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第1章
1 侯爵令嬢は神様に誓う
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私にはよく見る夢があった。
夢見がち、とかの意味ではなく本当にすやすや寝ている時に見る夢。
夢の途中で「これって夢よね」と気が付いた時に私は大体、侍女長で教育係のイザベラに叱られることも執事のアルフォンスにげんなりされることもないのをいいことに、ピキーン!と覚醒して夢の中のお化けや魔物に普段できもしない激烈な魔術を撃ちまくったり剣でめった切りにしたりしてついつい楽しくなってしまうものなのだけれど、その夢だけは何度見てもそういうふうにできないのでとってもとってもキライな夢だった。
その夢の私はいつも幼くて、まだ4歳くらいの頃だと思う。
小さい私だけが通れる秘密の抜け道からお屋敷の裏に出てしばらく行って、お気に入りの丘に辿り着くちょっと手前で突然あらわれた真っ黒な馬車にグシャーンと跳ね飛ばされてしまうという夢。
長雨でぬかるんだ道をゴロゴロ転がって大好きなクマのぬいぐるみのティムと一緒に泥だらけになって、耳もキーンとして身体中が痺れてお口いっぱいに鉄臭い血の味もして、じわりと赤黒くなっていく視界の片隅に、私を轢いた馬車が見える。
二頭の立派な青鹿毛の馬の後ろの客車から、背が高くて痩せぎすの男が降りてくる。
金の刺繍が入った黒いコート、真っ黒な長い髪、病気の女みたいに青白い肌。
不健康そうだけど美しく整った顔の中で瞳と唇だけがやたらと赤い。
その唇が動くと、狼みたいな犬歯が見えた。
『ほう…………ではないな。ちょうど…………この娘に……を………ようではないか』
耳鳴りのせいでその男の甘ったるい声はところどころ聞き取ることができない。
動け動け動け動け!といくら必死に念じてもベチャベチャの泥の中で動けない私に、その不気味な男がゆっくりと近付いてくる。
ぐちゃり、ぐちゃり、と泥を一歩一歩踏みしめて歩いてくる。
背筋が寒くなる。何かとてつもなくおぞましい予感。
………いや!こっちに来ないで!!!
******
その日も、その悪夢で目覚めた。最悪。
いつもなら「ぎゃあああ!」とか「いやああああ!」とか大声を出してしまってイザベラに「侯爵令嬢たるものが何という寝言ですかっ!」なんて叱られるのだけど、そこにはイザベラもアルフォンスも誰もいない。
薄暗い石の空間に私一人。
寝ているのもフカフカのベッドなんかじゃなくて、ひんやり冷たい石の床。
しばらくすると、ギィッと蝶番をきしませて分厚い鉄の扉が開かれた。
「時間だ、リリアス・エル・エスパーダ」
鉄仮面をかぶり上半身裸の大男が扉の向こうから冷たく言い放った。
私は大男に促されるままに、脚に鎖で繋がれた重い鉄球を引きずりながら、ゆっくりと牢獄の扉をくぐった。
それは、ちょうど15歳の誕生日。私の処刑の日の朝だった。
牢獄を出たところ、薄暗い石造りの廊下で聖書を手にした教誨師のお爺さまが穏やかな口調で語りかけてきた。
「アグラによる福音書にこんな一節があります。『私はどんな過ちも許し、許された罪を思い出すことはないのだ』と。神は最後には必ず、どれほど罪深い者でも許してくださいます。あなたの犯した罪もまた、神の寛大な御心によって必ずや許され、光の道へと進むことができるでしょう。心安らかに神のご意思にその身を委ねるのです。そのためにはまず…」
私は教誨師さんの話をうつむいて聞いていたが、その言葉は途中からほとんど耳に入っていなかった。信仰心がないわけではない。むしろ今まで一度だってお食事の前と後のお祈りを欠かしたことはなかったし、どちらかと言えば信心深いほうだと思う。
でも、教誨師さんのこの一言がどうしても引っかかってしまった。
《あなたの犯した罪》
―――私の罪?
私は、どんな罪も犯していないわ!
神様に誓って!
夢見がち、とかの意味ではなく本当にすやすや寝ている時に見る夢。
夢の途中で「これって夢よね」と気が付いた時に私は大体、侍女長で教育係のイザベラに叱られることも執事のアルフォンスにげんなりされることもないのをいいことに、ピキーン!と覚醒して夢の中のお化けや魔物に普段できもしない激烈な魔術を撃ちまくったり剣でめった切りにしたりしてついつい楽しくなってしまうものなのだけれど、その夢だけは何度見てもそういうふうにできないのでとってもとってもキライな夢だった。
その夢の私はいつも幼くて、まだ4歳くらいの頃だと思う。
小さい私だけが通れる秘密の抜け道からお屋敷の裏に出てしばらく行って、お気に入りの丘に辿り着くちょっと手前で突然あらわれた真っ黒な馬車にグシャーンと跳ね飛ばされてしまうという夢。
長雨でぬかるんだ道をゴロゴロ転がって大好きなクマのぬいぐるみのティムと一緒に泥だらけになって、耳もキーンとして身体中が痺れてお口いっぱいに鉄臭い血の味もして、じわりと赤黒くなっていく視界の片隅に、私を轢いた馬車が見える。
二頭の立派な青鹿毛の馬の後ろの客車から、背が高くて痩せぎすの男が降りてくる。
金の刺繍が入った黒いコート、真っ黒な長い髪、病気の女みたいに青白い肌。
不健康そうだけど美しく整った顔の中で瞳と唇だけがやたらと赤い。
その唇が動くと、狼みたいな犬歯が見えた。
『ほう…………ではないな。ちょうど…………この娘に……を………ようではないか』
耳鳴りのせいでその男の甘ったるい声はところどころ聞き取ることができない。
動け動け動け動け!といくら必死に念じてもベチャベチャの泥の中で動けない私に、その不気味な男がゆっくりと近付いてくる。
ぐちゃり、ぐちゃり、と泥を一歩一歩踏みしめて歩いてくる。
背筋が寒くなる。何かとてつもなくおぞましい予感。
………いや!こっちに来ないで!!!
******
その日も、その悪夢で目覚めた。最悪。
いつもなら「ぎゃあああ!」とか「いやああああ!」とか大声を出してしまってイザベラに「侯爵令嬢たるものが何という寝言ですかっ!」なんて叱られるのだけど、そこにはイザベラもアルフォンスも誰もいない。
薄暗い石の空間に私一人。
寝ているのもフカフカのベッドなんかじゃなくて、ひんやり冷たい石の床。
しばらくすると、ギィッと蝶番をきしませて分厚い鉄の扉が開かれた。
「時間だ、リリアス・エル・エスパーダ」
鉄仮面をかぶり上半身裸の大男が扉の向こうから冷たく言い放った。
私は大男に促されるままに、脚に鎖で繋がれた重い鉄球を引きずりながら、ゆっくりと牢獄の扉をくぐった。
それは、ちょうど15歳の誕生日。私の処刑の日の朝だった。
牢獄を出たところ、薄暗い石造りの廊下で聖書を手にした教誨師のお爺さまが穏やかな口調で語りかけてきた。
「アグラによる福音書にこんな一節があります。『私はどんな過ちも許し、許された罪を思い出すことはないのだ』と。神は最後には必ず、どれほど罪深い者でも許してくださいます。あなたの犯した罪もまた、神の寛大な御心によって必ずや許され、光の道へと進むことができるでしょう。心安らかに神のご意思にその身を委ねるのです。そのためにはまず…」
私は教誨師さんの話をうつむいて聞いていたが、その言葉は途中からほとんど耳に入っていなかった。信仰心がないわけではない。むしろ今まで一度だってお食事の前と後のお祈りを欠かしたことはなかったし、どちらかと言えば信心深いほうだと思う。
でも、教誨師さんのこの一言がどうしても引っかかってしまった。
《あなたの犯した罪》
―――私の罪?
私は、どんな罪も犯していないわ!
神様に誓って!
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