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9話
9話「グラタンにもご用心」【1/3】
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「えっと……3名様入ります」
「いらっしゃいませー!」
「5番さんコーヒーパフェ1つとバニラアイス1つそれとオレンジジュースが2つです」
「はーい!」
「7番卓ハムサンドってまだ上がりません?」
「さっき出ました!どうぞ!」
14時17分、喫茶エビデンスの中は騒乱の具現だった。平日にもかかわらず満席のカウンターと残り1つを残して埋まっているテーブル。いつもであれば半分以上がおじいさんおばあさんで占められる客層はその殆どが中学、高校生、及びその保護者たちだ。今日は12月25日。どこかの誰かの誕生日で、いろんな人々が浮足立つ記念日として認識されているその日は私達にとって恐るべきXデー。
「なんでこんなに大勢駆け込んでくるんですか~!?」
「今日が終業式終わりだからですよ!ハイこれ5番さん!」
「ハムサンドをお願いします」
「こっちにありますから!持っていってください!」
我が子の1年の締めくくり、イレギュラーな午前下校は多くの親御さんにとっての天敵だ。平日の昼間に作り慣れないウチゴハンを振舞うことへの不安と面倒くささを感じた彼らは、自然とこういった住宅地の秘境に集まってくる。そんな考えの人達が4、5グループもいればウチの店は満杯になってしまうのだから、まぁ当然と言えば当然だ。私は今年で6回目となるウェーブ攻撃じみたお客の波を、先月からの新人と先週入ったばかりの新人との3人態勢で捌こうと必死にもがいていた。いつもなら背中を任せられた存在はもういない。私がホールの中での最古参となっている以上、指示出しと実働の両方をこなさなくてはならなくなり、想像を超えたタスクの量にもう目が回りそうになる。
「あの、源さん……」
「ん!?何!?」
「えぁっ!あ、あの……お手洗いに行ってもいいでしょうか?」
気弱気に恐る恐る質問をしてきたタレ目がちな彼、野球部員のような刈り上げ具合によらない控えめな態度と優柔不断な気質を併せ持つ彼は瀬戸 秋良。先月入ってきたホール担当で芽衣子が指導を担当していた。週2の勤務日のほとんどの時間、彼女に張り付きながら業務を教わっていたせいでほとんど話したことが無く、私も休業前の2、3度しか会ったことが無い。
「仕事中は『4番』。遠野さんに教わったでしょ?」
「あっ!そうでしたすいません……」
「5卓さんにパフェ軍団は出してくれた?」
「えっ、あっ……はい出しました」
「じゃあ大丈夫。でもあまり長くならないで、多分もうすぐ3組くらいまとめて下げなきゃいけないから」
「分かりましたぁ!!!」
鼓膜に打ち付けんばかりの大声で了解をして瀬戸さんはトイレに駆け出していった。もう少しお客側の声が小さければクレームが入りかねないくらいの声量だけど、なんにせよ教える身としてはハッキリとした受け答えをしてもらえるのは気分が良い。対照的なのは───
「あの、沙川さん?」
「───なんですか?」
この空前のラッシュアワー時にも関わらず半端じゃない落ち着きっぷりを見せる彼女は沙川 楊。とはいっても落ち着いていると言うのは語弊があって、彼女の場合、私がさっきから頼んでいた7番卓への配膳が終わってからただただその場に立って待機しているようにしか見えない状態。それは正直言って非常にありがたくない。
「んな、なんですかじゃなくて……その、次の仕事は?」
「指示があるまで待機していました。勝手に動いたらご迷惑かと思いまして」
「だったら次はどうしたらいいかっていうのをこっちに聞いてもらえると助かるんだけど……」
腰の高さで前で手を合わせたままじっとその場で立ちすくむ彼女は目の前のワイワイとした喧騒を見てもその調子を崩そうとはしなかった。入って一週間で自分で考えて動けというのは余りにも無茶なことだとは思うけど、ならばせめて前の仕事が終わったかどうかは教えてきてくれないと困る。
「分かりましたどうしたらいいですか?」
「っ───、待ちのメニューがさっきので全部出て少し時間があると思うから、今のうちに衛生用品の補充をお願いしたいんだけど───」
「……」
「……何?どうしたの?」
「いえこの店にはホールでの接客を目的に応募したのにやたら雑務ばかりやらされると思っただけです」
むっく。
「ホールって、お客さんと話すだけが仕事じゃなくて、おしぼりや水の補充もトイレの清掃も立派な仕事だし……それに沙川さんはまだ1人で全体は見れないでしょ?もし忙しくなりそうなら私が声をかけるから、その間に1つずつ作業に慣れてもらいたいなって……」
「……分かりました」
一瞬空いた間が気になりはしたけど沙川さんは指示を受け入れて紙ナプキンの補充をしに裏の倉庫に向かおうとする。でもその前にもう一度立ち止まって、真顔のまま私の方を振り向くと何か言いたそうな顔をしてじっと見つめてくる。
「……何かあるの?」
「いえ遠野さんは自由にさせてくれたと思っただけです。行ってきます」
刺々しい気配を纏ったまま彼女の背中は見送る暇もなく角へ消えていった。椅子を引くガタゴトやカバンのチャックを閉めるジィーが聞こえ始め深呼吸をして気合を入れ直したところに瀬戸さんが慌てた様子で帰ってくる。
「遅くなってすいません!」
結びかけのエプロンを引っ掛け、濡れた袖口と手先をぶらつかせて額に汗して駆けてくる年下の青年は見れば見るほど危なっかしそうに思えるけど……まぁ、変に自信のある子よりは、マシなのかな?
「しっかり拭いて消毒!」
「はいぃ!!!」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「がっはぁ……」
休憩室で1人、途中で買ってきたペットボトルの烏龍茶を丸々1本ガブ飲みした後のため息はまるで怪獣の咆哮みたい。人間、20代も折り返した頃には周りの目よりも自分の気持ち良さを優先する気持ちが勝ってくる気がする。まぁ、流石に新人2人が一緒にいるのであれば自重するところだけど。
「お疲れ様でした」
「あっ、お疲れ様です……」
時間にして6時間弱。近くの学校の全生徒の3分の1くらいを受け入れたのではないかと感じるようなラッシュを乗り切り、店に残った私と三ツ矢店長は激戦の後の余韻の中でお互いの体を休めている。新人2人は中番の業務を終えて先に帰り、閉店作業のみを残した店の中には静寂が満ちている。
「すいませんでした、私だけでもっと捌ければ良かったんですけど」
「大丈夫ですよ。2人が帰ってからはかなりお客さんも引きましたし、そもそも今日は多少早じまいする予定でしたから」
「あぁそうか、まぁそうですよね。皆クリスマスの晩に喫茶店で晩御飯はしないてこと……ですよね?」
疲れからか相手の反応を予測する手順を通すことなく頭で浮かんだ言葉が自然と口から零れ出てくる。まぁ聞いた店長の方も返事まで一瞬間が開いただけで別段不愉快そうな様子も無かったし大丈夫だとは思うけど、もう私の思考はそれくらいに疲労と空腹でほぐされてフニャフニャだ。事実テーブルに頬を付けたまま起き上がることもできないでいる。
「それもあるかもしれませんが、ウチは明日で仕事納めですので……」
「あっ、そうか……そうでしたね」
なんてことだ、私は5年間毎年経験してきた習慣まで頭からほっぽり抜ける位に必死になってたみたい……。やっぱりそれくらいに、「抜けた穴」は大きいという事なんだろう。我ながら身から出た錆、それも周りにも負担を強いているところからして、身から出たガス?もっと行って硫黄や硫化水素って感じ?駄目だ、語呂が悪くていまいちピンとこないなこれ……。
「今日はこのまま帰って大丈夫ですよ。閉店作業は1人で大丈夫ですから」
「い、いえっそんな!手伝いますよ!」
予想だにしない申し出に思わず意識が現実の流れに戻って体が跳ねた。本来はここからテーブルや窓、トイレの清掃と売り上げの計算といった作業を3、4人で手分けしてやるのに、あんな激戦の後にも関わらずそういったシメの作業は手伝わなくていいなんて、流石に気が引けるというレベルで収まらないくらいに申し訳なさが勝る。
「……そうですか、ではお願いします」
「!……は、はい!」
……く。なんだろう、なんだか一度免除された労働を間違いなく自分の意志で取り戻したのに、この身に襲い掛かる後悔と憂鬱、そして気だるさは───
「面倒くさいって、思ってるでしょ?」
「えあっ!?」
予想だにしない方向から撃ち放たれた弾に体を貫かれて出て来た間抜けな驚き。さっきまで瀬戸さんの口から何度も聞いていたような声を自分の口から出してしまったのだけれどこればかりはしょうがないと思いたい。だってあの店長が……、発注作業中の耳に芽衣子からちょっかいで息を吹きかけられようが、常連のお客さんに愛猫の写真を自慢げに見せ付けられようが、真顔で「そうですか」と返して終わってしまうあの三ツ矢店長が、自分から乱暴な会話のフェイントをかけそれに狼狽する私を見ながら「笑っている」のだ。まるで冗談でも言っているかのように。
「そ、それは……」
「フフ、じ、冗談ですよ」
冗談だった。
「……えっと」
「いえすいません。源さん、復帰してからこの3日間すごく、なんというか『前のめり』に仕事をしてくださっていらっしゃるように見えたんです。前まで積極的に話さなかったような後輩の方たちにも熱心に業務を教えて下さって、私が言うのもなんですけど……なんというか、らしくないように見えてしまって。……どうですか?」
「ど、どうですかというと?」
「頑張ってくださるのは嬉しいです。年末に関わらずウチは忙しいタイミングに入れる方は少ないですし、経験豊富な源さんが指導してくだされば、ほとんど厨房から出ない私が口だけで教えるよりも確実だと。でも、それをする理由に彼女の事は入れないでください」
それだけ言うと店長は深く深呼吸をしてさっさとホールの片付けに向かってしまった。
何か言い返すべきだった?でももう私に出来ることは何もない。ただ目の前に置かれた仕事を頑張ることでしか、彼女の空いた穴を何とか埋め合わせようとすることでしか彼に、この店に出来ることは無いだろうと、そう思うから。
───ピピピロン───
その時、その音。スマホのメッセージ着信音は私の思考に張り巡らされた迷路の壁を真っ直ぐにブチ抜いて、脳神経を通る電流の如く体にすさまじいスピードで指令を下した。文面を確認する前にロッカーを開け放ち、着ている制服を脱ぎ放り込んでハンガーにかかったジャンパーを引っ掴んで肩に引っ掛ける。それと同時に入っていた荷物を引っ張り出すと、さっきまでの逡巡がまるで嘘のような様子で店長に挨拶をしにホールへ飛び出した。
「すいません!お言葉に甘えて帰りますお疲れ様でした!!!」
「はい、お疲れさ───」
返事を待つことなく既に通用口に踵を返し消え失せていた従業員。残った私の気配に対して店長はどんな禄でもない印象を抱いたのか、今は考えない事にしよう。とにかく駅に!!!
『───お疲れ様、予定が変わって申し訳ないけど駅で待ってるね───』
「急げ急げいそげぇ!!!」
「もう1時間くらいは、居て貰えばよかったなぁ」
「いらっしゃいませー!」
「5番さんコーヒーパフェ1つとバニラアイス1つそれとオレンジジュースが2つです」
「はーい!」
「7番卓ハムサンドってまだ上がりません?」
「さっき出ました!どうぞ!」
14時17分、喫茶エビデンスの中は騒乱の具現だった。平日にもかかわらず満席のカウンターと残り1つを残して埋まっているテーブル。いつもであれば半分以上がおじいさんおばあさんで占められる客層はその殆どが中学、高校生、及びその保護者たちだ。今日は12月25日。どこかの誰かの誕生日で、いろんな人々が浮足立つ記念日として認識されているその日は私達にとって恐るべきXデー。
「なんでこんなに大勢駆け込んでくるんですか~!?」
「今日が終業式終わりだからですよ!ハイこれ5番さん!」
「ハムサンドをお願いします」
「こっちにありますから!持っていってください!」
我が子の1年の締めくくり、イレギュラーな午前下校は多くの親御さんにとっての天敵だ。平日の昼間に作り慣れないウチゴハンを振舞うことへの不安と面倒くささを感じた彼らは、自然とこういった住宅地の秘境に集まってくる。そんな考えの人達が4、5グループもいればウチの店は満杯になってしまうのだから、まぁ当然と言えば当然だ。私は今年で6回目となるウェーブ攻撃じみたお客の波を、先月からの新人と先週入ったばかりの新人との3人態勢で捌こうと必死にもがいていた。いつもなら背中を任せられた存在はもういない。私がホールの中での最古参となっている以上、指示出しと実働の両方をこなさなくてはならなくなり、想像を超えたタスクの量にもう目が回りそうになる。
「あの、源さん……」
「ん!?何!?」
「えぁっ!あ、あの……お手洗いに行ってもいいでしょうか?」
気弱気に恐る恐る質問をしてきたタレ目がちな彼、野球部員のような刈り上げ具合によらない控えめな態度と優柔不断な気質を併せ持つ彼は瀬戸 秋良。先月入ってきたホール担当で芽衣子が指導を担当していた。週2の勤務日のほとんどの時間、彼女に張り付きながら業務を教わっていたせいでほとんど話したことが無く、私も休業前の2、3度しか会ったことが無い。
「仕事中は『4番』。遠野さんに教わったでしょ?」
「あっ!そうでしたすいません……」
「5卓さんにパフェ軍団は出してくれた?」
「えっ、あっ……はい出しました」
「じゃあ大丈夫。でもあまり長くならないで、多分もうすぐ3組くらいまとめて下げなきゃいけないから」
「分かりましたぁ!!!」
鼓膜に打ち付けんばかりの大声で了解をして瀬戸さんはトイレに駆け出していった。もう少しお客側の声が小さければクレームが入りかねないくらいの声量だけど、なんにせよ教える身としてはハッキリとした受け答えをしてもらえるのは気分が良い。対照的なのは───
「あの、沙川さん?」
「───なんですか?」
この空前のラッシュアワー時にも関わらず半端じゃない落ち着きっぷりを見せる彼女は沙川 楊。とはいっても落ち着いていると言うのは語弊があって、彼女の場合、私がさっきから頼んでいた7番卓への配膳が終わってからただただその場に立って待機しているようにしか見えない状態。それは正直言って非常にありがたくない。
「んな、なんですかじゃなくて……その、次の仕事は?」
「指示があるまで待機していました。勝手に動いたらご迷惑かと思いまして」
「だったら次はどうしたらいいかっていうのをこっちに聞いてもらえると助かるんだけど……」
腰の高さで前で手を合わせたままじっとその場で立ちすくむ彼女は目の前のワイワイとした喧騒を見てもその調子を崩そうとはしなかった。入って一週間で自分で考えて動けというのは余りにも無茶なことだとは思うけど、ならばせめて前の仕事が終わったかどうかは教えてきてくれないと困る。
「分かりましたどうしたらいいですか?」
「っ───、待ちのメニューがさっきので全部出て少し時間があると思うから、今のうちに衛生用品の補充をお願いしたいんだけど───」
「……」
「……何?どうしたの?」
「いえこの店にはホールでの接客を目的に応募したのにやたら雑務ばかりやらされると思っただけです」
むっく。
「ホールって、お客さんと話すだけが仕事じゃなくて、おしぼりや水の補充もトイレの清掃も立派な仕事だし……それに沙川さんはまだ1人で全体は見れないでしょ?もし忙しくなりそうなら私が声をかけるから、その間に1つずつ作業に慣れてもらいたいなって……」
「……分かりました」
一瞬空いた間が気になりはしたけど沙川さんは指示を受け入れて紙ナプキンの補充をしに裏の倉庫に向かおうとする。でもその前にもう一度立ち止まって、真顔のまま私の方を振り向くと何か言いたそうな顔をしてじっと見つめてくる。
「……何かあるの?」
「いえ遠野さんは自由にさせてくれたと思っただけです。行ってきます」
刺々しい気配を纏ったまま彼女の背中は見送る暇もなく角へ消えていった。椅子を引くガタゴトやカバンのチャックを閉めるジィーが聞こえ始め深呼吸をして気合を入れ直したところに瀬戸さんが慌てた様子で帰ってくる。
「遅くなってすいません!」
結びかけのエプロンを引っ掛け、濡れた袖口と手先をぶらつかせて額に汗して駆けてくる年下の青年は見れば見るほど危なっかしそうに思えるけど……まぁ、変に自信のある子よりは、マシなのかな?
「しっかり拭いて消毒!」
「はいぃ!!!」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「がっはぁ……」
休憩室で1人、途中で買ってきたペットボトルの烏龍茶を丸々1本ガブ飲みした後のため息はまるで怪獣の咆哮みたい。人間、20代も折り返した頃には周りの目よりも自分の気持ち良さを優先する気持ちが勝ってくる気がする。まぁ、流石に新人2人が一緒にいるのであれば自重するところだけど。
「お疲れ様でした」
「あっ、お疲れ様です……」
時間にして6時間弱。近くの学校の全生徒の3分の1くらいを受け入れたのではないかと感じるようなラッシュを乗り切り、店に残った私と三ツ矢店長は激戦の後の余韻の中でお互いの体を休めている。新人2人は中番の業務を終えて先に帰り、閉店作業のみを残した店の中には静寂が満ちている。
「すいませんでした、私だけでもっと捌ければ良かったんですけど」
「大丈夫ですよ。2人が帰ってからはかなりお客さんも引きましたし、そもそも今日は多少早じまいする予定でしたから」
「あぁそうか、まぁそうですよね。皆クリスマスの晩に喫茶店で晩御飯はしないてこと……ですよね?」
疲れからか相手の反応を予測する手順を通すことなく頭で浮かんだ言葉が自然と口から零れ出てくる。まぁ聞いた店長の方も返事まで一瞬間が開いただけで別段不愉快そうな様子も無かったし大丈夫だとは思うけど、もう私の思考はそれくらいに疲労と空腹でほぐされてフニャフニャだ。事実テーブルに頬を付けたまま起き上がることもできないでいる。
「それもあるかもしれませんが、ウチは明日で仕事納めですので……」
「あっ、そうか……そうでしたね」
なんてことだ、私は5年間毎年経験してきた習慣まで頭からほっぽり抜ける位に必死になってたみたい……。やっぱりそれくらいに、「抜けた穴」は大きいという事なんだろう。我ながら身から出た錆、それも周りにも負担を強いているところからして、身から出たガス?もっと行って硫黄や硫化水素って感じ?駄目だ、語呂が悪くていまいちピンとこないなこれ……。
「今日はこのまま帰って大丈夫ですよ。閉店作業は1人で大丈夫ですから」
「い、いえっそんな!手伝いますよ!」
予想だにしない申し出に思わず意識が現実の流れに戻って体が跳ねた。本来はここからテーブルや窓、トイレの清掃と売り上げの計算といった作業を3、4人で手分けしてやるのに、あんな激戦の後にも関わらずそういったシメの作業は手伝わなくていいなんて、流石に気が引けるというレベルで収まらないくらいに申し訳なさが勝る。
「……そうですか、ではお願いします」
「!……は、はい!」
……く。なんだろう、なんだか一度免除された労働を間違いなく自分の意志で取り戻したのに、この身に襲い掛かる後悔と憂鬱、そして気だるさは───
「面倒くさいって、思ってるでしょ?」
「えあっ!?」
予想だにしない方向から撃ち放たれた弾に体を貫かれて出て来た間抜けな驚き。さっきまで瀬戸さんの口から何度も聞いていたような声を自分の口から出してしまったのだけれどこればかりはしょうがないと思いたい。だってあの店長が……、発注作業中の耳に芽衣子からちょっかいで息を吹きかけられようが、常連のお客さんに愛猫の写真を自慢げに見せ付けられようが、真顔で「そうですか」と返して終わってしまうあの三ツ矢店長が、自分から乱暴な会話のフェイントをかけそれに狼狽する私を見ながら「笑っている」のだ。まるで冗談でも言っているかのように。
「そ、それは……」
「フフ、じ、冗談ですよ」
冗談だった。
「……えっと」
「いえすいません。源さん、復帰してからこの3日間すごく、なんというか『前のめり』に仕事をしてくださっていらっしゃるように見えたんです。前まで積極的に話さなかったような後輩の方たちにも熱心に業務を教えて下さって、私が言うのもなんですけど……なんというか、らしくないように見えてしまって。……どうですか?」
「ど、どうですかというと?」
「頑張ってくださるのは嬉しいです。年末に関わらずウチは忙しいタイミングに入れる方は少ないですし、経験豊富な源さんが指導してくだされば、ほとんど厨房から出ない私が口だけで教えるよりも確実だと。でも、それをする理由に彼女の事は入れないでください」
それだけ言うと店長は深く深呼吸をしてさっさとホールの片付けに向かってしまった。
何か言い返すべきだった?でももう私に出来ることは何もない。ただ目の前に置かれた仕事を頑張ることでしか、彼女の空いた穴を何とか埋め合わせようとすることでしか彼に、この店に出来ることは無いだろうと、そう思うから。
───ピピピロン───
その時、その音。スマホのメッセージ着信音は私の思考に張り巡らされた迷路の壁を真っ直ぐにブチ抜いて、脳神経を通る電流の如く体にすさまじいスピードで指令を下した。文面を確認する前にロッカーを開け放ち、着ている制服を脱ぎ放り込んでハンガーにかかったジャンパーを引っ掴んで肩に引っ掛ける。それと同時に入っていた荷物を引っ張り出すと、さっきまでの逡巡がまるで嘘のような様子で店長に挨拶をしにホールへ飛び出した。
「すいません!お言葉に甘えて帰りますお疲れ様でした!!!」
「はい、お疲れさ───」
返事を待つことなく既に通用口に踵を返し消え失せていた従業員。残った私の気配に対して店長はどんな禄でもない印象を抱いたのか、今は考えない事にしよう。とにかく駅に!!!
『───お疲れ様、予定が変わって申し訳ないけど駅で待ってるね───』
「急げ急げいそげぇ!!!」
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