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第13話 イグナスへの詰問

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 翌朝、目が覚めたときも兄様は同じ場所に居た。
 握りしめていたローブにはくっきりと皺が入っていて、本当に一睡もしなかったのだろう。
 昨日も疲れているようだったし、体調は大丈夫なのだろうか。
 そんな心配を他所に、兄様は朝食もそこそこに調査を開始するという。
 騎士団にとっての大事件があったとはいえ、機能を止めるわけにはいかないのだろう。
 昨日と違ってそこかしこに人の姿があり、本来の騎士団本部を感じることが出来た。
 今日はルーヴの案内を断っていたようで、冷え冷えとした施設内を二人で並んで歩く。

「さて、居るかな」

 昨日は空っぽだった訓練場は、今日は大いに賑わっているようだ。
 見たところ若い者ばかりのようだから、下官の訓練中なのだろう。
 ぎこちなさの残る中、時たま声変わりすら済んでいない声が響き渡る。
 昨日は煉瓦を重ねただけの倉庫の裏で、イグナスが昼寝をしていたのだったか。
 兄様の探し人はすぐに見つかったようで、砂利を踏みしめながら近づいていく。

「おはようございます、イグナス正騎士。少しいいですかね?」

「……またかよ。今度はなんの用だ?」

 まるで忌ま忌ましいとでも言わんばかりに睨みつけてくるのは、イグナスだった。
 木製の剣で打ち合いの音が響く中、塀を背に堂々と寝そべっている。
 信じられないことに、こんなに寒い日なのに微睡んでいたらしい。
 丁寧にしゃがんだ兄様が顔を合わせると、イグナスは鼻を鳴らしながらそっぽを向く。
 なんて失礼な人なのだろう。
 彼を教育した人間を見てみたいものだ。
 そう思っても、周りはもはや気にすることもないようで、存在から無視されているらしい。
 ここまで素行不良となると、やっぱり怪しいのではないか。
 最初から持っていた不信感がふつふつと再燃していく。
 けれど兄様は疑いを見せることなく、穏やかに話しかける。

「改めてお話を聞きたいんですよ。そこまでお時間は取らせません」

 兄様にここまで言わせて断る無礼者など居るはずがない。
 私の怨念が通じたのか、イグナスはあからさまに渋々と顔を合わせた。
 表情には苛立ちが残ったままで、昨日からこの顔しか見ていないのではと思ってしまった。

「嫌われ者が死んだだけなのに、そこまで調べる必要なんてあるのかよ」

「もちろん。好き嫌い以前に、騎士団長ですからね」

 さすが、兄様は大人だ。
 情報によるとイグナスは二十一歳。
 人生経験がそもそも違うのだろう。
 さらりと受け流されて反応に困ったのか、イグナスは面白くなさそうに立ち上がった。

「ゾロ騎士長の判断では、一番疑わしいのはイグナス正騎士のようですね。
 そこまでレオーネ団長を嫌っていたのですか?」

「当たり前だろ? ま、死に様を聞いてせいせいしたけどな。
 利き手を刺されるなんて騎士の面汚しだろ。生涯剣を握れなくなるんだからな」

 イグナスは片方の口角をひくりと持ち上げ、歪んだ笑みを浮かべる。
 死者に対してなんという言い草か。
 弔いの気持ちなど欠片も感じない言動に、思わず眉が寄ってしまった。
 けれど兄様はやっぱり気にしていないようで、微笑を浮かべながら話を続けた。

「昨日助言してもらったように、犯行時間を聞いてきましたよ。
 タレイア医師の見立てですと二十二時から四時だそうです。
 イグナス正騎士はその時間、どこで何をしていましたか?」

「言う必要なんてねぇだろ。そんな時間に誰かと居たってほうがおかしいんだからよ」

「それもそうなんですけどね。一応、何かあったのなら聞いておきたいんですが」

「知るか。言わなきゃ処罰するってんならやってみろよ。
 そんなガリガリの身体に負けるほど弱いつもりはねぇから」

 イグナスは凶悪そうな声で言って、腰の剣に手を当てた。
 この男、もはや騎士というより野盗のほうが正しいのではないか。
 呆れてしまうけれど、確かに私たち自身にイグナスを処する方法はない。
 けれど、紅玉を使えばどうとでもできるというのに。
 そうまでして口を閉ざすのには理由があるのではと疑ってしまう。
 動機があり、現場不在証明はない。
 明らかに最有力容疑者のイグナスは、吐き捨てるようにこぼした。

「それに、腰巾着の野郎は外部犯で終わらせるつもりなんだろ」

「よくご存知ですね」

「あいつが言い触らしてんだよ。立場を守るのに必死な野郎だ」

 尖った歯をむき出しにして笑う様は、軽蔑の気持ちが強いように見える。
 上官に対して敬意の欠片もない態度は、こちらこそ騎士としてどうなのかと思ってしまった。

「ゾロ騎士長は外部犯を推していましたがね。調査の結果、内部犯の可能性が高いんですよ」

 兄様の主張に、イグナスの笑いが瞬時に消える。
 昨日までは可能性のあったことでも、もはや覆ってしまった。
 あくまで容疑者圏外の立場で居たつもりだったのか、イグナスは小さく歯噛みする。

「ゾロ騎士長がどんなに外部犯にしようとしても、僕は意見を曲げませんよ。
 誰がなんと言おうと、自分の信念に見合った調査をしますから」

「……勝手に言ってろ。オレには関係ねぇからな」

 そう言って、イグナスは兄様を睨みつけた。
 ゾロを軽蔑しながらも意見を支持していたイグナスは、一体何を思っているのか。
 兄様に向けられた強い視線は、警戒心が増したように感じた。
 きっと後ろめたいことがあるからだろう。
 小さな反応も逃さないよう凝視していると、兄様は呆れたように小さく息を吐いた。

「虚勢を張るのは結構ですけどね。余計な疑惑を持たれたくなければ隠し事はやめたほうがいいですよ」

「誰が虚勢だってんだよ!?」

「あなたですよ、イグナス正騎士」

 ひどく冷たい声は初めて聞くものだった。
 いつも優しい兄様らしくない行動に、思わず手を伸ばしそうになってしまう。
 けれど私よりもイグナスのほうが反応が早く、とんでもないことに兄様の襟元を捻じりあげる。
 慌てて止めようとしたものの、兄様のほうが背が高いのだ。
 力を強めて引き寄せたところで、見下ろす視線は変わらない。
 それでも圧をかけたいのか、イグナスは叫ぶように怒鳴った。

「虚勢なんかじゃねぇ! オレはあいつを認めていなかった、殺したいと思ってたんだ!
 先を越されただけで、オレだって同じように殺すことはできたんだよっ!」

 唾を飛ばすイグナスを見て、兄様は小さく笑った。
 イグナスの激しい感情を打ち消すような、落ち着いた雰囲気。
 それは心底見下しているのがよく分かる、蔑むものだった。

「殺したいと、殺したは、まるで違いますよ」

 薄い笑みを前に、イグナスが息を呑む。 
 その一瞬でイグナスの手を解いた兄様は、真っ黒な襟元を軽く整えてから向き直った。

「最高責任者の死に様なんて、詳細には知らされていないでしょう? 特別に教えてあげます」

 兄様の声だけが耳に届き、周囲に響く訓練の音はまるで届かない。
 さっきまでの激情はかき消され、ただただ静かな空気がその場を支配した。

「レオーネ団長の身体を貫いた武具は全部で五つ。
 一つ目。黄金の長剣は心臓を破り、血の海を作っていました」

 静かな声に導かれるように、レオーネの死に様が蘇る。
 遠目から見ても死んでいるのが分かる血の海は、見た者だけの脳裏に焼き付く。
 私にとって初めての遺体は、生涯忘れることが出来ないだろう。
 顔を青くしているだろう私と違い、イグナスはまだ虚勢を張れているらしい。
 けれど兄様はそこで手を緩めることはせず、粛々と、歌うように現場を語る。

「二つ目。鉄製の槍は指の付け根の骨を砕き、破片が皮膚を突き破っていました。
 三つ目。巨大な斧は手の平から手首まで縦に割り、皮一枚だけで繋がっていました」

 私が見ることのできなかった細部まで、兄様は見ていたのだ。
 ただ血まみれの惨殺死体としてではなく、調査すべき対象として。
 監視官としての情けなさが浮かぶけれど、それより言葉で想像される光景に血の気が引く。
 けれどまだ三つ目。
 兄様は残る二つの役割を、朗々と打ち明けてしまった。

「四つ目。純銀の矢は舌を巻き込んで頭蓋に達し、二度と口を閉じられなくしていました。
 五つ目。華奢なナイフは局部を完全に切断し、腿の下まで転がっていました」

 冷静な語り口は逆に不気味さを醸し出し、意図せずして恐ろしさを見せつけた。
 なんて残虐な行為なのだろう。
 記憶と相まって吐き気を催していると、地面がこすれる音がする。
 のろのろと顔を上げると、姿勢を崩さない兄様を前に、イグナスが後ずさりをしていた。

「嘘だろ……」

 その表情にはもはや勢いの欠片もなく、地面のように暗い色をしていた。

「死ぬにしたって、そんな最期なんて、おかしいだろ。だって、あいつは……強ぇんだよ、本当に」

 むき出しの敵意は消え、微かに聞こえた声は震えていた。
 無理もない。
 見ず知らずの私ですらこうなのだ。
 上官とはいえ、同じ組織で生活を共にした相手だ。
 ひどい衝撃を受けているイグナスを前にしても、兄様の表情は一切変わらなかった。
 それどころか、まるで追い詰めるかのように脚を一歩進める。

「イグナス正騎士」

 声色は優しいままだ。
 だというのに、イグナスは異形を見るような目をしながら唇を戦慄かせていた。
 それはレオーネの死に様に対してか、それとも……。
 私からは見えない表情は、イグナスにどんな感情を抱かせているのだろう。
 塀を背にしたイグナスに向かい、兄様は両腕で檻を作る。
 そして耳に寄せられた口元は、微かに弧を描いていた。

「あなたには、あれほどまでの惨劇を作り出す覚悟はありますか?」

 崩れ落ちるイグナスに対し、手を差し伸べることはない。
 けれど追い打ちをかけるつもりもないようで、兄様は一歩脚を引いて見下ろしている。
 イグナスは青ざめた顔で兄様を見上げたあと、悔しそうに地面を殴った。
 小石混じりの土が手にこびりつき、赤黒い汚れに変わっていく。
 偉大な存在に畏怖するのは恥ずかしいことではない。
 胸のブローチに触れながら、圧倒的に差のついた二人を見ることしか出来なかった。
 それからどれくらい経ったか。
 遠くに聞こえた訓練の声が消え、冷たく乾いた風が吹き抜けた。
 空気が私たちの身体を芯まで冷やしたころ、ようやくイグナスは腰を上げた。

「……オレは、やってねぇ」

 絞り出す声には力が戻ったけれど、敵意は消えているようだ。
 そのほうがありがたい。
 兄様もそう思ったのか、適切な距離を保ちながら問いかけた。

「それでは、事件当日のことを教えて下さい」

 優しい声に小さな頷きが返ってきた。
 ようやく否定の言葉が出たけれど、それを覆すのが私たちの仕事だ。
 新たな証言を聞き漏らさないよう、イグナスの声に耳を傾ける。

「あの日は……休暇の連中と、ここで酒盛りしてたんだよ」

 明らかに渋々という言い方から、おそらく禁止行為なのだろう。
 それを隠すために誤魔化していたのなら、なんだか肩透かしだ。
 それにしても、こんなに寒い場所で酒盛りだなんて呆れてしまう。
 この地域の人間は寒さに強すぎるのではないだろうか。
 ローブの中で身震いしていると、兄様は追求を続けた。

「時間は?」

「二十二時から零時まで」

「酒盛りとやらは普段から?」

「いいや。あの日はあいつが訓練後に外出するって聞いてたからだ」

 そんな話は聞いていない。
 初めて飛び出した情報に、兄様の眉が小さく跳ねた。
 しかしイグナスも人づてに聞いたようで、話の出どころは出てこなかった。

「レオーネ団長以外の目は気にしていないんですか? 例えばゾロ騎士長とか」

「ただの腰巾着なんか気にするもんかよ。
 あいつはことなかれ主義だからな、風紀の乱れよりもそれを知られるほうが困るんだよ」

 イグナスは小馬鹿にするように言い、またしても歯をむき出しにする凶悪な笑みを浮かべた。
 こんなに不品行な団員がのさばっているのだから、ゾロの監督責任は重いだろう。
 兄様はそんなイグナスをしばらく見つめると、なぜか小さく笑い出した。
 イグナスの応対に何かあっただろうか?
 分からず首を傾げていると、一呼吸置いてからとんでもないことを言い出した。

「レオーネ団長のこと、尊敬していたんですね」

「はぁ? 目ぇ腐ってんじゃねぇの」

 乱暴な言葉は置いておいて、今回ばかりはイグナスの意見に賛成だ。
 不敬な発言を繰り返しているのだから、口先以上に嫌っていたのだろう。
 こんなに分かりやすいのに、兄様は頓珍漢な想像に至ってしまったらしい。
 もしかして、兄様は感情の機微に疎いのだろうか。
 そうだとしたら私がサポートしなければ。
 密かに意気込んでいると、兄様は再び唇を開いた。

「最後に。どうして零時に解散したんですか?」

「大した意味はねぇよ。普通だったら朝から訓練のはずだったからな」

「それだけの理由で、千載一遇の機会を逃すんですか?」

「逃しちゃいねぇし。ま、豚の妄言もたまには当たったってこった」

 豚というと……申し訳ないけれど、ポルクの姿が浮かんでしまった。
 豚だの狸だの、イグナスは人を動物で例えるのが好きらしい。
 私や兄様がどんなものに例えられるのか気になったけれど、あえて聞く必要もないだろう。
 塀から背を離したイグナスは、使い古された剣の持ち手に触れた。
 まさか、剣を抜くつもりなのか。
 僅かな緊張が走った中、じろりと兄様を睨みつけた。

「オレからも、最後に聞かせろ」

 吊り上がった茶色の瞳は、感情の起伏のせいか赤く充血している。
 痛々しさすら感じてしまう視線の中、表情に似合わない静かな声でこう言った。

「この事件……本当に解決してくれるんだろうな」

「どんな形であれ、三日で解決するのが僕の使命ですから」

 兄様が穏やかな声で答えると、イグナスは振り返ることなく去っていった。
 聞くべきことはもうないのだろう。
 イグナスを見送った兄様は、風を避けるように建物の中へと入った。

「それじゃあ、分かったことを整理しようか」

 警備の騎士から向けられる視線を気にすることなく、兄様はどこかに向かって歩き始める。
 密談は走り続ける馬車の中が最適というけれど、歩きながらは次点になるのだろうか。
 あえて隠すものでもないという判断かもしれないし、その提案に頷きを返した。

「イグナス正騎士には二十二時から零時の現場不在証明があった。
 あの場で嘘を吐く必要もないし、本当のことだと思っていいだろう」

 そう言われてしまうと、これまた頷くしかない。
 とはいえ、それでも零時から四時は証明されていないのだ。
 あれほどまでにレオーネを嫌っている態度から、最有力容疑者であることには変わりない。
 なのに兄様はほとんど疑いを持っていないようで、それがなんだか不服だ。
 前髪で半分隠れた顔を見上げていると、兄様はそれよりも、と話を転換した。

「レオーネ団長には外出の予定があったようだね。その件についても聞いておかないと」

 そう言って、見たことのある扉の前で立ち止まった。
 今や騎士団の二番手である、ゾロの執務室だった。
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