明日の「具」足

社 光

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12話

12話「キミと年越しそば」【2】

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「もう少しだぞ哀留、もう少しで念願の飲酒解禁だぞぉ」
「運転しながらそんな危なっかしいこと言わないで貰える?」

 車は苦手だ。人に作ってもらったくせして人に優しくない。主な原因は酔いと退屈、特にお腹が空いてるときは7割増しでそれを感じてた。

「なによ哀~気持ち悪いの?何か咥えてると和らぐって言うし、お姉ちゃんとお揃い吸う?」
「吸わないし……、まだ未成年だし」
「アッハハ何言ってんの!哀、午前中に生まれたんだからもう立派な二十歳じゃん!もこっからは老化一直線なんだからタバコの1本くらい屁でもないっしょ?」
「……誰だって、『最初の1本』からでしょ?」
「確かにそうね、零も哀留の事見習って少し減らした方が良いんじゃない?安尾くん煙草嫌いなんでしょ」

 走り慣れていた道。送られ慣れていた道。いつもの場所で軽く跳ね、いつもの場所で減速して曲がる。その繰り返しで気分は最悪、胃袋の中はシェイクシェイクだ。

「うっさいなぁ!もう哀留吸ってよ!2人で吸えば───」
「『怖くない』って、餓鬼の理屈じゃないのそれ……どっちが子供なんだか」
「あぁ?」
「2人とも後ろで喧嘩すんな。折角父親が良いもん食わせてやろうとしてんのに、テンション下がったら自腹にすんぞ」
「アホくさ」

 ガクッとシートにもたれかかって出た言葉がそれ。20歳の誕生日、お祝いの時に決まって行っていたいつもの店に向かう車の中、はしゃぐ家族3人に対して車酔いでグロッキーな私はどうしようもなく苛ついていた。流れる景色、揺れる頭、その上で必死に窓の外の空気を吸って気を紛らわせようとする私の鼻に、隣から姉のれいが吸う煙草の煙が割り込んで入ってきた。

「エッホエッ……」
「割と冗談抜きでダサくない?哀」
「……言ってろよニコ中ヤマンバ───」
「あぁ!?」
「ちょっと哀留!」

 肩に食い込んだ細い指の感触は今でも思い出せる。彫刻刀みたいに尖った爪も手羽先みたいにか細い腕も、私が見たのはそこが最後、酔いを誤魔化そうと外を見る私の肩に必死で掴みかかってきていたその時までだった。

「おい暴れなって……───!?」
「……!?ねぇアナタ!!!」

 どうしてだったっけ?なんでこんなに苛ついてたんだっけ?酔いのせいだけじゃない色々があった気がする。でもいつも、もう止まらない。運転席から聞こえたお父さんの怒鳴り声と同時に車体は変な揺れ方をする。シートに押し付けられながら感じてた、何かに乗り上げたんじゃなく急カーブをしたわけでもない不思議な揺れの後、窓の外に見えたのは捻じれていく外の世界。地面は正面に、空は後ろに、そして車が進む方に見えたのは黒く重く光る鉄の柱だった。

「哀───」




「ふぁ」

 ここまで行って目を開けると決まって現実の朝が私を出迎えてくれる。途切れた思い出の向こう側での記憶が無いのは自分で直接見ていないからなんだろう。唯一ハッキリ言えるのは、あの瞬間までが「源 哀留」の一生として記録されるであろう部分で、そこから今までの私は単なる出涸らしでしかないってことだけだ。

「うっし」

 良い布団だと目覚めも良い。しゃっきりと夢の世界からの帰還を果たした私の脳みそは完全に覚醒を迎えられているようで視覚、聴覚、嗅覚の全てが研ぎ澄まされている。軽い体でいそいそと顔を洗ってうがいを1回、次にやることは服を着る事だ。

「へっぶし!」

 暖房はタイマーでとっくの昔に切れていたので、大晦日の朝の寒さがダイレクトに肌を突き刺してくる。急いで体を覆う布地を1枚2枚と増やしていった。ブラトップ、パーカー、何て言うのか知らんけどダボッとした暖かめのズボンと順番に着ていき、最後に身に付けたのは厚手の靴下、卸したての真新しい布地がゆっくりと足の裏にフィットしていくのが分かる。足元の防寒をおろそかにしがちな自分のチョイスでは決して味わうう事の無かった快感だっただろう。

「よし」

 着替えを済ませて風呂場の鏡で自分の姿を確認し、真冬の街中でも凍死しそうにないかを確かめる。他の人にとってはどうか知らないけど自分にとって今の格好は部屋でゴロゴロするものではない。そしてそれを着る私の心もまた、今日という今年最後の日にただ買い込んだ食料を食い漁る日として終わらせる気は無かった。

───ピンポーン───

 そのとき、呼び鈴が鳴る。2回、3回と繰り返されていくその音を何となくそのまま聞いていると音は止み、少しの間を空けた後に再び鳴りだした。まるで押した誰かの心情を映し出しているかのような迷い気のある不規則な再演奏。ただ、朝1番にそんなものを披露されている私の方はというとコレが妙に落ち着いているのだ。我ながら気色が悪い、でもまぁ……お互い様だ。

───カチッ───
「どなたですか?」

 6回目の呼び出しに応えてインターホン越しにありふれた応対をすると、玄関の向こうから感じていた迷い気は途端に焦りに変わる。なんで分かるかって?

「どなたですか?」
「───あ、あの……───」

───ガッチャ───

「あっ!」

 私が知るか、そんなもん。

「み、源さん……」

 自分の体格より大きな荷物を背負うその姿はまるで終業式後の小学生のよう。パンパンに膨らんだアウトドア用のバックパックを背負い、手提げのトートバッグを両手に下げ、滴る汗のような水気でグズグズに崩れたメイクと荒々しい息遣いを晒しながら、榊奈央はそこにいた。

「っえ───」
「ぬん!」

 その姿を見るなり私は、彼女の荷物を手の届く範囲から引っ掴んで彼女が反応するよりも前に毟り取り部屋の中に放り投げていった。左手のバッグが放られてバックパックに手がかかった辺りでも彼女は困惑したままで、次に私に声をかけた時にはもう既に右手に持っていたバッグを私にひん剥かれた後だった。

「源さん、私───」
「シャワー」
「……へ?」
「シャワー浴びて下さい」
「え?」
「グズグズに臭ってるんですよ!早くシャワー浴びて着替えて!」
「えっ!あっ、はい!!!」

 真横を駆け抜ける久しい背中に、私は振り向きはしなかった。もう勝手な期待はしない。自分本位な理想を押し付けていたのは私も同じ。だからもし、もう1度会える時があったのであればその時は対等に接しようと心に決めてた。カッコイイあの人を好きでいるんじゃない、隣に居ることに目的なんて持つから、それが満たされないと苦しくなる。だから私は求めない。ただ私ができること、作り出せるものを彼女に与える。それで互いが満たされないのなら、それが私の限界なのだ。

「みっ、源さーん!!!」
「なに!?」
「私っ!もう少しだけ!行動で示すようにする!」

 風呂場からのくぐもった反響音という形で、榊 奈央の告白は続けられた。

「気持ちがあれば伝わるんだって、感謝も信頼も後悔も、自然に相手に伝わるんだって思ってた!それがどんな言葉でも、自分の感情なんて隠せやしないんだって。でも、やっぱり言葉だけじゃ伝わらないみたいで!裏も表も無い只の文字だけじゃ、自分の心まで伝えきれないって!」

 ジャージャーと激しい水音、ガラガシャと道具が暴れる音、そしてどこか子供じみた口調の懺悔。この3つが折り重なりながら私の耳に一直線に届けられる。そうだ、愛す方も、愛される方も、覚悟を決めなければいけないのだ。どちらか一方の、一色の好意だけじゃ……きっとすぐに食べ飽きてしまうから。

「そこの荷物は私の全財産!前の家から引っ張ってきた服とか小物とかその他もろもろ全部!覚悟の証にもならないとは思うけど!でももう私は引かないっていう約束の担保として、貴方に受け取って欲しい!」
「……キモイですね!」
「えぇ!私はね、私の守備範囲が貴方と男性だけだって分かった!レズでもバイでもない!貴方、源 哀留以外の女には興味の無い1人の女だった!」

 ジャコジャコと頭を洗う音と共に聞こえてくる一世一代の性癖カミングアウト。公共の空間であれば立派な迷惑行為だろうがそんなものは今の彼女の頭には無いのだろう。己の心を「行動」で示そうとしている彼女には。

「彼は憎まない。でもそれ以上に私は貴方ただ1人を愛する!だから許して欲しい」
「何をです!」
「貴方に踏み込まなかった、臆病な私を!」

 あぁっぁ↑------!!!!!

「───ウェッ!!!」
「フーフーフー……」

 理性はその一言で灰燼に帰し、気が付くと私は全身泡塗れの彼女の前に居た。泡に隠れるほどに白く艶やかな肌が覗く、生まれたままの姿の彼女の前に。全裸で。

「私も隠しません!」
「……隠してない」
「貴方を想う気持ち、貴方が欲しいって言う思い!手を繋ぎたいとかほっぺに触れたいとか肩を撫でたいとか匂いを嗅ぎたいとかその他諸々々!心に思う事すらもはばかってた色々な想い、隠しません!全力でぶつかって、死にに行きます!」
「源さん!?」
「哀留って呼べぇ!!!」

 ───バチコーン───、と煌めく一閃と同時に痛みが走る。そう、これが気持ち。伝えるべき思いの一番分かりやすい形。私達はここから……

「出てってぇ!!!」





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 まだ痛い。あんなフルスイングを喰らうなんて流石に想像してなかった。

「そんな怒らないでくださいよ」
「じゃあ貴方は自分の入ってるお風呂場にお母さんがいきなり突っ込んできても平然としていられる?」
「ん……」
「お互い反省ね。ここまで我慢弱いなんて想像してなかった、女の裸見たこと無いの?」
「逆に聞きますけど、そんなに見たことあるんですか?」
「……修学旅行で」
「安心してください。こちとら生まれた頃からやらせて貰ってますから、そういう目で見る相手以外になんて興奮しませんよ」
「逆にできなくなったわ」

 この間までの気遣いに溢れた会話運びはまるで女子寮の相部屋のような乱暴な言葉の投げ合いに変わっている。今まで入浴後には寝る準備をばっちり終えていた榊さんが、今は私の目の前で濡れた髪を自前のドライヤーで乾かしているのだ。これを進歩と言わずになんと言う。

「……じっと見ないで」
「なんでです?」
「緊張するから」
「してくれるんですか!?」
「そういう意味じゃない!とにかく、これが私の覚悟だから。もう貴方の事だけを見ると決めたことを分かってくれてるって、思っていい?」
「勿論です。気持ち悪さはお互い様ですから」

 いかにも腑に落ちないといった感じの榊さんだったけど、私はこれでいい。いや、これが良い。もう気づかい合うような上部は互いにありはしないのだ。であるなら私も、自分がやりたいと思う彼女への献身について、ただ私利私欲の限りを尽くさせてもらおう!

「じゃあ出かけましょう」
「どっ、どこへよ!?」
「買い物ですよ、夕飯のね」

 立ち上がり見下ろす彼女の顔。困惑しながらこちらを見上げるどことなく少女らしさを感じる新たな一面をこの網膜に焼き付ける。自分がそれができる最後の人間だと誇示するように、誇らしげな目線を彼女に投げつけながら。

「髪にドライヤーさせて貰っても良いですか?」
「まっ、また今度ね!」
 
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