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第1章
29 侯爵令嬢は戯れる
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「ケル!とっておいで!」
私が腰のサーベルの鞘を放り投げると、ケルベロスは巨体を弾ませて走り出し、広大な部屋の隅のほうで鞘が床に落ちる直前、一番左の頭の口でガシッとキャッチした。
満足そうにケルベロスは鞘をくわえたまま猛スピードで戻ってくる。
私は「えらいわね!」と一番左の頭をガシガシと撫でてやり鞘を受け取る。
「じゃあ次はベロよ!」
再び鞘を放り投げてケルベロスが走り出す。
アルミラがぺたんと尻もちをついたまま「一体なんなのだ…ケルとかベロとか」と呟く。
「名前に決まってるじゃない!一番左の子がケルで真ん中の子がベロよ!」
鞘をくわえて戻ってきたベロの頭をガシガシ撫でてやる。
「では一番右の頭は…?」
「決まってるじゃない!ほら行っておいで!ス!」
「…ス?」
「そうよ!ケルとベロなんだから、スしかないでしょ!」
「………ス」
「よ~しいい子ね!ス!えらいえらい!」
ハッハッハッと帰ってきたスの頭を撫でてやってから「おすわり!」「お手!」「えらいわね~!」と今度は3つの頭を順不同にワシャワシャ撫でる私を見て、アルミラは放心したように「ス………」とだけ呟いた。
「何よ?」
「い、いや…だがそれは、本当に動物支配なのか…?」
「そうなんじゃない?なついてるし」
「いや…しかしな…」
「それにこうやって触ってあげてるとね、ちゃんと心が通じ合ってるのがわかるのよ。比喩的な意味じゃなくてね」
「確かに、動物支配はそういうものだが…」
「この子が実はすごい炎も吐けることとか、私たちの潜影移動みたいに影の中や主人の身体の中に潜めることとか、そういうこともわかってきたわ!」
「ほ、本当に、動物支配なのだな…」
「だからそうなんじゃない?」
「しかし、挑んだ吸血鬼の8割を食い殺した地獄の番犬だぞ……」
「何よ、恨みでもあるの?」
「いや、そうではない、そうではないが…」
それから私は何か呟き続けるアルミラに「ブツクサ言ってないで何か遊び道具でも出しなさいよ」と言い、底なしの棺で出してもらった太く長い鎖を使って、ケルベロスと引っ張りっこをして遊んだ。
ケルベロスのすごい力に対して私も吸血鬼の怪力でグイグイ引っ張ってあげたのだが、鎖がすぐに千切れてしまって長続きはしなかった。
******
私とアルミラは第2層に降りて、再び長い通路を歩いた。
ケルベロスは私の身体の中に入ってすやすやと居眠りをしているようだが、吸血鬼を遥かに超える嗅覚と聴覚が私に共有されているのを感じる。
第2層は迷路のように入り組んでいたが、音と匂いで進むべき方向がわかる。
「ここ、ヘビいるでしょ…」
「ほう、よくわかったな。確かにここの守護者はヘビだ」
「最悪…私、ヘビ大嫌いなんだけど」
ブルブルッと悪寒に体を震わせる私を見て、アルミラは困ったようにため息をついた。
「お前は本当にわけがわからんな…」
「なんでよ」
「凄まじい膂力で雷竜を圧倒したり幻獣クラスのケルベロスを手懐けてしまったりするくせに、墓地が怖いだのヘビが嫌いだのと人間の子女のようなことを…」
「そんなの実際に普通の人間の女の子なんだから当たり前じゃない」
「お前はもう吸血鬼なのだぞ」
「失礼ね、心は吸血鬼じゃなくて人間よ。いつか必ず戻ってやるんだから」
私のその言葉にアルミラは少し沈黙する。
カツ、カツ、カツ、と私たちの靴音が迷路に響く。
「リリアスよ」
アルミラは私の前で突然立ち止まって振り返り私の両肩をガシッと掴んだ。
「な!何よ…!」
アルミラが私の目を見つめる。あ、また誘惑魅了!?
もうかからないんだから…!
私が押し返そうと瞳に魔力を込めると、アルミラは慌てて目をつぶる。
「よ、よせ!誘惑魅了をかけるな…!」
「そっちがかけようとしたんでしょ」
「ち、違う、そうではない」
「じゃあ何よ」
アルミラがゆっくり目を開く。
確かに誘惑魅了はかけてこない。
でも、改めて見ると本当に綺麗な瞳。
髪の毛と同じ銀色の長い睫毛に縁取られた切れ長の目の中で、赤い瞳が透き通るように輝いている。顔全体の印象もローザの甘くてふわふわな感じと違って、どこか北のほうの氷の国の海みたいにキリッとしている。
思わずドギマギしてしまっている私に、アルミラは珍しく優しく語りかける。
「少しだけ、アタシの血を飲んでみないか?」
私はその言葉にビクッとなる。
「の、飲まないわよっ!何を言い出すのよ突然!」
アルミラの目も顔も、特に…首筋を見ることができなくなって、私は顔を背けて目をそらす。
「わかっている、人間の初めてはローザと決めているんだろう?」
…確かに、そう言った。
ヴァルゲスと戦った直後、物の弾みだったけど確かに言った。
「そ、それだけじゃないわ…。人間の血を飲むなんて神様に背く行為だからよ」
アルミラは私の頬に右手を添えて、横を向いた私の顔を正面に戻す。
視線だけは何とか横に向けているが、鼻と鼻がくっつきそうなほど近いアルミラの顔がどうしても視界に入ってしまう。
「アタシを見てくれ」
「な、なんでよ…」
「アタシは、吸血鬼は、人間じゃないのだろう…?」
そう言われてハッとなって私は視線を正面に戻してアルミラの顔を見る。
ほとんどいつもと変わらない無表情だったが、どこかさみしげな目をしている。
「…ご、ごめんなさい、私、吸血鬼は人間じゃないみたいなこと言って」
「いや、そういうことではない」
「え…じゃあ、何…?」
アルミラは右手を私の頬に添えたまま、左手で私の腰を抱き寄せて言った。
「人間ではない吸血鬼のアタシの血なら、飲んでもローザとの約束を破ったことにはならないんじゃないのか…?」
………え。
じゃあ、飲んでもいいってこと…?
アルミラのすべすべの首筋に牙を突き立ててジュルジュルジュル……って。
い、いいの………?
私が腰のサーベルの鞘を放り投げると、ケルベロスは巨体を弾ませて走り出し、広大な部屋の隅のほうで鞘が床に落ちる直前、一番左の頭の口でガシッとキャッチした。
満足そうにケルベロスは鞘をくわえたまま猛スピードで戻ってくる。
私は「えらいわね!」と一番左の頭をガシガシと撫でてやり鞘を受け取る。
「じゃあ次はベロよ!」
再び鞘を放り投げてケルベロスが走り出す。
アルミラがぺたんと尻もちをついたまま「一体なんなのだ…ケルとかベロとか」と呟く。
「名前に決まってるじゃない!一番左の子がケルで真ん中の子がベロよ!」
鞘をくわえて戻ってきたベロの頭をガシガシ撫でてやる。
「では一番右の頭は…?」
「決まってるじゃない!ほら行っておいで!ス!」
「…ス?」
「そうよ!ケルとベロなんだから、スしかないでしょ!」
「………ス」
「よ~しいい子ね!ス!えらいえらい!」
ハッハッハッと帰ってきたスの頭を撫でてやってから「おすわり!」「お手!」「えらいわね~!」と今度は3つの頭を順不同にワシャワシャ撫でる私を見て、アルミラは放心したように「ス………」とだけ呟いた。
「何よ?」
「い、いや…だがそれは、本当に動物支配なのか…?」
「そうなんじゃない?なついてるし」
「いや…しかしな…」
「それにこうやって触ってあげてるとね、ちゃんと心が通じ合ってるのがわかるのよ。比喩的な意味じゃなくてね」
「確かに、動物支配はそういうものだが…」
「この子が実はすごい炎も吐けることとか、私たちの潜影移動みたいに影の中や主人の身体の中に潜めることとか、そういうこともわかってきたわ!」
「ほ、本当に、動物支配なのだな…」
「だからそうなんじゃない?」
「しかし、挑んだ吸血鬼の8割を食い殺した地獄の番犬だぞ……」
「何よ、恨みでもあるの?」
「いや、そうではない、そうではないが…」
それから私は何か呟き続けるアルミラに「ブツクサ言ってないで何か遊び道具でも出しなさいよ」と言い、底なしの棺で出してもらった太く長い鎖を使って、ケルベロスと引っ張りっこをして遊んだ。
ケルベロスのすごい力に対して私も吸血鬼の怪力でグイグイ引っ張ってあげたのだが、鎖がすぐに千切れてしまって長続きはしなかった。
******
私とアルミラは第2層に降りて、再び長い通路を歩いた。
ケルベロスは私の身体の中に入ってすやすやと居眠りをしているようだが、吸血鬼を遥かに超える嗅覚と聴覚が私に共有されているのを感じる。
第2層は迷路のように入り組んでいたが、音と匂いで進むべき方向がわかる。
「ここ、ヘビいるでしょ…」
「ほう、よくわかったな。確かにここの守護者はヘビだ」
「最悪…私、ヘビ大嫌いなんだけど」
ブルブルッと悪寒に体を震わせる私を見て、アルミラは困ったようにため息をついた。
「お前は本当にわけがわからんな…」
「なんでよ」
「凄まじい膂力で雷竜を圧倒したり幻獣クラスのケルベロスを手懐けてしまったりするくせに、墓地が怖いだのヘビが嫌いだのと人間の子女のようなことを…」
「そんなの実際に普通の人間の女の子なんだから当たり前じゃない」
「お前はもう吸血鬼なのだぞ」
「失礼ね、心は吸血鬼じゃなくて人間よ。いつか必ず戻ってやるんだから」
私のその言葉にアルミラは少し沈黙する。
カツ、カツ、カツ、と私たちの靴音が迷路に響く。
「リリアスよ」
アルミラは私の前で突然立ち止まって振り返り私の両肩をガシッと掴んだ。
「な!何よ…!」
アルミラが私の目を見つめる。あ、また誘惑魅了!?
もうかからないんだから…!
私が押し返そうと瞳に魔力を込めると、アルミラは慌てて目をつぶる。
「よ、よせ!誘惑魅了をかけるな…!」
「そっちがかけようとしたんでしょ」
「ち、違う、そうではない」
「じゃあ何よ」
アルミラがゆっくり目を開く。
確かに誘惑魅了はかけてこない。
でも、改めて見ると本当に綺麗な瞳。
髪の毛と同じ銀色の長い睫毛に縁取られた切れ長の目の中で、赤い瞳が透き通るように輝いている。顔全体の印象もローザの甘くてふわふわな感じと違って、どこか北のほうの氷の国の海みたいにキリッとしている。
思わずドギマギしてしまっている私に、アルミラは珍しく優しく語りかける。
「少しだけ、アタシの血を飲んでみないか?」
私はその言葉にビクッとなる。
「の、飲まないわよっ!何を言い出すのよ突然!」
アルミラの目も顔も、特に…首筋を見ることができなくなって、私は顔を背けて目をそらす。
「わかっている、人間の初めてはローザと決めているんだろう?」
…確かに、そう言った。
ヴァルゲスと戦った直後、物の弾みだったけど確かに言った。
「そ、それだけじゃないわ…。人間の血を飲むなんて神様に背く行為だからよ」
アルミラは私の頬に右手を添えて、横を向いた私の顔を正面に戻す。
視線だけは何とか横に向けているが、鼻と鼻がくっつきそうなほど近いアルミラの顔がどうしても視界に入ってしまう。
「アタシを見てくれ」
「な、なんでよ…」
「アタシは、吸血鬼は、人間じゃないのだろう…?」
そう言われてハッとなって私は視線を正面に戻してアルミラの顔を見る。
ほとんどいつもと変わらない無表情だったが、どこかさみしげな目をしている。
「…ご、ごめんなさい、私、吸血鬼は人間じゃないみたいなこと言って」
「いや、そういうことではない」
「え…じゃあ、何…?」
アルミラは右手を私の頬に添えたまま、左手で私の腰を抱き寄せて言った。
「人間ではない吸血鬼のアタシの血なら、飲んでもローザとの約束を破ったことにはならないんじゃないのか…?」
………え。
じゃあ、飲んでもいいってこと…?
アルミラのすべすべの首筋に牙を突き立ててジュルジュルジュル……って。
い、いいの………?
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