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王都騎士団
補佐のお仕事
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団長補佐見習いになって二日目、実質補佐見習い初日。
午後からの勤務で良いと言われていたユリエルは、それはそれはゆっくり目覚めた。
目覚めると太陽はほぼ真上で、部屋にかかった時計を見ると、すでに十二時を回っている。
そろそろ食堂へ行かなければ、昼の定食を選べないかもしれない。
(そういやこの部屋、時計まであるのか……)
あらためて見回してみると、さすがは団長補佐の部屋、家具や調度品が下っ端小隊のそれとはまったく違う。
時計は執務に必要なものだとしても、机も天板が一枚板のもので脚にも装飾がほどこされているし、ベッドも厚みのあるマットが敷かれているので寝心地が良かった。窓も大きく、カーテンも高そうな刺繍の入ったものだ。
(上位職は侯爵家以上の貴族も多いしな……)
単なる軍人や、ここ王都騎士団でも小隊長以下であれば平民が多いが、上位の役職を得られるような人間は、やはりそれなりの家の出身者がほとんどになる。
身分による差別というよりは、上の方でうまくやっていくためにはそれなりの教養も必要だし、平民では周囲の推薦が受けづらい。平民が上に立つと貴族出身の部下が命令に従わないケースもあり、あまりメリットがないのだ。
団長のダディエ・ミルボーも、実家は侯爵家だ。
ユリエルの実家、コンスタン家は男爵なので、同じ貴族でも雲泥の差だといえる。
身なりをととのえ、食堂へ向かおうとした時、廊下側のドアがノックされた。
「はい」
「ユリエル・コンスタン卿でいらっしゃいますか」
「はい、昨日から団長補佐見習いとして配属されました、ユリエル・コンスタンです」
「お休みのところ申し訳ございません。私は団長補佐のエルマであります」
「今、開けます」
ドアを開けると、眼鏡をかけた真面目そうな男が立っていた。
年の頃は三十代半ばといったところだろうか。
騎士団所属にしては小柄で、ふわふわとした栗色の髪がちょっと犬みたいだ。
「お初にお目にかかります。団長補佐のエルマと申します」
「はい、あの、私の方が身分が下ですので、どうかそのように謙らないでください」
「ああ……そう、ですね……申し訳……ああ……ええと……上が下に謝るにはなんといえばいいのか……」
なんとも妙なところでつまずいている。
家名を名乗らなかったということは、おそらく平民出身なのだろう。
「用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
ちっとも話が進まないので用件を促す。
できればとっとと食堂へ行きたい。
「あ、はい! 昼食がまだであれば、一緒に執務室で食べないかと団長殿が仰せです」
「昼食ですか?」
「はい。もしやもうお済みですか?」
「いえ、これから食堂へ向かおうと思っていたところです」
「では、ぜひ。お口に合うかはわかりませんが……」
廊下の反対側にある執務室へ向かうと、テーブルには湯気の立つ料理が並べられていた。
パンにサラダにスープ、肉も魚もエビも見える。
「団長、ユリエル・コンスタン卿をお連れしました」
団長に頭を下げる様子は、団長補佐というよりも使用人っぽい。
エルマは出仕経験でもあるのだろうか。
「おはようございます。ユリエル・コンスタン団長補佐見習い、ただいま参りました!」
「ああ、おはよう。……もう少し控えめでいいんだが」
きっちり礼を取り、声を張り上げるユリエルに、ダディエは苦笑いをする。
「まあいい、紹介しよう。こちらは、挨拶は済んだと思うが、エルマ補佐。主に寮内の生活に関わる部分の事務や経理、設備管理などを担当してもらっている補佐官だ。君とは別の意味で丁寧過ぎるところがあるが、非常に有能だよ」
エルマはあらためて頭を下げる。
軍式の礼ではない辺り、やはり騎士団員というよりは使用人のようだ。
「そして、こっちがアンスヘルム・リューンベリ補佐。君と同じく男爵家の出身だ。各種書類作成や関係機関との連絡・調整を担ってくれている」
「アンスヘルム・リューンベリです。お会いできて光栄です、ユリエル・コンスタン卿」
こちらは、物腰が貴族らしい。
同じ男爵といえど、リューンベリ家は商家の娘を娶り、特に茶の販売で財を成している富豪だ。
サラリとした茶色い髪に切れ長の瞳で、口元には笑みを浮かべているが、ちっとも笑っている感じはしない。良い意味でも悪い意味でも貴族らしい男だ。
「お初にお目にかかります。ユリエル・コンスタンと申します。リューンベリ家ということは、昨日の茶葉はリューンベリ男爵領のもので?」
昨日、急に紅茶を淹れるように命令されたのを思い出す。
団長用の紅茶だからとあまり気には留めなかったが、ずいぶん香りの良い良質な茶葉だとは思っていた。
リューンベリ産の紅茶ならば、品質が高いのも道理だ。
「ええ、こちらの茶葉はすべて私が実家から取り寄せております。おわかりになるとはなんともお目が高い」
「ああそうだ、後でまた紅茶を淹れてくれ。茶葉は良いらしいんだが、誰が淹れてもそんなに美味くならんのだ」
横から団長が言う。
茶葉をメインに稼いでいるリューンベリ家の子息が紅茶を淹れられないというのもなんとも微妙な話だが、まあ普通の貴族は自分で茶なんて淹れないものなので仕方がない。
「はい、すぐにでも」
「まあ待て。先に説明させろ。
エルマ、アンス、こいつは昨日付で補佐見習いになったユリエル・コンスタンだ。さっきも説明したが、訳ありで異動になった。入団してまだ一週間のド新人だから、丁寧に教えてやって欲しい」
「ご指導、よろしくお願いいたします!」
ユリエルはバッと腰を折って頭を下げた。
(だいぶ暑苦しい)
(品がない)
(男爵家の御子息に頭を下げられても困る)
三人が三様のことを思ったが、ユリエルはまったく気付かない。
「……で。昨日会ったのがクライブ・パーション。実家は公爵家で、特に面倒な執務を一手に引き受けてくれている。補佐は他に二人居るが、そっちは訓練や任務、規律等の補佐だからこっちにはほとんど来ない」
補佐は五人いるが、事務方は三人ということか。
ユリエルは紹介を脳内で反芻した。
騎士団の身分は別なので忘れがちだが、家格を失念すると余計なトラブルを起こしかねないので、特に注意しなければならない。
特にパーション家は数代前に王子の一人が廃籍してできた王族の血筋だ。クライブを敵には回せない。
リューンベリ家は同じ男爵家とはいえ、商家と結んだ富豪。辺境伯ほどの力がある。あの胡散臭い貴族スマイルは、絶対歓迎されていない。
エルマは逆に、騎士団では先輩にあたるのに家格を気にしすぎて謙ってくる癖があるのでフランクになりすぎないようにしなければならないだろう。
紅茶を今日は人数分淹れ、四人で昼食をとった。
料理はエルマが作ったというが、どれも非常に美味い。
そもそもは料理人で、食材を求めて森に入るために剣やら弓やらを覚え、さらに大型の獣を解体することで力をつけたところをスカウトされて王都騎士団に入団した異色の人物だった。
が、そこまでは語らない。
この場で知っているのは、ダディエ団長とエルマ本人だけだ。
「ユリエルには当面夜勤を担当してもらおうと思うんだが、どうかな」
食後の紅茶を堪能していると、団長が三人に問うた。
「それは、我々補佐がしばらく夜勤をしなくて良い、ということですか?」
「ああ。そもそも夜勤は形式的なもので、そんなに仕事もないからな」
「であれば有り難い」
アンスヘルムが素直に言う。
夜勤は仕事は楽だが、生活のリズムが狂うのでそういった意味でキツかった。
「私も異論ございません」
エルマも言う。
「ユリエルもそれでいいか?」
「はい、どのような仕事でも拝命いたします」
「大丈夫、そんな身構えるような仕事はまだ与えないよ。昼の仕事も少しずつ覚えてもらいたいから、こうして昼食をとった後に二時間程度補佐の手伝いをしてもらって、再度夕方六時から朝六時までの夜勤でどうだろう」
(おお、そこそこブラックだぁ)
ユリエルは心の中で思う。
前世なら労基法にひっかかる。
(ん? 労基法ってなんだっけ……)
王都騎士団は、朝六時から夕方六時までの十二時間勤務が基本だ。
もちろんその間不休というわけではないが、キツい鍛錬が職務の大半を占めるのでかなりハードだ。
(でもまあ、事務仕事中心になりそうだから楽か)
「ユリエル・コンスタン補佐見習い、昼食後二時間程度、および夕方六時から朝六時までの夜勤を拝命いたします!」
「ではコンスタン卿、今日はこれをまとめてもらいたい」
「経費申告書、ですか?」
「ああ。個人や各小隊から来ている書類を見ながら、項目ごとに分けて計算してもらいたい」
要は領収書的なものを見て経費をまとめろという作業だ。
(パソコンがあれば楽なのになぁ……)
ユリエルは、パソコンの記憶を見る。
この世界にはない便利機器の一つだ。
(ああ、でも表計算画面をイメージしてまとめればわかりやすいか……)
そうして、紙に表を作り始める。
(項目は大項目と小項目を設けて……個人と隊の支出は部門を分けて別表の方がいいか……)
表に項目や数値を書き入れていく。
(よし、あとは計算だな)
「できました」
「「「え?」」」
三人分の疑問符が重なった。
「ちょっ、見せなさい!」
アンスヘルムが、奪うようにして紙を見る。
わかりやすくまとめられた表に、正確な計算……
「この、文字と数字は?」
暗号のような文字と数字の羅列は不可解だ。
「参照番号です。各書類に番号を振って、どの書類が根拠になるのかを明記しました。その際、申請者もわかるように、例えば第一小隊ならT01、人名は長い場合もあるので五桁になるように記号化して、日付と通し番号とをつなげてあります」
そう言われて眺めれば、どこの誰が申請したのか、元の書類を見なくても理解できた。
「……コンスタン卿は、どこでこのような手法を?」
アンスヘルムの実家は商家と結んだ家だ。
当然、帳簿や契約書類も多く扱っている。
それでも、この書類は格段にわかりやすい。
「ええと……」
ここで前世の記憶などと言ってもいいものだろうか。
ちらりとダディエ団長を見ると、代わりに団長が口を開いた。
「あー、極秘だから他言無用に願いたいんだが、こいつには自分の記憶ではない記憶があるらしいんだ」
「自分のではない記憶? それは他人の思考を盗む魔術のような……?」
「いや、そういった能力はない。詳細はわからんが、別の生を送った記憶が断片的にあるだけだ」
「……問題があれば、作り直しますが……」
たかが書類作成で大事になってしまった。
「いえ、非常にわかりやすいです。他の書類にも採用しましょう」
にわかには信じられないが、とアンスヘルムはブツブツと書類を検分している。
「まあ記憶については良いです。団長もご存知のようですし。貴殿がわずか一週間でこのような役職に抜擢された理由がわかりました」
(ああ……それは違うんだけどな……)
異動の理由は、あくまで風紀上の問題だ。
「それにしても……計算も早すぎませんか?」
横で聞いていたエルマが口を開いた。
「え? 普通じゃないかな」
「いいえ、最初に驚いたのはそのスピードでしたから」
アンスヘルムも同意する。
「いったいどんな方法を?」
「え……? 個数と単価を掛けて……」
「掛けるって、足し算の繰り返しでしょう?」
「いや、掛け算の結果は覚えているので……」
「待ってください、計算結果を覚えているなんて、商売をやっている一部の者くらいですよ」
「あー……ええと、全部ではなくて、九×九までの一桁の掛け算だけ覚えていて」
「それでどうやって計算を?」
「こうして筆算をすれば……」
「筆算……?」
「あー、足し算も筆算を使えば……」
「…………なるほど、上からでなく下から計算……ふぅむ……」
アンスヘルムの質問攻めに遭っている間に、昼勤務の二時間が過ぎてしまった。
ユリエルは、夜勤に備えて自室へと戻ったが、アンスヘルムはいまだ頭をフル稼働させていた。
「まさかあのような切れ者とは……。噂はあてになりませんね……」
「噂?」
「ええ。新人が団長を誘惑して取り入った。新人は魅了の魔術を使える。団長がいまだ独身なのは実はゲイだったから……」
「待て。最後のはなんだ」
「今朝聞いた噂ですよ」
「俺ゲイだと思われてんのか……」
「縁談は山のようにあるだろうに、三十代になってもまだ見合いの一つも聞きませんからね。仕方がないかと」
ダディエは頭を抱える。
否定したいところだが、半分くらいは事実になってしまった辺りがまたつらい。
とりあえず、腹心の部下だけでも違うと思ってくれただけ良しとしなければ。
「あー……アンス、エルマ。ユリエルのことで、話しておきたいことがある」
「なんでしょうか」
「その噂の根幹の話だ」
「……火のないところに煙は立たない、と?」
「ああ、そういうことだ」
ダディエは、アンスヘルムとエルマに第一小隊での強姦未遂と、ユリエル自身に相手の性欲を無意識に煽る体質があることを説明した。
もちろん、昨晩の自分自身とのことは伏せたが。
「アンスとエルマは、今日ユリエルと居て問題なかったか?」
「ええ、私は特には」
「はい、私も。ただただ仕事のできる人だなとしか」
「ふぅむ……」
おかしい。
昨日会ったクライブは、ユリエルが紅茶を淹れるのを少し離れて見ているだけでも危機感を抱いていた。
それほどまでに、彼の色香は見境なく出ているようだったのに、今日はそれがまったくないなんて。
「何か条件でもあるのか……?」
「失礼ながら、コンスタン卿が本当に魅了の魔術を使えるなどという線は?」
アンスヘルムが口を開く。
「無意識ではない、と?」
「可能性としては」
ダディエは昨日からのユリエルを思い起こしてみる。
第一小隊でのことは、実際に自分の目で見たわけではないのでわからないが、昨日から一日見た限りでは、そんなあざとい計画を実行できるような人物ではないと思う。
とはいえ、そこにはなんの根拠もない。
いうならば勘だ。
「……可能性は念頭に置こう。ユリエル自身でないにせよ、何者かがユリエルに魔術を使っている可能性も視野に入れている」
「記憶の件も不可解ですしね」
「ですが……別人の記憶があると仮定しても、魔術か何かで他の人の記憶を盗めるとしても、あのような計算手法は見たことがありません」
エルマも首を捻る。
「これはさらに極秘にして欲しいのだが、彼はまったく別の世界で生きた後に生まれ変わったと話している」
「別の世界、ですか?」
「詳しくは本人にもわからないらしいがな。……神から告げられた、と」
「神って……彼はコンスタン家の子息ですよね? 神官の血筋でもなければ神の声を聞くなど……」
「それは俺も疑問に思ったが、この世界の神ではないから関係ないのだと」
そんなバカな話、と全員の顔に書いてある。
しかし、確かめようもないのだ。
「真偽のほどは、考えてもわからん。幻術の類をかけられた可能性もあると思っている。ただ、真偽はどうあれ、ユリエルの持つ『記憶』は知られれば国中が彼の争奪戦になりかねん」
たかが経理書類一枚を作っただけで先の状態だ。
今後何が飛び出すかわからないが、権力者は誰もが欲しがるに違いない。
「それは様々な意味で避けたいですね」
「そういうわけだから、ユリエルの話は外に漏らすな。俺がゲイだと言われているのなら不本意だがそれでいい。魅了にも注意して、やばいと思ったら呼べ」
「イエス、団長」
午後からの勤務で良いと言われていたユリエルは、それはそれはゆっくり目覚めた。
目覚めると太陽はほぼ真上で、部屋にかかった時計を見ると、すでに十二時を回っている。
そろそろ食堂へ行かなければ、昼の定食を選べないかもしれない。
(そういやこの部屋、時計まであるのか……)
あらためて見回してみると、さすがは団長補佐の部屋、家具や調度品が下っ端小隊のそれとはまったく違う。
時計は執務に必要なものだとしても、机も天板が一枚板のもので脚にも装飾がほどこされているし、ベッドも厚みのあるマットが敷かれているので寝心地が良かった。窓も大きく、カーテンも高そうな刺繍の入ったものだ。
(上位職は侯爵家以上の貴族も多いしな……)
単なる軍人や、ここ王都騎士団でも小隊長以下であれば平民が多いが、上位の役職を得られるような人間は、やはりそれなりの家の出身者がほとんどになる。
身分による差別というよりは、上の方でうまくやっていくためにはそれなりの教養も必要だし、平民では周囲の推薦が受けづらい。平民が上に立つと貴族出身の部下が命令に従わないケースもあり、あまりメリットがないのだ。
団長のダディエ・ミルボーも、実家は侯爵家だ。
ユリエルの実家、コンスタン家は男爵なので、同じ貴族でも雲泥の差だといえる。
身なりをととのえ、食堂へ向かおうとした時、廊下側のドアがノックされた。
「はい」
「ユリエル・コンスタン卿でいらっしゃいますか」
「はい、昨日から団長補佐見習いとして配属されました、ユリエル・コンスタンです」
「お休みのところ申し訳ございません。私は団長補佐のエルマであります」
「今、開けます」
ドアを開けると、眼鏡をかけた真面目そうな男が立っていた。
年の頃は三十代半ばといったところだろうか。
騎士団所属にしては小柄で、ふわふわとした栗色の髪がちょっと犬みたいだ。
「お初にお目にかかります。団長補佐のエルマと申します」
「はい、あの、私の方が身分が下ですので、どうかそのように謙らないでください」
「ああ……そう、ですね……申し訳……ああ……ええと……上が下に謝るにはなんといえばいいのか……」
なんとも妙なところでつまずいている。
家名を名乗らなかったということは、おそらく平民出身なのだろう。
「用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
ちっとも話が進まないので用件を促す。
できればとっとと食堂へ行きたい。
「あ、はい! 昼食がまだであれば、一緒に執務室で食べないかと団長殿が仰せです」
「昼食ですか?」
「はい。もしやもうお済みですか?」
「いえ、これから食堂へ向かおうと思っていたところです」
「では、ぜひ。お口に合うかはわかりませんが……」
廊下の反対側にある執務室へ向かうと、テーブルには湯気の立つ料理が並べられていた。
パンにサラダにスープ、肉も魚もエビも見える。
「団長、ユリエル・コンスタン卿をお連れしました」
団長に頭を下げる様子は、団長補佐というよりも使用人っぽい。
エルマは出仕経験でもあるのだろうか。
「おはようございます。ユリエル・コンスタン団長補佐見習い、ただいま参りました!」
「ああ、おはよう。……もう少し控えめでいいんだが」
きっちり礼を取り、声を張り上げるユリエルに、ダディエは苦笑いをする。
「まあいい、紹介しよう。こちらは、挨拶は済んだと思うが、エルマ補佐。主に寮内の生活に関わる部分の事務や経理、設備管理などを担当してもらっている補佐官だ。君とは別の意味で丁寧過ぎるところがあるが、非常に有能だよ」
エルマはあらためて頭を下げる。
軍式の礼ではない辺り、やはり騎士団員というよりは使用人のようだ。
「そして、こっちがアンスヘルム・リューンベリ補佐。君と同じく男爵家の出身だ。各種書類作成や関係機関との連絡・調整を担ってくれている」
「アンスヘルム・リューンベリです。お会いできて光栄です、ユリエル・コンスタン卿」
こちらは、物腰が貴族らしい。
同じ男爵といえど、リューンベリ家は商家の娘を娶り、特に茶の販売で財を成している富豪だ。
サラリとした茶色い髪に切れ長の瞳で、口元には笑みを浮かべているが、ちっとも笑っている感じはしない。良い意味でも悪い意味でも貴族らしい男だ。
「お初にお目にかかります。ユリエル・コンスタンと申します。リューンベリ家ということは、昨日の茶葉はリューンベリ男爵領のもので?」
昨日、急に紅茶を淹れるように命令されたのを思い出す。
団長用の紅茶だからとあまり気には留めなかったが、ずいぶん香りの良い良質な茶葉だとは思っていた。
リューンベリ産の紅茶ならば、品質が高いのも道理だ。
「ええ、こちらの茶葉はすべて私が実家から取り寄せております。おわかりになるとはなんともお目が高い」
「ああそうだ、後でまた紅茶を淹れてくれ。茶葉は良いらしいんだが、誰が淹れてもそんなに美味くならんのだ」
横から団長が言う。
茶葉をメインに稼いでいるリューンベリ家の子息が紅茶を淹れられないというのもなんとも微妙な話だが、まあ普通の貴族は自分で茶なんて淹れないものなので仕方がない。
「はい、すぐにでも」
「まあ待て。先に説明させろ。
エルマ、アンス、こいつは昨日付で補佐見習いになったユリエル・コンスタンだ。さっきも説明したが、訳ありで異動になった。入団してまだ一週間のド新人だから、丁寧に教えてやって欲しい」
「ご指導、よろしくお願いいたします!」
ユリエルはバッと腰を折って頭を下げた。
(だいぶ暑苦しい)
(品がない)
(男爵家の御子息に頭を下げられても困る)
三人が三様のことを思ったが、ユリエルはまったく気付かない。
「……で。昨日会ったのがクライブ・パーション。実家は公爵家で、特に面倒な執務を一手に引き受けてくれている。補佐は他に二人居るが、そっちは訓練や任務、規律等の補佐だからこっちにはほとんど来ない」
補佐は五人いるが、事務方は三人ということか。
ユリエルは紹介を脳内で反芻した。
騎士団の身分は別なので忘れがちだが、家格を失念すると余計なトラブルを起こしかねないので、特に注意しなければならない。
特にパーション家は数代前に王子の一人が廃籍してできた王族の血筋だ。クライブを敵には回せない。
リューンベリ家は同じ男爵家とはいえ、商家と結んだ富豪。辺境伯ほどの力がある。あの胡散臭い貴族スマイルは、絶対歓迎されていない。
エルマは逆に、騎士団では先輩にあたるのに家格を気にしすぎて謙ってくる癖があるのでフランクになりすぎないようにしなければならないだろう。
紅茶を今日は人数分淹れ、四人で昼食をとった。
料理はエルマが作ったというが、どれも非常に美味い。
そもそもは料理人で、食材を求めて森に入るために剣やら弓やらを覚え、さらに大型の獣を解体することで力をつけたところをスカウトされて王都騎士団に入団した異色の人物だった。
が、そこまでは語らない。
この場で知っているのは、ダディエ団長とエルマ本人だけだ。
「ユリエルには当面夜勤を担当してもらおうと思うんだが、どうかな」
食後の紅茶を堪能していると、団長が三人に問うた。
「それは、我々補佐がしばらく夜勤をしなくて良い、ということですか?」
「ああ。そもそも夜勤は形式的なもので、そんなに仕事もないからな」
「であれば有り難い」
アンスヘルムが素直に言う。
夜勤は仕事は楽だが、生活のリズムが狂うのでそういった意味でキツかった。
「私も異論ございません」
エルマも言う。
「ユリエルもそれでいいか?」
「はい、どのような仕事でも拝命いたします」
「大丈夫、そんな身構えるような仕事はまだ与えないよ。昼の仕事も少しずつ覚えてもらいたいから、こうして昼食をとった後に二時間程度補佐の手伝いをしてもらって、再度夕方六時から朝六時までの夜勤でどうだろう」
(おお、そこそこブラックだぁ)
ユリエルは心の中で思う。
前世なら労基法にひっかかる。
(ん? 労基法ってなんだっけ……)
王都騎士団は、朝六時から夕方六時までの十二時間勤務が基本だ。
もちろんその間不休というわけではないが、キツい鍛錬が職務の大半を占めるのでかなりハードだ。
(でもまあ、事務仕事中心になりそうだから楽か)
「ユリエル・コンスタン補佐見習い、昼食後二時間程度、および夕方六時から朝六時までの夜勤を拝命いたします!」
「ではコンスタン卿、今日はこれをまとめてもらいたい」
「経費申告書、ですか?」
「ああ。個人や各小隊から来ている書類を見ながら、項目ごとに分けて計算してもらいたい」
要は領収書的なものを見て経費をまとめろという作業だ。
(パソコンがあれば楽なのになぁ……)
ユリエルは、パソコンの記憶を見る。
この世界にはない便利機器の一つだ。
(ああ、でも表計算画面をイメージしてまとめればわかりやすいか……)
そうして、紙に表を作り始める。
(項目は大項目と小項目を設けて……個人と隊の支出は部門を分けて別表の方がいいか……)
表に項目や数値を書き入れていく。
(よし、あとは計算だな)
「できました」
「「「え?」」」
三人分の疑問符が重なった。
「ちょっ、見せなさい!」
アンスヘルムが、奪うようにして紙を見る。
わかりやすくまとめられた表に、正確な計算……
「この、文字と数字は?」
暗号のような文字と数字の羅列は不可解だ。
「参照番号です。各書類に番号を振って、どの書類が根拠になるのかを明記しました。その際、申請者もわかるように、例えば第一小隊ならT01、人名は長い場合もあるので五桁になるように記号化して、日付と通し番号とをつなげてあります」
そう言われて眺めれば、どこの誰が申請したのか、元の書類を見なくても理解できた。
「……コンスタン卿は、どこでこのような手法を?」
アンスヘルムの実家は商家と結んだ家だ。
当然、帳簿や契約書類も多く扱っている。
それでも、この書類は格段にわかりやすい。
「ええと……」
ここで前世の記憶などと言ってもいいものだろうか。
ちらりとダディエ団長を見ると、代わりに団長が口を開いた。
「あー、極秘だから他言無用に願いたいんだが、こいつには自分の記憶ではない記憶があるらしいんだ」
「自分のではない記憶? それは他人の思考を盗む魔術のような……?」
「いや、そういった能力はない。詳細はわからんが、別の生を送った記憶が断片的にあるだけだ」
「……問題があれば、作り直しますが……」
たかが書類作成で大事になってしまった。
「いえ、非常にわかりやすいです。他の書類にも採用しましょう」
にわかには信じられないが、とアンスヘルムはブツブツと書類を検分している。
「まあ記憶については良いです。団長もご存知のようですし。貴殿がわずか一週間でこのような役職に抜擢された理由がわかりました」
(ああ……それは違うんだけどな……)
異動の理由は、あくまで風紀上の問題だ。
「それにしても……計算も早すぎませんか?」
横で聞いていたエルマが口を開いた。
「え? 普通じゃないかな」
「いいえ、最初に驚いたのはそのスピードでしたから」
アンスヘルムも同意する。
「いったいどんな方法を?」
「え……? 個数と単価を掛けて……」
「掛けるって、足し算の繰り返しでしょう?」
「いや、掛け算の結果は覚えているので……」
「待ってください、計算結果を覚えているなんて、商売をやっている一部の者くらいですよ」
「あー……ええと、全部ではなくて、九×九までの一桁の掛け算だけ覚えていて」
「それでどうやって計算を?」
「こうして筆算をすれば……」
「筆算……?」
「あー、足し算も筆算を使えば……」
「…………なるほど、上からでなく下から計算……ふぅむ……」
アンスヘルムの質問攻めに遭っている間に、昼勤務の二時間が過ぎてしまった。
ユリエルは、夜勤に備えて自室へと戻ったが、アンスヘルムはいまだ頭をフル稼働させていた。
「まさかあのような切れ者とは……。噂はあてになりませんね……」
「噂?」
「ええ。新人が団長を誘惑して取り入った。新人は魅了の魔術を使える。団長がいまだ独身なのは実はゲイだったから……」
「待て。最後のはなんだ」
「今朝聞いた噂ですよ」
「俺ゲイだと思われてんのか……」
「縁談は山のようにあるだろうに、三十代になってもまだ見合いの一つも聞きませんからね。仕方がないかと」
ダディエは頭を抱える。
否定したいところだが、半分くらいは事実になってしまった辺りがまたつらい。
とりあえず、腹心の部下だけでも違うと思ってくれただけ良しとしなければ。
「あー……アンス、エルマ。ユリエルのことで、話しておきたいことがある」
「なんでしょうか」
「その噂の根幹の話だ」
「……火のないところに煙は立たない、と?」
「ああ、そういうことだ」
ダディエは、アンスヘルムとエルマに第一小隊での強姦未遂と、ユリエル自身に相手の性欲を無意識に煽る体質があることを説明した。
もちろん、昨晩の自分自身とのことは伏せたが。
「アンスとエルマは、今日ユリエルと居て問題なかったか?」
「ええ、私は特には」
「はい、私も。ただただ仕事のできる人だなとしか」
「ふぅむ……」
おかしい。
昨日会ったクライブは、ユリエルが紅茶を淹れるのを少し離れて見ているだけでも危機感を抱いていた。
それほどまでに、彼の色香は見境なく出ているようだったのに、今日はそれがまったくないなんて。
「何か条件でもあるのか……?」
「失礼ながら、コンスタン卿が本当に魅了の魔術を使えるなどという線は?」
アンスヘルムが口を開く。
「無意識ではない、と?」
「可能性としては」
ダディエは昨日からのユリエルを思い起こしてみる。
第一小隊でのことは、実際に自分の目で見たわけではないのでわからないが、昨日から一日見た限りでは、そんなあざとい計画を実行できるような人物ではないと思う。
とはいえ、そこにはなんの根拠もない。
いうならば勘だ。
「……可能性は念頭に置こう。ユリエル自身でないにせよ、何者かがユリエルに魔術を使っている可能性も視野に入れている」
「記憶の件も不可解ですしね」
「ですが……別人の記憶があると仮定しても、魔術か何かで他の人の記憶を盗めるとしても、あのような計算手法は見たことがありません」
エルマも首を捻る。
「これはさらに極秘にして欲しいのだが、彼はまったく別の世界で生きた後に生まれ変わったと話している」
「別の世界、ですか?」
「詳しくは本人にもわからないらしいがな。……神から告げられた、と」
「神って……彼はコンスタン家の子息ですよね? 神官の血筋でもなければ神の声を聞くなど……」
「それは俺も疑問に思ったが、この世界の神ではないから関係ないのだと」
そんなバカな話、と全員の顔に書いてある。
しかし、確かめようもないのだ。
「真偽のほどは、考えてもわからん。幻術の類をかけられた可能性もあると思っている。ただ、真偽はどうあれ、ユリエルの持つ『記憶』は知られれば国中が彼の争奪戦になりかねん」
たかが経理書類一枚を作っただけで先の状態だ。
今後何が飛び出すかわからないが、権力者は誰もが欲しがるに違いない。
「それは様々な意味で避けたいですね」
「そういうわけだから、ユリエルの話は外に漏らすな。俺がゲイだと言われているのなら不本意だがそれでいい。魅了にも注意して、やばいと思ったら呼べ」
「イエス、団長」
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ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
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私の露出…
毎日更新していこうと思います
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取り入れて欲しい内容なども
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よりみなさんにお近く
考えやすく
願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい
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※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。
番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」
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https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
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転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
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義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
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※タイトル変更(2024/11/27)
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