七里圭のハイド学園事件簿

れん

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マドンナとラブレター

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「大橋先生、少し相談があるんですけど……」
 吹奏楽部の練習後、既にほとんどの生徒が退出した教室で大橋朝日は花園華恋ハナゾノカレンに話しかけられた。
 花園は琵琶南中学校の生徒会長を務めながら、吹奏楽部のサックスパートのリーダーも兼任している。所謂美人と呼ばれる顔立ちで性格も良く、学校中に彼女に恋する男達がいるそうだ。
「どうしたんだ?」
「実は、今朝こういう手紙が届いて」
 花園は一通の手紙を取り出した。封筒には『花園かれんさんへ』と汚い文字で書かれている。心做しか筆圧も濃い。
「これは……手紙?」
 花園はモテるしラブレターなんじゃないか、などとも思ったが、それを口にすればセクハラにあたるだろう。
「どこに入ってたんだ?」
「下駄箱の中です。朝来たら手紙が入っていたんです」
「昨日下校する時は入ってなかったのか?」
「はい。だから、私が帰った後か来る前に入れられたんだと思います」
「なるほど……この手紙、俺が預かっててもいいか?」
「はい。お願いします」
 花園が出ていった後、大橋は封筒の中から便箋を取り出した。

『花園かれんさんへ
 かれんさんのサックスの音が大すきです。もっとかれんさんのサックスが聞きたいです。これからもれんしゅうがんばってください』
「なるほど……確かに花園さんに対するラブレターのように思えますね」
 大橋は一緒に昼食を食べていた七里圭に件の手紙を見せた。七里とは楽譜の件以降何度か顔を合わせるうちに仲良くなった。七里は頭が切れるので、大橋は何か難しい案件が舞い込んできたら七里に相談するようになった。
 現在も帰りのバスで二人座席に座りながら話をしている。
「大橋先生はどうお考えなんですか?」
「やっぱり花園のことが好きな男子の仕業だと思いますね。ラブレターを渡されたことは結構あるらしいですし、今回もそういうことかと」
「へえ、まさにマドンナってわけですね」
「定期的に注意してるんですが……なかなかなくならないんですよ」
 花園は以前ストーカー被害にあっており、それ以来好意を向けられることがトラウマになったらしい。困ったことにラブレターというのは差出人が書いていないことが多く、花園の恐怖を更に煽るのだ。
「しかしこれ、本当に花園さんへのラブレターですかね?」
「え?」
「だって、ラブレターなら普通『あなたのことが好きです』とか『付き合ってください』とか書きません?もしくは『放課後体育館裏に来てください』とか。なのにこの手紙はひたすらに花園さんのサックスを褒めるだけだ」
「たしかに……これだとラブレターというよりもファンレターだ」
 花園に対するファンレターも少なくない。吹奏楽部の定期演奏会では部員に対する差し入れの受付があるが、毎回かなりの枚数の花園に対するファンレターが届く。その中にはファンレターという名のラブレターも含まれているが、純粋に花園のサックスを褒める手紙も多い。
「しかし、そうなるとますます差出人を探すのが難しくなるな。ラブレターなら心当たりが何人かいましたが、花園のサックスに対するファンは把握できてませんから」
「そうですね。まあ少なくとも下駄箱に入れている時点で学校関係者だとは言えるでしょう」
「ですね」
 七里は水筒を取り出し、三割も残っていなかった茶を飲み干した。
「それじゃあ、手紙の差出人が誰なのか少し考えてみましょう。花園さんの話によると、手紙はおそらく花園さんが登校する前か、下校した後に下駄箱へ入れられたんですよね?」
「そういうことだと思います」
「となると、差出人は吹奏楽部よりももっと遅い時間まで活動している部活か、花園さんが登校してくるよりもっと早い時間から朝練のある部活の部員さんですかね」
 中学校吹奏楽部は午後三時五十分に一度集合し、そこから各パートに別れて午後六時まで練習を続ける。
「吹奏楽より遅い時間……中学校はバレー部とバスケ部だけですね。朝練を行っている部活も同じです。高校はどうだったかな……」
「たしか、運動部全般はほとんど午後七時くらいまでやってた気がします。朝練に積極的な部活も多いですね。文化部は……吹奏楽部くらいでしょうか?」
「これだけだと全然絞れませんね……」
「いえ、絞る方法はもうひとつあります。花園さんの練習場所です」
「どういうことですか?」
「この時期は学内演奏も定期演奏会もないでしょう?それ以外で花園さんの演奏を聞くとなると、練習の時くらいしかないはずです」
「それもそうですね……でも楽器の音は学園中に響き渡ります。かなりの広範囲になりそうですが……」
「『吹奏楽部の』演奏のファンなら絞り込むのは難しいでしょう。でも、今僕たちが探しているのは『花園さんの』演奏のファンです。花園さんのサックスだと分かるということは、かなり近距離で聞いていることになります」
「たしかに……」
「大橋先生、花園さんは普段どこで練習しているんですか?」
「サックスを含む高音域の楽器は中庭で練習しています。花園はたしか……いつも西館前で練習しています。それも、かなり本館寄りの方です」
 中学吹奏楽部には総勢五十名の部員がいる。なのでとてもじゃないがひとつの教室内では練習ができない。そのため、中学吹奏楽部はいつも学園内の数箇所に別れて練習している。移動が困難な打楽器は楽器庫前、移動は可能だが大きく重いチューバやバリトンサックスなど低音域の楽器は南館内の教室、持ち運びが楽なフルートやサックスなど高音域の楽器は中庭で練習している。ただし高音域の楽器のみ高校吹奏楽部の練習場所と被っており、それぞれの部員達の交流もあるため、実質合同練習のようになっている。
「おおよそ学園の北西付近ですか……運動部が活動しているグラウンドや体育館からはかなり離れていますね」
 ハイド学園は主に中学校の南館、小学校の西館、特別教室の東館、高校の本館に分けられるが、もちろんグラウンドや体育館もある。しかしどちらも南東の方にあるため、花園の練習場所とは正反対の場所に位置している。
「だとすると、中高どちらかの吹奏楽部員の誰かってことか」
「おそらくそういうことになりますね」
 バスが停止する。目的地である駅に到着したのだ。バスを降りて七里と別れた後、大橋は部員たちの顔を浮かべていたが、皆そのようなことをするとは思えなかった。楽器の腕前なんて同じ吹奏楽部員なのだからその場で褒めればいい。花園への嫌がらせの可能性も考えたが、やはり違う気がする。SNSではなくわざわざ手紙を出すなんて非効率的だし、誰かに見られたらすぐに犯人だとバレてしまう。そんな遠回しかつ危険を伴う行為を嫌がらせのためだけに行うだろうか?
「誰なんだ……?」
 ゆっくりと歩いてたはずなのに、あっという間に家へと着いてしまった。しかし、大橋の考えは何一つまとまらなかった。

 次の日の放課後、吹奏楽部はいつも通り練習を始めた。部員達が各々練習している間、大橋は使用する楽譜を整理したりサボっている部員がいないか抜き打ちで練習を見に行ったりする。この日はやはり手紙の件が気になったため、花園の練習を見に行くことにした。
 花園は今日も西館前で練習している。周りで高校生も数名練習しているが、引けを取らない実力だ。
「花園、調子はどうだ?」
「まあまあです」
「そうか。今日は何かあったか?」
 周りに聞こえないように大橋は声を潜めた。もちろん、手紙の件についてだ。
「はい。実はまた手紙が届いて……」
 花園は楽譜を挟んだファイルの中から手紙を出した。前回と同じ封筒と筆跡だ。差出人は恐らく同一人物だろう。
「読んでもいいか?」
「どうぞ」
 大橋は封を切り、中の便箋を取り出した。
『花園かれんさんへ
 いつもれんしゅうしていてすごいです。いつかいっしょにえんそうできるようになりたいです。これからもがんばってください』
「うーん、なんかやけに――」
「やけにひらがなの多い手紙ですね」
 いつの間にか大橋の後ろから七里がひょっこりと顔を出し、例の手紙を読んでいた。予想もできなかった七里の登場に、思わずギョッとする。
「大橋先生、なんでここにいるんですか?」
「今日は合唱部の練習がなくなったので、気になっていた花園さんの練習場所を見に来たんです」
 そう言うと七里は辺りを見渡す。体育館とグラウンドはここから死角に位置するため見えない。
「たしかに、グラウンドからここは見えそうにないですね。体育館なんて尚更だ」
「あの……」
 遠慮がちに花園が七里に話しかける。
「ああ、勝手に手紙を読んでしまってごめんなさい」
「いえ、それはいいんです。でもなんで七里先生が?」
 以前吹奏楽部の練習を七里が見学しに来たことがあるため、花園は七里のことを知っている。
「手紙の件で花園さんが困っていると大橋先生から聞いたんです。それで少しでもお役に立てたらと色々考えていたんです」
 部員たちの練習する楽器の音に混じって小学生の騒ぐ声が聞こえてくる。七里がここにいることからもわかる通り、小学校の帰りの会はとっくに終わっているはずだ。
「大橋先生、あれから色々考えていたんですけど、やはり手紙の差出人は運動部員ではないと思います」
「ええ。だから中高どちらかの吹奏楽部の誰かだってことになったんですよね?」
「僕もそう思っていました。でも、今この辺を見てもうひとつの可能性に気づいたんです」
 小学生の声は西館よりもさらに北に位置する駐車場から聞こえてくる。小学生の一人が七里に気が付き大きく手を振った。七里もそれに応えて手を振る。
「この手紙の差出人、小学生なんじゃないですか?」

「……はい?」
「小学生達の登下校の手段はいくつか種類があります。徒歩、自転車、そして親御さんによる送り迎えです。送り迎えの場合、基本的には帰りの会が終わるくらいのタイミングで親御さんがお迎えに来るんですが、中には仕事が忙しくお迎えが遅れるため、しばらくああして待っている子達もいるんです」
 駐車場前に集まっている小学生達は読書や鬼ごっこなど、各々が好きなことをして親を待っているようだ。
「そういった子達も基本的には十分ほどで親御さんが迎えに来るんですけど、中には一時間近く待つ子もいるんです。本当は安全のためにも学童に入って欲しいんですが……このご時世、難しいんでしょうねぇ。
 それに、そういう子達の親御さんは始業時間も早いらしく、子ども達もかなり早い時間に登校してきます。中には八時よりも前に来る子もいます」
「私はいつも八時十五分くらいに学校に着くので……たしかに下駄箱に手紙を入れられますね」
「はあ……まあたしかに、それなら小学生の中にも花園の演奏を見聞きしたり気づかれないように下駄箱に手紙を入れたりできる子はいるでしょうね。でも、だからって小学生が差出人とは考えにくいような……」
「いえ、そんなことないですよ。手紙を見せていただいた時、実は内容以外にもいくつか不思議な点を見つけていたんです。まずはひらがなが多い……というよりも使用されている漢字が少ないという点です。昨日の手紙だけなら漢字が苦手なのかなと思えたのですが、この手紙は明らかに漢字が少すぎます。練習、とか演奏、とか漢字を使おうと思えば使える場所はいくらでもあるにも関わらずです」
「それは俺も不審に思いました。でもなぜそんなことを……」
「大橋先生、昨日の手紙はありますか?」
「ええ、たしかこの辺に……あった」
 花園に返すためにと持ってきた手紙を七里に渡す。七里は便箋を広げ、使用されている漢字を指でなぞる。
「花、園、音、大、聞……実はこれ、全て小学二年生までに習う漢字なんです。三年以降で習う漢字が使用されていない。それはつまり……」
「……差出人は小学二年生までの漢字しか知らない、ということですか?」
「きっとそういうことだと思います」
「たしかに、それなら小学生以外とは考えにくいですね」
 偏差値が特別高いというわけではないものの、中学校と高校には入学試験が設けられている。さすがに小学三年生以降で習う漢字を知らないと試験に合格することはできないだろう。
「それともう一つ。この手紙に使われている便箋と封筒、やけに可愛くないですか?」
 たしかに、使用されているそれらは水玉模様にリボンとかなり可愛らしく、男子のものだとは考えにくい。
「もちろん可愛いものが好きな男子という可能性もありますし、花園さんの好みに合わせようとした可能性もあります。ただ、少し気になったのがこのキャラクターです」
 七里は便箋の右下の方を指さす。そこには爪楊枝のような物が刺さったやけに丸い涙目の雪うさぎが描かれている。
「なんですかこれ」
「もちまるうさぎというキャラクターらしいです。今小学生の間で流行っているらしく、うちのクラスの女の子も皆この子のグッズを持っているんです。ただ、どうも中高生の間では流行っていないらしく、この子の存在を知らない子もいるみたいですね」
「たしかに、うちのクラスでは見ないですね」
「そんなもちまるうさぎのグッズの一つであるお手紙セットを持っているということは、小学生の可能性が高い……このことも僕の考えの根拠のひとつになるのではないでしょうか?」
「そうですね。ここまで根拠が揃えば差出人もかなり絞れそうだ」
「ええ。中学吹奏楽部が演奏を始める三時五十分以降まで残っている、おそらく小学生二年生程度の、多分女の子。つまり――」
 その瞬間、後ろから少女のすすり泣く声が聞こえてきた。振り返ると、先程から駐車場前のベンチに座っていた小柄な少女がボロボロと涙を流していた。周りの小学生達はどうすれば良いのかわからないのか、不安そうにそれを見つめつつも動かない。
「みいちゃん、どうしたの?」
 すかさず七里がみいちゃんと呼んだ少女に近寄り、優しく肩を撫でる。何気に初めて七里の小学校教諭らしいところを見たかもしれない、と大橋は場違いなことを考えていた。
「しちりせんせぇ……わたし、わたしぃ……」
 さすがに鈍感な大橋も、差出人の正体に気づいたようだ。

 やはりというべきか、連日花園の下駄箱に入っていた手紙の差出人はあの少女だった。みいちゃん……もとい立花明日咲タチバナツボミは三年生になったばかりの小学生だった。両親が共働きで、いつも朝早くに学校に送られ、学校が終わってからも親が迎えに来るまで駐車場前のベンチに座って大人しく本を読んでいる。引っ込み思案な性格で、人に話しかけるのが苦手らしい。
 そんな彼女が憧れていたのが花園だった。ずっと話がしたかったが話しかける勇気がなかったので、手紙を書くことにしたらしい。学園冊子に掲載された彼女の名前と学年を元に下駄箱を見つけ出し、誰にも見つからないようにこっそりと中に手紙を入れたのだ。
 ごめんなさい、ごめんなさいと泣きじゃくる立花に花園は近づき、彼女の手を取った。
「ありがとう、私の演奏を褒めてくれて」
「おこってないの……?」
「当たり前じゃない!褒められて喜ばない人なんていないでしょう?」
 立花はこくりと頷く。
「私、あなたと友達になりたいの」
「ほんとう?」
「ええ。あなた、サックスに興味ある?良かったら教えてあげるわ」
「うん、うれしい!」
 立花はぱあっと笑顔になった。その様子を見ていた七里は目を丸くしている。
「なるほど、花園さんが皆に愛されている理由がよく分かりますね」
「全くです。花園は本当に大したやつですよ」
 容姿端麗で頭脳明晰、スポーツも芸術もなんでもできる完璧な彼女の一番良いところは、やはり優しい心だろう。
「僕達も見習いたいですね」
 そう言って七里は柔らかい笑みを浮かべた。
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