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5話
5話「淡々、担々麺」【1/3】
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『どうして貴方は、そんなにも前を向いていられるの?』
『語ったところで、キミに理解してもらえるとは思えない』
『理解出来ない私には、それを知る資格も無いの……?』
『そうじゃない。でも、人は誰かに自分を知ってもらいたいと願うものだし、自分を知る人にだけは理解されたいと思うものなんだ。ボクも、キミも、他の誰だって』
『私は貴方を知りたい……たとえ理解出来なくても、本当のあなたを見ていたい』
『……じゃあ君は───
「くぁあ……」
進行に詰まると欠伸か伸びをして目を閉じる。私という人間の取扱説明書、「故障かな?と思ったら」の欄に書いてありそうな特徴だ。時計の時刻は11時15分、平日の真昼間にも関わらずいい歳した大人が部屋に閉じこもってパソコンとにらめっこをしているこんな光景、20年前くらいならば間違いなく社会不適合者の烙印を押されるに違いない。
「あっ、AP溢れてんじゃん。周回」さんと」
スマホの通知からアプリゲームを開いて10分くらいの小休憩。キャラクター収集系のアプリはアイテムや経験値集めのためにこうして定期的に開かなくちゃいけないのが面倒だけどそこが面白さに繋がってくるのが商品としての「キモ」なんだと思う。たった今私が目の前で詰まっている課題と通じる部分だ。目の前の冗長な展開を面白さにいかに繋げていくか、書きたいシーンやキャラクターの心情が次々と浮かんできてもこういった部分がクッキリとしたビジョンにならないせいでしょっちゅう字を打つ手が止まってしまうのだ。最近は……結構減って来たとは思うけど……。
「もうお昼になっちゃいそうだな、1日短すぎんでしょ……」
部屋の中から一歩も外に出ないせいもあるけど、ここ最近は本当に時間の流れが速く感じる。例の件で気を使ってくれた店長と芽衣子の厚意でバイト先から1週間の休みを貰ったものの、その場合私がやるべき事と言えば執筆しかないワケで、私にとってそっちの方面に割く力が中々わいてこないのが今現在の問題だった。そもそもちゃんと書き終わるのかさえ定かじゃない。こんな身で先の見通しすら立たない物語を書き進めることに何の意味があるのかも直ぐには思いつかなくなり、元々早くなかった私の筆は少し前までは完全に停止していたのだ。それがここまで回復したのは最近の私の生活が文字通り刺激に溢れたものだったからだと思う。自分と健史郎以外の誰かをこの部屋に上げたことも、クレーマー宜しく他所の会社に怒鳴り込んだことも、内心で憧れてた人に不意打ちで告白されてしまったことも───
「うっぷ……」
今のは吐き気じゃなくゲップ。昨日の晩に夜更かしをしたせいで目が覚めたのが今朝の9時半過ぎ、もう朝と言えるかも怪しいそんな時間におにぎりを詰め込まれた胃袋がようやく仕事をし始めた合図だ。コップ1杯の水とコンビニのおにぎりなんて、ひどい朝ご飯という人もいるだろうけど1人暮らしってこんなものだと思う。自分の為だけに何かを用意することは面倒だし何よりもったいない、食べきれずに捨ててしまった材料にゴミ箱を開けて対面するたびに申し訳ない気持ちになるから自炊なんてものはここに住んでから数える程しかやってないのだ。あの晩も含めて。
「───もっかい水飲も……」
───ピンポーン───
玄関から来客を告げる音が鳴り響く。宅配も来客の予定も無いウチに尋ねてくるような人間は1人しかいないので慌てず騒がずゆっくりとロフトの梯子を下り始めた。
───ピンピンポピンピンピンポピンポーン───
「うっさい!」
さながらインター機関ホン、呼び鈴の連打にたまらずドアを開け放つと、この6年ですっかり見慣れた低血圧特有の仏頂面をした健史郎が玄関の前に突っ立ていた。
「……どしたの?」
「ヒドイ顔してんな、いつぐらいから外出てない?」
「鏡見て言いなよ。別に引きこもってるわけじゃないし、買い物にだって行ってるし」
「世間じゃそういう奴も『引きこもり』で括れんだよ。たまには外の空気でも吸いに行ってこい」
健史郎はそう言いながら自分が羽織るくたくたのフリースのポケットに手を突っ込んでガサゴソと何かを探り、そうやって取り出したのは短冊ぐらいの大きさの細長い1枚のペラペラだった。どういったリアクションを返そうかと考えている私に健史郎はムンッといった感じでそれを突き出してくる。
「なにこれ?」
「近くの博物館のタダ券。昨日来たウチのお袋が寄こしてきたんだよ」
「それをそのまま横流しってワケ?」
「よく解ってんな、話の分かる入居者で助かる。そういう訳でホレ」
話しているうちに調子が出て来たのかペラペラと揺れる紙切れを差し出す健史郎の顔がどこかニヤけ気味に見えて癪に障ってきたので返事を返す前にムンずと掴み取った。貰えるものは貰っておくのが私の性分なのだ。コイツもそれを理解していて真っ先に私に声を掛けに来たに違いない、なんだかコイツの掌で踊らされているような気がしてきて増々イラっと来てしまいそうなのでこれ以上は考えないようにしよう。
「……いつもありがと!」
「どういたしまして、親愛なる隣人殿」
金づるの間違いでしょ?と私が訂正する前にさっさと階段を駆け下りて健史郎は帰ってしまった。一昨日の買い出しから大体32時間ぶりに浴びた年末の寒風に震える私の手の中には、今しがた体よく押し付けられたチケットが1枚筒状に丸まり納まっている。アイツにこうして物を貰うのは初めての事じゃない。お正月やお盆、ハロウィンやクリスマスといった年度行事の時だけじゃなく、事あるごとに部屋を訪ねては貰い物のお菓子や食品、郷土品の置物なんかを有無を言わさず押し付けていく。私だけじゃなくこのアパートの住人は全員が多かれ少なかれ同じ目に遭っているみたいだけどそのことに対して文句を言う人はほとんどいないとアイツは言う。家賃月額2万8000円の前にはどんな悪事も霞んで見えるという訳ね。
「自分への口実ってところ……かな」
顔を洗って歯を磨く。一瞬でも行動する気力が湧いてきたのならすぐに実行に移さないと堕落一直線だ。ヤル気は生物、保存は効かず常に1人で食べきれる量しか生まれては来ない。目の前に降ってきたヤル気に直ぐに食らいつかないでいると自分の足元の方が徐々に腐ってきて碌に身動きすら取れなくなるのだ。もっとも自分の場合はその原理で行動してトラブルになってしまうことも少なくないんだけど。
「久しぶりだな博物館なんて、家族で行って以来か」
文章の保存をしてパソコンの電源を落とした。慣れたバイト前の準備と同じだけど今の私は今日がは燃えないゴミを出す日だという事は忘れてはいない。満杯になった薄い青色の不燃ごみ袋の口を縛って玄関の近くにポイッと放った。少し前まではこの動きで部屋の真ん中に放置していたのが嘘のみたいに思えるし、そんな生活をしていたこと自体が今の私にとっては嘘のように感じていた。
「……関係無いっての!」
前髪をまとめ上げて丸出しになったデコを掌でピシャっとはたく。新鮮な刺激で頭がクリアになれば片隅に積もったモヤモヤだってもっと見えなくなっていくはずだ。いつにも増して健史郎に感謝しないといけなさそう。外に出るきっかけを逃すまいと手早く身支度を終えてドアを開け放って大きく深呼吸をした。雲1つ見えない青空が広がる時間はまだお昼前、1日はこれからだ!今日という日を良い日にし、積もりに積もった「嫌なこと」を忘れる為に、手荷物とゴミ袋を抱えて私は自分の巣を後にした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「近く」という言葉で表す距離感には人それぞれ差があるのが当たり前。それでもこれはサバを読み過ぎだと思った。家の最寄駅まで徒歩20分、チケットの端に書かれた小さな案内とスマホを駆使して経路を調べながら、何故か路線を3本ほど乗り継いで辿り着いた博物館の最寄り駅。そこに降りたったころには大仕事をやりきったような充足感と疲労感が体の内側に溢れていた。時間は13時17分、ウチの最寄よりもさらに小さなここの駅の前には平日の昼間という事もあってほとんど人影も無かった。外のベンチを広々と1人で占有し構内で買った缶のコーンスープを一気に飲み干してまた大きくため息をつく。まんまとしてやられたらしい。
「こんなとこまで来たこと無いよ……、アイツどこのチケット貰ってんのホントに」
念の為もう一度チケットに書かれた案内に目を通す。この駅から歩いて30分もかからない場所にあるらしいけど駅からは直通のバスも出ているみたい。どちらを選んでも良い、となるとかなり乗り物疲れ気味の今の身体には歩く方が向いている。ひたすら密室で揺られてきた気だるげなこの体と肺に外の新鮮な空気をたっぷりと取り込んで帰ってくれば健史郎も文句は言わないだろうしね。
半分くらいにまで減らした缶と荷物の入ったリュックサックを両手にぶら下げてベンチから立ち上がり、私は目的地に向かって歩き始めた。静かな街道、澄み切った空気、追い越す人もすれ違う人もほとんどいない貸し切り状態のまま、たまに降りてきた駅に向かってすれ違うタクシーやバスを横目で見送りながら、私の足は早くも遅くも無くただ自分の速度で前に進む。そんな働き者の足に対して頭の方は怠惰の極みだ。道を行く間、これからの事もさっきの事も、昔の事も考えず、目の前の景色や耳に入ってくる音を情報として処理する以外に働くことは無い。隣を一緒に歩く友達や知り合いでもいればそうはいかなかったかもしれないけど、幸い寂しくも無い独り身だ。質素に親しみ貧乏を憎み、孤独を受け入れるか悩みながら今まで生きてきた。多分これからもそうだと思う───。……今の文使えそうだな、メモしとこ。
「のわっ!」
メモ帳アプリを開こうと携帯に手を触れた瞬間、忘れかけてしまっていた本来の目的を思い出して周囲を見回すと、博物館の最寄と書かれていたバス停を今歩いてきた後ろの道に見つけた。久々に頭の方が働いてくれたから助かったけどこのまま歩き続けてたらすさまじく面倒くさいことになってたと思う。ホッと胸をなでおろしてメモ帳より先に地図を開いて道を確認すると博物館はもう目と鼻の先だった。
「よし……」
すると駅の方、歩いてきた方角から大きなエンジン音が近付いてくる。道の先に目を向けると行く途中にすれ違ったものと同じようなバスがこっちに向かって走ってきていた。あのバスにはどれだけの人が乗ってるんだろう?博物館に向かう人もいるのかな?そう考えると後から来た人に追い抜かされることが嫌になり歩きが少し早くなって、いつの間にか私は景色も静かさも気にならなくなっていた。どうやらまた、余計なことを考えてしまったみたい。
『語ったところで、キミに理解してもらえるとは思えない』
『理解出来ない私には、それを知る資格も無いの……?』
『そうじゃない。でも、人は誰かに自分を知ってもらいたいと願うものだし、自分を知る人にだけは理解されたいと思うものなんだ。ボクも、キミも、他の誰だって』
『私は貴方を知りたい……たとえ理解出来なくても、本当のあなたを見ていたい』
『……じゃあ君は───
「くぁあ……」
進行に詰まると欠伸か伸びをして目を閉じる。私という人間の取扱説明書、「故障かな?と思ったら」の欄に書いてありそうな特徴だ。時計の時刻は11時15分、平日の真昼間にも関わらずいい歳した大人が部屋に閉じこもってパソコンとにらめっこをしているこんな光景、20年前くらいならば間違いなく社会不適合者の烙印を押されるに違いない。
「あっ、AP溢れてんじゃん。周回」さんと」
スマホの通知からアプリゲームを開いて10分くらいの小休憩。キャラクター収集系のアプリはアイテムや経験値集めのためにこうして定期的に開かなくちゃいけないのが面倒だけどそこが面白さに繋がってくるのが商品としての「キモ」なんだと思う。たった今私が目の前で詰まっている課題と通じる部分だ。目の前の冗長な展開を面白さにいかに繋げていくか、書きたいシーンやキャラクターの心情が次々と浮かんできてもこういった部分がクッキリとしたビジョンにならないせいでしょっちゅう字を打つ手が止まってしまうのだ。最近は……結構減って来たとは思うけど……。
「もうお昼になっちゃいそうだな、1日短すぎんでしょ……」
部屋の中から一歩も外に出ないせいもあるけど、ここ最近は本当に時間の流れが速く感じる。例の件で気を使ってくれた店長と芽衣子の厚意でバイト先から1週間の休みを貰ったものの、その場合私がやるべき事と言えば執筆しかないワケで、私にとってそっちの方面に割く力が中々わいてこないのが今現在の問題だった。そもそもちゃんと書き終わるのかさえ定かじゃない。こんな身で先の見通しすら立たない物語を書き進めることに何の意味があるのかも直ぐには思いつかなくなり、元々早くなかった私の筆は少し前までは完全に停止していたのだ。それがここまで回復したのは最近の私の生活が文字通り刺激に溢れたものだったからだと思う。自分と健史郎以外の誰かをこの部屋に上げたことも、クレーマー宜しく他所の会社に怒鳴り込んだことも、内心で憧れてた人に不意打ちで告白されてしまったことも───
「うっぷ……」
今のは吐き気じゃなくゲップ。昨日の晩に夜更かしをしたせいで目が覚めたのが今朝の9時半過ぎ、もう朝と言えるかも怪しいそんな時間におにぎりを詰め込まれた胃袋がようやく仕事をし始めた合図だ。コップ1杯の水とコンビニのおにぎりなんて、ひどい朝ご飯という人もいるだろうけど1人暮らしってこんなものだと思う。自分の為だけに何かを用意することは面倒だし何よりもったいない、食べきれずに捨ててしまった材料にゴミ箱を開けて対面するたびに申し訳ない気持ちになるから自炊なんてものはここに住んでから数える程しかやってないのだ。あの晩も含めて。
「───もっかい水飲も……」
───ピンポーン───
玄関から来客を告げる音が鳴り響く。宅配も来客の予定も無いウチに尋ねてくるような人間は1人しかいないので慌てず騒がずゆっくりとロフトの梯子を下り始めた。
───ピンピンポピンピンピンポピンポーン───
「うっさい!」
さながらインター機関ホン、呼び鈴の連打にたまらずドアを開け放つと、この6年ですっかり見慣れた低血圧特有の仏頂面をした健史郎が玄関の前に突っ立ていた。
「……どしたの?」
「ヒドイ顔してんな、いつぐらいから外出てない?」
「鏡見て言いなよ。別に引きこもってるわけじゃないし、買い物にだって行ってるし」
「世間じゃそういう奴も『引きこもり』で括れんだよ。たまには外の空気でも吸いに行ってこい」
健史郎はそう言いながら自分が羽織るくたくたのフリースのポケットに手を突っ込んでガサゴソと何かを探り、そうやって取り出したのは短冊ぐらいの大きさの細長い1枚のペラペラだった。どういったリアクションを返そうかと考えている私に健史郎はムンッといった感じでそれを突き出してくる。
「なにこれ?」
「近くの博物館のタダ券。昨日来たウチのお袋が寄こしてきたんだよ」
「それをそのまま横流しってワケ?」
「よく解ってんな、話の分かる入居者で助かる。そういう訳でホレ」
話しているうちに調子が出て来たのかペラペラと揺れる紙切れを差し出す健史郎の顔がどこかニヤけ気味に見えて癪に障ってきたので返事を返す前にムンずと掴み取った。貰えるものは貰っておくのが私の性分なのだ。コイツもそれを理解していて真っ先に私に声を掛けに来たに違いない、なんだかコイツの掌で踊らされているような気がしてきて増々イラっと来てしまいそうなのでこれ以上は考えないようにしよう。
「……いつもありがと!」
「どういたしまして、親愛なる隣人殿」
金づるの間違いでしょ?と私が訂正する前にさっさと階段を駆け下りて健史郎は帰ってしまった。一昨日の買い出しから大体32時間ぶりに浴びた年末の寒風に震える私の手の中には、今しがた体よく押し付けられたチケットが1枚筒状に丸まり納まっている。アイツにこうして物を貰うのは初めての事じゃない。お正月やお盆、ハロウィンやクリスマスといった年度行事の時だけじゃなく、事あるごとに部屋を訪ねては貰い物のお菓子や食品、郷土品の置物なんかを有無を言わさず押し付けていく。私だけじゃなくこのアパートの住人は全員が多かれ少なかれ同じ目に遭っているみたいだけどそのことに対して文句を言う人はほとんどいないとアイツは言う。家賃月額2万8000円の前にはどんな悪事も霞んで見えるという訳ね。
「自分への口実ってところ……かな」
顔を洗って歯を磨く。一瞬でも行動する気力が湧いてきたのならすぐに実行に移さないと堕落一直線だ。ヤル気は生物、保存は効かず常に1人で食べきれる量しか生まれては来ない。目の前に降ってきたヤル気に直ぐに食らいつかないでいると自分の足元の方が徐々に腐ってきて碌に身動きすら取れなくなるのだ。もっとも自分の場合はその原理で行動してトラブルになってしまうことも少なくないんだけど。
「久しぶりだな博物館なんて、家族で行って以来か」
文章の保存をしてパソコンの電源を落とした。慣れたバイト前の準備と同じだけど今の私は今日がは燃えないゴミを出す日だという事は忘れてはいない。満杯になった薄い青色の不燃ごみ袋の口を縛って玄関の近くにポイッと放った。少し前まではこの動きで部屋の真ん中に放置していたのが嘘のみたいに思えるし、そんな生活をしていたこと自体が今の私にとっては嘘のように感じていた。
「……関係無いっての!」
前髪をまとめ上げて丸出しになったデコを掌でピシャっとはたく。新鮮な刺激で頭がクリアになれば片隅に積もったモヤモヤだってもっと見えなくなっていくはずだ。いつにも増して健史郎に感謝しないといけなさそう。外に出るきっかけを逃すまいと手早く身支度を終えてドアを開け放って大きく深呼吸をした。雲1つ見えない青空が広がる時間はまだお昼前、1日はこれからだ!今日という日を良い日にし、積もりに積もった「嫌なこと」を忘れる為に、手荷物とゴミ袋を抱えて私は自分の巣を後にした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「近く」という言葉で表す距離感には人それぞれ差があるのが当たり前。それでもこれはサバを読み過ぎだと思った。家の最寄駅まで徒歩20分、チケットの端に書かれた小さな案内とスマホを駆使して経路を調べながら、何故か路線を3本ほど乗り継いで辿り着いた博物館の最寄り駅。そこに降りたったころには大仕事をやりきったような充足感と疲労感が体の内側に溢れていた。時間は13時17分、ウチの最寄よりもさらに小さなここの駅の前には平日の昼間という事もあってほとんど人影も無かった。外のベンチを広々と1人で占有し構内で買った缶のコーンスープを一気に飲み干してまた大きくため息をつく。まんまとしてやられたらしい。
「こんなとこまで来たこと無いよ……、アイツどこのチケット貰ってんのホントに」
念の為もう一度チケットに書かれた案内に目を通す。この駅から歩いて30分もかからない場所にあるらしいけど駅からは直通のバスも出ているみたい。どちらを選んでも良い、となるとかなり乗り物疲れ気味の今の身体には歩く方が向いている。ひたすら密室で揺られてきた気だるげなこの体と肺に外の新鮮な空気をたっぷりと取り込んで帰ってくれば健史郎も文句は言わないだろうしね。
半分くらいにまで減らした缶と荷物の入ったリュックサックを両手にぶら下げてベンチから立ち上がり、私は目的地に向かって歩き始めた。静かな街道、澄み切った空気、追い越す人もすれ違う人もほとんどいない貸し切り状態のまま、たまに降りてきた駅に向かってすれ違うタクシーやバスを横目で見送りながら、私の足は早くも遅くも無くただ自分の速度で前に進む。そんな働き者の足に対して頭の方は怠惰の極みだ。道を行く間、これからの事もさっきの事も、昔の事も考えず、目の前の景色や耳に入ってくる音を情報として処理する以外に働くことは無い。隣を一緒に歩く友達や知り合いでもいればそうはいかなかったかもしれないけど、幸い寂しくも無い独り身だ。質素に親しみ貧乏を憎み、孤独を受け入れるか悩みながら今まで生きてきた。多分これからもそうだと思う───。……今の文使えそうだな、メモしとこ。
「のわっ!」
メモ帳アプリを開こうと携帯に手を触れた瞬間、忘れかけてしまっていた本来の目的を思い出して周囲を見回すと、博物館の最寄と書かれていたバス停を今歩いてきた後ろの道に見つけた。久々に頭の方が働いてくれたから助かったけどこのまま歩き続けてたらすさまじく面倒くさいことになってたと思う。ホッと胸をなでおろしてメモ帳より先に地図を開いて道を確認すると博物館はもう目と鼻の先だった。
「よし……」
すると駅の方、歩いてきた方角から大きなエンジン音が近付いてくる。道の先に目を向けると行く途中にすれ違ったものと同じようなバスがこっちに向かって走ってきていた。あのバスにはどれだけの人が乗ってるんだろう?博物館に向かう人もいるのかな?そう考えると後から来た人に追い抜かされることが嫌になり歩きが少し早くなって、いつの間にか私は景色も静かさも気にならなくなっていた。どうやらまた、余計なことを考えてしまったみたい。
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