メルヒェン少女は夢を見る

れん

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白雪姫毒殺事件

第二夜

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 その夜、結衣は再び夢を見た。その夢は昨夜見た夢を彷彿とさせるもので、その時に見た青い服の小人が魔女にリンゴを渡すシーンだった。もちろん、そんなシーンは白雪姫に存在しない。
 しかし、そんなことよりも結衣は魔女の顔を見て驚愕した。その顔は、たしかに友人であるマリエのものだった。
 二人が何を話しているのかはよく聞こえないが、魔女と小人という敵対する二人にしては和やかな雰囲気だ。これがどういうことを表すのか、まだ結衣にはわからない……。

 次の日の講義で会ったマリエは、昨日よりもさらに憔悴しきった顔をしていた。
「マリちゃん、大丈夫?」
「……うん」
 高校とは違い、学生の数も校舎の規模も大きい大学内では、マリエが殺人事件の容疑者だということはまだあまり知られていない。少なくとも、今日の講義でその事を指摘されたり陰口を言われることはなかった。
 この二日間で見た夢が自身の想像から生まれたものなのか、また別のものなのかはわからない。もし自身の想像から生まれた夢ならば、亡くなった姫子が白雪姫に、犯人だと疑われているマリエが魔女の姿をしていたことにも頷ける。しかし、姫子の扮する白雪姫が夢に出てきた日、まだ結衣は姫子の存在を知らなかった。講義で一緒になったことも、廊下ですれ違ったこともない。
 それに、昨夜見た夢のようなシーンは白雪姫の物語には存在しない。なぜあのような――小人が魔女にリンゴを渡すようなシーンが夢に出てきたのだろう。
 ――この夢は、自分に何かを伝えようとしているのではないか。
 やがて、結衣はそのような結論にたどり着いた。
 到底信じられない、馬鹿馬鹿しい話ではあるが、正夢のようなものなのではないかと思ったのだ。
 講義を終え、廊下を二人で歩いていると三人組の女子たちとすれ違った。彼女たち――特に気の強そうな少女はマリエを見ると不快なものを見たかのように、あからさまに顔を背けた。対してマリエは気まずそうに目線を下ろした。
「なんやあいつら。失礼やな」
「あの子たち、姫子の幼なじみなの。寮の中でもすごく仲良くしてた。だから……」
「そりゃ親友が殺されたら犯人恨むかもしれんけど、まだマリちゃんがやったって決まってへんのにあの態度は酷いわ……もしかして、昨日あいつらになんか言われた?」
 マリエは何も言わず、俯くだけだった。
 いくら大学が広いとはいえ、学生寮の中は狭い。殺人事件なんてセンシティブな事件はすぐに寮内に広まっただろう。友人を殺した犯人がわかったら責めたくなる気持ちもわからなくはないが、マリエの無罪を信じる結衣にとっては無責任なものに感じられた。
 もちろんいつかは警察が解決してくれるだろうが、待っていられない。彼女に向けられる非難をなくすためにも、一刻も早くこの事件の真相にたどり着くことを改めて誓った。
「……そういえば、いろいろ聞きたいことがあるんやけど」
「何?」
「まず、アップルパイに使ったリンゴ。あれ、何使ったん?」
「うーん……種類はわからないのよね」
「なんで?買う時に品種くらいは書いてたと思うんやけど」
「それが、あのリンゴはさっきの子……その中でも少しぼんやりしてた子、青木音舞里(アオキネムリ)にもらったの」
 初対面の相手に大しておかしな反応ではあるが、やっぱりと結衣は感じた。先程すれ違ったあの三人組は、たしかに一昨日見た夢で白雪姫の死を悲しむ小人たちの顔と同じだった。そして、魔女の姿をしたマリエにリンゴを渡した青い服の小人はその中の一人、音舞里が扮する小人だったのだ。
「あの子、安くなってたからってたくさんリンゴを買たみたいだけど……結局食べきれずに消費に困っていたの。それで、色んな人に配ったみたい」
「ふぅん……アップルパイに使ったってことは、それなりに甘いやつやんな」
「ええ。音舞里は酸っぱいからジャムにするといいって言ってたけど……」
「マリちゃん、そのリンゴ食べたん?」
「一欠片だけね。料理するためにも味見はしないと」
「大丈夫やったん?」
「ちょっとお腹は痛くなったけど……」
「……一回、その音舞里って子と話してみたいな。昼休みとかどこにいるか知らん?」
「音舞里は……サロン室によくいるわ」
「わかった。ありがとうな」
 現在は丁度お昼休み。この後の予定がない結衣は早速サロン室へと向かった。

 サロン室、と聞くとオシャレな貴婦人達がお茶会をしているイメージを持つ人がいるかもしれない。しかし、この大学のサロン室は学生達が休憩するために開かれている部屋だ。空きコマを持て余した学生達は各々ここで本を読んだり仮眠を取ったりする。結衣も何度かサロン室のお世話になっている。
 静かに扉を開くと、ソファをベッド代わりにして眠る女性がいる。音舞里だ。
 眠っている彼女を起こすわけにもいかないので、結衣は近くの椅子に座って暇を潰すことにした。サロン室には様々な漫画や小説が取り揃えられている。その中には結衣のお気に入りの小説もある。
 それからおよそ十分ほど後だろうか。音舞里は目を覚ましたらしく、眠たそうに目を擦りながら身体を起こした。結衣の方を見た音舞里はわかりやすく目を見開いた。どうやらマリエの隣にいた私のことを覚えていたらしい。
「君はたしか、マリエちゃんの隣にいた……」
「木村結衣です。マリちゃんのことについて、話が聞きたいんです」
「あの件についてだよね……私に答えられることならなんでも話すよ」
「じゃあ、まず……青木さんはこの件についてどこまで知ってるんですか?」
「えっと……姫子ちゃんが死んだってことと、マリエちゃんが容疑者になったことは知ってる――だからって、私はマリエちゃんがやったって信じてないよ。朱音ちゃんと照ちゃんは信じてるみたいだけど」
「朱音ちゃんと照ちゃん……」
「今日結衣ちゃん達とすれ違った時に隣にいた二人だよ。ちょっと気の強そうな子が五十里朱音(イカリアカネ)ちゃんで、もう一人が黄地照(オウチテル)ちゃん」
「なるほど」
 結衣は先程すれ違った二人のことを思い出す。あの二人も白雪姫の傍にいた小人達と同じ顔だった。確か赤い服の小人が朱音、黄色い服の小人が照だったはずだ。
「じゃあ、青木さんは雪白さんの死因については何も知らないんですか?」
「うん。さすがにマリエちゃんに直接聞くわけにはいかないしね」
 結衣は改めてサロン室を見渡し、自分達以外に人がいないことを確かめる。
「……毒殺だったんです」
「え?」
「雪白さんはマリちゃんからもらったアップルパイを食べて無くなりました。アップルパイに毒が入ってたみたいです」
「……アップルパイ」
「マリちゃんは、青木さんからもらったリンゴを使ってアップルパイを作ったって言ってました」
「まさか、私の渡したリンゴに毒が入ってたって言いたいの?」
「いえ。生地を作る途中で毒を入れた可能性もあります」
 一息を置いて、結衣は音舞里の目を見る。何を考えているのかわからない、気だるげな目だった。
「マリエちゃんが殺した可能性も考えているの?君の親友でしょう?」
「確かにマリちゃんはうちの親友です。でも、だからって関係ない人に罪を着せてまでマリちゃんを助けようとは思いません。うちにできることは、真実を見つけることだけです」
「……立派だね」
「もう大人なんで」
 結衣はにっこりと笑って見せる。もちろん、強がりだ。
「聞きたいことがもう一つあります。青木さんがマリちゃんに渡したリンゴは酸っぱいリンゴなんですよね?」
「うん。いっぱい買ったけど酸っぱくてそのままだととても食べれないから、ジャムとかにしたよ。それでも消費できなかったから、仲の良い子達に配ったな」
「なるほど……ただ、マリちゃんは甘いリンゴだったって言ってたんです」
「本当?私が食べたリンゴは全部酸っぱかったのに……たまたま甘いのが当たったのかなぁ?」
「そうかもしれませんね」
 そんな偶然がありえるのだろうか。口では肯定しつつも、結衣の頭の中には疑問が巡っていた。
「……ヤバ、もう次の授業に向かわないと。木村さんは次の授業ある?」
「いえ、今日はもう授業はありません」
「そっか。じゃあまたね」
「こちらこそ、お時間いただきありがとうございました」
 カバンを掴んで走っていく音舞里を見届け、結衣もサロン室を出る。しかし、扉を開いた先には意外な人物が待っていた。
「五十里さん?」
 朱音は何も言わず、ただひたすらに結衣を睨みつける。
「さっきの話、聞こえてましたか?」
「あなた、音舞里を疑っているの?」
「いえ、青木さんは犯人ではないと思います」
 これは本心である。姫子の死因を語った際、音舞里は確かに驚き、ショックを受けていた。あれが演技だとは思えない。おそらく音舞里は本当に死因を知らなかったのだろう。
「嘘言わないで。音舞里のリンゴを使ったアップルパイが死因だなんて、音舞里を疑う絶好のチャンスだわ」
「さっきの話が聞こえていたなら、生地に毒を入れた可能性があるって話も聞こえてましたよね?」
「ええ。でもだからって音舞里を疑わない証拠にはならないわ。口では客観的に語ったとしても、どうせ心の中ではマリエに有利になるように考えているのでしょう?」
「たしかに、うちはマリちゃんが犯人じゃないって信じてます。でも、だからって関係のない人達に罪をなすり付けてまで助けたくない。さっきも言ったはずです。
 ……それに、犯人の決めつけはあんたらだってやってるやないですか。まだマリちゃんが犯人だって決まってないのに決めつけて、複数人で責め立てて……マリちゃん、めちゃくちゃ傷ついてましたよ。濡れ衣だったらどうするつもりなんですか?」
 結衣が問い詰めると朱音は押し黙る。
「……とにかく、私は青木さんが犯人だとは考えてません。もちろん、マリちゃんも」
「どうするつもりなの?」
「とにかく、真実を突き止めます。もうマリちゃんを悲しませたくない」
 結衣はじっと朱音の目を見つめる。数秒間見つめあった――もはや睨み合ったという表現に近いかもしれない――後、朱音はそらし踵を返して去っていった。

「結衣!」
 サロン室のある建物を出ると、ちょうど結衣を探しに来たらしいマリエと出くわした。
「音舞里に会うことはできた?」
「うん。いろいろ聞くことができた」
「良かった」
 ブラブラと歩く内にT字路に差し掛かる。片方は学生寮に、もう片方は大学の正門へと続く。普段ならここで別れるが、マリエは結衣に着いてくる。
「どうしたん?寮に帰らへんの?」
「実はね……今日は外泊しようと思ってる」
「外泊?」
「やっぱり寮にいると居心地が悪いから」
 朱音達のように今回の件でマリエのことを恨む人物は少ないが、はやり野次馬のように事件について聞いてきたり、奇異の目で見てくる連中は多いようだ。
「いっその事、しばらく外に泊まろうかなって。お金ならそれなりにあるからね」
 心を痛める友人が、明るく努めようとする姿以上に見てて苦しくなるものはないだろう。無論、結衣だってそんな友人を見捨てるほど非常な心は持ち合わせていない。
「それなら、ウチ来ればええやん」
「いいの?」
「うち一人暮らしやし、おかん来た時用の予備の布団もあるから大丈夫やで」
「でも、迷惑になるんじゃ……」
「親友とのお泊まり会が迷惑なわけないやん!」
「結衣……」
 マリエの目尻に涙が浮かび、やがてボロボロと流れ落ちる。ずっと堪えていたのか、止まる気配はない。
「なーもー泣かんといてや、うちが泣かせたみたいやん」
「だって、結衣がめちゃくちゃ優しいんだもん」
「もう……帰り、スーパーよるで」
「夕飯?」
「それと、ポテチとジュースも」
「まさか夜更かしするの!?」
「友達とのお泊まりの定番なんやろ?」
「そうだけどさぁ」
 いつの間にかマリエの顔にも笑みが戻った。それは昨日の偽りの笑みとは違う、本物の笑顔だった。
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