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オシドリ夫婦の浮気調査
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その日、大橋朝日は映画を見に来ていた。彼のお気に入りのドラマ『刑事アインシュタイン』の劇場版が遂に公開されたのだ。予定が入ってしまっため日中に見に来ることはできなかったが、遅い時間にもかかわらず座席はかなり埋まっているようだ。高い前評判に心躍らせる大橋は、入口である人物を見かけた。
その人物は最上遊人といい、大橋の持つクラスの生徒だ。隣で彼の腕を抱きしめ、肩に頭を乗せる女性は恐らく彼の彼女である姫川愛子だろう。二人はおしどり夫婦のようだと学年の間で有名だった。
二人は人気アニメ『カプセル・アニマルズ』の主人公の等身大スタンディを見ている。数ヶ月前に公開日を迎えたと話題になっていたのを見たことがある。恐らく二人はあのアニメ映画を見るのだろう。ポップコーンやチュロスまで持って準備万端だ。
中学生が出歩くには遅い時間なので、教師としては注意すべきなのだろうが、大橋は見て見ぬふりをすることにした。良い雰囲気の二人を邪魔したくないし、何よりもう映画が始まってしまう。幸い二人は気づいていない。話しかけられても面倒なので、大橋はそっと中へ入っていった。
休み明けの四限終了後、職員室に戻る準備をしていた大橋は奇妙な光景を見かけた。姫川が机に突っ伏し、周りにいる数名の友人に励まされているのだ。
「だから言ったじゃない、あんな男やめた方がいいって」
「でもぉ……」
まさか最上と喧嘩でもしたのだろうか。つい昨夜まであんなにいい雰囲気だったのに?
姫川の担任ですらないのだから本来は首を突っ込まなくてもよい案件なのだが、かれこれもう五分程あの調子なので少し話を聞くことにした。
「大丈夫か?」
「大橋せんせぇ……」
顔を上げた姫川は鼻水と涙でビシャビシャになっており、バッチリ決まっていたメイクが台無しだ。
「最上と何かあったのか?」
大橋がそう聞くと、姫川の目から更に涙が溢れた。
「うぅ、遊人が……遊人がぁ……」
もはや口から発されるもののほとんどが嗚咽となり、言葉を伝えることすらままならないようだ。代わりに周りの友人達が事情を説明する。
「実は、ここ数日間遊人と連絡が取れてないらしいんです。直接クラスに会いに行っても避けられているのかクラスにいなくて……」
「えっ、でも昨日――」
映画館で一緒にいたじゃないか。
そう言おうとした自身の口を咄嗟に塞ぐ。ようやく大橋も事情を察したのだ。
「昨日?」
「先生、もしかして遊人のことを見かけたんですか?」
「いや、別に……」
「大橋先生」
姫川の方を見ると、彼女は涙を必死にこらえ、真剣な目で大橋を見ていた。
「教えてください。遊人は誰かと一緒にいたんですよね?」
大橋は観念して昨日の様子を話した――最上が姫川以外の女性と親しくしていたということを。
要するに、最上は浮気をしているのだ。大橋は昨日見かけた女性を姫川だと思い込んだが、実際は別の女性だった。最上は恋人である姫川を差し置いてその女性と映画を見に行っていたのだ。
その事を姫川に伝えると一層酷く泣き出したが、しばらくすると悲しみが怒りに変わったようで、その形相は小尉から般若へと変貌した。それが自身に向けられたものではないとわかっていても、思わず萎縮してしまう。
「先生、その女はどんな奴でしたか?」
「いや、顔までは見えなかったな……」
「特徴だけでもわかりませんか?」
「特徴……そういえば、最上よりも小さかったな。ちょうど最上の肩くらいの身長だった」
大橋がそう言うと、心当たりがあるのか姫川は顔のしわを更に深めた。般若を超えると、次は何になるのだろうか。
「あいつ……!」
「心当たりでもあるのか?」
友人達によると、容疑者(姫川達は最上と浮気している疑惑のある女性のことをそう呼んだ)は三人いるらしい。姫川の親友である井坂恵美、妹の姫川恋子、部活の先輩の相澤真香の三人だ。三人とも最上が姫川と付き合っているのを知っているにもかかわらず最上との距離感が近かったようで、ずっと疑っていたらしい。しかしこの中で最上よりも身長が低いのは恋子のみで、井坂は最上と同じくらい、相澤に至っては最上よりも身長が高い。
そう考えたらたしかに最上の浮気相手は恋子なのかもしれない。しかしそんな簡単に断定しても良いのだろうか?最上が姫川の知らない女性といつの間にか親しくなっていた可能性だってある。というかそう考えたい。なにせ、恋子はまだ小学生だ……。
「とにかく、何か思い出したことがあったら教えてください」
「わ、わかった……」
姫川達の気迫に気圧され、大橋は荷物をかき集めて逃げるように教室を出た。
「いやあ、わかりませんよ。最近の小学生はませていますからねぇ」
遅い時間のバスに乗り込む生徒はほぼおらず、簡単に二人分の座席を確保することができた。
最上と姫川の件を七里に話すと、意外にも彼は食いついてきた。どうやら彼はこういったゴシップ話にも興味があるらしい。
「にしても中学生で付き合うだけじゃなく浮気まで……僕なんて大学生ではじめて女の子と付き合ったのに」
「へえ、七里先生は女性経験あるんですね」
「まあ、一年程で別れてそれっきりですけどね。大橋先生は?」
「いや、まあ……」
七里の質問を苦笑いで流す。七里に経験があるとわかった今、事実なんて言えたものじゃない。慌てて話題をそらすことを試みた。
「ところで、その姫川恋子ってどんな子なんですか?たしかうちの小学校に通ってますよね?」
姫川姉妹は幼稚園からハイド学園に通っている。愛子は中学二年生、恋子は小学三年生だ。
「はい。僕は担任を持っていませんが、よくうちのクラスの子達と遊んでいるのを見かけます。活発で明るい、ボーイッシュな性格という印象ですね」
「うーん……小学生って感じですね。年上の男と付き合っているとは考えにくいな」
「いえ、案外あの年頃の女の子は年上の男性に憧れるものなので有り得なくはないです……とはいえ、他の子達のことも気になりますね。大橋先生、残りの二人のことはわかりますか?」
「ええ。井坂恵美は大人しい子で姫川とは正反対の性格です。絵を描くことが好きなようで、美術部にに所属しています」
「仮に彼女が浮気相手だとしたら、親友の彼氏を寝取ったことになりますね……恋愛には肉食だったりするんでしょうか?」
「少なくとも、小学生女児と付き合うよりはあり得ると思いますね……そしてもう一人、相澤真香は姫川の所属するバレー部のエースで、姫川より一学年上です。花園程ではないですがファンも結構いるようです」
「話だけ聞いていたら相澤さんが一番怪しいですね」
「でも、相澤は最上よりも背が高いんですよ」
「うーん……難しいですね」
バスが終点に到着する。降車したバス停からは昨日行った映画館が見える。
「……昨日、大橋先生が最上くんを見かけたのはあの映画館ですよね?」
「ええ」
「大橋先生、この後予定あります?」
「いえ、このまま帰るだけです」
「なら、少し現場を見に行きませんか?今見たら何か思い出すかもしれませんよ?」
「別にいいですけど」
「よし、それじゃあ行きましょう」
こうして二人は件の映画館へ向かった。
「久しぶりに来たなぁ、何年ぶりだろう」
映画館に入った七里はキョロキョロと周りを見渡す。流石に遅い時間だからか、エントランスに人はいない。
「あっ、ポップコーン売ってる」
七里は売店を指さす。
「大橋先生は映画館で何か食べ物買います?」
「いや、あまりないですね。映画に集中すると食べるのを忘れるんです」
「たしかに、ポップコーンも結構量があるみたいですし、一人だと終わるまでに食べきれなさそうですもんね」
さらっとぼっちで見に来ていたことを言い当てられてしまった。先程の会話をはぐらかすことはできなかったのだろうか。無言で胸を押さえる大橋のことを知ってかしらでか、七里はそのことに一切触れずに大橋に質問を投げかける。
「ところで、例の二人は何か食べ物を持っていませんでしたか?」
「たしか……最上はポップコーンを持っていました。隣の女性はチュロスを持っていました」
「映画館ってチュロスまで売ってるんですか……お腹すいたし、一個買ってきますね」
そう言うと七里は本当に売店に行き、チュロスを一個買って頬張った。
「うん、美味しい」
「ところで、なんでそんなこと聞いたんですか?」
「アレルギーで絞れないかなと思って。恋子ちゃんはそばアレルギーを持っているんですけど……入っていないみたいですね」
「そうか、アレルギーか……あっ、そういえば井坂は小麦アレルギーを持っています」
以前姫川が何も知らずに井坂にクッキーを食べさせようとして、大喧嘩していたのを見たことがある。
「小麦アレルギー……それだとチュロスは食べれないですね。そうなると井坂さんの可能性は消えますね」
「残りは恋子と相澤か」
残ってほしくなかった選択肢が残ってしまった。大橋は頭を抱える。
「あれ、『刑事アインシュタイン』だ」
七里は壁に掲示されたポスターを見ている。そこにはこの映画館で現在上映されている映画のポスターが並んでいる。この映画館はあまり大きくないので、上映されている映画はあまり多くない。
「知ってるんですか?」
「ええ、昔よく見ていました。懐かしいなぁ……もしかして、大橋先生は昨日これを見に来たんですか?」
「はい。時間もちょうどこれくらいでした」
「なるほど。もしかしたら、最上くん達もこの映画を見に来たのかもしれませんね」
「まさか……最上はミステリーが苦手だと言っていました。それなのにわざわざ見に来るわけがない。最上はアニメが好きだと言っていましたし、そっちを見に来たんじゃないですか?」
「『カプセル・アニマルズ』ですね。ただ、公開終了が近いからか一日の上映回数がかなり減っています。この時間帯はもう上映されないみたいですよ」
たしかに近くの上映スケジュールを見ると、その映画の今日の上映は昼間の二回のみだった。
「他にこの時間帯で『刑事アインシュタイン』と上映時間が被っているのは『地獄犬』と『マーベラス・パイロット』だけですね」
『地獄犬』は所謂スプラッター系の任侠物で、『マーベラス・パイロット』は有名なハリウッド俳優が主演を飾る近年話題になった洋画だ。
「『地獄犬』は18禁だから論外だとして……最上くん、洋画の方は?」
「聞いたことがないですね。そもそも実写映画はあまり見ないようです」
「ふむ……『刑事アインシュタイン』にしろ『マーベラス・パイロット』にしろ、最上くん自身が自発的に見に来る可能性は低いようですね」
「だとしたら、相手に合わせたということでしょうか?」
「そうなりますね。恋子ちゃんは人が傷つくドラマが苦手だと言っていたので、どちらも苦手でしょうね。だとすると……」
「可能性が残っているのは相澤だけ。でも、相澤は最上よりも身長が高いですよ」
「それについては考えがあります。大橋先生、最上くんを見た時に違和感はなかったですか?特に、身長とか」
「いや、遠目で見ただけなのでちょっと……」
「なら、周りに身長を比較できそうなものはなかったですか?」
「比較……そうだ、等身大スタンディがありました」
エントランスの入口付近に『カプセル・アニマルズ』の主人公の等身大スタンディが置いてある。大橋はその付近に立っている最上達を見かけたのだ。
「スタンディ……あれですね」
二人は実際に等身大スタンディの前に立ってみる。すると、大橋はあることに気がついた。
「なんか、思っていたよりも大きいですね」
「大橋先生とちょうど同じくらいですね……大橋先生、身長は?」
「180cmくらいです……あれっ」
最上は身長170cm程度しかない。それにもかかわらず、昨日の最上は等身大スタンディと同じくらいの身長を有していた。
「どういうことだ……?」
「おそらく、シークレットシューズを履いていたのではないでしょうか?」
「シークレットシューズ?」
「知りませんか?厚底になっている、履いたら身長を盛ることができる靴のことです。それを使えば、10cmほどなら身長を盛ることができるでしょう」
「なるほど……それだけ盛れれば、最上はこの等身大スタンディと同じくらいの身長になります」
「それだけでなく、相澤さんの身長も優に越せます。まさしく大橋先生が見た通りの光景になるでしょうね」
「そういうことだったのか……」
全ての謎が解けて安心したその時、大橋のお腹がぐうと音を立てた。よく考えたら、まだ晩飯を食べていない。
「よかったら、何か食べていきません?近くにレストランがあるみたいですし」
「……そうしましょう」
後日、姫川にそのことを話すとこの世のものとは思えないような顔で、ちょうど教室に入ってきた最上に詰め寄った。
七里の予想はほとんど当たっており、案の定あの日映画館で一緒にいた女性は相澤だった。しかし以前から相澤と付き合っていたわけではなく、相澤に心移りした最上が映画館に誘い、いい雰囲気になっただけらしい。シークレットシューズを履いたのも、興味のないジャンルに手を出したのも全てカッコつけただけだった。
しかも最上は相澤だけでなく、恋子や井坂にも手を出そうとしていたのだ。実際、井坂は最上に何度も映画館や水族館に一緒に行こうと誘われたことがあるようで、井坂がそう証言すると姫川の表情が怒りを超えてもはや呆れになっていた。
「あーあ、なんでイケメンってろくでもないやつばっかなんだろう……」
「別にイケメン全員がろくでもないやつってわけではないと思うけどね」
「そういう奴に当たったことがないからそう言えるのよ!あーあ、また新しい彼氏作らないとなぁ……あ、次の合コンいつだっけ」
「えっと次はXX中の子達と……」
「よく堂々と俺たちの前でそんな会話ができるな」
「中学生で合コン……」
彼氏に浮気された当の本人であるにもかかわらず、姫川は傷ついた様子を一切見せずに次の出会いを探そうとしている。その様子に七里も若干引いている。
「先生なら黙っててくれるかなって。そうだ、先生も来る?そろそろ結婚しないとヤバいと思うけど」
「あのなぁ……」
大橋が本気で怒っていることにようやく気がついたらしく、姫川達は「やべっ」と席を立ち上がり教室から慌てて出ていった。
「まったく……痛い目を見たからちょっとはマシになると思ったんだがな」
「まさにオシドリのような子達ですね」
「オシドリ?」
「ええ。おしどり夫婦、なんて仲睦まじい夫婦の象徴として扱われていますけど、実際は繁殖期の度にパートナーを変える浮気者なんです。子育てや抱卵すら一緒にしない」
「へえ……たしかに、あの二人に似てるかもしれませんね」
姫川達のはしゃぐ声と、すでにケロッとした顔で自身の教室で友人達とだべる最上の声を聴きながら、大橋はため息をついた。
その人物は最上遊人といい、大橋の持つクラスの生徒だ。隣で彼の腕を抱きしめ、肩に頭を乗せる女性は恐らく彼の彼女である姫川愛子だろう。二人はおしどり夫婦のようだと学年の間で有名だった。
二人は人気アニメ『カプセル・アニマルズ』の主人公の等身大スタンディを見ている。数ヶ月前に公開日を迎えたと話題になっていたのを見たことがある。恐らく二人はあのアニメ映画を見るのだろう。ポップコーンやチュロスまで持って準備万端だ。
中学生が出歩くには遅い時間なので、教師としては注意すべきなのだろうが、大橋は見て見ぬふりをすることにした。良い雰囲気の二人を邪魔したくないし、何よりもう映画が始まってしまう。幸い二人は気づいていない。話しかけられても面倒なので、大橋はそっと中へ入っていった。
休み明けの四限終了後、職員室に戻る準備をしていた大橋は奇妙な光景を見かけた。姫川が机に突っ伏し、周りにいる数名の友人に励まされているのだ。
「だから言ったじゃない、あんな男やめた方がいいって」
「でもぉ……」
まさか最上と喧嘩でもしたのだろうか。つい昨夜まであんなにいい雰囲気だったのに?
姫川の担任ですらないのだから本来は首を突っ込まなくてもよい案件なのだが、かれこれもう五分程あの調子なので少し話を聞くことにした。
「大丈夫か?」
「大橋せんせぇ……」
顔を上げた姫川は鼻水と涙でビシャビシャになっており、バッチリ決まっていたメイクが台無しだ。
「最上と何かあったのか?」
大橋がそう聞くと、姫川の目から更に涙が溢れた。
「うぅ、遊人が……遊人がぁ……」
もはや口から発されるもののほとんどが嗚咽となり、言葉を伝えることすらままならないようだ。代わりに周りの友人達が事情を説明する。
「実は、ここ数日間遊人と連絡が取れてないらしいんです。直接クラスに会いに行っても避けられているのかクラスにいなくて……」
「えっ、でも昨日――」
映画館で一緒にいたじゃないか。
そう言おうとした自身の口を咄嗟に塞ぐ。ようやく大橋も事情を察したのだ。
「昨日?」
「先生、もしかして遊人のことを見かけたんですか?」
「いや、別に……」
「大橋先生」
姫川の方を見ると、彼女は涙を必死にこらえ、真剣な目で大橋を見ていた。
「教えてください。遊人は誰かと一緒にいたんですよね?」
大橋は観念して昨日の様子を話した――最上が姫川以外の女性と親しくしていたということを。
要するに、最上は浮気をしているのだ。大橋は昨日見かけた女性を姫川だと思い込んだが、実際は別の女性だった。最上は恋人である姫川を差し置いてその女性と映画を見に行っていたのだ。
その事を姫川に伝えると一層酷く泣き出したが、しばらくすると悲しみが怒りに変わったようで、その形相は小尉から般若へと変貌した。それが自身に向けられたものではないとわかっていても、思わず萎縮してしまう。
「先生、その女はどんな奴でしたか?」
「いや、顔までは見えなかったな……」
「特徴だけでもわかりませんか?」
「特徴……そういえば、最上よりも小さかったな。ちょうど最上の肩くらいの身長だった」
大橋がそう言うと、心当たりがあるのか姫川は顔のしわを更に深めた。般若を超えると、次は何になるのだろうか。
「あいつ……!」
「心当たりでもあるのか?」
友人達によると、容疑者(姫川達は最上と浮気している疑惑のある女性のことをそう呼んだ)は三人いるらしい。姫川の親友である井坂恵美、妹の姫川恋子、部活の先輩の相澤真香の三人だ。三人とも最上が姫川と付き合っているのを知っているにもかかわらず最上との距離感が近かったようで、ずっと疑っていたらしい。しかしこの中で最上よりも身長が低いのは恋子のみで、井坂は最上と同じくらい、相澤に至っては最上よりも身長が高い。
そう考えたらたしかに最上の浮気相手は恋子なのかもしれない。しかしそんな簡単に断定しても良いのだろうか?最上が姫川の知らない女性といつの間にか親しくなっていた可能性だってある。というかそう考えたい。なにせ、恋子はまだ小学生だ……。
「とにかく、何か思い出したことがあったら教えてください」
「わ、わかった……」
姫川達の気迫に気圧され、大橋は荷物をかき集めて逃げるように教室を出た。
「いやあ、わかりませんよ。最近の小学生はませていますからねぇ」
遅い時間のバスに乗り込む生徒はほぼおらず、簡単に二人分の座席を確保することができた。
最上と姫川の件を七里に話すと、意外にも彼は食いついてきた。どうやら彼はこういったゴシップ話にも興味があるらしい。
「にしても中学生で付き合うだけじゃなく浮気まで……僕なんて大学生ではじめて女の子と付き合ったのに」
「へえ、七里先生は女性経験あるんですね」
「まあ、一年程で別れてそれっきりですけどね。大橋先生は?」
「いや、まあ……」
七里の質問を苦笑いで流す。七里に経験があるとわかった今、事実なんて言えたものじゃない。慌てて話題をそらすことを試みた。
「ところで、その姫川恋子ってどんな子なんですか?たしかうちの小学校に通ってますよね?」
姫川姉妹は幼稚園からハイド学園に通っている。愛子は中学二年生、恋子は小学三年生だ。
「はい。僕は担任を持っていませんが、よくうちのクラスの子達と遊んでいるのを見かけます。活発で明るい、ボーイッシュな性格という印象ですね」
「うーん……小学生って感じですね。年上の男と付き合っているとは考えにくいな」
「いえ、案外あの年頃の女の子は年上の男性に憧れるものなので有り得なくはないです……とはいえ、他の子達のことも気になりますね。大橋先生、残りの二人のことはわかりますか?」
「ええ。井坂恵美は大人しい子で姫川とは正反対の性格です。絵を描くことが好きなようで、美術部にに所属しています」
「仮に彼女が浮気相手だとしたら、親友の彼氏を寝取ったことになりますね……恋愛には肉食だったりするんでしょうか?」
「少なくとも、小学生女児と付き合うよりはあり得ると思いますね……そしてもう一人、相澤真香は姫川の所属するバレー部のエースで、姫川より一学年上です。花園程ではないですがファンも結構いるようです」
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「でも、相澤は最上よりも背が高いんですよ」
「うーん……難しいですね」
バスが終点に到着する。降車したバス停からは昨日行った映画館が見える。
「……昨日、大橋先生が最上くんを見かけたのはあの映画館ですよね?」
「ええ」
「大橋先生、この後予定あります?」
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「なら、少し現場を見に行きませんか?今見たら何か思い出すかもしれませんよ?」
「別にいいですけど」
「よし、それじゃあ行きましょう」
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「久しぶりに来たなぁ、何年ぶりだろう」
映画館に入った七里はキョロキョロと周りを見渡す。流石に遅い時間だからか、エントランスに人はいない。
「あっ、ポップコーン売ってる」
七里は売店を指さす。
「大橋先生は映画館で何か食べ物買います?」
「いや、あまりないですね。映画に集中すると食べるのを忘れるんです」
「たしかに、ポップコーンも結構量があるみたいですし、一人だと終わるまでに食べきれなさそうですもんね」
さらっとぼっちで見に来ていたことを言い当てられてしまった。先程の会話をはぐらかすことはできなかったのだろうか。無言で胸を押さえる大橋のことを知ってかしらでか、七里はそのことに一切触れずに大橋に質問を投げかける。
「ところで、例の二人は何か食べ物を持っていませんでしたか?」
「たしか……最上はポップコーンを持っていました。隣の女性はチュロスを持っていました」
「映画館ってチュロスまで売ってるんですか……お腹すいたし、一個買ってきますね」
そう言うと七里は本当に売店に行き、チュロスを一個買って頬張った。
「うん、美味しい」
「ところで、なんでそんなこと聞いたんですか?」
「アレルギーで絞れないかなと思って。恋子ちゃんはそばアレルギーを持っているんですけど……入っていないみたいですね」
「そうか、アレルギーか……あっ、そういえば井坂は小麦アレルギーを持っています」
以前姫川が何も知らずに井坂にクッキーを食べさせようとして、大喧嘩していたのを見たことがある。
「小麦アレルギー……それだとチュロスは食べれないですね。そうなると井坂さんの可能性は消えますね」
「残りは恋子と相澤か」
残ってほしくなかった選択肢が残ってしまった。大橋は頭を抱える。
「あれ、『刑事アインシュタイン』だ」
七里は壁に掲示されたポスターを見ている。そこにはこの映画館で現在上映されている映画のポスターが並んでいる。この映画館はあまり大きくないので、上映されている映画はあまり多くない。
「知ってるんですか?」
「ええ、昔よく見ていました。懐かしいなぁ……もしかして、大橋先生は昨日これを見に来たんですか?」
「はい。時間もちょうどこれくらいでした」
「なるほど。もしかしたら、最上くん達もこの映画を見に来たのかもしれませんね」
「まさか……最上はミステリーが苦手だと言っていました。それなのにわざわざ見に来るわけがない。最上はアニメが好きだと言っていましたし、そっちを見に来たんじゃないですか?」
「『カプセル・アニマルズ』ですね。ただ、公開終了が近いからか一日の上映回数がかなり減っています。この時間帯はもう上映されないみたいですよ」
たしかに近くの上映スケジュールを見ると、その映画の今日の上映は昼間の二回のみだった。
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「聞いたことがないですね。そもそも実写映画はあまり見ないようです」
「ふむ……『刑事アインシュタイン』にしろ『マーベラス・パイロット』にしろ、最上くん自身が自発的に見に来る可能性は低いようですね」
「だとしたら、相手に合わせたということでしょうか?」
「そうなりますね。恋子ちゃんは人が傷つくドラマが苦手だと言っていたので、どちらも苦手でしょうね。だとすると……」
「可能性が残っているのは相澤だけ。でも、相澤は最上よりも身長が高いですよ」
「それについては考えがあります。大橋先生、最上くんを見た時に違和感はなかったですか?特に、身長とか」
「いや、遠目で見ただけなのでちょっと……」
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「シークレットシューズ?」
「知りませんか?厚底になっている、履いたら身長を盛ることができる靴のことです。それを使えば、10cmほどなら身長を盛ることができるでしょう」
「なるほど……それだけ盛れれば、最上はこの等身大スタンディと同じくらいの身長になります」
「それだけでなく、相澤さんの身長も優に越せます。まさしく大橋先生が見た通りの光景になるでしょうね」
「そういうことだったのか……」
全ての謎が解けて安心したその時、大橋のお腹がぐうと音を立てた。よく考えたら、まだ晩飯を食べていない。
「よかったら、何か食べていきません?近くにレストランがあるみたいですし」
「……そうしましょう」
後日、姫川にそのことを話すとこの世のものとは思えないような顔で、ちょうど教室に入ってきた最上に詰め寄った。
七里の予想はほとんど当たっており、案の定あの日映画館で一緒にいた女性は相澤だった。しかし以前から相澤と付き合っていたわけではなく、相澤に心移りした最上が映画館に誘い、いい雰囲気になっただけらしい。シークレットシューズを履いたのも、興味のないジャンルに手を出したのも全てカッコつけただけだった。
しかも最上は相澤だけでなく、恋子や井坂にも手を出そうとしていたのだ。実際、井坂は最上に何度も映画館や水族館に一緒に行こうと誘われたことがあるようで、井坂がそう証言すると姫川の表情が怒りを超えてもはや呆れになっていた。
「あーあ、なんでイケメンってろくでもないやつばっかなんだろう……」
「別にイケメン全員がろくでもないやつってわけではないと思うけどね」
「そういう奴に当たったことがないからそう言えるのよ!あーあ、また新しい彼氏作らないとなぁ……あ、次の合コンいつだっけ」
「えっと次はXX中の子達と……」
「よく堂々と俺たちの前でそんな会話ができるな」
「中学生で合コン……」
彼氏に浮気された当の本人であるにもかかわらず、姫川は傷ついた様子を一切見せずに次の出会いを探そうとしている。その様子に七里も若干引いている。
「先生なら黙っててくれるかなって。そうだ、先生も来る?そろそろ結婚しないとヤバいと思うけど」
「あのなぁ……」
大橋が本気で怒っていることにようやく気がついたらしく、姫川達は「やべっ」と席を立ち上がり教室から慌てて出ていった。
「まったく……痛い目を見たからちょっとはマシになると思ったんだがな」
「まさにオシドリのような子達ですね」
「オシドリ?」
「ええ。おしどり夫婦、なんて仲睦まじい夫婦の象徴として扱われていますけど、実際は繁殖期の度にパートナーを変える浮気者なんです。子育てや抱卵すら一緒にしない」
「へえ……たしかに、あの二人に似てるかもしれませんね」
姫川達のはしゃぐ声と、すでにケロッとした顔で自身の教室で友人達とだべる最上の声を聴きながら、大橋はため息をついた。
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百門一新
ミステリー
雪弥は、自身も知らない「蒼緋蔵家」の特殊性により、驚異的な戦闘能力を持っていた。正妻の子ではない彼は家族とは距離を置き、国家特殊機動部隊総本部のエージェント【ナンバー4】として活動している。
彼はある日「高校三年生として」学園への潜入調査を命令される。24歳の自分が未成年に……頭を抱える彼に追い打ちをかけるように、美貌の仏頂面な兄が「副当主」にすると案を出したと新たな実家問題も浮上し――!?
日本人なのに、青い目。灰色かかった髪――彼の「爪」はあらゆるもの、そして怪異さえも切り裂いた。
『蒼緋蔵家の番犬』
彼の知らないところで『エージェントナンバー4』ではなく、その実家の奇妙なキーワードが、彼自身の秘密と共に、雪弥と、雪弥の大切な家族も巻き込んでいく――。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
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