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11話
11話「妬きソバ名人」【1/3】
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朝のバターは甘露の味。空っ腹への打撃力とセレブ的な絵面を両立させた悪魔のトッピングだ。それが今私の前に、焼きたての分厚いトーストと淹れたてのコーヒーと並び立って置かれている。
「お待たせしました、モーニングセットです」
「ありがとう」
ここは浜松、時刻は7時。PMではなくAMだ。寝起きすぐの身体に朝風を当てながら榊さんに半ば連行されるようにやってきたこの喫茶店で、私たち2人は朝のご馳走にありつこうとしている。
「哀留?」
「ふぇあっ。すいません、まだぼーっとしてて」
「ごめんね、無理やり連れて来たみたいになっちゃって。もしかしてコーヒー苦手だった?」
常温の柔らかいバターを自分のトーストに塗りながら、榊さんはまだ手の進んでいない私を心配していた。正直に言えばコーヒーは好きなんだけど寝起きの頭がまだ食事モードに移行していない。家から最寄りの磐田駅までバスで15分、磐田から浜松まで20分、そして浜松駅からこの喫茶店まで徒歩5分。計40分余りの道のりを経てのこの状況、日頃9時頃に目覚めている私の頭にとっては適応させるだけでも至難の業だ。
「いえ、大丈夫です!ぃただきまぁす」
もう1つ正直に言えば、私は今、非常にお腹が減っている。原因は言わずもがな昨夜の「精進料理」なのだけど、不思議と口に合わない料理というのはいくら食べてもお腹が満たされない。いや、むしろ満足する程にまで胃袋に入って行かないのか。茶碗丸々1杯を飲み込んだ昨夜には胃袋がはち切れそうだったのに、今の私は牛1頭くらいなら丸飲みに出来そうな程にお腹が空いている。もしかして、榊さんも同じだからなのかな?
「んぶ!」
だけども考え事をしながらの飲み物は非常に危ない、それが飲み慣れないモノであるならなおさらだ。散漫な意識のままカップに口を付けた私の脳味噌は殆ど経験の無いブラックコーヒーの渋みと苦みと熱さに驚き、その衝撃を言語野に直撃させて悲鳴のような驚きを店中に響かせてしまった。
「大丈夫!?」
「んっ!……ご、ごめんなさい」
口元を拭い、テーブルに跳ねた飛沫を拭き、カップに1本の砂糖と2個のミルクを投入して深呼吸、この間僅か4秒程。幸い大きな騒ぎにはならず、喉に残った少しの量でむせそうになるのをこらえながら、私は榊さんに聞いてみた。
「でもどうしてわざわざモーニングに?……やっぱり、昨日のが───」
「そうじゃない。哀留、今日から三が日の終わりまでお休みって言ってたでしょ?私も今夜の忘年会が終わったら家に居ることになると思うし、それなら何回も外出しなくて済むように色々買いこんでおこうかなって。お昼から出かけたら晩に間に合うか不安だったの、ごめんね?」
「あぁ」
確かにウチの冷蔵庫の中身はよくいる独身者相応にみすぼらしい。普段使いする卵と調味料以外は確実にその日に使いきる分の食べ物しか入っていなかったし、榊さんが来て特別意識して料理をするとき以外の食事と言えば出前か外食だった。これには同棲を始めたにも関わらず私がまるで頓着していなかっただけじゃなく、榊さんもそのことを「気にしなかった」というのが大きい。だけど今回、向こうからそういう提案をくれたという事は、榊さんは私が料理をするという行為自体をポジティブに考えてくれているのかもしれない!と、自分の脳内でそんな勝手な想像を働かせていた。
「簡単に食べられるモノとか、大目に用意しておけば便利じゃない!」
でもそれは多分杞憂だ。昨日のリアクションを見る限り私の料理の腕は世間的なオンチのレベルにすら達しているとは思えない。カレーは殆ど芽衣子が作った物だったし、野菜炒めのときはお互いに正直な言葉を言い合えるような関係ですらなかった。「あんまり」という言葉が出て来た時点で、それは彼女からの私に対するやんわりとした戦力外通告なのだろう。
「どう?哀留」
「───ぇえ、そうですね。じゃあ、いろいろ買い揃えておかないと。引きこもって餓死したくは無いですからね」
「?……よしっ!じゃあ行きましょう!あっ、これをゆっくり食べてからね」
ニコニコしながらセットのゆで卵を剝いていく榊さん。私は頷いたまま視線を自分のトーストに落とし、食べやすい温度になっていた表面にバターを広げて歯を立てる。ザクザクと心地良い音と触感、飛び散るパン粉の様なわずらわしさも気にならないくらいの美味しさが口の中に広がる。自分の至らなさと一緒に香ばしい小麦の断層を噛みしめた。
「美味しい?」
「はい、とっても」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
店を出て2人がまず向かったのは駅の逆に進んだ方にある小さな公園。大きな店舗が開店する午前9時ごろまでの時間を潰すために散歩がてら立ち寄った。喫茶店に居座っても良かったけど、どうにも忙しそうな様子の会社員さんなどに囲まれながらというのは2人とも落ち着かなかった。もう今年も終わるというのに忙しい人はまだまだたくさんいるらしい。
「寒いね、雪もまだ少し残ってるみたい」
「えぇ」
当たり障りのない会話を交わしながら歩をゆっくりと進めていく。多少短足気味の私は3歩進んだ榊さんに対して4歩で追いつくため、少し早足に思えるくらいの彼女の今のペースに合わせようとすると多少無理な歩き方になる。だけどそんな気遣いに気づかれまいと姿勢を綺麗に保とうとすればするほど今度は口を開く余裕がなくなり余裕がなくなり、お互いに無言のまま公園の中を歩く時間が続いてしまっている。マズイとは思いながらも気の利いた話題を振ることもできずただ榊さんに合わせて公園を進み続け流石に焦った私は息を切らし頭を回して喋りかけながら話題を探した。
「あぁ!ァあ……そのぉ……」
何か話題、何か話題……。
「……ぇ、あれ?」
その時、ふと隣に目を向けるとペースを合わせて歩いていたはずの榊さんの姿は無く、驚いて周囲を見渡すと彼女は歩いてきた道の3メートルくらい後ろで立ち止まり、遊歩道の並木から伸びる枯れ枝を静かに仰ぎ見ているようだった。空風にたなびく黒髪の隙間から覗いたその時の目はどことなく悲し気なものに見え、その時私の中にはふとある疑問が湧いて出てしまった。重要な議題でありながらこれまで自分の意識の外に意図的にはじき出していた事、必死に頭から追い出そうと別の事を考えても、一旦浮かんでしまったらしばらくの間そのことしか考えられなくなってしまう。私は自分の嫉妬深さを呪いながら頭に浮かんでしまった「その話題」を外にはじき出す為に、咄嗟に思い浮かんだ別の話題を、物思いにふける榊さんに歩み寄りながら切り出した。
「そういえば、榊さんってどうして本社から異動になったんですか?」
「えっ?」
質問を終えると共に駄目なことを聞いたという事を自覚する。対案が浮かび碌に考えもせずそのまま口から垂れ流した問いは、あろうことか「トバされた理由」についての事だった。それをあろうことか大事な人に、想い人に対して何の配慮も無い普段通りの口調でかましたのだ。榊さんの表情が曇るよりも先に私の顔面からは冷や汗が噴き出す。
「なっ、なんでもない!何でもないんです!忘れて下さい!」
悪あがきが過ぎる。汗ばむ上から空風に吹き上げられてもなお顔の紅潮は収まらず、デリカシーの無い自分を恥じた。
「───なんでかな?」
「……へ?」
「なんでだと思う?」
予想外の返答に私は更に困惑した。榊さんはさっきまでの何かを憂うような表情からまるで子供を見守るような優しげな表情に変わり、肩をすぼめた私を見つめている。私は、無性に苦しくなってしまった。
「え、えっと……」
「───ヘヘ、ごめんなさい、冗談よ。別にどうってことじゃないの。ただ単に忙しさに付き合いきれなくなったって言うか、働き方が合わなかったっていうか……。Tella’sの本社って結構な忙しくてさ。週で家に帰って眠れる日なんて2日あれば良い方で、営業の仕事で出張も多くて何のために部屋を借りてる分かんないくらいだったの。それが私には、楽しいけどキツイだったんだ。今の働いてるのはまぁ……悪い言い方をすると『追い出し部署』みたいなところでね。縁も無い市での製品配送と出品実績の実地調査なんて名目で出世からは遠いところなんだけど……何ていうか、疲れちゃったの」
自嘲気味に語るその背中は語り口とは対照的にシャッキリ伸びていた。ハッキリ言って自分が今まで生きてきた経験から理解できるような部分は話の中に殆ど無く、分かりやすい共感も反発も示すことができない。教師や親であればそういう姿勢は重要だろうし、パートナーとしてもそれは非常に不本意なコトだった。
「……それで、忙しくない提携先に?」
「まぁ割と忙しいけどね。でも今は前より充実してるよ!美味しい物を食べたりゆっくり買い物をしたり、自分が寝る布団を選ぶ時間だって無かったんだから。人間余裕がないと楽しい事が見えなくなって行くんだなって、ここに来てから分かり始めたの」
そう言いながら振り返る榊さんは間違いなく今日1番の笑顔を浮かべていた。少なくとも私にとっての今日が始まってからこの2時間ちょっとの間で1番の。
「あ、もうそろそろお店開きそうだね。行く?」
手直に時計が無く目の前でスマホを開くのも気が引けた私は榊さんの提案に素直に頷いた。来た道を駅に向かって引き返し始めるとさっきから吹き付けていた風は真正面からの向かい風になり、熱った私の顔を冷ましてくれる。そうだ、冷静になれ。何を焦ってる?
人の流れは駅に向かって、今日は珍しく皆と同じ方に私達も歩いていく。周りからは似た様な雑音に内包された笑い声、ひそひそ話、文句や客引きが聞こえ始め、ようやく社会が今日という1日を始めようとしているように思えた。活力に満ちた空気、冬の寒さに負けない熱気の中心に向かって行きながら私は余計なことしか考えない今日の自分の心に硬い栓をするために、これから向かう買い物に全力で取り組む誓いを立てた。
「2人で持てる位に収めないといけませんね!」
「えぇ、そうね」
また笑った、笑ってくれた。間違いなく私に向けてくれた笑顔。それなのにお前は、その笑顔を向けていた人の事なんて……何で今更気にするんだ?
「お待たせしました、モーニングセットです」
「ありがとう」
ここは浜松、時刻は7時。PMではなくAMだ。寝起きすぐの身体に朝風を当てながら榊さんに半ば連行されるようにやってきたこの喫茶店で、私たち2人は朝のご馳走にありつこうとしている。
「哀留?」
「ふぇあっ。すいません、まだぼーっとしてて」
「ごめんね、無理やり連れて来たみたいになっちゃって。もしかしてコーヒー苦手だった?」
常温の柔らかいバターを自分のトーストに塗りながら、榊さんはまだ手の進んでいない私を心配していた。正直に言えばコーヒーは好きなんだけど寝起きの頭がまだ食事モードに移行していない。家から最寄りの磐田駅までバスで15分、磐田から浜松まで20分、そして浜松駅からこの喫茶店まで徒歩5分。計40分余りの道のりを経てのこの状況、日頃9時頃に目覚めている私の頭にとっては適応させるだけでも至難の業だ。
「いえ、大丈夫です!ぃただきまぁす」
もう1つ正直に言えば、私は今、非常にお腹が減っている。原因は言わずもがな昨夜の「精進料理」なのだけど、不思議と口に合わない料理というのはいくら食べてもお腹が満たされない。いや、むしろ満足する程にまで胃袋に入って行かないのか。茶碗丸々1杯を飲み込んだ昨夜には胃袋がはち切れそうだったのに、今の私は牛1頭くらいなら丸飲みに出来そうな程にお腹が空いている。もしかして、榊さんも同じだからなのかな?
「んぶ!」
だけども考え事をしながらの飲み物は非常に危ない、それが飲み慣れないモノであるならなおさらだ。散漫な意識のままカップに口を付けた私の脳味噌は殆ど経験の無いブラックコーヒーの渋みと苦みと熱さに驚き、その衝撃を言語野に直撃させて悲鳴のような驚きを店中に響かせてしまった。
「大丈夫!?」
「んっ!……ご、ごめんなさい」
口元を拭い、テーブルに跳ねた飛沫を拭き、カップに1本の砂糖と2個のミルクを投入して深呼吸、この間僅か4秒程。幸い大きな騒ぎにはならず、喉に残った少しの量でむせそうになるのをこらえながら、私は榊さんに聞いてみた。
「でもどうしてわざわざモーニングに?……やっぱり、昨日のが───」
「そうじゃない。哀留、今日から三が日の終わりまでお休みって言ってたでしょ?私も今夜の忘年会が終わったら家に居ることになると思うし、それなら何回も外出しなくて済むように色々買いこんでおこうかなって。お昼から出かけたら晩に間に合うか不安だったの、ごめんね?」
「あぁ」
確かにウチの冷蔵庫の中身はよくいる独身者相応にみすぼらしい。普段使いする卵と調味料以外は確実にその日に使いきる分の食べ物しか入っていなかったし、榊さんが来て特別意識して料理をするとき以外の食事と言えば出前か外食だった。これには同棲を始めたにも関わらず私がまるで頓着していなかっただけじゃなく、榊さんもそのことを「気にしなかった」というのが大きい。だけど今回、向こうからそういう提案をくれたという事は、榊さんは私が料理をするという行為自体をポジティブに考えてくれているのかもしれない!と、自分の脳内でそんな勝手な想像を働かせていた。
「簡単に食べられるモノとか、大目に用意しておけば便利じゃない!」
でもそれは多分杞憂だ。昨日のリアクションを見る限り私の料理の腕は世間的なオンチのレベルにすら達しているとは思えない。カレーは殆ど芽衣子が作った物だったし、野菜炒めのときはお互いに正直な言葉を言い合えるような関係ですらなかった。「あんまり」という言葉が出て来た時点で、それは彼女からの私に対するやんわりとした戦力外通告なのだろう。
「どう?哀留」
「───ぇえ、そうですね。じゃあ、いろいろ買い揃えておかないと。引きこもって餓死したくは無いですからね」
「?……よしっ!じゃあ行きましょう!あっ、これをゆっくり食べてからね」
ニコニコしながらセットのゆで卵を剝いていく榊さん。私は頷いたまま視線を自分のトーストに落とし、食べやすい温度になっていた表面にバターを広げて歯を立てる。ザクザクと心地良い音と触感、飛び散るパン粉の様なわずらわしさも気にならないくらいの美味しさが口の中に広がる。自分の至らなさと一緒に香ばしい小麦の断層を噛みしめた。
「美味しい?」
「はい、とっても」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
店を出て2人がまず向かったのは駅の逆に進んだ方にある小さな公園。大きな店舗が開店する午前9時ごろまでの時間を潰すために散歩がてら立ち寄った。喫茶店に居座っても良かったけど、どうにも忙しそうな様子の会社員さんなどに囲まれながらというのは2人とも落ち着かなかった。もう今年も終わるというのに忙しい人はまだまだたくさんいるらしい。
「寒いね、雪もまだ少し残ってるみたい」
「えぇ」
当たり障りのない会話を交わしながら歩をゆっくりと進めていく。多少短足気味の私は3歩進んだ榊さんに対して4歩で追いつくため、少し早足に思えるくらいの彼女の今のペースに合わせようとすると多少無理な歩き方になる。だけどそんな気遣いに気づかれまいと姿勢を綺麗に保とうとすればするほど今度は口を開く余裕がなくなり余裕がなくなり、お互いに無言のまま公園の中を歩く時間が続いてしまっている。マズイとは思いながらも気の利いた話題を振ることもできずただ榊さんに合わせて公園を進み続け流石に焦った私は息を切らし頭を回して喋りかけながら話題を探した。
「あぁ!ァあ……そのぉ……」
何か話題、何か話題……。
「……ぇ、あれ?」
その時、ふと隣に目を向けるとペースを合わせて歩いていたはずの榊さんの姿は無く、驚いて周囲を見渡すと彼女は歩いてきた道の3メートルくらい後ろで立ち止まり、遊歩道の並木から伸びる枯れ枝を静かに仰ぎ見ているようだった。空風にたなびく黒髪の隙間から覗いたその時の目はどことなく悲し気なものに見え、その時私の中にはふとある疑問が湧いて出てしまった。重要な議題でありながらこれまで自分の意識の外に意図的にはじき出していた事、必死に頭から追い出そうと別の事を考えても、一旦浮かんでしまったらしばらくの間そのことしか考えられなくなってしまう。私は自分の嫉妬深さを呪いながら頭に浮かんでしまった「その話題」を外にはじき出す為に、咄嗟に思い浮かんだ別の話題を、物思いにふける榊さんに歩み寄りながら切り出した。
「そういえば、榊さんってどうして本社から異動になったんですか?」
「えっ?」
質問を終えると共に駄目なことを聞いたという事を自覚する。対案が浮かび碌に考えもせずそのまま口から垂れ流した問いは、あろうことか「トバされた理由」についての事だった。それをあろうことか大事な人に、想い人に対して何の配慮も無い普段通りの口調でかましたのだ。榊さんの表情が曇るよりも先に私の顔面からは冷や汗が噴き出す。
「なっ、なんでもない!何でもないんです!忘れて下さい!」
悪あがきが過ぎる。汗ばむ上から空風に吹き上げられてもなお顔の紅潮は収まらず、デリカシーの無い自分を恥じた。
「───なんでかな?」
「……へ?」
「なんでだと思う?」
予想外の返答に私は更に困惑した。榊さんはさっきまでの何かを憂うような表情からまるで子供を見守るような優しげな表情に変わり、肩をすぼめた私を見つめている。私は、無性に苦しくなってしまった。
「え、えっと……」
「───ヘヘ、ごめんなさい、冗談よ。別にどうってことじゃないの。ただ単に忙しさに付き合いきれなくなったって言うか、働き方が合わなかったっていうか……。Tella’sの本社って結構な忙しくてさ。週で家に帰って眠れる日なんて2日あれば良い方で、営業の仕事で出張も多くて何のために部屋を借りてる分かんないくらいだったの。それが私には、楽しいけどキツイだったんだ。今の働いてるのはまぁ……悪い言い方をすると『追い出し部署』みたいなところでね。縁も無い市での製品配送と出品実績の実地調査なんて名目で出世からは遠いところなんだけど……何ていうか、疲れちゃったの」
自嘲気味に語るその背中は語り口とは対照的にシャッキリ伸びていた。ハッキリ言って自分が今まで生きてきた経験から理解できるような部分は話の中に殆ど無く、分かりやすい共感も反発も示すことができない。教師や親であればそういう姿勢は重要だろうし、パートナーとしてもそれは非常に不本意なコトだった。
「……それで、忙しくない提携先に?」
「まぁ割と忙しいけどね。でも今は前より充実してるよ!美味しい物を食べたりゆっくり買い物をしたり、自分が寝る布団を選ぶ時間だって無かったんだから。人間余裕がないと楽しい事が見えなくなって行くんだなって、ここに来てから分かり始めたの」
そう言いながら振り返る榊さんは間違いなく今日1番の笑顔を浮かべていた。少なくとも私にとっての今日が始まってからこの2時間ちょっとの間で1番の。
「あ、もうそろそろお店開きそうだね。行く?」
手直に時計が無く目の前でスマホを開くのも気が引けた私は榊さんの提案に素直に頷いた。来た道を駅に向かって引き返し始めるとさっきから吹き付けていた風は真正面からの向かい風になり、熱った私の顔を冷ましてくれる。そうだ、冷静になれ。何を焦ってる?
人の流れは駅に向かって、今日は珍しく皆と同じ方に私達も歩いていく。周りからは似た様な雑音に内包された笑い声、ひそひそ話、文句や客引きが聞こえ始め、ようやく社会が今日という1日を始めようとしているように思えた。活力に満ちた空気、冬の寒さに負けない熱気の中心に向かって行きながら私は余計なことしか考えない今日の自分の心に硬い栓をするために、これから向かう買い物に全力で取り組む誓いを立てた。
「2人で持てる位に収めないといけませんね!」
「えぇ、そうね」
また笑った、笑ってくれた。間違いなく私に向けてくれた笑顔。それなのにお前は、その笑顔を向けていた人の事なんて……何で今更気にするんだ?
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