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異能との出会い 3
しおりを挟む時刻は午後2時46分。
ニュースの話題は、聞いたこともない既婚イケメン俳優と若手JKモデルとの不倫問題に変わっていた。
……くだらないくだらない馬鹿馬鹿しい。
不倫など、自分が当事者になるまではただのよくある他人事だ。
昨日の俺こと〈奴〉がやらかした非現実的な何かの前では興味の1つもそそられない。
だが……俺はこの俳優に対して、ある一定の尊敬の念を抱いた。
俺と違って現実に生きているから。
信頼性と面白味……これが現実と非現実の境界線で相いれない概念なのだと、今ハッキリ理解した。
俺のような一切信頼の置けない非現実的存在よりかは、不倫スキャンダル程度のよくある痴情の縺れ系トラブルで頭を下げているゲス野郎の方が幾分もマシに見えてくる。
いっそ遺伝子レベルでタイムスリップして人生をやり直したい。
ここじゃない、非現実が具現化したような世界で全てをやり直したい。
俺……何で生きてるんだろ。
ライオンはパソコン機材を片付けて席に着いた。
そして再び、俺についての話が再開された。
「これ以降に何があったのかは分かっていないが……結果、君と一緒にもう1人、重症の女の子がこの病院に搬送されてきたんだ」
「えっ……誰……」
「……少女Aだよ」
「……⁉」
「磔の少女だと思ったかい? 軽傷だが彼女も生きているよ」
「……今、俺の思考を読んでます?」
「思考なんて読まなくても、君が考えそうな事くらい分かるよ。次に君は、『彼女も生きていると言いましたが、少女Aはどうなったのですか?』と聞く事だろう」
ライオン……人の悲惨な状況を見て楽しんでいやがる。この人の言いなりになるのは癪だな……。
「報道では交番襲撃事件と合わせて死者が32名って言ってましたけど……彼女は死んだのですか?」
「……2手先を行かれたか。松橋さん、話してしまってもいいかね?」
ライオンは分かりやすく不貞腐れて、何故か法務省のお姉さんに確認を取った。
「他に口外しないようにお願いします」
「では言おう。……彼女は生きている」
「……⁉」
「報道はフェイクだよ。君や彼女、そしてあの教室の子供達を守るためのね」
「嘘の情報を流したんですか?」
「必要であれば、日本でもこれくらいの情報操作はしますよ。まぁ……いつまで騙せるかは分かりませんが」
松橋さんが丁寧に答える。
「今回の事件でハッキリと死亡が確認されているのは、交番襲撃事件の際に警察官が2名、少年Aが殺したと思われる襲撃犯が1名、そしてその少年Aを含めて君と磔の少女を日頃からいじめていたとされる主犯格の少年少女10名の内の8名……合計11名です」
「少年Dと黒……磔の少女は今、何をしていますか?」
「神奈川県警で事情聴取中かと思われます。ですよね赤塚さん?」
「すみません……確認しないと分かりません」
「ではすぐに確認を。刑事部長に掛けて下さい。もう会見も終わっている頃でしょう」
赤塚の兄さんの反応からして2人は初対面だと思うのだが、この姉ちゃん一切遠慮しない物言いだな。出来る女感が凄過ぎて男が逆に引くやつだ。
「必要なら私も出よう。あの古狸とは個人的に付き合いがあるからな」
俺だったら七瀬さんとは電話したくない。電話越しでもその威圧感にビビりそうだ。
「すぐに掛けます‼」
「ついでに私にも変わってくれたまえ。彼らの処遇について相談したい」
ライオンはそう言って、カバンから手帳を取り出し、何かをメモしているようだった。
「彼女達に会わせて下さい。色々と聞きたいことがあります」
「……それは……難しいだろうねぇ」
「何故です?」
「いくら君の為とはいえ、死んだことになっている人間同士を直接会わせることはできない……いや、言い方を変えよう。あの子達に今の君を会わせる訳にはいかない。向こうは君の事を死んだものと認識しているだろうからね」
「…………」
目撃者から聞ければ話が早いと思ったのだが、その手が封じられるか……。
やはり問題は過程を重要視して止まないらしい。
いつまで前時代的なやり方が好きなのかな。大人っていう汚い生き物は。
……それは良いとして、まだハッキリしていないことがある。
「あの……話を何段階か戻してもよろしいでしょうか。俺って本当に記憶喪失なんですか?」
「あぁ……そうだった。最初に話題にしておいて後回しにしてしまってすまない。院長にバトンタッチしようかな」
ライオンは立ち上がり、院長先生と場所を交代した。
「改めまして、当院の院長をしている園山です。これからより詳しい診断結果について説明していくからね」
耳元から飛び出てるカツラの留め金が気になりつつ、俺は無言で頷いた。
「……君の状態を一言で言えば……多重人格だ」
瞬間、世界が凍ったような冷たい感覚が俺を襲った。
「「「「「「「「……今何て?」」」」」」」」
俺を含めた子供達8人の声が重なった。驚いたのは俺だけではなかったらしい。
「今はアメリカの診断基準に従って、解離性同一性障害という名称が認知されるようになってきたけど……多重人格と言ったほうが一般的には分かりやすい」
「多重人格って、あれですか? ジギルとハイドとか、ビリー・ミリガンとか、くしゃみすると豹変するあの人みたいな……」
「まぁ……大体は君の想像通りだよ」
「ちょっと……待って下さい? 彼は記憶喪失だったんじゃないんですか⁉」
ライオンの娘が感情を露わにして吠えた。
長い髪の毛が浮くようにして大きく広がり、威嚇しているようにも見えた。
「あー待ちたまえ。順を追って説明するから」
「院長、駄洒落かよ‼ ジュンを追ってって……あははは――ぐへぇ⁉」
「にぃに……今ちょっと良い感じにシリアスだからぶち壊しに掛からないで」
ユカの地獄突きに吐きそうになるユヤ。
俺にかけたらどうしてやろうか。
サンタ少年を無視して院長の話は続いた。
「ここに運ばれた時点で君は死んでいた。が、奇跡的に息を吹き返し、意識を保ちながら驚異的な生命力で回復していったんだ。傷もすぐに塞がったしね」
「……なら今、俺の右下半身が動かないのは……?」
「それは虫垂炎の手術のせいだよ」
「虫垂炎?」
「ああ。君が刺された際、刃が虫垂にまで達してしまっていたんだ。意識が戻った後に痛みを訴えて、すぐ摘出手術が行われたというわけだ。……この事も覚えてないのかい?」
「えぇ……。じゃあ多重人格ってのは……?」
「君は当初、記憶喪失……これも正確に言えば、全生活史における逆行性健忘と診断された。運ばれてくる以前の記憶について、一切思い出せないと君自身が言っていたんだよ。自分の名前はおろか、住所も、家族構成も、自分が小学生であることも、過去にどんな体験をしたかも何も思い出せなかったんだ。ただ脳に異常は認められず、前向記憶や見当識といった意識を取り戻してからの記憶や基本的な状況把握にも問題が無かったから、総じて記憶喪失と診断したんだが……」
「君が多重人格ではないかと疑ったのは私だよ」
ライオンが口を挟んできた。
「君がなんとなく認識しているように、私と子供達とは親交があるんだ。だが、私が病室を訪れた時、話し方がまるで別人のような印象を受けたのだよ」
「別人……」
「決定的だったのは君の一人称だよ。基本的に以前の君は『僕』としか評さなかった。院長から聞いたが、ここ運ばれてすぐの君も『僕』と言っていたらしい。だが今の君は自分の事を『俺』と言っている。これが親しい人間からすると非常に違和感あるものなんだ。それに、記憶を失ったばかりの人間にこれほど確固とした自我があるものなのか……君を記憶喪失としておくには頭が良過ぎる。どこか映像の中の〈彼〉に似た何かを――」
「俺は〈奴〉の出来物じゃない」
嫌悪が思考を置き去りにして零れ落ちた。
否定ではなく拒絶。
俺は〈奴〉を厭悪(えんお)する。
「ふふっ。そうだねぇ……。〈前の君〉は私に対して猫を被ってたんだねぇ……」
ライオンよ……その苦笑いは俺に対する脅しですか?
今後この人を怒らせないようにしないと……。
てか頭良いって本気で思ってるのか?
「……院長先生、聞いてもいいですか?」
「勿論。答えられることは答えるよ」
「多重人格と言いましたが、映像の中の〈奴〉と、今の『俺』、そしてここに運ばれて最初に意識を取り戻した時の『僕』。合わせて3つの人格があるんですか?」
「いや、3つだけとは言い切れない。多重人格の症状は、主人格の他に別人格が2つ以上形成されるケースが普通だ。つまりは3つ以上の人格が存在する。成人女性の場合だと、幼い男の子の人格が現れるのも珍しくないと言われている。だから君が把握している以外の人格をいくつ抱え込んでいたとしても不思議は無いんだよ」
怖気(おぞけ)が走った。
今の『俺』から見て2つ以上の人格が眠っているだと?
他の人格達がこの体を使って好き勝手やっていたかもしれないと?
分からない……俺が誰で、誰が俺なのか分からない。
「私の見立てだが、君は事件より以前から多重人格だったんじゃないかな? それが刺されて運ばれてきて目覚めるまでの間で更に複数の人格が発現した……と見るべきだね」
どうしよう……自分から話を聞いておきながら混乱してきた。
堪(たま)らず蟀谷(こめかみ)を抑えて天を仰ぎ見る。
『俺』の主人格だと思っていた〈奴〉は、以前の『僕』視点では別人格だったという事か?
『僕』は〈奴〉に乗っ取られて共に『俺』の中で眠っている……『俺』はそう解釈した。
「大前提として、解離性同一性障害の原因の殆(ほとん)どは心的外傷……すなわち精神的な問題だ。君は命の危機を感じるに十分過ぎる程、失血性ショックの状態が長時間続いていたから……それが影響した可能性が高いね」
血……なるほど、血か。
テレビを見ていた時のめまいも、やはり貧血からくる症状だったのか。
「血を剣にして戦っていたからですか?」
「いや、それだけじゃない。少女Aに輸血を施した為だ」
「……輸血? じゃああの状況でファントム3体を倒して、人質も解放した……と」
「恐らくはそうだね。少女Aの血中からは君の血液と同じ成分が検出されている。そのお陰で少女Aは一命を取り留めたが……未だ目覚めていない」
「昏睡状態って事ですか?」
大量に与えたら死ぬかもって〈奴〉は言ってたけれど、マジでやりやがったのか。
「そこまで大袈裟じゃないよ。輸血を施した当時の君からすれば誤算だっただろうが……」
「因みになんですが、俺の血液型はO-(オーマイナス)……ではないですよね。剣作ったり爆発してたし……俺、戦闘民族だったりします?」
あの教室の中にO-(オーマイナス)の人間は、およそ恐らく少女Aと黒の少女の2人だけ。輸血を施したのなら俺もまた適合者のはずだが……
「いや、君はO-(オーマイナス)じゃなければ戦闘民族でもない。それよりもずっと貴重な型だよ」
っ⁉ 違うだと?
「じゃあ俺は一体……」
「君とエリーゼ姉妹の血は奇跡そのものだよ」
「……? 何故今この娘(こ)達が出てくるんです?」
「何故って、君に輸血した血は彼女達のものだよ?」
姉姫様とリーティアが⁉
「私達で合わせて1600ミリリットルもあげたんですよ? 夜中に緊急で呼びつけられて、血を抜かれて……おかげで隣の病室で1泊しましたわ♪」
「私達まで血が足りなくなって死に掛けるところだったわ。全く……これは貸しだからね?」
すみません……2人とも出世払いでお願いします……特に姉姫様。
「ふふっ、出世払いですって。本当に面白い人……」
ハハッと、笑うことしかできないが……ちょっと嬉しい気分だ。
色んな意味でおかしくなりそう。
「君を含めた3人の血液型は、O型Rh(アールエイチ) null(ヌル)型……抗原を一切持たない型だよ」
「それって凄い血なんですか?」
「凄いなんて表現じゃ全くもって足りないよ‼ あぁ、すまない。思わず興奮してしまった。いいかい? 医学分野では今、どんな型にも輸血できる万能血液の研究が進んでいる。だがそれらを人工的に生み出すのは時間とコストが幾らあっても足りないんだ。理由は色々あるけれど、その多くは元となる万能細胞の作製が容易ではないからだ。それに対して君達の血は天然の万能血液……この地球上に20人も存在しないと言われている希少種なんだ。金銭的にも学術的にも価値があることは言わずもがなだよね」
「そのめちゃくちゃレアな血液型って、どこから生まれるんですか? 遺伝ですか?」
「ほとんどは遺伝によるものだが、ごく稀に突然変異として発現する例も報告されているよ。君の場合は突然変異体ということになるね。null型の血液種の中でもすべての血液型に輸血可能なO型だけは別格……血液型の頂点に位置する存在だよ。それがこの場に3人も揃うとは歴史的瞬間だ……おっと、またまた興奮してしまった。やはり科学者としての生き方を捨てきれないようだ」
「……俺と姉姫様達の血がとんでもない代物というのは十分理解出来ました。でもだったら、なんで少女Aは目覚めないのでしょう?」
「……分からない。君の血が他に特別な何かかを秘めている……と見るべきだろうね」
「…………」
分からないと言われても納得できる訳がない。そんなに凄い血で助からなかったのか?
「運ばれてまだ半日ちょっとしか経っていないし、1週間程で目覚めると思うよ」
「わかり……ました」
俺が命を懸けて守ろうとしたのなら、何故失敗したのか。
その理由が必ず存在するはずだ。
「黒さ~ん。朗報っすよ。俺等、本日付けで警部補に昇進みたいです」
電話から戻ってきた赤塚やライオンをはじめとする重役達が戻って来た。
「は⁉ どういうことだ‼ 刑事部長が言ってたのか?」
「特例中の特例だそうです。あと、刑事課特別捜査室特別捜査官? に、内定だそうです」
そんなことあるのか?
昇格試験とか、そういうのを受ける必要があるんじゃないの?
「そんな部署聞いたことないぞ?」
「ですから特例なんですって」
「それについては私から説明しましょう」
松橋の姉さんがパソコンを片手に、図を見せながら説明を再開する。
「今後のお二人には、この場にいる子供達の護衛及び観察、そして彼らに関係して起こった事件の捜査をお願いします」
「自分達に子供のお守りをしろと?」
「血液型の話だけではありません。彼等は存在自体が貴重なのです。お守りとは名ばかりの、大変な責任ある仕事になりましょう」
「いいじゃないですか黒さん! 無条件昇格ですよ⁉ 給料跳ね上がるなら俺は文句ありませんよ♪」
目黒とは対照的に、赤塚は浮足立っている。
「……さらに子供達の件とは別に、独立した捜査権が認められます。つまり別部署どころか、他県の捜査にも出しゃばれるということですね」
「他人事(ひとごと)のように言わないで下さい……」
落ち着けスキンヘッド‼ 握り拳を収めてくれ‼
「一緒にやりましょうよ黒さん‼ 今回の事件は不明瞭な点が多過ぎます。あの場で起こった出来事の全て……そしてファントムを俺達の手で捕らえるんですよ‼」
「…………」
目黒は黙り込んでしまった。
それは先の見えない不安か、それとも俺に対する不信感か、どちらにせよ怯えた目をしていたのは間違いない。
「後戻りできないとは……こういうことですか」
「これは大きなチャンスだと思うぞ? 捜査に役立つ戦力も無料で付いてくる。恵まれ過ぎな待遇だと思うがどうだろうか。正直俺と変わって欲しいくらいだな」
七瀬は宥(なだ)めるように目黒に語り掛ける。
部活の後輩を可愛がる先輩、気心の知れた従兄弟のやり取り、社畜の慰め合いにも見えた。
「戦力っていうのは……この子達のことですか?」
「「その通りだよ」」
「「待って下さい」」
赤塚の質問に七瀬さんとライオンはニッコリと笑みを浮かべたが、そこにライオンの娘と姉姫様が立ち塞がった。
何やら言いたいことがあるらしく2人は顔を見合わせるが、どうやら内容は同じらしく、ミーティアがヒナタに話の席を譲った。
「……法務省と防衛省のお偉様方が来られた理由について説明が無いようですが……今すぐお帰り頂いても宜しいでしょうか?」
なんだかすごく怒ってるみたいだが、俺を心配しての言葉なのかは判断できない。
「それは困りましたね。彼と少女Aと呼称されている少女の法律上の存在証明、すなわち戸籍に関する管理の為に――」
「「「嘘ですね」」」
ライオン娘に姉姫、それにリーティアまで口を揃えて答えたので、反射的に目線を向けた。
松橋の姉さんは娘達の威嚇に全く物怖じせず、冷静に続ける。
「……ジュン君と少女Aは昨日の事件で死亡したものとして処理します。そうすることで、世間の目から彼等を守り、保護するのです。特に彼にはその必要があります」
「……それは当然でしょうね。己の力を……あんな中二病みたいな恥ずかしい技を世に晒してしまったのですから」
思いっきり睨まれた上に毒吐かれた。ナチュラルに怒られてる?
いや怒られても……俺は覚えてないし、覚えてたとしても俺じゃない別人格なわけで……。
なんかすげぇめんどくせえ。
俺の主観だと記憶喪失で、客観視点だと多重人格で……訳が分からないよ。
「長谷川学長自ら養子縁組に名乗りを挙げて下さり助かりました。下手をすれば、一生研究施設で非検体という事態もあり得ましたから――」
「「彼を捕らえて好き勝手しようものなら、私は世界がどうなっても構いませんよ」」
ライオンの娘を挟んで姫達も怒り狂っていた。
眼は翠玉と赤のオッドアイに染まり、今この瞬間にもこの場の大人達を殺し尽そうという衝動を、人としての自我で何とか保っている……そんな表情だった。
にしても……双子とはいえ何故こうもセリフと喋るタイミングが一致するというのか。
本当は姉姫は未来から来た妹姫の異時間同位体で、2週目の世界に生きているとか?
いやいや有り得ないでしょ。
妹ちゃんが姉姫の心を読んで喋っているに違いない。きっとそうだ。
「まぁ……それは我々の望む展開ではありません。ともかく、親御さんには既に了承を得ていますので、家庭裁判所と連携し、過去の経歴を抹消した上で無戸籍児として就籍を行い、その存在を隠蔽します。こればかりは覆りません」
「経歴抹消だってよ⁉ 凄――げふっ‼」
「「「黙ってろ」」にぃに」
「ごめ……ちょ……お助け……ぐはっ‼」
空気を読まないユヤに対して堪忍袋の緒が切れたらしく、ユカ、ユリ、ラナの3人がボコボコに踏みつけている。
いいなぁ、俺も踏まれたい。
「えーゴホン。という訳で、私は彼のお見舞いと、学長に契約書類の加筆と判子をお願いに来た次第です。表向きにはですが」
「「……そういうことですか。分かりました」」
俺には何が分かったのかサッパリなのだが、姉姫達は眼の色は変えずに引き下がった。
「……では私も説明を。改めて、防衛省防衛研究所副所長の七瀬陸将補です。今回の事件を受けて、改めてジュン君を軍に引き入れたいと――」
それを口にしきる前に、病室は禍々しい悪感情に包まれた。
ユリとラナは七瀬の直線上の虚空に裏拳を放った。
放たれた拳はどういう理由か間合いを無視して七瀬の腕で受け止められた。
完全に防いだつもりだったのだろうが、その右目は苦痛を感じさせるように閉じられた。
姫達とライオン娘の3人は、共に赤い眼で七瀬を一睨み。
眼光はレーザーのように目標物を捉えた。が、七瀬は左目を抑えながらも話を続けた。
「……軍事利用は……私個人の意思だ。考慮しないでくれ。正確には……彼が使った異能力とも呼ぶべき力の詳細を解明……そしてその力が暴走しないように保護するという、上からの命令で挨拶に来ただけ……ただの使いっパシリだよ。君等と敵対するつもりは……怒らせるつもりもなかったんだ。どうか許してほしい……」
殺気をしまいきれていない彼女達に頭を下げるが、納得することはなかった。
「あなた方は戦争がしたいのですか?」
「そこまで大袈裟な話では……ない。あくまで自衛の選択肢としてだ」
「あなた方は反省を知らないようですね。前科があるのをお忘れで?」
前科。
リーティアにそれを口にされた瞬間、七瀬の顔色はみるみる青褪めていった。
「……その件については承知しているよ……あれは……完全にこちらの過失だ」
「我々は皆、彼を守ります」
「もう2度と。彼を傷つけない」
「……どうかお引き取りを」
「っ……」
俺の知らない……俺に関わる重い話をしているのは分かった。
だが、その気迫に押されるばかりで何も言えなかった。
〈前の俺〉なら何と言うだろう……己で答えを導き出そうとすると、嫌でも〈あいつ〉がちらついて俺を独りにしてくれない。
「……お引き取りを」
ライオン娘他、彼女達は全く信用していない様子で七瀬を警戒していたが、最初に口火を切ったのはやはりと言うべきかあいつだった。
「……それは、ジュンだけに限った話じゃないんでしょ?」
武闘派2人のマークが外れ、妹と1対1の状況になったユヤが強引に突破してきた。
「俺等の力は、あんたら軍の人間からしたらどれも魅力的に映るはずだ。今までライオンのお陰で一般に俺達の存在が知られる事は無かったけど、ジュンがやらかしたせいでその力が露呈してしまった。だから抑止力として来たってところかな? 嫌という程理解できたよ」
静まり返る病室。
この発言に対してユヤをドツく者も、咎める者も、誰1人存在しなかった。
……あの教室の子供達だけでなく、こいつらまで危険に巻き込んだっていうのか?
〈奴〉は……何をしてしまったんだ。
「でもさぁ……俺等のご機嫌損ねたら……どうなるか分かってんの? 例えば……そうだな、俺1人でも1カ月あればこの国を終わらせる事が出来るんだ。勿論、姫様達なら秒だけどね」
ドス黒い心の奥底に沈んだユヤの本音を聞いてしまったようで、心臓が震え凍えた。
「……君の言う通りだ。だが、警察の2人が警護に付いてくれるなら、私の出番は無くなりそうだ。本日は引き下がろう。また後日、私より立場が上の者が直接勧誘しに来るかもしれないが……その時こそは穏便に頼むよ」
七瀬は座って腕組して目を閉じ、鼻で呼吸する音が聞こえた。……寝てないか?
「あの……そろそろ戦力? についての話をお伺いしたいんですが、今のはどういった現象なんでしょうか? 俺は夢でも見てるんでしょうか?」
赤塚はオロオロしながら子供達に問いかけた。
「……いいですよ。嫌だと言っても話すのでしょうし」
「そりゃあ話すに決まってるじゃないか。何よりその説明を必要としているのは、他ならぬジュン君だからねぇ」
「…………」
「どうしたんだい? 君の力の正体、そして彼らの力の正体を知っておく必要が……責任があるとは思わないかい?」
ライオンはニヤリと嫌な笑いを浮かべた。
俺がこの人の努力を無駄にしてしまったのだとしたら、これに従わない訳にはいかない。
罪滅ぼしって訳でもないけれど、俺の生きる道がここにしかない気がした。
「はい……お願いします」
俺は緊張のあまり、唾を飲み込んだ。
「君等の力の根源たるもの……それは、第六感だよ!」
ライオンは高らかに謳い上げたが、俺はいまいちピンときていなかった。
「第六……感? っていうのは要するに、ニュータイプ的なあれですか?」
「君は本当に博識だねぇ。でもニュータイプとは少し違うんだ。君達の力は、先天的或いは後天的に発現した『異能力』なんだよ」
「『異能力』……ですか?」
「そう。間違ってもニュータイプのような、あらゆる潜在能力を開花させ、他者と誤解なくわかりあえるようになる能力ではないのだよ。ほら、見ての通り分かり合えない者が大半だ」
子供達全員目を逸らしやがった。図星か。
「それは学長の娘さん達の赤い眼の事を言っているのですか?」
「それだけではないが……的は得ている。この際、君達自身から話してもらおうかなぁ」
ライオンは娘に視線を送る。
それは『話せ』という無言の圧力だった。
「……分かりました。下手にバラされるよりマシですものね」
無言の圧力に屈したらしく、ヒナタは大人しくなった。
そして俺の元に歩み寄り話を続けた。
「私は……第六感【殺気】の感能者(センサー)。周囲の殺気と悪感情を感じ取れる。殺意を利用して人を操ったり、攻撃したりもできる。命を狩り取るまでに至ることは少ないけれどね」
「俺の意識を奪った赤い眼のことか……確実に死んだと思ったけど」
「単に寝て起きただけの話よ。私にとって死は眠りにこそあるのよ」
寝て起きた? そんな単純な訳ないだろ。
確かに今、七瀬さんが座ったままスース―と寝息を立てているが、本当にそれだけか?
お前はただ寝ている俺に何の理由もなく涙を浮かべたのか? あの涙は何だったんだ。
「私の話はもういいでしょ。少し……気分が悪くなってきたわ……」
頭を押さえながら、フラフラと椅子に座るライオンの娘。
その姿はどこか苦しそうだった。
「では……続いて私(わたくし)達から」
ミーティアが立ち上がって俺に向かってくる。
「私は【狂気】の感能者(センサー)。狂った思想を植え付けたり、混乱させたり幻覚を見せたり、認識や記憶を操作・改竄したり出来ますわ。狂気を含む悪感情の感情探知も容易ですわ」
「なるほど。つまり君は狂ったヤバイ奴だと……」
「勘違いしないで欲しいのですけれど、私(わたくし)は1ミリたりとも狂ったりしていませんわ」
「…………」
「……何故黙るの?」
眼を赤らめて俺に向けてくる姉姫様。
「そういうところじゃないかな?」
「黙りなさい」
黙るのか黙らないのかハッキリしろよ。
俺は目を閉じようとしたが、それより前に姉姫の眼光は別の眼光により掻き消された。
「やめて姉さん。他の人にも迷惑だから止めて」
よく出来た妹姫がまたもや助けてくれた。本気(マジ)で好きになってしまいそうだ……。
リーティアもまた、俺の元へ駆け寄り自身の能力の開示を始めた。
「次は私ですね。私は【邪気】の感能者(センサー)です。ヒナタの能力と近いですね。でも定義が広い分2人と比べると感情探知能力は非常に優れています。他にも、相手を魅了して僕(しもべ)にしたり出来ます」
俺の心が読めたのはこの力のおかげということか。
「それもありますが、私は特に特別なんです」
「……⁉ また心を読まれた……」
「私達3人は、表向きにはエンパスという精神病患者なんですよ」
「エンパス? ……って何ですか?」
「一言で言えば、共感する人です」
いや全く分からない。
「でしょうね」
「……また心を読んだの?」
「はい。『いや全く分からない』と思いましたよね? つまりはそういうことです。私を含め、姉とヒナタの3人は、その能力のせいで感情に対して並外れた共感力を持っています。人の感情がまるで自分の感情のように感じてしまう……それがエンパスです」
「…………」
何も言えなかった。
彼女の目が全く笑っていなかったから。
それだけじゃない。
心を読める凄い力だと思っていた俺が、恥ずかしくてしょうがなかったのかもしれない。
「自身の保有する第六感の名を冠する感情に対しては特に敏感に感じ取ることが出来ます。そういう意味では、私が一番優れてもいれば酷くもあります。なんの意図もない思考まで読めてしまうのですから。そう……例えば……」
リーティアは俺の耳元に顔を近づけ、囁くようにこう言った。
「私の事……好きになってイイんですよ……?」
「うわぁぁぁぁぁぁ‼」
胸の内に秘めた感情を的確に指摘されて思わず絶叫してしまう。
だが、その小悪魔的な声使いや体の揺らし方に対して、余計に惚れてしまったのも事実だ。
「ねぇ、あんた今何言ったの?」
「さぁ……何でしょうね」
嘘だと言わんばかりに睨みつける姉だが、妹は気にも留めすに再び囁きかけてきた。
「私も……好きです。……好きです。もう……どこへも行かないで……」
彼女はそう言って、悲しそうにウィンクしながら俺の耳元を離れた。
「1つ補足しておくと、私達の力は全ての人間に共通して効く訳ではありません。その感情を抱え込む程、魔眼は効き辛く、暴発させるのは容易になります」
「暴発って……具体的には?」
「例えば私なら、邪気を抱え過ぎた相手を廃人化させるくらい造作もないですね」
「うわぁ……」
「引きましたか?」
「い……いえ」
嘘だ。怖い。
「うふふ。今のは聞かなかった事にしてあげます♪」
今の一言で、恐怖と共にハッキリと理解した。
俺の今までの思考のほとんどは彼女に筒抜けだった。
抱いた思考、感情の全ては聞かれていたのだ。
下手をしたら、この場の人間全ての思考が彼女には筒抜けだったと考えられる。
……この場で敵に回してはいけない人間の序列は更新された。
ライオンと同格かそれ以上。
子供達の中でも一番魅力的で危険かもしれない。
「んじゃあ、今度は俺達の番だな‼」
「にぃには邪魔。私が説明する。2人ともよろしく」
「「了解」」
「ぐはっ⁉ がっ‼ やめ……やめろおぉぉぉ‼」
ユリとラナがユヤの口を塞ぎ、カバンから取り出したガムテープと紐で縛り上げる。ユヤは必死に抵抗するが、2人に勝てるはずもなく一瞬の内に縛られてしまった。
赤塚の兄さんをはじめ、男達はその手際の良さに感服している様子だった。
「……私と兄さんの第六感は【勇気】です。勇気を分け与えます……以上です」
「……それだけ?」
「そう言われても、ユリやラナ程強くないし、この中だと一番普通の人間に近いかな……」
あっさりしすぎた説明に困惑した。
確かにこの兄妹は、どこか他の子達と比べると突出した何かを感じない。
先程、七瀬を脅しに掛かったユヤが言うには、この国を終わらせられるだけの力があるらしいが……女の子2人程度にいいようにされている姿を見ると、全く信じられなくなった。
良く出来た妹は除くとして、こいつはただのホラ吹き野郎な気がしてきた。
だが第六感に数えられている時点で何か凄い秘密を隠し持っていそうだ。
「フゴゴゴゴゴゴ‼」
ユヤが何か言っているが、全く聞き取れない。
「兄は虚言癖があって、まともに取り合うと疲れるだけだから気を付けて。……OK?」
「あ、はい。……ありがとうございます」
了承するしかなかった。
ユカは兄の元へ戻り、背中を踏みつけていた2人と交代した。
「よし、我々の番だな」
「やっと出番」
今度は武闘派のユリ&ラナか。
前の5人とはどこか決定的に違う気がするんだよな。眼の色も変わらないし。
「私達は【闘気】の感能者(センサー)だ。〈気〉のようなものを扱える」
「〈気〉? 気弾とか撃ち出せるの??」
これまた魅力的な力に興奮してしまう俺。
ユヤを吹き飛ばした技も然り、現実に使ってみたい技でも上位に位置するであろう力だ。
「いや……そんなバトルマンガ染みたことは出来ない。私達の力は攻撃の具現化と敵の動きに対する先読み能力だけだ。妖術染みた君の能力とは比べ物にならない程地味な能力だよ。強いて言えば、ムカつく奴を一方的にしばけるのは便利だな」
「攻撃の具現化っていうのは?」
「一刀ニ撃と言った方が伝わりやすいな。例えば足に闘気を纏(まと)わせる。勿論、他の人間には見えないが……この足を蹴り出すとどうなるか」
「こういうこと……ふっ‼」
「グフォォォ⁉」
ラナは振り返って、離れた位置で寝転ぶユヤに向けて空蹴りを放った。
するとユヤは実際に蹴られたかのような衝撃とともに転がり、悶(もだ)え始めた。
「これが攻撃の具現化。勢いをそのままに、直接蹴るのと同じ威力の遠距離攻撃が放てる。分かった?」
「凄い……全然地味なんかじゃないよ」
「ホント? 嬉しい……」
「闘気を纏った状態で直接攻撃してしまうと威力が強すぎて危険だが……以前の君は余裕で受け止めてきた。退院したらまた稽古に付き合ってもらうから……覚悟しておけよ?」
「お、おぅ。……俺死なないだろうか」
「大丈夫。加減する。後はジュンの能力だけだね」
そうだった。俺も第六感に該当する人間なんだった。
でも俺の能力って何なんだろ……。
「では私から説明するとしよう」
待ちかねたかのようにライオンが話を始める。
「君の第六感……それは【鬼気】だよ‼」
「……きき?」
ちょっと待て、理解が追い付かない。
きき? って……何だ?
「分からないかい? 鬼気迫るの【鬼気】だよ」
「いえそういう話ではなくて、能力の詳細を……」
「詳細も何も、それだけだよ」
「……はい?」
「だがら、鬼神の如き強さだよ。以上」
「えっと……映像の中で放った黒い雷は? 黒いオーラは? サッカーボールも、血の剣も、動きを止めたあの技も分からないと? 最後のトランス何たらって一体……」
「……申し訳ないけど、我々にも分からないんだよ」
大人達は口を噤むが1人例外が、右目だけ開けてこちらの話を聞いていた。
「あの黒い旋風……ダークテンペスト? と言ったな。あれには見覚えがある」
「七瀬さん、何か知っているんですか?」
「先程お嬢さん方に前科と言われた所以(ゆえん)……2年前、軍の重要施設を1つ粉微塵(こなみじん)にした技だ」
「軍の⁉ え……なっ、は?」
子供達が皆揃って息を呑んだ音が聞こえる。俺もまた、体の震えと闘っていた。
「私は事後報告で映像を見ただけだが、規模はアレの比じゃない。全てを破壊し切り刻む、嵐と言うに相応しい威力だった」
「……あの映像より大規模な技を俺が使ったと? ……どうやって?」
「ジュン君……こう言ってはなんだが、君しか知らない事を、他の人間が知っている訳がないだろう?」
「……では質問を変えます。何故施設の破壊に至ったのですか?」
「……ノーコメント――」
「では無理矢理吐かせましょう」
「がっ⁉」
リーティアが七瀬の目を捉えた。右眼は赤に染まり、一切抵抗なく従順になった。
「止めたまえ、と言っても聞きそうにないね」
「ごめんなさい叔父様。私達も知りたいの。さぁ、本当の事を言いなさい」
「……PTSD……」
まさかと、思った。俺が精神病患者だと? そんな訳ないだろ。
「記憶……失敗……拒絶……暴走……逃走…………分からない……」
七瀬はリーティアの支配に抵抗しているのか、途切れ途切れに単語を残して黙り込んだ。
「やはり……あの時の……」
「ユリは何か知ってるの?」
俺は僅かばかりの希望を求めて尋ねた。
「ああ。真夜中、実家の部屋に備え付いている露天風呂にラナと一緒に浸かっていたら、全身ボロボロのジュンが空から落ちてきたんだ。何があったか問い詰めたが、
『誰にも言わず、何も聞かず、次に目覚めるまで匿(かくま)って欲しい』
と泣きながら懇願してきて、そのまま気を失って4日は眠り続けたかな……学校から戻ったら姿がなかったよ……」
「慌てて探し回ってたら、ジュンが実家から電話を掛けてきたの。内容は覚えてないけれど何故か楽しそうに話すから……聞いてみたら、私達の所には行ってないって」
2人は顔を見合わせた後、俺を心配そうにして視線を落とした。
「なるほど……。七瀬さんも嘘は付いてなそうですね」
「えぇ、虚偽は述べてない。この件に深く関わってもなさそう。……無駄な時間だったわ」
ミーティアもまた眼を赤くしていたが、妹姫の方が指を鳴らすと七瀬は正気を取り戻した。
「はっ……⁉ 私は何を……?」
「もう結構ですよ。あなたからは何も引き出せそうにないので」
「あ……あぁ……」
「いや……恐ろ……便利ですね~それ。ポリグラフに掛ける手間が省ける……あはは……」
赤塚さんは恐怖を誤魔化すのに必死で顔が引き吊ってしまっていた。
俺も彼女達の能力にはビビったが、それよりも自身が精神病患者かもしれないという現実を受け入れられそうになかった。
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)。
恐怖体験の後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックし、悪夢を見たりするという精神疾患。
最悪だよ。俺がメンヘラだと? ふざけんのも大概にしろよ。
でも……彼女達が言うのだから、俺はきっと……そうなのだろう。
言葉を失った俺を見かねてか、ライオンと院長が口を割って来た。
「この場にいる子供達も、君があの映像のような力を扱えると知らなかったんだ。使い方に関しては君自ら見つけていくか、元の人格を取り戻す以外に方法は無いんじゃないかなぁ?」
「念のため、君の祖先が魔の類と交わっていないかも調べましたが、可能性は限りなく低いですね」
「魔?」
「妖怪なんて呼ばれる存在だよ。あるいは天使や悪魔、神や魔族なんて可能性もあるかもしれない。遺伝子情報に異物が混ざっていたらすぐに分かるんだが、位置する祖先が遠い程に見つけにくくて――」
「……気休めなら――」
「いないと断言できるかい? 現に異能は実在するじゃないか」
「…………」
「そうだねぇ。君がもし鬼の血を引いてとしたら、そのせいだと理屈を付けて楽にもなれるのだが……〈前の君〉を総評するなら、サッカーが上手いだけの、ただのいじめられっ子だったからねぇ。〈あの時の君〉の強さは、今の君にしか分からないんだ」
俺は少し息を漏らし、黙って目を閉じた。
人は己の理解が及ばない超常現象を魔法だの異能だのと概念化し恐れ慄(おのの)くが、慄く者は自身もまたその畏怖の対象となりうることを知らない。
まさか自分に適正があろうとは思わないから。
それを教えてくれる人もいないから。
……俺の場合は少し違う。
人のセーブデータを勝手に使い回して遊んでいるようなものだ。
習得した覚えのない技が使える。
使えたはずの技を忘れている。
自分で自分が分からない。
……これ程恐ろしいことがあるのだろうか。
「そこでだ」
ライオンはそれまでの陰鬱な空気を払拭せんとばかりに勢い付いた。
「君を養子として引き取り、保護することで、記憶と人格、異能の謎を解明すると同時に、各方面には事件の真相究明に協力的な姿勢を示せる。お互いWinWinな関係を築こうと思い至った訳だよ」
あっはっは、と嬉しそうに笑うライオン。
要するにこいつは俺を利用して自身の立場をより良いものにしたいらしい。
「学長、落ち着いてください。堂々と彼を利用することを宣言しないで下さい」
松橋の姉さんが鎮めに入る。
「ねぇ、パパ。1つ聞いてもいい?」
ライオンの娘が質問をしてきた。
「彼を引き取るってことは……私にとっては……その……」
「勿論。君だって私が引き取った孤児なんだから構わんだろう? 君が彼に拾われてきた時、彼の妹になりたいって泣きついてきたことがあったじゃないか。この際丁度いいだろう?」
「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」」
俺と彼女の声がシンクロした。
顔は母親譲りかなと勝手に納得していたのだが……孤児だったとは。
いや、それよりも‼
俺の妹になりたいだと⁉
若気の至りか‼
血迷ったのか‼
「嫌よ‼ 絶対嫌‼ こんな奴が兄⁉ 最悪‼ せめて弟にして」
「いや弟なら良いのかよ」
「いや弟でも十分に嫌だけど」
「俺も嫌だわこんな生意気な姉」
「生意気な妹程見苦しくはないでしょう?」
「いやそんな基準分からねぇわ」
「弟なら姉を敬(うやま)いなさい弟」
「妹なら病み上がりの兄を慰めろ妹」
「「あぁ⁉」」
腹の底から出てくる本音の応酬、こんな声出せるのね。
「こんな奴の妹になるぐらいなら死んだ方がマシだわ」
「おい……それは彼への侮辱か? 今なら半殺しで許してやるぞ……」
ヒナタの態度にユリがキレて掛かってきた。
「彼が嫌なら私にもらえる? あなたと違って姉にも妹にもなれるから」
ミーティアも参戦してきた。
……こいつが妹って想像出来ないんだが……張り合おうとムキになってないか?
「むしろうちで引き取ろうか? それがいい。そうしよう」
ラナまで拳を構えた。
完全に喧嘩慣れした人間の型だった。
「彼を虐めるのは止めて頂けます? どうせなら私の弟にしてもいいんですよ? うふふっ」
リーティア様、お願いだからやめて下さい。
「この際です……この場で優劣をハッキリさせましょ――」
「静まれぇぇ‼」
一斉に力んだその瞬間、ライオンの咆哮に威圧され、皆足を竦(すく)ませ膝(ひざ)を着いた。
俺も咄嗟に左手で片方の耳は塞いだが、もう片方の手は点滴の針と管に邪魔され、無防備にも至近距離で雄たけびを浴びてしまった。
「男の取り合いなど見苦しいわ。その力は日本の為……いや世界の為に役立ててもらわねばいかんのだ。私怨で潰し合うなど言語道断。そして陽(ひなた)よ、今この瞬間からお前はジュンの義姉(あね)だ。いいな?」
「……分かり……ました」
ヒナタは渋々と、嫌々と了承した。
てか俺は弟で確定なん?
「ジュンもそれでいいかな? 悪いが、この娘(こ)の義弟(おとうと)を任せたよ」
俺は何を任されたんでしょうか。
ライオン、許さんぞ。
激しい耳鳴りに体力を奪われつつ、嫌々感を隠して頷いて返した。
大人達は目を閉じで耐え、その様子をしっかりと聞いていた。
赤塚と青葉の兄さんは気絶してたが……。
「お説教は嫌いなんだ。暴力衝動や強迫観念その他諸々、集団的なモチベーションの低下は教育者の立場として望ましくない」
ライオンはどこか哀愁漂う言い回しで、一瞬俺のことを見たような……そんな気がした。
「せっかくのめでたい日なんだ。説教はこの辺にしておいて、そろそろ帰る準備をしよう。君達も寮まで送るから準備したまえ。30分後に玄関口へ集合すること。いいね?」
子供達からも返事はなかったが、代わりにアイコンタクトで返した。
「また来るよジュン君。君が退院する日にね」
「はい……ありがとうございました」
カバンを持って退出する意向を固めるライオンこと義父(おやじ)氏。
「私達も行きましょうか。居座るのも彼に悪いですし」
「ですね。……この2人は大丈夫か?」
「おい……起きろ赤塚‼ ……駄目ですね。完全に伸びてます」
「こっちもダメだ。青葉君泡吹いちゃってるよ。担いでいくしかないね」
「お二人はどこか似ていらっしゃいますね。初々しいというかなんというか」
「まぁ無理もない。私は慣れたものだが、初見で学長の雄たけびは防げまい。その分、目黒さんの反応は素晴らしいものだった。ご子息もきっとお強い子なのでしょうな」
「いっその事、うちの馬鹿息子も自衛隊に入れてしごいてもらいましょうか」
「うちの娘も生意気だからなぁ……まぁ親として軍隊入りは止めて欲しいところですな」
「あはは。子供なんてそんなものですよ。……邪魔したねジュン君。お大事に」
目黒さんを最後に戸は閉められた。
「「「「「「「「…………」」」」」」」」
他の奴等の事を考える余裕は無かった。
俺はすっかり気が滅入ってしまい、やり場のない苛立ちをベットに音無くぶつけた。
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