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第一章 天よ地よ
父の声①
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城を標的とした砲撃もはじまった。
大砲の音がするたび、たくさんの悲鳴があがる。身分と性別がどうであれ、天地が揺さぶられるような状況のなかで正常な判断を保てる者はすくない。
恐怖にとりつかれた群衆が西へどっと殺到し、郭門につまって過度の密集がおこった。身をよじることすらできない人波のなかで合流と逆流のせめぎあいがはじまる。歪んではうねり、倒れてはつみかさなり、あらがえない崩落にまきこまれる。そこらじゅうから窒息しかけたうめき声がこぼれ、はぐれた家族をよぶ声であふれかえった。
郭内はおよそ四百五十家、郭外には六百家をこす武家屋敷とさらに武家長屋があり、内外あわせ二万数千人の藩士家族が暮らしていた。そこで仕える中間、女中、使用人たちもある。
町人街では前日に退避した者があっていくぶんか減っていたとはいえ、のこった一万数千の町人たちがいっせいに郭の南西へ偏ったのだからたいへんな混雑になった。
しかも今つかえる郭門は二つか三つしかない。
そもそも防衛のためにある城郭の虎口とは、人馬の出入りをはばむようにできているものだ。唐突に道幅がせまくなり、あるいは直角に折れまがり、外濠をくみあわせた馬出しや枡形をそなえてあるのが常である。だから人のながれが詰まる。
したがい起こるべくして起きた混乱ではあるが、まさか敵が奇襲をしかけてきて、ここまで人が一点に集中する事態を予見できた者はいなかった。
また各門に配置された門番まで連絡がとどかなかったことも拍車をかけた。兵が不足しているうえに状況の変化がはやすぎて末端がとうに孤立している。
めいめいの判断で対応してくれたらよかったのだが、一番鐘が鳴った時点の指示を守ろうとして武家身分の者は郭外へでるなと呼びかけてみたり、上からの命で門を開けられないと拒んだり、避難する者の足を混乱させた。
三ノ丸の埋門がまさしくそれで娘子たちが薙刀をつきつけてせまり、やっと開かれたのだった。
その埋門からの入城をあきらめたあさ子たちは、郭西の河原町口へむかった。が、しばらく人波がはけるのを待たなければ通りぬけられそうにない。
どうするべきか。
焦げ臭さにむせかえり、ふと見あげれば、黒煙とともに火の子が降りてくる。
雨のおかげで延焼こそおこらなかったが、さっきよりも火の手がつよくなっているのは明らかだ。
火元はひとつやふたつでもない。数十軒の武家屋敷が燃えさかっている。なにが起こっているのかはわかっていても口にしなかった。
ふりかえると国子は糸子の背で泣きじゃくり、ひどく息を切らした菊子は立っているのがやっとのようすで光子に肩をささえられている。
伊右衛門は全身が泥まみれになっていたが、桐油紙でつつみ肩に縛りつけた挟箱はそこなわれずにあった。
銃撃戦の音がもっと定かになってきた。大砲の音も間隔がせまくなる。
身をかくす建物もなく巻きこまれでもしたら命とりだ。迷っている暇はない。
「ここはいったん退いて立てなおしましょう。お義母さま、動けますか」
「はい、大丈夫です。ここは陣中、私のことは気にしないで……」
やむなく諏訪通りを折れ、本一之丁へもどる。
家をでてからたいへんな苦労をしたというのに、結局はひとつの区画をぐるりと一周しただけになってしまった。
河原屋敷のあたりはすでに危うかった。そのぶんだけ人ごみが減って動ける。
融通寺町通りにはいり、あさ子の実家である原屋敷へころがりこんだが、全員が出達したあとで無人だった。
原家は外濠を背にして郭のはしっこにあるので河原家より避難しやすかったのだろう。もちろん勝治の姿もない。あさ子は内心で安堵せずにいられなかった。
じつは実弟の原惣五郎の妻は、妊娠して五ヶ月目をむかえていた。妊婦が入城したらまわりの迷惑となるので、信頼のおける近隣の農家へあずけることにしてあった。
皆が休憩をとっているあいだ、あさ子は生家のなかをめぐり歩いてみた。
平穏だったころの残像が、浮かんでは消えてゆく。
家族みんなで朝餉をとった居間。
花嫁修業のために母から料理をおしえてもらった台所。
父と剣術や薙刀、相撲や御式内の稽古をした庭先。あのころは武芸の上達ばかりをもとめ、毎朝かかさず五本の型稽古をやったものだ。
そして大好きな親友があそびにきて、ひがな一日おしゃべりに興じた縁側。
なにもかもが懐かしい。
十七のころまでわがままに過ごし、わりと急に縁組がきまって嫁入りをした。
それから母は病でさきだち、父は一月にあった伏見の戦で壮絶な最期をとげた。
いまごろ二人は生前とかわらず口げんかをしながら、あの世でともに過ごしているのだろうか。そうであってほしい。
信濃守信吉の柄に手をそえる。
「もうじき私もまいります。その時は何から語らいましょうか。お伝えしたいことは尽きませんが……」
あさ子は縁側から庭におりたつと、背筋をのばして前方を見つめた。
深い半身をとり、足指で地をつかみながらゆっくりと腰をしずめ、ぐいと鯉口をひきよせる。
反りのつよい刀をすらりと抜きはなち、肩口に刀身を担ぐようにおいた。
転瞬、滑るような、するどい踏みこみとともに放たれてあった一刀は、女のそれとは思えないほど鋭く、ピュンッと甲だかい刃鳴りを庭ぜんたいに響かせたのだった。
四半時ほど待って原屋敷をでると、つかえていた人山はだいぶ減った。そのかわり北の空からとどろく大砲の音が、いっそう厳しさを増していた。
河原町口をぬけて湯川にかかる大橋をわたる。
川幅が二十間(三十五メートル)ほどの湯川は、ふだんは穏やかな流れで川魚や水草がありありと見えるほど澄んでいたが、ここ数日の長雨で茶色くにごり、土手から溢れんばかりとなって枯れ草をあらっている。
それを左手に見ながら湯川端の道をたどり、気がかりだった春日屋敷によった。
ここはあさ子の妹が嫁入りをした家だったが、おなじく無人だったので、ちかくの石塚観世音堂にいたった。
誰かいるだろうかと思いきてはみたものの、境内のなかは閑散として人かげがなかった。
郭外の南西にあるから比較的静かなほうである。
さっきまでの群衆はどこへ行ってしまったのだろうかと西方をさがしたところ、とおく大川(阿賀川)の岸辺に数千の人がたまってあるのを見つけた。
大川は長岡まで国をまたがる大河で、昔から当地をなやませてきた蛇行だらけの暴れ川だ。川幅は広く、雨で増水すると三百間(五五〇メートル)ほどにもなる。
ちょうど半月まえに氾濫があったばかりだったが、今朝もひどく荒れていた。
ながらく降った豪雨のせいで水かさと勢いを増し、土砂まじりの濁流がどうどうと暴れる。遠目には土色をしたあらぶる大蛇が、身をうねらせて人のゆく手をはばんでいるようにも見えた。
もちろん橋なんてかかっていないから、渡るならば舟をつかわなければならい。両岸に一本の太縄をはり、三艘の舟が往復して人を運んでいた。
が、身分と老幼に関係なく、人がどんどん飛び乗ってしまう様が小さくみえた。
「いけない、駄目……やめて!」
おもわず光子がさけんだが届くはずもない。
そして予想どおり、みるみる二艘が転覆してしまった。
怒濤に投げだされた数十人が、頭を浮沈させながら助けをもとめて手を伸ばす。
岸から縄を投げてやるのだが間にあうはずもなく、非情にも上流からきた太い流木が激突し、つぎつぎと刈りとられて川下へのまれていった。
なすすべもなく目のまえで家族をうしなった女と子供たちが、狂ったように泣きさけびながらそれを追いかけ、身をのりだして手をのばす。
それは阿鼻叫喚の、むごたらしい地獄絵図そのものだった。
大砲の音がするたび、たくさんの悲鳴があがる。身分と性別がどうであれ、天地が揺さぶられるような状況のなかで正常な判断を保てる者はすくない。
恐怖にとりつかれた群衆が西へどっと殺到し、郭門につまって過度の密集がおこった。身をよじることすらできない人波のなかで合流と逆流のせめぎあいがはじまる。歪んではうねり、倒れてはつみかさなり、あらがえない崩落にまきこまれる。そこらじゅうから窒息しかけたうめき声がこぼれ、はぐれた家族をよぶ声であふれかえった。
郭内はおよそ四百五十家、郭外には六百家をこす武家屋敷とさらに武家長屋があり、内外あわせ二万数千人の藩士家族が暮らしていた。そこで仕える中間、女中、使用人たちもある。
町人街では前日に退避した者があっていくぶんか減っていたとはいえ、のこった一万数千の町人たちがいっせいに郭の南西へ偏ったのだからたいへんな混雑になった。
しかも今つかえる郭門は二つか三つしかない。
そもそも防衛のためにある城郭の虎口とは、人馬の出入りをはばむようにできているものだ。唐突に道幅がせまくなり、あるいは直角に折れまがり、外濠をくみあわせた馬出しや枡形をそなえてあるのが常である。だから人のながれが詰まる。
したがい起こるべくして起きた混乱ではあるが、まさか敵が奇襲をしかけてきて、ここまで人が一点に集中する事態を予見できた者はいなかった。
また各門に配置された門番まで連絡がとどかなかったことも拍車をかけた。兵が不足しているうえに状況の変化がはやすぎて末端がとうに孤立している。
めいめいの判断で対応してくれたらよかったのだが、一番鐘が鳴った時点の指示を守ろうとして武家身分の者は郭外へでるなと呼びかけてみたり、上からの命で門を開けられないと拒んだり、避難する者の足を混乱させた。
三ノ丸の埋門がまさしくそれで娘子たちが薙刀をつきつけてせまり、やっと開かれたのだった。
その埋門からの入城をあきらめたあさ子たちは、郭西の河原町口へむかった。が、しばらく人波がはけるのを待たなければ通りぬけられそうにない。
どうするべきか。
焦げ臭さにむせかえり、ふと見あげれば、黒煙とともに火の子が降りてくる。
雨のおかげで延焼こそおこらなかったが、さっきよりも火の手がつよくなっているのは明らかだ。
火元はひとつやふたつでもない。数十軒の武家屋敷が燃えさかっている。なにが起こっているのかはわかっていても口にしなかった。
ふりかえると国子は糸子の背で泣きじゃくり、ひどく息を切らした菊子は立っているのがやっとのようすで光子に肩をささえられている。
伊右衛門は全身が泥まみれになっていたが、桐油紙でつつみ肩に縛りつけた挟箱はそこなわれずにあった。
銃撃戦の音がもっと定かになってきた。大砲の音も間隔がせまくなる。
身をかくす建物もなく巻きこまれでもしたら命とりだ。迷っている暇はない。
「ここはいったん退いて立てなおしましょう。お義母さま、動けますか」
「はい、大丈夫です。ここは陣中、私のことは気にしないで……」
やむなく諏訪通りを折れ、本一之丁へもどる。
家をでてからたいへんな苦労をしたというのに、結局はひとつの区画をぐるりと一周しただけになってしまった。
河原屋敷のあたりはすでに危うかった。そのぶんだけ人ごみが減って動ける。
融通寺町通りにはいり、あさ子の実家である原屋敷へころがりこんだが、全員が出達したあとで無人だった。
原家は外濠を背にして郭のはしっこにあるので河原家より避難しやすかったのだろう。もちろん勝治の姿もない。あさ子は内心で安堵せずにいられなかった。
じつは実弟の原惣五郎の妻は、妊娠して五ヶ月目をむかえていた。妊婦が入城したらまわりの迷惑となるので、信頼のおける近隣の農家へあずけることにしてあった。
皆が休憩をとっているあいだ、あさ子は生家のなかをめぐり歩いてみた。
平穏だったころの残像が、浮かんでは消えてゆく。
家族みんなで朝餉をとった居間。
花嫁修業のために母から料理をおしえてもらった台所。
父と剣術や薙刀、相撲や御式内の稽古をした庭先。あのころは武芸の上達ばかりをもとめ、毎朝かかさず五本の型稽古をやったものだ。
そして大好きな親友があそびにきて、ひがな一日おしゃべりに興じた縁側。
なにもかもが懐かしい。
十七のころまでわがままに過ごし、わりと急に縁組がきまって嫁入りをした。
それから母は病でさきだち、父は一月にあった伏見の戦で壮絶な最期をとげた。
いまごろ二人は生前とかわらず口げんかをしながら、あの世でともに過ごしているのだろうか。そうであってほしい。
信濃守信吉の柄に手をそえる。
「もうじき私もまいります。その時は何から語らいましょうか。お伝えしたいことは尽きませんが……」
あさ子は縁側から庭におりたつと、背筋をのばして前方を見つめた。
深い半身をとり、足指で地をつかみながらゆっくりと腰をしずめ、ぐいと鯉口をひきよせる。
反りのつよい刀をすらりと抜きはなち、肩口に刀身を担ぐようにおいた。
転瞬、滑るような、するどい踏みこみとともに放たれてあった一刀は、女のそれとは思えないほど鋭く、ピュンッと甲だかい刃鳴りを庭ぜんたいに響かせたのだった。
四半時ほど待って原屋敷をでると、つかえていた人山はだいぶ減った。そのかわり北の空からとどろく大砲の音が、いっそう厳しさを増していた。
河原町口をぬけて湯川にかかる大橋をわたる。
川幅が二十間(三十五メートル)ほどの湯川は、ふだんは穏やかな流れで川魚や水草がありありと見えるほど澄んでいたが、ここ数日の長雨で茶色くにごり、土手から溢れんばかりとなって枯れ草をあらっている。
それを左手に見ながら湯川端の道をたどり、気がかりだった春日屋敷によった。
ここはあさ子の妹が嫁入りをした家だったが、おなじく無人だったので、ちかくの石塚観世音堂にいたった。
誰かいるだろうかと思いきてはみたものの、境内のなかは閑散として人かげがなかった。
郭外の南西にあるから比較的静かなほうである。
さっきまでの群衆はどこへ行ってしまったのだろうかと西方をさがしたところ、とおく大川(阿賀川)の岸辺に数千の人がたまってあるのを見つけた。
大川は長岡まで国をまたがる大河で、昔から当地をなやませてきた蛇行だらけの暴れ川だ。川幅は広く、雨で増水すると三百間(五五〇メートル)ほどにもなる。
ちょうど半月まえに氾濫があったばかりだったが、今朝もひどく荒れていた。
ながらく降った豪雨のせいで水かさと勢いを増し、土砂まじりの濁流がどうどうと暴れる。遠目には土色をしたあらぶる大蛇が、身をうねらせて人のゆく手をはばんでいるようにも見えた。
もちろん橋なんてかかっていないから、渡るならば舟をつかわなければならい。両岸に一本の太縄をはり、三艘の舟が往復して人を運んでいた。
が、身分と老幼に関係なく、人がどんどん飛び乗ってしまう様が小さくみえた。
「いけない、駄目……やめて!」
おもわず光子がさけんだが届くはずもない。
そして予想どおり、みるみる二艘が転覆してしまった。
怒濤に投げだされた数十人が、頭を浮沈させながら助けをもとめて手を伸ばす。
岸から縄を投げてやるのだが間にあうはずもなく、非情にも上流からきた太い流木が激突し、つぎつぎと刈りとられて川下へのまれていった。
なすすべもなく目のまえで家族をうしなった女と子供たちが、狂ったように泣きさけびながらそれを追いかけ、身をのりだして手をのばす。
それは阿鼻叫喚の、むごたらしい地獄絵図そのものだった。
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