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第2話 調査依頼

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 書状も何も持たない私たちは不審に思われるのではないか。
 そんな不安は杞憂で、衛兵は私たちの胸元を見て慌てて敬礼した。
 正門らしい場所から入ると、ホールには機械式の時計が鎮座している。
 ほとんどの国民が教会の時報で生活する中、時計を所持するのは珍しい。
 二十四時間表記の文字盤が十三時を指したのと同時、聞き慣れた教会の時報が響いた。

 いくつもの見張りを通り過ぎた私たちは、立派な応接室に通された。
 床には獣の毛皮が敷かれ、酒瓶とグラスの置かれた棚が並ぶ。
 隙間を埋めるようにかけられたタペストリーに描かれているのは、剣を模した騎士団の紋章だ。
 象徴色である黄色が広がる景色は目に痛く、石造りの部屋を眩しくさせていた。

「ずいぶん厳重な警備でしたね」

 責任者が来るまでの間、私は隣に座る兄様に話しかけた。
 扉の前にはもれなく衛兵が立っていて、門はすべて閉じているらしい。
 馬車から見えなかった場所を観察するべきだったか。
 少し後悔していると、兄様はゆっくりソファに背を預けた。

「何せ、最高責任者が殺されたんだ。そうでもなければ僕らは呼ばれないよ」

 殺された。
 その言葉に心臓が締め付けられる。
 調査団が派遣されるということは、事件が起きたということだ。
 そんな当たり前のことなのに、どこか人ごとのように感じていた。
 こんなことではいけない。
 真面目に取り込まなければと頬を叩くと、廊下から騒がしい足音が響く。
 背筋を伸ばして静かに深呼吸すると、木の扉が勢いよく開かれた。

「おお! 貴方様が調査団の方々ですか!
 わたくしは騎士長を拝命しております、ゾロと申します! お見知りおきを!」

 興奮した様子で入ってきたのは、はち切れんばかりの肉を制服に押し込めた中年の男だった。
 素早く私たちに視線を向け、揉み手をして正面に立つ。
 そんな相手を前に、兄様はすっと立ち上がり僅かに頭を下げた。

「どうも。皇帝陛下より派遣されました、調査官のクリシュナと監視官のフィオナです」

 兄様は私の紹介まで済ませ、口を挟む機会を失ってしまった。
 初めての事件とはいえ、任せきりなのはどうなのだろう。
 かといってこれ以上言うこともないし、兄様に合わせて小さく会釈をした。

「いやはや、歓迎いたしますよ!」

 正直、子どものような私に眉を寄せられるかと思っていた。
 しかし彼の目線は紅玉のブローチに注がれ、当の本人には興味がないようにすら見える。
 中年の男……ゾロは向かい合って座ると、今度は隠すことなく凝視した。

「ははあ……こんなにも大きな紅玉を賜れているとは。
 皇帝陛下は調査官殿と監視官殿を大層信頼していらっしゃるようで!」

「そんなことはないかと思いますよ」

「いやいや! この帝国において紅玉を下賜できるのは皇帝陛下だけ!
 お二人は国を挙げて信頼するに値すると、市井の子どもですら分かることでしょう!」

 ゾロの大仰な言葉に、兄様は曖昧な笑みを口に浮かべた。
 象徴色とはここまで重要なものなのか。
 初めて見せつけられた影響力に、私は内心で息を呑んだ。

「それで、事件のほうは?」

 お世辞を無視した兄様の言葉に、ゾロの顔から力が抜ける。
 満面の笑みは困惑の表情に変わったけれど、兄様は穏やかな表情を崩さなかった。

「いやはや……なんと申し上げればよいのですかな」

 ふくよかな手で顔を覆っている間に、私はゾロを観察することにした。
 体格からも分かる通り、彼は騎士団の中でも実戦を主としていないのだろう。
 胸に数多くの勲章が飾られているけれど、武勲を表すものは少ないようだ。
 騎士団の中の文官という立場を読み取ると、ゾロは深いため息をついて顔を見せた。

「どこまでお聞き及びで?」

「概要程度は」

 ゾロは兄様を話し相手に選んだらしい。
 調査はあくまで調査官の役目だから、監視する立場の私が口を挟む必要はない。
 それでも置いていかれないよう、身を乗り出して耳を向けた。

「……本日早朝、騎士団長であられるレオーネ殿の遺体が発見されました」

 そう言ったゾロの口調は、事実に見合った重々しいものだった。
 兄様は相槌をしないことで先を促し、ゾロだけに意識を向けていた。

「わたくしは昨晩、夜通しの仕事をしておりましてな。執務室でついうたた寝をしていたのですよ。
 そんな時……儀礼室にある鐘が突然鳴ったのです」

「鐘、とは?」

「儀式の時に鳴らす特別なものでしてな、儀礼室の中からしか鳴らせない不便なものです。
 そのすぐあとに、教会の四時の時報が聞こえたのを覚えております」

 朝が早い人なら起きているけれど、仕事が始まる時間ではない。
 そんな時に特別な鐘が鳴れば異常を感じ取るのが普通だろう。
 ゾロも同じように思ったらしい。

「わたくしはすぐに書記官たちを呼び、儀礼室に向かいました。
 それはもう、執務室からは遠く離れておりますが、懸命に走りましたとも!」

「ええ、それで?」

 ゾロは必死さを主張したかったようだけれど、兄様がかまうことはない。
 期待した反応がなかったからか、勢いの下がった声で話を進めた。

「儀礼室は敷地の一番奥にあり、離れのようになっておるのです。
 あたりは薄暗かったですが、向かうまでにすれ違った者はおりませんでした」

 あとで建物の配置や道のりを確認しなければ。
 頭にしっかり刻み込んでから、感情豊かに語るゾロへ目を向けた。

「扉に手をかけると、鍵は閉まっておりました。
 わたくしどもは持参した鍵を使い、扉を開けました。すると……」

 溜めに溜め、じれったさすら感じたころ。
 まったく表情を変えない兄様に向かい、ゾロは叫ぶような声を上げた。

「そこには、見るも無残なレオーネ団長のご遺体が横たわっていたのです!」

 私は思わず飛び上がってしまったけれど、兄様が驚くことはない。
 世間話でもしているかのように、柔らかく問いかけた。

「死亡は確実でしたか?」

「え……? ええ、それはもう! あの夥しい出血は確実に助からない量でした。
 わたくしも昔は戦争に参加しておりましてな、生き死にの判断は戦場で学びました」

 沈んだ表情は相槌を打つのが躊躇われる。
 文官気質のゾロに戦争の経験があるのは意外だけれど、仕方のない時代だったのだろう。
 この国は今は小競り合いばかりだけれど、十年前には激しい戦いがあったという。
 帝都で過ごしていた私には縁がなくても、国境を守る騎士団には身近だったのだろう。
 そう思うと、ただの文官に見えるゾロも立派な騎士なのだと思い直した。

「出血以上にあれでは助かりますまい……いや、あとは現場を見ていただくほうがよいでしょう。
 おそらく不届き者が侵入し、団長と鉢合わせてしまったのでしょうな。
 そこで逃げればよかったものを……犯人め、恨んでも恨みきれませんわ!」

 そんなゾロの言葉に兄様は初めて身体を揺らした。
 何か気になったのだろうか。
 そわそわしながら隣を見上げると、兄様は意外そうな顔をゾロに向けていた。

「ゾロ騎士長は、外部犯だとお考えで?」

「もちろんですとも!
 調査官殿もご存知ではありませんかな?
 団長は大変立派なお方で、武勲だけでなく民の評判もすこぶるよろしかった!
 なればこそ、この騎士団にあの御方を殺したいなどと思う者はおりません!」

「確か、名家でない身の上で立身出世を果たしたとか」

 騎士団長については事前に聞いてきた。
 商家の次男に生まれ、騎士学校を経て騎士団に入団。
 縁故採用の騎士たちをみるみる追い抜き、ついに団長の座に躍り出たのだとか。
 特権階級出身ではない上位者は、平民にとって理想の存在なのだろう。
 そのためか、貴族よりも庶民からの声援が絶えないのだという。

「ええそうですとも!
 団長を失ったことは騎士団、ひいてはエリュテイア帝国の損失!
 我々も今は悲しみに暮れておりますが、何より事件解決が団長への恩返し!
 一丸となって憎き犯人の捕縛に取り組みます!」

 心の底から嘆いている……のだろうか。
 ここまで来ると本心なのかを疑ってしまい、滑稽さすら感じてしまった。
 けれどその考えを見せてはいけない。
 努めて無表情を保っていると、ゾロはゆるりと口元を歪めた。

「して、調査官殿。外部犯の断定……いや、事件の解決はどのくらいになりそうですかな?
 大きな式典はないにしても、団長の不在を隠すのにも限界がありましてな」

 解決前の公表は避けたいのだろう。
 ちらりと向けられた視線に、兄様はやはり曖昧な笑みを返す。
 ゾロがさも困ったと言わんばかりのため息をついたと同時。
 扉から小さなノックが響いた。

「入れ!」

 ゾロの威厳ある声に続き入ってきたのは、私ほどではないが小柄な団員だった。
 少年兵という名称がしっくりくる体躯を見て、思わず首を傾げてしまう。
 騎士団に入団できるのは成人年齢の十八歳からのはず。
 疑問を抱いてその姿を観察していると、小さな身体は静かに敬礼をした。

「ルーヴ書記官、ご命令に従い参上いたしました」

「敬礼よし! こちらで直立!」

 腹の底から出る迫力ある声に怯むのは私だけのようだ。
 命令通りに、小柄な団員……ルーヴはゾロの隣で後ろ手を組んだ。
 書記官ということは、最初から文官として採用されたのだろう。
 雇用対策として、戦闘職以外の部門は十五歳から入団できることを思い出した。

「施設内は入り組んでおりますからな、この者を案内役としてお使いください。
 わたくしがご一緒できればよいのですが、何分このような事態ですからな。
 各所への連絡、情報統制、引き継ぎ……いやはや、忙しい忙しい!」 

 わざとらしい物言いに反応を示すものは居ないし、もちろん私も無言だ。
 ゾロは気まずさを感じたのか、大げさな咳払いをしてルーヴを睨んだ。

「ルーヴ書記官に施設の案内を命じる! 調査官殿と監視官殿に失礼のないように!」

「承知いたしました」

 細い声で子どもの真似事のような敬礼を返すルーヴを、兄様は厚い前髪越しに見つめている。
 その視線に紛れるように、私も姿を観察することにした。
 短く刈り上げた煤けたような金髪に、感情を映さない薄青の目。
 顔の造形は整っていて、男社会な騎士団の中では浮いた存在ではないか。
 そして、一番小さな制服ですら余らせるのだろう。
 隙間から見える手首を見ると、兄様ほどではないが痩せ細っていた。
 騎士団となれば誰もが筋骨隆々とした偉丈夫を想像していたが、後方部門はそうではないらしい。
 ただ、目の前に座るゾロと比べて身軽そうだ。
 兄様も私と同じ判断に達したのか小さく頷いた。

「それと、できれば先に現場をご覧ください。
 調査官殿の見聞が終わり次第、ご遺体を回収しなければなりませんからな」

 そんなゾロの物言いに再び首を傾げたくなる。
 そこまで早く片付けたいのだろうか。
 先程までの絶賛が白々しく感じるくらい淡々とした言葉だった。

「分かりました。それ以降は好きに見て回っても?」

「もちろんですとも。調査のためならば、敷地内は自由に行動していただいて結構です。
 その紅玉を見て止める愚か者は、騎士団には居ないことをお約束いたしますよ」

 ニヤリと笑う口元は騎士道精神の反対に向かっているのではないか。
 兄様もそんなゾロより現場を相手にしたいのだろう。
 ゆっくりと立ち上がると、座ったままのゾロを見下ろした。

「では、早速調査に移ります」

「おお、是非とも! そして早急な解決を……」

「三日です」

 慌てて立ち上がったゾロを制するように。

「この事件、必ず三日で解決します」

 兄様は凛とした声で、はっきりそう言い切った。

「……それは心強い。さすがは、皇帝陛下から全権を委任された調査官殿だ!」

 目に浮かんだ疑念の色に気づいているだろう。
 しかし兄様はゾロから顔を背けることはしない。
 濃い灰色の前髪でほとんど見えないのに、その視線は相手をその場に押さえつける。
 兄様に続いてゆっくり立ち上がると、私の胸元から硬いものが擦れる音がした。
 しかし誰がそれを指摘できるはずもなく、私たちの足を止める者は居なかった。
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