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第1章

21 侯爵令嬢は世界を知る

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ローザとアルミラの二人を残して憤慨しながらお風呂を出た私は、素早く寝間着に着替えて早速イザベラが用意してくれた土が入った平べったい袋状のマットが敷かれたベッドに転がり込んだ。

寝室の窓にかけられた分厚いカーテンが光を遮っていたが、脳が痺れるような強烈な眠気に襲われ、私は朝日が昇りつつあるのを感じていた。

…本当にちゃんと眠れるのかしら。

一抹の不安を抱えた私だったが、目を閉じるとすぐに吸血鬼ヴァンパイアになってしまってから初めての、もう何日ぶりかもわからないほど本当に久しぶりの、深い深い眠りの中に滑るように落ちていった。

その眠りの中。


「普通って何ですの?」

「どうして普通でなければいけませんの?」

「リリアス様はわたくしのことがお嫌いですの?」

「じゃあ、好きですの?」

「わたくしと『普通であること』のどちらが大切ですの?」


夢の中でローザにそういうことを何度も尋ねられて私が「わかんないよ!!!」と大声で叫ぶと、目の前にはローザの顔。
私のベッドにいつの間にかローザが潜り込んでいて、きょとんとした顔で私を見つめていた。

「…何がわからないんですの?」

ローザは無邪気に微笑んだ。

「な、なんでここにいるのよっ!」

私がそう叫んでもローザは無邪気な笑顔を浮かべたまま言う。

「お一人でちゃんと眠れるか心配だったのですわ」

…まあ確かに、ここ最近ずっと眠れなかった私はローザがそばにいてくれてずいぶん心が慰められたのだから、もしまた眠れなかったらと思って来てくれたことは嬉しい。
でも。

「…ローザのせいで変な夢、見ちゃったじゃない」

それを聞いたローザがニタ~ッと笑い「どんな夢ですの?」と聞く。

「し、知らないわよ!もう忘れたわ!」

私がベッドから飛び起きると、隣の部屋の壁をにゅうっと影がすり抜けてきて、アルミラが私の目の前にあらわれた。

「ちょうどいい。起きていたか」

そう言ったアルミラの着崩したダブレットから胸元の白い肌が見えて、私は昨日のお風呂で見た裸を思い出してしまってドギマギする。

「な、何よ突然!」

アルミラは真剣な顔で言う。

「すぐに出発するぞ。ここは危険だ」


******


「それじゃイザベラ、アルフォンス、留守をお願いね」

私は着替えと旅支度を終えると屋敷の裏口を出て、イザベラとアルフォンスにそう言った。
空は燃えるような夕焼け。私のお気に入りの丘の向こうに、今まさに太陽が沈もうとしていた。

私はアルミラにここが危険であると告げられた時「私の家がどうして危険なのよ」と口に出かけたがすぐにその意味に思い至った。
ここに私がいては聖都法皇庁サンクティオからの追手もやってくるだろうし、王太子には手を出さないように言ったものの私の処刑の場に居合わせなかった王がそれを聞き入れず軍を派遣することも充分に考えられた。

私はイザベラやアルフォンスをはじめとする家臣や使用人たちも一時この屋敷を離れたほうがいいのではと言ったが、みんな家族が戻るまでこの屋敷とエスパーダ領を守りたいという決意は固いようだった。

「あたくしには先々代のエスパーダ侯爵様からのご恩がありますゆえ」
「私も執事バトラーとして主人の留守は命に代えても守る所存です」

毅然とした態度でイザベラとアルフォンスはそう言った。

でも、命を懸けられるのは困る。
少なくとも失わせるわけにはいかない。

私は左手の甲に魔力を送って、竜の紋章を輝かせた。

「そ、それは…!」アルフォンスが目を見開く。
「雷竜王の紋章ではありませんか…!なぜリリアスお嬢様が…!」イザベラが呟く。

「知っていたのなら話が早いわ。来て、ヴァルゲス」

私がそう言うと竜の紋章が激しく光を放ち、その光の粒が私の前で小さな竜巻のように集まって、そこから巨大な竜があらわれた。

「よくぞ我を呼んでくれた。雷竜王リリアス・エル・エスパーダよ」

屋敷の裏庭に突然あらわれたヴァルゲスの巨体に、イザベラとアルフォンスは恐れおののき戸惑いを隠せずにいる。私より先にローザとアルミラが説明してくれた。

「リリアス様はこちらのヴァルゲス様を打ち倒し、新たな雷竜王となられたのですわ」
「竜の力を得て竜王になるなど吸血鬼ヴァンパイアでも異例のことだがな」

イザベラとアルフォンスは驚きのあまり声も出ない様子だ。
私はヴァルゲスを見上げる。

「あなたにお願いがあるの」
「我が王よ、願いではなく命令をするが良い」

私は軽く咳払いをしてから、ヴァルゲスの目を見据えて言った。

「では遠慮なくあなたに命じるわ。誇り高き雷竜ヴァルゲスよ、私が戻るまでこの屋敷とエスパーダ領をあなたの力で守りなさい」

ヴァルゲスは身体を伏せながら目を閉じてゆっくりと大きな頭を下げ、鼻先を私の前に突き出した。

「我が王の命に従うことをここに誓おう」

私はヴァルゲスの鼻先に軽く口づけをして「ありがとう。頼むわね」と言った。

「これで、この屋敷のみんなやエスパーダ領のみんなも安心ね」

私が振り返ると、イザベラは私を見つめたまま目に涙を浮かべていた。

「…リリアス様、ご立派になられて」

イザベラはそう言うとお婆ちゃまらしからぬ大きな身体をわなわなと震わせて、両手で顔を覆って泣き崩れた。アルフォンスがその肩に手をかけ、私も駆け寄る。

「このイザベラ、もう思い残すことはございません………!」
「そんなこと言わないでイザベラ、ちゃんと私たちが帰ってくるまで待っててよ?」
「そうですよ、イザベラ先生にはまだ私たち使用人を指導していただかなければ」

イザベラはすぐに立ち上がりハンカチで涙を拭った。

「失礼いたしました…歳をとると涙腺が緩くなって嫌ですわね。それではリリアス様の留守はしかとお預かりいたしますよ」

私は頷いて言った。

「うん、きっとお父様もお母様もレオもミーナも連れて、私も普通の人間に戻って帰ってくるわ。でもお父様たち、本当にどこにいるのかしら」

私の言葉を聞いてイザベラは「遠い、遠い世界でございます…」とだけ言ってうつむいてしまった。

家族が行った場所はなぜか具体的には言えないのだという。そして吸血鬼ヴァンパイアになった私ならこの先きっと会えるはずの場所なのだという。

つまり、あの世ということ?
でもそれなら「生きている」とは言えないし……。

アルミラが私の肩に手を置いて言った。

「この球体世界スフィアの多くの人間にとっては禁忌タブーなのだ。だからアタシが教えてやる。まずアタシたちが向かうアンデッドの球体世界スフィア『ファルナレーク』もそのひとつだが」

説明を進めようとするアルミラに「待って、スフィアって何?」と私は聞いた。

ローザも不思議そうな顔をしている。
アルミラは言った。

「アタシたちが今いるこの場所は、スフィアと呼ばれる7つの分断された世界のうちの1つなのだ」

私とローザは声を揃えて「7つの世界!?」と言った。

「そうだ。今アタシたちがいる球体世界スフィアの名は『ユークレア』。主に人間の王侯貴族や教会が支配している球体世界スフィアだな。ファルナレークはアンデッドが支配する球体世界スフィア。他には恐竜と獣人たちの球体世界スフィア『ロドンゴ』や機械が支配する球体世界スフィア『エントロクラッツ』、言語がバラバラで戦争の絶えない殺戮の球体世界スフィア『チキュウ』などがある。残り2つの球体世界スフィアについてはアタシも知らんがな」

私とローザはぽかんと口を開けて話を聞いていた。
ヴァルゲスは小さくあくびをした。
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