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Introduction

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 自分が生命の淵に立たされた時に何を思い浮かべるのだろうかとふと考えたことがある。
 “やっぱり走馬灯なんかみちゃったりして”とか考えた自分を、出来ることなら全速力で走る馬で轢き殺したい。

 生命というのは底の見えない真っ暗い虚空に掛かった細く、細く、頼りない薄板の上を、一歩一歩気を狂わせながら進むことだと思う。
 頼りない板の淵、眼下に拡がる虚空の底では、死が“さあ一つになろう”と謂わんばかりの狂った喜びを
シワ一杯の笑顔に貼り付け、諸手を突き出して死ぬまで待ってくれている。



 今、眼前に信じられない速度で迫り来る灰白い熊みたいな獣も、僕の命の淵の一端なのだろう。
 そして頭にガンガンと鳴り響きながら、怒涛の様に湧き上がる感情は生への渇望だ。だが純粋に生き延びたいという願いに対し、陳腐なこの身では到底乗り切れる場面では無い。

 灰白い巨体が更に近づき、その身をかさぶたの様に覆う短毛が嫌でも目に入る。 
 頭部には目も鼻も耳も無く、裂傷の様なロとその周りに触覚が爛々と蠢くだけだ。生物として欠落し、生命を否定しているかの様な構造を持つ存在は、こちらへとその冒涜的な頭部をのっそりともたげる。


 灰白い巨体の重心が前方に解き放たれようとする刹那、その首筋に白光が瞬いた。
 
 一瞬の後に現れたのは、袈裟懸けに振り下ろされた黒味を帯び少し反りのある刀刃であった。それにより灰白い巨体の進行は一時的に止まったものの、刃はその軌跡半ば、首に少しめり込んだところで完全に止まってしまっている。そして斬撃を繰り出し僕の命を無理にでも引き延ばしてくれた男は、振り向かれもせずに太くて長い灰白い腕の一振りで吹き飛ばされてしまった。


 周りなんか正直構っている余裕などない、自分が生き残る道だけを働かない脳で考える。

 だが例えば、僕が手元にあるこの黒い刀を振ったところで、この刃を灰白い体表へ到達させることさえ出来ないだろう。周波数を増しながら頭の中に鳴り響き続ける焦燥の中、再度、灰白い頭部に意識を合わせる。その瞬間、恐怖で眼前の世界が何倍にも伸びた。奴が気色の悪い傷みたいな口を上下に開き、嗤ったのだ。

“あ、死んだ”



 何倍にも引き伸ばされた一瞬の時間が縮まり、元の世界に戻ろうとする瞬間に脳内に声が響いた。

『力がほしいか。我を求めよ。』

 その声の響きはゆったりとして、今は遠い日常を思い起こさせる様な緊張感の無い響きだった。
だけど、自分の体をマネキンの如く硬直させていた恐怖が、ゆっくりと溶け出していくのを感じた。
僕はすぐさま声の主に願う。

 「まじふざけていないで助けて下さい、何卒お願いします。」

 『理不尽を打ち破り、害意を取り除き、死の淵を突き進む力をくれてやろう、さあ意識を解き放つのだ。』


 灰白い巨体は更に近くに迫っている。もう数瞬で殺されそうな距離だ。僕は脳内に響く声に従い意識の一部を明け渡す。そして目紛しく変わる恐怖心と闘争心をぐるぐると加速させ、迫りくる自分の命の淵に燦然と向き合った。

 灰白い巨体は更に近くに迫ってくる。

 だが声が聞こえたからと言ってやれることはまるでない、今出来ることはただ声の主を信じ無能にも全力で突っ込むだけだ。手に持っている刀を正面に構え、全力を振り絞り灰白い頭部へと地面を踏み切る。
足の筋肉が感じたことのないほどの収縮運動をし、骨や筋繊維が軋む様に痛い。
 
 体から意識が離れていく様な感覚の中で、左斜め上からの袈裟懸けを力任せに白く太い首筋めがけて振り下ろした。


 直後、ぶれて残像を残すほどの速度で、白い短毛が気色悪く生えた体が眼前に迫ってきたことに恐怖してしまい、目を閉じながら弾丸の様にぶつかる。非常に気色悪い体表を撫でた瞬間、体を翻し後方を確認することもなく更に転がり距離を取る。

 
 ・・・・追撃はどうやら来なかった。

 背後には首が取れた白い2本足で立つ巨体が、諦めたように脱力し、前のめりに倒れていった。
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