、とすえも言えるだろうか。
長屋へ戻ると、かつと松が泣きながら待っていて謝られた。悪気がないのはわかっている。そんなにも泣かれると、すえは平気だとしか言えなかった。
「また、三太たちと遊びにいくから」
「おすえちゃん――」
精一杯のやり取りをしたすえを、母の手が誇らしげに撫でてくれた。
そうして家に戻ると、中からは行灯の灯りが漏れていた。戸を開けると、父が背を向けて座っていた。大きな体がひと回り小さく見えて驚いた。
陽気で優しい父には、少ぅし気の弱いところもある。すえに、本当のおとっつぁんじゃないくせに、などと言われる時を恐れていたりするのだろうか。
もう、本当も何もない。すえにとっての母が里であるように、父はこの安吉しかいないのだ。
すえはその背中に堪らなくなって呼びかけた。
「おとっつぁんっ」
履物を脱ぐのも忘れて父の背中に飛びつく。すると、振り返った父はすえを抱え込んで野太い声で泣いた。
「なぁんにも心配すんなっ。おすえのことは俺がずっと守る。なあ、だから――っ」
「うん」
母もすえを挟んで父の肩に手を回し、三人で寄り添った。すると、誰のものかわからないけれど、ぐぅ、と腹の虫が鳴いた。三人の涙がピタリと止まる。
「あたしじゃないからね」
「俺じゃねぇよ」
「あたしも違う」
擦りつけ合い、そうして顔を見合わせて笑った。
「はいはい、今から支度するから。おすえも手伝っておくれよ」
母の優しい声に、すえは思いきりうなずいた。
「うんっ」
血を分けていても不仲で折り合いが悪い親子もいる。
まったくの赤の他人がこうして親子として暮らしていることもある。
親子とは、一体なんなのだろうか。
血が繋がらない分、それを補っているものが、少なくともすえたちの間にはあるのではないだろうか。この時、すえはそんなふうに思えた。
すえは十。
この先の長い生涯、どんなことが起こるのかはわからない。今日のことも、昨日まではまるで考えてもみなかったのだ。困難は多く、生きにくい世であるのかもしれない。
けれど、それでもすえはこの先も仕合せが続くのではないかと感じた。
すえは、末広がりのすえなのだから。
これからもっと、明るく開けていく。
そう信じて、母のような笑顔で過ごそうと、すえは心に決めた。
―了―
帰り道、すえは母と手を繋いで歩いた。血が繋がらないのだと知ってしまったのに、何故だかいつもよりも余計に母の情が伝わる。
「ねえ、おすえ」
「うん――」
「あんたの本当のおっかさんは生きているんだよ」
「えっ」
「それから、すえって名前はね、うちに来る前からついていたのさ。うちに来た時に違う名前で育てるかって話しもしたんだけど、変えなかったのは、あんたの本当のおっかさんへのせめてもの感謝なんだ」
いつか、と言って母はすえに目を向ける。辺りは暗くてよく見えないのに、母が笑ったことだけは不思議とわかった。
「いつか会うことがあったら、おすえを産んでくれてありがとうって言わなくちゃね」
産みの母と育ての母。
似通ったところはあるのだろうか。
すえは、もしかするとその産みの母に似た顔立ちをしているのかもしれない。
自分に似たその顔を前に、すえは何を思うだろうか。
その時になってみないとわからないけれど、この母がそばにいてくれるなら、産みの親が手放したことを恨まずにいられる気がする。
産んでくれてありがとう、とすえも言えるだろうか。
長屋へ戻ると、かつと松が泣きながら待っていて謝られた。悪気がないのはわかっている。そんなにも泣かれると、すえは平気だとしか言えなかった。
「また、三太たちと遊びにいくから」
「おすえちゃん――」
精一杯のやり取りをしたすえを、母の手が誇らしげに撫でてくれた。
そうして家に戻ると、中からは行灯の灯りが漏れていた。戸を開けると、父が背を向けて座っていた。大きな体がひと回り小さく見えて驚いた。
陽気で優しい父には、少ぅし気の弱いところもある。すえに、本当のおとっつぁんじゃないくせに、などと言われる時を恐れていたりするのだろうか。
もう、本当も何もない。すえにとっての母が里であるように、父はこの安吉しかいないのだ。
すえはその背中に堪らなくなって呼びかけた。
「おとっつぁんっ」
履物を脱ぐのも忘れて父の背中に飛びつく。すると、振り返った父はすえを抱え込んで野太い声で泣いた。
「なぁんにも心配すんなっ。おすえのことは俺がずっと守る。なあ、だから――っ」
「うん」
母もすえを挟んで父の肩に手を回し、三人で寄り添った。すると、誰のものかわからないけれど、ぐぅ、と腹の虫が鳴いた。三人の涙がピタリと止まる。
「あたしじゃないからね」
「俺じゃねぇよ」
「あたしも違う」
擦りつけ合い、そうして顔を見合わせて笑った。
「はいはい、今から支度するから。おすえも手伝っておくれよ」
母の優しい声に、すえは思いきりうなずいた。
「うんっ」
血を分けていても不仲で折り合いが悪い親子もいる。
まったくの赤の他人がこうして親子として暮らしていることもある。
親子とは、一体なんなのだろうか。
血が繋がらない分、それを補っているものが、少なくともすえたちの間にはあるのではないだろうか。この時、すえはそんなふうに思えた。
すえは十。
この先の長い生涯、どんなことが起こるのかはわからない。今日のことも、昨日まではまるで考えてもみなかったのだ。困難は多く、生きにくい世であるのかもしれない。
けれど、それでもすえはこの先も仕合せが続くのではないかと感じた。
すえは、末広がりのすえなのだから。
これからもっと、明るく開けていく。
そう信じて、母のような笑顔で過ごそうと、すえは心に決めた。
―了―
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みんなの感想(12件)
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番外編、「短夜のおと」「すえひろがり」、続けて拝読しました。
どちらも、心にずしりときましたね。
前者は、出産に際したときの度胸のすわった女子に対し、初めて父親になる男の揺れ動く心境が手に取るようにわかりましたし、後者は誰も悪気がなかった中で傷ついてしまったすえちゃんの心が再び周りの人間の心によって温められていく様がよくわかりました。
時代小説ながら、今まさに目の前で起こっているかのような、そんな気持ちにさせてくれる作品でした!
ご感想をありがとうございます!
こちらの番外編にまでお付き合い頂き、恐縮です。
仰る通り、現代にも置き換えられるネタです。
いつの時代も人は変わっていくようで変わらない部分もあったりするのかも。
少しでも共感して頂けるところがあれば嬉しいです(^^)
ご丁寧にありがとうございました!
ありがとうございました! *ネタバレご用心*
ここ数日、私はすえちゃんの肩に乗って江戸探訪をしてる気分だった! ますます磨きがかかる五十鈴さんの端整な筆さばきで、長屋暮らしや手習い所……江戸の毎日を堪能しました。カタチばかりじゃないよ。ここには江戸に生きる人々の想いがギゥッと詰まっていた! 明るく娘に「てつだっておくれ」と言う母親、子守を頼み、また進んで赤ちゃんの世話をする子供たち。手習い所での、書きつぶして真っ黒な半紙(しかも幼い子の面倒までみてる!)も良かった!……井戸端のおしゃべり(時に明け透け過ぎる?)は日常を彩る大切なファクトだし。ギュッと言えば、最初と最後を飾った親子三人が一塊になってギュッと抱き合うシーン、最高!
後半は(作者のまんまと術中に嵌って)泣いちゃったよ! てやんでぃ、湿っぽくない涙が、江戸っ子流だい(*´σー`)エヘヘ
「すえひろがり」のタイトルからして、心に染み入る物語を、堪能しました!
ご感想をありがとうございます!
肩に乗って……(想像中)
昔は家族ばかりでなく長屋の人たちも一丸となって子育てしたとのことですので、そういう感じが出ていたら嬉しいです。
その代わり、プライバシーって何? ですよね。今とは色んな感覚が違って、それがまた良くも悪くもあったんだろうなと。
夫婦ももとは赤の他人。三人ともまったく血の繋がりのない家族ですが、お互いが大事に思い合えばそれで十分かと。
お涙頂戴しました(/・ω・)/(笑)
お付き合い頂き、ありがとうございます!!
sanpoさんのこれからも「すえひろがり」でありますように!
今回のお話も良かったです!!
*ネタばれ注意
末広がりの『末』
とても良い言葉です。確かにあの頃は『末』だの『留』だのが末子に(もしくは打ち止めの願いをこめて)つけられていました。お友達の疑問ももっともなことなのですが、その『末』がこんなに素敵な名前になるなんて!!
ご両親の愛情を凄く感じました。
それでいて、いつかは本当のことを伝えるつもりだったのですね。
生みの親もまた、親ではあります。
亭主さえしっかりしていたら、手放さずにすんだのに……。
それでも、こんなに愛され、真っ直ぐに育った娘をいつか見ることができたなら喜んでくれますよね(^^)
うんうん。きっと仕合せは続いていきますとも!!
ご感想をありがとうございます!
そう、「すえ」はそういう意味で名づけられたのですが、事情が変わりましたので、その名前が合致しないんですよね。でも、「すえ」はすでにその名前で過ごした歳月もありますし、その名前だけが産みの親との繋がりですから。
本当のことは言わなくてもいつか知ることになるんじゃないかと思っていたので、そうなる前に教えなくちゃ――くらいには思っていましたが、ちょっと手遅れに。
あそこは亭主がダメでしたが、子供たちはよく育って母を助けているので、それがせめてもの救いでしょうか。それでもすえのことを皆は忘れずにいます。おすえはどうしてるかな、と軽く口に出せるのは、養い親のもとで幸せにしていると思うからこそですね。
では、ご丁寧にありがとうございました!!