贄の探偵 騎士団長殺害及び死体損壊事件

雪之

文字の大きさ
上 下
20 / 25

第20話 漏らした本音

しおりを挟む
 貴賓室の近くだからか、冷たい石に囲まれた廊下には多くの衛兵が不寝番をしていた。
 目の前を走り抜ける私に一瞬警戒するものの、身分を知って敬礼する。
 さっきまでの自分なら、そんな仕草に萎縮していたかもしれない。
 今はそんな些事などどうでもよく、必死に道順を思い返していた。
 私たちが使っていた部屋からかなり離れた場所に、目的の寮があった。
 明かりの数は少なく、静まり返った様子からほとんどが眠っているのだろう。
 けれどかまっていられるものか。
 足音を潜めることもせず、私は教えられていた部屋を目指す。
 何かあった時のためにと、別れ際のルーヴが私たちに言い残したのだ。
 必要ないだろうと思っていたけれど、聞いておいて本当によかった。
 出入り口に一番近い場所は、深夜でも騒々しいのではないか。
 新米の書記官ならばそういう部屋をあてがわれても仕方ないのだろう。
 眠っているかもしれないけれど、配慮のないノックを打ち鳴らした。

「どなたですか」

 ノックの直後に、訝しげな声が帰ってきた。
 まだ起きていたらしい。
 それを幸いとし、声が通るよう扉に顔を寄せた。

「私です、フィオナです」

「フィオナ様?」

 こんな時間の来訪によほど驚いたのか、ひっくり返ったような高い声がした。
 身支度をするから待ってほしいと言われ、手持ち無沙汰から外を眺める。
 雲はなく、月明かりが眩しい。
 けれど冷たい風が身にしみて、ローブの中で身を震わせた。
 途中で目にした機械時計は二十二時を指していた。
 二日前の今ごろ、レオーネは殺された。
 その時も、こんなにきれいな夜空だったのだろうか。
 空の濃紺と月の白さだけの視界に、ふいに黒と赤が入り交じる。
 
「兄様……」

 赤い、赤い、赤。
 レオーネの身体を覆っていたものは、兄様の身体も埋め尽くしてしまうのか。
 一瞬よぎった不吉な光景は、自分で頬を叩くことで追いやった。
 兄様を死なせないためには、事件を解決しなければいけない。
 そのためには、くよくよ悩んでいる暇などないのだ。
 兄様は言っていた。
 鐘をついた方法さえ分かれば、一気に解決に近づくのだと。
 だったらそれを解き明かすのが私に出来る最大で最善の行動のはずだ。
 考えなければ。
 でも、考えられない。
 焦りと不安と苦しさは、私の思考をどんどん鈍くする。
 気づけば月が動き、影がずれていた。
 どれだけの時間を無駄にしてしまったのか。
 どうしようもない不甲斐なさに、左目の眼帯を握りしめた。

「お待たせいたしました」

 小さな声に振り返ると、ルーヴの部屋の扉が開いていた。
 わざわざ制服に着替えていたらしい。
 どう考えても勤務時間外なのに、そこまでさせて申し訳ない。
 けれど、他に思い浮かぶ人物が居ないから。
 調査にあたり手配をしてくれたのはゾロとルーヴだ。
 そのどちらを尋ねるかは個人的な感情によるものだろう。
 そっと顔色を窺うも、ルーヴは変わらぬ無表情だ。
 そのことになぜか安堵を覚え、招かれるままに部屋に入った。

 石造りの野暮ったい壁には、明かり取りにもならない小さな窓がついている。
 狭苦しい部屋の中には、ベッドと木箱しか置いていなかった。
 元から荷物が少ないのだろう。
 ペーパーナイフすらないようで、木箱の上に置かれた封筒は千切って開封してあった。
 その他に目に留まったのは、手の平に収まるくらい小さな女神像だ。
 確か、修道院に併設された孤児院で育ったのだっけ。
 繊細な細工に目を向けていると、ルーヴが粗末な丸椅子を差し出してくれた。
 他人の部屋をジロジロ見るなんて失礼極まる。
 慌てて目をそらして座ると、ルーヴはその場で直立したままだった。

「どうなさいましたか」

 狭い部屋に響く声に、ふと落ち着かない気持ちになる。
 こんな時間に家族でもない他人と過ごす自分は、はしたないのではないか。
 幼いころから教え込まれた教育が頭をよぎり、慌ててそれを追い払う。
 だって、今の私は監視官なのだから。
 調査のためなら、いつどこで誰と会うかなんて関係ない。
 黙って私を見つめるルーヴに着席を促し、ベッドに浅く座ったのを見て口を開く。
 どこから話せばいいか。
 いや、そもそも部外者に深く教えてはいけないだろう。
 細く息を吸い、白く照らされるルーヴに目を合わせた。

「調査官のクリシュナの代わりに、私が調査することになりました。
 時間がないので協力してください」

 かなり固い声になってしまったけれど、感情的になるよりよっぽどいい。
 言うべきは言えたのだからいいだろう。
 だというのに、ルーヴは無表情で私をじっと見つめてくる。
 何かおかしなことがあっただろうか。
 下唇を噛んで見つめ返していたら、ルーヴは突然床に膝をついた。

「ど、どうしたんで……」

「フィオナ様」

 初めて聞くはっきりした声のあと、跪いたまま私の手に触れた。
 細く小さな手は、まるで子どものように頼りない。
 だというのに……ひんやりとしたその手に、どうしてだか引きつけられる気がした。

「お一人で行動なさるということは……何かあったのではないですか」

 的確な指摘に思わず息を呑む。
 ここに来て一番長く行動していたのだから、私と兄様の距離感など分かっているだろう。
 なら、いいのではないか。
 そんな考えに必死に抗っていると、ルーヴが真剣な目を私に向ける。

「自分は誰にも何も申し上げません。ゾロ様にも報告いたしません。
 お話しすることで楽になるならば、どうぞ自分をお使いください」

 感情を映さなかった薄青の目が、初めて何かを訴えているように見えた。
 多分それは、私がそう思いたいだけだ。
 監視官として初めての事件で、たった一人になってしまった。
 その不安から、誰かに頼りたいだけだ。
 こんなのいけない。
 私は監視官なのだから。
 分かっているのに、胸から押し上がる熱いものを抑えきれない。
 冷たい手はそれ以上触れることはなく、けれど離れることもない。
 握り返したい。
 縋り付きたい。
 自分の弱さが嫌になる。
 嫌だというのに……私の口は、細く小さく開いてしまった。

「明日中に犯人が分からなければ……兄様を、犯人にして、解決して……」

 口にしてはいけない言葉なのに。
 月明かりを映す瞳に、思わず見せてしまった。
 
「私が……兄様を、殺します」

 私の涙と同時に、ルーヴの短い悲鳴が零れた。
 そんな理不尽な決まりなど、信じられるはずもないのだろう。
 でも、私たちは逃げられないから。
 そういう元に生まれているから。
 左目の眼帯を強く押し付けると、視界の中がちかちか光る。
 泣いている暇はないのに、悔しくて、悲しくて、辛くて、怖くて。

「神よ……」

 止めどなく溢れる涙を前に、ルーヴは小さく呟いた。
 眉を寄せた顔は悲痛そのものだ。
 まるで自分のことのように悲しむ姿に、私は一人ではないのだと思ってしまった。
 触れた手が離れ、背中に回った。
 私の目元を自分の肩に押しあて、羽のように軽く包み込まれた。
 子どものように細くてか弱い身体は、騎士団ではさぞ苦労していることだろう。
 けれど……その柔らかさは安心を生み出し、このままずっと包み込まれていたい気持ちになってしまう。
 心地よさから涙はゆっくり量を減らし、胸にこみ上げる痛みが和らいでいく。
 もしかしたら、ルーヴもシスターにこうされて育ってきたのだろうか。
 そう考えると、修道院も悪くなかったのではと今更ながら思ってしまった。

「解決、させましょう」

 私が落ち着いたのに気付いたのか、ルーヴはゆっくり身体を離す。
 その瞳には強い意志が宿っているようで、私も残った涙を拭い去った。
 もう、泣かない。
 必ず事件を解決させるのだ。
 深く息を吸い込み、努めて平坦な声を出した。

「兄様は、鐘をついたことについて分かれば、一気に進展すると言っていました。
 なので、儀礼室に行くことは可能ですか?」

「……鍵をお借りしております。参りましょう」

 そう言うと、ルーヴは静かに扉を開けた。

 誰もいない廊下を進む間も、不思議と私の気持ちは落ち着いていた。
 異様なまでの安心感はルーヴから伝わるものだ。
 きっと、孤児院でシスターからよほど大切に育てられたのだろう。
 孤児院にいられるのは十五歳までだけれど、ルーヴなら教会関係で働いていても違和感はない。
 なのに騎士団に来たということは、よほどブルアンに恩義があるのだろう。

「ルーヴさんの孤児院を運営していた修道院、私も行く予定だったんです」

 親近感から、ふと口に出していた。
 その修道院は、外部から入ってくる者が限られる特別な場所だった。
 よほど敬虔な信者か、もしくはやんごとなき身分を持つ者か。

「それでもフィオナ様は、監視官を選ばれたのですね」

 私の出自をあえて聞かない配慮には感謝しかない。
 それ以上お互いに口を利くこともなく、重厚な扉が視界に入ってきた。
 ルーヴが見張りの騎士に頭を下げると、意外そうな様子でその場を離れる。
 鍵はゾロが預けてくれていたのだろう。
 細い鎖のついた鍵を差し込むと、扉は迎え入れるように開いていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白が嫌いな青~剣と密室の頭脳戦~

キルト
ミステリー
【決して瞳を合わせてはいけない】 『魔眼病』瞳を合わせただけで感染する奇病が蔓延する世界。 偶然出会った孤独な男女はある約束を交わした。 お互いに嘘をついたまま次第に惹かれ合う二人。 その幼い感情が恋と呼ばれ始めた頃……想いを伝えられないまま互いの記憶を失くし突然飛ばされた。 女は密室で『断罪ゲーム』と呼ばれる推理ゲームに巻き込まれ。 男は異世界で記憶を取り戻す戦いに巻き込まれる。 ミステリーとファンタジー。 人々の嘘と恋が交わる時、世界の謎が明かされる。 ※女主人公(サヤカ)の生き残り推理ゲームと  男主人公(優介)の記憶を取り戻す異世界バトルが交互に描かれています。  目次の最初に名前を記載しているので参考にして下さい。  全三十話

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

【完結】シリアルキラーの話です。基本、この国に入ってこない情報ですから、、、

つじんし
ミステリー
僕は因が見える。 因果関係や因果応報の因だ。 そう、因だけ... この力から逃れるために日本に来たが、やはりこの国の警察に目をつけられて金のために... いや、正直に言うとあの日本人の女に利用され、世界中のシリアルキラーを相手にすることになってしまった...

【完結】リアナの婚約条件

仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
山奥の広大な洋館で使用人として働くリアナは、目の前の男を訝し気に見た。 目の前の男、木龍ジョージはジーウ製薬会社専務であり、経済情報雑誌の表紙を何度も飾るほどの有名人だ。 その彼が、ただの使用人リアナに結婚を申し込んできた。 話を聞いていた他の使用人達が、甲高い叫び声を上げ、リアナの代わりに頷く者までいるが、リアナはどうやって木龍からの提案を断ろうか必死に考えていた。 リアナには、木龍とは結婚できない理由があった。 どうしても‥‥‥ 登場人物紹介 ・リアナ 山の上の洋館で働く使用人。22歳 ・木龍ジョージ ジーウ製薬会社専務。29歳。 ・マイラー夫人 山の上の洋館の女主人。高齢。 ・林原ケイゴ 木龍ジョージの秘書 ・東城院カオリ 木龍ジョージの友人 ・雨鳥エリナ チョウ食品会社社長夫人。長い黒髪の派手な美人。 ・雨鳥ソウマ チョウ食品会社社長。婿養子。 ・林山ガウン 不動産会社社員

怪異探偵事務所

夜乃桜
ミステリー
『橘探偵事務所』の若き所長、橘仁は触れたものの過去を視ることが出来る〈時読みの異能持ち〉。〈異能〉で失せもの探しをする探偵と、依頼者達、人と時折〈人ならぬモノ〉達から依頼を受けていた。 そんなある日、老人からの探し物の依頼で、探し場所のとある家を訪れる。仁はそこで、真白の髪に真紅の瞳をもった白皙の美少女〈火焔の魔女〉と出会う。 〈火焔の魔女〉の異名を持つ〈魔術師〉横山玲奈に、その家で起こる異変の解決に、仁は巻き込まれてしまう。

処理中です...