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第1章
28 侯爵令嬢とケルベロス
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ケルベロス。
地獄の番犬、冥界の猛犬、三ツ首の魔犬。
魔物学の授業を「どうせ私はもう山には入らないし魔物なんか会わないもん」と適当に聞き流していた私でさえ知っている伝説の魔獣だ。
そんなものがこの分厚い鉄の扉の向こうにいるのだとアルミラは言う。
「準備はいいか?」
「いいわけないでしょ!なんでそんなのと戦わなきゃいけないのよ!」
「ここから早く出たいのだろう?」
「…そうだけど!あ、アルミラが行って倒してきてよ!」
「それはできん。お前の試練だ」
「…ケチ」
「な!アタシはケチじゃないと言っているだろう!」
ケチじゃないと言い張るアルミラを尻目に、そしてケルベロスが待ち構えるという鉄の扉の前で、私はさてどうしたものかと考え込む。
戦う?
まあ確かにそれしかないのかもしれない。それに一応、正気を失ってわけのわからない力を発揮した結果とはいえ竜を倒し、雷竜王の称号まで得た私だ。もしかしたら倒せるのかもしれない。
でもやっぱりあくまでも私の性根は普通の侯爵令嬢なのであって、意気揚々と「さあ化け物退治よ!」というふうにはなれない。
というかさっきまでそんな気分でいたからこそ、私はこんなところまで落とされる羽目になっているのだ。自重しなくては。そうだ。自重。そういえばイザベラにもしょっちゅう言われてたじゃない。『自重なさってください!』って。
「どうしたリリアス、さあ行くぞ」
「嫌よ、自重するのよ私は」
「何をわけのわからんことを言っているんだ。進まなければ一生出られんぞ」
「…他に出る方法ないの?」
「ないと言っただろう」
「う~ん…例えば………、あ!そうよ!アルミラ左手から馬車出してよ!」
「なぜだ?」
「だってそれ乗ってびゅーんって元の世界に帰れるじゃない!」
「無理だな」
「なんでよ!」
「この地下迷宮からは潜影移動だろうが瞬間移動だろうが『あの方』に賜った馬車だろうが、途中で抜け出る方法はない」
「じゃ、じゃあどうすればいいのよ!」
「だから第6層まで突破するしかないと言っただろう。まずはケルベロスだ」
「…か、勝てなかったらどうなるのよ」
「消滅する。すなわち死だ」
「な!何よそれ!」
「今までも数多くの吸血鬼が葬られてきた。特にケルベロスには8割ほどの吸血鬼が食い殺されている。ゆえにこの地下迷宮は我々の間では『地獄』と呼ばれている」
「―――じ、地獄…!!」
何ということか。
私はかつて山猿令嬢と呼ばれながらも王太子妃候補としては真面目に貞淑に生きてきたはずなのに、とうとう『地獄』まで落とされてしまったのか。
まあ、吸血鬼の間でそう呼ばれているだけなのだろうけど、それでもその事実はまるで重い石を飲み込んでしまったかのように私の心にズシンと響く。
「…ち、埒が明かんな」
アルミラがそう呟いた次の瞬間、アルミラが脚で乱暴に鉄の扉を蹴破り、ほとんど同時に私をその向こうの空間に押し込んだ。
「わあぁあぁぁぁっ!」
叫びながらもんどりうってまろび出た私が転んでしまわないようにバタバタ数歩かけて体勢を整えると、その大きな部屋の奥に私の身長よりももっと大きい――2メートル以上の体高だろうか、巨大な三ツ首の犬がよだれを垂らしてグルルルルルル…と唸り声を上げていた。
よだれは石畳の床に落ちてジュウッと音を立てた。
「ひぃぃぃぃっ!!!」
恐怖に身がすくむ私に魔犬が飛びかかる。
アルミラが「剣を抜け!」と叫ぶが剣なんかでどうにかなるサイズじゃないわよ!
私は大慌てで踵を返して自分が入ってきた鉄の扉のほうに駆け戻るが扉はビッチリと閉められていて押しても引いても叩いても開かない。
「前を向け!食われるぞ!」
アルミラの声に振り返るとケルベロスの首のひとつが大口を開けて今まさに私を丸かじりしようとしている。
「きゃあっ!」
私は叫ぶと同時に身体がトプンと石畳の床に沈むのを感じた。
吸血鬼の能力、潜影移動だ。
ケルベロスから離れて部屋の隅っこに私はあらわれる。
すぐにケルベロスは3つの首をぶるんと震わせてこちらを振り返り、よだれを撒き散らして再び飛びかかる。
「来ないでっ!!!」
私がぎゅっと目をつぶって大きな声で叫ぶとそれに呼応するように身体の底から魔力が解き放たれて爆発した。でも今回は電撃は一緒に出ていない。魔力だけだ。
どうしたのかしら。
恐る恐る目を開けると、ケルベロスは私の目の前でグルルル…と唸りながら立ち尽くしていた。3つの頭それぞれでクンクンと匂いを嗅いでいるようだ。
鼻先をスンスン動かしながら、ケルベロスはゆっくりと一歩こちらに踏み出す。
「こ、来ないでよ…!」
また私の身体から魔力が放たれ、ケルベロスの動きがピタリと止まる。
アルミラが扉のほうで「ま、まさか…」と呟く。
それで何となく状況を察して私も意を決して言ってみる。
「…おすわり」
ケルベロスは前脚を揃えてちょこんと座った。
ちょこん、といっても私よりずっと大きいのだが。
続けて言ってみる。
「伏せ…」
ケルベロスは3つの頭をぺたんと床につける。
3つとも舌を出してハッハッ…とやや荒く呼吸をしている。
恐る恐る私が右の頭、真ん中、左と順番に頭を撫でてやると、ケルベロスは「くぅ~ん」と鳴いた。
――か、かわいい…っ!
アルミラが向こうで尻もちをついた。
「や、やはり、動物支配か………!」
地獄の番犬、冥界の猛犬、三ツ首の魔犬。
魔物学の授業を「どうせ私はもう山には入らないし魔物なんか会わないもん」と適当に聞き流していた私でさえ知っている伝説の魔獣だ。
そんなものがこの分厚い鉄の扉の向こうにいるのだとアルミラは言う。
「準備はいいか?」
「いいわけないでしょ!なんでそんなのと戦わなきゃいけないのよ!」
「ここから早く出たいのだろう?」
「…そうだけど!あ、アルミラが行って倒してきてよ!」
「それはできん。お前の試練だ」
「…ケチ」
「な!アタシはケチじゃないと言っているだろう!」
ケチじゃないと言い張るアルミラを尻目に、そしてケルベロスが待ち構えるという鉄の扉の前で、私はさてどうしたものかと考え込む。
戦う?
まあ確かにそれしかないのかもしれない。それに一応、正気を失ってわけのわからない力を発揮した結果とはいえ竜を倒し、雷竜王の称号まで得た私だ。もしかしたら倒せるのかもしれない。
でもやっぱりあくまでも私の性根は普通の侯爵令嬢なのであって、意気揚々と「さあ化け物退治よ!」というふうにはなれない。
というかさっきまでそんな気分でいたからこそ、私はこんなところまで落とされる羽目になっているのだ。自重しなくては。そうだ。自重。そういえばイザベラにもしょっちゅう言われてたじゃない。『自重なさってください!』って。
「どうしたリリアス、さあ行くぞ」
「嫌よ、自重するのよ私は」
「何をわけのわからんことを言っているんだ。進まなければ一生出られんぞ」
「…他に出る方法ないの?」
「ないと言っただろう」
「う~ん…例えば………、あ!そうよ!アルミラ左手から馬車出してよ!」
「なぜだ?」
「だってそれ乗ってびゅーんって元の世界に帰れるじゃない!」
「無理だな」
「なんでよ!」
「この地下迷宮からは潜影移動だろうが瞬間移動だろうが『あの方』に賜った馬車だろうが、途中で抜け出る方法はない」
「じゃ、じゃあどうすればいいのよ!」
「だから第6層まで突破するしかないと言っただろう。まずはケルベロスだ」
「…か、勝てなかったらどうなるのよ」
「消滅する。すなわち死だ」
「な!何よそれ!」
「今までも数多くの吸血鬼が葬られてきた。特にケルベロスには8割ほどの吸血鬼が食い殺されている。ゆえにこの地下迷宮は我々の間では『地獄』と呼ばれている」
「―――じ、地獄…!!」
何ということか。
私はかつて山猿令嬢と呼ばれながらも王太子妃候補としては真面目に貞淑に生きてきたはずなのに、とうとう『地獄』まで落とされてしまったのか。
まあ、吸血鬼の間でそう呼ばれているだけなのだろうけど、それでもその事実はまるで重い石を飲み込んでしまったかのように私の心にズシンと響く。
「…ち、埒が明かんな」
アルミラがそう呟いた次の瞬間、アルミラが脚で乱暴に鉄の扉を蹴破り、ほとんど同時に私をその向こうの空間に押し込んだ。
「わあぁあぁぁぁっ!」
叫びながらもんどりうってまろび出た私が転んでしまわないようにバタバタ数歩かけて体勢を整えると、その大きな部屋の奥に私の身長よりももっと大きい――2メートル以上の体高だろうか、巨大な三ツ首の犬がよだれを垂らしてグルルルルルル…と唸り声を上げていた。
よだれは石畳の床に落ちてジュウッと音を立てた。
「ひぃぃぃぃっ!!!」
恐怖に身がすくむ私に魔犬が飛びかかる。
アルミラが「剣を抜け!」と叫ぶが剣なんかでどうにかなるサイズじゃないわよ!
私は大慌てで踵を返して自分が入ってきた鉄の扉のほうに駆け戻るが扉はビッチリと閉められていて押しても引いても叩いても開かない。
「前を向け!食われるぞ!」
アルミラの声に振り返るとケルベロスの首のひとつが大口を開けて今まさに私を丸かじりしようとしている。
「きゃあっ!」
私は叫ぶと同時に身体がトプンと石畳の床に沈むのを感じた。
吸血鬼の能力、潜影移動だ。
ケルベロスから離れて部屋の隅っこに私はあらわれる。
すぐにケルベロスは3つの首をぶるんと震わせてこちらを振り返り、よだれを撒き散らして再び飛びかかる。
「来ないでっ!!!」
私がぎゅっと目をつぶって大きな声で叫ぶとそれに呼応するように身体の底から魔力が解き放たれて爆発した。でも今回は電撃は一緒に出ていない。魔力だけだ。
どうしたのかしら。
恐る恐る目を開けると、ケルベロスは私の目の前でグルルル…と唸りながら立ち尽くしていた。3つの頭それぞれでクンクンと匂いを嗅いでいるようだ。
鼻先をスンスン動かしながら、ケルベロスはゆっくりと一歩こちらに踏み出す。
「こ、来ないでよ…!」
また私の身体から魔力が放たれ、ケルベロスの動きがピタリと止まる。
アルミラが扉のほうで「ま、まさか…」と呟く。
それで何となく状況を察して私も意を決して言ってみる。
「…おすわり」
ケルベロスは前脚を揃えてちょこんと座った。
ちょこん、といっても私よりずっと大きいのだが。
続けて言ってみる。
「伏せ…」
ケルベロスは3つの頭をぺたんと床につける。
3つとも舌を出してハッハッ…とやや荒く呼吸をしている。
恐る恐る私が右の頭、真ん中、左と順番に頭を撫でてやると、ケルベロスは「くぅ~ん」と鳴いた。
――か、かわいい…っ!
アルミラが向こうで尻もちをついた。
「や、やはり、動物支配か………!」
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