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急募

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「来てくれてありがとう。感謝しかないよ。ただ……」
 真白ましろは言葉を濁した。
「僕では、務まりませんか」
 真白は、ふるふると首を振る。
「違うんだ。正直、君が来てくれるというのならば本当に助かるし、気持ちとしては土下座してでも来てもらいたい。ただね……」
 言いながら真白は立ち上がり、自分についてくるよう彼を促した。
 しばらく無言で歩き、ある本棚の前で立ち止まる。
「彼女が担当している棚は、ここなんだ」


「うーん、困った……」
 真白ましろ雪史ゆきひとは、カレンダーにつけた赤い丸を睨んで呻いていた。
 赤い丸は、四日後に付いている。
 コンコンとノックの音がして、返事を返すと、一人の女性が入ってきた。
 制服のベストは着ているが、ベストの下は制服ではないワンピースを着ていて、お腹は大きく張り出している。
 妊婦さんだ。
「後任は決まりそうですか?」
「いいや、難しそうだ」
「私やっぱり、もう少し出ましょうか?」
「いや、身体の方が大事だから、そこは気にせず休んで」
 でも、と申し訳無さそうにしている彼女に、真白はやわらかく微笑んだ。
「大丈夫。なんとかなるよ。君は気にせず元気な子を産んで」
 本当はちっとも大丈夫でないことは、真白も彼女もわかっている。
 この広い図書館を十人という少ない人数で運営しているのだから、このまま産休代理職員が見つからなければ業務に支障をきたすのは間違いなかった。

 真白は、二十九歳と若いが、この『I大附属市民図書館』の館長だ。
 大学附属なのに市民図書館とはなんとも不思議な響きだが、大学が「地域にひらかれた大学、地域とともに学ぶ大学」を目指して、もう何十年も前に大学図書館に一般市民向けの図書館を併設したことからこのような形になったと聞いている。
 今では当時を知る人もいなければ、当時の資料も満足に残っていないが、大学図書館らしい学生のための専門書籍のエリアと、小説や絵本、実用書などの一般向けエリアとがあり、さらに数年前の改築でカフェも楽しめる自習スペースが増設されたので、昨今ではノマドワーカーのワーキングスペースとしても人気の図書館になっていた。
 カフェや自習スペースは別の部署の管轄だが、図書館本来の機能部分は、すべて真白の管轄だ。
 利用者は多いが、職員は真白を入れても十人しかいない。
 専門書エリアに五人と、一般書エリアに四人。
 お腹の大きな彼女は一般書エリアの司書の一人で、カレンダーの赤丸の日を最後に産休に入る予定なのだった。

「里帰り出産なんだっけ?」
 できるだけ安心させようと、真白は世間話を始めた。
「はい。自分の親が近いほうが安心かなと」
 それはそうだろうなと思う。
 出産した従妹も旦那は頼りにならないし、義母には頼りにくいと言っていた。
「実家は九州だったっけ?」
「大分です。温泉もいっぱいあっていいとこですよ」
「温泉いいね。今年の職員旅行は大分にしようかな」
「九月なら、たぶん親戚の宿を紹介できますよ」
「いいね。本気で検討しよう」

 そんな雑談をしばらくして彼女を帰した後のことだ。
 真白は先に他の職員を帰宅させて、最後の見回りはいつも自分がすることにしていた。
 女性ばかりの職場なので、できるだけ他の職員は早く帰して、日が暮れてからの業務は自分がするようにしているのだ。
 男女平等とは難しいもので、男女をぴったり同じに扱うことは、求められている男女平等ではない。
 女性が持って生まれた不利益……力が弱いとか、月経や出産や授乳なんかの女性にしかできないこととか、もっと細かい部分では化粧などの社会や男性から無意識的に求められている部分へのアドバンテージはしっかり保障(あるいは補償)された上での「平等」だ。
 それについて真白は不服に感じないが、平等という言葉のイメージに騙されてはいけないとは思っている。

 本棚の間も順番に確認して、残っている人がいれば閉館を告げて退館か移動を促す。
 二階のカフェスペースは深夜一時まで開いているので、そちらに移動する人も多い。
 人がいなくなったことを確認したフロアから施錠していって、全フロアの施錠が完了したら業務終了だ。
 だがこの日は、あとは通用口だけというところで、外から中を覗く人影が見えた。
 翌日のレポートを忘れていて、閉館前後に駆け込んでくる学生も多いが、彼もそうだろうか。
 そう思い、真白は外へ出て男の子に声を掛けた。
「もう閉館ですが、何かお急ぎですか?」
 真白は学生に対しても口調がとても丁寧だ。
 丁寧にしようというよりも、その方が自分が楽だからだ。
 敬語で不快になる人なんて、距離を詰めたい女の子くらいのものだ。
「あ、いや……ここで司書を募集していると聞いて来たんですけど……」
「君、司書なの!?」
 思わず大きな声が出る。
 男の子、というには失礼だろうか。図書館司書の資格を持っているのならば、すでに大学を卒業しているだろう。
 その若い男性は、切れ長の目を丸くさせて真白を見返した。
「ああ、いや、ごめんよ。ええと、よかったら中で話せないかな」
「いいんですか?」
「どうぞ、入って」

 司書だという彼は、黒嵜くろさき一鷹いちたかと名乗った。
 今日はどんなところなのか少し覗きにきただけで、本当は翌日に訪ねるつもりだったらしく、履歴書や資格証明などは持っていなかった。
 この春に大学を卒業したものの、教員採用試験に落ちて、今は友人の家に転がり込んでバイト生活をしているのだと話してくれた。
「この春に大学を卒業したってことは、今二十三歳かな」
「はい」
「大学では、教育を?」
「いや、日本文学を専攻していて」
「ああ、僕も文学部出身なんですよ。就活難しいですよね」
「そう思って教員免許も取得したんですけど、ダメでした」
「お友達の家は、この近く?」
「はい。単位計算ミスって、まだ大学生なんですけど……」
「ああ、お友達はここの学生さん?」
「あ、そうです。でも、単位一つだけなんで、秋卒業予定で……あの、職員寮があるって聞いたんですけど」
「ああ、あるよ。臨時採用でも使えたはずだから、明日聞いてみるよ」
 たしか自分の部屋の隣が空室だったはずだから、空きがないということはないだろう。
 本人にもやる気はあるし、司書の資格もあるし、時折口調は若者感が出るものの、そこそこの礼儀はありそうだ。
 あとは、仕事内容を了承してくれるかどうか……
「採用、してもらえますか……?」
 探るように、黒嵜が訊ねた。
 真白は、まっすぐに彼の目を見た。
「来てくれてありがとう。感謝しかないよ。ただ……」
「僕では、務まりませんか」
「違うんだ。正直、君が来てくれるというのならば本当に助かるし、気持ちとしては土下座してでも来てもらいたい。ただね………………彼女が担当していた棚は、ここなんだ」

 真白が立ち止まって指した棚は、やけにカラフルな背表紙の多い棚だった。
 しかも、全体的にピンクが多めだ。
 手書きのポップには『大人気BL小説ついに完結!』とか『年下×年上』とか、黒嵜にはなんとも縁遠い言葉が並んでいる。
「これは……」
「……実はね、産休に入る彼女の担当はこの辺一体の通称『乙女棚』と、あっちの絵本棚なんだ」
「乙女棚……」
「うん……TLティーンズラブとかBLボーイズラブとかが主流なんだ」
「これってアレですよね……男同士の……」
「うん……だからね、僕としては、正直黒嵜君が来てくれるととても嬉しいんだけれども……やっぱり難しい、よね?」
 黒嵜は、BLの棚から一冊手にとってみた。
 表紙は男二人が仲睦まじげではあるが、思ったよりも綺麗で落ち着いた雰囲気だ。
 ペラリとページをめくって、文字を目で追ってみる。
 しばらく無言で読んで、途中でパタリと本を閉じた。
「……やっぱり、無理だよ、ねぇ?」
「この本、借りられますか?」
「え?」
「あと、産休に入る前に引き継ぎはしてもらえますか?」
「え、ああ、それはもちろん」
「わかりました。じゃあ、明日、履歴書と資格証明書を持ってきます。何時頃が良いですか」
「え、いや、待って! それって、ここで働いてもらえるってこと?」
「はい。お願いします」
「本当に……?」
「はい」
「あ……ありがとう! 本当に助かるよ! 明日、何時でもかまわないから! 都合のいい時間に来てもらえれば!」
 真白は、黒嵜の手を握ってぶんぶんと振った。
 黒嵜は無表情だが、ほんの少しだけ照れていた。
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