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お弁当
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「真白さん、彼女でもできたんですか?」
金曜日、午後一時。
事務室兼休憩室になっている一室で、雪史は赤理さんに話しかけられた。
「へ?」
心当たりのない質問に、雪史は間の抜けた返事をする。
「だって、最近ずっとお弁当じゃないですか」
赤理さんは、四階の理系専門書フロアを担当する司書さんだ。
休憩の時刻は特に定めていないが、フロア毎に交代で一時間ずつの昼休みを取ることになっていて、彼女と雪史は昼休みが被ることが多かった。
本当は三階の千石さんも同じ時間になることが多いが、そちらはカフェや学食に食べに行く派なので、ここではほとんど会わない。
というか、以前は雪史も外食派だったので、むしろ千石さんとばったり会うことの方が多かった。
「残念ながら、彼女ではないです」
赤理さんからお茶を受け取りながら、雪史は笑って返した。
「じゃあ、あれだ。本の買いすぎで金欠!」
「それもなくはないですけど」
「うーん、まだ健康診断にひっかかる年齢でもないだろうし」
うちの旦那じゃあるまいし、と思案しながら自分も弁当を広げている。
「……料理系の本の入荷とかありました?」
「あはは。違うよ。これは黒嵜君が作ってくれてるんだ」
「えええ!?」
赤理さんは目を丸くして驚き、雪史のお弁当をまじまじと見つめた。
「……まさか、リアルBLに……」
雪史は、ゴフッとむせる。
「リアルBLって」
「遠野さんが『利用者の女の子達が真白さんと黒嵜君のツーショットで盛り上がってる』って言ってたから」
遠野さんは、一階文芸担当の司書さんだ。
一鷹と持ち場がもっとも近い。
「……ただのギブ&テイクですよ。黒嵜君、まだ仕事を始めたばかりで金欠なので、材料費を出す代わりに二人分の弁当を作ってもらっているんです」
赤理さんは、なーんだ、とつまらなさそうに相槌を打った。
「後藤さんに面白い話ができるかと思ったのに」
「妄想で同人誌を書き上げられそうなので勘弁してください」
産休に入ったものの、まだ予定日まではだいぶあるので、後藤さんなら出産までに一本書き上げてしまいそうだ。
想像して、「うん、ヤメて」と雪史は言った。
「後藤さんはともかく、女の子すごく増えたらしいですね」
弁当から興味をなくしたらしい赤理さんが、話題を変える。
女性の話はぽんぽんと飛んでいくなと雪史はいつも思う。
「うん。有料会員が増えるのはありがたいよ。おかげで黒嵜君にはもう選書の仕事までしてもらわなきゃならなくなったけど」
選書は司書の仕事の中でもちょっと大変な仕事だ。
簡単に言えば、どの本を購入するかという仕入れの仕事で、限られた予算とスペースの中で、利用者のニーズに合った本を選ばなければならない。
普通の図書館にはBLやTLのコーナーはないので参考にできる資料もあまりなかった。
一鷹は、これまでの貸出データや問い合わせ内容、リクエスト、さらに書店のラインナップなんかも参考に選書を行ってくれている。
「数学の専門書がそんなになくなることはないですからねぇ」
赤理さんが、もぐもぐと食べながらつぶやく。
三階と四階の専門書フロアでは、そんなに書籍の入れ替えは発生しない。
基礎はあまり変わらないし、新しい文献は教授陣が欲しいと言うことが多いので、司書が能動的に選書する機会は多くなかった。
「利用者が増えた分、新しいものを入れないと棚がスカスカになるんですよね」
雪史も一鷹の作った弁当を口に運びながらつぶやいた。
まだ引き継ぎを終えてから二週間と経たないというのに一鷹に選書までしてもらっているのは、貸し出し数が一気に増えたからだ。
何も借りずに目の保養に来ているような女性も多いが、一鷹におすすめを聞いた上で借りて帰る女性も多い。
結果、本棚がスカスカになってしまう。
今は表紙を前面に向けて並べたりしてなんとかごまかしているが、せっかくの新規有料会員を繋ぎ止めておく意味でも、新刊の入荷は必要なことだった。
ただし一鷹は、放っておくとまた睡眠時間を削って仕事をしてしまうので、ほどほどにしてもらうのが最近の雪史の仕事だ。
「私は専門書でよかったです」
館長に「楽でよかった」と暴露しているようにも聞こえるが、専門書は専門書で知識が必要だ。
特に学生さんがレポートに使う資料を探しに来たりすることが多いので、より専門的な内容で質問されることが多い。
赤理さんはベテランなので、学生さんに問われただけで「ああ、あの先生のレポートか」とわかってしまうほどだから、自力でどうにかしようとする学生さんよりも、赤理さんに訊ねた学生さんの方が楽にレポートが片付いたりもする。
正直、文学部出身の雪史にはまったく理解できない世界だった。
「今年は空梅雨だなぁ」
いつのまにか、脈絡なく話が飛んでいる。
ずっと話しているくせに、中身なんてものはほとんどない。
女性との会話に慣れるのには時間がかかったが、女性だらけのこの職場ではさすがに慣れてきた。
「あまり雨は降りませんでしたね」
雨が降ると一般の利用者はぐっと減るので、一鷹の周りも多少落ち着くかと思ったが、今年はあいにくほとんど雨が降らないまま六月に突入していた。
「次はレポートラッシュですねぇ」
「まだ早くない?」
梅雨が明けるのは例年だと六月上旬頃で、それから一ヶ月くらいすると各講義のレポートや試験についてのアナウンスが出てくる。
七月下旬にはレポートの締め切りや試験があって、八月と九月はほとんどが休みになるので、そこまでが専門書フロアは繁忙期だ。
「ああそうだ、今年の職員旅行なんだけど」
「それこそ早くないですか?」
「いや、後藤さんと話してたんだ。後藤さんの知り合いの温泉宿、たぶん九月なら取れるって」
「どこですか?」
「大分だって」
「おっ、九州ですね。いいんじゃないですか? まだ暑そうだけど」
「他の司書さんにも聞いてみてくれるかな」
いいですよ、と気楽に引き受けてくれる。
司書同士の仲が良いので、特に嫌な顔をされるようなことはあまりない。
と、コンコンとノックの音が聞こえた。
どうぞ、と声をかけると、一鷹が立っていた。
「今人が少ないんで、休憩入ってもいいですか?」
時刻はあと十分ほどで二時になろうとしていた。
「ああ、じゃあ、僕が代わりに出るよ」
「いや、雪史さんまだ休憩じゃないですか?」
「うん、もう食べ終わってるし、あと数分だったから大丈夫」
そう言って、雪史は部屋を出ていった。
「……ねえ、黒嵜君って真白さんのこと『雪史さん』って呼んでるの?」
雪史が出ていったのを見計らって、赤理さんが問う。
「はい」
一鷹は、答えながら弁当を広げる。
「うわ、本当に同じお弁当だ」
「二人分作らせてもらってるんで」
「さっき聞いた。お金ないんだって?」
「はい。昼を抜こうとしたら止められました」
「あははは! そっかそっか。真白さんらしいわ」
「雪史さんて、いつもあんななんですか?」
「うん、基本的におひとよしね。自分のことなんかいっつも後回しだし、困ってる人は猫でも放っておけないし」
(人……?)
猫は人ではないと思ったが、そこは心の中だけでつっこむことにする。
「猫アレルギーなのに猫拾っちゃった時なんてもう、大変で」
「猫アレルギーなんですか?」
「うん。そんなに重くはないから、ちょっと目が充血したり、くしゃみが出たりする程度ではあるんだけど。でも、放っておけないからって連れて帰って、布団にも入れてやって。自分はくしゃみ止まらないのに」
「想像できます」
赤理さんはうんうんとうなずいてお茶をすすった。
「ま、面倒見てあげてよ」
「逆じゃないんですか?」
「真白さん、放っておくと他人の世話と読書しかしないからね。彼女じゃなかったのは残念だけど、しっかり食べさせてあげて」
じゃあね、と休憩を終えて出ていくと、一鷹は部屋に一人になった。
ふうむ、と赤理さんの話を反復する。
しばらく考えた一鷹は、「栄養の勉強もするか……」とひとりつぶやいたが、そういうことではないとつっこむ人はいなかった。
金曜日、午後一時。
事務室兼休憩室になっている一室で、雪史は赤理さんに話しかけられた。
「へ?」
心当たりのない質問に、雪史は間の抜けた返事をする。
「だって、最近ずっとお弁当じゃないですか」
赤理さんは、四階の理系専門書フロアを担当する司書さんだ。
休憩の時刻は特に定めていないが、フロア毎に交代で一時間ずつの昼休みを取ることになっていて、彼女と雪史は昼休みが被ることが多かった。
本当は三階の千石さんも同じ時間になることが多いが、そちらはカフェや学食に食べに行く派なので、ここではほとんど会わない。
というか、以前は雪史も外食派だったので、むしろ千石さんとばったり会うことの方が多かった。
「残念ながら、彼女ではないです」
赤理さんからお茶を受け取りながら、雪史は笑って返した。
「じゃあ、あれだ。本の買いすぎで金欠!」
「それもなくはないですけど」
「うーん、まだ健康診断にひっかかる年齢でもないだろうし」
うちの旦那じゃあるまいし、と思案しながら自分も弁当を広げている。
「……料理系の本の入荷とかありました?」
「あはは。違うよ。これは黒嵜君が作ってくれてるんだ」
「えええ!?」
赤理さんは目を丸くして驚き、雪史のお弁当をまじまじと見つめた。
「……まさか、リアルBLに……」
雪史は、ゴフッとむせる。
「リアルBLって」
「遠野さんが『利用者の女の子達が真白さんと黒嵜君のツーショットで盛り上がってる』って言ってたから」
遠野さんは、一階文芸担当の司書さんだ。
一鷹と持ち場がもっとも近い。
「……ただのギブ&テイクですよ。黒嵜君、まだ仕事を始めたばかりで金欠なので、材料費を出す代わりに二人分の弁当を作ってもらっているんです」
赤理さんは、なーんだ、とつまらなさそうに相槌を打った。
「後藤さんに面白い話ができるかと思ったのに」
「妄想で同人誌を書き上げられそうなので勘弁してください」
産休に入ったものの、まだ予定日まではだいぶあるので、後藤さんなら出産までに一本書き上げてしまいそうだ。
想像して、「うん、ヤメて」と雪史は言った。
「後藤さんはともかく、女の子すごく増えたらしいですね」
弁当から興味をなくしたらしい赤理さんが、話題を変える。
女性の話はぽんぽんと飛んでいくなと雪史はいつも思う。
「うん。有料会員が増えるのはありがたいよ。おかげで黒嵜君にはもう選書の仕事までしてもらわなきゃならなくなったけど」
選書は司書の仕事の中でもちょっと大変な仕事だ。
簡単に言えば、どの本を購入するかという仕入れの仕事で、限られた予算とスペースの中で、利用者のニーズに合った本を選ばなければならない。
普通の図書館にはBLやTLのコーナーはないので参考にできる資料もあまりなかった。
一鷹は、これまでの貸出データや問い合わせ内容、リクエスト、さらに書店のラインナップなんかも参考に選書を行ってくれている。
「数学の専門書がそんなになくなることはないですからねぇ」
赤理さんが、もぐもぐと食べながらつぶやく。
三階と四階の専門書フロアでは、そんなに書籍の入れ替えは発生しない。
基礎はあまり変わらないし、新しい文献は教授陣が欲しいと言うことが多いので、司書が能動的に選書する機会は多くなかった。
「利用者が増えた分、新しいものを入れないと棚がスカスカになるんですよね」
雪史も一鷹の作った弁当を口に運びながらつぶやいた。
まだ引き継ぎを終えてから二週間と経たないというのに一鷹に選書までしてもらっているのは、貸し出し数が一気に増えたからだ。
何も借りずに目の保養に来ているような女性も多いが、一鷹におすすめを聞いた上で借りて帰る女性も多い。
結果、本棚がスカスカになってしまう。
今は表紙を前面に向けて並べたりしてなんとかごまかしているが、せっかくの新規有料会員を繋ぎ止めておく意味でも、新刊の入荷は必要なことだった。
ただし一鷹は、放っておくとまた睡眠時間を削って仕事をしてしまうので、ほどほどにしてもらうのが最近の雪史の仕事だ。
「私は専門書でよかったです」
館長に「楽でよかった」と暴露しているようにも聞こえるが、専門書は専門書で知識が必要だ。
特に学生さんがレポートに使う資料を探しに来たりすることが多いので、より専門的な内容で質問されることが多い。
赤理さんはベテランなので、学生さんに問われただけで「ああ、あの先生のレポートか」とわかってしまうほどだから、自力でどうにかしようとする学生さんよりも、赤理さんに訊ねた学生さんの方が楽にレポートが片付いたりもする。
正直、文学部出身の雪史にはまったく理解できない世界だった。
「今年は空梅雨だなぁ」
いつのまにか、脈絡なく話が飛んでいる。
ずっと話しているくせに、中身なんてものはほとんどない。
女性との会話に慣れるのには時間がかかったが、女性だらけのこの職場ではさすがに慣れてきた。
「あまり雨は降りませんでしたね」
雨が降ると一般の利用者はぐっと減るので、一鷹の周りも多少落ち着くかと思ったが、今年はあいにくほとんど雨が降らないまま六月に突入していた。
「次はレポートラッシュですねぇ」
「まだ早くない?」
梅雨が明けるのは例年だと六月上旬頃で、それから一ヶ月くらいすると各講義のレポートや試験についてのアナウンスが出てくる。
七月下旬にはレポートの締め切りや試験があって、八月と九月はほとんどが休みになるので、そこまでが専門書フロアは繁忙期だ。
「ああそうだ、今年の職員旅行なんだけど」
「それこそ早くないですか?」
「いや、後藤さんと話してたんだ。後藤さんの知り合いの温泉宿、たぶん九月なら取れるって」
「どこですか?」
「大分だって」
「おっ、九州ですね。いいんじゃないですか? まだ暑そうだけど」
「他の司書さんにも聞いてみてくれるかな」
いいですよ、と気楽に引き受けてくれる。
司書同士の仲が良いので、特に嫌な顔をされるようなことはあまりない。
と、コンコンとノックの音が聞こえた。
どうぞ、と声をかけると、一鷹が立っていた。
「今人が少ないんで、休憩入ってもいいですか?」
時刻はあと十分ほどで二時になろうとしていた。
「ああ、じゃあ、僕が代わりに出るよ」
「いや、雪史さんまだ休憩じゃないですか?」
「うん、もう食べ終わってるし、あと数分だったから大丈夫」
そう言って、雪史は部屋を出ていった。
「……ねえ、黒嵜君って真白さんのこと『雪史さん』って呼んでるの?」
雪史が出ていったのを見計らって、赤理さんが問う。
「はい」
一鷹は、答えながら弁当を広げる。
「うわ、本当に同じお弁当だ」
「二人分作らせてもらってるんで」
「さっき聞いた。お金ないんだって?」
「はい。昼を抜こうとしたら止められました」
「あははは! そっかそっか。真白さんらしいわ」
「雪史さんて、いつもあんななんですか?」
「うん、基本的におひとよしね。自分のことなんかいっつも後回しだし、困ってる人は猫でも放っておけないし」
(人……?)
猫は人ではないと思ったが、そこは心の中だけでつっこむことにする。
「猫アレルギーなのに猫拾っちゃった時なんてもう、大変で」
「猫アレルギーなんですか?」
「うん。そんなに重くはないから、ちょっと目が充血したり、くしゃみが出たりする程度ではあるんだけど。でも、放っておけないからって連れて帰って、布団にも入れてやって。自分はくしゃみ止まらないのに」
「想像できます」
赤理さんはうんうんとうなずいてお茶をすすった。
「ま、面倒見てあげてよ」
「逆じゃないんですか?」
「真白さん、放っておくと他人の世話と読書しかしないからね。彼女じゃなかったのは残念だけど、しっかり食べさせてあげて」
じゃあね、と休憩を終えて出ていくと、一鷹は部屋に一人になった。
ふうむ、と赤理さんの話を反復する。
しばらく考えた一鷹は、「栄養の勉強もするか……」とひとりつぶやいたが、そういうことではないとつっこむ人はいなかった。
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