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番外編
番外編「すえひろがり」三
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夢の中のすえは泣くことしかできない赤子だった。
そんなすえを、子供たちがあやしてくれる。
一人――二人――何人も入れ替わり、代わる代わるあやしてくれた。けれど、小さい方の男の子は抱き方がぎこちない。不安になってすえはぎゃあぎゃあと泣いてしまった。
「泣くなよ、泣きやんでおくれよ。頼むよ、おすえ」
困った声で口早に語りかける。けれど、苛立ちと焦りがすえに伝わる。だから余計に悲しくなってすえは声を大きくして泣き続けた。そうしたら、男の子はすえの頬をつねった。
「うるさいったらっ」
痛みよりも驚きで、すえは狂ったように泣き叫んだ。その途端、小さな女の子がすえたちのいたあばら家に駆け込んできた。顔もよくわからない、けれど小さな女の子だ。
女の子は舌ったらずの口調で言った。
「ちぃにいちゃん、何したの。おすえがこんなに泣くなんて」
「何って、泣きやんでくれねぇんだよ。おすえはきっとおれのことが嫌いなんだ」
不貞腐れた声だった。その『ちぃにいちゃん』もまた、泣き出しそうだったのかもしれない。
小さい女の子は『ちぃにいちゃん』から泣いているすえを受け取った。小さい女の子は、体は小さいのにあたたかくて、『ちぃにいちゃん』の腕の中よりもよほど居心地がよかった。ほっとして、すえは泣く声を少し落とした。
すると、『ちぃにいちゃん』は、ほら、やっぱり、とぼやいてそっぽを向いた。
「ちぃにいちゃんが子守りなんて面倒だとか思ってるのが伝わったんじゃない。ねぇ、おすえ」
女の子は優しくそう語りかける。『ちぃにいちゃん』は言い負かされて面白くなさそうにぼやく。
「子守りなんて、女のすることだろ。おれ、にいちゃんの手伝いしてくる」
『ちぃにいちゃん』はあばら家を走り去る。その時、入れ違いに女の人が入ってきた。その顔もちいさい女の子と同様にはっきりとは見えなかった。
ぼんやりとした女の人は駆け去った『ちぃにいちゃん』を見送りつつ、ため息をついた。
「何を拗ねてるんだい、あの子は」
「おすえが泣きやんでくれないから、きっと自分は嫌われてるなんて言って」
クスリ、と女の人は儚く笑った。
「ああ、赤ん坊に泣かれると傷つくからねぇ。おすえは腹が減ってるんだ。ただそれだけなのにね」
そう言って、女の人は女の子からすえを受け取った。女の子よりもずっと――なんて安心感なのだろう、とすえはピタリと泣くのをやめた。甘やかな香りがふわりと漂う。
この腕に勝る場所はない。
いつまでも、いつまでもここにいられたら。
そうしたら、どんなにかいいだろう――
ハッとすえは物音に驚いて飛び起きた猫のような機敏さで目覚めた。そこはまだ薄暗い夜明け前の長屋、すえの家である。左右には父と母がいる。
「あら、怖い夢でも見たの」
飛び起きたすえに気づき、母は優しく眺めるように背中をさすってくれた。そのままトン、トン、と背を叩き、すえを再び横にする。
すえの体はもう、母が抱えるには少し大きい。それでも母は細い腕で大事に包んでくれる。
――怖い夢などではなかった。
けれど、おかしな夢だ。どうしてあんな夢をみたのか、すえにもわからない。
きょうだいがいたらよかったなんて、ちらりとでも考えたからだろうか。あの子供たちは、まるですえのきょうだいのようであった。ただ、あの赤ん坊は『すえ』であったけれど、自分とは違う同じ名前の赤子であったのだろう。そんなことを考えてから、すえは急に莫迦らしいと思った。
あれは夢だ。夢に意味などない。
すえはこの家の一人娘なのだ。どうしたってあんなにたくさんの家族に囲まれる暮らしはない。
どうしてあんなおかしな夢を見たのだろう、とそうは思うけれど、あまり突き詰めて考えても仕方がない。
ただ、おかしな夢だと思うくせに、何故だか忘れられない。夢なのに、目が覚めても薄れていかない。
すえは軽く首を振った。
そうして、あたたかな母の胸に寄り添って甘えた。
そんなすえを、子供たちがあやしてくれる。
一人――二人――何人も入れ替わり、代わる代わるあやしてくれた。けれど、小さい方の男の子は抱き方がぎこちない。不安になってすえはぎゃあぎゃあと泣いてしまった。
「泣くなよ、泣きやんでおくれよ。頼むよ、おすえ」
困った声で口早に語りかける。けれど、苛立ちと焦りがすえに伝わる。だから余計に悲しくなってすえは声を大きくして泣き続けた。そうしたら、男の子はすえの頬をつねった。
「うるさいったらっ」
痛みよりも驚きで、すえは狂ったように泣き叫んだ。その途端、小さな女の子がすえたちのいたあばら家に駆け込んできた。顔もよくわからない、けれど小さな女の子だ。
女の子は舌ったらずの口調で言った。
「ちぃにいちゃん、何したの。おすえがこんなに泣くなんて」
「何って、泣きやんでくれねぇんだよ。おすえはきっとおれのことが嫌いなんだ」
不貞腐れた声だった。その『ちぃにいちゃん』もまた、泣き出しそうだったのかもしれない。
小さい女の子は『ちぃにいちゃん』から泣いているすえを受け取った。小さい女の子は、体は小さいのにあたたかくて、『ちぃにいちゃん』の腕の中よりもよほど居心地がよかった。ほっとして、すえは泣く声を少し落とした。
すると、『ちぃにいちゃん』は、ほら、やっぱり、とぼやいてそっぽを向いた。
「ちぃにいちゃんが子守りなんて面倒だとか思ってるのが伝わったんじゃない。ねぇ、おすえ」
女の子は優しくそう語りかける。『ちぃにいちゃん』は言い負かされて面白くなさそうにぼやく。
「子守りなんて、女のすることだろ。おれ、にいちゃんの手伝いしてくる」
『ちぃにいちゃん』はあばら家を走り去る。その時、入れ違いに女の人が入ってきた。その顔もちいさい女の子と同様にはっきりとは見えなかった。
ぼんやりとした女の人は駆け去った『ちぃにいちゃん』を見送りつつ、ため息をついた。
「何を拗ねてるんだい、あの子は」
「おすえが泣きやんでくれないから、きっと自分は嫌われてるなんて言って」
クスリ、と女の人は儚く笑った。
「ああ、赤ん坊に泣かれると傷つくからねぇ。おすえは腹が減ってるんだ。ただそれだけなのにね」
そう言って、女の人は女の子からすえを受け取った。女の子よりもずっと――なんて安心感なのだろう、とすえはピタリと泣くのをやめた。甘やかな香りがふわりと漂う。
この腕に勝る場所はない。
いつまでも、いつまでもここにいられたら。
そうしたら、どんなにかいいだろう――
ハッとすえは物音に驚いて飛び起きた猫のような機敏さで目覚めた。そこはまだ薄暗い夜明け前の長屋、すえの家である。左右には父と母がいる。
「あら、怖い夢でも見たの」
飛び起きたすえに気づき、母は優しく眺めるように背中をさすってくれた。そのままトン、トン、と背を叩き、すえを再び横にする。
すえの体はもう、母が抱えるには少し大きい。それでも母は細い腕で大事に包んでくれる。
――怖い夢などではなかった。
けれど、おかしな夢だ。どうしてあんな夢をみたのか、すえにもわからない。
きょうだいがいたらよかったなんて、ちらりとでも考えたからだろうか。あの子供たちは、まるですえのきょうだいのようであった。ただ、あの赤ん坊は『すえ』であったけれど、自分とは違う同じ名前の赤子であったのだろう。そんなことを考えてから、すえは急に莫迦らしいと思った。
あれは夢だ。夢に意味などない。
すえはこの家の一人娘なのだ。どうしたってあんなにたくさんの家族に囲まれる暮らしはない。
どうしてあんなおかしな夢を見たのだろう、とそうは思うけれど、あまり突き詰めて考えても仕方がない。
ただ、おかしな夢だと思うくせに、何故だか忘れられない。夢なのに、目が覚めても薄れていかない。
すえは軽く首を振った。
そうして、あたたかな母の胸に寄り添って甘えた。
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